第十一話 正否の選択

 

 リリバスは苛立ちを抑えることが出来なかった。何度目かの無意識の舌打ち。傍らにいたマイヤがすかさず睨み付けて来る。

 

「ロタ中尉。苛々しないでいただけますか。集中力を高めたいんですけど」

 

「俺だってイラつきたくないんだけど、どーにも収まんないんだよ」

 

「苛立ったところで何一つ好転しません。装備を準備万端にする方を優先してください」

 

 冷静に、正しい事を告げるマイヤに、リリバスは視線を外す。準備をすべきであることは重々承知していた。

 だが、落ち着けない。必要な物が何かすら、考えるに至れない。

 

「まぁまぁ、まだ時間はある。じっくり行こう、アカシア少尉。その内ロタ中尉も落ち着くよ」

 

 そう諭したギルは、刀の手入れに勤しんでいた。いつもならば、サブマシンガンか拳銃で現場に臨むギルにしては珍しい。

 裏を返せばそれだけの危険を伴っているという事でもある。ギルは射撃よりも刀を扱う方が、数段強いのだから。

 

「そうよ、リリバス。貴方がイラつこうが喚こうが、何一つ好転するわけじゃないのよ。落ち着きなさいな」

 

「だけど、サンディ……」

 

「貴方はどうでもいいわ。だけど、私たちの体力と精神力を削がないでくれる? 何一つ始まってもないの。本当に貴方がエコデ姉さんを助けたいって思ってるなら、じっとしてて。邪魔をしないで」

 

 流石にリリバスは言葉に窮した。誰よりも若く……何よりも、一番不安なのはサンディなのだ。

 自分が苛立つのは、面白くないだろう。正論だった。リリバスは顔を伏せる。

 

「……ごめん」

 

「反省したら、少し頭を冷やしてきなさい。それから準備。何なら寝てなさい」

 

「ん。……そうする」

 

 軽く頷いて、リリバスは椅子から立ち上がった。殺風景な待機室を抜け出し、そのまますぐ傍の扉から空の下へ。

 ひやりと風が頬を撫でた。空に浮かぶ雲は黙って風に身を任せて流れていく。

 平穏そうに。空から見れば、ちっぽけな出来事があちこちで起きているだけかもしれない。

 

「……エコデ……無事で居ろよ」

 

 せめて祈りの言葉を口に出さずには、居られなかった。

 

◇◇◇

 

 その異変が届いたのは、朝方の事だった。

 王都の北東、軍の主要研究棟の一つが爆発し、研究所との連絡が途絶したのだ。何かの実験の失敗の可能性はあったが、連絡のつかない状態では現場の正確な状況すら初動では分からなかった。

 そしてもたらされた情報に、戦慄が走る。

 崩れ落ちた研究所を取り囲むようにして、はっきりと視覚的に捉えられるほどの悪霊の類が蠢いていたのだ。

 その存在だけで、一般の兵や警官は意識を失って次々と搬送されている。ひとまずは腕の立つ術師数名による全方位結界で敷地内に押留めることは出来たものの、それも永久的にというわけにはいかない。

 早急に手を打つ必要が生じていた。そしてその役割は、その為に編成されている陸軍司令部直轄の第四特殊小隊に委ねられたと言っても過言ではなく。空軍と海軍はその支援のために作戦が練られているそうだ。

 

「……今、なんつった?」

 

 大掛かりな任務に気分が重くなっていたリリバスだが、ラフェルの告げた内容に、思考が停止する。

 ラフェルが何を言っているのか、理解できなかったのだ。

 

「エコちゃんが収容されていた研究所が爆発して連絡が途絶している、と言ったのです」

 

「いや、意味わかんねーからな? エコデが何で研究所に居るんだよ。病院だろ。地図みたけど、あの近くに病院はなかったぞ」

 

「りぃくんこそ、どこまでお馬鹿なのです? 研究所に居たのだと言っているのです」

 

「それこそ何でだよ。おかしいだろ。まさかまだ、エコデが悪魔の擬態とか訳分かんねーこと言ってんじゃないだろうな」

 

「それは少し違いますです。……でも、それをりぃくんに教える程、私もお人好しではないのです」

 

「ふざけんな!」

 

 語気を荒げたところで、ラフェルは微動だにしなかった。逆に薄く笑みを浮かべているほどだ。

 ぐっと手を強く握り締め、リリバスはラフェルを睨む。

 最後に見たエコデは、随分と弱っていた。原因は分からない。医者であるリリバスですら分からなかった。それでも、きっと休めば好転するだろうと思っていたのだ。病院でしっかりと管理されていれば、その内けろりと治ってくれるだろうと。

 だが現実は違う。ラフェルが手配したのは『治癒を促す病院』ではなく『何かしらの疑念を解析する研究所』だったのだ。

 多少なりともラフェルに気を許して、任せた自分を罵りたくなる。

 

「無事なのか?」

 

「流石に私もそこまでは分からないのです。でも、生きているはずなのです」

 

「はず?」

 

「でなければ、今頃この辺りも灰燼に帰しているはずなのです」

 

 まだラフェルは何かを隠していた。そして問い詰めれば話してくれる相手でもない。

 くす、とラフェルは小さく笑って、リリバスに背を向ける。

 

「それでは私は、司令部での会議に出ますのでこれで失礼するのです。……頑張ってくださいです、りぃくん」

 

 分からなかった。

 ラフェルが何を考えているのか、そしてそもそも何が起こっているのか。

 理解できないもどかしさが、苛立ちへとシフトするのに時間はかからなかった。

 そして、出動待機命令が下る。

 研究所に溢れた悪霊を鎮圧し、本当は何が起こったのかを確かめるための命令が、下される。

 

◇◇◇

 

 一通りの状況を聞き終えたレイルは、黙ってバルクの後ろに控えていた。

 会議はとうに終わり、今はアレスタへ戻る途中だった。今回の件について、アレスタは最終的な一手となる事が決定された。

 すなわち、特殊小隊が鎮圧できる見込みがなくなった場合、跡形もなく研究所を消すために。

 特殊な魔法弾を投下すれば一発で悪霊も、そして研究所も消える。

 何かしら悪霊の類を誘因する存在はあるはずなのだ。それごと抹消する、最終的にして最悪の手段となる決定を、乗員に伝えるために。

 

「顔色悪いぞレイル。ちゃんと休んでねーだろ」

 

「そんな事は……」

 

「ったく、お前はホント変なとこでわっかりやすいんだよ。隠すとこが違うだろ。あーあ、手がかかるわ」

 

「何の話です?」

 

「お前さんに説明しても分かんねーだろうから、今度な。それより……」

 

「兄さん!」

 

 不意に、ロヴィの声が廊下に響いた。振り返れば、切羽詰まった顔で駆け寄ってくるロヴィ。

 戦闘機パイロットは基地で待機命令が出たこともあり、別行動だったはずだ。何故ここに居るのか分からない。

 アレスタの格納庫は目前で、そしてロヴィが待機すべきスクランブル待機室はここから車で数分はかかる。

 あるいは、命令が変わったのか。

 レイルがあれこれ可能性を模索していると、駆け寄った勢いのまま、ロヴィがレイルの腕を掴む。

 上がった息を全身で整えるロヴィに、レイルは小首を傾げた。

 

「どうした、ロヴィ」

 

「行かなきゃ……兄さん、は……行かなきゃ、だめ、です」

 

「何の話だ?」

 

 切れ切れに言葉を紡いだロヴィは一度大きく息を吸うと、顔を上げる。

 真っ直ぐに、真剣な瞳でレイルを見やり、口を開く。

 

「エコデを助けに行ってください、兄さん!」

 

「……は?」

 

 明後日の方向にあった存在に、レイルは眉間に皺を刻む。

 

「あれ、多分エコデです。だから、きっとまだエコデは生きてるんです! 兄さんはいかなきゃ駄目なんですよ!」

 

「何を言ってるんだ、ロヴィ。意味が分からな……」

 

「エコデがあの研究所に収容されたっていうデータがあったんですよ!」

 

 言葉を失う。ロヴィは嘘をつかない。だとしたら、そのデータの存在は真実であり、エコデが研究所に行ったのは確かなのだろう。

 理由は分からない。リリバスに託したはずのエコデが、何故そんな場所に行かなければならなかったのか、分からない。

 

「……だから、どうした」

 

「え……」

 

 自分で無意識に紡いだ言葉に、レイルは我に返ると同時に、思考が冷える。

 呆けたロヴィに、淡々と言葉を返す。

 

「俺はもう、保護者じゃない。不本意だが、あの医者に任せた。使えるかどうかは知らんが、あれはそれなりに動くはずだ」

 

「……兄さん」

 

「俺がすべきは、俺が与えられた任務を完遂する事だ。最悪の手段だろうと、それがやらなければならない事ならば、俺は」

 

「それはエコデが死んでもいいってことですか、兄さん」

 

 頷けなかった。頷かなければ、レイルはこれまでの行動すべてを否定する事になってしまう。

 それでも、同意できない。許容できない。

 その意味は、自分でもとっくに気付いていたにも関わらず。

 脳裏で過ぎった姿に、レイルは気づけば首を振っていた。だが、それでも。

 

「……それでも、俺は行かない。……行けない」

 

「命令があるからですか」

 

「違う。……俺には、そんな事をする資格がないだけだ」

 

「保護者じゃなくなったから? でも、違うじゃないですか……! 兄さんは、ほんとにエコデが」

 

「だから行けない。余計に行ったら駄目だ。俺が行ったところで、仮に命を救えたところで、何も」

 

「あー! だーかーらーっ! っとにお前は!」

 

 唐突に怒鳴ったのはバルクだった。じっと黙っていたバルクは頭をかきむしって、ただでさえ跳ねている髪が完全にぐしゃぐしゃになっている。

 深く息を吐き出すと通信端末を取り出し、苛々とした態度を露わにしたまま、いずこかへ電話をかけ始める。

 

「俺だ。悪ぃけど、ちっと付き合ってやってくれ。このクソヘタレな副長、今のアレスタじゃ使いもんになんねーからな」

 

「な、艦長っ!?」

 

 思わぬ言葉にレイルの声が裏返る。相手が誰か分からないが、上層部であればそのままアレスタを下ろされてしまう。

 正直、レイルはバルクの下でまだ学びたいことが山ほどあるのだ。ここで別の部隊へ配置換えは願い下げだった。

 

「何でもいい。車一台借りて、迎えに来てくれ。あ? ああ、何でもいい。あと適当に武器も受領してきてくれ。アレスタの格納庫だ」

 

 一気にまくし立てて、バルクは通話を切る。

 そしてぎろりとレイルを睨んだ。バルクにしては珍しい態度に、レイルの芯が冷える。

 

「ったく! お前はつくづく手が掛かりすぎんだよ! いいか。とにかく行け。拒否は許さねぇ。拒否したらそのままお前をアレスタから下ろす。むしろ上司の命令に反した罪で退職まで追い込む」

 

「それは最早パワハラ……」

 

「うっせぇ! お前はそーでもしなきゃ行かねーんだろうが。黙って聞いてりゃうじうじと女々しいんだよ。戦いもせずに撤退してるような負け犬は、俺のアレスタには要らねぇ」

 

 バルクが手を伸ばして、レイルの胸倉を掴む。そのまま顔を近づけ、低い声でバルクは命じた。

 

「とっとと迎えに行け。お前の理屈なんぞ俺は興味ない。ちゃんと取り戻して来い。全部だ。お前が捨てた全部をちゃんと拾ってこい」

 

「……それは」

 

「振られたらそん時は俺が慰めてやるから安心しろ」

 

 にっと笑ったバルクを凝視する。

 

(……ああ、敵わない)

 

 バルクには敵わない。滅茶苦茶な論理なのは明白だった。命令違反と言うが、どちらかと言えばバルクの方が問題のある行動を強要している。

 それでも、レイルはバルクには逆らえない。そうやって背中を蹴り飛ばすバルクの豪胆さに、憧れさえ抱いているのだから。

 

「酒は抜きで、お願いします」

 

「おう。見繕っといてやるよ。立派な式場をな」

 

 苦笑が零れる。呆れと、いくばくかの心強さがレイルの心に滲んだ。

 

「……行ってきます、艦長」

 

「しっかりな。もう第四特殊小隊は出発してる。時間がどれだけ残されてるかは分からねーけど、……ま、お前さんならやれる。なんたって、俺の一番信頼できる副長なんだからな」

 

 頷いて、レイルはロヴィを見やった。笑っていた。嬉しそうに、安心したように。

 まだ何も、取り戻したわけではないのにも関わらず。

 急ブレーキを踏む音が、格納庫の方から聞こえた。バルクが手配した車だろう。予想以上に、早い。

 

「行ってくる」

 

「御武運を、兄さん」

 

◇◇◇

 

 対悪霊装備といっても、特別な道具があるわけではなかった。

 どちらかと言えば、悪霊は魔法そのもののようなものだ。言うなれば思念という魔力の塊。その差が何かは未だに解明されていない謎だ。

 基本的にはただの物理攻撃は効かない。刃は通り抜け、銃弾はすり抜ける。

 魔法をまとって初めて干渉し、断つことが可能となり、ダメージを与える。最も簡単な手で言えば、魔法をぶつけて拡散させることだ。

 だが、生半可な魔法はダメージを与えるどころか、余計なエネルギーを注ぎ強化してしまうのが現実だった。

 だからこそ、高威力の術師でなければ悪霊を滅することなど、叶わない。

 そしてそれが出来るからこそ、第四特殊小隊は存在する意義があるのだ。

 

「まったく、デカい仕事になったもんだな」

 

 肩を回しながら、ゲンギスがぼやく。無言でリリバスも頷いた。

 よもや、自分がこんな場所に立つことになろうとは、思いもしなかった。見上げた空は、快晴。

 不幸などどこ吹く風の、穏やかな流れがそこにはある。

 そして視線を下げれば、そこは地獄だ。悪霊が蠢き、白煙立ち上る崩れた研究所。そしてそこへ、これから踏み入ろうとしているのだ。

 

「……準備は良いか?」

 

「ええ。隊長の命令一つで、俺たちは走り出しますよ」

 

 ギルは飄々とした態度を崩さない。刀を腰に下げたギルの立ち姿に、隙は見えなかった。すでに臨戦態勢。

 マイヤも即時発動可能なほどに練った魔力をたぎらせている。サンディはサンディで、グローブをしっかりとはめ直していた。

 リリバスは自分の両手を見やる。両手には魔法弾を込めた拳銃。腰にはスペアマガジンを提げて、我ながら物々しい。

 それでも装備としては不安が残る。だとしても、立ち止まるつもりはない。

 この先に、救うべき命があるのだから。

 

「……俺の号令と共に、カウントダウンが始まる。上層部は、ここを焼き払うつもりだ。その為に効果範囲を限定する術者を配置し始めてるくらいだ。つまり、始まったが最後、脱出までがお前らの仕事だ」

 

「何です、それ。だったら最初から焼き払ってしまえばいいのでは?」

 

 もっともな疑問をぶつけたギルに、ゲンギスは肩を竦めた。

 

「それでも生存者があれば回収しろって話だ。ま、研究者は貴重だからな。気持ちは分からんでもない」

 

「……はぁ。納得半分、理解不能半分ですね。……時間は」

 

「二時間半だ。……頼むぞ」

 

「了解」

 

 ギルが班員たるリリバスとマイヤ、そしてサンディを順に見やる。

 それぞれの心の内は、分からない。だとしても、今意識が向かっている先は同じなのだから。

 だからこそ、リリバスも彼らに背中を預け、そしてその背中を守る覚悟がある。

 

「……では、ミッション開始と行きましょうか」

 

 ギルが敷地に踏み込む。ざわりと、空気が変わった。

 一斉に意識がこちらに集中する。

 

「これ、マジでヤバい悪霊の類だな」

 

「そのようね。精々怪我をしないで頂戴ね、リリバス」

 

「お前もな、サンディ。……見つけるぞ、エコデを」

 

「もちろんよ」

 

 そして地面を蹴る。マイヤの高熱の光の魔法が、小鳥の大群の鳴き声のような音を散らして、空気を引き裂いた。

 

◇◇◇

 

 空に、昼間でも眩しいほどの光が閃いた。

 

「あー、始まっちゃったみたいですね」

 

「……ああ」

 

 曖昧な返事を返しつつ、レイルはウィンドウの外を見つめていた。人払いのされた商店街の通りを、軽装甲気動車がスピードを殺さず次々曲がり、研究所への距離が縮まっていた。

 急ブレーキとアクセルの踏み込みによる急加速。見事なハンドル捌きだった。

 

「……すまないな。妙な事に付き合わせて」

 

「いえ。むしろお手伝い出来て嬉しいですよ。何ですかね、ラプェレ中尉もたまには感情見せるんだなって安心しました」

 

 笑顔を見せたダンダリアンに、レイルは思わずむっとした表情を浮かべる。

 どうもダンダリアンにあれこれ言われるのは苦手だ。常に見ていて危なっかしいにも関わらず、どこか余裕を感じるせいかもしれない。

 今も手荒に見えてその実的確なスピードコントロールとハンドリングで、重量のある車体を器用に運転するのだから、人の得手不得手は分からないものだ。

 カーブを曲がる。次の角を曲がれば、研究所は目前だ。

 ちらりと後部座席を見れば、どうやって手配したのか聞くのが恐ろしくなりそうなほど、乱雑に銃と弾薬、マガジンが積まれている。

 バルクの指示通り、ダンダリアンは車と武器を準備してきた。しかも生半可な武器ではなく。

 言いくるめたのかあるいは、無理を言って持ち出したのか。いずれにせよ、しばらくはダンダリアンを無下に扱えそうにはない。

 

「……詳しくは聞ける立場にないので、あれですけど。でも、最後までお付き合いしますよ。折角武器も借りてきたわけですし」

 

「リスクは理解しているのか?」

 

「一応会議には出てますので。時間に間に合わなければ命はないみたいですね」

 

「そうと分かっていて、それでも付いてくる気か?」

 

「もちろんですよ。じゃなきゃ、俺は来た意味がないです。それに、一人よりは二人方が生還率は上がります。もちろん、ラプェレ中尉の足元には遠く及ばないとは思いますけど、そうですね、盾くらいに思ってもらえたら十分です」

 

 先手を打たれた気分になる。ダンダリアンとしては本気でそのつもりかもしれない。

 だが、レイルとしては、それは却下だ。

 

「馬鹿を言え。……当てにさせてもらう」

 

「それはまた、責任重大です。……ちょっと回り込みますね。まともに正面から突っ込んだら、追いつけるものも追いつけませんから」

 

 滑らかに、それでもスピードは高速を維持したステアリング。

 レイルは時刻を確認する。閃光が作戦開始と仮定すれば、残された時間は約二時間。

 十分かあるいは不十分なのか、レイルには判断しかねた。

 

◇◇◇

 

 弾丸を発射。地面に着弾した刹那、魔法が発動してその地点を中心に風が巨大な渦を巻く。

 引っ張られるようによろめいく悪霊たちへ、サンディが肉薄し手にしたナイフで両断していく。小柄なサンディは見るからに風にあおられそうなものだが、踊るように標的を変えて消失させていた。

 近接戦が苦手なリリバスとしては感心するばかりだ。

 とはいえ、安心できる状態とはとても言えない。どこから湧いて来るのか、あるいはそもそも数が圧倒的過ぎるのか、視覚的に減っている気がしないのだ。心情的には一気に突破したいところだが、そうさせてくれない威圧感をひしひしと感じとる。

 

「やれやれ、よほど突破させたくないのか、あるいはとんでもないものを暴発させたのか……困りましたね」

 

 困ったと口にはしたものの、どうもギルの態度からは余裕が感じられた。

 あるいは意図的にでも余裕な自分を作り出すことで冷静さを欠く様なことを避けている可能性はあるが、到底リリバスには出来ない行動だ。

 最前線をサンディ、中衛にリリバスとギル、そして後方の対処がマイヤ。

 あと十メートルほどで半壊した研究所のひしゃげた入口に辿り着けるというのに、もどかしい。

 

「俺が、突破する。援護頼むぞ」

 

「珍しいですね、ロタ中尉が自ら前線に突っ込むなんて」

 

「このままじりじり行ってもたどり着けるだろうけど、弾切れが怖いんだよ」

 

 半分は嘘だ。だが、正直突破できる算段があるうちに、突破したい。時間は一刻でも惜しいのだから。

 

「分かりました。聞こえたかな、アカシア少尉」

 

『確実な一手でお願いします』

 

 マイヤの声が連絡通信用イヤホンから滑り込む。棘のある口調に、いかに戦闘において信頼されていないかが丸わかりだった。

 反論する言葉はない。だが、方法はある。

 

「安心しろって。俺、これでも運動神経はいいんだ」

 

 そして地面を蹴る。身を低くした状態で正面に居た漆黒の人影。振り返ったような動き。引き続いて拳が迫る。

 身を低くしたリリバスの顔面の高さに繰り出されたその手首のあたりを、掴む。加速した勢いを遠心力に変換して、一撃を寸でのところで躱し、そのまま正面へ放り投げる。行く手を阻もうとしていた悪霊たちに、そのまま突っ込んでいった。

 スペースが生まれる。道が開ける。

 再び正面へ駆け出し、倒れた悪霊たちを飛び越え着地。入口へ到達。

 振り返れば、サンディやギルたちが囲われているのが見えた。

 

「全員伏せろ!」

 

 叫んで、リリバスは制服の内ポケットにしまっておいた白い球を取り出す。その大きさは親指の爪ほど。そのまま空高く放り投げる。

 ちょうど、ギルたちの直上で輝いた球体に、リリバスはホルスターから銃を引き抜き、引き金を引いた。

 

――ぱん、と実に小さな音で球体が着弾の勢いで破裂した。刹那。

 

 白い光が矢のように一帯に降り注ぎ、轟音を撒き散らしながら視界を白く染め上げる。

 ものの、数秒。急速に光は消失し、土を穿った熱が砂埃と共に、周囲に残存していた。

 沈黙する景色の中に、足音が聞こえる。

 周囲を警戒しつつ小走りで入口へと駆けて来るギルたちの無事な姿に、リリバスはほっと胸を撫で下ろした。

 

「怪我、なさそうだな。良かった良かった」

 

「良くありません。何ですかあの滅茶苦茶な方法は! 危うく死ぬところでしたよ!」

 

 詰め寄るマイヤに、リリバスは表情を引き攣らせる。マイヤの怒りももっともで、言い返す言葉がない。

 

「まぁまぁアカシア少尉。ロタ中尉は俺達を信じてくれてたってことだよ」

 

「そ、そう! まさしくその通り!」

 

「騙されませんからね! まったくもう、行きますよ!」

 

 怒りそのままに歩き出したマイヤを、ギルは軽く肩をすくめて追いかける。リリバスはばつが悪い表情を浮かべて頭を掻いた。

 くす、とサンディが笑った気配に視線を落とす。

 

「サンディも怒ってんのか?」

 

「そうね。一つ怒ってることがあるとすれば……」

 

 視線を上げ、サンディは子供っぽい笑みで断言した。

 

「これくらい、いつもやる気を出してほしいものね」

 

◇◇◇

 

 明かりが辛うじて明滅する廊下を、駆け抜ける。

 外と比べれば数は格段に少ない。それでも、物陰に潜み、ふとした瞬間に姿を見せ襲い掛かる悪霊たちとの戦闘は常に紙一重だった。

 そして、何よりもここには死が転がっている。

 

「……この人も、もう」

 

 脈と呼吸がない事を確認し、リリバスは首を振った。ひしゃげた扉の隙間から這いだす様に倒れていた研究員は、何人もいた。

 だが、全員がこと切れて、物言わぬ塊となっていた。外傷の有無に関わらず、この研究所に踏み込んでから発見した十数人の研究者は、全員が死亡していた。あるいは、処置をすればまだ蘇生の可能性はあるのかもしれない。

 だとしても、そんな暇は、今ここにはなかった。

 立ち上がって振り返れば、マイヤが悔しげに唇を噛み締めていた。

 

「マイヤ」

 

「死ぬような怪我ではないのに」

 

「俺も詳細確かめてないからアレだけど、内臓破裂の可能性はなくはない。……まぁ、悪霊の類かもしれないけど」

 

「悪魔です。……こんな事、悪魔しか出来ない。……許せない」

 

 マイヤの発言に、リリバスは違和感を覚えた。どこか、私怨じみているような気がしたのだ。

 それは先を進むためには、危険な気がしてならない。

 

「……悪魔が嫌いなのか?」

 

「好きな人が居ると思います?」

 

 睨み付ける視線の鋭さに、リリバスは表情が引き攣る。

 言葉足らずだった事は素直に認めるが、それにしてもマイヤの反応は強烈だった。

 

「いや、何ていうか、特別な恨みを感じるというか」

 

「だとして、ロタ中尉に何か不都合でも?」

 

「そんな事は、ないんだけど……そういや、あんまりマイヤの事聞いたことないなって、思ったから」

 

「今話すことではないでしょう。そもそも、私もロタ中尉の話を聞いたことがありません。聞く必要もありませんが」

 

「うぐっ……」

 

 容赦ないマイヤの正論に、リリバスは言葉を詰まらせる。

 助けを求めてサンディやギルを見やるも苦笑を返されるだけだった。援護は期待できない。

 

「……時間がありません。さっさと進みますよ。脱出までの時間まで考えなければならないんですからね」

 

「確かに、地上階と地下分かれて捜索しないと時間が足りないかもしれない。二手に分かれようか」

 

「賛成。地上は私が行くわ。崩れてるところも多いし、足場も悪いと思うしね」

 

「じゃあ、地上階はサンディ伍長と俺で。ロタ中尉とアカシア少尉は地下を頼むよ」

 

「……分かりました」

 

 不本意ではありますが、と心の中で付け足していそうなマイヤに怯えつつ、リリバスも頷く。

 地上の破損は外観から見ただけでも随分ひどい。崩れてはいないものの、大半の窓は吹き飛んでいる。天井板も落下しているところがここから入口までの間でも随分あったのだ。上層はもっと激しい可能性はある。

 衝撃の起点がどこだったのかは、未だ分からないが。

 

「じゃ、気を付けるのよリリバス。すぐに追いついてあげるけれど」

 

「おう。頼むわ」

 

 短いツインテールを揺らし、サンディはギルと共に小走りでさらに奥へと駆けて行った。

 

「私たちも、行きましょう。少し戻った場所に、地下への階段がありました」

 

 頷いて、リリバスもマイヤと共に駆けだす。幾ばくかの不安を抱えつつ、地下を目指して。

 明滅する、地下へ引き込む階段。蠢く気配に、マイヤが眉をひそめた。

 

「俺が先行く。……ちょっと本気出していくからな。遅れるなよ、マイヤ」

 

「その言葉、信じていいのか判別しかねます」

 

「それはマイヤが判断してくれ。ホントにいるか分からないけど、この先にエコデがいるなら俺は、絶対に救い出す」

 

 マイヤの返事は、待たなかった。床を踏み切り、ホルスターから引き抜いた銃の引き金を引く。

 光と衝撃波が炸裂し、潜んでいた悪意を吹き飛ばす。踊り場に着地すれば、更に階下へ続く闇が見えた。

 振り仰げば驚きに目を見開くマイヤ。思わずリリバスから苦笑が零れる。

 

「置いてくぞ、マイヤ」

 

「……調子に乗らないでください」

 

 厳しいマイヤの言葉に、リリバスは曖昧に頷く。

深い闇が手招いている地下。ちらりと腕時計を確認する。残り時間は一時間半。

 脱出までを考えれば、いよいよ時間はなくなってきた。

 

「マイヤ、流石に地図は頭に叩き込んであったりしないよな?」

 

「何ですか。当てがあるんですか?」

 

「地下にデカい実験設備か保管庫ないか?」

 

「……地下一階に大型実験室が一つ、地下二階に保冷庫があります」

 

「おっけ。そこから攻める。案内頼んだ」

 

「仕方ない人ですね。……先走り過ぎて怪我しないでください」

 

 頷いて、リリバスは再び走り出す。マイヤの魔法が地下廊下を明るく照らし、悪霊を引き裂いた。

 

 

 

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