第五話 終焉の真実

 

 丘の上にあった打ち捨てられた家屋の床下。直径四十センチほどの武骨な形状をしたソルナトーンはそこに隠れていた。

 ブレンが回収している間、その場には沈黙が降りていた。

 ちらりとクオルの横顔を確認すれば、顔色が見るからに悪い。

 先ほどした話がエージュの脳裏をよぎる。世界を渡るための船。それがクオルの感情を害したとは、考えにくかった。

 もっと根本にあるもの……任務そのものに対する、感情のような。核心はないが、エージュはそう考えざるを得なかった。

「流石に重いですね」

 苦笑したブレンに、クオルは淡く微笑む。

 どちらかと言えば黙って会話を聞いていたブレンにしては珍しく、実に些細な感想を述べていた。

 ただ、エージュにだってその意味は分かっていた。

 クオルを気遣っての言葉だと。ブレンはそのために居るといっても、過言ではないのだから。

 だが、エージュの中では問いかけたい疑問で溢れていた。聞けるタイミングが、ないままに。

 

◇◇◇

 

 回収を完了させると、一行は休む間もなく次へと向かった。していること自体は、難しいものではなかった。

 ソルナトーンのある場所まで出向き、回収するだけだ。むしろ簡単すぎると言ってもいい。

――ただ、クオルの様子は少しずつ変化していた。

 通信端末を取り出し、しきりに時間を気にしている。エージュにはそれが気になり始めていた。

 この世界に来て、三時間が経過しようとしている。

「四つ目は町中なんだねー。あっ、見てエージュ! すごいよ! 水晶で出来た剣なんて珍しい」

 通りに当たり前のように並ぶ武器屋の軒先を指さして、ソエルが声を弾ませる。

 この世界に来て初めての街で、少し浮かれているのかもしれない。最も、賛同は出来る。水晶は割れやすく、加工が難しい。

 その上、ソエルの示した剣は水晶をいくつか繋ぎ合わせているようで、接合面が残る。接合させたうえで強度を保つのだから、加工技術の高さがそこから窺えた。魔法はともかく、技術は優れている世界なのだ。

「……世界を渡る船を造るってのも、説得力あるな」

「そだねー」

 通りを歩きながら、会話を弾ませる二人をよそに、クオルは晴れない表情をしていた。

 ふと、クオルが足を止める。ブレンはすぐにそれに気づいて、声をかけた。

「クオル様?」

「……ブレン……お二人を連れて、先に、戻っていてもらえませんか?」

「それは、駄目です」

きっぱりと告げ、ブレンは毅然とした態度で首を振る。

クオルは悲痛な表情を浮かべて、ブレンを見やった。

「僕なら大丈夫ですから。だから」

「そういう問題じゃないでしょう」

 只ならぬ二人の様子に、エージュとソエルが気づいて、戸惑いながら黙った。

 街並みに明るくなっていた気持ちが、再び暗くしぼんでいく。緊迫した空気を、肌で感じる程だった。

「でも……あんまりじゃないですか」

「そうなる可能性を分かってて、ジノさんは支援を送ったんじゃないですか?」

「僕は嫌です。そんな結末は、今知る事じゃない。だったら……!」

「それは、もっと駄目です」

 ブレンの口調が強くなる。クオルは小さく呻いて、顔を伏せた。

 震えを抑える様に、腕を抱くクオル。その様子に、エージュは不安を覚えた。

 行き過ぎる人々は、足を止めたエージュたちを怪訝そうな表情で見つつ、すり抜けて行く。一つため息をついて、ブレンは幾分優しく、クオルに語り掛けた。

「……貴方はもう少し、自分の体を大事にしてください。じゃないと、本当に必要な時に動けませんよ」

「今は、本当に必要な時じゃ、ないってこと……ですか?」

 俯いたまま問いかけたクオルに、ブレンは表情を曇らせた。

 だが、無情にも頷く。

「はい」

「そんなわけ、ないじゃないですかっ……だって、だってこの世界は、もう……!」

 クオルが言いかけた時、どこからともなく、地鳴りが響いてきた。

「じ、地震⁈」

 ソエルが悲鳴にも似た声を上げる。

 微かに揺れる、地面。普通の地震とは何かが違う。

 エージュは直感的にそう感じた。

かつて、こんな感覚を体感した様な気がする。近くて遠い記憶の中で、こんな揺れを……。

「まさか……冗談だろ⁈」

 エージュは鋭い声で叫び、慌ててクオルへ目を向けた。

 そんなエージュの視線を静かに受け止め、クオルは諦めたような笑みを浮かべた。

「世界が、壊れます。この世界の命が、終わるんです」

 ぞ、とエージュの背筋を怖気が駆け上がった。

 世界の崩壊。それはかつて見た、絶望の光景で。二度と思い出したくもない記憶が、エージュの脳裏で自動再生される。

 最早カラーでは思い出せない記憶。白黒で、すり切れたテープのように飛び飛びの映像。だが、その中でも鮮明な記憶が、過ぎる。

 足を取られて、転んだ妹。必死に震える手を伸ばす、涙で濡れた顔。

『お兄……』

 妹は、最後まで言う事なく、エージュの伸ばした手の先で、消えてしまった。光の粒となって、消失した。

「……ふざけんなっ‼」

 忌まわしい過去を振り払うように叫ぶ。

 肩で息を整え、エージュはクオルへずかずかと歩み寄った。クオルはほんの少し怯えたような気配を滲ませ、歩み寄るエージュを茫然と見つめていた。

「助けろよっ……俺を助けてくれたみたいに、貴方なら、できるだろ! 頼むから‼」

 それはエージュの願いであって、目標だった。

 エージュは、クオルに救われた。崩落する世界から、命だけは救ってもらえた。絶望の淵にいながらも、エージュは生きる道を見出せたのだ。クオルを目標とすることで。

 だから、監査官となることを決めた。自分と同じような経験がひとつでも減るように、エージュはクオルと同じ、監査官の道を選んだのだ。今の自分では、確かに何もできないと分かっている。でも、出来る人が、今目の前にいる。あの時自分を救ってくれたクオルが、今目の前に、いる。

 だからこそ、エージュはその希望を頼るしかなかった。監査官として、世界を、世界に住む人を守りたいという一心で、クオルに懇願する。

「お願いです。助けてあげてください。生きてるんですよ。まだ、みんな死にたくないはずです!」

「エージュさん……」

 クオルがこの任務間ずっと浮かない顔をしていたのは、この結末を分かっていたからだ。

 それをようやくエージュは理解していた。気持ちは同じはずだと信じるからこそ、頼るのだ。

 しかしクオルは答えを渋った。だが、そんなクオルがちらりとブレンを一瞬だけ見たのを、エージュは見逃さなかった。

―――だから、

「行ってください」

 クオルとブレンの間に割って入って、エージュはそう言った。

 ソエルは唖然として、動けない。驚いた表情を浮かべるクオルと、目を細め冷たい視線を向けたブレンの間で、エージュは言う。

「貴方にしかできないことを、貴方が、その力を持つからこそしなきゃいけないことを、やってください‼」

「この力で、しなきゃ……いけない、こと……」

 噛み締めるように呟いたクオルの声が聞こえたのだろう。ブレンの気配が鋭さを増す。

 それは最早殺意に近い。

「事情も理解してない奴は、黙ってろ」

 ぼそりと、低い声でブレンがエージュへ言い放った。

 怯みそうな自分を押し殺して、エージュは黙ってブレンを睨み付ける。

 徐々に地鳴りが強くなり、揺れも大きくなってきていた。残された時間は少なくなりつつある。周囲の人々は地震だと口々に叫びながらパニック状態に陥っていた。

「クオル様の力をお前が定義するな。その力で、『しなきゃいけないこと』なんて一つもないんだ」

「救える力を、無駄にする馬鹿がいるかよ!」

 それじゃ何のために監査官がいるのか分からない。監査官は世界を守るためにいるのだと、エージュは信じて疑わないのだから。

 反論するエージュに、ブレンは苛立ちを募らせているようだった。

「行こう、クオルさんっ!」

「えっ……」

 不意にソエルがクオルの手を引いて走り出した。エージュの気持ちを汲んでの行動だろう。

 心の中で、エージュはソエルに感謝した。そして、自分はブレンの行く手を阻む。

 走っていく二人を見やって、ブレンはため息だけをついて、エージュに言った。

「貴方は、分かってないんですよ。……崩壊する意味も、貴方を救ったような力をふるう意味も。貴方の発言が、あの人にとってはどんな意味を持った言葉だったのかさえ、分かってない」

 答えず、エージュはただブレンを睨んだ。

 ブレンは確かに自分より多くを知っているのだろう。クオルについてだって、遥かに理解している。そんな事は、分かっていた。

 それでも、エージュにも信念があった。

「俺は、あの人にこんな風に無残に壊れてく世界を救って欲しいだけだっ!」

「貴方が、監査官を目指す理由はそれなんですね」

 冷静なブレンの返答が、エージュの心に怒りを灯す。自分には理解できないと言いたげな視線が、許せなかった。

「悪いかよ! 俺は、あの日、あの人に助けられなかったら、とっくに世界と一緒に消えてなくなってた。たった一人しか助けられなかったのは、管理が人手不足だからだろ! だから俺は、二度と、『たった一人だけ助かった』なんて結果、見たくないんだよ! 」

 エージュの生まれ育った世界は崩壊した。本当の意味での故郷は、エージュにはない。帰る場所がないのだ。それは物理的なものだけではなくて、魂の還る場所さえ、ない。

 だが、それでもエージュは今も生きていられることを、ありがたく思うのだ。

 クオルに救われた事を、今でも感謝している。ただ、それだけだった。それだけで、エージュは監査官を目指す十分な理由を持ったのだ。

 それでも、ブレンは首を振った。

「……貴方は、運が良かったんです。いえ、運じゃないかもしれない。本当に強いから、かもしれない。でも……ほとんどの場合は、そうじゃない。貴方のようにいられる人のほうが余程少ないんです。それを、分かってない」

 平行線だった。クオルをずっと見守っているブレンが、エージュの願いを理解できないはずがない。

 エージュを救ったクオルを、知っているのだから。それでも、クオルに能力を揮わせることは受け入れがたいのだろう。

 ブレンは小さなため息をつくと、エージュへ冷静な声音でいう。

「今はクオル様と貴方のパートナーを追いましょう。このままでは、こちらも無事では済みません。早く合流しないと、世界もろとも、私たちも消えます」

「ゲートパスがあるだろ」

 ゲートパスさえあれば、転送できる。確かにエージュやソエルが来られるレベルの世界ではないとジノから聞いている。

 だが、緊急離脱用コードが残されている。本部からの指示で強制的に本部へ連れ戻す最終手段だ。

 ブレンは静かに首を横に振る。

「いいえ。ここはすでに緊急離脱コード圏外です。使えるのはAランクパス以上のものだけ。……私はそもそもパスを持ってませんし」

「はっ⁈」

 パスを持ってない? 意味が分からない。ゲートパスを持たない者が、ゲートを使えるわけがないのだ。上層部が許可でもしない限りは。

 絶句するエージュに、ブレンは告げる。

「それとも貴方はここで、消えたいんですか?」

「っ! ちっ……!」

 死にたい、ではなく、消えたい。そうブレンは問いかけた。

 死より恐ろしいのは、魂さえ残らない、消失だ。世界と共に滅びた者の、末路。

 エージュは舌打ちして、ブレンに不本意ながら頷いて見せた。

「時間がありません。急ぎましょう」

 そうして、二人は走り出した。

 

◇◇◇

 

 ソエルの端末位置を追尾しながら、大通りを抜けた先には、先ほど丘から見えた煙突のついた建物があった。

 その入口で、大勢の人が身を寄せ合って震えていた。

 何が起きているのか、ほとんどの人間は理解できていないのだろう。ただ、不可解なのは建物の入り口で途方に暮れている人間が大勢いることだ。どう見てもここは工場で、こんなところに避難すべきではなかった。

「何でこの人たちはこんな所に……?」

 不思議に思いながら周囲を見回して、エージュは呟いた。

「造船所、だそうです。この世界から逃げ出すための、船です」

「クオル様っ!」

 エージュの疑問に返答をした主にいち早く反応して、ブレンが駆け寄る。

 クオルがソエルと共に、いた。ソエルがエージュを心配そうに見ていたが、エージュは大丈夫、と頷いて見せ、歩み寄った。

「ブレン、ごめんなさい……でも」

「貴方の意思で、そうしたいんでしょう?」

「……出来ないとは、言えませんから」

 淡く微笑んだクオルに、ブレンは呆れた様子でため息をついた。

「分かりました。リミットは解除しませんよ。……それと、もしもの時は……その責は、私も引き受けます。それだけ了承してください」

「はい。……ありがとう、ブレン」

 クオルとブレンはエージュたちには不可解なやり取りを交わしていた。

 そしてクオルはエージュへ向き直ると、軽く腕を広げ、問いかけた。

「この世界の人口、およそ三十四億人。その全員を連れて、かつ生活を維持するためにどれだけの規模の移動手段が必要か、分かりますか?」

「え? ……少なくとも、こんな小さな建物にあるもんじゃ、足りるわけな……」

 言って、自分で青ざめる。そう。足りるわけがないのだ。こんな、小さな、船では。ここで嘆き、おびえている人々は、それに感づいてしまったのだろう。

 言葉もないエージュに、クオルは微笑んで、頷いた。

「大丈夫です。……最善は、尽くします。でも……約束は、できません」

「え……何、言って……?」

 エージュが問いかけるより先に、クオルはその手に杖を握った。

 月を模した、杖……―――ムーンクレスタ。

 きぃぃん、と甲高い音が、鳴り響く。広域転送術の音だ。

 ゲートが、開く。

 それは、かつてエージュも自分の目で見た、世界の終わりと変革の、一瞬だった。

 

◇◇◇

 

―――……ぃぃん。音が遠ざかり、空気の香りが変化したのを感じ、閉じていた眼を開く。

「ここ、学院の……外の森だ」

 ぽつりと、ソエルがこぼす。いつの間にか、エージュの傍に寄り添っていた。

 何か、怯えている様子で。エージュは周囲を見回す。

 ゆうに、二百名を超えていたであろう人々の姿は、半数以下になっていた。エージュとソエルの足元で、倒れている人もいる。

 いくら高レベルの監査官といえど、簡単には転送はできないということだろうか。その事実が、エージュを少しだけ落胆させていた。

 勝手な期待だが、クオルには完璧を求めている自分がいるのだ。ただ、ひとまずは、倒れている人の介抱をする必要があった。

「おい、大丈……」

 すぐ近くにうつぶせに倒れていた、青年の脇にエージュはしゃがみこむ。青年の肩に触れ揺すった瞬間、

 

 ずるり――

 

 肩が溶けるように崩れ落ちる。エージュの手は、その勢いのまま、肉片ごと地面へ触れる。崩れた肩から、堰を切ったように血があふれ出し、エージュの手首から先を赤に染めた。

「ひっ……⁈」

 ソエルの押し殺した悲鳴が、茫然となったエージュの耳にも届く。

 何だ、これは? ゲートの不具合が起こると、こうなるとでもいうのだろうか? 聞いたことがない。こんなのは。

 震える手を戻そうとして、骨の先端が、指先に触れた。

「うっ……‼」

 その感覚に嘔吐感がせりあがって、エージュは手をすかさず払って、目をそむけた。立ち上がって、数歩下がって、頭を振る。今見たもの、感じたものを振り払いたくて。

 心拍数が跳ね上がる。訳が分からない。転送に失敗した? それとも、もともとあの世界はそういう脆さで成り立っていたのか? 

 答えを求めて、エージュは涙がにじんだ瞳でクオルを探す。

「え、エージュ……」

ソエルが震えながら、エージュにしがみつく。

エージュは懸命に自分を奮い立たせ、ソエルを励まそうと視線を向ける。

「……は……?」

 ソエルの向こうに見えたものに、今度こそエージュは絶句する。

 白の、小柄な姿が見えた。見間違いようがない。クオルだ。

 その手には、蒼い透明な美しい刃を持つ、鎌が握られている。それを、水平に振りぬく姿。

 同時に、ばしゃんっ、と赤が広がる。白が赤に染まった。まるで血のような赤。

 だが、切り捨てたのは、どう見ても人間ではなかった。

 それはまるで、人を一度バラバラに崩して、もう一度組みなおしたような、歪な存在。

――人ならば、足は背中から生えたりしない。

「……クオル様っ!」

 ひゅん、と空気を裂いて、エージュのすぐ脇を、小さな竜がすり抜けた。

 蒼い竜が赤いまだら模様の法衣をまとうクオルの傍へ寄る。疲れたような、うつろな瞳で、クオルはその竜へ目を向けた。

「クオル様、どうしてこんなっ……」

「ライヴ……」

「ライヴ、すみませんが、クオル様を連れて学院へ先に行ってください。……あとは、私がやっておきますので」

 クオルより少し遠くにいたブレン。やはり、その姿も赤に染まっていた。

「でも……これは、僕が……」

「約束、しましたよね?」

「……」

 口を濁したクオルに、ブレンが淡く微笑み、首を振る。

「大体、貴方のせいでもないんですから。それに、あの二人に事情を説明する人間も、必要です」

 ブレンがそう言って、エージュたちを示す。

 思わず二人でびくっと身を震わせていると、ライヴと呼ばれた竜が視線を寄越して、一つ頷いた。

「分かりました。……行きましょう、クオル様」

「……はい。ごめんなさい、ブレン……」

 ブレンは再度首を振った。

 クオルは鎌を消し振り返ると、エージュにひたりと視線を合わせて、そして、微笑んだ。

 とても……申し訳なさそうに。

「ごめんなさい。……助け、られなくて。……こんな風に、なってしまって……」

 べしゃん、と重いものが落ちる音がした。ソエルが小さな悲鳴を上げる。そろそろと視線を向ける。木から落ちた『何か』が見る間に赤を広げていた。

 この場所に広がっていたのは地獄そのものの、光景だった。

 

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