第三話 無垢なる異邦人

 

 世界には、様々な形がある。

 数ある世界の中でも、そこに暮らす生命に大きな影響を与えるのが魔力だった。

 魔力の薄い世界であればあるほど各種族の境界が鮮明であり、濃い世界であれば混ざり合った種族が数多く住まうことが出来るようになる。

 そして、良くも悪くもその濃度は生体に少なからず影響を与える。濃すぎる魔力というのは、大気中の酸素が濃い状態に似ているのだ。生命には適した環境があり、それを超越して活動を迫られる監査官には転送時の条件が重要になる。

「監査官は生きてるから……まぁ、そうだよな」

「そういう問題じゃないんだけどね」

「え? 違うのか?」

 聞き返したペイルに、キアシェは背中を向けたままため息を吐く。

 今歩いているのは背の高い木々に囲まれた森にある小さな道だった。人がすれ違うのがやっとの道幅。舗装されてもいないので、雰囲気としては獣道に近い。

「死神はこの世界よりも一つ上の次元の存在なわけ。僕らがいまこの世界にいるっていうのは、実際は僕らの影を落としたようなものだよ」

「キアシェ、日本語で喋ってくれよ」

「はぁ? 共通語まだマスターしてないの?」

 呆れた顔で振り返ったキアシェに、ペイルは苦笑いを浮かべると首を振った。

「いや、俺の言い方が悪かった。……もうちょっとわかりやすく噛み砕いてくれると嬉しいなぁと」

「……いいよ、もう。別に理解したからってそれで何かが変わるわけじゃないんだしさ」

 説明するのが面倒なのだろう。キアシェはそうペイルの願いを切り捨てた。

 最も、そういう対応こそキアシェらしいことはペイルも知っているので、気分を害することはない。むしろ相手をしてくれるだけましだ。

「で、今回はこの世界の住人なんだよな」

「そう。第八の世界……評議員の一人、遠音(おんね)の属する世界の種族の一つ、ラディシュ族だね。ここはありえないくらい魔力が濃いから、死神でもめったに寄り付かないし、人間なんてほとんど立ち入れないレベルだよ」

「フィルター付加してもきついのか?」

「らしいね。まぁ、僕らには魔法を使う時に気を付ければいいくらいだから」

 使わないに越したことはない。平穏に仕事を遂行できれば問題ないわけで、ほとんどの場合は何事もなく淡々と仕事は進むのだ。ペイルがキアシェと出会った一件は特別な場合に属するわけで。

 でも、それがなかったならペイルはここに居ないのだから、不思議なものだ。

「あそこだね」

 先を歩いていたキアシェの声に、興味津々で周囲を見回していたペイルが正面を見やった。

 開けた場所にいくつもの家屋が立ち並んでいる。森の中にある、静かな村だった。

 警戒するそぶりさえ見せず、キアシェはすたすたと村へ踏み込んだ。

 ペイルはキアシェから離れないように早足で追いかける。

 村の中を目的地目指して歩くキアシェを、行き過ぎる村人たちが怯えと懐疑の視線を寄越していた。

 だが、彼らは一様に「人間」とは言えなかった。尖った耳や、体表面が毛に覆われて居たり、角の生えた人々もいる。

「人間じゃ……ないんだな」

「これだけ魔力が濃いと、亜人種しか残れないよ」

 そういうものか、と曖昧にペイルは頷いた。

「そういえば、姿見せても平気なのか?」

「魔力が濃いと、魔法が安定しないんだよ。だったら無駄な労力は省いた方がいい」

 なるほど、とペイルはまた一つ、納得する。

 新任のペイルにはまだ分からないことが山積みだった。

 そもそも、ペイルにとって魔法も魔力も、未知の領域だった。 死してなお、勉強しろとは……死神も楽ではないらしい。

「さて、ここかな」

 一軒の家の前に立ち、キアシェはそう呟いた。

 表札のない、木造の簡素な作りの家。ペイルの感覚から言わせれば、避暑地にあるログハウスに見える。

 キアシェは扉を軽くノックする。

 その行動にペイルは思わず面喰った。ペイルの予想ではその傍若無人な性格からして扉をけ破る勢いで乗り込んでいくのだとばかり思っていたのだから。

「はい、どちら様……」

 おっとりとした声で顔を出したのは、老齢の女性だった。白髪から長く垂れる耳。

 これがキアシェの言っていたラディシュ族らしい。

 女性はキアシェの姿を認めると、軽く目を見張り、それから深く頭を下げた。

「そうですか。ようやくですか」

「そういうこと。あと十二分くらいかな」

「まぁまぁ……じゃあお茶でもお入れしましょうか」

 会話が成立していた。つまり、この女性はキアシェが何者かを理解して、その上でこの態度と言う事だ。

 これは驚愕の事態でしかなかった。

「それじゃ飲む前にタイムリミットだよ」

「ふふ。では先ほど頂いたクッキーならいかがかしら。さぁ、どうぞ」

 促した女性にキアシェは肩をすくめると、女性に続いて中へ入った。

 入ってすぐのリビングに案内され、女性が二人へ席を勧める。キアシェはさっさと席に座り、視線でペイルを促した。

――この人の時間を無駄にするなと。

 ペイルは心で頷いて、キアシェに従う。

 温和な微笑みを浮かべながら、女性は皿に並べたクッキーを持ってきた。綺麗な焼き色のついたクッキーだった。

「……いいわねぇ。最期を一人で迎えなくていいというのは」

 落ち着き払った女性の態度に、ペイルは感服するほかなかった。自分が死ぬというのに、こうも落ち着いていられるものなのだろうか。

「それが僕らの役目だからね」

 出されたクッキーを遠慮もせずに口に運ぶキアシェに、女性は嬉しそうに頷いた。

「貴方は何故、死神さんになったの?」

 女性の問いかけに、キアシェは口を濁らせた。微かに視線を伏せて、ぽつりとキアシェは返す。

「……最期を迎えに行きたい人がいるから」

「まぁ……それはそれは」

 口元をほころばせて、女性は頷く。

 隣で聞いていたペイルは、ちらりとキアシェを盗み見る。

 表情こそ動かないが、心の中の葛藤は今も続いているのだろうか。だとすれば、今ならそんなキアシェをすぐ隣で支えることは、出来るはずで。

 キアシェの言葉を噛み締め、ペイルは膝の上に載せた手を、ぎゅっと強く握り締めた。

「迎えに行けるといいわねぇ」

「行けるか行かないかじゃないよ。行くの。それだけは、誰にも譲らないんだって決めたんだ。誰かと衝突しようと、全てを排除してでも成し遂げる。だってそれが、僕が死神になった意味なんだから」

 明確な意志を乗せた、強い言葉をキアシェは返す。

 言葉の聞こえはいいが、簡単に言えば『命を奪いに行く』という事だ。キアシェらしい、何とも屈折した愛情だと、つくづく思う。ペイルからすれば、嫉妬する以外ないけれども。

「……さて、そろそろ時間だね。行こうか」

 かた、とキアシェは席を立った。

 女性は静かに頷いてキアシェに軽く頭を下げる。

「よろしくお願いしますね、可愛らしい死神さん」

 ふわりと空中から鎌を握り、キアシェは女性の背に立つ。

 女性は静かに目を閉じて、最期の一瞬を穏やかに迎えていた。

「クッキー、ごちそうさま」

 キアシェの言葉に、女性は満足げな笑みを浮かべる。

 音もなく踊った赤い刃は女性の体をするりと貫通した。

 くた、と糸が途切れた人形のように女性はテーブルに崩れる。

 死神が切断するのは、肉体と魂を繋ぐ『糸』だ。今の一閃で、キアシェはその意図を切断し女性に『死』をもたらした。

 そして、キアシェの手には右手に鎌、左手に淡い緑の光を手にしている。心臓が脈打つように明滅する、緑の光。それこそが、今目の前にいた女性の魂だった。

 死を自覚した魂は、光の珠という形をとる。自分の死を自覚できない魂と死してなお、その姿を維持することに固執した魂だけが、生前の姿のままに存在するのだという。

 ペイルの出身世界では、それを幽霊や地縛霊と呼ぶ。

「あとはこの世界の循環へ戻してあげれば終わりだよ」

「なるほどな」

「さ、帰……」

 そこまで言いかけて、キアシェは呆気にとられた表情を浮かべた。

 珍しいキアシェの様子にペイルは首を傾げ、自分の背後……つまり、入ってきた扉の方へと目を向けた。

――そこには、一人の少女が立っていた。

 銀髪から、毛先に向かうにつれて徐々に色味を帯び、葡萄色に変化する髪を腰まで伸ばし、その瞳は深い緑色。

 ただ、その瞳に浮かぶ感情は薄い。

(うぉ、超美人!?)

 可愛いというよりは綺麗という言葉が相応しい少女。どこか世間から隔絶されたような、幻想さを漂わせる少女だった。

「何で……どうして人間がここにいるわけ?」

 キアシェの問いかけに、少女は少しだけ視線をずらし、キアシェに合わせる。

 だが、黙して少女は答えない。

「答えなよ。大体……どういう事? キミ、どうして、生きてるの?」

「いやいや、キアシェ。言ってることが意味不明だぞ」

 ペイルが口を挟むと、すかさずキアシェが睨みを寄越す。

 本気で苛立った時の視線だ。背筋が凍り付き、曖昧に笑った表情のままペイルは固まった。

「キミだって一端(いっぱし)の死神ならおかしいって感じなよ」

「え? も、もしかして綺麗すぎるのは罪なのか?!」

「その軽い頭分解するよ……?」

 慌ててペイルは少女へと視線を戻し、答えを探る。

 外見上は普通。それどころか、美少女。

 少女はふと踏み出し、静かに息を引き取った女性へと歩み寄った。さらさらと靡く髪に思わず目を奪われる。

 女性へ手を触れると、少女は女性を背後からそっと抱きしめ、瞳を閉じた。

「……糸、が……な、い? しかも、人間?」

 この世界は魔力が濃すぎて、通常『人間種』が住める環境ではないはずで。しかも、この少女には肉体と魂を繋ぐ糸が見えない。死神が切断しなければならない、糸が。

 絞り出した答えに、やれやれとキアシェが頭を振る。

「正解。教えてもらおうかな? キミは、何者?」

 そう問い詰めたキアシェに少女は女性を離し、静かに視線を寄越す。

「グラスばーちゃんっ?!」

 少女が何かを言う前に、また別の声が割り込んだ。

 視線を寄越す前にどたどたと駆け寄ったのは、長い耳を持つラディシュ族の少女だった。

「ばーちゃんっ、ばあちゃぁぁぁんっ」

「……あぁ……もう」

 女性に抱き付いて、声を上げて泣き出した少女は、どうやら家族らしい。

 頭を押さえて、キアシェが言葉にならない思いを吐き出した。

 キアシェは、つくづく厄介事に巻き込まれる体質らしい。何だかそれがおかしくて、ペイルは一人、忍び笑いを漏らした。

 

◇◇◇

 

 ひとしきり泣いて、ようやく落ち着きを取り戻した孫娘の少女はぺこりと頭を下げた。

「……ばーちゃんをお願いしますにゃー」

「にゃーって猫……」

 苦笑いで突っ込みを入れようとしたペイルの足をがんっ、とキアシェが踏みつける。

 痛みで蹲ったペイルを冷たく見下ろし、キアシェはラディシュ族の少女へ頷いて見せた。

「もちろんだよ。……で、問題はそれ。……何者か、説明してもらえるかな」

「にゃ? ハーブはラディシュ族にゃ」

「キミじゃなくて、そっち」

 ちょこんと椅子に座っている『人間種』の少女を指さす。

 ハーブと言うラディシュ族の少女は、首を傾げた。

「ハーブにも分からないにゃ。ロゼちゃんは、聖水の泉にいたのにゃ。で、ハーブが連れ帰って、グラスばーちゃんと相談して保護してたにゃ」

「聖水の泉ね……何でそこにいたのさ?」

「知らないにゃ。ロゼちゃん名前以外何にも覚えてないのにゃ」

「覚えてない?」

 こくん、とハーブが頷く。はずみでぴょこんと耳が跳ねた。

 不審げにキアシェはロゼと言う少女を見やった。

 痛みから何とか復帰したらしいペイルが、よろよろと立ち上がってキアシェに問いかける。

「で……どうするんだ?」

「キミは馬鹿だね、ほんとに。そんなの決まってるじゃん」

 そっけなく言い放つと、キアシェはハーブに言う。

「……その子、こっちで保護させてもらっていいよね?」

「えっ? 保護って、ロゼちゃん連れて行くにゃ? 駄目にゃ!」

 慌ててロゼの前に立ちはだかったハーブに、キアシェは冷たい視線を送る。

「グラスばーちゃんと約束したにゃ! ロゼちゃんの記憶を取り戻すまでは、ハーブが守るって!」

「そんなこと聞い……」

 言いかけたキアシェを、ペイルの手が制した。

 キアシェは軽く目を見張り、次いでペイルを細めで見やって睨み付ける。

 ペイルは苦笑して首を振り、視線で任せろ、と告げた。

 キアシェとしては、ペイルに任せられるような状況ではないと踏んでいる。残念ながら、ペイルは死神の基本すら分かっていない可能性があるのだから。

 だが、埒が明かないことは分かっている。仕方なく、キアシェは黙って引き下がった。

「……話を聞いてくれよ、ハーブ」

「何にゃ」

 警戒は解かず、ハーブは促した。

 一つ頷いて、ペイルはハーブを刺激しないようにか、いつもよりもゆっくりと語る。どうやら、言葉を選びながら事情を説明するつもりのようだ。

「ハーブが知ってるかは分からないけど、その子は本来この世界に居られないはずなんだ。だから、このままその子がここに居ると、その子が影響を受けるかもしれないんだよ」

「影響って?」

「えー……っと」

 視線でキアシェに助け船を求めるペイル。

 やっぱり、と思いつつ、ため息交じりにキアシェは口を開いた。

「悪いもの食べたりしたときと一緒で、中毒起こすんだよ」

「にゃあ!? ロゼちゃん具合悪くなるにゃ?!」

「可能性としてはあるよ。今は平気でも、突然症状が出るかもしれないし」

「にゃあ……」

 心配そうにロゼを見やったハーブ。渦中のロゼはこちらの話などどこ吹く風で、窓の外に視線を向けていた。

 キアシェとしては、それは実に、不愉快だった。

「そういうわけだから、一時的にでも、保護させてもらえるとその子のためにもいいかなって」

 そう畳み掛けたペイルにハーブは複雑そうな表情を浮かべて、口を濁す。祖母との約束と、ロゼに対する心配で決めかねているのだろう。

「永遠の別れではないよ、ハーブ」

 不意に響いた声に、キアシェとペイルは戸惑いを覚えた。

 それがロゼの声だと気付いたのは、ハーブが視線を向けたからだった。

 座っていたロゼはふわりと立ち上がり、ハーブの肩に触れる。

「いずれまた、会えるはずだから」

「ロゼちゃん……約束にゃ?」

「約束する」

 うん、とハーブは頷いて、再びキアシェとペイルに向き直ると、ぺこっと頭を下げた。

「ロゼちゃんをお願いしますにゃっ!」

「あ……ああ」

 頷いたペイルとは裏腹に、キアシェは不審げにロゼを見やっていた。キアシェの視線に気づいたロゼは、ただ冷静に視線を返すだけ。

「……食えない奴」

 ぽそりと呟いて、キアシェはペイルに視線を向けた。

「行くよ、馬鹿後輩」

 別れを惜しむハーブに申し訳なく思いながら、ペイルはロゼを連れてキアシェに続き、この世界を後にした。

 この少女がもたらす波紋を、この時は誰一人、予想だにしていなかった。

 

◇◇◇

 

「あー……駄目だ……明日の定例会議用資料……これじゃ間に合わねーよ……」

 自身の執務室で睡魔と闘いながらアルトは資料準備に頭を抱えていた。

 定例会議用資料作成に、いつも通り難儀していた。議員歴が浅いアルトは必要な情報が何かをすぐに把握できないために、どうしても時間がかかってしまう。

 もっとも、自力で資料を作る議員など実はアルト位なもので、他の議員がそれぞれ秘書官を抱え、彼らが担当してくれていることを知らないだけでもあった。

(三十分だけ……三十分だけ仮眠しよ)

 デスクの足元に用意してあるクッションをごそごそと引っ張り出して、デスクの上に置きそこへ突っ伏す。

 十秒と立たず、意識が深みに沈み……

「あーちゃん寝てると襲うよ?」

「ぎゃあああっ?!」

 がばっと体を起こすと、呆れた顔をしたシスと目があった。

「何でそこ嫌がるかな」

「当たり前だ馬鹿?! この変態がぁっ!」

「はいはい。さっさと終わらせてちゃんとした所で寝る」

 返す言葉もなく睨むアルトをさらりと受け流して、シスはアルトの拡げていた資料を拾い上げ、軽く目を通す。

「……これと、これね。あとは大したことないから、これまとめれば大丈夫だよ」

 何枚か資料を示したシスに、不服そうにしながら大人しくアルトは頷いた。

 いつもながらぎりぎりのところでシスが助けてくれるので、どうしてもアルトは逆らえない。起こされ方としては最悪だが、お蔭で目も覚めてしまったわけで。案外、それすら分かっていてやっているのだろうけれども。

 ぶすっとした表情のまま、黙々と作業に戻ったアルトに、シスは黙って奥へと消えた。

 お茶の用意でもするつもりだろう。そうやって何かと世話を焼かせてしまう自分にアルトはため息を吐いた。

 いつまで経っても、シスにとっては手のかかる存在なのだろう。情けない自分に辟易しながら、アルトは資料に再度視線を向けた。

 

◇◇◇

 

 シスがココアを用意して戻ってきた時には、無心でモニターと睨み合い、かたかたとキーボードを叩くアルトに戻っていた。

 真面目なその姿勢に、思わず笑みを零しつつ、邪魔にならないように左側にカップを置く。

 丁度一枚目の入力を終えたアルトは、黙ってカップに手を伸ばした。ココアの甘い香り漂う中、不意にアルトがぽつりと問いかける。

「……兄貴の調子は?」

「まぁ、相変わらずだね。二、三日寝てればよくなるよ。今はそっとしておくのが一番だね」

「……う、ん」

 覇気なく頷いて、表情を曇らせたアルト。

心配と、もどかしさを感じているのがそれだけで分かってしまう。そこまで卑下することはないはずなのに、だ。

だからこそシスはアルトに告げた。

「あーちゃんは、あーちゃんらしくいないと駄目だよ。それがクオルにとって一番効くんだから」

「……でも」

「我慢しろってことじゃなくてさ。……思ってること言ってあげなってことだよ。それがあーちゃんの役目」

 それでも不安げにアルトは視線を伏せた。

 相変わらず、自分の行動に対して自信がないらしい。

(まぁそれがあーちゃんらしいんだけどね)

 シスがいつも通りにアルトの頭を撫でようと手を伸ばし、

「やっほぉー! 水虎、元気ぃーっ?」

「うわぁぁっ?!」

――がったぁぁん!

 壮絶な音を撒き散らして、椅子ごとアルトは後ろに倒れた。

「あーちゃんっ?!」

 慌ててシスが駆け寄ると、ココルに抱き付かれて目を回しているアルトがいた。

「……何してくれてんのかな? 君は」

「おっ、アルトの保護者さん。どうもー遊びに来たよー」

 首根っこを掴まえて引っ張り上げると、ココルは屈託なく笑って、ひらひらと手を振った。ちっとも反省していない。

 言っても無駄だと割り切って、シスは軽くため息をつくと、ココルを脇に放って床で伸びているアルトを抱き起す。

「怪我は……ないか。大丈夫かい? あーちゃん」

「何で……あいつは毎度……」

 頭を押さえながら、アルトは呻く。

 諸悪の根源たるココルは、にこにこと笑みを浮かべていた。

「で、こんな夜中に何の用?」

 未だぐらついているのだろう。頭を抑えたまま呻くアルトの代わりにシスが問いかける。

「嫌だなぁ、夜中こそ活動時間帯ってもんだよ。でもって明日って評議会の定例会議でしょ? ちょっと議題を持ってきたから、そこんとこ検討よろしくっ」

「議題……?」

 復唱したアルトに、ココルはクリアファイルに入った資料を差し出す。怪訝そうにココルと資料を見比べ、恐る恐るアルトはそれを受け取った。

「結論から言わせてもらうと、管理局の人員を少し借りたいんだよね」

「え?」

「それと明日また私も陪席するから。あと、王の事だけど」

 不意にココルは目を細めた。

 冷徹な、死神協会総統としてのココルに、切り替わった。

 アルトがその温度差に緊張した様子で、小さく息を呑む。

「明日、会議に参加できるように評議会の連中を説得してもらえるかな?」

「え?」

「出来なかったら、こっちで強引にでも参加できるようにするけど……無駄な血は流したくないよね?」

 ココルの目は本気だった。

 脅しとしては無茶苦茶だが、平和主義のアルトには効く言葉だ。シスとしては腹立たしい。

「ま、そういうことだから。あとはよろしくね、アルト」

 ころっと笑みを見せて、ココルはくるりと踵を返すと、空気に溶けるように消えてしまった。

「……あーちゃん」

「分かってる。……とりあえず、緊急招集をかける」

 無駄な血が流れるということは、管理局と死神協会の間に大きな亀裂を生むことになる。

 これ以上の無益な対立を、アルトは望んでいない。

 シスに出来るのは、そんなアルトを陰ながらサポートすることだけだった。

 

◇◇◇

 

 アルトの緊急招集から僅か五分。その短時間で、議員は会議室に揃っていた。

 もちろん話題はココルの言っていた王の件についてである。

 現在世界管理の最高権力者である王は、管理局の監視下で世界再生を中心に仕事にあたっている。そもそも、上下関係が逆転しているという問題はあるのだが、王がまだその任について日が浅いこともあり、まだ管理局が中心となって世界は回っている。

「また死神協会か。なぜ今になって、干渉をして来るのか分からないな」

 アルトがココルから預かった資料に目を通しながら、奏空(そうくう)が呟いた。

「言うなれば二面から世界を維持してきたんだ。干渉と言うよりは協力要請だと、俺は思う。それに、王まで管理するのは……おかしいと思うし」

『ひとまず問題は王の柱に対する隔離結界のことだ。……結界解除に賛成の者、挙手を願おう』

 議員の頭に直接響くのは、色無(しきむ)の声。

 明確な肉体を持たない色無はコアクリスタルが仄かに明滅しながら、議員席の上に浮遊している。

 時間差はあれど、過半数が挙手し、この問題は可決された。

 王を柱から出さないというメリットがないというだけで、ココルの干渉について納得のいかない議員はいるのだろうが。

『では三十分後に解除できるよう各課に通達を。それにしても……これはまた、どういう事なのだ?』

 配布した資料には、一人の少女の写真と、簡単なデータ、説明が記されていた。

 ロゼと言う名前の少女は、どこか浮世離れした空気を写真から醸している。魔力データと簡単な身体データ、そしてロゼと言う少女の『経緯』について記された三枚にも満たない資料。

「色無とは、違うのですか?」

 色無の世界は物理的には存在せず、そもそもコアクリスタルは肉体ではない。ただ存在を視覚的に表すために、使用しているに過ぎない。

 風龍の問いに、色無は明滅の速度を緩め、答える。

『我らには肉体が存在しない。肉体の代わりに、我らは集合意識という形をとり個を保っている。だが、このロゼと言う少女は明確な肉体を持ち、かつ魂を持つ。我らとは異なる存在だ』

「魂があるとすると……ホムンクルスとも違うね」

 雪桜はそうぼやいて、腕を組んで軽く息を吐いた。

「どこの世界にも属さないで存在する……それはあるいは見えていないだけという可能性もあるとは思うけどね。まぁ、わざわざこういうデータを持ってくるということは、死神側としても手詰まりということだろうね」

「管理局の人員を借りたいって言ってた。だから……協力すれば、解決できる問題だと、思う」

 アルトの言葉に、どこからともなく、嘆息が聞こえた。

 管理局と評議会の仲は未だ溝がある。お互いの担当正面が真反対にあるため、主張が完全に相反するせいだった。

 だが、アルトとしてはいつまでもそんな事を続けたくはなかった。同じように世界を守るのであれば、協力するのが普通で……そもそも守るための力は一つでも多い方がいい。

 アルトにとって世界を守る事は、クオルを守る事と同義なのだから。

「ひとまず解散としよう。会議は定刻通りに開始ということで、定例会議の資料を忘れないようにね、水虎」

「……分かってるよ」

 雪桜の意地悪な言葉にぶっきらぼうに返しながら、アルトは頷いた。

 定刻まで約九時間。あるいは今夜も徹夜である。

 

◇◇◇

 

「ほんと、いい度胸ね。手足の役目を越えて管理しようなんて」

 ばさ、と真っ白な髪を払って、彼女は言う。

 口調こそ笑みを含んでいたが、その目と放つ空気だけは間違いなく怒りを湛えていた。

「まぁまぁ、それまで代わりに仕事してくれてたわけだし……俺は感謝してるけどなぁ」

「もう、甘すぎるのよ!」

 呑気な笑顔を見せる少年に、彼女はぷいっと顔を背ける。

 少年を挟んで反対側にいた真っ黒なローブを着こんだ少年よりやや背の高い黒猫がやれやれ、と頭を振る。

 議会場に現れた彼らは王の柱の住人にして、世界の管理者。

 王である『六連(むつら)すばる』と、その力の分限者、白の少女『アリシア』と黒猫『エリス』。

 もっとも、外見上からはその責務は想定できない。世界の王すばるは紺のブレザーに茶色のコートで、およそこの重苦しい空気の漂う場所には似つかわしくなかった。

 そんな王の前に立ち、ココルは深く一礼した。

「お初にお目にかかります、王。死神協会総統、ココル・ナイトレイと申します。以後、お見知りおきを」

「あ、えと、うん。よろしく、ココル」

 戸惑い気味に返し、すばるは頬を指で掻いた。

 ゆっくりと顔を上げ、ココルは薄い笑みを浮かべる。

「今回王をお呼び立てしたのは私です。お耳に入れていただきたいことと……王に助力を願いたい事態が生じました故。ご無礼をお許しください」

「そうなんだ。何か手伝えることがあるなら何でもする。いつも手伝ってもらってるわけだしさ」

 すんなり頷いたすばるに、ココルは思わず苦笑する。

「ひとまずは、評議会の定例会議と……そのあと死神協会側で生じた問題について、話し合いとしたいのですが」

「あぁ、うん」

「では、定例会議の方を頼んだよ。評議会議員殿」

 ココルが仕切る勢いで、会議を促す。

 若干張り詰めた空気が漂い始めた会議場で、アルトだけが一人はらはらとした思いを抱えていた。

「えっと……それじゃあ、定例会議を開始する。手元の資料を確認してもらえれば分かる通り……次回会議までの間に崩壊が予想される世界と、不安定な状況が続いている世界は……」

 議長として淡々と会議を進めるアルト。今回は定例の報告だけで、報告を終えるとようやく肩の荷が下りる。

「以上、です」

 慣れない議長を終えたアルトは定例会議終了と共に安堵の息を漏らしながら席に着く。代わりに別途椅子を用意されていたココルが立ち上がった。

「さて、じゃあ本題と行こう」

 途端に、びりびりと空気が震えたような気がするほどに、張り詰める室内。木を休める暇さえない。

 そんな空気を感じもさせない、堂々とした態度でココルはつらつらと発言する。

「資料はすでに配布した通り。ロゼと言う少女が、第八の世界で発見された。問題は二つ。この少女の所属が不明な点。そしてもう一つが、この少女の『糸』がすでに存在しない点だ」

「有り得ない存在、だな」

 呟いた議員の一人炎武(えんぶ)に、ココルが不敵な笑みを向ける。

「そう。有り得ない……だけど、何故か彼女は存在できる。彼女は生きているのか死んでいるのか、それが可能性を二つに分ける」

「……ああ、それですばるを呼んだわけね」

 どこか投げやりに、アリシアが口を挟んだ。

 ご明察、と言いたげな視線を投げたココルに、アリシアは肩をすくめる。

「残念だけど、王の把握できる記憶は、無限書庫にある記憶だけ。無限書庫に回収された記憶は、王の柱に帰り着くことができた記憶だけよ。それ以外の場所については、死神側で管理しているでしょう?」

「その通り。だが、こちらで彼女の存在は確認できなかった」

「柱にも、ないわよ」

 アリシアは強い口調でココルへ言い返す。

 世界にも柱にも彼女はいない。

 だとすれば、残された場所はただ一つしかなかった。

「堕海(ヴァニティ)しか……残ってない」

「ご名答」

 ぽつりと零したアルトに、初めて楽しげに、ココルが答えた。

ヴァニティと呼ばれる空間があると知ったのは、アルトが議員になってからだった。

世界は浮島と表現される。島があるなら海があり、その海にあたる部分がヴァニティと呼ばれるのだ。回収できなかった世界の断片が無秩序に漂う空間でもある。

 死神も監査官も、よほどのことがない限りは気に留めたりしない空間だった。

「もしも、彼女がヴァニティから何らかの方法によって戻ってきたのであれば、彼女の糸はヴァニティのどこかに存在する。それに、糸がないから生きていないというのは、正確ではないと評議会議員殿もよくご存じのはず。まぁ、本来これは管理局の領分だ。死神協会が手を出す範囲ではないのだけれど」

「なら、どうして情報をくれたのかな?」

 意地の悪い冷たい声で、雪桜はココルへ問いかける。

 ココルは軽く肩をすくめてみせた。

「世界は魂が充足されてこそ長い循環を可能とする。いわば魂の量はその世界の寿命だ。その魂の量が減っている。それは問題だと思わないか?」

「減っている?」

「そう。選定によって崩落した世界で回収できなかった魂は、ヴァニティへと堕ちる。ヴァニティへは、我ら死神単体では干渉できない。このままではいずれ、世界を作る魂が不足して新生さえ不能になる」

「なっ、そ、それまずいだろ?!」

 声を荒げたアルトに、ココルは冷静に頷く。

「管理局の観点から見れば、非常に困った問題だ。そこで、王にご足労願ったというわけだ」

「へ? 俺?」

 不意に話題の中心へ立たされたすばるはきょろきょろと全員を見回す。

「本来であれば、ヴァニティからの修復は王だけが出来ること。……それを成していない、あるいはしていない理由があるのなら教えていただきたいのです、王」

「え、あの……」

 困った様子で、すばるは言葉を濁す。

 傍らに控えていたエリスが音もなく進み出て、口を開いた。

「分かっていての問いであるならば……それは王に対する侮辱と受け取ろうか。死神協会総統、ココル・ナイトレイ」

「気分を害したのなら謝罪させてもらおう。……確認のつもりだったのだがね」

 目を細め、気配が鋭さを増したエリスの袖を、すばるが慌てて掴んだ。

 エリスはちらりと視線を寄越したが、何も言わずに視線を正面へ戻す。

「大丈夫だから、エリス。……えっと、ごめんココル。……俺、知らないんだ。……いや、知らないんじゃなくて……」

 困った様子で一旦目を伏せ、すばるは言った。

「……俺、先代までの王の記憶が、ないんだ。無限書庫にさえ存在しないその記憶を、俺は見つけられてない」

 ざわ、と議員が一斉にざわめいた。

 ココルとエリス、アリシアだけが冷静にその言葉を受け止めていた。ざわめきにすばるは申し訳なさそうに視線を伏せる。

「だから、仕事の範疇も良く分かってないし、だから管理局が頑張ってくれてたのは助かってたっていうか……」

「あぁもう、まどろっこしい会議ね! いちいち遠まわしにうっとおしいっ!」

 しびれを切らしたアリシアがそう声を張り上げた。

 ぎろりと睨むように一同を見回し、アリシアは言う。

「つまり、ヴァニティへの道を開いて王の記憶探しと、そのロゼとか言う小娘の存在探しと、魂回収ができるような手段を確保しろってことでしょ。最初からそう言えってのよ」

「流石、話が早い」

「言っとくけど、私もエリスも知らないからね。ヴァニティへの道は自分たちで探しなさい。それから、すばるは行かせないからね。世界と魂の管理は、管理局と死神協会に与えられた責務よ。王がするのはあくまで王の柱に帰り着いた魂と世界の管理。それ以外はあんたたちの仕事よ」

 きっぱり告げると、アリシアはくるりと振り返って、困った表情を浮かべているすばるに目を向けた。

「すばる、帰るわよ」

「へ? で、でも」

「王はね、最終手段じゃなきゃいけない。ほいほい使えるのは最終手段でもなんでもない」

「でも、困ってるんじゃ……」

「エリス、帰るわよッ!」

 ぐい、とすばるの腕を引き、アリシアは姿を消した。

 エリスは呆れのため息をついて、ちっとも動じた様子を見せないココルに視線をやる。

「計算通りかね? ココル・ナイトレイ」

「さぁ、それはどうかな?」

 くす、と笑ったココルに、エリスは再度大きなため息をついて闇に溶けるように姿を消した。

 重い沈黙が、室内を満たす。

「…………さて。どうする?」

 不意にココルが口を開いた。

 議員がそれぞれ不審げな視線を向ける中、実に堂々と、ココルは肩をすくめてみせた。

「王の協力が得られない。しかし、世界を守るためには魂の回収と少女の正体を突き止める必要がある、と」

「ヴァニティへどう繋ぐ? それは王にのみ与えられた権限だ」

『ゲートとは、つまり世界と世界を繋ぐパイプだ。パイプの外はヴァニティ。不可能ではない。ただ、逆流のリスクはある』

 炎武の疑問に、色無が冷静に返す。

 確かに理論的には不可能ではない。だが、ゲートの途中に穴をあけるという行為は、そこからヴァニティの逆流を招く恐れがあるのだ。

 だからこそ、堕ちた監査官の個人用ゲートは凍結されているのだから。

「いえ……ランクSのゲートパスであれば、一時的なもので済みます。リスクを下げることが出来るのでは?」

 風龍の言葉に、戸惑いの空気が流れる。

 ランクSパスはそもそも使用可能な人物が少ない。

 しかも、ただ開くだけでは意味がない。

 今回の任務を確実にこなすには、監査官では問題がある。

 監査官では、ヴァニティでの個人の識別が出来ないのだ。いくら高い魔力や妖力を宿していたとしても、魂の識別を可能とするのは、死神だけだ。

「……つまり、ココル……死神協会総統が言いたいのは、協力しようってことだろ」

 ぽそ、とアルトが言う。

「王の協力が得られないなら、得られないなりにやるしかないんだ。じゃなきゃ、管理局と死神協会を王が置いた意味がない。……だから、いつまでも意地張ってる場合じゃない」

 一番の若輩者たる自分が言う台詞ではないと、アルトも自覚していた。

 だが、一番組織というしがらみに縛れていない自分だからこそ、言わなければならないとも、思ったのだ。アルトの言葉は、深い沈黙に満たされた会議室に静かに広がる。

「……本当に、……水虎は、良い子だね」

 くす、と雪桜が笑みを浮かべた。

 褒めているのか、馬鹿にしているのか分からない雪桜の笑みに、アルトは黙って睨み返す。

 どの道、アルトは議会の総意に背いてでも、死神と協力することを決めていた。それが世界の為であり、ひいては自身の兄を守るためなのだから。

「さぁ、じゃあ考えようか。どうすればロゼとか言う娘が何のために現れたのか、その正体は何なのかを突き止め……その上で、世界を今後もうまく回すためにヴァニティから魂を回収する方法を」

 雪桜の発言に、アルトはほっと胸を撫で下ろす。

 それぞれが、どういう感情をもとに、今回の事態と向かい合っているかは、アルトには興味がない。

 今はただ、世界を救う方法を実行すればいいだけで。

 それが、世界を維持するために置かれた自分たちの最大の役目であるはずなのだと、アルトは信じていた。

 

◇◇◇

 

 さぁ、と風が頬を撫でる。生温い、湿った風だった。

「明日は、雨ですかねー……」

「雨……?」

 眉根を寄せて振り返ったロゼに、ブレンが首を傾げた。

「雨とは、何だ?」

「え? えっと……天気、ですよ。空から水が降ってくる現象……と言えば、分かりますかね?」

「そういうものか……」

 興味深い、と言葉の端に過らせ、ロゼは空を見上げた。

 現在ロゼはクオルの自宅に身を寄せていた。

 何かあった場合に対処できるのがクオルくらいだというのが大きな理由だという。

「ロゼさんは、雨を見たことがないんですか?」

 問いかけたブレンにこくりと頷いて、ロゼは視線を落とした。

 ロゼの持ちうる記憶は、雨がない。真っ白な雪景色は今も鮮明に思い出せるが。

「ブレンー、ちょっとブレンどこほっつき歩いてんのよーっ?」

 家の中から、ミウがブレンを呼ぶ声が響く。

 何か用でもあるのだろう。忙しい娘だ、とロゼはぼんやりと思った。

「すみません、先に入ってますね。暗くなりますから、ロゼさんもそろそろ戻ってください」

「ああ、分かった」

 答えたものの、ロゼは振り返らなかった。

 遠ざかるブレンの足音を背後に聞きながら、ロゼは一人思考する。

 今の自分を。そして、今後を。

(……ヘリエル……私は、どうして生きているのだ……?)

 誰にも問えない疑問を、一人ロゼは胸中に抱えていた。

 ざぁ、と風がロゼの髪を舞い上げる。湿った風が、明日の天気を予言する。

 明日は、雨が降る。

 明日は、光が遮られる世界に、なるのだろう。

 

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