第四話 ユメノセカイ

 

「……無茶苦茶するね、管理局も死神協会も」

 先ほど届いたばかりの資料にため息をついて、ぱさ、とデスクの上に置く。

 此度の件で一番リスクが高い仕事を与えられたのはこの転送処理課だった。課長であるファゼットの隣に佇む黒髪の少女が、くすくすと笑う。

「頼りにされると辛いね、ファゼット」

「……どうなんだかね。でもまぁ、これで協会と管理局が連携しようってなるなら悪くはないかな」

「へぇ……ファゼットにしては珍しいね。そういう組織的な所に感想を挟むなんて」

 少女の言葉に、ファゼットは複雑な表情を浮かべる。

 呆れと、落胆、それから……照れくさそうな、陰陽織り交じった感情の浮かぶ表情を。

 そしてちらりと少女を見やり、ファゼットはぽそりと言う。

「そんなことないけど」

「ふふっ。でも確かに仲良くなったら」

 ふわりと少女はファゼットの首に腕を回すと、嬉しそうに囁いた。

「もう少し、会える時間……増えるかもしれないね」

「……そうだね」

 自分が恥ずかしくて言えない言葉をさらりという。

この少女が、もう少し近くなるのならば多少の無茶も軽く呑み込めてしまう。

我ながら青いと、ファゼットは心の中で苦笑した。

 

◇◇◇

 

「それで、結論は?」

「キルルったら寄り道回り道しないでズバリ核心を突くのが好きだねっ!」

「誰も経緯に興味はありませんよ、総統」

 呆れた様子で口を挟んだロアに、ココルはけらけらと笑う。

 死神協会では、現在緊急班長会議が開催されていた。

 当然話題は例の件である。すでに大まかにはそれぞれ班長は掌握しており、あとは協会と管理局がどう動くのかだけが問題だったのだ。

 そもそも、その結論に至る経緯など聞いたところで毛ほども役に立たない。時間の無駄だ。

 ロアは、今回の件に機動班が絡む可能性は十分あると踏んでいるので、なおさらだ。

「まっ、そーだよねー、うんうん。私もそう思うよ。それじゃ、とっとと計画発表タイムにしよっか。セビー!」

 セバスチャンは、ココルの声に早速モニターにスライドを表示する。

 班長十名およびココルがモニターへと視線をやる。

「さあ、それじゃあ世紀の大イベント、ヴァニティ突貫作戦について説明を開始しちゃうよー! 心の準備はオッケーかなっ? 今更待ったはナシだよー?」

 一人高テンションなココルを今更誰も咎めはしない。

 咎めたところで直るわけもなく、それこそ時間の無駄な浪費だと割り切っているのだ。

「まずは、編成。管理局から監査官二、三名と協会からは私と他二名で乗り込むよー!」

「総統自ら出向くのですか?」

 驚いた声を上げる杏奈に、ココルは笑顔満開で頷いた。

「うん、必要だからね。特に今回は初回だから。まぁ、事情は今度ね! さて、じゃあ次。ヴァニティへの道を開く方法について簡単に説明するねー」

 モニターには簡易的な世界構造の一部が表示されている。

 球体が二つ。その間に細い管が渡されていた。

 それを示しながら、ココルは説明を加える。

「球体の二つの世界を繋ぐ、パイプのようなものが、ゲート。それ以外の全てがヴァニティだよね。これはみんなも知ってるね。てことは至極簡単! どかんとパイプに穴を開けて、後は突っ込むだけ! 超簡単だよね!」

「総統。言うだけは簡単です。でも、実際問題としてゲートに穴を開ければ、そこからヴァニティの逆流は起こりえます。そうなれば隣接した世界を崩落させるリスクが高まる。……管理局が納得するとは思えませんよ?」

 キルルが冷静に疑問をぶつける。

 ふっふっふっ、とココルは腕を組んで不敵に笑った。

 死神協会より、管理局の方がゲートについては詳しい。死神協会で思い付くようなリスクは十分承知しているはずだ。

 目を細めて、ロアはココルの発言に注意を払う。

「そう。そこで思い付いたのが、王の柱から直接ゲートを繋ぐという方法だよ! どこかのゲートに穴を開けるよりはよっぽど安心でっしょー?」

「王の柱? 王が許可されたのですか?」

「いやまさかぁ。だけど、王の柱じゃなくても王の柱に近い場所はある。それが魔法学院ランティス。そこから、個人用ゲートを利用してヴァニティへの穴を穿つ。で、このゲートを固定する。そうすることで、今後ヴァニティからの魂回収を容易にするというわけだよ。凄くない? 私ってば死神協会の仕事を強引にかつ合理的にねじ込んできたよ?」

「……なるほど。上手くやったものですね」

 素直に感心してロアが頷いていると、ココルは照れくさそうに笑った。

 そういう表情は実に子供らしいのだが、ここまで至るに、周囲を巻き込んで上手く転がしたのは明白だった。

 やはり、無駄に年を重ねてはいない。

「ゲートの問題は管理局がしてくれる。というわけで、協会側の懸念は、誰を差し出すかと言うところ。そこで! 早速お仕事だよロアちゃん!」

(……だろうと思ったわ)

 ため息をつきたいのを堪えて、ロアはココルに視線を向けた。

 他の班長達は苦笑を禁じ得ない様子だった。

「機動班初めてのお仕事! 作戦開始までに二名差し出してくれるかなっ?」

「了解です、総統」

「そこはいいともーだよ、ロアちゃぁんっ」

 地団駄を踏んでココルは悔しがっていたが、そこまで付き合うほどロアも優しくはなかった。

 

◇◇◇

 

 管理局では、ランクSパス所有の監査官の斡旋を急いでいた。

 ランクSパス所有者は数えるほどしかいない。加えて言えば、今後そのパスは使用不能になるのだ。

 新しくパスを発行するには時間がない。

 監査課は簡単に使用しているが、管理する転送処理課や調査課からすれば手間暇かかるものでしかなかった。

「というわけで、キミに白羽の矢がたった、というわけだよ」

「ふーん……」

 あまりにも興味のない返しだった。それはそれで彼らしいので、ファゼットは苦笑するほかなかった。

「パス本体が破壊されていないものは、それしかなかったんだよね」

「別に、理由はどうでもいいよ」

 至極どうでもよさそうに返したシスの傍らには、アルトが戸惑いを隠せない表情を浮かべて立っていた。

 それもそうだろう。シスがランクSのゲートパスを二枚持っているなど、知らなかったのだから。

 加えて言えば、そんな特異な存在はシスくらいなものだ。

 理由どころか、現状すらどうでもいい、とでも言わんばかりの態度のシスに、ファゼットはため息を零す。

「じゃあ、理由もなしで手放せって言われたとして素直に頷けたのかい?」

 問いかけたファゼットに、シスは視線を寄越すも、肯定も否定もしない。

 本人なりに思う所はあれど、口にすることはないということだろう。アルトの手前、というのもあるだろうが。そのゲートパスの『本来の主』について、アルトは知らないはずだ。

「……条件、ってわけでもないけど。……その作戦とやらに参加させてもらえるかな?」

「それは、アルトに聞いた方がいいね。今回のこれは、議会主導だから」

「そう。あーちゃん、いいかな?」

「え? い、いけど。……何で、お前二枚……」

 ぽん、とシスが頭に手を置くと、アルトは言葉を飲み込んだ。

「ありがと、あーちゃん」

 それ以上は問いかけられなくなったのだろう。アルトは、酷く寂しそうな表情を過らせて、目を伏せた。

 理由を教えて欲しい、わけでもないはずだ。もしもそうなら、今頃しつこく食い下がる。

 ただ、アルトは隠し事をする性格ではない。向き不向きもあるだろうが、そもそもアルトは心を許した相手に対して秘密を持つこと自体を引け目に感じる性格なのだ。

 だからこそ、相手にもそうあることを無意識に願っている。

 それに反すると、どこかで心に傷を負うという……普段の様子からは窺えない繊細さが、アルトにはある。

 理解はしていても、シスはそんなアルトだからこそ、今までもう一つのパスについては言わないでいたはずだ。

 今回の件がなければ、きっと永遠に言わなかったに違いない。

 それを表に晒してしまった事を、ファゼットは申し訳ないとは思っていた。

「……悪いね、シス」

「いや、別に。それにさ……これがあったから、僕は監査官になったんだよ、あーちゃん」

「え?」

 首を傾げたアルトに、シスは小さく笑みを浮かべる。

「そのままの意味。これは僕のじゃないし……もう更新時期はとっくに過ぎてる。だけど、これがあるから今でも僕は監査官であり続けるし、あーちゃんの隣に居ようって思ってるんだよ」

 アルトは怪訝そうな表情を崩さない。言葉の意味をうまく噛み砕けないのだろう。

「そのうちね。……ちゃんと、話せる日が来ると思うよ。……ごめんよ、あーちゃん」

「……いい。別に……俺はお前の古傷抉るような真似はしたくない。ただ……」

「ただ?」

 反復したシスからアルトはぷいっと顔を背けて、ぽつりと呟いた。

「ちゃんと……帰って来いよ」

「あーちゃん……何でそう可愛い事言うかなぁ」

「だあぁっ?! くっつくなっ! 離せ馬鹿?!」

 反射的に抱き付いたシスにアルトが猛抗議をするがその程度で離れてくれるわけもなく。

 ファゼットは、思わず呆れてしまう。どうみても戯れている。

 緊張感など皆無だ。

「……あー……とりあえずいい? パス預かるよ?」

「うん。役立ててくれると、喜ぶと思うよ」

 頷いてシスからパスを預かると、ファゼットは深いため息をついた。

 シスに緊張感を求めても通じるわけもないのだが、どうにも不安しか過らせてくれないのも、困りものである。

 

◇◇◇

 

 魔法学院ランティスへの集合完了時刻は、あと五分に迫っていた。

 学院のすぐそばにある巨大な湖の真ん中には、一つだけぽつんと島がある。かつてはこの島に魔力を清浄化する巨大樹が存在していたという。膨大な魔力を処理しきれず枯れ果て、今や朽木となった幹が風化しているのみだが。

 ここに、ヴァニティへのゲートを開く。

 すでに転送処理課と調査課でゲートの調整は済んでいる。

 あとは、作戦実行のタイミングでゲートを開くだけだった。

 旧式のゲートパスであるために、転送処理課で実行可能なのが救いだった。

 おかげで、短時間で準備を済ますことができたのだから。

「さてさて、管理局側は誰を出してくれるのかなー?」

「あの、本当に総統……ですよね?」

「もちろんだよっ! 私こそ死神協会総統『宵の血族』ココル・ナイトレイだよ!」

 くるりと一回転し、左手を腰に手を当て、右手を高らかに掲げるというよくわからない決めポーズをしたココルに、ネシュラは曖昧に笑うしかなかった。

 あまりにも、イメージからかけ離れていたのだ。

 死神側で遣わされたのは、キアシェとネシュラの二人だった。

 ロアの判断により、若手の二人が選ばれたのだ。一番リスクが低い、とのことだった。

「でも流石ロアちゃんだよね。ヴァニティの性質をよくわかってる」

「そうなんですか?」

「そーだよ。ヴァニティは、王の柱と同じ性質を持つからね。崩落した世界の出身者では、取り込まれてしまう可能性が高いんだ」

「なるほどね」

 そっけなく同意すると、キアシェは興味もなさそうに空を見上げた。

 そんなキアシェに、ココルがととっと駆け寄る。背丈的には同じくらいだが、体を傾けたココルが、キアシェを覗きこむ。

 視線を下ろしたキアシェが、敬いの精神など欠片も見せない冷静な瞳でココルを見やった。

「何? 総統閣下」

「いやいやいや~、本当に興味深いよねぇ、キアシェちゃんは」

「……何がさ?」

「キミくらい偏った未練を持った死神を私、初めて見たなぁって思ってね。紙一重の強さだよね、それってさ」

「残念な死神で悪かったね」

 さして感情のこもっていない声音で、キアシェは淡々と返答する。ココルは楽しげに笑って首を振った。

「そんな事ないよ。最強でもあり最弱でもあるっていうのは死神と言う存在の面白いところなんだから。でも、下手をすれば永遠に縛られてしまうかもしれない運命さえ、キアシェちゃんは受け入れられるの?」

「……馬鹿なこと言うね、総統閣下もさ」

 キアシェは肩を竦め、目を細め冷たくココルを見据える。

「そんな事を恐れてたら、僕はあの人のところに行く資格さえないよ」

 ココルは呆気にとられた表情を浮かべ、次いで苦笑した。

「なるほどね。……さて、来たかな?」

 ココルが振り返ると、ひらりと彼らは現れた。

「あ、ごめん。待たせた?」

 先陣を切って言葉を発したのは、紺色の学院のローブに身を包んだ男だった。

「いいや、問題ないよ。そうそう、自己紹介をしておこうかな? 死神協会総統ココル・ナイトレイ。よろしく頼むよ」

「あ、ネシュラと申します」

「……キアシェ」

 ぺこりと頭を下げたネシュラと、別段面白くもなさそうなキアシェが続く。

「どうも、俺はジノ・アイギスで……、こっちはシス・シュラーフェン」

 ローブの男がジノで、見た目からは胡散臭さしか感じないシスを、それぞれ見やる。

 ふとネシュラがキアシェを何の気なしに見やると、シスをじっと睨みつけていた。

 思わぬ視線に、ネシュラはぎくりと身を強張らせる。

「……何かな?」

 不敵な笑みを浮かべたまま、シスはキアシェに問いかける。

 笑みこそ浮かべていたが、気配は威圧を隠そうともしていなかった。

 冷たい視線の応酬に、傍にいたネシュラは怖気に襲われて、身を縮める。

「僕は、キミを絶対許さない」

「さて何の話だか、思い当る節がありすぎて分からないね」

「まぁまぁまぁまぁ」

 ココルが焦った様子もなく仲裁に入る。

「さっさと仕事を終わらせてから喧嘩しようね。……それから……――どうしているのかな、キミは?」

 ココルの視線に、彼女は動じたそぶりさえ見せずじっと視線を返すだけだった。

 シスとキアシェの様子に苦笑いを浮かべていたジノの傍ら。

 ジノの脇に佇むのは、ロゼだった。

「キミは待っていてくれた方が助かるんだけどね」

「待っていたところで、好転するとも限らない。これは私の問題なのだろう? ……なら、当事者が行くのに問題があるのか?」

 実に堂々とした物言いだった。ジノが驚いた表情を浮かべ、ロゼを見やる。

「え、ついてくる気だったのか?」

「当然だ。……そもそも、私はこんな世界知らない。私が知っている世界は、ここには存在しない。その意味を、私は知らなければいけない」

「どういう……意味です? 貴方は、記憶がないんじゃ……」

 問いかけたネシュラに、ロゼはつい、と視線を寄越す。

 透明な緑の瞳はどこか虚ろで。そしてロゼは口元に笑みを浮かべ、軽く首を傾けた。

「……ちゃんと問いには答えたはずだが? 何故私があそこに居たのかは知らないし、私の知っている世界は、どこにもない。それを記憶喪失というのであれば、そうなのだろう?」

「食えない奴だと思ったけど、思った以上だね」

 キアシェが吐き捨てるように言うと、ロゼは肩をすくめてみせた。

「嘘はついていないのだから、責められる覚えはないな。私の記憶に欠落があるのは本当だ。それ以上語ることはない」

「……ついてくる目的は、何?」

「ヘリエルに会いたい。それだけだ」

「ヘリエル……? 誰、それ」

 問いかけたキアシェに、ロゼは少しだけ表情を曇らせると、横に首を振った。

「分からない。だが、私はヘリエルに会わなければいけない。私が生きている意味を、問わなければいけない」

 ロゼの言葉は、真剣だった。嘘では、ないのだろう。

 視線を伏せたロゼの様子に、キアシェは視線でココルに問いかけた。

――本当に連れて行くのかと。

 ココルは静かに頷いて、ロゼに歩み寄った。

「……一つだけ約束してもらうよ? 私達から離れたり、勝手な行動はしないこと。いいかな?」

 ロゼは顔を上げ、こくん、と頷く。

 ココルは頷き返し、ぐるりと一同を見回した。

 反論は、特にない。今更そこに時間を費やしている暇はないのだから。

「さて、じゃあ時間だし。そろそろ出発しようか」

 ココルが宣言すると、その場の空気は一気に緊張感を増した。

「ちょっと待った。行く前に連絡だけしておきたいんだけど、いい?」

「どうぞどうぞ」

 断りを入れたジノに、ココルは特に考えた様子もなくさらりと許可を出す。

 ジノは小さく頭を下げると、通信機を取り出した。

 恐らくは、管理局本部へと連絡を行うためだろう。死神と違い『組織色』の強い管理局らしい行動だ。

「管理局も大変ですね」

 ネシュラがそっとココルに言うと、ココルは苦笑して首を振った。

「そうでもないよ。あれは保険をかけてくれてるんだよ」

「保険、ですか?」

「そう。まぁ死神にどこまで通用するのかは分からないけど、秘密兵器を待機させてるんだろうねぇ」

 含みのある言い方に、ネシュラは一つの可能性が脳裏に閃く。

 この様子からしても、ココルの言う管理局の秘密兵器は評議会ではないだろう。

 ならばココルの示す秘密兵器はただ一人。時を操る能力を持った監査官であるエージュ・ソルマルである可能性が高い。確か今回随行するジノの教え子のはずだ。

 エージュの能力は緘口令が出されているほど評議会がひた隠しにしている。本人にも使用は固く禁じているだろう。それをジノは保険として用意してきたのだ。

 最悪の場合、時間を逆行させてでも自分たちの身を保護しようという、恐らくはジノが個人的に用意した保険だ。違和感は多少残るが、それが一番筋の通る答えだとネシュラは判断する。

 ちらりと傍らのココルを窺うと、不敵な笑みを浮かべているだけだったが。総統たるココルだ。ネシュラとは違う思惑を持っていても、何ら不思議はない。

 ジノが通話を終えて通信機を仕舞い込むのを見届けると、ココルがようやく口を開く。

「いいかな?」

「うん、ありがとう。……行こう」

「じゃあゲートを開いてもらえるかな? そこからは、私が請け負うよ」

 ジノが頷いて、シスを視線で促した。シスは軽く頷く。

 次の瞬間、ひゅぉ、と異質な風がこの場に舞い込んだ。ほんの数瞬前まで存在しなかった、しかし明確な言葉にするには困難な空気の変化。これがゲート開閉の合図のようなものだ。

 通常は、これで世界の境界線を飛び越える。

 しかし今から向かうのは言うなれば『世界の狭間』だった。

 そして、ただゲートを繋げばヴァニティへ踏み込めるわけでもない。薄皮一枚程度の存在であるなら、その存在が今まで誰の口からも語られなかった事実の方がよほど異質で。

 ちゃらっ、と金属の軽くぶつかる音。

 見れば、首から下げた十字架を握りしめ、ココルが瞳を閉じていた。

 その姿からは、冷たい威圧感が滲んでいる。さきほどまでの子供じみた印象は残らず消え失せていた。

「幽閉されし欠片の海……その海原への道を拓く鍵を受け継ぎし一族の名を証に、扉を拓く」

 凛とした声で言霊を紡ぐココル。その髪が、風になびきながら闇のような黒から、輝く銀髪に変化する。

 す、とココルが瞳を開き、握りしめていた手を開くと、十字架は鍵の形へと変化していた。

「今ここに、ナイトレイの名と血を持って、虚無への道を開放する!」

 ココルの力強い宣誓と共に、ひときわ強い光が周囲を白く染め上げた。

 

◇◇◇

 

 どこからともなく、楽しげなメロディーが聞こえてくる。

 聞いているだけで安らげるような、不安や恐怖などどこにも存在しない様な気になる音楽が。

「そう……これがヴァニティだよ。堕ちた海、虚無。言葉では何とも暗いイメージしか与えないけど、本当のヴァニティはこんなにも穏やかで、幸福そうに見える」

 ココルの声に、はっと我に返りネシュラは周囲を見回した。

 穏やかな風の吹く、緑の草原の只中。頭上には青い空に、綿のような雲がたなびく。

 どこかで、小鳥がさえずっていた。そして深い音色の音楽が微かに、しかし確かに鼓膜を叩く。

「……ここが……ヴァニティなんですか? 本当に?」

「そうだよ。ここを守護するのが、ナイトレイの本当の役目。誰にも干渉させず、誰にも干渉しない。だけど、そうもいかなくなったみたいだからね。……時代の変化に対応する。それが生き抜くコツだよ」

 くす、とココルは笑みを見せた。髪は変わらず、銀のままだ。

「……堕海(だかい)とは上手く言ったもんだね。確かに、こんなところに居たら堕落するだけだよ」

 冷たく言い放ち、キアシェは鼻を鳴らした。

「……あれ? 総統、監査官の方々とロゼさんが居ませんよ?」

「あぁ、やっぱり?」

 予想通りと言わんばかりのココルに、ネシュラとキアシェはそれぞれ怪訝そうに目を向ける。

 ココルは小さく肩を竦め、苦笑した。

「ここは、欠片たちの見る夢で出来てる世界なんだよね。私たち死神は生きていないから、夢を見ることはない。だけど彼らは違う。彼らは、この夢の世界に溶けてしまうわけだよ」

「それって、まずくない?」

 キアシェが珍しく戸惑いを見せる。

 だが相変わらずココルは飄々とした態度を崩さず、笑みさえ浮かべてみせる。

「逆だよ。私たちは彼らを探し出せばいいだけ。そうして、夢から醒めさせればいい。死神は、魂を嗅ぎ分けられるんだから、それくらいは簡単なことだよ」

 ちっとも簡単なことではない。感じる気配はごまんとあって、その中からたった数人を探し当てるなど。

 ネシュラが不安を、キアシェが不服を顔に出すと、ココルはくるりと背を向けた。

「ひとまず進もうよ。道中、色々と説明はしてあげるからさっ」

 二人は顔を見合わせ、それぞれ頷いた。

 立ち止まったところで、何か生み出すわけでもない。

 なら進み続けるしかないのだ。

 今更引き返す道など、ないのだから。

 

◇◇◇

 

 キーンコーンカーンコーン……

 不意のチャイムの音に我に返る。はっと顔を上げると、がたがたと席を立っていくクラスメイトの姿が見えた。

「え、えっ……?」

 ジノは戸惑いながら、周囲を見回す。

 黒板、生徒に質問される教師、机を寄せ合って、昼食の準備をしながら談笑するクラスメイト。

 酷い、違和感がする。

 混乱するジノを他所に、ジノの席の前に、不意に人が立つ。

 驚いて顔を上げると、苦笑を浮かべるクラスメイトがいた。

「なんつー顔してんだよ。俺驚かすようなことしてねーぞ」

「あ……え? だ、誰?」

「おっまえなぁーっ。ダチの名前ふつう忘れるかぁ?」

 メロンパンと牛乳、加えてシュークリームを机の上に置きながら、彼は言った。

 それでもジノは戸惑いを隠せない。

 名前が、思い出せないのだ。

「リキヤ。ったく、どーいうボケだよ、ジノ」

『リキヤ』……クラスメイトはそう呆れながら言って、牛乳のパックにストローを突き刺した。

 黙り込むジノに、リキヤは苦笑した。

「馬鹿、そんな落ち込むなよ。誰も怒ってねーから。それより、さっきの時間の課題どーするよ?」

 当たり前の会話……だった。

 だがどうしても、引っかかる自分がいた。

 これは本当に、当たり前だっただろうか、と。

「おーい、ジノぉ?」

 ひらひらと眼前で手を振られ、ジノは慌てて我に返る。

「な、何でもない。えっと、リキヤはどうするつもりなんだ?」

「俺? 俺はジノの課題を模写するのが仕事だ」

「何だよそれ」

 思わず笑ってしまう。

 そうだ。これが、当たり前の光景だった。リキヤは、いつも自分を当てにする。

 甘やかすのもいい加減にしないとな、とジノは苦笑しながらそんな事を思った。

 

◇◇◇

 

 リキヤと他愛無い会話を交わしていると、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り響く。

 慌てて机を片づけて、リキヤは自分の席へと戻っていった。

 ざわつく教室へと次の時間の教師がやってきて「お前ら座れ座れー」と大して思ってもいないくせに急かす。

 ジノも机の中から教科書を引っ張り出し、指定されたページを開いた。

 数分もすれば教師の単調な声と黒板を叩くチョークの音だけが響く教室になる。後ろの席ではすーすー寝息が聞こえてくるし、隣の席では教科書の影で漫画を読みふけって居るクラスメイトがいた。

 平穏で、安定した毎日。明日も、平和な日々だ。

――ああ、日常っていいな……。

 心の底から、ジノはそう思った。

 くだらないことを喋って時間を潰し、たまに宿題に追われてみたり。そうやって明日も明後日も、クラスメイト達と楽しい日々を過ごす。

 なんて、幸せなんだろう。

(そうだ……帰りに本屋に寄ろう。……ずっと、読みたかった本があったっけ)

 単調なチョークの音に心地よくなり、ジノも視界がぼやけてきた。

 こつこつ響く、チョークの音。平和そのものの、音が鼓膜を揺らして、ジノの意識を薄れさせた。

 だけど、これは現実だったっけ?

 こんな日々に、埋もれていたんだっけ……――?

 少なくとも、こんな満たされた気持ちを、ジノは酷く懐かしく感じた。

 違和感は、確かにある。

 だけど、それ以上の暖かな感情が、その違和感を飲み込んで掻き消していた。

 

◇◇◇

 

 がやがやとざわつく音が、ジノを微睡みから引き揚げていた、そんな時だった。こめかみに対して、鋭い痛みが炸裂する。

「……ったぁ?!」

 慌てて飛び起きると、意地悪な笑みを浮かべたリキヤと、もう一人の女子クラスメイトがいた。

 ツインテールの勝気そうな少女の傍ら、リキヤが言う。

「いつまで寝てんだよ、ジノ」

「あんたはなんて起こし方してんのよ、もう。大丈夫? ジノ」

 リキヤを小突く少女の名を、ジノは思い出せなかった。何だか今日はこんな事ばかりだ。

 視線を彷徨わせていると、少女の持つ学生鞄に括り付けられたストラップに「MIKU」とブロックビーズが並んだ文字列が見えた。

(美玖……そうだ、美玖だ)

 すっと混乱が静まり、ほっとしつつも額で疼く痛みに、ジノは苦笑を浮かべる。

「だ、大丈夫……」

「そう? ま、いいけど。それより、帰るわよ」

「ああ、うん」

「まーた美玖の荷物持ちかぁ。ほんと、いいように使われてるよな、俺ら」

 肩をすくめたリキヤを美玖がぎろりと睨み付け、その耳を強く引っ張った。

「何ですってぇー?」

「痛ぇっ、じょーだんだよじょーだんっ! いやもう可愛い美玖様の荷物持ちなんて最高の栄誉だなー!?」

「最初からそういえば良いのよ」

 ふふん、と得意げに笑った美玖にリキヤが見えないように顔を背け、舌を出していた。

 ジノは半ば呆然とそんなやり取りを見つめていたが、不意に、笑いがこみ上げた。

「何笑ってんのよ、ジノ」

「いや、うん。仲良いなぁってさ」

「「どこが?!」」

 見事に同じタイミングで反論した二人に、ジノは余計におかしくなって、笑いをこらえきれなくなった。

 互いにそっぽを向き合う二人と、止まらない笑いに涙を浮かべたジノは、クラスメイトの淡い注目を浴びていた。

 

◇◇◇

 

 簡単な食材を買い込んで、美玖とリキヤはジノの自宅へやってきた。

 自宅と言っても、ジノの両親は今国外へ出張中で不在であり、自宅マンションで独り暮らし状態だった。

 玄関に刺さっていた新聞と何通か届いていた手紙を手に、ジノは自宅の扉を開けた。

 勝手知ったる様子で美玖とリキヤは中へ踏み込んでいく。

 リキヤは荷物をキッチンに運び込むとリビングへ向かいテレビをつけ、美玖は早速夕食の支度を始めた。

 いつも、一人で食事をするジノを気遣って、同じく独り暮らしのリキヤは毎日やってくる。そしてたまに美玖が食事を用意してくれるのだ。

 美玖はマンションのお隣で、両親ともにその辺りの事情は知っている。

 何度も繰り返した光景。

 寂しさなど忘れられる、心優しい友人たちに囲まれている空気が、ジノは嬉しかった。

「ジノぉー、親御さんから手紙と届いてんぞー」

「え?」

 ひらひらと手紙を振って、リキヤが声をかけた。ジノは慌てて手紙を受け取り、封筒の中身を取り出す。

 興味津々と言った様子で視線を投げるリキヤの隣に座って、文面に目を通す。

 そこに並ぶ言葉は、ジノを案じる言葉と、来週には帰宅する旨だった。

「へぇ、良かったなー。来週返ってくるのかぁ」

「そうみたいだな」

「じゃあ俺らはもう、来れねーなぁ」

 ぼふ、とソファの背に体重を預けたリキヤに視線を向け、ジノは慌てて首を振った。

「ど、どうせまた出張あるんだし! 行かなくても、分かってくれるって! だからっ」

「ばーっか」

 ぺしっ、と額を軽く叩かれ、ジノは目を瞬かせた。

 リキヤは苦笑しながら、そんなジノに言う。

「そんなんで、ダチじゃなくなるわけじゃねーよ。お前はそーいうとこ心配しすぎだ、いつも」

「……そ、そんな事ない……」

「少なくとも、美玖はそう簡単にどっか行ったりしねーよ。隣だし、そもそもあいつはジノの事好きだし」

「なななな何言ってんのよあんたはーっ!?」

 顔を真っ赤にしてキッチンから怒鳴りつけた美玖に、ジノがぎょっとした表情を浮かべ、リキヤは腹を抱えて笑い出した。

「ちち、違うからねジノ! そういうんじゃないから勘違いしないでよ?!」

「う、うん……?」

 戸惑いながら頷いたジノに、美玖は慌てて顔を伏せて、夕食の支度に戻った。

 くだらない談笑をしながら食事をして、九時を過ぎたころ二人は帰っていった。

 そうして、静かになった自宅でジノはその空気を失わないうちにさっさと眠りにつく。明日も、同じような温もりがあることを、疑わないでいられるのだから。

 

◇◇◇

 

 翌朝、欠伸交じりにジノは通学路を歩いていた。

 昨晩少しだけぱらついた雨が、かすかに残った街並み。

 朝露を受けて光る景色。少しだけ眩しくて、だけど清々しい。

 落ち込みそうな気分をそれだけで振り払ってくれる、そんな爽やかさの中を抜けていく。

「あれ」

 ふと、視界の隅に映ったのは、コンビニの軒先でちょこんと座る三毛猫だった。

 三毛猫はジノの姿を認めるとちょこちょこと歩み寄って足にすり寄った。

「餌もらえなかったのか?」

 しゃがみこんで、苦笑しながらジノは三毛猫を撫でる。

 この三毛猫はジノに良く懐いていた。たまに餌をあげていたせいか、ジノの姿を見つけるとすり寄るようになったのだ。

「ちょっと待ってろよ」

 そう三毛猫に告げ、ジノはコンビニの中へ。

 今日の昼食と、魚肉ソーセージを購入したジノは、コンビニから出ると三毛猫を促し、少し離れた空き地へ向かう。

「ほら、これ。俺は行くから、またな」

 魚肉ソーセージの包装を剥いて、適当にちぎってからジノは猫を撫でた。嬉しそうな鳴き声を上げた三毛猫に見送られながら、再び通学路を歩き出す。

 今日も、穏やかな一日が過ぎていく。

 

◇◇◇

 

 午後一番最後の授業にうつらうつらしながら、ジノはぼんやりと思考していた。

 今日の放課後は、リキヤと美玖は委員会で遅くなるという。

 夕飯は一緒だからと美玖が何度も念を押していたので、要は待っていろと言う事だ。別段それに反抗する気はないが、暇つぶしに何をしようかとジノは考えていた。

 CDショップも、悪くない。そういえば、好きなアーティストの新譜が出たはずだ。

 そして不意に、思い出す。

(あぁ、そうだ……前に約束してたから……今日こそ、すばると遊……)

 びくっ、とジノは硬直する。

――すばる?

 心拍数がとたんに跳ね上がった。

 すばる。自分にとって、最高にしてただ一人の、親友の名前だったはずだ。

 そう思考が行きついた瞬間、ジノは息が詰まる感覚に襲われた。それは、真実。揺るぎない現実。

 ならば、リキヤと美玖は?

 あの二人は……自分の中に渦巻く、この言い様のない違和感は、何だ?

「ちが、う……」

 かすれた声で、ジノは呟く。

 心臓が激しく脈打って、頭痛がしてきた。

 心が軋みを上げていた。

 今目の前に広がるこの光景こそが、本当に自分の願う世界であることは間違いなかった。

 でも、それを受け入れたら、ジノはたった一人の友人を否定することになるのだ。

 それは、絶望の選択だった。

「あ……ぁ……」

「……ジノ? おい、どーしたよ?」

 顔を上げると、酷く心配そうな表情を浮かべたリキヤが首を傾げていた。

「具合悪いのか? しょーがねーなぁ。送ってやるよ」

 染み込んでいくその言葉が、ジノにとっては甘美な響きであり、同時に毒のように突き刺さる。

 じわじわと沸き起こる痛みと涙をジノは首を振って否定した。

 ずっと願っていたはずの、たった一つの光景がここにある。

 その一方で、自分の今迄を支えてきた存在は、ここにない。

「すばる……、すばる……! どうしたらいい……俺、は……」

――求めてたのは、こんな世界じゃないんだ。

 求めていたたった一つの世界は、すばると共にもう一度笑える世界なのだから。それが、他の誰をも失ってでも、取り戻したいたった一つの願い。

 

――ぱぁんっ、とガラスが割れるような音が響き渡り、景色が破片となって崩れ落ちた。

 

 残ったのは、漆黒の世界。人の姿も建物の形もすべて失われて、自分が着ていた制服も、今は紺色のローブで。

 唖然として座り込むジノの背後に、こつん、と靴音が響く。

 驚いて振り返ると、そこにはココルとネシュラがいた。

「どう、いう…………」

「そういうこと、だよ。見て、感じたキミなら分かるんじゃないかな?」

「俺は……俺が見たかった世界を……」

「うん。ここは夢で出来ている世界。だからこそ、崩落した世界の人は来てはいけない。来たら、飲み込まれてしまうから」

 ココルの言葉は、ジノの心に痛いほどに良く響いた。

 自分が願っていた、平穏で、暖かい世界。

 ただ一人、すばるがいないことを認めれば何もかも幸福に包まれた世界だった。

 でも……その存在なくして、自分は居ないのだ。

 だから、ジノは甘美な夢を否定した。すばるが守る世界を守護し続けることが、今の自分の役目だから。

「……はは。……最悪だな……夢って、こんなに痛いんだ」

「でも、夢は生きているから見続けられる。いつか、叶えることができるかもしれない未来。それが夢だよ」

 ジノは目元をぬぐって、頷いた。

「ここは、最高にして最悪な堕落の場所だな」

「そうだよ。だから堕海と呼ばれる。でもね……そんな彼らは、永遠の幸福と言う悪夢を繰り返しているんだよ。そこには何の変化もない。未来も過去も、何も。私たちはね……それを断ち切ってあげなくちゃいけないんだ」

――変化のない存在など、最早存在していないに等しいのだから。

 

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