第五話 記憶に沈む

 

 ひゅん、と耳元を風が吹き抜ける音がした。

 わずかに遅れて、エージュの背後にあった巨石が爆音を上げて砕け散る。

 ぞっとした。まともにくらっていたら、今頃肉片になっていたはずだ。

 冗談じゃ、ない。

 恐怖は体の動きを鈍くする。エージュは意識して恐怖を振り払った。

 あと……三十分だ。三十分だけ、耐えればいい。生き残ればいい。

「よそ事を考えてる暇はないと思うよ」

 ふわ、と重力を感じさせない白いシルエットが赤い地面へ着地する。

 指揮棒を振るように指を空中で滑らせた。それに呼応して鋭い氷柱が現れる。その数、数十本。

「さぁ、次はよけられるかなー?」

 楽しげに、しかし目だけは冷たい光を宿したまま、白い少女は言う。

――ひるむな。呑まれるな。

 自分に言い聞かせて、エージュは地面を強く踏みしめる。

「いい表情だね。いつまでその表情が続けられるかなーっとぉ」

 全てを照らしつくしたような白をまとい、アリシアは氷柱をコンマ数秒ずつずらして、エージュへ向けて発射した。

 迎撃か、回避か。考える間もなく、エージュは直感で動いた。

――選択は……、回避。

 右へ左へ紙一重の回避行動。魔法で加速していなければ、今頃蜂の巣だ。

 後ろを振り返る暇はない。反省している暇など、アリシアは与えてくれやしない。

「あと二十六分。それまで君の命は持ってくれるかなー?」

 恐ろしい言葉を美しい笑顔でアリシアは投げる。

 臨時昇級試験の、試験官『アリシア』はエージュを殺すつもりで、そこにいた。

 

◇◇◇

 

 話は少しだけさかのぼる。

 エージュの頼みに対し、アルトはすんなりとそれを通した。

 正しくは、通さざるを得なかった、というところらしい。

「兄貴に、頼まれてたからな。お前が昇級試験受けたいって言ったときはそうさせてやってくれって」

「クオルさんが……?」

 アルトに連れられ、臨時試験の会場まで歩いている道中。

 苦虫を噛み潰したような表情で、アルトはエージュにそう零した。

 クオルから頼まれた、というその言葉はエージュにとって何よりの励みになる。期待してくれているのだと、思える余地があるのだから。

 心が明るくなったエージュを他所に、アルトは怪訝そうに尋ねた。

「お前、それで嬉しいのか?」

「え? はい」

 素直に頷くと、隣を歩いていたソエルが「だろうねー」と苦笑いを浮かべる。

 しかし反対に、アルトは複雑な表情を浮かべて、ぽつりと呟いた。

「俺は、兄貴にそんなこと言わせたくねーな」

「えっ……ど、どうしてですか?」

 ソエルが戸惑いながらアルトに聞き返す。エージュとしても、不思議だった。

 クオルほどの強さを持った相手から気に掛けてもらえるなど、誇らしいほどで。ましてやそれが強さを求める自分を理解した言葉なのだから、尚更だった。

 しかしエージュの思いとは逆に、アルトは寂しげな笑みを浮かべた。

「それってつまり、一緒に死ぬ場所を探しに行こうって言ってるのと同じだから」

「そんなわけありません! あの人は、優しいだけですっ!」

 咄嗟にエージュは力強く否定した。

 そしてすぐに後悔する。

 自分より、アルトの方が弟として、クオルのことは知っているだろうと。

 自省したエージュが黙り込むと、アルトはため息交じりに零す。

「そーだよ。兄貴は優しいんだよ。だから、お前を止めない。でも反対に、残酷なほど薄情だから、お前を止めないんだ」

 相反する存在だと、アルトは言う。

 だが、エージュやソエルにはその意味がよく、分からなかった。

 アルトは視線を微かに伏せ、幾分トーンを落として呟く。

「上級から、特級監査官の死亡率。お前ら知らないだろ」

「え……」

「つか、そんなこと考えもしねーよな。だって、お前らの目につくところにいる特級監査官ってのは、『本物』しかいねーもん」

 それはつまり、クオルやジノの事だろう。

 その二人が、エージュたちにとっての普通の特級監査官だった。

 だがアルトは、廊下の隅のほこりでも見つけた程度のトーンで告げる。

「特級監査官の任務中の死亡率は、三十四パーセント」

「……え?」

「任務外、つまり帰還後の精神錯乱率が十二パーセント。そのうち戦線復帰できるのは半分行くか行かないか。今この状態で活動させてるのは、その中でも本当に安全係数の高いやつらだけに絞ってやらせてる」

 言葉が、見つからなかった。

 それはつまり……半数の特級監査官は、一度の任務で使い物にならなくなっているという事だ。

 数が少ない理由も、自ずと理解できてしまう。

――つまりは、生き残れないのだ。

「安全係数、ってなんですか……?」

 それでもなお、思考を必死に回転させたのだろう。ソエルが恐る恐る問いかける。

 アルトは視線を前に戻しながら、その問いに答えた。

「ゲートパス依存率が低いやつら。兄貴とか、議員とか、一部の特級監査官」

「ゲートパス依存率って……やっぱり、クオルさんは違うんですね」

「兄貴は、別物だ。他のは、少なからずゲートパスがいる。ただ、それに頼らずとも、自分の魔力で帰還可能なすべがあるっていうだけ。それか、パスのリンクが切れても、無事でいられる可能性が高いメンツ」

 アルトは分かりやすく端的に説明しているつもりなのだろうが、エージュには理解不能だった。

 説明が加わるほど、謎が謎を呼んでしまう。それをすべて解決する時間は残されていないだろうに。

 ふと、アルトが足を止めた。

 目の前に立ちふさがる、重厚な扉。気付けばその場所へ、辿り着いていた。

『一の柱 無色の実像』

 そう、彫り込まれた鉄扉。

 試験会場に向かっている、はずだったのだが。話に夢中になって、周囲に気づけなかったようだ。

 エージュがアルトにそれを指摘しようとして、アルトに視線を向ける。アルトはまっすぐな瞳をエージュに向けていた。

 その覚悟を問うような視線に、思わず背筋が伸びる。

「お前は、今の話を聞いても、まだ特級を目指そうっていうのか?」

 質問の意図が、明確ではなかった。

 だが心配してくれている、のだという事は、エージュにも分かる。

 そしてこの先に、試験場があるのだろう。

「正直、俺は薦めないぞ」

「アルト様……」

 アルトは優しい。それは出会ってすぐにでもわかった。危険に近づけない優しさは、自分を犠牲にする強さと弱さを内包する。

 アルトの優しさは、それだった。クオルの優しさとは違う。

 クオルは、全てを受け入れてくれる。でもそれは、相手を危険にさらすことも、認めてしまう。危険な、優しさ。

 どちらかでも駄目で、だからこそ、この二人は兄弟であるのだろう。そっくりな容姿で、正反対な言葉を投げるのだから。

 だからこそ、その優しさに報いるべく、エージュは答える。

「目指します。俺は、致死率三十四パーセントっていう数字に、負けたくありません」

「……頑固野郎。後悔しても知らねーからな」

そっけなく言い放って、アルトは扉に触れた。

 結局は、アルトの制止を振り切ったのと同じだ。

(後悔なんて絶対するな。……心配してくれたアルト様のために。……俺を信じてくれた、クオルさんのために)

 エージュは胸中で言い聞かせながら、前を睨み付ける。

――ご……ん、と重い音を立てて、扉が開く。

「はぁぁ、どうしてこう、死に急ぐのかしら」

 まず聞こえたのは、少女の声だった。

 扉が開き切る前に、むせ返るような匂いが部屋から漏れ出した。ソエルが口を覆って、蒼い顔で一歩下がる。アルトが唇をかみしめて、中を睨んだ。

「……だったら、手加減しやがれ」

「それは、挑戦者に対する無礼ってものよ。大体、それじゃあ『本物』を探し当てようとしてる議会の意思に背くというものでしょう」

 白い少女が、赤い地面が広がる扉の向こうで、そう微笑んだ。

 アリシアという、ゲートの源。

 その傍には、ぐしゃぐしゃに潰れて、見る影もない何かが転がっていた。

「次は、貴方なのね。ようこそ、臨時試験場……別名」

 口元を釣り上げて、少女は冷たく、笑う。

「殺し合いの場へ」

 エージュと同じようにこの状況に耐え切れずに臨時試験を志願した、同胞たち。

 しかしすでにその姿はここにはない。彼らは、アリシアの住む空間の中で血と肉片となって、物言わぬ塊になっていたのだから。

 そして試験内容が告げられた。内容はいたってシンプル。

 どんな方法を使ってでも、アリシアから四十五分間、生き残ること。

 たった、それだけだった。そして、それだけしか、許されない相手だった。

 

◇◇◇

 

――残り、十三分。

 アリシアは依然楽しそうに……いや、当初より楽しそうだった。

 きっと、これだけ生き残れた諸先輩方はいなかったのだろう。あの手この手で、アリシアはエージュの命を奪いに来ていた。

 それは遊びではなく、本当の、殺意の使い方。じわじわといたぶるのではなく、即死を狙う攻撃。即死しか、ありえない破壊力。

「ああ、やっぱりねぇ。貴方にすればよかったのかもしれないなぁ」

 アリシアは雷を走らせながら、言う。

 エージュはぎりぎりでそれをかわし、距離を取る。

 近づいたら、それだけ命の危険度は増す。

「でも、それは今更よねー。なら、せめてあなたは使い物になる世界の守り人にならなくちゃ勿体ない」

 アリシアの声が、遠くなってきた。

 疲労で意識が飛びかけている。それでもエージュは懸命に立ち続ける。回避行動を、止めない。この場で回避をやめることは、生きることを放棄するのと同じだ。

 特級監査官を目指すものの覚悟を問われている、そんな気がした。

「でも、そろそろ終わりにしようか? このままじゃ、意味がないもんね」

 そう言って、アリシアはその手に真っ白な剣を握った。

 アリシアの身長の半分はあるであろう、長剣。細身だが、鋭さが見える。

 そういえば、アリシアは返り血を浴びていないかのように、白い。無色の実像……アリシアの存在そのものを示す言葉。

 何物にも、染まらない。それが、無色であり、アリシアの白なのだ。

 次でアリシアは決着をつけるつもりでいる。

 全身を使って息をしながら、エージュはアリシアを睨んでいた。

 一瞬の油断が命取りで。だからこそ、最初の一歩を見逃すわけには行かなかった。

 とん、と地面を蹴ったアリシア。エージュが何かを考えるまでもなかった。

 ほぼ一瞬で肉薄されていたのだから。

――死が、そこにいた。

(これで終わるのか? 何もせずに? それが、俺の生きた意味? じゃあなんで、俺がもともと生きていた世界で、俺は死ねなかったんだ? そもそも、俺の世界はどうしてあんな時代まで生き残っていたんだ? いや……生き残れて、いたんだ?) 

 ぐるぐると渦巻く、疑問の嵐。

 エージュの、記憶に霞がかかっていつも見えなかった、疑問。

 あの時、エージュが向かおうとしていた先に、あったもの。

 それは元いた世界の、最大の禁忌にして、最高の魔法。

 

◇◇◇

 

「え?」

 アリシアの間の抜けた声。

 エージュはアリシアの背後に回っていた。

 杖を強く握り、横方向へ、振りぬいた。左腕に直撃をくらったアリシアが、簡単に吹き飛ばされる。

 赤い地面をこすって、アリシアは地面に倒れこんだ。砂埃を上げ、地面に伏したままのアリシアをエージュは肩で息をしながら睨み付けている。

「……時間歪曲」

 ぽつりと、遠巻きに試験を眺めていたアルトが呟いた。

 泣きそうな顔でずっとエージュの試験を見守っていたソエルは、アルトの呟きに固く握りしめていた両手を緩める。

「え、え……? な、何が……起きたの?」

「あいつが時間を止めた……あるいは時間を少しだけ遡って、アリシアに一撃くれた。それだけだな」

「う、嘘? そんなのエージュ今まで一度も……!」

 そう。危険な場面は今までだって多くあった。だがその片鱗さえ感じたことはないのだから。

 困惑するソエルに、アルトは続ける。

「あいつは、ずっと自分の世界から逃げてたからな。そりゃ、自分の世界の技術や魔法なんて封印されてるに決まってるだろ」

「じゃ、あ……」

「何かしらの折り合いをつけて、あそこに立ってんだよ。不器用な奴」

「でも、それができたのって、クオルさんがエージュを学院へ結んだからですよね?」

「あ? よく知ってんな。まぁ、そうだな。多分。でも、それは兄貴の最大限の……」

 言いかけて、アルトは黙った。言いたくない、様子で。

 ソエルはそれ以上問いかける言葉も浮かばず、エージュとアリシアの方を見やった。

 まだ、終わりではないのだから。

 

◇◇◇

 

 アリシアは依然倒れたまま。エージュはようやく息を整え、一度深呼吸をする。

「……は……、あは……あはははは!」

 唐突に、響き渡る笑い声。アリシアだった。

 その狂気じみた笑いが、場の空気を凍り付かせる。

 何のダメージもない、という証明に思えたのだ。アリシアはうつぶせの状態からごろりと転がる。

 仰向けになっても、アリシアは腹を抱えて笑い続けた。

「あは、あはははっ、おもしろ、面白いー! あははは最高ー!」

「壊れたか? アリシア」

「失礼言わないで、はぁ、おかしい。ふふふ……」

 呆れた様子で口を挟んだアルトに反論して、アリシアは体を起こす。

 よろよろと立ち上がっても、アリシアはまだ笑いをこらえていた。

 エージュには理解不能なアリシアの挙動。再び杖の先をアリシアに向けて警戒レベルを引き上げる。

「すごいすごい。時間をゼロにしちゃうなんてさ。君は本当に、凄いよ」

 タイマーを見やる。

 見れば、タイマーがゼロになっていた。四十五分間、エージュは逃げ切ったということになる。

 アリシアの与えた課題を乗り越えたのだ。

「よくあの土壇場でそれを思い出して、かつ使いこなせたわね」

 笑いすぎで浮かんだ涙をぬぐいながら、アリシアはエージュに問いかける。

 だが、エージュは力なく頭を振った。

「……それが俺の、存在意義だったから……」

「そう。よかったわね。貴方のいる意味が、あって」

 アリシアの言葉に、エージュは唇を噛んだ。頷くことなど、到底できなくて。

 かつてのエージュの世界は、この魔法で自身の寿命を誤魔化し続けてきた。その為に、いかなる犠牲を払ったのかは、エージュには分からない。それでも、世界を騙して、ずっと生き残り続けてきたのだ。

 だが、それももう、無意味だ。

 時を操作することが出来たところで、世界を取り戻せるわけではない。エージュの能力では到底無理な話だ。

 それは……今も襲う、強烈な疲労からも明らかだった。

「俺のいた世界はもうない。存在価値なんて、とっくに……」

「ああ、馬鹿。こいつ馬鹿だったの忘れてた」

 ぽん、と手を合わせて暴言を吐くアリシア。

 否定する言葉もなく目を伏せるエージュ。その視界にゲートパスが差し出された。

 アルトへ預けていたエージュのゲートパス。すでに書き換えが完了しているのだろう。

 ちらりと視線を寄越しただけで、エージュは動く気力が湧いてこない。

 疲労感と、言い様のない無力感が行動を阻害していた。

「お前がほしかった、Aランクゲートパス。いらねーのか?」

 アルトの咎めるような口調に、エージュは重い口を何とか開く。。

「……いり、ます」

 少なくとも、ゲートパスは要る。たとえ、自分の世界に目をそらして、時間を無為に過ごした後悔が生じたとしても。

 今のエージュには、やはり監査官として生きる以外は、考え付かない。

 不意にアルトが、ぽん、とエージュの頭に手を置いた。アルトのほうがエージュに比べて背が低いので、若干の背伸びをしているが。

 その手は、頼りなくも、温かい。

「お前は、兄貴が助けられた数少ない人間なんだ。勝手に落ち込んで、勝手に死ぬな。俺がお前を受けさせたのは、……兄貴がきっと、お前を必要としてるって思ったから」

「え……」

「兄貴は、お前の能力も、知ってて連れてきた。それだけのために、って思ってもいい。兄貴は変なとこで合理主義だから。でもな。それだけでも、お前は兄貴に必要とされて、ここにいる。それだけは、誇れ。世界最強の監査官のお墨付きだってことに」

 笑ったアルトは、どこか寂しそうだった。そういう意味では、同じ場所に立てないからだ。

 クオルは兄として、アルトを危険に巻き込むつもりはないのだろうから。

 アルトもそれは感じている。だからこそ、クオルの支援を惜しもうとはしない。

 その期待を背負ったのは、エージュだ。誰かに必要とされることが、嬉しくないわけがない。

 エージュはアルトの言葉を噛み締めて、深く頷いた。

「…………はい」

 ゲートパスをしっかりと受け取って、アルトの瞳に応える。

 そっと手を放して、薄く微笑みアルトも頷いた。

「じゃあ、上級になってさっそくだけど。行ってほしいところがある」

「はい!」

 やっと手にした、最初の一歩。

 もう、逃げることは許されない場所へ踏み込んでいた。

 そしてエージュは逃げ出すつもりは毛頭なかった。

 

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