第三話 白い虚像

 

 小さな祭壇があるだけの、本当にささやかな神殿だった。

 すたすたとアルトは奥へと進む。二人も置いて行かれないように慌てて続く。

――祭壇の前には、少女がいた。

「……お前が、そうなんだな」

 アルトが言うと、少女は振り返った。

 全身が真っ白な少女。腰まで届く白銀の髪と、真っ白な衣装。そして、透き通るような白い肌。瞳だけが薄い緑色に色づいて、彼女の白をより強く印象づける。長いドレスは彼女の均整の取れたボディラインをそのまま辿っている。

 存在そのものが、幻想的な少女だった。

「貴方じゃない」

 雰囲気に反して、その言葉は冷たいものだった。

 アルトは気に留めた様子もなく、淡々と言い返す。

「そうだろーな。俺は、お前の契約者じゃない」

「そして貴方は、その資格を永遠に失った」

 今度はエージュへ向けて、少女は微笑んだ。

「それなのに、何をしにきたの」

 どことなく強い口調で、少女は問いかけた。それは拒絶とも取れる態度だ。

 だがアルトは毅然とした態度で返す。

「あるべき場所へ帰って、契約者との契約を履行してもらうために来た」

「契約者はしょせん王の分限者。分限者はね……元の権者がいなくちゃ意味がないの。そんなこともわからない議会じゃないでしょう」

「分かってるよ」

「なら、今自分が言った無駄な言葉を訂正したほうがいいわね」

 くすくすと肩を揺らして優雅に笑う少女。

 対照的にアルトは言葉に詰まった。

 だが、そのやり取りにソエルがぽつりと呟いた。

「王の分限者って……王って、『世界の王』のこと?」

 ソエルの呟きに、エージュは目を見開く。

 王が少女の言う元の権者であるなら……今の少女の発言の意味は。

「王が、いないのか? もしかして」

 自分で言って、ぞっとした。

 王がいないということは、自分たちの世界を統べる存在がいないという事だ。

 管理局が必死になって世界を守ろうとしたって限界が出てくる。所詮管理局は、王の補佐をするに過ぎないのだから。

 そんなエージュに対し、アルトがぎろりと目を向けた。

「誰がそんなこと言った。鵜呑みにすんな。そもそも、言葉なんて意味がない。お前と俺が正しくこいつの言葉を認識できてるかなんて、誰も証明できやしないんだ。言葉が交わせるなんて幻想は、こいつの前では捨てろ」

「そうね。言葉なんて幻想。でもね、そう告げているあなたの言葉さえも幻想だとも言えない?」

「お前の言葉遊びに付き合ってる暇はない。とにかく、お前はお前のすべきことがあるだろ」

「私の仕事なんて、貴方たちで十分出来てるじゃない。それに今更、王が必須でもないでしょ?」

「な……に?」

 アルトは少女を凝視する。

 少女は目を丸くする。よほどアルトの発言が意外だったように。

 そして、意地悪く微笑んだ。

「そう。貴方はまだ真実に目を背けていたのね。だからこんな無駄な追跡なんてしてる。まだ、世界の本当の形を理解してない」

 言っていることの半分も理解できない。

 だというのに、何故か少女の言葉が、エージュの心に深い杭を刺した。

――重い、沈黙。

「ぷ……あは、あはははは!」

 唐突に、少女は腹を抱えて笑い出す。

 あまりの出来事に、アルトも含め三人は固まった。

 少女はしばし笑い続け、やがて目じりに浮かんだ瞳を指でそっと拭い取った。

「ほんとに、面白いなぁ。本当に面白いのばかりを集めるんだから、王は」

 少女は笑いを収めて、人懐こい笑みを向ける。

 先ほどとは打って変わって、どこか子供っぽさの見える笑みだった。

「そう。世界なんて幻想だし、言葉なんて幻。でもそんな世界を貴方たちは望んで、王の世界にいる。でも、惜しいなぁ。本当に、残念」

 少女が一歩、踏み出す。

 白い衣装が歩みに儚く揺れた。

「貴方ともう少しだけ早く出会えていたら、私は貴方を選んでいたのかもしれない」

 白の衣装をなびかせて、少女は、エージュの前に立った。

 エージュは少女の瞳から、目をそらせなかった。

「いいえ。貴方しかいなかった、のかも」

「何……が……」

「過去の話。とても残念な、ね」

 理解できないで固まるエージュに対して少女はくるりと背を向けた。

 少女は不服そうに仏頂面をしたアルトに視線を向けて、肩をすくめた。

「分かってるわよ。心配しなくても、戻るわ」

「デュラハンを放逐しといて言うセリフか」

「貴方こそ、議員ならもう少し落ち着いて行動なさい」

「うるさい」

 少女を睨み、アルトはそれきり口を閉ざした。

 外見こそクオルと同じだが、その中身はまるきり逆だ。

 それがエージュの中では戸惑いとして先行する。

「ふふ。そうやって子供みたいにくるくる感情を変化させるのは、人としては正しいんだけどね。監査官には向いてないわよ」

 ついっと視線をそらして、アルトは帰還用であろうゲートの調整を始めていた。

 少女は肩をすくめて、しかし依然として楽しそうだった。

 アルトの迎えに来た少女は、何をここでしていたのか。

 ソエルを窺うも、眉根を寄せて考え込んでいた。

「……貴方は、何者……ですか?」

「私?」

 エージュの問いに首を傾げた少女。

 こわばった表情で、エージュは頷いた。

 何故かその問い自体がエージュの中で緊張を高めている。知りたいような、知ってはいけないような。そんな感覚。

 少女はしばし視線を宙に彷徨わせ、にこりと可憐に微笑んだ。

「アリシアよ」

「……アリシア?」

 その名に、聞き覚えがあった。

 傍らのソエルも、怪訝そうにアリシアと名乗った少女に視線を向ける。

「アリシアって……まさか」

 緊張に震えるソエルの声。

 エージュも、不意に思い出す。

――世界を繋ぐ源泉。名を、アリシアとエリスという――

「まさか……ゲートの……源なのか?」

「そうともいうかな?」

 にこにこと微笑むアリシア。

 エージュはソエルと思わず顔を見合わせる。

 文献上に出てきた、ゲートの源であるという二柱(ふたはしら)。その片割れが、よもや人間とは予想だにしない展開だったのだから。

 二人の反応に、アリシアは若干呆れたように眉尻を下げた。

「凄い驚きっぷりね」

「だ……だってまさか、人間だったなんて……想像してなかったんだもん……」

「そう? まぁ、今回は借り物がたまたま人間なだけよ。私には、本来肉体が与えられてないから」

「アリシア、余計なことは言わなくていい」

 強い口調で咎めたアルトを横目で見やって、アリシアはにやりと笑う。

 悪戯を思い付いた子供のようだ。

「あら。アルトよりよほど監査官向きじゃない」

「それは良かったな」

「少しは見習ったら?」

「断る」

 素っ気なく返すアルトは、むしろ監査官としての立場を嫌悪しているように感じた。

 エージュとしては、監査官に向いていると言われるのはむしろ喜ばしい事なのだが。

「あの……監査官に向き不向きって、あるんです、か?」

 恐る恐ると言った様子で、ソエルが問いかける。

 どんな場面でも、ソエルの好奇心は留まる事を知らないらしい。

 アリシアは顎に指を当て、思案気に視線を彷徨わせた。

「そうね……貴方たちに分かりやすいように説明すると、いかに世界になじむか、なのよね」

「馴染む……ですか」

「そう。異物として認識されない事。要は、世界の干渉に対して振れ幅が小さいほどいいのよね」

 アリシアの説明は後半部分の方が難解だった。

 だが、逆にそちらのほうが重要なのだろう。

「いちいち目くじら立てるなってことよ」

 くすっとウインクしてみせたアリシアに、エージュは目を瞬かせる。

 やはり上手く理解は及ばないが、教官であるジノを思い出す。

 確かにいつも、ジノは冷静だ。抵抗しないわけではないが、上手く受け流す。それはクオルも同じかもしれない。

 先ほどからアリシアの発言を拒絶するアルトと照らし合わせてみれば、納得できる。はるか上の上司を捕まえて、照らし合わせるというのも失礼な話だが。

「世界は色んな形があるわ。狭い世界、広い世界。言葉さえない電気信号だけの世界。でも、その全てが王の生み出した、大切な物よ」

 不意にアリシアは軽く腕を広げてそう告げた。

 白の少女はさながら天使が啓示を授けるような神々しささえ持ち合わせている。

「貴方たち監査官は、それを見守る役目を担うことが出来た光栄な存在ね」

 そのアリシアの言葉に、エージュの心の古傷が痛む。

「……なら、どうして世界は死ぬんだ?」

 気付けば、冷たく問いかけていた。

 アリシアは笑みを崩さず、楽しげにエージュを見据えている。予想していた反応、とでも言いたげに。

 その態度か、あるいは自分の中に封じておいた痛みの蓋が開いたか……激情がエージュの口から零れ落ちる。

「大切なものが壊れるのを、造物主は黙ってみてるだけなのか? それが王のやり方なのか?」

「……貴方はいずれ死ぬでしょう?」

「そういう短いスパンの話をしてるんじゃ……」

「貴方の尺度で語らないで」

 初めてアリシアが強く言い切った。

 思わず息を呑んだエージュに、アリシアは悲しげに微笑む。

 親が、子供の失敗を優しく宥める時のように。

「世界だって生きているの。懸命に抗って、生きているのよ。貴方と同じで、いずれ死ぬのは自然な話。……大体、それを内側から食い破るのは、そこに住まう存在よ?」

「な……」

「そんな世界を見つめる王は、どんな気持ちなのかしら? そんな世界を一人で抱えなければいけない王は、どれだけ大変なのかしらね?」

 笑顔ながら、それは確実にエージュを責めたてる。

 言葉もなくアリシアを見つめていると、心配そうにソエルが袖を掴んだ。

 ぎこちなく視線を向けると、無理に笑ったソエルと目が合う。それだけで、エージュを自省させるには十分だった。

「……ったく。だから言ったろ。アリシアと会話するなって」

 不意に割り込んだアルトの声は、呆れているというよりは心配しているようだった。

 申し訳なさを抱えながら視線を向けると、アルトは肩をすくめる。

「お前がどーいう思いで監査官になったのかは、俺は興味ない。でも、世界は確かに生きてるし、いずれは死ぬ。本来は緩やかな死を迎えるんだ。一つずつ命が消えて、最後は世界と僅か一握りの命だけ。だけど……そうじゃない世界も確かにある。お前みたいに」

 アルトの言葉に、エージュはハッとする。

 エージュの存在の意味を、アルトは知っている。

 議員だから、とは少し違う気がした。じわりと、握った手のひらに汗が滲む。

「ほんとは……兄貴がお前を助けたことは、そのルールを無視してるんだよ」

「で、も。……少なくとも俺は」

「いーんだよ。それは、兄貴らしくて。でも……俺はそれでも、兄貴に無理はさせたくないんだ。お前を助けたみたいな無茶な行動は、命を差し出したようなもんだからな。俺は、兄貴を死なせたくはない」

 流石に、言葉がなかった。

 エージュだってクオルを死なせることはしたくない。無知ゆえに、殺すところだった。

 だから、そうならないようにエージュは世界の仕組みを、知ろうと努力しているのだから。

 沈黙したエージュに、ふとアルトは苦笑する。

「だから、お前は早く特級になれよ。で、自分で世界を救って見せろ。そしたら、兄貴の気苦労も少しは減るだろ」

「水虎様……」

「アルト。……俺は、肩書きで生きてるわけじゃねーよ」

「……はい。アルト様」

 一瞬アルトは表情を引き攣らせたが、諦めたらしく大きくため息をついただけだった。

 流石に、議員を呼び捨てには出来ない。外見が見るからに年下でもだ。

 くすくす笑うアリシアを睨み付けて、アルトは準備を完了させたゲートを解放する。

 世界は、生きている。だからいずれ死ぬのは通常で。それでも、唐突に崩れゆく世界にはそれなりの意味があるのだろう。

 だからこそ、エージュは上を目指す。

 一刻も早く特級監査官となって、真実へ辿り着くことを。

 それが、世界を救う監査官と言う理想を持ったエージュなりの、目標だからだ。

 

――ゲートが、機能不全に陥ったのは、それから数日後のことだった。

 

←第二話   第四話→