第一話 connect –連接記憶-

 

 世界は、一つだけで出来ているわけじゃない。いくつもの世界が並行して、大きな流れとなって動き続けている。その総管理者が王であり、その為にいくつもの組織が活動をしている。

 それが物心ついたころから、教え込まれたことの原点だった。

 魔導評議会。十三人の役員からなり、世界唯一の共同機関のトップに君臨する組織。

 十三世界と呼ばれる最古の世界から選ばれた代表者によって、世界は維持管理されていた。十三役員にはそれぞれが別名を与えられ、『特権』を王より付与される。

 そんな、十三役員の一人。四の座、水(すい)虎(こ)。 

 それがいつか自分が就く場所だと幼いころから言い聞かされてきた。そして、そこを目指すことに疑問は抱かなかった。

 正確には疑問では、ない。

 そうでしか、自分を認められないと思ったからだ。

 さわさわと、風が吹くたび頭上の葉が気配を奏でる。新緑に覆われた木の下で、目を閉じて夢の世界との境界線を彷徨う、穏やかな時間。

「ああ、こちらにいましたか。探しましたよ、アルト様」

「ちっ」

 思わず舌打ちをして、目を開く。

 左側に、視線を向けると、少ない黒髪を撫でつけた典型的な洋ナシ型体型の『先生』がいた。

 ふうふうと苦しそうに肩で息をしながら、小脇に抱えた分厚い本を差し出した。

「さぁ、昨日の続きと参りましょう」

「い・や・だ」

 丁寧に区切って拒絶しながら、アルトは寝転がっていた地面から体を起こす。ついでに欠伸も一つ。

「我儘をおっしゃらないでください。貴方は水虎になる人なのですから。旦那様もその日を待ちわびておいでですよ」

 定型文の様だ。毎度同じ言葉を飽きもせずに訴えて来る先生に対し、アルトは苛立ちを覚えながら目を向ける。

「俺がならなくても、兄貴がなるだろ。俺より数段強いんだから」

 拗ねた口調で返すアルトに、『先生』は真顔で首を振った。

「いいえ。水虎は貴方だと、旦那様は決めております」

「……うぜぇ」

 ぼそりと呟いて、頭をがしがしとかきむしった。それは適しているからではなく、ただの押しつけだ。

 向き不向きを無視した、訳の分からない結論。アルトはそんなものは、欲しくなかった。

「とにかく、今日は嫌だ。レポートもあるし、学院に戻る。じゃーな」

「あっ、アルト様っ!」

 止める声も振り切って、アルトは『ゲート』を開いた。

 空気が変質し、混ざり合っていく。

 二つの世界が少しだけ重なって、自分の立ち位置がシフトする。

 それがゲートの機能。

 アルトにとっては普通の事だった。水虎になるためだけに育てられた、アルトにとっては。

 

◇◇◇

 

 転送できる場所といっても、どこでも、というわけにはいかない。

 アルトに許されているのは、自分の故郷以外には一つだけ。

 魔法学院ランティス。

 学院の学生でありながら、次期水虎としての教育も受けているアルトは、この学院の役目についても少しだけ聞いていた。

 曰く、監査官養成所だそうだ。

 魔導評議会の手足となる次元総括管理局の職員……特に監査官の養成を主目的として学院は解放されている。

 そしてもう一つの面は、隔離施設だった。

 生来魔力依存であるはずのない世界で、魔力を暴発させた人々をかくまう場所。あるいは、本来与えられた『運命』から外れた者を保護する場所。

 それが学院のもう一つの顔。

 そういった、世界の『ミス』は通常管理局で対処される。

 暴発によって殺人を犯した場合には、可能であれば蘇生魔法を、少なくとも記憶の操作を実施する。

 アルトの学院の友人の中にもそういった過去を背負う者は多い。

 決して、明るい学生生活が約束されているわけではない。

 それでも、アルトはこの学院が好きだった。

「……アルト? また、ドルトン先生の授業をさぼったんですね?」

 呆れたような声が後ろから聞こえた。

 アルトは振り返って、不機嫌な表情を浮かべる。

「さぼってねーよっ! あの水風船から教わる事は終わってんだからな!」

 学院のローブを羽織った双子の兄クオルに、アルトはびっと、指をさす。柔らかく光を通す金髪と、透明な青の瞳。アルトと瓜二つの顔で、クオルはため息をついた。

「そんなわけないでしょう。呆れますね、その無駄な自信」

「無駄かどうかは、見てから言えよな」

 ざわざわと、胸が熱くなる。自分の中の意欲が、体を動かす。

「今日こそ兄貴に勝つっ! 勝って、俺を兄貴と認めさせてやるからな!!」

 双子と言っても、明確なものなど何もない。だから、勝手にルールを敷いた。

 実力が上の方が兄だと。その座は、生まれてこのかた、クオルが占有していたが。

 ふう、とため息をついて、それからクオルは笑みを浮かべた。それは美しくも、ぞっとするような威圧感が織り込まれている。

「……ええ、是非そうしたいですね? ……勝てるのであれば」

 ひゅ、と小さく喉が鳴った。

 

◇◇◇

 

「……まったく、何度も同じことを言わせないでください」

 呆れかえった様子の声が、頭上から降る。

 学院でなかったら即死している衝撃からようやく回復した視界で、アルトは声の主を見上げた。

「ちくしょー……」

 自分と瓜二つの顔が、覗き込んでいた。

 そっと手を差し出して、声をかける。

「立てますか? アルト」

「るせ馬鹿!」

 ぺしっと、手を払いのけて、アルトはよろよろとしながらも何とか立ち上がる。痛みはあるが、出血や骨折はしていない。さすが、学院だ。

 学院は生徒や教師が魔力暴発で負傷しないように結界を張り巡らされている。そんな結界をアルトはある意味でうまく利用していた。

「覚えとけよ兄貴っ! 次は俺が勝つ!!」

「……何度も聞きましたよ?」

 苦笑する、現時点では双子の兄。クオル・フォリア。アルトにとっての最大の壁にして、たった一人の兄弟だ。

 アルトはクオルの言葉にぶすっとした表情を浮かべ、指を突きつけた。

「そーいってられんのも今のうちだけだ!」

「ええ、そうですね」

 さらりと肯定し、笑顔を見せるクオルにアルトのいらだちは募るばかり。

 クオルのみせるこの余裕が、腹立たしい。これでもアルトはアルとなりに懸命に努力はしているのだ。努力が成果に結びつかないだけで。

「でもアルト。言ってるでしょう?単発威力頼りではダメだって……」

「勝者の施しなんて受けてたまるか! そーいう兄貴が俺は大嫌いだっ!!」

 アルトの言葉に、クオルは沈黙し悲しげに目を伏せた。

 さすがに罪悪感が湧くが、アルトはぷいっと背を向けて歩き出す。背中も腕もあちこち痛む。そして胸の奥がちくちくと、痛む。

 いつもの事だ。だけど最近はなぜか、苦しくなる。

 疲れがたまっているのかもしれない。今日は早く休もう。そう決めて、アルトはとぼとぼと自室へ向けて廊下を歩いていった。

 

◇◇◇

 

 アルトとクオルは双子で、当然ずっと一緒に育ってきた。

 出来のいいのがクオルで、悪いのがアルト。

 誰の目にも明らかだとアルトは自分でも思う。

 魔法も勉強もクオルの方が上で、率直に自分の意見を言うアルトが周囲とぶつかるたびに仲裁に入るものだから、クオルの信頼は周囲からも厚い。

 頼りになる、といえばそうで。

 だからこそ、アルトは自分の好きなように振舞えていた。

「……お前はもう少しまともに勉学に励む気はないのか?」

 やれやれ、と頭を振る父。現在の四の座、水虎。

 アルトは仏頂面のまま、そっぽを向いた。

「きょーみない」

 学院から送付されてきた成績表を広げて、父は大きなため息をつく。

「お前は、いずれ魔導評議会、水(すい)虎(こ)として君臨せねばならんのだぞ。そんな甘えは許さん」

 その言葉に、アルトはぎゅっと手のひらを握りこむ。

「俺じゃなくてもいいだろ。つーか兄貴の方がよっぽど向いてる。俺より数段強いし、頭もいい。人付き合いだって上手い。それに」

「次期水虎はお前なんだ。お前がその座に就く。それは決定事項だ。あれに継がせる気は毛頭ない。甘えは許さん」

 いつも、そうだ。父親のくせに、クオルの事を「あれ」だの「それ」だの、まるで物のように扱う。それがいつも、悲しくて、悔しくて、腹が立つ。だからアルトは父親が嫌いだった。

 アルトの振舞の大半は父親への反抗心からくることを、知らないだろう。

「そのうち、嫌でも親父は兄貴を選ぶ。俺はその方が気楽でいーからな。早くその日が来るといいなーっと」

 くるりと背を向けながら、アルトはそう言った。

 すたすたと扉まで歩いていき、ドアノブをひねる。ちゃ、と扉が開き、ふと父親のつぶやきがアルトの耳に届いた。

「そんな日は永遠に来ない。アルト、いい加減覚悟を決めろ」

 アルトは振り返ることなく、出て行った。

 自宅にいるより、アルトは寮の部屋にいるほうが落ち着いた。自宅にいると感じたくもないプレッシャーばかりを感じてしまうから。

 それに何より、学院にはクオルがいる。それだけでアルトにとっては十分だった。

 

◇◇◇

 

 クオルはアルトより二年早く学院に入学している。学年という概念はないものの、アルトにとってクオルがいるかいないかは大きい。

 フォローしてくれる相手がいないのと、何より「兄」の権利を争奪することができなくなってしまうから。

 昔は、半分冗談みたいなものだった。

 だけど、いつからかアルトにとってはそれが本気で成し遂げなければならないものの一つになっていた。

 認められたい、と思うようになったからだろう。

 クオルの弟としてのアルトでも、次期水虎としてのアルトでもなく、個人を認めてもらいたくて。

 だから今日も、アルトは無謀だろうが、馬鹿と罵られようが、勝負を挑む。

「へー、キミがアルト?」

 その、はずだったのだが。何故か、見知らぬ男に話しかけられた。不機嫌な表情のまま、アルトは目を向ける。

「あはは、正反対だね」

 楽しげに一人で笑う、黒髪の男。目鼻立ちは整っているので、割と美形……だと思う。アルトにはよくわからないが。

 アルトが黙って睨みつけていると、男は笑みを浮かべたまま歩み寄った。

「でも、見れば見るほど瓜二つだね。すごいもんだ」

「兄貴の知り合いか? 俺は兄貴じゃねーから」

「知ってるよ。アルトだろう?」

 ……見るからに胡散臭く、気味が悪い。

 こういう場合、無視して進むに限る。そう判断したアルトは視線を外して歩き出そうとして、手首を掴まれた。

「なっ……離せ馬鹿!」

「おにーさんなら留守だよ」

「は……?」

 意味が分からず、思わず男を見やった。身長差があるので、見上げてしまう。

 男は苦笑して、頷く。

「その間、ちょっとだけ君の世話を言いつかったんだ」

「なんで俺が世話やかれなきゃいけねーんだよっ?!」

「心配なんじゃないかな?」

「よけーなお世話だっ!」

 ばっと手を振り払って、憤慨しながらアルトは歩き出す。一歩一歩に怒りを込めながら床を踏みしめるアルトの後ろを涼しい顔をして男がついてくる。

「まぁまぁ、少し落ち着いて。ね、アルト」

 無視して歩を進める。それで心が少しでも折れてくれればいいのだが。

「そんなに遠出するつもりはないって言ってたし、機嫌直しなよ、弟君」

 徹底的に無視。関わりたくないと背中に書きたいくらいだった。大体、クオルがいないから機嫌が悪いわけじゃない。

「せっかくの可愛い顔が台無しだよ、あーちゃん?」

「ふざけた名前で呼ぶなっ!?」

 耐え切れず振り返って怒鳴りつける。すると男はくすくすと楽しげに笑うだけ。

「返事しないのが悪いよ?」

「どっか消えろ。鬱陶しい。俺はお前になんて一秒たりとも関わりたくない」

「僕はそうでもないよ? 自己紹介がまだだったね」

「お前の名前なんて知りたくもねーし?!」

「シスだよ。よろしくね、あーちゃん」

「……だああああぁぁぁっ!!」

 臨界点だった。アルトは頭をかきむしって、言葉にならない感情を吐き出した。

 

◇◇◇

 

 不機嫌をそのまま顔に出したアルトは学院の屋上にいた。

 塔の最上階にあたる屋上は円形で、高層にあるせいで風も強い。学院から支給されるローブの裾が風にあおられ大きく翻る。

「ところで、あーちゃん」

 アルトは黙ってそう声をかけた主を睨みつける。シスが真意の読めない笑みを浮かべたまま、尋ねる。

「あーちゃんは、四元の章が使えるんだよね?」

「何で知ってるんだよ」

 思わず返答してから、アルトは自分の心の中で舌打ちする。かまをかけられたのかもしれないのに。

「知ってるよ。だってあーちゃんは、水虎の子供だろう? 水虎は代々四元の章を継承する。違った?」

 シスの言葉にアルトは唖然とするしかなかった。シスの言っていることは正しい。だが、あまりに詳しい。

 アルトの不審に気づいたのか、シスは肩をすくめた。

「僕は監査官なんだよ」

 シスの答えに、アルトはようやく合点する。

「……だから、兄貴に頼まれて俺の面倒を見ようってか?」

「違うよ。ああ、頼まれたのはそうだけど。頼まれたところで、僕には断る権利がある」

「でもお前は結局それを受諾したんだろ」

 ぷい、と背を向けて、アルトは訓練へ頭を切り替える。シスにかまっていたって、デメリットこそあれ、メリットなどあるわけがない。

「面白そうだったからね」

 全然納得のいかない答えが返ってきただけだった。

 多分、どんな答えだって納得はできないんだろうけども。

 シスはそうやってどうでもいいくだらない話題を振りながら、付き人のごとくアルトの行動について回っていた。

 結局ろくに集中出来ず、アルトは早々に訓練を引き上げた。

 何も言わずして、シスはアルトの後ろをついてくるのだから、約束に忠実というか。アルトからしてみれば鬱陶しい。

 渡り廊下のある二階までたどり着き、アルトはぐるりと振り返る。

「……監査官のくせに、仕事行かなくていーのかよ」

「あれ? 心配してくれてるんだ?」

「どーいう思考してんだよお前っ!?」

 むしろ邪険に扱っているはずだ。心配なんて微塵もしちゃいない。あえて、そんなはぐらかし方をしているんだとしたら、余計に腹が立つ。誰も世話なんて頼んでいないのに。

「どうせなら意味のある仕事をしないと人生つまらないよ?」

 アルトの苛立ちを知ってか知らずか、シスはそんな事を告げる。

「じゃーとっとと監査の仕事に戻れ」

「あれこそ、意味なんてないよ」

 軽く肩をすくめて言い切ったシスに、アルトは一瞬呆気にとられた。まさか、監査官の口からそんな言葉が出るとは予測もしていなかったのだから。

「意味がない……?」

「そうだよ。特に管理監査なんかしてると、死に際の世界しか行かない。維持するのが精一杯で崩れ始めてるものばかりに意味なんてあると思う?」

 返す言葉が浮かばなかった。言っていることは、確かにその通りで。だとしても、素直に頷けるわけはない。そのための監査官で、それを監督・指示するのが魔導評議会なのだから。

 ここでそれを肯定したら、父親を否定することになる。ひいては、自分も。

 世界の記憶回収をして、循環させるだけのために管理監査官はいる、と断言しても過言ではない。

「……あーちゃんは、そんな議員にだけは、ならないでよ」

 ぽん、と頭に手を置かれアルトはシスを見やる。

 意外と大きくて、温かい。それが何故か、酷く胸をえぐる。

 そういえば、父親にさえ撫でられた記憶がなかった。

「俺は議員になんて、ならない」

 シスを拒絶するように、アルトは跳ね付ける。シスはそっと手を離すと、小さく頷いた。

「いいよ。別に。あーちゃんが議員になるかならないかなんて、僕にとっては些細なことだし。ただ、なる気があるなら……そうあってくれたらいいなってだけ」

 期待してるとかそういうんじゃない、ということなのだろう。

監査官ならばシスだって分かっているはずだ。議員に向いているのはクオルの方だと。人柄も能力も、何もかも。

 途端に劣等感に苛まれる。ぐっと手のひらを強く握りしめ、アルトは目を伏せた。

「あーちゃんは……」

 ぽつりと、シスが言う。

「あーちゃんにしか出来ないことがあるよ」

「そんなのない」

「今はそうかもね。でも……いつか見つかるよ」

 アルトはようやく顔を上げて、シスを見やる。相変わらずの、信用ならない笑みを浮かべてシスが首を傾けた。

「……なんでお前はそんなに俺に構うんだよ」

 若干、呆れも含めた言葉だった。自分でも嫌になるほど卑屈だというのに。

 それに対するシスの答えは至極簡単で。

 だけど、多分シスだから迷いなく返した答えだった。

「そんなの、面白そうだからに決まってるよ」

 今日初めてアルトは笑みをこぼした。

 あまりにも、馬鹿らしい答え。だけど、何より信用できる言葉だと感じたから。

 

◇◇◇

 

「げ、なんでシスがいんのさ。気分悪ぅ」

 食堂に向かう道すがら出会ったのは桃色の髪をひとまとめにした少女。外見的な年齢はアルトより年下だ。

 食堂利用時間は特に指定されていない。給養担当の職員が常駐して、希望に応じて調理をしてくれる。もちろん魔法で行うので時間はほとんど掛からないのが特徴だ。もちろん食費は学費込。

「それはほとんどお互い様だけどね」

「そっか。ニナも監査官のはしくれだからこの馬鹿とは知り合いか」

「そうだよ。……なんで一緒にいんの?」

 年上だろうが上司だろうがニナの態度はこれだ。ニナが態度を正すのは保護者のファゼットという監査官だけであとはこの通り。敬いの精神など皆無で接してくる。

「おにーさんに頼まれて、あーちゃんの世話役してるとこ」

「あーちゃん?」

 ニナが怪訝そうにアルトを見やる。アルトは慌てて首を振った。

 そしてシスを見やって、怒鳴りつける。

「それで呼ぶなっつったろーがっ!!」

「あーちゃんの方が可愛いしね」

「聞いてんのかお前っ!?」

「嫌だなぁ、そんなに喜ばなくてもいいよ」

「聞けよ話ッッ!!」

 アルトの逆鱗を受け流してシスは楽しげに笑うだけだった。

 ニナはぽかんとした表情を浮かべていたが、やがて、

「あはははは!! 遊ばれてる、アルトが遊ばれてる!!」

 背中を向けて、ニナは腹を抱えて笑い出した。

「笑うなッ!!」

 目じりに涙を浮かべながら、ニナがアルトに視線を寄越す。まだ笑いは収まらない様子だった。

「無理、おなか痛い。ほんとマジ面白い。最高。まぁまぁ、良かったじゃん。構ってくれる人が来てさー。良かったね、あーちゃん」

「ぐ、う……だああああっ!!」

 本日二度目のアルトの絶叫だった。

 

◇◇◇

 

 周囲から奇異の目で見られるという苦痛を味わいながら、アルトは疲れ果てた顔で自室への道を歩いていた。

 もちろん、右斜め後ろ五メートルと離れずシスが付いている。至極自然に。

「お疲れだね、あーちゃん」

「お前のせいでな……」

「褒めてもらってどうもね」

 褒めてない。だが言い返す気力さえない。

 学院では学生は全員が寮で生活する。二人で一室。アルトのルームメイトはドゥーノという。人間ではない種族で、本人の世界では『メギレス族』と呼ばれる、精霊と人間のハーフという存在らしい。

「面白い人だね、アルト」

 くすくすと笑いながらアルトの横を歩いているのが、ドゥーノだ。

 姿こそ人間だが、中身はまるで違う。メギレス族は精霊の目であり、手足なのだという。ドゥーノという目を通して世界を見て、口を借りて言葉を交わす。他の精霊を倒すために、時には争いさえ実行する。

 つまり、ドゥーノ自身には『意思』がないのだ。

 『ドゥーノ』という精霊の動かすパーツに過ぎない。

「面白くもなんともない。何なら代わるぞ」

「僕はあーちゃん以外の世話する気はないよ?」

 ドゥーノが言葉を返す前に、シスが答えてしまう。アルトがふるふると肩を震わせながら、黙っているのを見やって、ドゥーノは笑みを浮かべる。

「だってさ、アルト。いいねー、愛だねー」

「気色悪いこと言うな?!」

 腕を抱くようにしてアルトが拒否する。ドゥーノは一人楽しげだ。

「アルトの事よろしくね、シスさん」

「頼むなっっ!」

 本人を放置で回りが結託していくさまが、アルトには気に食わない。

 そんなやり取りをしているうちに、自室の前へ辿り着く。

「じゃーなっ、とっとと帰れよ、変態ッ」

 シスにそう吐き捨てて、アルトはさっさと逃げるようにして自室へ滑り込んだ。

 部屋はパーティションで仕切られてはおらず、ただ左右で住み分けをしているだけだった。右がアルトで、左がドゥーノ。

 線が引かれているわけでもないのに、対照的な部屋がそこにある。

 ごっちゃに物が置かれたアルト側と、生活感さえ皆無なドゥーノ側。

 入った瞬間にどちらかがわかる。

 アルトは自分のベッドまで足早に歩き、そのままベッドに倒れこんだ。

「疲れた……もうマジ疲れた」

 うつぶせのまま枕に顔をうずめて愚痴を吐き出す。

 今日は一日、シスに調子を狂わされっぱなしだった。

「喉乾いた……」

 枕の羽毛の中に呟いて、アルトは顔を上げる。部屋にはガスや給水設備はないので、共有場所である休憩室か調理室にいくしかない。

 正直、面倒だった。そこまで求めていないのかもしれない。

 ごろりと転がって、仰向けになる。見慣れた木の天井が見える。

「ドゥーノ遅ぇな」

 シスとどうでもいい情報共有でもしてるんだろうか。意外とドゥーノは面白い事だったら色々と手を貸していくタイプだ。

 そう思い当たるとアルトは体を起こして慌てて扉に駆け寄った。これ以上面倒な展開はごめんだ。

 勢いよく扉を開けると、シスとドゥーノがそろって視線を向けた。

 何か、話していた様子で。

「何の話してんだよっ」

「あーちゃんは可愛いねって話。どしたのあーちゃん。何かあった?」

 しれっと言い切ったシスで、何故か落ち着きを取り戻したアルトは、言葉に詰まる。藪蛇だけは避けたい。

「別に、喉乾いたから、茶でも取りに行こうかと思っただけ」

「そっか。じゃあ僕が用意してきてあげるよ。ドゥーノと部屋で待ってて」

「自分で行くってのっ!」

「いいからいいから。ドゥーノ、あーちゃんと待ってて」

「え、あ。うん。おっけ」

 何故か歯切れの悪い返事で、ドゥーノは頷いた。アルトの訴えを無視して、シスは歩き出していった。

「……何の話してたんだよ」

 ぽそりと、アルトがドゥーノに問いかける。

 ドゥーノは驚いた様子で、アルトに目を向けた。

 そして、ドゥーノは小さく笑う。

「アルトの好みを教えてただけだよ。食事とか、お茶とかね」

「いらねーこと教えんなよ……」

 がっくりと肩を落としたアルトに、ドゥーノはくすくすと上品に笑う。

「執事ができたと思えばいいじゃん。アルトは自宅で慣れてるっしょ?」

「あんな鬱陶しい執事もメイドもうちにはいない」

 むしろ淡白な接し方しかしてこないのが通常だった。明確な線を引かれていた、あるいは自分で引いた。

 シスは、その線を軽く踏み越えてくる。鬱陶しくて、若干、怖い。

 ドゥーノは苦笑しながら、アルトの脇をすり抜けて部屋の中へ。アルトはそれを視線で追いかけ、扉を閉める。

「アルトの事、気に入ってるんだね。楽しそうだもんね、あの人」

「いいおもちゃでも見つけたと思ってるんだろーな」

 ドゥーノが静かにベッドに腰掛け、アルトはばふっと勢いよくベッドに座り込んだ。

 片膝を立ててブーツの靴紐を解きながら、アルトは言う。

「俺はあんな馬鹿に構ってる暇なんてこれっぽっちもないってのに」

「あはは、『兄貴に勝って、俺を兄と認めさせる』だっけ?」

 頷いてブーツの右足をぽい、と床に放る。続いて左足。

「そしたら、アルトがクオルって呼んで、クオルが……兄貴……っていいそうにないなぁ」

「呼ばせてやるんだよっ」

「アルトだって兄貴とか呼び続けそうだし」

「しねーよっ」

 左足分も放って、アルトは肩を回した。

 ふと、ノックの音。

「あ、どーぞ。開いてます」

 ドゥーノが答えると、扉ががちゃりと開けられる。

 トレイにちゃんと二つカップを乗せたシスがいた。

「うわぁ……」

「なんだよ」

 シスはやれやれと頭を振る。すたすたと見えない境界線の中心を通り、窓際に二つ並んだ机の左側、ドゥーノ側にトレイを置く。

「あーちゃん」

「だからなんだっつーの」

「手とり足とり教えてあげるから自分で片づけるのと、あざとい感じで僕に片づけをお願いするのとどっちがいい?」

「なんだその二択はっ?!」

 シスは笑顔でアルトに言い切った。

「あーちゃんをゴミ屋敷の主のままではいさせないよ?」

 本日一番の威圧感を出していた。

 

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