第五話 再臨の魂 

 

「う、わ。凄い……これが、ゲート自動修復システムかぁ」

 巨大な機械を前にすばるは素直に感心していた。

 黒い、金属製のフォルム。円柱の中にはクリスタルが、数箇所のガラス窓から確認できる。

 太いパイプが室内の壁に幾本も伸びて、冷却タンクへとつながっていた。

 循環式冷却機能を備えた、空子循環装置を改良した源泉のエネルギーを収集・圧縮する装置の本体だった。

 傍らで同じようにそれを眺めていたエリスとアリシアは特に興味もなさそうに見上げている。

「これで、完成度八十パーセントくらいだっけ?」

 振り返って問いかけたすばるに、風龍……桜花(おうか)が頷いた。

「あとは、計器の調整と、自動修復のためのシステムと連携させます」

「そっか。……大丈夫。絶対うまくいく」

「ええ。……それが私たちのいる意味なんですから」

 すばるは微笑むと装置を再度見やる。

 なんの力も持たない自分だからこそ、すばるは信じることが出来る。

 そのために先代が残した希望を、花咲かせる。

 それが、今自分が王として存在する意味そのものなのだから。

 

◇◇◇

 

 定例会議はここ最近GARS本部で開かれることが多かった。

 管理局本部にある会議場と比較すると、小さな部屋で設備も整ってはいないが、特に問題なく行われている。

「あと、三日もあれば完成ですね」

 感慨深い思いを抱えながら、桜花が言う。

「死神協会にもシステム起動時刻は伝達済みだ。対応は万全とのことだから、そちらの不安はない」

「あとは、実行するのみ、ですね。……まだ終わったわけではないので気は抜けませんが」

 星闇の言葉に桜花は念を押した。

 だが、もうすぐこの状況に終止符が打たれるのは間違いない。

『残りの準備は、我らでしておこう。皆は休みたまえ。働きづめで、ろくに休めてもいないだろう』

 色無はコアクリスタルを明滅させながら、皆の脳内へ声を届ける。

 おおよその準備は整っている。残るは微調整だけだ。確かに全員が取り掛かる必要はない。

『嫌な静けさだ。王の魂がこのまま黙っていてくれるとも、思えない』

「それは……」

『事態が動くとしたら、システムを起動したその時だろう。我らであれば、その選択をする』

 色無の言葉に、誰も反論が出来なかった。

 確かに、一時を凌いでから、異常なまでに静かだった。

 多少の異変はあったが、すぐに終息するものがほとんどで、それほど問題になっていない。

 このまま終わるはずもないことは、感じていた。

「分かった。そうしよう。……最後の最後に、寝不足や疲労で負けるなどありたくない」

 奏空がすっと立ち上がって、一同を見回す。

 戸惑いの沈黙が広がる中、白雷が静かに口を開いた。

「私も色無のサポートをします。私に疲労という概念はありませんので。皆は、休息が仕事です。特にアルト」

「へ、俺?!」

 ピンポイントの名指しを受けたアルトはぱっと顔を上げ、白雷を見やる。

 白雷は微動だにせず、アルトへ視線を向けていた。

 その視線に戸惑うアルトに、雪桜が後ろから腕を回した。

「な、なんだよ?!」

 後頭部にあたる柔らかい感覚に慌てふためくアルトの頭に、嬉しそうに頬ずりする雪桜。

 雪桜の真っ白な髪がはらはらとアルトの頬を撫でた。

「ま、いいからさ。キミが最後まで落ち着いてこの仕事を完遂するために、会っておいで。……キミの兄や家族にね」

「……子ども扱いすんな、馬鹿」

 ぼそっと言い返したアルトに、雪桜はくすくすと笑って手を離した。

「さぁ、じゃあ次は、GARS起動開始時刻にね!」

 明るい雪桜の声が、臨時会議場に響いた。

 GARS本部で開かれた定例会議は、こうして幕を閉じた。

 

◇◇◇

 

 久方ぶりの、自宅だった。

 正確には自宅ではない。でも、アルトにとっては最早ここが自宅だった。

 クオルたちと共に暮らす、この街から少しだけ離れた家が。

 その前に立つだけで、ほっとする。それと同時に、少しだけ過る。今日が、最後かもしれない、と。

 もしも計画が失敗すれば、今度こそクオルは王の柱に拘束されることになるだろう。

 あるいは、すばるがゲート機能を全て停止するかもしれない。

 後者であれば、もともとこの世界の住人ではないアルトは二度とここへ訪れることはない。

 胸の奥がきゅっと掴まれるような痛みが走る。

 保証のない明日が、不安で仕方ない。

 色無は……いや、他の議員も、そんなアルトの心情を分かっていたのだろう。

 だからこそ、帰宅を進めたのだ。悔いを、持たないように。

「邪魔よ」

「だっ?!」

 完全に油断していた背後から衝撃を喰らい、アルトはたたらを踏む。慌てて振り返ると、籠に野菜を抱え不機嫌そうな顔をしたミウが立っていた。

「ミ、ウ……?」

「ぼけっと突っ立ってんじゃないわよ。ていうか、あんたがいないと変態が本気で目障りだわ。とっとと入って、あの変態の相手をして頂戴」

「え、あ」

 ミウはアルトの返答を待たずに、さっさと扉を開けた。

「変態ぃー、アルトが帰ってきたわよー」

「ちょっ、まだ心の準備がっ!」

 何の準備よ、とミウは呆れた様子で言い放つとすたすたと奥へ消えていった。

 ぱたぱたと走ってくる音にアルトは思わず立ちすくむ。

「おかえり、あーちゃん!」

 何故そんなに嬉しそうなのか知らないが、シスが駆け寄り案の定抱き付いてきた。

「く、くっつくなっ!」

 慣れた温度を払いのけようと暴れるが、それに勝てた試しは一度もない。

 もっとも互いに本気で抱き付いてもいないし、本気で殴ろうともしていないのは分かっているのだが。

「仕事終わりだというのに元気ですね、アルト」

「あ……!」

 慌ててシスを振りほどくと、クオルがライヴを肩に載せて、苦笑していた。

「おかえりなさい、アルト」

「兄貴……、……ただいま!」

 ぱっと表情を輝かせてアルトは嬉しそうに、クオルへと駆け寄った。

 シスが少しだけ不服そうな表情を浮かべたが、すぐに安堵したように、笑みを浮かべる。

「休みを戴いたんですか?」

「システム起動まで時間が出来たから。兄貴は? どっか具合悪いとかないか? 輪廻の輪とか、柱とか、色々大変だったろ」

「ご心配なく。ライヴも一緒でしたから。それより、アルトの方が疲れてるでしょう?」

 クオルの気遣いの言葉に、アルトはぶんぶん頭を振り、そして笑った。

「大丈夫。それより、色々聞かせてくれよ。柱とか、輪廻の輪とか、俺行ったことないし」

 笑顔で頷いたクオルに、アルトはそれだけで安心する。

 これからもこんな時間を続けたくて、頑張ってきたのだから。

 一分でも一秒でも、長く続けるために。

 

――そして、運命の日は、訪れる。

 

◇◇◇

 

 緊張の面持ちで、各機器の技術者たちがその時を待っていた。

 GARSの起動開始命令である。

 正装に身を包んだ議員。その中心に佇むのはすばるだった。

 世界を自分たちの力で守るために、持ちうるすべての技術と知識を動員して作り上げた希望のシステム。

 今までの世界からの独立に等しい。

 それは裏切りではなく、旅立ちだ。

 すばるは、そう感じていた。だからこそ、すばるは評議会の決断を見守っていたのだから。

 ぐるりと議員を見回し、すばるは一つ頷く。

 システム中枢の制御室に揃った議員たちの表情はそれぞれ固い。すばるの発する声に、緊張をしているのが手に取るように分かるほどだ。

 その声が、世界の在り方を大きく変えるのだから。

 その一歩が、すばるの願う世界のカタチに繋がっていることを信じて、すばるは息を吸った。

 そして、宣言する。

「……≪エデンの盾≫起動!」

「了解。≪エデンの盾≫、システム起動を開始」

 復唱した転送処理課長のファゼット。ファゼットの言葉を合図に、技術者たちの手により、制限モードでスタンバイしていたシステムが、本格的な稼働モードへ移行する。

 全ての制限を解除され本格的な稼働モードへ移行したシステムにより、システム中枢にあたるクリスタルが回転速度を徐々に上げていく。

 クリスタルが回転することにより、エリスとアリシアから回収した修復に必要なエネルギーを圧縮している。この圧縮エネルギーを使用するのだ。貯蔵と消費のバランスを取りながら。

「純度計測、九十八パーセント以上を維持。問題ありません」

「耐圧・耐熱各測定値、基準以下で安定しています」

「貯蔵量、上昇します。こちらも各測定値問題なし」

 技術者たちが次々と報告をあげていく。

 各数値が目まぐるしく変化を告げていく室内は、徐々に熱を帯びてきていた。

 誰もが、息を潜めて状況を見守っている。

「続けて、送信システム起動」

 冷静な声で、ファゼットが更に指示を飛ばす。緊張の面持ちで自分の出番まで待機していた技術者が、動きだした。

 クリスタルの凝縮するエネルギーに指向性を持たせるシステムが遅れて起動し、計測されたデータから必要な場所への送信を開始する。

「送信開始を確認。該当箇所の損傷率、表示します」

 ぱっと正面のメインモニターに数字が大きく赤で表示される。

 現在の数値は、三十五パーセント。

 その場にいた全員が固唾を呑んで、その瞬間を待っていた。

 この損傷が持続的に修復することが確認できれば、システムが願った形で稼働したことになるのだから。

 低い駆動音以外の音が聞こえない、制御室内。

 祈るような思いで、全員が数値に注目している。

――三十四パーセント。

 動いた。しかしここからが本番だ。そして、次の瞬間。

「……損傷率、三十三パーセントです! 三十二パーセント……、減少します! 課長っ……」

 読み上げる声を上ずらせながら振り返った技術者に、ファゼットは小さく笑って、頷いた。

 そして、息を詰まらせ佇むすばるを見やった。

「……正常稼働を確認。……成功だよ、すばる」

「あ……!」

 ぱっとすばるが表情を輝かせた、瞬間だった。

「か、課長! な、何か変です!」

 技術者の一人が、歓喜が広がりかけた空気を裂くように、鋭い叫びをあげた。

 ファゼットがすかさず視線を送り、問いかける。

「何が起きてる?」

「外部の急激なエネルギー上昇を確認! これはっ……」

 警告音が制御室に鳴り響いた。

「これは、影です! GARS本部周囲に大量の影の発生を確認! 本部へ向けて進路を取ってます!」

 折角システムが成功したというのに、厄介な展開になってきたようだった。

 しかし冷静さを失わず、ファゼットはすかさず尋ねた。

「システムに問題は?」

「今のところありません!」

「なら、全部潰せば問題ないな」

 言ったのは、炎武だった。驚いて振り返ったすばるに、炎武はくるりと背を向け、言う。

「ここまで来て、邪魔されて駄目になるなんてこと、させるわけには行きません」

『死神側も支援を投入した模様だ。我らも出し惜しみをしている場合ではない』

 色無の言葉に、議員はそれぞれ頷いた。

「でも、今から監査官を招集しても間に合うか……」

 現在、より安全を期する目的で、全てのゲートシステムに対し使用制限を課している。

 使用制限の解除は可能だが、全監査官が影と対等に戦えるものではない。

 『影』は世界の残滓だ。相当な腕前の監査官でもって、ようやく対処できるのだが、数は少ない。

 しかし現在ここへ向かってくる影の数は、圧倒的な数だった。

 対処可能な全員を招集しても、手が足りないのは明白だ。

 すばるが戸惑いを見せると、しれっと実覇が言った。

「何を仰るか。ここには、各方面の世界最強が揃っている。問題など、どこにもないというもの」

「深怜……」

「あとは任せた、ファゼット」

「りょーかい。気を付けるんだよ、アルト」

 頷いて、アルトが議員を視線で促した。

――世界の希望をこの手で、守り抜くために。

 

◇◇◇

 

 GARS本部の防衛システムは二つ。防衛システムと言っても、迎撃するようなシステムはない。

 対物バリアと対魔法カウンターフィールドの二つだ。

 それぞれを二十四層に重ね合わせた重厚な防御結界である。

 本部屋上へ上がった議員が目にしたのは、空に浮かぶ黒い雲だった。

 それが影であることは、明白で。

 徐々に近づく悪意に、遠音がぼやく。

「こういう時、影とは便利だな。地上だろうが天空だろうが、その場に適したものを送り込めるのだから」

「世界が抵抗してるということですか?」

 驚きを隠せず尋ねた風龍に、遠音は曖昧に頷いた。

「意思統一がなされているような気配がする。あれを率いている何かが、いるな。まぁ、それが世界なのか、別の何かなのかまでは、分からないがな」

『だが、現在観測されているものが全てだ。まずはあれを蹴散らす以外ない』

「了解した、色無。では議員の総力を以て、本部を死守する」

 遠音の言葉に、議員一同が頷いた。

 これは、評議会としての最大任務だ。

「対空戦は奏空、風龍、色無それから……白雷も飛行可能だったか?」

「防御結界圏までならば可能だ」

「うむ、十分だろう。海蓮、水中は貴殿のテリトリーだが、補助は……」

「不要です。残念ですが、雑音は少ない方がいいので」

 そう告げて、補助に立候補しようとしていたアルトにクスフェは苦笑する。

 軽くショックを受けたような顔をしたアルトに、奏空が肩を叩いて笑った。悪気はないのだが、気遣いは逆に最大限の力を発揮するには阻害要因となる。

 かといって、アルトは食い下がったりもしない。

 それは、各々が制する属性区分で負ける要素など万に一つもないことを、理解しているからだった。

「では、地凰、光流、星闇は防御結界の維持と最終防衛ラインの防衛を頼む。残りは地上で。何か意見は?」

 野戦経験は遠音が最も多いことは、誰もが理解していた。

 そうなれば、当然文句も出ない。

 ぐるりと一度全員を見回してから、遠音は深く頷いた。

「それでは、三十分後に再度ここへ集合だ。恐らく何か『本体』が来る。それを忘れるな」

――そして、世界最強を誇る各エキスパートは戦場へと駆けだした。

 

◇◇◇

 

 クスフェ・マリエルの領域は海蓮の座に冠したように『海』である。海と言っても正確には『水の組成』を示し、水虎の領域である『水』との区別のためにその名が与えられているのだ。

 クスフェの領域は水というフィールドそのもの。水で支配された環境でこそ、クスフェの能力は最大の力を発揮する。

 本部基地フロートの直下の水中で、クスフェはいた。

 瞳を閉じて、神経を湖の中全てに張り巡らせるようにじっと。

「させない」

 ぽつりと呟いて、クスフェはその能力を発動させる。

 視界では捉えられない距離でも、クスフェのテリトリーである水で繋がった空間である限り距離は関係がない。

 意識を研ぎ澄ませ、クスフェは水組成を変化させる。

 影は実体を伴わない魔力の塊だ。

 だからこそ、境界線が、甘い。境界線が破られ、希釈されれば影は影として存続することは出来なくなる。

 影により近い組成を合成し、徐々にその組成濃度を水中に近づけることで、自然と希釈を可能とする。

 それがクスフェの影との戦い方だった。

 静かに、しかし確実に影を霧散へと追い込むクスフェの能力。

 華麗で静謐ながらも、冷徹な破壊だった。

 

◇◇◇

 

 魔法学院ランティスに残っていたソエルとエージュは、ライレイやヴェロスと共に、GARS本部へ向かっていた。

 影の制圧作戦への参加は却下されたこともあるが、最大の理由は保険だろう。エージュの能力は議員ですら代用できないたった一つのものなのだから。

 ランティスの防御結界よりは本部の方が強度は高い。

 しかし、走り抜ける視界はすこぶる悪い。影の霧散した影響で、黒い霧が視界を覆っていた。

 裏を返せばそれだけの数を倒したという事であり、この短時間で議員の戦闘力の高さが証明されていた。

(何だ……嫌な予感がする)

 走り抜けながら、膨らんでいく不安に、エージュは戸惑いを覚えていた。

 先を走り抜けるライレイとヴェロスを追いかけながら、その不安の正体を探るのだが、殺気もそもそも何かの息遣いさえ、この森の中には感じない。

 ちらりと、並走するソエルを見やる。ソエルは視線に気づくと不思議そうな顔を一瞬浮かべたが、すぐに笑みを見せた。

「だいじょーぶだよ、エージュ」

「ああ……そうだな」

 頷いて、エージュは視線を前に戻した。

「伏せて!」

 不意のライレイの鋭い叫びに、ソエルとエージュは即座に反応すると飛び込む様にして伏せた。

 ごぅ、と灼熱の空気が頭上をかすめる。

 ひらひらと灰が伏せた二人の視界に舞い降りる。

「案内ご苦労だったな」

「まぁ、それくらいしかもう協力できないしな」

 エージュとソエルが顔を上げると、そこには遠音と雪桜、そして炎武がいた。

 どうやら今の攻撃は炎武のものによるだったようだ。

 ほっとした二人は起き上がって、土を払う。

「さて、行こうか。私が本部まで援護しよう」

 遠音がそう告げると、ライレイとヴェロスが頷いた。

 それを見ていたソエルがくすくすと笑う。

「何だかお姫様みたいだね、エージュってば」

 あまり嬉しくない言葉だったが、裏を返せばそれだけ自分の肩にかかっている責任と使命は重いという事だ。

 ぽん、とソエルがエージュの肩を叩き、笑みを見せる。

「空回りしないように、まずは目的地に行こ」

「……ああ」

 ソエルにエージュは頷く。

 なんだかんだと、猪突猛進な自分をうまくコントロールしてくれるのが、ソエルだ。

 遠音の視線に促され、エージュたちは再び走り出した。

 

◇◇◇

 

 上空で応戦していた白雷は、電流を走らせ影を撃退していた。

 霧散する影の影響で、空は黒く、青い空を隠している。

 だが、白雷の警戒レーダーはその警告レベルを引き上げるばかりで、一向に落ち着きを見せていない。

 遠音が言っていたように、まだ本体がいるのだろう。

 その本体が、徐々に姿を露わそうとしているのだ。

 警戒しながら、白雷は周囲を見回す。

 周辺宙域の解析データをGARS本部へ送り、その他宙域のデータを受け取ろうとしていた時だった。

「……?」

 巡らせていた視界の隅に、それは揺れた。

「ひ、と?」

 空中に浮く、人影。

 白雷はアイカメラのズーム倍率を上げ、その人影を見つめる。

 薄桃色の髪に、少女とも少年ともつかない顔立ち。

 閉じられた瞳が、ゆっくりと開き……白雷と視線がぶつかる。

「あ……!」

 白雷の警戒レーダーが振り切る。

 機械部分と生体部分で珍しく齟齬を見せない、危険な気配を感じ取った。

 逃げろ…――その警告が発せられるよりも先に。

灼熱した空気が、白雷ごと周囲を飲み込んだ。

 

◇◇◇

 

「く……うぅ……っ」

「ヘンリエッタ、体勢を立て直せ! 第二波が来るぞ!」

 呻きながら、必死に体を起こす地凰(ちおう)に、星闇(せいあん)が檄を飛ばす。

 二十四層の防壁のうち、十七層が破られた。自動修復は短時間では完了できない。

 しかし地凰と光流、そして星闇の三人で補助をすれば、短縮出来るはずだ。

 光流も痛む体を起こして、息を整えていた。

 突然の上空からの攻撃に防壁が耐えられたのが奇跡的と言ってもいい。

 咄嗟に防壁を維持した地凰だったが、風圧で吹き飛ばされた。

 壁に叩き付けられる寸前、星闇が地凰の影を踏みつけその『特権』を発動し、衝突だけは免れた。

 だが衝撃は凄まじく、別方向からの爆風で屋上の床へ叩きつけられていたのだ。

 湖の水までもが半分以上が消え失せているほどの衝撃だった。

「はぁっ……なんて、攻撃を……!」

「みんなっ、無事か?!」

「お、王?!」

 屋上へ駆け上がってきたすばるに、それぞれ目を見張る。

 見ているだけが我慢できなくなったに違いない。

 実にすばるらしい理由なのだが、戦闘力皆無のすばるだ。

 危険に丸腰で飛び込んでいる、という意識も薄い可能性だってある。

「駄目です、王っ! 出てきては駄目……ッ!」

「無駄だ。どの道手遅れだ」

 冷たい声ですばるの傍らへ、屋上へ上がってきた少女が言う。

 ――ロゼだった。

 ロゼは空を見上げると、目を細めて、呟いた。

「目覚めたか……ガティス・コア……」

「あれが、ガティス・コア?」

「ああ。王の記憶そのものだ」

 ロゼの言葉に、ばっとすばるも視線をガティス・コアへと向けた。

 少女か少年か。判別不能な姿は、宙に浮いてこちらを見下ろしていた。

 

◇◇◇

 

 私は一人きりだった。

 絶望の中に沈み、希望から隔絶して。

 でも、それが希望を育てると信じたからの、決断で。

 新しい世界は私と引き換えに、命を手に入れた。

 私は新しい世界と引き換えに、命を手放した。

 そして、私は世界へ贈ろう。私にくれたものを。

 世界が、私の中で育ててくれたものを。

 私の目醒めと引き換えに。私の絶望を、糧に。

「……さぁ、終わりにしようか」

 顕現したその姿は、呟いた。

――その名を、ガティス・コアといった。

 

◇◇◇

 

「……そこにいるのは、もしかして……ロゼかな?」

 少年とも少女ともつかぬガティス・コアの声が、響く。

 だいぶ距離はあるというのに、それを飛び越えたかのように屋上へと届いた声。

 感情が希薄な声音だった。

 ロゼは表情をこわばらせ、震える唇でその名を呼んだ。

「ヘリ、エル……」

「やっぱり。……でも、おかしいな。ロゼは、私の味方だと、思っていたのに」

「私は、敵でも味方でもない! そもそも、敵なんて存在しないのだ、ヘリエル!」

「そうかな?」

 ふ、とガティス・コアの表情が消える。

 能面のような無機質な顔で、ガティス・コアは言った。

「私は、世界を助けるために居たのに。世界は私を助けてはくれなかった」

「それは……でもっ……ヘリエルが望んだ、希望がここにはある! それをよく見ろ! 自分の希望を、自分で消すつもりなのか?!」

「……希望?」

「そうだ。ヘリエル、お前の一番の希望は、今の王のはずだ! 何も知らない、だからこそ新しい世界へ導くことが出来ている、すばるの存在をよく見ろッ!!」

 泣きそうな声で訴えるロゼから、ガティス・コアはその隣にいるすばるに視線をスライドさせた。

 現在の王と、先代の王の視線が交差する。

 だが。

「王は、私だよ。ロゼ。……嘘を吐くなんて、酷いね。ロゼまで私を裏切るのだね」

「な……あ……」

 言葉を失ったロゼに、ガティス・コアは視線を戻す。

 遠くても手に取るように伝わるガティス・コアの冷たい視線が、ロゼの心に突き刺さった。

「へり、え……」

 震える手を天空に伸ばしたロゼの瞳に、涙が溢れる。

 この手を、取って欲しかった。今度こそ。

 しかし、ガティス・コアは笑顔で言い切った。

「いいよもう。ロゼも一緒に、殺してあげる」

 脆くもその希望は、打ち砕かれた。

 

←第四話    第六話→