第四話 殿堂入り天使降臨

 

「いやぁ、最近咳がひどくてねぇ」

「じいさん年なんだから、無理すんな?」

「ふぉふぉふぉ、まだ若いもんには負けとらんわい」

俺は苦笑して、いつもの薬を処方する。

咳止めと、後は血圧の薬だ。どの世界に行っても老化と共に血管が弱るのは共通らしい。

下手すると、前世の世界よりもひどいかもしれないな。

魔法使いほど血管が早く痛むらしいし。このギフォーレ爺さんも、若い頃は魔導士として名を馳せていたらしい。

この間、街で若い魔導士が爺さんに対してガチガチになってたし。人間、わかんないもんだよな。

まぁ、爺さんの寿命もあと少しなんだけど。

要らん能力で、たまに俺は人の余命が分かる。医者としては致命的に要らない能力だ。

それがたまに、きつい時がある。

「はぁ……」

今日最後の患者は、ギフォーレ爺さんだった。

深いため息をついて、俺は背もたれに体重を預け、目を閉じた。

爺さんとの付き合いは、そこそこ長いからなぁ。割と、きついんだよなぁ。

余命を知らず抵抗だけ続けてきた前世の俺。

周りの決断が正しい選択だったのかは、今でもよく、分かってない。

爺さんとの出会いは、俺がこの街へふらっと現れたときだ。

医師免許だけさっさととった俺は、あてもなくこの街を訪れた。

その時出会ったのが、ギフォーレ爺さん。

「若造、それはわしが最初から狙っとったもんじゃぁ!」

「じーさん、若くないんだ。若者に道を譲ることも年長者の務めだろ」

「何を生意気なッ!!」

ぎゃあぎゃあ言い争ったのも懐かしい思い出の一つ。

最後の一点を争った、爺さんとのあの眩しい激戦。何度も繰り返して、俺たちはいつしか戦友になった。

……ああ、思い出したら急に恋しくなった。

期間・数量限定『スイーツショップ イフェリア特製』シトラスシフォン。

今の時期売り出しが始まってるな。

今度エコデに頼んで注文してもらおう。

「……先生、涎出てます。汚いですよ」

「やべ、思い出したらつい」

エコデの冷たい声に我に返った俺は、白衣の裾で口元を拭った。

呆れたように息を吐き、そしてくすっとエコデが笑った。

「でも、先生がそんなに夕飯を楽しみにしてくれてるなんて、嬉しいです」

あ、うん。違うけど。

言ったらまた昼飯抜きの刑が再発しそうなので、俺は曖昧に笑って誤魔化した。

 

◇◇◇

 

また別のある日。

左腕を骨折しながら、匍匐前進で受診に来たどっかの警備員をさらっと受け流し、

今日は初デートなんです、先生今日の私はどうでしょうと問いかけるレイラを軽くあしらったりしながら、時間は過ぎていた。いや、実に平和だな。

「エコデ、もう終わりかー?」

診察室から出て声をかけると、エコデは受付でこくんと頷いた。

受付終わりまではまだ5分ほどある。

でもまぁ、閉めてもいいよな。どうせ来ないし。

「よし、じゃあ俺外の戸閉めて来るから。エコデは飯よろしく」

「先生、まだ早いですよ?」

「俺は早くエコデの飯が食いたいんだよ」

そう反論すると、エコデはぴくんと耳が動いた。

おお、獣耳が動くと一層可愛いな。女子なら危ないところだ。

エコデはそそくさと立ち上がると、ぱっと背中を見せた。

「しょーがない先生ですねっ!」

空腹には勝てないからな!

人間、やっぱり睡眠と食事が一番必要だと思うよ、俺は。

そうして、ドアノブを捻って扉を開け……

からんかどっしゃぁっ!

唐突に、扉の鐘と何かがセッションを奏でた。

「……あー……」

外に転がる、謎の白い奴。

見てはいけないものを見てしまった気がする。よし、ここは目を閉じて。

ばん!

思いっきり扉を閉めた。

「エコデ、飯はまだかなー?」

「先生何言ってるんですかっ! 倒れてましたよ! 思いっきり! 人が!」

現実逃避を妨げられた。

エコデは慌てて駆け寄って、折角俺が閉ざした心の壁をあっさりと開放してしまう。

酷い奴だ……!

「大丈夫ですか? しっかりしてください?」

白衣の天使よろしく、エコデは献身的に声をかける。

やれやれ。仕方ないな。

俺も転がる白い奴の傍へしゃがみこんだ。

見事なブロンドに、真っ白なスーツ。白い靴。でもって、白い羽が背中にわっさと生えている。

おー、本物か、これ。ふわふわするな。

「先生、何してんですか」

「エコデも触ってみろ。意外とふわふわで気持ちいいぞ」

「そんな場合ですか!」

「俺、動物って好きなんだよ」

何か口元が緩む。前世では触れなかったからなぁ。

凄い楽しい。今人生で最高かもしれない。安っ、俺の人生。

不意に、がしっとエコデの細くて綺麗な指が俺の手首を掴んだ。

俺が顔を上げると、正面にいたエコデが怖い笑顔を向けていた。

「……人ですから。ね、先生」

「あはは、分かってるって。しょーがないな、後で撫でてやるから」

「ふぇっ!?」

頓狂な声をあげて手を離したエコデに俺は首を傾げる。

エコデ犬っぽいから撫でられるの好きだと思ったんだけど。外れか。残念。

「とりあえず、息してるし、おい。起きろ」

白い羽の人物を揺すると、小さなうめき声が返った。

そして、うつ伏せていた体を起こす。

「大丈夫か?痛むところは?」

「いや、問題ないよ。少し足を滑らせただけのようだ」

……うわ。

金髪美形が爽やかな笑顔で俺に答えた。前身総毛立つ。完璧すぎて気持ち悪い。

血の色をした夕日が沈む世界で、こんな吹き抜けの青空のような爽やかな笑顔を向けられた俺は本気でぞっとした。

「本当に、大丈夫です?怪我してるなら、先生が診てくれますよ」

余計な事を言うなエコデッ! 俺、こいつの爽やかさ生理的に受け付けない!

「そうなんだね。人を救う医者とは」

「先生はとっても立派ですよっ」

嬉しそうに同意するな、エコデ。

こいつと関わりが深くなるのは、飯を抜かれるのと同じくらいおぞましく感じる俺がいるんだ。

 

◇◇◇

 

……なのに、どーして俺は今、仲良く3人で食卓についてるんだろうな……?

意識が飛びそうだ。

「手当に食事まで、全く感謝してもし足りないくらいだ」

「いいですよ。困った人を助けるのが、先生の役目ですから。ね、先生!」

「あ……ああ、そうだな……」

エコデ以外をなるべく視界に入れないようにしながら俺は頷く。

輝かしいオーラが、俺のめんどくさいことを避ける性格を批難するようで痛い。

手当もエコデがしたし(ちょっと擦りむいただけだった)、食事もエコデが用意したし、正直俺はいなくていいはず。

いいはずだけど。

「そうだ、自己紹介がまだだったね。僕は、天使サタナスエイルス。周囲のみんなはサタンって呼ぶよ」

「思いっきり悪魔だなお前の名前?!」

思わず突っ込みを入れてしまった自分を、俺は心底呪いたくなった。

天使サタンは、ははっ、と軽く笑うだけで気にした様子もない。

もうマジで無理かもしれない。こういう天然系、どうやって扱えばいいのかさっぱり分からん。

「サタンさんですか。あ、僕はエコデです。で、先生はリリバスって言います」

エコデ、丁寧に紹介しないでいいから。早く追い返そう。

「エコデさんに、リリバスさん。改めて、よろしく」

よろしくされなくない。

だが何だか打ち解けているらしいエコデの前ではとても言えない。

また睨まれてしまう。睨まれるのは悪くないけど、後が怖い。

「ところで、サタンさんは何をしてたんですか?」

「待っていたのさ。ほら、僕は天使だからね」

ひらっと羽根を広げるサタン。ああ、触り心地は抜群だったな。

しかし、天使が診療所の上から降ってくるって、どんなコメディーだよ。

美少女の天使だったら、悪くな……ふと、正面のエコデが怖い笑顔を浮かべていることに気づく。

「先生? 何か今、良からぬこと考えませんでした?」

「え? いや別に。サタンみたいな美形天使じゃなくて、美少女天使だったら診療所の名物にもな……」

エコデの視線が一層鋭さと冷たさを増し、ヤバいと思った瞬間……

「あはは、それは済まなかったね」

全てをぶち壊す初夏の風を思わせる笑顔をサタンがぶちまけた。

エコデがちらっとサタンを見やって、小さく息を吐く。

何か、諦めた様に。

……なんか俺、今助かったかもしれない?

サタンの存在に、ちょっとだけ感謝したくなった。

少しだけ拒絶反応が収まった俺は、意を決してサタンへ問いかける。

「待ってたって、誰を」

「ギフォーレという老人さ」

……何?

エコデも表情を凍り付かせた。

サタンの爽やかな笑顔がどこか作り物めいて見えて来る。

「……エコデ」

「は、はいっ」

硬い声で呼んだ俺に、エコデは背筋を正す。

「飯抜きでいいから、邪魔するなよ」

エコデが何か言葉を紡ぐ前に、俺はサタンを椅子ごと拘束した。

ずっしり重量感満載の鎖で椅子に縛り付け、多重結界でもって行動制限。

「リリバスさん、これはどういうことだい?」

「爺さんは連れて行かせないってことだよ」

「連れて行く?」

疑問符を頭に躍らせるサタンを、俺は冷たく見下ろす。

エコデが唖然とした表情のまま、固まっていた。

天使の基本的役割については、俺も知っている。死者の魂を連れて行くのが役目だ。

つまり、ギフォーレ爺さんが、死ぬってことだ。

そんなわけない。まだ爺さんの余命は残ってる。俺は、残された人生をさらっと持っていくことだけは、許容できない。

全力て生きてこそ意味がある。それが俺の持論だから。

困ったように形の良い眉をひそめるサタン。美形だからって何しても許されるわけじゃねーからな。

重苦しい沈黙が広がる食卓に、診療所の扉にぶら下がった鐘の音が来客を知らせた。

「あ……はいっ」

エコデが慌てて応対に飛び出していく。

この空気に耐えかねたに違いない。

あー……エコデ、マジで怯えてたなぁ。

そうだよなぁ。目の前でこれだけ危険レベルの高い魔法使ったことないもんな。

地味に傷ついたけど、まぁ。

「……どうしたものかなぁ」

思考を巡らせる、ぼけっとした天使から爺さんの命を守れるなら安いもんだ。

さて、どうやって拘束を続けるかな。

「先生、先生っ!」

「エコデ?」

また酷く慌てふためいた様子で戻ってきたエコデは、勢い余って俺にぶつかった。

「あう」

「落ち着け」

ぽん、とエコデの頭を軽く叩く。

エコデはぱっと顔を上げて、しわになりそうなくらい強く俺の服を掴む。

「ぎぎ、ギフォーレおじいちゃんが来ちゃいましたっ!」

は? マジで言ってるのか? それって……。

「ふぉふぉふぉ、大騒ぎじゃのう」

「爺さんッ?!」

ゆっくりと杖を使いながら現れたギフォーレ爺さん。

俺の頑張りすべて無駄にされたような感じ。結局それが運命か?

「……おぉ、サタンじゃないか。新しい遊びかの?」

「やぁギフォーレ。僕にもよくわからないんだ」

「大方きちんと説明せんかったのじゃろ。お前は昔からそそっかしいからの」

……なんか、おかしくないか?

「じ、爺さん……? 知り合いか?」

恐る恐る問いかけると、ギフォーレ爺さんは首を傾げる。

「そうじゃ。今日はサタンにお使いを頼んどったのじゃ」

「おおお、お使いぃぃっ?!」

思わず声がひっくり返る。ひゃっ、と胸元でエコデが悲鳴を上げた。

あ、ちょっと可愛い。

「だから、それを渡したくて僕は待ってたのさ。ギフォーレは、ここに通っているからね」

「ふぉふぉふぉ。自宅に天使など来たら、家族が卒倒するじゃろ。わしが死ぬーって」

俺も思ったよ。俺も思ったからな、爺さん。

診療所に天使なんて、まさしくそれ以外ないだろ……。

「俺の、心配が」

脱力と同時に、サタンに施していた拘束結界が全て消失した。

 

◇◇◇

 

「すまんのぉ、先生。心配かけて」

「いや……俺も思い込んでて、……悪いな、サタン」

夜間でもぼんやりと光を放つような羽根を広げて、サタンは首を振る。

「行動に、リリバスさんの優しさを感じたよ。僕も美麗天使殿堂入りで満足せず、もっと天使として上を目指そう」

苦笑いが零れる。

ていうか、美麗天使殿堂入りってなんだよ。まぁ、サタン美形だから何となくわかるけど。

そんなコンテストを天使がやってるのが衝撃だよ、俺は。

「現役時代のわしの最高のパートナーじゃったサタンが、美麗天使殿堂入りとは。わしも鼻が高いのぅ」

爺さん分かるんだな。やっぱ脳内汚染されてる。

あんま関わらないのが正解だ。俺の本能は、正しい。

「じゃあ、僕はギフォーレを送っていくよ。もちろん上空から」

「……電柱に引っかかんなよ。お前素でやりそうだし」

「はは、ご忠告ありがとう」

「ではの、先生」

去っていく爺さんとサタン。

何か、嵐が過ぎ去ったあとの感覚によく似ている。

緊張感から解き放たれた、この無駄な脱力感。

……マジ疲れた。

「……先生」

傍らに立っていたエコデに呼ばれ、視線を落とす。

出て行く、とか言うかな。まぁ、嫌だよな。こんな危ない人間は。

俺だったら即行逃げる。

だけど、エコデはふわっといつもみたいに笑った。

「冷えますから、早く入りましょう」

……それだけ?

呆気にとられた俺に、エコデは微かに目を細めて、笑みの種類を変える。

「言ったじゃないですか。僕は、先生と一緒じゃないと、嫌です」

無性にくすぐったくなって、俺はエコデの頭を撫でる。

ふふっと嬉しそうに笑ったエコデには、どうも敵わない。

それにエコデを撫でると、俺は和むし。

「美少女天使なら診療所の目玉になるとか思いませんでした?」

「あ、エコデも思う? だよな。美形よりは美少女だよな」

サタンのあの無駄に爽やかなスマイルは、軽く俺の心を抉るし。

やっぱりふんわりはんなり系の美少女が良いよな。

「しかもスタイル抜群な美少女だといいよなぁ」

「先生の馬鹿ぁぁっ!!」

ばっと手を振りほどいてエコデは診療所へと消えて行った。

えぇぇ……分っかんないなぁ……

俺はいつになったらエコデの心理状態をまともに読み取れるようになるんだろ。

……どうせなら、そういう能力を与えろよ神様!

 

◇◇◇

第5話 悪夢、再び

 

一年の半分は寒いこの街。

ちなみに海まで馬車か車かドラゴンで30分くらい。

テレポートだと大体一瞬。

だけど寒いもんだからマトモな感性で生きてる奴らは、海水浴なんてしない。

ちょっと暖かくなった頃、馬鹿な若者が飛び込んで行くが、大体翌日以降に風邪でダウンする。

若いっていいよなぁ。俺には無理だ。トラウマ的に寒いのは無理!

でも。

「あー……スイカ割りしたいなぁ」

昼食のトマトをつつきながら、ぼやく。

正面にいる空からの妖精男子エコデが顔を上げて、綺麗な顔にしわをつくる。

不愉快そうに。

「先生、子供じゃないんですから! トマト残すの辞めてください!」

「ななな、何を突然。俺は二十歳越えた大人だぞ? 好き嫌いなどあるわけないだろ」

「じゃあ残さず食べてください」

言い切ってジト目で俺を見るエコデ。

可愛いなー。妹にしたいなぁー。なんて余所事を考えていると、おもむろにエコデはフォークを掴み……

赤い悪魔に突き刺した。どろりと悪魔の内蔵が零れる。

それをすっと俺の眼前に突き付けたエコデは。

「はい、先生。あーんしてください」

まさに、行くも帰るも地獄とはこの事だ。

いや、天国かもしれないけど。パラダイスじゃあなかった。

しかしこれはご褒美と取るべきか? それとも罰ゲームと受け止めるべきか?

悩む。滅茶苦茶悩む。綿菓子みたいなオーラで凶器を突き付けるのに、可愛いから許す! と言わしめるのは恐らくエコデくらいだろう。まぁ俺は、引っ掛からないけどな!

「あ、エコデ後ろ」

「えっ?」

ぱっと後ろを振り替えるエコデ。

チャンス!

指揮棒を振るように指を空中で滑らせる。眼前に迫っていた赤い悪魔がすうっと消失した。

悪魔払い成功。あぁ、良かった。

「あ、悪いエコデ。気のせいだった」

「もー……驚かせないでください」

ふうっと息を吐いて、エコデは気づく。

野菜に擬態したフルーツの悪魔が消えていることに。

「むぅ……食べれるなら最初から食べてください。怒り損です」

むくれたエコデはフォークを皿の上に戻し、片付けを始めた。

俺の悪魔払いに気付いた気配は微塵もない。

うんうん、これで良しと。全く、安心して昼飯も食えやしないな。

明日からも俺の万全な警備が必要だろう。

安心していいぞ、エコデ。お前の食卓もきっちり守ってやるからな。

時計を見上げれば、時刻は間もなく午後一時。さてと、そろそろ午後の診療の準備をするかな。

 

◇◇◇

 

街の片隅にある、こじんまりした診療所。それが俺の城だ。

財布は握られてるけど、エコデはあくまで居候。上下関係が逆なんてことはない。絶対にない。

家主に楯突くなんてことは……たまに、なくもない。

病院もあるし、ベテラン医師も大通りにはいるし。俺は気ままに、のんびりと診療している。

ん? だから変なのしか来ないのか? でも目立ちたくないしなぁ。今が丁度いい。

「こんにちは、先生!」

明るい声に我に返ると、ある時はキャリアウーマン、ある時は泣き女、ある時は駄目男キラーという、様々な顔を使いこなすレイラがいた。今日は明るいメイクに、爽やかな装い。

「デートか?」

「うーん、微妙に外れね」

それは当たりでいいんじゃないか? むしろハズレでもいいけど。

くすっと笑って、パーマを当てた髪を指でくるくると絡めとるレイラ。よほどくるくるパーマが好きなんだな。

パンチパーマでも勧めるべきか?

エコデなら良い美容院が分かるだろう。まぁ、エコデは男だけど。

「ほら、約束したでしょ、先生!」

満面の笑顔が輝くレイラに、俺は首を傾げる。

したっけ?

そしてレイラは嬉しそうな笑顔で、言った。

「デートの日取りを決めましょう、先生!」

……はい? デートデート……そーいえば前にエコデが言ってたな。

てっきり彼氏が出来たから忘れたと思ってた。レイラ変な所で真面目だから、駄目男専なんだろうな……。

いや……待て。もしかして、デートに誘われた俺も駄目男ってことか?

き、傷つくな……。俺は老衰で死ぬのを夢見る平凡男だって言うのに!

「明後日金曜日は午後休診ですよね?ランチでもどうですか?」

ランチかぁ。エコデの昼飯美味しいから別に食い付くほどでも……

「日頃お世話になってますし、奢りますよ」

「分かった、空けとく」

間髪空けずに即答。

楽しみだわ、と微笑むレイラ。俺も楽しみだ。

日頃はエコデに倹約を迫られて、外食ほとんどないし。

ここはレイラに高いところへ連れてってもらおう。俺の方が年も稼ぎも下だしな!

いやー、食費を浮かす選択をした俺って家計思いだよなぁ。

「じゃあ、先生。12時半に、噴水広場で待ち合わせよ」

「あぁ、分かった」

レイラは頷き、椅子から立ち上がると軽やかにターンする。

余程今日のデート相手はいい男なんだろう。良かったな、レイラ……。

「あ、それと……一応デートよ?先生」

感動の涙を心で流していた俺に、レイラが振り返る。

くすっと黒い女の笑みを浮かべていた。

「デートは、二人でするからデートって言うの。忘れないでね?」

何でそんな当たり前の事について、レイラは念を押すんだ?

女は良く分からない……。

 

◇◇◇

 

今日の夕飯はオムライス。ケチャップでエコデが『ドンカン』と謎の擬音を書いてくれた。

凄く意味が知りたい。あ、そうだ。

「エコデ、今週の金曜の午後なんだけどさ」

「はいっ!」

おぉ、凄く嬉しそうな顔で、期待度MAXを全身で示したエコデ可愛い。

ビクサムに見せてやりたいくらいだ。ついでに真実を伝えられたら、俺の任務は終了。

後はビクサムが自爆するかを決めればいい。って、そうじゃなかった。

「昼、用意しなくていいぞ」

「え? でも」

「レイラが飯奢ってくれるらしいから行ってくる!」

びしっと敬礼を決めてやった。

食費を浮かす為に身を粉にした俺を誉めるんだ、エコデっ!

エコデは唖然としたのち、ぽつっと言う。

「僕は……お留守番ですか?」

「一人分食費が浮くぞ! 外食資金に役立て……」

「抜きです」

ん? エコデ、今何か言ったか?

がたんっ、と席を立って、エコデは俺の目の前からオムライスを拐った。

「ちょ! 俺の夕飯が誘拐された?!」

「先生今日から三食抜きですっ!」

「むむ、無理! 流石に死ぬよエコデさん?!」

「いいですっ。僕も一緒に我慢しますから、二人で餓死すればいーですっ!」

そんな馬鹿な?! 俺は再びあの地獄をさ迷わねばならないのか?

ていうか、何でそんなに怒るんだ……エコデよ。

どう説得するか。

俺は良いけど、エコデは空腹消去なんて変態魔法使えないし。流石にさせたくないよなぁ。

俺は仮にも医者だし。見れば、そっぽを向きながら瞳を潤ませている。

「エコデ……」

そうだよな……飯抜きはきついよな。

俺は身をもって教えられたから、良く分かる。うん。

「いいですっ。分かってますっ! 先生が巨乳で人妻が好みなのは知ってますっ」

あ、ばれてたのか。

もしかして、秘蔵コレクションが見付かったか? ……隠し場所変えないと。

エコデには目の毒……いや、逆に見せないと駄目だな。男の娘でも、一応は男の子だし。

エコデはぎゅっと目を瞑って、どうやら涙を堪えているようだった。

かーわーいーいー。見ているだけで保護欲が半端なく働く。

しかしまぁ……。

「くはっ、あははっ」

俺は思わず笑ってしまった。エコデは吃驚した様に視線を寄越す。全く、本当に。

「ホントにエコデは寂しがりやだなぁ」

「さび、寂しくなんて、ないですよ!」

顔を赤くして反論するエコデに、俺はにやっと笑う。

「じゃあ大人しく留守番な? 飯抜きもなしだ!」

「う、でも、だって」

また泣きそうになるエコデ。

うーん、参ったなぁ。男に二言はないと言うことか。折角悪夢の再来は防げそうなのに。

どうしたもんか……。

「行ってきて、いいですよ。先生」

思い悩んでいた俺に、エコデがそっと呟く。いやいや、それは飯抜きと同意なんじゃあ……

「ご飯も作ってあげます。気にせず行ってきてください!」

ぱっと笑ってみせたエコデだけど、やっぱりちょっと寂しそうだ。

でも、折角の厚意を無下には出来ない。高級フルコースのために!

「安心していいぞ、エコデ。お土産は忘れない!」

せめて安心させたくて、俺は断言する。

一人で美味しい思いはしない。転生者の誇りにかけて!

エコデはくすっと笑う。

ちょっとだけ気配が和らいだ。

機嫌が直ったらしい。

あぁ、これで何とか断食生活は避けられたな。食事を削られたら、俺の人生の楽しみは睡眠しかなくなってしまう。

実に危ない橋を渡りきったようだ。良かった。チートな能力に初めて感謝するよ、神様。

 

――そう思った翌日の朝食が。

「エコデさん? 俺の皿が血の色なんだが」

赤い悪魔による侵略によって、俺の皿はさながら屠殺場の有り様だった。

「先生、リコピンは体に良いと仰ってたじゃないですか」

にっこりと微笑む、エコデの皮を被った悪魔が俺の前に鎮座している。

……くっ、必ずお前を取り戻してみせるからな、エコデ。

そして、頬杖をついて、無邪気に笑う悪魔が囁く。

「残したら駄目ですからね?先生」

悪夢は過ぎ去ってなど、いなかったのだ……。

 

◇◇◇

第6話 変わり目に祟り目

 

金曜日の午後。冴えない我が職場の定休だ。社員二人だけど。

そろそろ新しい風が吹いても良いと思う。

米とか肉とか魚とかシナチクとかイナゴの佃煮とかとりあえずリコピン以外の何かの風が。

「先生、顔色悪いわね。どうしたの?」

くすくす肩を揺らして笑うキャリアウーマン。オレンジ色のフレームで可愛らしさを演出したレイラだ。

約束通り、俺はレイラとのランチデートに赴いていた。俺は軽く肩を竦めて、レイラに返す。

「真っ赤な太陽の妖精しか摂取してないのにな」

反比例して、俺の顔色は白いらしい。悪魔め、俺の血の色さえ奪って赤みを増そうとは。

実に恐ろしい相手だな。

レイラは呆気に取られた表情を浮かべ、次いで苦笑する。

「やだ先生。受付の子に言っちゃったの?」

「ん? だって言わないとエコデの手料理一人分無駄になるし」

食料自給率をあげるために一番必要なのは、廃棄量を減らすこと。

俺はちゃんと社会にも目を向けている。社会人の勤めだ。

「あの門番に譲ればいいのに」

ビクサムに? エコデの手料理を食わせてやると?

「……確かにっ!」

毎日懲りもせずにやって来るビクサムへのせめてものプレゼント。

俺はそれを潰してしまったのか。食料自給率も減らせるチャンスに、俺は何て間違いを……。

肩を落とさずにはいられなかった。まぁ、次回以降の課題にするか……。

さっさと思考を諦めて、俺はレイラのくれたチラシに視線を落とす。

新装開店したばかりの洒落たカフェ。今日はそこへ連れていってくれるらしい。……もっとガッツリ肉とか行けると思ったのが甘かった。考えてみれば、レイラは午後も仕事だ。長時間休みが取れる訳じゃない。

抜かった。だけどまぁ、リコピン地獄よりはマシか。

何か前提が狂ってる気もするけど、きっと栄養不足で三半規管が聴覚情報を上手く脳へ伝えられていないに違いない。

そう言うことにする。

じゃなきゃ、俺の数日間の悪魔との聖戦が穢れてしまうからな……。

「でも、何でここなんだ?」

抱いていた疑問をレイラへぶつける。

するとレイラは、見る間に顔色を変えた。リコピンの悪魔色に。思わず戦闘態勢をとりそうになった。

「あの、あ……新しい、彼のお店なの……」

消え入りそうな声で、レイラが言った。

真っ赤な顔を俯かせたレイラ。どうやら、人並みに照れているらしい。

「一人じゃ、恥ずかしくて行けなくて」

「なるほど。でも俺と一緒もまずくないか?」

俺、一応男なんだが。彼氏的には嫌じゃないか?

だが俺の心配をよそに、レイラは満面の笑顔を見せる。

「大丈夫よ! だって先生はただの医者だもの」

ただの医者って何なんだ。普通に男のプライドが粉砕されたわ。

 

◇◇◇

 

日光が多く注ぐようにガラス範囲の広いカフェ。食器はシンプルなホワイト無地をベースにナチュラルテイスト。いかにも女子向けの作りだった。乙女心をよくわかってるんだな、レイラの彼氏は。

今回はレイラも当たりを引いたのかもしれない。

それは正直、主治医として嬉しい。これで泣き女のレイラともさよならかと思うと、少し物寂しい気もするけど。

「ねぇ先生」

「ん? 何だ?」

正面にいるレイラは、アイスティーの氷をストローでつつきながら、俺に苦笑を向ける。

「ランチなんだから、何もカフェメニューを制覇しなくてもいいんじゃない?」

「ランチだから、逆にカフェメニューを攻める醍醐味があるんだ」

胸を張って言い返す俺の前には、ずらりとスイーツが並んでいる。

白の中に赤が鮮やかに光る苺とヨーグルトのトライフル。ホイップクリームの絨毯の上にマンゴーがうず高く積まれたパンケーキ。

ほろ苦さが大人の味わいのティラミス。

とりあえず皿にまだ残ってるのはこの三つだけ。

全12種あったけど、後はもう俺の胃の中にすっぽり納まってる。

この三つが俺のお楽しみベスト3。ちなみに、俺は好きなものは最後に食べるタイプ。

つまり、これからが本番だ。

「さて、どれから攻め落とすかなぁ」

食卓の武器・ケーキスプーンをその手に取って俺は口元に笑みを浮かべた。

「あっ……」

俺がティラミスを口に入れた瞬間、レイラが声を上げた。

何だ? 食べたかったのか? 最初からそういえば良いのに。

レイラを窺うと、口を半開きで、目はぼんやりと焦点が定まっていない。

……これは……まさか脳疾患か?

小発作の可能性があるな。まぁ、すぐに意識は戻るだろ。欠神発作だし。

それより、このティラミスいい感じに苦いな。レシピ教えてくれたらエコデに作ってもらえるんだけどなぁ。

レイラに頼んでもらうか。

再度レイラを見やるも、相変わらず魂が抜けている。視線の先に何かあるのか?

それとなく視線を巡らせると、白い服に身を包み、赤いスカーフでアクセントをつけているパティシエが入口の傍にあるレジ前にいた。

見た目40歳くらいの、口ひげを蓄えた男だ。俺はそれに、ピンと来た。

「もしかして、レイラの……」

「パパぁー!」

……パパ?

駆け寄る長いツインテールの女の子。

ピンクのワンピースを翻し、ぱたぱたとパティシエの男へ駆け寄っていく。

……って、パパって!レイラの彼氏って!

俺がレイラにその真偽を問い質す前に、更に一人の若い女が現れる。

ぱっと見た印象では、俺と同じくらいだ。

20代に差し掛かったばかり、という感じのウエーブしたロングヘアを風に遊ばせる女性。

嫌な予感しかしない。

無関係な筈の俺だというのに、何故か冷や汗がだらだらと流れ落ちる。

会話は聞こうと思えば聞こえなくもないが、聞いたら俺は発狂しそうなのでやめておく。

良かった、チート能力垂れ流しじゃなくて。要らんことは知りたくな……

「もうすぐ離婚するから、待っててほしいって言われたの」

そんな昼ドラの台詞を言うなレイラッ!!

親に結婚相手を紹介するような、恥じらいの表情を浮かべてるし。

大体俺、親じゃないし。ただの医者なんで、関わりたくないんだが。

ていうか、あれ絶対別れない。だって人目も憚らず、店員が引くくらいべたべたしてるじゃねーか。

「私、ずっと待つわ」

「あぁ……そうだな……」

今回は不倫か、レイラ。切な過ぎて俺の食欲がなくなったよ。

ほろ苦いティラミスが、激苦い紙粘土に感じるくらいにな。

「……出るか、レイラ」

「あら、いいの? 残ってるわよ、先生」

ああ、食料自給率を下げるためにエコデの手料理を辞退したのに。

俺は結局、食料自給率をダウンさせてしまった。こんな自分が恨めしい……。

 

◇◇◇

 

「ただいまぁ……」

「あ、先生。おかえりなさい。早かった……ですね?」

迎えたエコデはしげしげと俺を観察する。何かを探す様に。

「あ!」

思わず声を上げた俺に、エコデは身を竦め、獣耳を押さえた。

可愛い。あ、違う。まずい。

俺としたことが、土産を忘れてしまった。地獄の日々がさらに過酷な日々になってしまう。

まずい。どうしよう。だらだらと冷や汗が流れる。

水分摂取量が、圧倒的に足りなくなりそうな勢いで。

「先生? どうしたんですか?」

あどけない瞳で問いかけるエコデ。

ここで正直に土産を忘れたと、伝えるべきか否か。

俺は今、究極の選択を迫られている。

「……あ、あのなエコデ」

「先生、顔色が悪いですよ。汗も出てますし、風邪じゃないですか?」

それはない。俺の肉体最強に設定されてるらしく、基本的には新種ウイルスもさくっと体内で抗体を作れる。

……これはもしかして、抗体で一儲けできるかもしれない。

いや、そんな事は今大事じゃないんだが。

ぐっと拳を握りしめ、俺は決意を固めた。

「すまん、エコデっ! 土産忘れた! さっぱり忘れてましたぁっ!」

全身全霊の服従のポーズ。日本人の魂、土下座。

ずしゃぁっ、と地面を擦る音を立てて、俺はエコデの前にひれ伏した。

もう煮るなる焼くなり踏むなり蹴るなりしてください。

ああもう、今頭をあげたらどんな冷たい眼差しで俺を見下ろしているのか。

想像するだけでテンション上がる……じゃなかった。申し訳なくなる。

「……先生、まだ出かける気力、ありますか?」

振ってきた声は、俺の予想を斜め右上38度くらいからやってきた。

恐る恐る顔を上げると、目の前に膝をついていたエコデ。

その目はマジだった。頷かなかったら、俺の明日の食事はトマトさえ出てこないかもしれない。

「あるけど、……なんで」

何でもできるはずの俺だが、震え声でエコデに問いかける。

拒否権なんてあるわけないじゃないかっ!

俺の恐怖を他所に、エコデはぱぁっと表情を輝かせた。

「僕も先生と一緒に出掛けたいんです!」

……なんだろう。

今日は俺の思考が周囲の発言について行けてない日のようだ。

 

◇◇◇

 

オートモード、と勝手に俺が名付けている魔法がある。

周囲の環境に合わせて適当な相槌を、外部刺激に対する反射として処理するのだ。

つまり、俺が別の事を考えてても、俺の肉体は勝手に動いてくれるという優れものの魔法。たまに仕事中に使ってて、カルテを後で見返す羽目になることがある。大体そういう時は、夜中に深夜番組見過ぎた結果なんだけど。

今はそのオートモードでエコデと外出していた。余程寂しかったのか。

「先生、今日のランチ、美味しかったですか?」

そう笑顔で問いかけたエコデ。

輝いてるなぁ。太陽の光みたいだよ、ほんとにな。でもランチは苦かった。

インスタントコーヒーをそのままご飯にかけたくらい苦かったな。

「普通」

「えぇ、普通じゃ分かりませんよー。特別なメニューとかなかったんですか?」

「普通」

「……じゃあ値段は?」

普通です。オートモードは基本『平均的な』回答しかできないのがネックだ。

もう少し改良が必要だな。ダミーの意識を作るかぁ。便利そうだし。

ていうか、そろそろエコデに怪しまれそうだな。俺の思考も落ち着いたし、魔法切……ん?

「エコデ、それって……」

魔法を切断し、俺は息を飲んで口を開く。

エコデの手に握られたチラシ……!

「あ。レイラさんが新しく出来たお店を紹介してくれたんですよー」

さらっと俺の悪寒を導いた。

胃が熱い!

マジ胃が熱くなるから。突発的に逆流性食道炎が発症したわ。

俺、あの店にはしばらく近寄りたくないと思ってたのに!

でもエコデはにこにこと楽しそうだし。あぁ、俺はどうすれば……。

「先生? 顔色悪いですよ? 大丈夫ですか?」

「そそそんな事ないぞ?!」

ヤバい。声が裏返った。怪しまれたらお仕舞いだってのに。

エコデは心配そうにじっと俺を見ている。完全に俺の嘘を見抜こうとするハンターの目だ……!

「折角のエコデとの外出なんだからさっ!」

俺の低スペックの脳で絞り出した言葉に、エコデは目を丸くした。

そしてそそくさと目を伏せる。

やっばー……間違えたっぽい。さよなら俺の食生活。今日から俺は睡眠だけを楽しみに生きていこう。

「帰りましょ、先生」

「へ?」

「夜は栄養つくもの作ってあげますね」

にこっと可愛らしさを前面に押し出した笑顔が向けられる。

正直俺は……急展開過ぎて戸惑った。

でも危機は回避できたようだ。

ほっと胸を撫で下ろしながら、帰路につく。

ホントにヤバい時は、エコデは何も言わずとも察知してくれるらしい。

そう思えば、良い居候見つけたよなぁ、俺って。

たまに超怖いし、怒りのポイントが不明だけど。

 

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