◇◇◇

 

 五分ほど走りようやく足を止める。戦闘の音は聞こえない。距離が随分開いたのかもしれない。

 シスが何を考えて行動したのかは、アルトにはまるで理解できなかったが。

「何なんだよっ!」

 冷静に周囲を確認しているシスに、アルトはすかさず手を振りほどく。

「……いい加減本当のことを言っておこうと思ってね」

「本当のこと?」

 アルトの瞳を見据え、シスは頷いた。

 そこに冗談は含まれていない。すっとアルトの背筋を悪寒が這い上がる。

「魔力波長って、本来魂で決まってるもので、決して同じものなんて存在しない」

「それは前聞いた。でも俺は兄貴と……」

「それは、有り得ないんだよ。同じなんてことは、本人以外では有り得ない」

「はぁ?」

 納得のいかないアルトに、シスは微かに目を伏せて言う。

「……あーちゃんにとってのおにーさんなんてものは、本当は存在しない。今いるおにーさんは何らかの手段を使って、あーちゃんから抜き出した『魔力そのもの』が意思を持ってるだけなんだよ」

「……な……?」

「記憶が流れくるんだよね?」

 アルトは戸惑いながら、小さく頷く。

「多分、少しずつあーちゃんに魔力として戻ってきてるんだ。小さいころに巨大な魔力を持った子供は総じて魔力暴発で死亡しやすい。それを回避するために、分けたんだと思う」

「……分けた、って……じゃあ、戻すつもりなんて……」

「そんな事ないよ。コントロールができるようなら、問題なくなる。あーちゃんがおにーさんを越えたら、全てを吸収するはずだよ」

 つまり、『アルトがクオルに勝つ』と自ら定めた目標が、タイムリミットに等しい。

 理解できない。したくない。思考が鈍って、上手く呑み込めない。

「……兄貴、は。……俺に全部明け渡すためだけに、いるっていうのか?」

 やっとの思いで絞り出した声は自分でも情けなくなるほど、弱々しい。

 だがシスはただ黙って視線を向けるだけで、否定どころか肯定すらしない。

 ぎり、と奥歯を噛み締めアルトは顔を伏せる。

「……あーちゃん」

「いい加減にしろよ……」

 ぼそ、とアルトは低く呟く。

「何でお前がそんなこと知ってるんだよ。おかしいだろ。俺は、お前と会ってまだ十日くらいしか経ってないのに。そんな訳の分からないこと信じられるわけないだろ!」

「だけど、それが真実だよ」

「ふざけんな!!」

 シスから紡がれる全ての言葉を拒絶し、アルトは睨み付ける。

 不安だけが増殖する。恐怖と疑問だけが首をもたげる。それが真実であるとすれば、クオルはどうして耐えられたのだろう。

 何も知らない、遥かに能力の劣る『本体』に食われる未来。そんなものを無条件に受け入れることなど、出来るわけがない。

「あーちゃんっ!!」

 背後に殺気を感じたのと、シスが鋭く名前を呼んだのは、同時だった。

 振り返ると、鎧を身に着けた骸骨――スケルトンが錆びついた剣を振りかざしていた。

「あ……」

 ――やられる。

「……と、に。手間かかるほど可愛いけどさぁ」

 気付けば抱き寄せられ、頭上から降った声に顔を上げかけた。

 刹那、びゅおっ、と突風が巻き起こり、アルトは咄嗟に目を閉じる。

「下がって、あーちゃん」

 ようやく解放されたアルトはシスの後ろへ回される。何か言うべきことがあるはずなのに、言葉が浮かばない。

 言葉を探して視線を彷徨さわせていると、目に入ったのは赤。

「! お前っ、怪我……!」

 右腕から、血の雫が滴っていた。青ざめるアルトを他所に、シスは飄々とした態度を崩さず、答える。

「かすっただけだから、大丈夫だよ」

 その視線の先にはよろよろと立ち上がるスケルトン。先ほどの突風で吹き飛ばされたものの、その程度では活動停止しないらしい。

「……まぁ、本来の目的はこっちだしね」

 どこか楽しげに零し、シスは剣を構えた。

 

◇◇◇

 

 スケルトンに対し、剣術と魔法でもって対抗するシスを茫然と見つめながら、アルトは立ち尽くしていた。

 どうして、そこまでして守ろうと必死なのだろう。ただの他人なのに。監査官のくせに、その仕事をしてるのなんて、一度も見たことがない。

 手首で稼働する遮断結界だって、恐らくはその任務とは正反対の行動だ。

 アルトが水虎として認められるために必要なのは、父と同等以上の力であり、議会で対等に渡り合えるだけの能力。

 それを阻害する、結界。

 先程の怪我で、力が入りづらいのだろう。シスが苦戦していた。

(どうしたらいい? 何ができる? 俺はっ……)

 視線を走らせて、何か武器になりそうなものを探す。細い枝しか落ちていない。苛立ちながら、シスへと目を向けた。

 瞬間――ぼん、とスケルトンが爆発した。

 唖然となるアルトと、肩で息をしながら苦笑するシス。

「……さすが。だけど……早すぎ、かな」

「何強がり言ってんの! っとに馬鹿だなぁっ」

 ぱたぱたと走ってきたのはニナ。シスの怪我の様子を眺めて、振り返って言う。

「レン、応急手当してやったほうがいいかもー」

「あ……、し、シスっ」

 我に返ったアルトが慌てて駆け寄る。傷口は思ったより深くはなさそうではあるものの、血が未だ流れ落ちている。触れることもできず、宙で手が彷徨ってしまう。

「……怪我は、ない? あーちゃん」

 思わず顔を上げる。シスは笑みを浮かべてアルトの頭を撫でる。この十日間で何度撫でられたか覚えていないが、一番、堪えた。

「馬鹿、やろ……。俺なんて、ほっとけば、いーのに……」

「それは無理だよ。あーちゃん可愛いから」

 シスの言葉に思わずアルトは笑みをこぼした。あまりにも「らしい」返答と、呆れたのと、それと……安心して。

「あれだよね。あーちゃんが陥落するのも時間の問題だよね」

「いやもう落ちてるんじゃ」

「聞こえてんぞ、マセガキ。そんなんじゃねーから」

 アルトがこそこそと会話をするニナとレンの背中に言う。

「僕はそれでも喜んで受け入れるけど」

「黙れ変態」

 ニナがにやにやしながらその様子を眺め、レンが頭を切り替えてシスの治療に入る。アルトが腕を組みながらそっぽを向いていると、視界の隅に。

「っ……兄貴」

 クオルは黙ってアルトに歩み寄る。それが異様に不安をあおって、思わずアルトはシスの袖を掴んだ。シスがその手を一瞥し、クオルに目を向ける。

「……大体は、聞いたって顔ですね」

「俺は……信じてねーけどな」

「そうですか。……でも、嘘は教えていないと思いますよ」

「兄貴は、それでいいのか?」

 問いかけたアルトに、クオルは静かに笑みを浮かべるだけだった。不安と恐怖を打ち消すために口調を強め、アルトは言う。

「全部奪われるためだけに生きてきて、自分のものなんて一つも残らなくて、それで兄貴はいーのかよ?!」

「……それが、生まれた意味ですから」

 めまいがした。死ぬこと、消えることさえその言葉で片付けようとしているクオルが、怖くて……何より悲しかった。

「俺は、兄貴がいなくなるなんて嫌だ」

「最初から……アルトに兄は存在しない。それに、僕の記憶はアルトへ引き継がれる。消えるわけじゃ、ありませんよ」

「兄貴はここにいるじゃねーかよ! なんでそんな事言うんだよ?! 俺と会話して、目の前にいる。自分と会話できる奴なんていないんだ。兄貴は、ここにいるんだよ!」

「……アルト……」

「兄貴の記憶も魔力も、俺は欲しくなんてない。誰もそんなこと頼んでない!」

 それは明確な拒絶の言葉だった。

 

◇◇◇

 

 戦力外になったアルトは一旦学院へ戻ることとなり、代わりにクオルがニナとレンと共に指令を引き受けることになった。

 冷静になる時間も、必要だろうと。

 自室へ戻ると、半分の空っぽな部分が視界に入る。本当は、二人で一つの部屋。今の自分と同じ状態なのかもしれない。

 何も残らない、クオルの部分。混沌としながらも、そこに残るアルトの部分。

「兄貴は……、俺の中に記憶が残るから、俺は大丈夫だって思ってんだろーな」

「……だと、思うよ。いや、そう思いたいんじゃないかな」

 アルトは机の前に立つと、そこに置かれたソルナトーンに触れる。記憶の塊たるソルナトーン。ドゥーノの残した、記憶。

「これ、議会に渡しに行こう」

「え?」

 すっとソルナトーンを手にとって、アルトはシスに振り返った。

「いきなりなくなるのは、嫌だし。……俺、きっと兄貴から離れたほうがいい。俺は兄貴がいなくなるのは嫌だ」

「戻らないつもり?」

 問いかけたシスに、アルトは首を振った。

「兄貴が兄貴のままでいられる方法を探す。これじゃなくて、さ」

 左手首を示して、アルトは苦笑した。

「これじゃ、兄貴はムキになって解除する。そしたら、その時点で俺は抵抗するすべがなくなる。それじゃ、駄目なんだ。だから……」

「本部になら、何か資料があるかもしれない?」

「……ないとは言えないだろ」

 そうだね、とシスは肯定して、アルトに歩み寄る。

「行こうか」

「……ん」

 頷いて、アルトは目を閉じた。シスが転送陣を発動させると同時に、独特の魔力と気配が周囲を包む。

 最期まで諦めないことしか、今の自分にはできないから。

 だからこそアルトは、最後まであがくことを決めた。

 

 

◇◇◇

 

 次元総括管理局本部――

「誰に渡せばいいんだ? これ」

「当番の議員に渡せばいいよ」

「当番?」

 本部の廊下を歩きながら、アルトは首をかしげる。

「必ず一人は本部に残ることになってるらしいよ」

「ふーん……そーいえば、親父も時々泊りがけの仕事あったな」

 本部は四階建ての構造になっている。今アルトとシスが歩いているのは、二階。二階には会議場や転送フロアがある。

 一階には各種事務室。三階には試験場があり、監査官のレベル認定が行われる施設がそろっており、ゲートパスの更新等もこの階で行うことになる。四階には観測設備が一通りそろえられていた。

 アルトも本部に来たのは数えるほどで、行ったことがあるのも一階くらいなものだ。ほとんど知らないに等しい。

 二階の会議場脇に、一枚の扉があった。扉には連絡要員控室というプレートが下がっていた。

 アルトはシスに視線で促され、渋々扉をノックする。

『はいはーい。開いてるよぉ~』

 気の抜けるような声が中から返った。緊張しながら、扉のドアノブを回す。

「何々ぃ~? 事件? 事故? それとも告白?」

 楽しげな声とともに、姿を見せたのは真っ白な髪と、幻想的な色合いの青い着物を羽織った女性。胸元がやけに大きく開いているのは多分、わざとだろう。

「あれ? もしかしてキミあれだね!」

 女性はアルトに一足で歩み寄って、ぺちぺちと頬を叩く。冷たい手だった。

「水虎のむす……娘? 息子じゃなかったっけ? まぁどっちでもいいか。アルトだよね? うわぁ~、なんだなんだもう。可愛いなぁ」

「うあ、ちょっ」

 女性はアルトに抱き付いて、頬擦り。まるで猫みたいだった。

「まさかこんな可愛い系とはねー、もー、おねーさん食べちゃいたいなぁ」

「それくらいにしてもらっていいかな? 色欲妖怪」

 シスが口を挟み、女性は笑顔を向けると言い切った。

「嫉妬とは見苦しいよ?」

 笑顔で応酬しあう二人の間で、アルトは困り果てていた。

「まぁいいか、はじめましてだね。六の座・雪桜(せつおう)とは私の事だよ」 

 

◇◇◇

 

「それで、用件は何かな?」

 ようやく解放してもらったアルトはポケットから慌ててソルナトーンを取り出す。それを差し出すと、雪桜は興味深そうに首を傾けた。

「おぉ、ソルナトーンだね。任務外のってことかな?」

「ドゥーノの居た世界の記憶、です」

「あー、メギレス族の。なるほどねー」

 ひょい、と手に取ると雪桜はソルナトーンをまじまじと見つめる。

「いつ見ても、不思議なものだね。たったこれだけの物に、世界の記憶が詰まっている。実に不思議だよ」

「用はそれだけ。行こう、あーちゃん」

 雪桜を無視して、シスはアルトの手を引く。そりが合わないらしい。

「一つ聞いていいかな? そこの保護者くん」

 ぴた、とシスが足を止めて面倒そうに雪桜を振り返る。雪桜は楽しげに目を細めて、問いかける。

「キミは、何を守ろうとしている? 監査官たる、キミが」

「僕は、あーちゃんさえ守れればいい」

「世界の秩序の守り人たる監査官の言葉とは思えないね」

「……そんなつもりで監査官になったつもりはないから、興味ないよ」

 シスの言葉に、雪桜は小さく、悲しげな笑みを浮かべた。

「そう。キミはそうだったね」

 雪桜の言葉にシスは再度背を向けた。アルトが戸惑った様子で小さく頭を下げながら、外へ引かれていく。

 そんな二人に、雪桜は告げた。

「早く、一人前になって水虎として一緒に仕事をできる日を楽しみにしてるよ、アルト」

 その言葉はアルトにとっては残酷な言葉でしかなかった。扉を閉め、歩き出したシスに手を引かれながら、潰れそうな心を必死に奮い立たせる。

 悶々とした思いを抱えながら、シスに手を引かれて歩く。

 何も考えなければ、楽なのに。

 ふと、シスが足を止めて、アルトは思わずぶつかりそうになる。文句を言おうと顔を上げると、手でそれを制された。柱の陰から、何かをうかがっている。

 アルトもそっと覗き込んで、息をのんだ。

 水虎である、父がいた。転送フロアの入口で、誰かと話している。

「……遠音(おんね)だね」

「おん、ね? ……議員の?」

 頷いたシスから、再度アルトは視線を移す。深くフードをかぶっているが、頭に特徴的な突起が二つある。あれは、耳だろう。三角の、猫あるいは犬の耳……亜人種だ。

 顔は木彫りの面をしているので、見えない。

「どうだね? 跡取りは。ずいぶん大きくなったのではないか?」

「相変わらず、子供そのものだ。反抗ばかりする」

「分体は、まだ取り込めていないのかね?」

 そう問いかけた遠音に水虎は口を濁した。遠音は軽くため息をついて、言う。

「情が湧くからやめておけとあれほど忠告したのに。名と自由まで与えては、貴方にとっても、つらくなるだけだろう」

「覚悟は、している。それに、アルトが私を恨むのは一向に構わん」

「だが、そろそろ我らとしても限界だ。これ以上『同位体』いや、むしろ同一存在を世界から欺く力を割くことは、出来ない。負荷が大きすぎる」

「分かっている。……あとはアルトの覚悟だけだ。クオルはとうに、覚悟を決めている」

「……忘れるな、水虎。最終的には、分体を始末するしかないことを」

 そう告げて、遠音は転送フロアへ入っていった。水虎がそれを見送って、ため息をつく。

「息子を守るために息子を殺す、か。……最低な父親だな」

 そう呟いた父の姿は、酷く寂しげだった。

 

◇◇◇

 

「……俺が、子供なんだよな。わがまま言ってるだけなんだよな」

 本部の外は乾いた風が吹いている。赤茶けた土と、同じような赤い空。月が三つ浮かんだ、見慣れない世界。

 そんな世界に佇んで、アルトは空を見上げていた。

「兄貴はもう、覚悟を決めてて。親父も他の議員も、俺が兄貴を取り込んで、一人前として初めて認める」

「あーちゃん……」

「俺さ、ずっと認められたかったんだ。水虎の跡継ぎとしてじゃなくて、俺として認めてもらいたかった。兄貴を越えるなんて、ほんとはどうでもよかった。だって、俺には兄貴が必要だったから」

 いつもフォローに回ってくれるクオル。困ったことがあれば、最後には助けてくれた、大切な兄。それが、虚構の存在だったなんて、信じたくなかった。

「俺が欲しかったものは、兄貴と同化すれば手に入るんだ。水虎としての立場も、親父を見返すことも。なのに」

 アルトは振り返る。シスは悲痛な表情を浮かべていた。

 正直、アルトの心は限界だった。涙を流さないだけで、心は叫びをあげている。言葉が止まらない。

「俺、どうしたらいい? 兄貴を受け入れたら、全部解決するのは分かってる。だけど、そのあとは? 俺はそのあと、どうやって生きていけばいい?」

「……あーちゃん」

 資料を漁ってもろくなものは出てこなかった。むしろクオルのような存在を維持することの困難さだけ露呈されていた。同じ世界に、同じ存在は居られない。二重に存在することは、世界そのものを不安定にさせてしまう。

 つまり、今の自分の存在こそが、世界を壊す原因になりかねない。

 そんな存在を、いつまでも議会が認めるはずもなかった。

「俺が死ねばいいのか? そしたら、兄貴が消えなくても済むよな? 兄貴が議員になった方がいいんだ。だって俺より強くて、頭良くて、人付き合いもうまくて。誰も俺が居なくなったって、困らないしさ」

「違う」

 きっぱりと否定して、シスはアルトをそっと抱きしめた。

「あーちゃんが居なくなったら、少なくとも僕は、悲しいよ」

「……でも」

「おにーさんだって、嬉しくないよ、そんなの。……誰のために、頑張ってたと思ってんのさ」

 誰のためなんて、考えなくたって分かる。いつだって、クオルはアルトの事を思って、色々とアドバイスして、守ってくれていたのだから。

 ぎしぎしと痛む心で、アルトはシスに問いかける。

「じゃあ、俺は……どうしたら、いいんだよ……? こんな状態、いつまでも続けらんねーよ……」

 遮断結界が破られるのは時間の問題だ。こんなのは、付け焼刃でしかない。シスだって分かっているはずだ。

 だからこそ答えて欲しかった。自分よりも多くを知り、何より今ではもう頼らざるを得ない信頼の元に。

「……ごめん」

 無情に返ってきた言葉で、アルトの中で何かが崩れた。限界、だった。

 失う恐怖と、無力さに対する絶望と、誰に向けていいか分からない憤りが、濁流のように押し寄せて、言葉にならない感情が溢れる。

「うぁああああぁぁっ……!!」

 狂ったように泣き出したアルトをシスはただ黙って受け止める。

――本来、それはクオルの役目だったはずだった。あるいは、父親が受け止めるべきだった。

 それは、アルトにとってそれは届かない答え。だからこそ、シスはこうやって父と兄の代わりに、アルトを支えている。

 言葉にならない感情を吐露するアルトを抱き締めながら、ぽつりとシスは言う。

「……また、同じ思いをさせてごめんよ。そうさせたくなかったから……今度は一緒にいたのにね」

 アルトにはその言葉は届かなかった。

 

◇◇◇

 

 泣くだけ泣いて、何が悲しいのか悔しいのか、それが分からなくなってようやく涙が枯れる。泣くことにさえ、疲れ果てた。

「やっと落ち着いた?」

「……最悪」

「何でさ」

 楽しげに言うシスに、アルトは小さく息を吐いて、ぼそりと答える。

「この状況」

「可愛かったなぁ、泣いてるあーちゃん」

 完全な失態を晒したアルトは反論の言葉も浮かばない。それでも、幾分ほっとする。まだここに居てくれることに、安堵する。

「忘れないで、あーちゃん。泣けるなら、泣いた方がいい。泣けるってことは、感情が動いてる証拠。それが出来なくなったら、泣きたくても泣けなくなる」

 そうして、シスはアルトを離す。シスの浮かべた笑みは、どこか寂しげだった。

 ひとつ深呼吸をして、アルトはばし、と自分の頬を叩く。

「……もう、大丈夫」

「頼ってくれていいのになぁ。またいつでも慰めてあげるよ?」

「……そだな」

 そう頷いたアルトに、シスは若干驚いた様子を見せた。それが意外で、思わずアルトは吹き出してしまう。

「んだよ、お前が言ったんだろ」

「ほら、あーちゃん照れ屋だから意外で」

「照れとかいう問題じゃねーし。ただ、分かったんだ。……俺が頼れるのは多分もう、お前くらいなんだろうって」

 学院の友人はドゥーノと同じく、いつか消えゆく定めを背負わされているか、あるいはそれ以外で隔離を強いられているものだ。同じ場所には、きっと立てない。アルトが背負っていかなければならなくなる。

 ドゥーノだけで、十分だ。失っていくのは、つらいから。

 シスもいずれは別れが来るだろう。世界も違う。多分、寿命も。だけど、それさえ含めて、一番の理解者だった。

 たった数日、といえばそれまでで。

 だけど、数日でこれだけの思いを共有してくれたのは、シスだけだから。

「俺の味方で、いてくれるんだろ?」

 その問いかけに対し、シスは静かに頷いた。

「どんな答えを出そうとも、僕はあーちゃんだけの味方だよ」

 その答えだけで、十分だ。

 

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