第五話 First Limit

 

 楽しげな笑い声が響き渡る中庭。久々に良く晴れたせいか、いつもよりもはしゃいでいるようだった。

 ファゼットは嘆息しながら窓を開け、声をかける。

「お昼にするよー?」

「はぁーいっ。さ、みんな入ろー。ちゃんと手洗いするんだよー」

 エルミナがそう促せば、遊んでいた子供たちはきゃあきゃあ言いながら一斉へ家へと駆けこみ、我先にと手洗いに走る。

 飽きもせずに、楽しそうである。元々は、洗濯物を干しに外に出ていたのだが、それが終わるとそのまま追いかけっこを始めていた。

「みんな元気だねー」

「まぁ、子どもは元気が一番だけどね」

 遅れてゆっくりと戻ってきたエルミナは、洗濯籠を抱えながら苦笑を返した。

 エルミナが居座るようになって、一週間が過ぎた。あっという間に子供たちとは打ち解けて、今ではファゼット以上に懐かれている。

 正直、若干寂しくも思うが、助かっているのも確かだった。

 料理の腕は壊滅的ということが初日にわかり、それ以降は料理以外の事を積極的にこなしてくれている。

 ファゼットとしては有難い一方で、なんとなく落ち着かないのも確かだった。

何とも、不思議な少女である。

先にキッチンへと戻って、人数分の食器を取り出していると、不意に。

「ね、ファゼットくん。ガディくんのお昼、今日こそ私が持っていってもいい?」

 エルミナの声に振り返る。ぐっと拳を胸の高さに握りしめて、エルミナは真剣な眼差しでファゼットを見つめていた。

 いつくようになってから毎度こうである。初度の約束通り、『ガディの事を理解しようとしている』のだ。

「駄目」

 熱意は理解するが、ファゼットは毎度その提案を却下する。

「うー……」

「焦って逆に距離を取られるよりは、時間をかけたほうがいいよ」

 他の子たちと、ガディは違う。同じような経験をした子は何人もいたが、彼らは『成長して』心の傷を塞いだのだ。

 自らが育つことで。時間の流れに身を置けるのは、思ったよりも効果的だ。

 今でも、ファゼットもガディも進めていないのは、確かだったから。

「……はぁい」

 肩を落として返答したエルミナに、ファゼットは小さくため息をついた。

「あとで一緒に行くのでいいなら、いいよ」

「ほんとに?! うん、そうする! ありがとう、ファゼットくん」

 表情を輝かせて喜んだエルミナに、ファゼットは視線を外して、頷いた。

 そう素直に感謝されるのに、ファゼットは弱い。そもそも、エルミナと話すのはどこか緊張してしまう。

 自分でも分からない、不思議な感覚だった。

「にーちゃん、ねーちゃんっ」

 ユーリが駆け寄ってエルミナの服を引いた。何かと大人ぶるユーリだが、エルミナにはよく懐いている。ファゼットとしては、若干寂しさを感じているのは秘密だ。

「どうしたの? ユーリくん」

 エルミナが笑みを向けて問いかけると、ユーリはびっと一点を指さした。

「ガディが起きてきたー!」

「え?!」

 同時に驚き、ファゼットはエルミナと顔を見合わせると、慌ててキッチンから飛び出す。キッチンの隣に続くダイニングの入口に、ぼんやりと所在なさげに佇むガディがいた。

「ガディ!? 起きてきて大丈夫なのかい?」

 駆け寄ったファゼットに視線を向け、ガディは小さく頷いた。

 まだ日中に起き上がるのには苦労していることを、ファゼットは知っていた。最近になってやっと昼夜逆転の生活から正常な時間へとシフトしつつあるが、それでもまだ、眠すぎるほどの時間だろう。昨晩も、朝日が地平から顔を出すか出さないかの時間に、やっと寝付いたのだから。

「一緒に食べる?」

 問いかけると、ガディは無言で首肯した。

「まじ?! やったー!」

 同意を見るなり、子供たちは一斉にガディへと群がる。こうなるとファゼットは蚊帳の外に追いやられてしまうのだ。

ため息を吐きながらも、どことなく嬉しそうなガディの様子に、笑みをこぼさずにはいられなかった。

 

◇◇◇

 

 ほとんど表情を動かすことはないが、話題を振られればガディは頷くなり首を振るなりして反応をしていた。

 子ども達も、それが当たり前の意思疎通手段で、些細な話に花を咲かせている。

穏やかで、心温まる時間。ファゼットがずっと、守り続けたい光景だ。

 長時間起きているのは辛いようで、三十分もするとガディはテーブルでうつらうつらし始め、子供たちが賑やかにガディを部屋まで連れて行った。

 エルミナが部屋まで付き添うと付いて行ったので、ベッドに戻るまでの心配は減ったはずだ。

「さて、と。片づけないとね」

 昼食の食器が並んだままのテーブルを見渡し、ファゼットは席を立った。

――刹那、胸に激痛が走る。

「う、ぐっ……」

 ふらついた体を両手をついて支え、締め付けられるような強い痛みに歯を食いしばって耐える。

 まずい。エルミナたちが戻ってくるまでに、何でもなかったように、いなくては。

 焦りとは裏腹に、痛みは一向に収まらず、冷や汗が頬を伝って落ちる。浅くなる呼吸に、意識がかすみ始める。

「ファゼットくん?!」

 不意に、腕に触れた感覚。揺らぐ視界でゆっくりと視線を向ければ、エルミナの心配そうな瞳と目が合う。

「エル、ミナ……」

「痛いの? どこか具合悪いの? 大丈夫?!」

 呼びかける声が鮮明になるにつれ、痛みがようやく引いていく。

 深呼吸で息を整え、力を込め過ぎたか強張った手で、エルミナが掴んだ指を剥がす。

「何でも、ない。ちょっとふらついただけ。……大丈夫」

「大丈夫な顔、してないよ! 風邪、そうだよ、風邪ひいたんじゃない?」

「心配しなくていいってば。立ちくらみ、みたいなものだから」

 言葉を交わせば、幻の様に、痛みはなくなっていく。夢でも見ていたんじゃないかと、ファゼット自身が疑いたくなるほどだ。

 食器に手を伸ばし、重ねる。違和感もない。自然に動く自分に、ファゼットは心の底で安堵する。

「わ、私が洗っとくから! ねぇ、休んだ方がいいよ、ファゼットくんっ」

 慌てた様子で手を両手で握りしめ、エルミナが訴える。その細く温かい指先に、心が震えた。

 誰かの温もりが伝わる感覚に、必死に押し固めた強い自分が揺らぎそうになる。ぐっと奥歯を噛み締め、笑みを返す。

「命を奪いに来た存在の台詞とは思えないよ?」

「なっ……そーいう事言ってる場合じゃないでしょっ! もう!」

 ため息を吐いて、エルミナは迷わずファゼットの額に手を触れた。

 完全に、ファゼットの思考は停止する。行動の意味は分かっていた。だが、感情が許容量を超えていた。

「熱は……ないね。疲れてるのかな? 午後少し休んで……ファゼットくん?」

 覗きこんだ瞳に、収まったはずの心臓が再びうるさく拍動を始める。心なしか、顔が熱い。

「ぼーっとしてるよ? やっぱりどこか具合悪いんじゃない? お医者さん呼ぶ?」

「だ、大丈夫。……その、少し休む、から。……大丈夫だから」

 それでも疑いの眼差しを突きつけるエルミナから逃げる様に、顔を反らす。嘘は言っていない。今はもう痛みなど皆無で。

 そしてその原因が解明されることを、正直ファゼットは期待していない。治療費に回す資金的余裕はないのだ。

 ならば、自分の命が潰える前にすべきことを、しておくしかない。

 そして遅くとも明日の夕方には、自分の手から巣立っていくのだから。ここまできて、倒れるわけにはいかなかった。

 

◇◇◇

 

 エルミナの視線に押し負け、ファゼットは自室のベッドに沈んでいた。

 確かに疲労が蓄積していることは、事実で。階下で聞こえていたはしゃいだ声がなくなり、昼寝にシフトしたのだろうと、安堵の笑みを零す。

 太陽の光が、温かい。ベッドに転がったまま、窓の外に視線を向ければ、青い空が見えた。筋状の雲が青い空に白の模様を描いている。

 久しぶりに、心が明るく開放されている気がした。

 エルミナが居る事で、幾分肩に入っていた力が抜けているのは自覚している。エリキルトが居なくなってから、すぐ傍で助けてくれる存在は初めてだったから。役割も理解しながらも、それでも頼りにしている自分をファゼットは自嘲する。

 陽だまりでぼんやりとした思考をしていたファゼットを、睡魔が手招く。

 ふと。

「大丈夫だからっ! わ、私がちゃんとするからっ!」

 切羽詰まったエルミナの声が、扉の向こうで聞こえた。小走りで廊下を駆ける足音が続く。

「シェリ兄、待って! 私、これは私の仕事だからッ……!」

「エルミナ……?」

 知らない名を呼ぶエルミナに、胸騒ぎがする。起き上がろうとして、頭痛が襲う。

 強烈な痛み。ずきずきと、頭が割れそうなほどに痛む。それでも、使命感がファゼットを突き動かす。

 見知らぬ誰かが簡単に屋敷を徘徊させることを許容するわけにはいかない。そして、エルミナの役目を、邪魔させることも。

 ファゼットにとってエルミナは、助けてもらっている存在で、その恩は返すつもりでいる。

 それがガディの命と引き換えでも、エルミナならば託してもいいと、今なら思えるのだから。

「……う、く」

 呻き声を漏らしながら、ファゼットは荒い息づかいで体を起こす。

 頭痛で動くだけで吐き気が襲い来る。それでも胸騒ぎの原因は、確かめなくてはならない。

 足を引きずるようにして、扉を開けた。

「待って! お願い、シェリ兄っ!」

 必死に呼びかけるエルミナの声。それに応じるそぶりのない、黒髪の青年。そして青年が強引に手を引いていたのは、ガディだった。

 一瞬で、背筋が凍る。

「……何してん、のか……説明して、貰おうか?」

 問いかけた自分の声に、怒りと憎悪が練り込まれている事を、ファゼットは自覚する。だが、止まれない。

 驚愕に目を見開くエルミナの様子に、気を配る余裕すらなくなってしまう。

 青年は冷たい視線をファゼットに投げるだけで、口を開くそぶりは見えない。

 無視。相手にするつもりなどないという事だろう。

「……説明しろって、言ってんだけど」

「ファゼット、く……あの」

 エルミナが言いよどんでいると、不意にガディが掴まれた腕を振り払った。思わぬ行動に目を見張った青年の隙を逃さず、ガディはファゼットへと駆け寄る。ファゼットは駆け寄ったガディを抱き留めると、すぐに自分の後ろへ庇うために隠す。

 痛みは治まる気配を見せないが、心に少しだけ余裕が生まれた。

「……誰だか、知らないけど。……あんたに、ガディを連れて行かせはしない」

「俺はお前の感情に興味はない」

「聞こえなかった? あんたに、だよ。ガディを迎えに来たのは、エルミナなんだ。僕は……それ以外に易々と渡すわけには行かないんだ」

ファゼットの発言に、エルミナは唖然とした表情を浮かべた。

 意外な反応であるのと同時に、安堵が過ぎる。エルミナは、自分の気持ちを、理解し始めてくれたのだと。

 そして冷静さを崩さない青年の表情に、苛立ちが過ぎったのをファゼットは見逃さなかった。

「……エルミナは俺の妹だ。その手助けをするのは兄として当然の役目だろう」

「兄?」

「そうだ。ああ、一応礼は言っておいてやる。エルミナが世話になったな。俺は、兄のシェリオだ。二度と会う事はないがな」

 ぐっと強く手を握りしめ、ファゼットはシェリオと名乗ったエルミナの兄を睨む。どこか似た顔立ちだが、空気感はまるで違う。

 エルミナは、常に陽だまりのようだった。だが、シェリオから感じるのは冷たく閉ざされた大地の気配しかない。

 寒気が、する。

「そいつを渡せ。いつまで持つか分かったもんじゃない。霧散させるなんて馬鹿げた展開は死神が許しても、俺が許さない」

 シェリオは強く言い放ち、一歩踏み出した。びくりと震えたガディを背中で感じる。

 意図せず発露したファゼットとシェリオの拮抗する魔力が、空気さえ軋ませていた。

「う、くっ……!」

 不意に強さを増した痛みにファゼットは思わず膝をつく。息が、詰まる。視界が霞む。

(まず、い……なんで、今……!)

「……分かってるんだろ。どのみち、お前はもう持たない。なら、最後くらい看取ってやるのが保護者としての責任じゃないのか? それとも、お前の死を晒して、絶望の中、死を迎えさせるのがお前の言う愛情か?」

 抉る様な言葉に、ファゼットは自分を奮い立たせる。シェリオの言う事は、あながち間違っていない。

 目の前で死ぬなど、最悪で最低な展開だった。ガディに、これ以上の死は見せたくない。

 悔しさと痛みを噛み潰す様に、ぎり、と奥歯を噛み締めファゼットはシェリオを睨み付けた。

 温度を感じさせないエルミナと同じ緑の瞳が見下ろしている。

「な、に……言ってるの? シェリ兄……?」

 震えたエルミナの声に、申し訳なさが膨らむ。だが弁解できる余裕は、ファゼットにはなかった。

 シェリオは肩を竦め、軽く息を吐き出した。

「そのままの意味だよ。こいつの命はもうほとんど残ってない。あと二、三日もすれば死神が来るはずだ」

 シェリオの言葉にエルミナはファゼットに視線を向けた。

 否定を望む瞳を。ファゼットには紡げるはずのない、嘘を願う目を。

 心の中で謝罪ばかりが繰り返される。誰に向けて言うべきかもわからない謝罪が。

「う……あ……!」

 激痛が思考を奪う。割れる。終わる。終わってしまう。

「しっかりして、ファゼットくんっ! ガディくんには、キミしかいないんだよ!」

 エルミナの呼びかける声が、鼓膜に響く。肩に感じる温もりは、エルミナが支えてくれているのかもしれない。

 痛みに滲んだ涙で視界が滲んでいた。震える体で、それでもファゼットは振り向く。

 背中で守っていたはずの、ガディを。

 今も、ぼろぼろと大粒の涙を零す、ずっと守りたかった存在を。

「ガディ……、ごめんよ。……僕は結局、君を救えなかったね」

 必死に笑みを浮かべる。ガディはふるふると首を振った。

そして、

「僕が、助ける、番……だから」

「え?」

 今、声が……――

「なっ、まさかお前ッ?!」

 シェリオの鋭い声と共に、強烈な光が視界を白く焼き尽くした。

 

◇◇◇

 

 ふわふわと漂うような、暖かくて頼りない夢と現実の境界。

 何も考えなくていいはずなのに、ふと過るのは今日の夕飯どうしよう、というどうしようもないほど日常の事だった。

 だがそれが、一番の幸せだったのだと、ファゼットは一人噛み締める。

――終わってしまう。

 今ここで、終わりたくはないのに。

 だが体を包む安堵感は、やっと罪と痛みから解放されるからだろうか。それも悪くはない気がした。

 ふと気づくと、霞む世界の中に、エリキルトの姿を見つける。

「シスター」

 穏やかに微笑む、いつも見守ってくれていた存在。闇から救い出して、光を受け継ぐことを許してくれた恩師。

 自然に、笑みが浮かんだ。また、一緒に居られるのだ。

 待ち望んだ事だったはずだ。

 だが、頬を伝った涙の意味を、ファゼットは知っていた。

「……シスター」

 呼びかければ、エリキルトは幸せな皺を刻んだ顔で、頷く。

「もう少しだけ、待ってください」

 答えなど、返らない。それでもファゼットは振り返る。エリキルトに背を向ける。

 胸の痛みは、強くなった。

 

◇◇◇

 

――目を開くと、さわさわと風がカーテンを揺らし、隙間から青い空を覗かせていた。

 見慣れた天井が、ぼんやりと視界に映る。

「……生きて、る」

 ほっとすると同時に、胸を刺した痛みにファゼットは微かに表情を歪める。物理的な痛みか、それとも心の軋みかは、分からない。

 息を吐き出すと少しだけ痛みは和らいだ。

視線を巡らせると、ベッドに突っ伏す姿が目に飛び込む。黒髪。

 重い体を起こして突っ伏している長い黒髪に視線を向ける。エルミナ、だ。

 すうすうと小さな寝息を立てているエルミナに、痛みの代わりに安堵が胸に広がった。

「……髪食べてるし」

 小さく笑って、エルミナに手を伸ばす。

 瞬間、何の予兆もなく、がばりと勢いよくエルミナは顔を上げた。さしものファゼットも驚き、行き場のない手が空中で固定される。

 ぱっとファゼットへと視線を向け、エルミナは目を見開く。

「あ、えと」

 言うべき言葉が浮かばず口を濁す。エルミナの瞳がじわりと潤んだ。

「起きた……起きたぁー!! ファゼットくんよかったぁぁぁっ!」

「うわ、ちょっ!?」

 今度は抱き付いてきたエルミナに、ファゼットは頭が白くなる。ファゼットの予想を軽々飛び越えた行動に出るのだから、エルミナはある意味で怖い。

 ファゼットの困惑などお構いなしに、エルミナは叫ぶ。

「心配したんだよっ! ものすごく心配したんだからねぇっ!!」

「わ、分かったからっ……はな、離れっ……」

 これでは落ち着いて思考も出来ない。顔は熱くなり、心臓は別の意味で煩さを増していた。

 エルミナはようやく手を離すも、まだ鼻をすすっている。涙を人差し指で拭いながら、拗ねたようにエルミナは口を開く。

「人に心配させるだけさせといて、自分は呑気にすーすー寝てるなんてひどいよ……」

「いやあの……ごめん」

 寝ていたのはお互い様だという言葉は飲み込み、ファゼットは謝罪を紡いだ。心配させたのは、確かだろう。

 だが、それよりも気になるのは。

「あっ!! 起きて起きてファゼットくんっ! まだ間に合うはずだからっ!!」

 今度は突然急かし始めたエルミナ。有無を言わさぬ勢いに、ファゼットは頷くしかできない。

 慌てて手を引いて外へ促すエルミナに、ファゼットは見えないように苦笑する。

 つくづく、忙しい娘だった。

 

◇◇◇

 

 寝起きの体が思った以上に重い。それでもエルミナに手を引かれて、ファゼットは村の入口まで向かっていた。

 一台の馬車が停まっており、その周囲に、よそ行きの格好をしたファゼットが面倒を見ていた子供たちと、ガディが居た。

 その存在に、安堵から再び視界が滲みそうになる。

「あ……おにーちゃん起きた!」

「にーちゃーん!」

 わっと駆け寄ってきた子供たちにあっという間に囲まれるも、ファゼットは戸惑うばかりで。

 子供たちは一様に、涙を浮かべていたのだ。現状の呑み込めないファゼットには、慰めようもない。

「絶対遊びにくるから、おにーちゃんもたまには会いにきてね!」

「ねぼすけーっ!」

「にーちゃんと一緒がいいよぉ」

「おにーちゃんまた会えるよねっ?」

 わぁわぁ投げられる言葉に、ファゼットはようやく悟る。

 街に行く馬車で……彼らの旅立ちの日だと。エルミナを振り返ると、エルミナは微笑んで頷いた。

 ファゼットは縋り付いている子供たちに視線をおろし、胸にこみ上げた思いを飲み込む。

 幾度も経験した別れは、こんなに悲しいものだっただろうか。

「いい子にしてたらまた、会えるから。会いに……きっと、行くから」

「約束だかんな!」

「絶対だよっ」

「うん」

 ファゼットが頷くと、彼らはぱっと笑顔を見せた。ずっと傍にあり続け、そしてこれからは、遠くに行ってしまう笑顔だった。

 一人一人を抱き締めて、ファゼットは最後を送り出す。

 不安と寂しさを抱えながらも踏み出していく彼らの未来を祈って、ファゼットはその場に立ち会えた喜びを噛み締めていた。

ガディを除いた六人全員が乗り込んだ馬車が、かたことと動き出す。

 小さな体で精一杯手を振る姿が声と共に、徐々に遠くなっていく。

「にーちゃんまたねー!」

「ガディも元気でねー!」

「いってきまーす」

「元気で良い子にするんだよー!」

 エルミナが笑顔で両手をいっぱいに振る。

 姿が見えなくなるのはあっという間で。声と共に、馬車は森へと消えていった。

「……行っちゃったね」

「……うん」

 森へ視線を向けたまま、ファゼットは頷いた。追い掛けたい自分を、押し殺しながら。不意に、小さな手がファゼットの手を握る。

 視線を落とすと、ガディが不安げにファゼットを見上げていた。

 一緒に行くことも、出来た。だが、ガディはその選択を拒否したのだ。その選択が今後もたらす可能性も、分かった上で。

「僕は、貴方と一緒に……生きて、いきたい……です」

 震える声で、ガディが言う。

「……言葉、思い出したんだね」

 頷いて、ガディが小さな笑みを見せた。それだけで、ファゼットは胸が詰まる思いに駆られる。

 ずっと願っていた光景が、ここにあった。

「でも……僕の、命は長くないんだよ、ガディ」

「大丈夫だよ、ファゼットくん。……ファゼットくんは、もうしばらく生きていられるから」

「え?」

 エルミナの言葉に驚いて目を向けると、エルミナは微笑んだ。

「ファゼットくんの命と自分の命を半分にしたんだよ、ガディくんは。だから、死ぬ時は、きっと一緒」

「でも、エルミナ……君は」

 ガディの命を狩りに来たんじゃ、と言いかけたファゼットに、エルミナは首を振った。

「必要ないのに、狩ることないって、思えたから。私ね、ファゼットくんと会えてよかったよ。じゃなきゃ、人が人を思うことの大切さ、どんどん忘れるところだった」

「エルミナ……」

 屈託のない笑顔を見せたエルミナ。その笑顔にはつくづく敵わない。

 だが、すぐにエルミナは表情を曇らせた。

「でも、ごめんね。私、二人に残酷な仕事を押し付けるかもしれない」

「……どういうこと?」

「シェリ兄が言ってたの。ただ見逃すのは、駄目だって。それは自然の摂理に反する行為だから、その穴埋め分くらいの仕事はさせるのが筋だって。だから、監査官の仕事をさせろって言われて……反論できなかったの」

 仕事についてはファゼットにはよくわからないが、エルミナの兄の言葉は正しい。

 本来、失われていたはずの命であるのだから、相応の罰は受けるべきだ。生かされている恩を、返すのは当然だった。

 それに。

「そうすれば、エルミナは怒られなくて済むんだろう?」

「そんなのいいよ! 大体、監査官の仕事って危ないし」

「じゃあ、その監査官ってのになれば、エルミナの仕事は少しは楽になるかな?」

 ファゼットの問いに、エルミナは怪訝そうに眉を顰める。質問の意味が分からないのだろう。

 自分自身ですら、何故そう思ったのか分からないファゼットが居る。だが、一つだけ確かなことは、ある。

「エルミナの力になれるなら、僕はそれでいいよ」

「ふぇ?!」

 エルミナが素っ頓狂な声を上げ、ファゼットを凝視する。

 ファゼットは苦笑を浮かべた。

「それにさ、僕がすべきことは、もうなくなったから。……何かしてないと、僕は倒れてしまいそうだし。だから、大丈夫。でもガディは……」

 エルミナの言うように、危険が伴うのであれば、巻き込みたくはない。

今でも、そしてこれからも、ファゼットにとってガディは守るべき存在なのだから。

 ガディを見やれば、ふわりと笑顔が返る。

「僕は、貴方と一緒なら大丈夫です」

 何も言わずとも返答したガディに微笑み、ファゼットは頷いた。

 止めるべきでは、あるのかもしれない。それでも、拒絶は出来なかった。ガディがやっと選択した生き方を、否定はできない。

「だって。だから……ありがとう、って伝えといて」

「え?」

「それで許してくれるなら、安いものだよ」

 本来ならば、終わってしまうはずだった。だが、続けることを許してもらえたのであれば、こんなにも嬉しいことはない。

 エルミナは泣きそうな表情をしていたが。

「なんで、そんな顔するかな」

「だって嫌だもん。監査官の人たちが苦しいの、私ずっと見てきたんだよ。そんな世界に、行ってほしくないよ」

「……そうならないように、頑張るよ」

「だからっ」

「エルミナが苦しまなくていいように、頑張るから。……それじゃ納得しない?」

「なんで……」

 明確な理由は、自分でもはっきりしなかった。

 ただ。

「そうしたら、またエルミナと会えるかなって、思うから」

 役目がなくなってしまったエルミナが、ここに残る理由は何一つない。だとすれば、あるのは別れだけ。

 それは寂しいと、思った。

 じっと睨むように見つめるエルミナに笑みを返し、ファゼットは言葉を重ねる。

「僕は、君とまた会いたいなって思うから。だから……手伝わせてもらえると、嬉しいなって」

「……ファゼットくんの馬鹿ぁっ! 今度、絶対もうやめたいって言わせるんだからっ!」

 くるりと背を向けて、エルミナが歩き出す。分かりやすく怒っているその姿が微笑ましい。思わず苦笑いが零れる。

エルミナとファゼットを交互に見やったガディが、表情を曇らせながらファゼットに視線を向けた。

「……止めなくていいん、ですか?」

「今度、って言ったからね。また会えるよ」

「……そ、ですね」

 希望も多分に含みながらも。ガディも安心した様子で表情をやわらげた。

 あながち、ガディも寂しさを覚えているのかもしれない。

「さ、帰ろうか、ガディ。お昼、何食べたい?」

「えっと……なん、でも。……でも」

「ん?」

 ガディが照れくさそうに笑った。少しだけ握っていた手に力を込めて、ガディは言う。

「いっぱい、話したいです」

 頷いて、手を握り返し歩き出す。

 一度に人が居なくなってきっと寂しさを感じるだろう家へ向けて。

 でも、言葉を交わせる相手が隣に居る。命を等分してまで、自分を必要としてくれた大切な存在が。

 素直にそれが嬉しいと思える自分がいる。エリキルトに胸を張れる自分を、ファゼットはやっと見つけられた気がした。

 

 

 

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