第19話 城外乱闘

 

「おはようございます」

「あー、はよ。ツキコ」

 ツキコがやってきたのは、ちょうど俺が着替えを終えた頃だった。

 欠伸をを噛み殺しながら、黒のマントを羽織る。ちょっと重いんだよなぁ、これ。

「……ん? どした、ツキコ」

「いえ……おひとりで目を覚まして身支度まで済ませていたなんて……、驚いてしまって」

 それは褒めてるのかけなしてるのか、どっちなんだ?

 金色の瞳をゆっくりと細めて、ツキコは微笑んだ。

「では、すぐに食事を……」

「ああ、いい。今日はサチコと仕事なんだ。すぐ出る」

「まぁ。昨晩教えてくださっていれば、ランチバッグの用意をしましたのに」

「気にしなくていいって。じゃあ行ってくる」

 机の上に準備しておいた鞄を掴んだ俺に、ツキコは深々と頭を下げた。

「行ってらっしゃいませ」

 さらっと夜色の短い髪がツキコの頬を隠した。

 何故か、その光景に俺は胸に微かな痛みを覚える。理由も何も分からないけど。

 

◇◇◇

 

 何だろうな。ツキコを見てると、たまに悲しくなる。変な感じだ。

「ごめんね、待った? 御子様」

「待った。超待った。詫びに俺の分の仕事もやってこい」

「ちょっとそこは、俺も今来たところだよ、でしょ。ほんとに、御子様は乙女心を分かってないわね」

 サチコに乙女部分は求めてない。まったくもって不要だ。

 いつも通りのシスターコスに、手ぶらのサチコ。その服の中にどれだけ武器を隠してるかは、俺は怖くて知りたくない。

「で、場所は?」

「ふふ。すぐそこよ」

 くるっと背を向けて歩き出したサチコ。

 俺は肩をすくめて、サチコをのんびりと追いかけた。

 

◇◇◇

 

 サチコは巫女だ。世に蔓延る悪霊や悪魔を消滅させることを専門とした職業を総じて『巫女』という。

 サチコはその中でも際立って能力が高い。ただ、その祓い方があまりスマートじゃないと、俺は思っていた。

 いちいち死体に悪霊や悪魔を入れ込んで、物理的破壊も組み込む必要性が俺には分からない。

「御子様、ニート生活も大変でしょ。たまには一緒に仕事しましょうよ」

「ニートも大変だぞ。どうやって一日を過ごすかを、毎日フルスピードで考えないと、時間を無駄にしてしまうんだからな」

「ふふ。照れなくたっていいのに」

 照れてないっつーのに。ほんとに、サチコは面倒な奴だ。

「御子様は怠惰に日々を過ごしたって、ロヴィが何とかしてくれるわよ」

 それが嫌だからニート生活を頑張ってるんだが。

 小さくため息をついて、俺は少しだけ気分が沈む。

 御子。それが俺に与えられた場所であり名前だ。巫女とは違う。一線を画したいわゆる『神の子』という意味らしい。

 だけど、それは俺じゃない。俺は確かに『神の子』ではあるかもしれないけど『御子』にはなりえない。

「リリバス」

 不意に名前を呼ばれ、俺はサチコに視線を向けた。

 先を歩いていたサチコは足を止め、優しい微笑みを俺に向けていた。

「貴方は、貴方でいいのよ」

「……何が」

「最後は私が素敵な死体として、有効活用してあげるから、心配しないで」

 それはどうも、嬉しくないお言葉をありがとうございます、巫女様。

「さ、それじゃあ仕事と行きましょうか」

 城の外の大通りからすぐに脇道に入ったところで、サチコがそう宣誓する。

 昨日の雨で、路面には水たまりが出来ている。

 そして、そこにうじゃつくシルエット。

「今日はサービスで、損壊なしの死体を使わせてあげるわねっ!」

 ウインクしながら死体を召喚していくサチコ。

 何で、こんなのを愛人に貰ったんだろうなぁ、親父は。

 趣味悪いわ……。

 じゃこん、と耳元で聞こえた音に、俺は反射的に手を上げた。

「何か言った? 御・子・さ・ま?」

「何も言ってません思ってません」

「なら?」

 にこにこと微笑みながら、確実に心の中が煮えたぎっているサチコ。

 俺はごくりと唾を飲み込み……

「口より手を動かします」

「正解」

 そしてサチコは手にした銃を、悪霊の寄生した肉体へぶっ放した。

 悪霊ごと肉体を滅する特製弾丸。

 それを作成する資金確保のためにサチコは愛人になった、という噂がある。しかし、真実はサチコのみが知っている。

 そして多分。

「ふふふふふ、さぁダンスを一緒に踊りましょう」

 危ない笑いをするサチコを見たら、普通は憧れたりはしないだろう。

 

◇◇◇

 

「ふーう。片付いたわねー」

 ぐいっと汗を拭う仕草で可愛さを演出しようとしているサチコを意図的に無視して、俺は息を吐き出した。

 体が重いな。またこの間の階段落下の影響が残ってるのかもしれない。

「本調子じゃなさそうね、リリバス」

「ぽいな。どうも体が重い」

「仕方ないわよ。まぁ、しばらく我慢すればよくなるでしょ」

「ならいいけどな……」

 しかし、だ。ざっと周囲を見渡すと散乱する肉骨片。原形をとどめないくらいに破壊された死体たち。そしてそれを片づけるのが俺のメインの仕事と言うのは、悲しい現実だ。

「あとはやっとくから、もう帰れサチコ」

「そうもいかないわよ。リリバスを一人には出来ないわ」

 その迷子になるみたいな台詞やめてもらえないだろうか。

 王城すぐそこに見えてるし、俺ももう二十歳軽く超えてるんだが。

「ロヴィが心配するでしょ」

 それは理由になるのか。俺にはその理論はよくわからない。

「サチコ、さん」

 不意の声に、サチコと俺が振り返る。

 水たまりに靴を半分ほど浸食されている、女の子がいた。空色の髪に、翠の瞳。犬みたいな、獣耳を持つ、女の子。

 ツキコをもっと幼くして可愛い要素を強くした感じ。ツキコが夜なら、この子は昼って印象。

 言うなれば、ツキコは美人タイプで、この子は美少女アイドルタイプ。

 何か、生前流行ってたアイドルみたいな服着てるなぁ。可愛いから似合うけど。

「あら、貴方がどうしてここにいるのかしら?」

 俺とその子を隔てる様に、サチコがすっと割って入る。

 その女の子は、サチコの様子に少し怯えた気配を見せて……ふと、俺と視線がぶつかった。

 瞬間、猛烈な吐き気に襲われる。

「う……っ」

 口を押さえて、俺は膝をついた。

 頭がガンガンするし、気持ち悪い。何が起こった? 俺、どうしたんだ?

「仕方ないわねー」

 サチコの呆れたような声が降ってくる。

 ぽんっ、とサチコの手が俺の背中を軽く叩くと……気分の悪さがすぅっと抜けた。

 まるで手品のように。そして、何故か。

「へ……」

 女の子が、俺に抱き付いていた。人生最大級の幸運じゃないか、これっ?!

「ごめんなさいごめんなさい、ごめんな、さいっ……!」

 でも、俺の耳に届いたのは、そんな謝罪の言葉だけだった。

 ぎゅっと俺に抱き付いたその小さな体は、震えてるし。

 泣いてる、のか? 何で? 俺は、この子を知らないのに。

「君……誰?」

 俺の問いかけに、びくっと身を震わせて、その子は俺からばっと離れた。

 すごく、悲しそうな顔をして。うわ……凄い罪悪感が。こんな可愛い子だから、きっと笑えば心躍りそうなのに。

 目がそらせない俺に、その子はぽつっと言った。

「……さよなら……って、言いたかった、だけ、です」

「え……っと」

「さよなら、先生。……ごめんなさい、来て」

 抉られる。何か心がすごく抉られる。

 懸命に笑って、でも泣いてるその子に、俺は……何か言ってあげなきゃいけないのに。

「ごめんなさい、サチコさん」

「……気を付けて帰りなさいね」

「はい」

 頷いて、その子は俺を最後に一瞥すると、くるりと背を向けて、走り去る。

 その背中を呼び止めなきゃいけない気がしたのに。

 駄目、だった。体が動かなくて、俺は情けなく、膝をついたまま。

「サチコ……今の子、誰」

「さぁ?」

「誤魔化すな。答えろ」

 やれやれ、と言いたげにサチコは頭を振って、ぴっと俺の額に指で触れた。

「答えは、ここに持ってるでしょ。鍵は私が持ってるけど、引出し自体はリリバス、貴方の物よ」

「答えろってんだろ、サチコ!」

「甘えるな屑が」

 ごりっと眉間に拳銃の銃口が押し当てられる。

 息を呑んだ俺に、サチコは冷たい視線を向けていた。

 おかしい。ご褒美のはずの、そういう冷たい視線。だが、今の俺には強烈に、怖い。

「今ので分かった。貴方は、城にいるのが一番いいわ」

「な、に……言ってんだ?」

 俺は城以外で生活したことなんてない。

 学校は寮だっけか。でもそれだけだ。

 それ以外は……俺は。あ、れ?

「う……ぅ」

 また強烈な吐き気と頭痛に襲われ、今度は俺は完全に意識を手放した。

 

◇◇◇

 

 からんからーん。

 ベルの音が聞こえる。ぱたぱた走ってくる音が近づいてきて、

――先生、患者さんですよー。

 そう明るい声が俺を呼ぶ。

――先生聞いてください、今度の彼は間違いないって思ったんですよぉっ……

 そうさめざめと涙する女の人に、俺は知らず苦笑する。

 また振られたのか。何でそんなに変なのばっかり引っかかるかな。

 代わる代わるやってくる、見た目がごつかったり厳ついおっさんたち。

 指が千切れかかってて、わんわん泣いてるおっさんとか、凄い可愛い。

 でも、みんな、笑顔で帰っていく。

 具合悪そうにしてたりは、してるけど。また来るねって。

 俺にそう優しい言葉を投げてくれる。そして、お昼を告げる鐘が聞こえた。

――お昼にしましょう、先生っ。

 ……なぁ、君は、誰だっけ。あの振られてばっかりで、困った女の人は、誰なんだっけ。

 そこは、俺がいた、場所なんだっけ……? 俺は、何を……忘れてんだろう。

「……兄さんっ!」

 ロヴィの声に、俺は目を開いた。眼前に迫る、ロヴィの顔。

「……近い」

「心配させないでください、兄さんの馬鹿ぁっ!」

 がばっと抱き付かれて、今度は苦しい。

 何か今日、よく抱き付かれるな。ロヴィはいつもだけど。あの子は……誰、だったんだろう。

「なぁ、ロヴィ」

「はいっ!」

 ばっと離れて俺の顔を見つめるロヴィ。本気で心配してたらしく、目が若干赤い。

 度を超した困った弟だけど……可愛いところもあるからな、ロヴィ。

「……俺は、医者……だっけ?」

 その問いかけに、ロヴィは表情を失った。

 俺はその意味が分からず戸惑う。

 ふと、ロヴィはくるりと背中を向ける。

「お、おい。質問に答えろよ?」

「免許は、持ってるじゃないですか」

 そうだっけ。じゃあどこかに仕舞って、忘れたんだな。俺は。

「それだけですか?」

「あ、ああ」

「では、僕は仕事に戻りますので。……これ以上、心配させないでください」

 そう素っ気なく告げるとロヴィはそのまま出て行った。

 俺は茫然と閉まった扉を見つめる。

「なん、だよ……何なんだよ……?」

 気分が悪い。俺は、何か大事なことを、きっと忘れてるんだ。

 

◇◇◇

第20話 夜の星空と、昼の青空。

 

「兄さん、今日こそ歌劇を見ましょう」

 あー、今日はオフなんだな、ロヴィ。朝から元気な奴だ。

 俺の脇では、ツキコがせっせと給仕していた。朝食と言えど、流石王族。朝から手が込んだ豪勢な食卓だ。

 まぁ、誰も一緒に食ってないけど。

 広い部屋に長い机。椅子もいくつも並んでいるというのに、食卓についているのは俺だけだ。

 サチコは夜が活動時間だからまだ帰ってないか、あるいは寝ている。

 まぁあいつが居ると死臭がひどくて飯がまずいから丁度いいけど。

 ほんと、何で我らが国王様はあんな変態を愛人に持つかね。理解に苦しむ。

 ロヴィは朝一の仕事を終えてオフモードへ移行したようだ。表情が緩んでる。何でこいつは俺にこうも懐くか。

「聞いてますか、兄さん!」

「おー。聞いてる聞いてる。過激派組織の鎮圧に行くんだろ。ご苦労さん」

「全然聞いてないじゃないですかっ!」

 憤慨するロヴィに、ツキコが小さく笑みを浮かべていた。

 ツキコって普段爆笑したりはしないんだよな。

 何かクールな雰囲気を絶対に崩さない。でも残念。俺の好みとは少し違うんだな、これが。

「歌劇よりは、俺勉強したいんだが」

「べ……勉強っ?! 兄さんの口からまさかその言葉が語られるなんて……明日は世界滅亡ですか」

 弟よ。敬愛する兄上の向学心を、何故アンゴルモアの襲来と関連付けるんだ。

 どんな統計学でもそれは有り得ないだろうが。

「何の勉強をなさるのですか?」

 問いかけたツキコが差し出したトーストにバターを塗りつけながら、俺は返す。

「整形外科。あと環境衛生も知っときたいな」

「何故その領域を?」

 何故、と聞かれても。

 トーストを齧りながら、思考を巡らせる。

「まぁ、何となく」

 あー、このバター美味いわ。

 

◇◇◇

 

 これで俺もニート卒業してフリーターへ昇格か。

 進歩してるな、俺も。しみじみそんなことを思いながら、表紙を捲る。

 ただまぁ、気になるのは。

「何か用か? ロヴィ」

 机と向き合っていた俺の背後で、紅茶のカップを傾けているロヴィを振り返る。

 ロヴィは俺の問いかけに、何故か目を丸くした。

「いいえ、何も」

「邪魔だ。出てけ」

「大丈夫です。静かに兄さんの背中を見つめてるだけです」

「気色悪いわ! ツキコ、叩き出せっ!」

 俺の指示に、ツキコは躊躇いを見せた。

 気持ちは分からんでもないが、あくまでツキコは俺のメイドだ。俺の指示に従う義務がある。

「何故ですか。兄さんの勉学の邪魔はしません! 誓います!」

 その存在自体が邪魔なんだが。その辺りは分かってくれないのか。

「ツキコ。つまみ出せ」

「分かりました。では御用命の際は、ベルを」

 ツキコは頷いてロヴィを言葉通りつまみ出した。

 ああ見えて腕力凄いんだよな、ツキコ。ロヴィは喚いていたが、まぁ無視だ無視。

「ふーっ……」

 やっと静かになったな。まったく、変な弟を持つと兄が苦労する。

「さーて勉強すっかな」

 我ながら感心だ。

 

◇◇◇

 

 若干古ぼけてるけど、でも人の住んでいる気配が染みついた部屋だった。

 大きくはないテーブルに、椅子はふたつ。予備か、壁際にもう一つ。その一つに、俺は座っていた。これ、夢だ。

 王城の食事と比べたら貧相極まりない食事が、目の前にある。

 だけど、何だろ。俺、ほっとしてる。この食事の有難さを、知ってる気がする。

 かたん、と椅子を引く音に顔を上げると、あの子がいた。あの日、俺に抱き付いてきた可愛い子だ。

 でも何で、俺の夢の中にまで出て来るんだろう。

 その子は、浮かない顔で、黙ってスプーンを手に取る。

 スープを掬って、スプーンを口に運ぼうとして……何か、止まった。

 微かに視線を上げて、こちらを見やる。多分、俺が座ってるこの席にいる、誰かを。

 ぱた――と、綺麗な翠の瞳から涙が零れ落ちた。

 何で、この子は泣いてるんだろう。俺はどうして……この子が泣いてるのが、こんなに悲しいんだろう。

 自分をぶん殴ってやりたい衝動が沸き起こるのは……何でだ?

――もう、やだ。

 そう震える声で呟いたその子は、ぼろぼろと涙を零して、震えていた。俺は……、どうしたらいいんだ。

 ふと、窓ガラスに視線が向く。

 日が沈んだ窓ガラスは屈折率が変化して、鏡のように部屋を映し出していた。

 そこにいた、俺は――。

 

◇◇◇

 

 目を開くと、左側に重みを感じた。

「んー……?」

 居眠りから目覚めた俺は、目を擦って、左へ視線をスライド。

 案の定、俺にもたれかかって寝ているロヴィがいた。

 こいつも大概、昼寝が好きだよな。……違うか。ロヴィは忙しいから、疲れてんだよな。

 分かってるけど、それとこれとは話が別で。

「……起きろロヴィ」

「うー……ん」

「俺、もう行く」

 その言葉に、ロヴィはばっと体を起こした。

 それだけで、全てを悟ってくれたらしく助かる。

 だけど、驚いた眼で俺を凝視するロヴィに、若干の罪悪感も覚える。

「どこへ、行こうっていうんですか。兄さんの居場所は、ここです。ここ以外ないですよ!」

「お前の『兄貴』の居場所は、確かにここだよ」

「なら!」

「でも『俺』の居場所はここじゃないんだ。俺は医者としてあの場所で、生きるって、約束したんだ」

 あの街で、俺は医者として生きるって決意した。

 人生の先輩から、教えられたのは覚悟の重さだったんだから。

 ロヴィは何か泣きそうだった。流石の俺も、胸が痛いわ。間違いなく、ロヴィが俺を慕ってくれてるのは分かってたから。だけど、俺はそれでも帰らなきゃ、いけない。

「ごめんな。今度から、たまには帰ってくるようにするからさ」

「嫌です! 僕を一人にしないでください、兄さんっ!」

 うん。なんかもう、俺はお前が可哀想で、仕方ないよ。

 俺は、ロヴィに本当なら兄貴って慕ってもらっちゃ、いけないんだし。

 だから、居たくなかったんだ。だから、俺はロヴィから離れなきゃいけなかったんだ。

 ぽん、とロヴィの頭に手を置いて、俺は笑った。

「ごめんな、ロヴィ」

 俺は……ロヴィのためにも、ここに居ちゃいけないんだ。

 俺の能力で意識を喪失し、ふらっと傾いだロヴィを受け止めて、俺は小さく息を吐く。

「ツキコ、後は任せる」

 じっと背後に立っていたツキコは、ぴたりと俺の首元に刃物を突き付けていた。

 振り返ったら、首の皮が切れるな、これは。

「何故ですか。貴方は何不自由ない暮らしを与えられているというのに、それでもなお、何を求めるのですか」

 それは問い詰めているというよりは、純粋な疑問のようだった。

 ツキコは、そもそも俺のメイドなんかじゃない。

 ……もとは、ロヴィのメイドで、護衛だ。多分サチコとロヴィが俺を監視させるために、置いたのだろう。

 流石、用意周到な奴らだ。しかし、何不自由ない暮らし、なぁ。

 確かにそうなんだよな。ロヴィにまとわりつかれるのさえ我慢してれば、何でもある。

 衣食住完備で、働かなくたって、日々は過ぎていく。

 それもいいって、確かに享受してた。だけど、俺は思い出してしまった。

――ご飯は任せてください、先生。

 自信なさそうに、俺と一緒に居たら苦労するのは目に見えてるのに、それでもエコデはそう言ってくれた。

 すぐ逃げ出したくなる俺を、最後に阻んでくれる。

 もう、家族みたいな、もんだからな。だから、俺が望んでるのは多分……

「俺は、貧相でも悪魔が降臨しても、エコデの飯が食えたらいいんだ。ただ、それだけだよ」

「……貴方は」

 すっとツキコが突きつけていた刃物が首筋から退く。

 ようやく俺が振り返ると、ツキコは悲しそうに微笑んでいた。

「そういえば、私の出す料理では一度も美味しいって言ってくれたこと、ありませんでしたね」

「そーだっけか? ……でも、正直」

「正直?」

 微かに首を傾けたツキコに、俺は苦笑する。

「ツキコがエコデに微妙に似てるもんだから、俺は思い出すのが遅れたような気がする」

 きっとそれは、お互いに失礼なんだろうけどさ。

 ツキコは目を丸くして、次いで笑みを浮かべた。

「なら、もっと似せておくべきでしたね」

「それは無理だな」

 きっぱり告げた俺に、ツキコは不思議そうに首を傾げる。

 俺はロヴィを机に突っ伏す様に寝かせて、椅子から立ち上がった。

 ツキコの視線に俺は苦笑して、告げた。

「だって、エコデは史上最強の可愛さを誇る男の娘だからな」

 純粋に女子のツキコには、越えられない壁なんだよ、これはさ。

 

◇◇◇

 

「あら、どこへ行くの? リリバス?」

 城門で待っていたのは、サチコだった。オレンジの髪を風になびかせ、怪しい笑みを浮かべて、待ち構えていた。

「邪魔したな。帰るところだ」

「ふふ。何を寝ぼけたことを言ってるのかしら。貴方のおうちはここでしょ」

「まぁ、それは否定できないけど……ここは、俺の居場所じゃない」

「……手間のかかる御子様ね」

 肩をすくめて、サチコはため息を一つ。

「思い出すのに時間をかけすぎよ。ほんと、苛々したわ」

「俺の記憶に封をするとは、お前も腕上げたな」

 俺の称賛に対して、サチコは一瞬目を丸くした。

 そして、呆れた様子で首を振る。

「何も分かってないわけね。どーしよーもない腑抜けさんだわ」

「おー、どんどん罵ってくれ。ご褒美だ」

「残念ね。私は、貴方にご褒美上げる気分じゃないわ」

 実に残念だ。俺は肩をすくめて、歩き出す。

 サチコの脇を通り過ぎようとした刹那……――

「今度は」

 ぴたりと足を止めて、俺は背中合わせのサチコの声に耳を傾けた。

「全部、ちゃんと向き合ってあげなさいね」

「分かってるよ」

「ロヴィにも、よ」

 それも、分かってはいるつもりだけど。

 サチコの目から見たらまだ足りない部分が多いんだろうな。

「あいつのことは、頼んだ。俺もたまには、来るようにするから」

「仕方ないわね」

 そして、俺は再び歩き出す。自分が居るべき場所へ向けて。

 ごめんな、エコデ。

 でも、今から帰るから。

 

◇◇◇

第21話 飛ばない鳥

 

「ありがとうございました、サタンさん」

「いや、気にすることはないよ」

 きらきらと星が瞬くような笑顔で応えるサタンさん。

 僕は頭を下げて、笑みを返した。

 ……返せてたと、思う。

「じゃあ、僕はこれで失礼しよう。また来るよ、エコデさん」

 ばさっと真っ白な翼を広げて、サタンさんは空へ吸い込まれるように消えて行った。

 いいなぁ。あの羽根があったら、どこでもすぐに行けるんだろうな。

 小さく息を吐いて、玄関のノブを捻る。

「ただいま……」

 返事がないって分かってても、癖で出てくる言葉。

 がらんとした、玄関。もう、先生は……ここに、いないんだ。

 もう先生は、僕の事を忘れてた。行かなきゃ、良かった。

 サチコさんの言う通り、じっと待ってた方が、良かったんだ。

 あの日、サチコさんが言ってた通りに待ってれば……こんな、苦しまなくて良かったのかもしれない。

 

◇◇◇

 

 あの日。サチコさんに銃を突きつけられていた先生は、唐突に頽れた。

「先生?!」

 咄嗟に呼びかけたけど、体は動かなかった。

 近づいちゃいけない人だって、分かってしまったから。

 王家の人。国の中でも、一番の権力者。学のない僕だって、それがどんな大事な人かは分かる。

 だから、傍に居ちゃいけないって、理解してた。

「なん、で……俺、どうして……」

「能力が落ちてるのよ。メンテの時期なの。大人しく来なさい」

「は……?」

 先生もサチコさんの言葉の意味を、理解しきれていないみたい。

 サチコさんは先生の頭をぺしっと軽く叩く。

 瞬間、先生は糸が切れた人形みたいに倒れてしまった。

「先生っ!」

「来ては駄目よ」

 駆け寄ろうとした僕を阻んだのは、サチコさんだった。

 先生は意識がないみたいで、ぴくりとも動かない。鎧を着た人たちがロヴィさんの命令でさっさと先生を運んでいく。

「……少し待っていて。リリバスが本当にここで生きて行こうって思ってるなら、必ず帰ってくるから」

「で、も」

 でも、先生は本当は違うんですよね? ここにいちゃ、いけないレベルの人ですよね?

 僕の不安を分かっているかのように、サチコさんは優雅に微笑む。

「それまでここを守るのが、貴方の役目じゃないかしら」

 返す言葉が浮かばない僕に、サチコさんはくるっと背中を向けて、ロヴィさんたちと出て行ってしまった。

 ぽつん、と一人残された僕は茫然と、いつまでも立ち尽くしていた。

 

◇◇◇

 

 それなのに、僕は先生が心配で、帰ってくるのか不安で、偶然やってきたサタンさんにお願いをしてしまった。

 王都まで連れてってもらって、先生を探して。

 やっと見つけたと、思ったけど。

 先生は僕の事を忘れてた。冗談なんかじゃなく。先生は、僕を認識してなかった。

 瞬間、もう、戻ってこないんだって分かった。もう、先生はこの場所には帰ってこないんだ。

 なのに、どうしてだろう。

 また、二人分作っちゃった。空っぽの椅子を見つめて、そこでいつも豪快だけど絶対汚さないで食べる先生が脳裏をかすめる。

「やだ……、もう……やだ。……先生がいないのは……やだ……!」

 ぼろぼろと涙が零れ落ちて、止まらない。

 毎日毎日、一日が長い。ずっと休診のままの診療所に、それでも患者さんたちが遊びに来る。

 怪我も風邪も、何でもなくても、僕を心配して。

 一生懸命笑えてるかな。心配かけたくないから、頑張ってるけど。

 一人になると、突きつけられる。先生がいない現実と、向き合わなきゃいけなくなる。

「エコデ、大丈夫?」

 顔を上げると、ポアロさんが見えた。ポアロさんはまめに様子を見に来てくれる。

 僕の様子に、ポアロさんは静かに歩み寄って、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 優しくて温かい、お母さんみたいな安心感。

「帰ってくる。大丈夫」

「こな、い……もう、先生っ……帰ってこない、です……!」

「大丈夫」

 そう、ポアロさんは僕を宥めてくれた。

 でも、無理なんです。先生は、全部忘れちゃってるから。

 もしかしたら覚えてるのかもしれない。だけど、分からないふりをしたなら……それはもう、帰ってくるつもりがないってこと、でしょう?

 しゅるしゅると、ポアロさんの頭の蛇が、僕の頬に寄り添った。

 前に怖いって思った感覚が、何だか今は安心を与える。

 でも、涙も不安も、止まらない。

――それでも、俺と一緒でいい?

 まだこの診療所に住む前。この街に来たばかりのころ。

 先生は自信なさそうに、そう尋ねた。

 まだお医者さんになったばかりだったから、きっと先生も不安があったんだ。

 でも、それでも僕を救い出してくれたのは、先生だった。ここまで生きてこれたのも、先生のおかげで。

 それがいきなりなくなったら、僕はどうやって生きていいか、分からない。

 僕はやっぱり、先生と一緒じゃなきゃ、駄目です。

 

◇◇◇

最終話 HOME

 

 雨。これでもかと言うくらい雨。

 しかも北部に向かうにつれて、徐々に温度が下がっていくもんだから、この雨はきつい。

「はぁ、どーすっかなぁ」

 門まではたどり着いた。降りしきる雨で、人通りは少ない。

 今日はビクサムが門番じゃなかったらしく、柄にもなく、俺はほっとした。

 理由を問われても、分からないけど。

 ぴたぴたと、前髪から雫が零れる。びしょ濡れの俺を、通りすがりの人は慌てて避ける。

 俺もこんな不審者見かけたら物陰に隠れるから、傷ついたりはしないけど。

 あー……シャツが張り付いて気持ち悪い。早く帰ろう……。

 とぼとぼと、通りを歩きながら俺は空を見上げた。青空覆う厚い雲を見て、不意に、王都で会ったエコデを思い出す。

『さよなら、先生。……ごめんなさい、来て』

 そう、エコデは言った。

 決別の言葉だ。

 あぁ、くそ。あの時のエコデ、笑ってたけど、泣いてた。無理してそんな台詞を言わなければならない状況を作ったのは、俺だ。俺が全部忘れてたから。

 サチコが封じてたってのはあるけど、それを解除できなかったのは俺自身の能力のなさだ。

 何で、そんなに能力が落ちてたのかは、わかんないけど。

 そんな事を言わせた俺が、帰っていいのか? 俺が、勝手に帰りたいって思ってるだけなのに。

 大体俺は、いつもエコデを怒らせてばっかだし。飯どころか家事全般頼りっぱなし。俺に出来る事なんて、悲しいかな診療して稼ぐだけ。ロヴィが手配した医者がいれば、別に俺じゃなくたっていいんだ。

 レイラもポアロもビクサムも、他の患者も……俺じゃなくたって、別にいいはずなんだ。

 こだわってるのは、俺だけで。

 何か急に寂しくなった。俺って、何なんだろう。

 転生した俺が望んだのは、平穏で、老衰で死ねる人生。俺は生まれから平穏じゃなかった。

 ギフォーレ爺さんが死んで、本当に老衰が幸せかも分からなくなって。

 だけど。

「……馬鹿だなぁ、俺は」

 それでも、ここへ戻ってきてしまう。

 見慣れた、診療所の入口。

『休診』と札がかかった玄関。

 あの日、ずる休みしたままみたいに。

 小さく苦笑して、俺は裏口へ回る。正面玄関と比べると、狭い入口だが、緊張感は半端ない。

 気合を入れ直して、そっと扉を開ける。

 扉の向こうはキッチンと、奥にダイニング。

 キッチンは空っぽで、ダイニングのテーブルの上には二人分の食事が用意されていた。

 それが、何か無性に、胸を締め付ける。夢に見た、エコデの様子と今目の前にある光景が被る。

 もしかして、毎日作ってくれてんのかな。俺が帰ってくるかもって。

――ぱんっ。

 頬を自分で叩いて、俺は自分を叱る。

 都合よく考えるな、俺。だってもう、ロヴィが医者を手配してるかもしれないんだ。

 そのための食事の可能性だって十分あるだろーが。

 ただ、エコデの姿は、どこにもなかった。

 ふと、微かに開いた診療所受付へ続く扉に気づく。

 受付で、何かやってんのかな、エコデ。

 ぎゅっと拳を握りしめ、俺は診療所側へ足を向けた。

 

◇◇◇

 

 がらんとした、受付。誰もいないフロアには沈黙が降りている。

 電気もついてないし、こっちにはいないのか?

「あれ……」

 診察室に、電気がついていた。

 まさかな。エコデ、滅多に入ってこないし。

 でも、気になって仕方ない俺は、そっと中を覗き込んで、絶句する。

 背中にスカルマークの入った黒いパーカーを羽織ったエコデが、俺の診療用の椅子に座ってすうすうと寝息を立てていた。目の周りを若干赤く腫らして、大事そうに見覚えのある服を抱き締めていた。

 いや、正しくは、俺の脳内には存在する服。

 ていうか、泣いてたのか? 俺のせいで、苦しい思いをさせたのか?

 あぁ、くそ……自分が心底呪わしい。

「……ごめ、……なさ……」

 不意に聞こえたエコデの呟きに視線を向けると、エコデの頬を一筋、涙が伝い落ちた。

 ……ごめんな。俺が、何にも言わないていたばっかりに。

 エコデが泣く必要なんて、ないのに。

 思わず手を伸ばして、頭を撫でようと……

「せん、せい……?」

 ぴたりと、手が止まる。薄く開いた眼を、俺に向けるエコデがいた。

 しばしの沈黙の後、エコデはがたっと勢いよく立ち上がる。

「うぉっ?!」

「びしょ濡れじゃないですかっ、先生!」

 あ、うん。まぁ。

 抱き締めていた服を机の上に放って、エコデは棚からタオルを素早く取り出して、俺の顔面に押し付けた。

 ちょっと痛いんだが。

 タオルを引き受けて、ごしごし頭の水分を拭き取る。

 どうしよう。俺、何を言ったらいいんだろう。

 視線を伏せたまま、俺は水分を拭き取るふりをして、考える。

 俺は、ほんとに帰ってきて良かったのか? 頭拭いたら、帰れって言われたらどーしよ。

 微かに視線を少し上げると、不安げな目をしたエコデが見えた。

 ……あぁ、そっか。

「……ただいま、エコデ」

 ちゃんと笑えたかは怪しい。ぎこちなかったかもしれない。だけど、俺はこの言葉を、言いたかったんだ。

 そして、微かに目を見開き、ついでエコデは嬉しそうに笑う。

「おかえりなさい、先生」

 エコデにそうやって、応えて欲しかったんだ。

 何だろう。それだけで、俺、戻ってきて良かったって思った。

 俺を待っててくれる人がいるって、凄く嬉しいことだって、心底そう、思ったんだ。

 

◇◇◇

 

 なぁ、母さん、父さん、由美。

 俺、こっちに来て4年になるけど、やっとほんとに必要なものが分かった気がするんだ。

 俺が欲しかったのは、そうやって普通を分かち合える人生なんだって。

 あの神様が勝手に設定した、しょうもない俺の転生条件はやっぱり納得いかないけど。

 でも俺は、この場所に辿り着けて良かったって思うよ。この場所は、俺の帰りを待ってくれる人が、たくさんいたから。

「先生朝ですよー。早く起きないと、患者さんが待ってますよー」

 寒い空気を無視して、片っ端から窓を開け放ち温度差を見る間に埋められる。

 より一層布団から抜け出たくない俺の脇に、可憐なる悪魔が立つ。

「早くしないと、朝ごはんトマトとピーマンの炒め物にしちゃいますよ!」

「朝から俺に悪魔祓いと言う過酷労働を強いるのか?!」

 ばっと起き上がると、呆れた様子で俺を見下ろすエコデ。

 おぉ、相も変わらずその冷たい視線がたまらん。

「早く着替えてきてくださいね。今日は先生の大好きなキッシュですよ」

「すぐいくっ!」

 

◇◇◇

 

 欠伸交じりに、診察準備。

 あー、今日も飯が美味かったぁ。これで昼まで頑張れる。

――からんからーん。

「この時間だと……」

 ちらっと時計を確認。まだ開店前。大体その前に来るのは一人だ。

 俺は診察室の扉を開ける。

 で。

「エコデさん今日も麗ぶごぉっ!」

 容赦なく鎧男を蹴り倒す。手加減はしたはずなんだが、壁に激突したビクサムを、唖然とした表情でエコデが見つめる。

がっくりと動かなくなったビクサムに、エコデが心配そうに俺に問いかけた。

「先生、やりすぎたんじゃ……」

「エコデ、俺を誰だと思ってる」

「……お医者さんが患者を作るなんて、本末転倒です。……でも」

「でも?」

「……何でもないです!」

 顔を赤くして、エコデはくるっと背中を向けると居住区へ続く扉の向こうへ消えて行った。

 しかし、白いセーラー服も良く似合うな、あいつは。流石、史上最高峰の男の娘だ。

「さてと」

 伸びているビクサムの首根っこを掴み、ずるずると引きずって、そのまま外へ放り投げた。

 がしゃん、と朝から賑やかな音を撒き散らすビクサム作曲のBGMを聞きながら空を見上げた。

 ふわふわと、白い雲が流れていく青空。

 どうか、今日も一日、この診療所に来る人たちが平和に過ごせますように。

 なんてな。

「今日も頑張るか。飯と来月のエコデの衣装代のために!」

 

 

第一部 fin

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