第九話 混在する罪

 

 送信ボタンを押し、メールが送付される。定時報告だ。

 二時間ごとに司令部本部……厳密にはヴィクターの元へメールが送られている。とはいえ、今のところ報告できる内容はほぼなく、航行経路だけを報告しているような状態だった。

 喜ぶべきことではあるのだが、あまりにも静かすぎることが逆に不安でもある。

 

「顔が怖いぞレイル。気を抜くな、とは言わねーけど、ちったぁ気も休めないとぶっ倒れるぞ」

 

「仮眠は取ってます。それに、俺よりも他のクルーの方が疲れが見え始めています。特にパイロットは」

 

「あー、何もなしで待機はけっこーキツイもんな。……って、ちげーよ! お前の場合は気合だけで立ってるってもおかしくねーし、気が抜けたら倒れそうで怖いんだよ」

 

「お気遣いどうもありがとうございます。……大丈夫ですよ、今のところ」

 

「うっわ、分かってねぇ。ホントこいつ駄目だ……」

 

 バルクのぼやきにくすくすと、ブリッジ内に小さな笑いが広がる。

 不本意ではあるが、それで彼らの気が紛れたのであればレイルとしても文句は言えない。自分では出来ない事だ。

 王都リグリスの基地を発って二日。明日には基地に戻る事になる。すでに二回目の出発だった。

 二日間の飛行の後、基地へ戻って一日メンテナンス。おおよそ三日で一サイクルのこの作戦だが、今のところ成果は上がっていない。

 捜索域は島の中心に当たる王都を中心に四分割され、今回は南東エリアだ。前回は北東エリアで、こちらも何も見つかっていない。

 セヴォルのある東エリアだ。可能性としては高いと踏んでいるのだが未だ発見できないのがもどかしい。

 もちろんあるかどうかすら分からない話ではあるのだが。

 

「……っかし、キメラ、なぁ」

 

「どうかしましたか?」

 

 肘掛けに肘をついておよそ艦長らしくない気の緩んだ姿勢で、バルクは手元のモニターに情報を呼び出していた。

 キメラとは司令部の付けた「未確認生物」に対する通称だ。継ぎはぎの様な生物が多い事からそう呼ぶようになったらしい。

 バルクは司令部から送られてきている解析情報をチェックしていた。すぐ左に控えているレイルの位置からは、そのモニター画面も目視できる。

 

「いや、どーなんだろうってさ。良くわかんねーんだけど、要はこいつら、どうも自然の摂理ひん曲げて作り出してるんだろ?」

 

「……そのようですね」

 

「つまり神様の教えに背いてるわけだ」

 

「艦長は神を信じるタイプだったとは、正直意外です」

 

「おう。俺これでも神様は信じてるぞ。良いことしてりゃあ、きっと助けてくれんだろ」

 

 豪快に笑ったバルクに、レイルは若干羨ましくもなる。レイルは無神論者だ。信じることが出来る環境には、なかったと言ってもいいのだが。

 そして神が居るならば、自分に下されるのは罰でしかない。考えても気分が暗くなるだけだった。

 

「まぁそれは置いといて、だ。そうまでして、何を得たいんだろうな。ましてや、使い方がどうみても兵器だぞ」

 

「……自分を誇示したいだけでしょう。神になったつもりかもしれませんが。選ばれた人間と勘違いしているのかもしれません」

 

「所謂マッドサイエンティストってやつか? うぇ、俺には分かんねぇなその感覚」

 

「分かるわけないですよ。あんな感性を理解してしまったらそれこそ終わりです。人を物としてしか見れなくなりますよ」

 

 苦い思いに、奥歯のあたり痛みだす。脳裏をよぎった存在を黙殺し、レイルは何もない虚空を睨んだ。

 

「何だよ、随分良く知ってるみたいな口だな」

 

 怪訝そうに視線を寄越したバルクに、レイルはずれてもいない眼鏡の位置を修正する。

 

「ただの一般的見解です」

 

「そうか? まぁ、害があるなら討つしかねーんだけどな。それでも……俺は、命ってのはそんな軽いもんじゃねーと思うんだよ」

 

 はぁ、と疲れたようなため息を零したバルクに、レイルは微かに目元を歪める。

 バルクは、命の重さを考えている。全ての命をきっと平等に見ているのだ。それは優しさであり、甘さでもあるとレイルは思っていた。

 そしてそんなバルクだからこそ、レイルは未だに口を閉ざしているのだから。

 

「……なぁレイル」

 

「はい」

 

「お前さん、自分にも他人にも鈍いからよ、しょーがねーから俺が間に入ってやる」

 

「何の話ですか」

 

「つーわけで、これ終わったら、ちゃんとあの……――」

 

 バルクが言いかけた刹那、ブリッジを衝撃が襲った。ふらつきかけたレイルは咄嗟に艦長席に手を伸ばし衝撃を耐える。

 

「ちっ! どこからだ、あと損傷報告しろ!」

 

「上からです! 熱源は……三。ですが小さすぎます。航空機のエンジンではありません!」

 

「艦内損傷はありません! 対魔法シールドが一部破れていますが、すでに術師が修復作業に入っています!」

 

「てことは、今のは魔法で、衝撃波を防げなかったわけだな。大層な魔法ぶっぱなしてくんじゃねーか」

 

 唇を舐め、バルクは好戦的に笑う。艦長スイッチが入ったのだ。

 

「三体な。っし、回頭して迎撃すんぞ! ベティオ一番機二番機発進準備! 兵装はPAAMで出せ! 三番機は待機! あと偵察ドローンも出せ。モードは支援、映像記録中心にプログラム組み直せ」

 

「了解!」

 

 にわかにブリッジが熱を帯びる。

 定時連絡を終えたばかりで、良かったのか悪かったのか。いずれにせよレイルも、思考を切り替える。

 

「俺に出くわしたのが運の尽きだ。取れるだけの情報を取って、空に還してやるから恨むんじゃねーぞ」

 

 目に闘志が宿ったバルクに、レイルは冷静なままバルクへ報告を上げる。

 

「艦長、ベティオ、ドローン発進準備完了です」

 

「行くぞ、アレスタ戦闘用意! ベティオとドローン発進!」

 

 バルクの命令が、艦内に響き渡る。

 艦首の向きが変わり、高度とスピードを上げながらアレスタは襲撃してきた存在と対峙する。

 その姿は、長い首と大きな翼を広げた空飛ぶトカゲ。さながら伝説として語り継がれてきた竜のようだった。

 レイルが目を細めた脇で、ひゅうとバルクが口笛を吹く。

 

「初戦にしちゃあ豪華な敵さんじゃねーか。ミサイル準備、とりあえず対物モード!」

 

 実に楽しそうに、しかし素早く的確な指示を迷わず展開するバルク。相変わらず、レイルが敵わないと思う姿だ。

 

「ぶっ放せ!」

 

 高らかに命じたバルクの声に、艦の両翼からミサイルが二基放たれる。赤外線追尾式ミサイルはそれぞれ設定された竜を追尾。

 瞬く間に火薬が炸裂する。閃光、遅れて鈍い振動が艦に伝わる。

 白煙が切れ、姿を現した竜は、翼に負傷を負いながらもまだ翼をはためかせていた。

 物理攻撃が完全に通じない相手ではないらしい。ならばまだ勝ち目は十分にある。

 

「おっし、読み通り! 機関砲に切り替えろ。アレスタは足止めだ。ベティオに撃墜させろ!」

 

 漆黒の戦闘機が、バルクの声に応えるようにアレスタの正面で急旋回。置き土産の様にPAAM(物理特化型空対空ミサイル)を竜へと発射した。

 閃光が、青い空を焼く。

 

◇◇◇

 

 久方ぶりの快晴だった。

 先日までの曇天が嘘のように、からりとした大気が、爽やかな風となって吹き抜けていく。

 その風に交じる、澱んだ空気と火薬の香り。微々たるその気配が、リリバスの気分を易々と暗澹たる気分へ落とす。

 

「……ロタ中尉。顔に出てますよ」

 

「え? 何が?」

 

 マイヤの呆れた声に、リリバスは小首を傾げる。不機嫌そうな――といってもほとんど平常時の――マイヤが、ため息を吐く。

 

「嫌でもなんでも、任務は任務です。しっかりやって頂きます」

 

「いや、分かってるって。だから、終わったら買っといたプリン食べるのを楽しみにしてるんだよ」

 

 マイヤの表情が引き攣る。怒る寸前のマイヤの気配に、リリバスは咄嗟に身構えた。

 だがマイヤはぐっと小脇に抱えた手に力を込めて、頭を振るだけだった。我慢したのかもしれない。

 とはいえ、リリバスとしてはそれが最大限自分を奮い立たせる原動力なのだから、咎められてもやめるつもりはない。

 

「……それはさておき。ギル、先へ進む指示は?」

 

 ヘッドセットをはめたまま、本部と交信しているギルへと問いかける。ギルは軽く手を上げ、リリバスの発言を制止した。

 あるいは、その指示が流されているのかもしれない。ぐるりと周囲を確認し、隠れた敵がいないかを再度検索する。

 リリバスの視覚の範囲内には居ない。そしてマイヤでも感知していないようだった。

 相変わらず、仕事の場所はくすんだ景色の中。今日は晴れているので幾分明るいが、それでも捨てられたビルの影は薄暗い。

 次の交差点を過ぎた先にあるのは、古くなって捨てられた研究所。目的地だ。

元々は軍の関係機関だった研究所らしいが、今では設備の老朽化と立地の悪さが相まって廃棄されている。王都から山を一つ越えた北東に位置する小さなこの街には、不釣り合いな設備でもあった。どちらかと言えば、畜産業で栄えているのどかな町なのだから。

 よもや、こんな場所に危険が潜んでいるとは誰も想像しないだろう。

 

「……いまいち良くわかってないんだけど、今回の案件って、どっちかって言えば警察とかそっちが動くべき内容じゃないのか?」

 

「たまには頭が回っているようですね」

 

「俺だって一応それなりには考えてるって」

 

「それが毎日であれば、なお嬉しいんですけど。まぁいいです。確かにロタ中尉の仰る通り、本来ならば治安維持は警察の仕事です。ですが、彼らに『処理させるには相応しくない』可能性があるという事です」

 

「……えーと、つまりまだ軍の内部で留めておきたい案件の可能性って事か?」

 

「その通りです」

 

 肯定したマイヤに、リリバスは眉を顰める。

 もちろん疑っているわけではなかった。マイヤが言う事は基本的に正当性がある。

 

「ちなみに、その処理させるに相応しくない理由って?」

 

「そこまでは開示されていませんのでお答えできません」

 

 やっぱりか、とリリバスは幾分落胆する。まだ上層部しか正確な情報はもっていないのだろう。現場指揮官のゲンギス中佐くらいは知っているかもしれないが、あの豪快さで笑ってごまかされる可能性は高い。

 軽く息を吐いて、再度ギルに視線を向ける。

 ギルは両手にはめたグローブをしっかりとはめ直していた。

 

「行けって?」

 

「ですね。……くれぐれも気をつけろ、とのことです」

 

「そういうのヤバいフラグだから……聞きたくなかった……」

 

 肩を落としたリリバスに、ギルは苦笑しマイヤが肩をすくめる。

 だが嘆いてばかりもいられない。ミッションが終わらなければ、帰隊は許されないのだから。

 

「俺が援護します。最初の突入はアカシア少尉とロタ中尉でお願いします」

 

「りょーかい。マイヤは?」

 

「構いません。防御はお任せします」

 

 頷いて、リリバスは腰のホルスターに収めていた拳銃を右手に握る。左手は完全フリーだ。

 

「合図はギル、頼んだ」

 

「分かりました。周囲に人、車両はなし。……カウントダウンは三からスタートします。……三」

 

 緊張から上がりそうな息を整える。マイヤが意識を研ぎ澄ませ、魔力を練る気配をすぐそばで感じる。

 

「二」

 

 軽く身を屈め、踏み切る体勢を確保する。

 

「一」

 

 ひゅ、とマイヤの魔力が渦を巻く音が鼓膜に滑り込む。拳銃を握った右手に、僅かに力を込めて存在を確認する。

 

「ゼロ!」

 

 ギルの声と共に、リリバスは走り出す。同時にマイヤとギルが建物の影から飛び出す。

 チッ、と小さな音が走り、突風が追い風となってリリバスの背中を押す。マイヤ得意の無詠唱タイプの風系魔法。

風に押されて見る間に近づく廃研究所の入口。銃口の先をまだガラスが綺麗に嵌ったままの扉へ向け、引き金を引く。

 通常弾の一発。吸い込まれるように一直線に空気を裂いて走る弾丸に意識を向けて、リリバスは短縮詠唱で魔法を重ねる。

 

「走れ炎! ふっとべ!」

 

 着弾し弾丸が破裂する刹那、それが起爆剤となって炎が炸裂し轟音を響かせた。

 弾頭に媒体火薬を追加しておいただけの威力。転がるようにビルの中へ体を滑り込ませると、即座に防御結界を展開する。

 やや遅れて、マイヤとギルが駆け込み、ようやくリリバスは止めていた息を吐き出す。

 

「っはー。死ぬかと思ったー」

 

「この程度で負傷されては困ります」

 

「まぁまぁ、とりあえず待ち伏せされていなかったようで、良かったですね」

 

 仲裁に入ったギルに、マイヤは不服そうな表情は浮かべたものの、すぐに周囲を見回し安全を確認する。

 気味が悪いほどの静寂を保った空間に、リリバスも眉をひそめた。

 この手の展開は、良くない兆しだ。嫌な汗が一筋頬を伝い、リリバスは乱暴に手の甲で拭う。

 

「誘い込まれてるって感じがしてきましたね」

 

「ちょ! ギル何でそれ言っちゃう?! そーいうの言うと現実になるから駄目なのに!」

 

「はは、大丈夫ですよ。その為のチームじゃないですか」

 

 そう言われてしまえば反論は出来ないのだが、リリバスとしては不安が増すばかりだ。

 そしてどの道、ここでじっとしているわけにもいかない。

 

「さ、行きましょうか。ああ、あまり周りの薬品とか触れないようにお願いしますね。怪我をしても手当は出来ませんよ」

 

「分かってるよ……」

 

 どこか余裕さえあるギルに感心しながら、リリバスも歩き出す。ギルを先頭にマイヤが続き、一応しんがりはリリバス。

 奥へと進んでいくにつれ、足元から冷えるような感覚が襲う。

 冷気が漏れるような設備は確かにあるのだろうが、稼働しているとは思えなかった。

 

(それにしても、俺軍に入ってからこーいう辛気臭い所にしか来てない気がする……)

 

 小隊の特性上仕方ないとはいえ、たまには青空が見たい。それに比べれば、アレスタという戦艦の副長というレイルは毎日青い空を見ているのだろう。それこそ天と地の差だ。

 比較しても詮無きことで。だが、気分がまた少し落ちる。

 割れたフラスコ類を踏み越え、電流が通って居る気配はしないが、感電を避けるべくコードを躱しつつ、奥へ。

 入口から何度か角を曲がり、階段も上り下りを数度したのだが、最早リリバスは道を覚えていなかった。

 ギルが定期的にメモを取って居なければ帰り道すら怪しい。

 

「……ここ、ですかね」

 

 ギルが足を止めたのは、ひときわ大きな鉄扉の前。トラックの搬送入口のように、シャッターが下りている。

 ほとんど明かりのない屋内は、マイヤの光球を生み出すでしか照らされていない。

 

「何もいなさ過ぎて気味わるいんだけど、俺」

 

「もともと数は居なかったのかもしれません。あるいは……」

 

 シャッターを開閉するためのスイッチに、ギルが手を触れた。

 だが電力のない状態では自動扉は開かないのでは、とリリバスが首を傾げた瞬間、

 

――ぎぎ、とシャッターが軋む。ゆっくりと、上がり出す。

 

 少しずつ漏れ出す明かり。太陽の光が差し込んでいるような白い光が隙間から漏れ出し、シャッターが上がっていくのにつれて、徐々に光量を増していく。

 まだ駆動するという異常に、リリバスは戦慄する。

 

「ああ、やっぱりですか」

 

「な……」

 

 諦めたようなギルの声に顔を上げる。光が降り注いでいた。その光は、太陽ではなく人工照明。

 人工照明に照らされて大きな影を床に落としていたのは、巨大な黄金色の蛇。

 それはどう考えても、自然発生する大きさではなく。天井に吊るされた漆黒の球体に体を巻き付けた蛇の真紅の瞳が、こちらを見下ろしていた。

 

「なん……え……?」

 

「呆けている暇はありませんよ、ロタ中尉。……来ます!」

 

 鋭くギルが叫び、そのままリリバスの襟元を掴みバックステップ。首が締まり、一瞬呼吸が止まったリリバスの視界で、ほんの数瞬前に自分が居た場所に巨大な蛇が飛び込んだ。大口を開けて飛び込み、空気を喰らった蛇。

 そこにリリバスが居れば、食われていた。悪寒が背筋を駆け上がる。

 

「私、虫もですけど蛇も嫌いです」

 

「俺もだよ、アカシア少尉。しかし、銃は効きそうにない相手か。……仕方ないね」

 

 ふう、とため息をついてリリバスを掴んでいた手を離すギル。リリバスは慌てて酸素を取り込む。

 しゅうしゅうと聞いているだけで恐ろしくなる異音を響かせる蛇と対峙しながら、ギルはその手に一振りの刀を握る。

 ギルの得意の戦闘スタイルに切り替えたのだ。

 とはいえ本物の刀ではなく、床の素材に使われていた土の成分から作り出した脆い一振り。そう何度も切ることはできない。

 だが一撃にこそギルの真価はあり、そしてその為のチームでもあるのだ。

 

「……蛇は神様の使いだそうだけど、俺たちは神殺しをすることになるのかな?」

 

「さぁ。その答えは、それこそ神のみぞ知るのでしょう。そして……」

 

 すっとマイヤが手を掲げる。広げた魔導書のページが、仄かに発光を始める。

 

「私たちが生き残れば、それは神の祝福であり、邪神に捌きを下すのと同義かと」

 

「まったく、とんだ神様だ。でも」

 

 蛇の尾が高速で振り抜かれる。即座にリリバスは魔法弾を撃つ。着弾と同時に解放された風の魔法が風圧を生み出し、蛇の尾を弾き飛ばした。

 軽くよろめき、じり、と僅かに後退する蛇。

 

「こんなとこで死んでたまるか!」

 

「その意気です、ロタ中尉。では援護をお願いします」

 

「速攻で頼むぞ! 俺めっちゃ怖いんだからな!」

 

「もちろん。長期戦はこちらに不利ですからね」

 

 ギルの糸のように細められていた瞳が、うっすらと開かれ蛇をじっと睨みつけていた。

 本気なのだ。ギルにしては珍しく、それだけ危険という事でもある。

 拳銃を握り直し、リリバスも気を引き締め、恐怖に負けないように蛇を睨んだ。

 蛇のその赤い瞳は動物とは思えない高度な思考しているような、そんなおぞましさがリリバスの思考を過ぎった。

 

◇◇◇

 

 一番機の最後のミサイルが炎を吐き出そうとした竜の口へ直撃する。火薬が爆裂した竜は頭部を失い、ぐらりと傾いでそのまま重力に引かれていく。最後に残された竜が武装のなくなった一番機に対し狙いを定め、火焔を吐き出す。

 高速急旋回で躱す一番機。Gの負荷はアレスタに送られてくるデータ上では人間の許容限界を超えている。

 

「流石はロヴィだな。上手い事魔法を重ねてんな」

 

 残り一匹へと追い込んだバルクは頬杖をついて余裕を見せている。

 レイルとしてもここから落とされるとは到底考えていない。ミサイルを撃ち尽くし、身軽になった一番機のパイロットはロヴィだ。

 若くしてトップクラスの航空戦闘センスを持つロヴィは、まず墜ちない。

 

「アレスタは二番機援護。残弾と一番機の軌道には注意しろ」

 

 バルクの代わりに指示を飛ばしながら、レイルは戦況を見つめる。ドローンの回収してくるデータに、意識が傾く。

 有り得ない存在が、形となって現れた脅威。拡大しつつあるのは、間違いないだろう。

 発生源がどこかは不明なままにしても。

 アレスタの機関砲が竜の動きを空中で妨害し、二番機のミサイル発射を援護する。

 固い鱗で覆われているのか、機関砲では大したダメージではないようだが、それでも蓄積されたダメージで確実に弱っている。赤黒い血を流す竜の動きは目に見えて鈍っていた。

 

「終わりだな」

 

 にっと口元に笑みを浮かべたバルク。そして宣言通り、二番機のミサイルが竜を直撃する。首を襲った衝撃に竜はバランスを崩し、そのまま力なく落下していった。最早飛ぶだけの力はなくなったのだろう。雲海に消えた竜がレーダーからロストする。

 

「よし、三番機出して一度周辺確認だ。一番機と二番機、あとドローンは戻せ。ちゃんと労っとけよ」

 

「術師も最低限を残して休ませます」

 

「そうしてくれ。時間も時間だ。基地へ帰って報告するぞ」

 

「了解。ドローンのデータ解析が済み次第、報告書も作成しておきます。艦長は休んで下さい」

 

 バルクが一瞥寄越す。何か言いたげな顔だ。だがレイルにはバルクの思考は読み取れず、ただじっと視線を返すだけしかできない。

 やがて大きくため息を一つついて、バルクは立ち上がった。ひらりと艦長特有の白いケープが翻る。

 

「俺が起きたら交代な、レイル」

 

「ごゆっくり。艦長の仕事は、地上へ帰還後も報告がありますから」

 

「おう。あとは任せた」

 

 頷いたレイルにバルクはくるりと踵を返し、軽く手を振ってブリッジから出て行った。

 バルクが出て行ってようやくブリッジに張り詰めていた戦闘の緊張感が解き放たれる。帰投したベティオ二機のパイロットもそれぞれ負傷等無く、そのまま休息に入ったとの報告が入る。

 基地へ戻るまでは安心はできないが、ひとまずは安堵感にレイルも息をついた。

 だがすぐにも顔を上げる。

 解析に報告書と、まだすべき仕事は山積みだ。休む暇は、まだない。

 

◇◇◇

 

 残弾が尽き、リリバスは即座にマガジンを入れ替える。その僅かな隙をカバーするのはマイヤの魔法。

 リリバスに襲い掛かった蛇の横っ面に火球をぶつけ衝撃で吹き飛ばす。その間にマガジンの装填を終えたリリバスは撃鉄を起こした。

 蛇は壁に激突し、砂埃と轟音を響かせる。

 

「ギル!」

 

「分かっていますよ」

 

 呼びかけたリリバスに応じて、ギルが床を蹴る。風化し平らとは言えないフロアをギルが身を低くして壁に叩き付けられた蛇へ走る。

 衝撃に昏倒していた蛇が、よろよろと首を上げた。大きく床を踏み切り、ギルが跳躍。つられて頭を上げた蛇。

 

「くらえ!」

 

 首元を狙い、リリバスは弾丸を発射。宙を切る摩擦熱で極限まで薄くなっている弾頭が溶解し、魔法が発動。氷の刃が蛇を襲う。

鋭利な氷の刃は蛇の体を貫通。壁に縫い付けられた蛇は即座に暴れ出す。

だが、一瞬でも動きを制限すれば十分だ。蛇が氷の拘束から抜け出る前に、ギルのマイヤによって強化された即席の刀によって上顎と下顎が分かれる。どしゃりと落ちた蛇の下顎から赤黒い血が流れだし、ようやく氷の魔法が切れた上顎と残った胴体が、遅れてフロアに崩れる。

 

「やっ……た」

 

「お疲れ様でした、ロタ中尉」

 

 ぼろりと崩れた土製の刀を放って、ギルが戻ってくる。蛇はピクリとも動かない。

 静かになったフロアに、リリバスは緊張の糸が途切れてその場にへたり込む。

 

「やればできるじゃないですか」

 

 にこりと笑ったギルに、リリバスはぶんぶんと音が鳴りそうなほどの勢いで首を横に振る。

 

「マジで怖かったぁ……」

 

 拳銃を握っていた手は、まだ小刻みに震えている。押し留めていた本能の恐怖が、今更出て来たらしい。

 苦笑しつつギルが手を差し伸べる。

 

「俺もです。……お陰で、助かりましたよ」

 

「……ん」

 

 感謝されると若干、こそばゆい。ぎこちないながらも笑みを返し、リリバスはギルの手を借りて立ち上がった。

 マイヤはと言えば、蛇の傍に身を屈め、組織を採取している。仕事熱心であると同時に、肝が据わった態度に感心してしまった。

 

「これで終わりですね。……戻りましょう」

 

「でも、その前に」

 

 ギルが指を鳴らす。

 刹那、蛇の骸が炎に包まれた。肉の焦げる異臭が立ち込め始める。熱を含んだ風が、汗をにじませた。

 

「人為的としか、思えません」

 

「……かもな」

 

 傍らに立つマイヤの言葉に曖昧に同意しつつ、リリバスは灰へと変わっていく蛇をじっと見ていた。

 この存在を、上層部が認識していたのだとしたら、その理由は何なのか。考えるだけで、恐ろしくなる。

 

「生命への冒涜です」

 

「ああ……」

 

「こんなの、許されない。……存在そのものが、罪です」

 

「……そうかな」

 

「ロタ中尉は、認めるのですか。こんな危険な生物を生み出すことを」

 

「いや、そうじゃないんだけど。……なんて言うか……俺たちが来なかったら、もしかしたらこいつは、死ななくて済んだのかなって」

 

 強くマイヤが睨む視線が突き刺さる。慌ててその視線から逃れつつ、リリバスは口を閉ざした。

 今更その答えは分からない。

 マイヤが言う事が正しいのだろうと、リリバス自身も思っていた。それでも、全面的に賛同は出来ないのだ。

 

(キメラも、生きてる存在には変わらないと……思うんだけどな、俺は)

 

 とても口に出すことはできないが。

 圧倒的火力で、蛇は黒い塊へと姿を変えた。照らす人工照明が、寂しく骸の影を作り出す。

 やがて、この照明も消えてしまえば、闇に沈んでしまうのだろう。

 今日この瞬間の出来事と共に闇に葬られる存在に、リリバスは同情を禁じ得なかった。

 

 

 

←prev      next→