第七話 プラリネ

 

目覚めは、いつも朝日が昇る前。この街は太陽の出ている時間が短いから、朝は遅くて、夜が早い。

慣れてしまえば、大したことはないけど、昔はよく寝坊してたっけ。今じゃもう、太陽より先に目が覚める。

カーテンを開けて、窓を開ける。冷たい空気が流れ込んで、僕は微かに身を縮めた。

それと同時にまだぼんやりとしていた頭がすっきりする。

「さてと……朝ごはん作って、先生を起こしに行かないと」

診療所の掃除とか、洗濯とか、朝は何かと忙しい。だから時間は一分一秒コンマの世界まで勿体ない。

今日は朝ごはん何にしようかなぁ。先週は先生にちょっと意地悪し過ぎたから、今週はいっぱい食べさせてあげないと。

あ。先生甘いもの好きだから、今朝はパンケーキにしよう。食物繊維もタンパク質も摂れるし、甘いのも食べられるし。

うん、そうしよう。先生喜んでくれるかなー。想像するだけで楽しくなってきた。

どうか、今日から始まる一週間が、平穏無事に、先生と楽しく過ごせますように。僕は心の内で、そう祈った。

 

◇◇◇

 

食事の用意を約8割終えたところで、僕はいつも先生を起こしに行く。

先生は朝に弱い。起こしても中々起きてこないし、やっと起きたと思っても二度寝するくらい。

そういうところは先生の可愛いところだと思う。もう一回起こすくらいは、雑作もないし、結構好き。

足音に気をつけながら、僕は先生の部屋まで向かう。

小さく息を整えて、先生の部屋の扉をそっと開けて中を覗き込んだ。

いつも通り、ベッドの真ん中でこれでもかってくらいに小さく丸くなった先生が布団に埋もれていた。

先生は寒さに弱いから。しょうがないなぁ、先生は。

すたすたと歩み寄って、猫みたいに丸くなって、髪の毛しか見えない先生へ呼びかける。

「先生、朝ですよー」

「うー……後三時間ー」

しょうがないなぁ、なんて納得しませんよ? 先生。長いから。三時間はさすがに駄目。

「診察始まっちゃいます。起きてください。ご飯が冷めます」

「温め直すから心配ないってー……」

「パンケーキは温め直したら美味しくないです! 出来たてじゃないと!」

むっとして思わず反論すると、先生はがばっと起き上がった。

「すぐ行くっ! メープルシロップとクリームチーズ用意しとけよ、エコデっ」

寝ぐせで頭が爆発してる先生は、子供みたいに表情を輝かせてそう言った。

先生は本当に甘いものが好きですね。

 

◇◇◇

 

先生は食べ方がいつも豪快。でも不思議と一片たりとも零したりしないのが凄いなぁって思う。

まるで魔法みたい。

「先生、よく零さないですねー」

「ん? だって勿体ないだろ。落としたら、片づけで捨てられる運命なんてさ。それに、食料自給率向上のために俺は尽力し続けるのが役目だと思ってる!」

そう熱弁する先生。僕は、先生の言葉に感銘を受けた。流石先生。社会の事まで考えて、生きてるなんて。

だからこんな辺鄙で患者が少ない街の片隅で、医者をやってるのかもしれない。

普通の病院や診療所に行けない、人外の人々のために身を粉にしてるのかな。素敵です。

「なー、エコデ」

不意に名前を呼んだ先生。

見れば、お皿には十枚あったパンケーキが残り三枚になっている。

「あ、お代りですね」

「頑張って働くから!」

そんなに頑張らなくても、先生が美味しいって言ってくれるならいくらでも出すのに。

……変なことしなきゃ、だけど。

診療所の開始まであと二時間。今日は変な人が来ないといいなぁ。

 

◇◇◇

 

診療所の掃除は先生の仕事。いつも魔法みたいに、知らない間に綺麗になってる。

本当は先生、魔法使いなのかも。まさかね。

僕はその間に洗濯をして、ベッドメイクをしておいて。更に昼食の準備をしておく。

後が楽になるから、結構これが大切だった。

「エコデ、何か手伝うかー?」

声をかけた先生は、診療用の白衣を羽織っていた。

真っ白な白衣で歩み寄ってくる先生はちょっと知的。

いつも先生は何かと暇を見つけては、色々と手伝ってくれる。凄く助かるし、あと、凄く嬉しい。

「えと、じゃあ洗濯干すの手伝ってください」

「おーエコデじゃ背が届かなそうだもんな」

苦笑した先生に、僕は苦笑いで頷いた。

先生とは頭一個分背が違うから、言い返せない。

診療が始まるまでは一緒に居られる。だけど診療開始と共に、先生は患者さんにとられてしまう。

寂しいなんておかしいけど、やっぱりちょっと寂しい。先生が居なきゃ、僕は今こんな場所で平和に生きてなかったかもしれないから。

「どした、エコデ。ぼーっとしてるぞ」

先生の声に顔を上げると、心配そうな顔をしている先生と目が合う。

ふと、先生は目じりを下げて、くしゃっと僕の頭を撫でた。

「月曜から疲れるなよ。元気出せ」

先生の大きな手が頭皮を撫でる。出会った時から変わらない、大好きな手。

先生の手は、魔法の手だ。傷付いた人を全部助けてくれる、魔法の手。

僕も先生に助けてもらってここに居る。今も、助けてもらってるし、多分これからも。

ぼろぼろだった僕の心を助けてくれた先生の傍に居られたらいい。

変な人ばっかりやってくる診療所だけど、先生と一緒なら。

「あ、ところでエコデ」

「はい」

離れた手の感覚を名残惜しみながら、僕は返事をする。

先生は、とっても嬉しそうな顔で問いかけた。

「来月のコス……じゃなかった、服。こんなのどうだっ?」

びっと一枚の写真を突きつけた先生。ブルーのワンピースに白いエプロン。

見たことある気がする。確か、先生の本棚にあった、カバーと中身が違う本の。

「……先生。これ先生のいかがわしい写真集の一枚じゃないですかッ!」

「なな、何でそれを?! はっ、そうか。エコデも男の子だったんだな。いやー安心した!」

「そぉいう話をしてるんじゃありませんっ!」

ほんとに先生は、そういう所がどうしようもないです。

でもそういう先生も大好きですけど。もうどうせ発注しちゃったんでしょうし。

資源の無駄遣いは駄目、が先生の教え。だからしょうがないから、来月も着る。

先生が可愛いって言ってくれるから、着てるんじゃなくて。

一分一秒、少しでも多く先生と一緒に居られるなら手間なんて惜しまない。

だから先生。他の人とデートなんて許しませんからね!

 

「―――ていう夢を見たんだけど、エコデはどう思う?」

「何で僕に聞くんですかっ! 先生の中の僕を殺してくださいッ!」

「えー……」

それはそれで勿体ないと俺は思うんだが。だがエコデは顔を真っ赤にして可愛い顔で俺を睨んできた。

うーん、確かに違う気がする。ていうか、それはそれで困る。

俺もエコデも男なんで。そっちの趣味は持ってないし。いや、エコデは可愛いと思うけどな?

「仮に、仮にですけどね? 僕が先生の事大好きだとしたら」

「うん」

にっこりとエコデは輝く悪魔スマイルを見せてくれた。

「この間のレイラさんとデートした時点で先生監禁してますよ?」

そうかもしれませんね、エコデさん。すいませんでした、勝手に変な夢見て。

そして、朝から俺は土下座を強いられた。

 

◇◇◇

第8話 御子と巫女と皇子

 

「先生、お客様です」

昼休憩で微睡んでいた俺に、エコデが棒読みで声をかける。

最近気付いたけど、この手のトーンの時はエコデの機嫌がすこぶる悪い。

俺はシャキッと背筋を正し、涎をささっと拭う。

「誰だ?」

「僕は知りません。でも、先生のお知り合いだって言ってましたよ」

俺の知り合い? 人見知りの俺には訪ねてくるような知人はいない……はず。

「こちらにお通ししますね」

「ああ、分かった」

頷いた俺に、エコデはぷいっと背を向けて診察室から出て行った。

いいなー。あんな感じの可愛い嫁さんそろそろ欲しいよなー。

実に残念だ。それにしても誰だ?

腕を組んで椅子の背もたれに体重を預ける。

ぎし、と軋んだ音。天井を見上げて目を閉じ思考をしていると、

「相変わらず冴えない場所で冴えない生業やってるわね。リリバス」

「なっ……!」

ばっと目を向ける。

シスター風の衣装に身を包み、女性のステータスであり、男のロマンを詰め込んだ平均を上回る胸を装備した女。

ぱさっと長いオレンジ色の髪を手で払って、笑みを浮かべたそいつを、俺は知っている。

「さ……サチコ?!」

「お久しぶりね、腑抜けさん」

すとん、と患者用の丸椅子に座るサチコ。

俺は紳士だから、サチコの胸揺れには興味ない。見てないったら見てない。

「おやすみ中ごめんなさいね」

「思ってないだろ」

もちろんよ、と微笑むサチコ。

シスターっぽい服は着てるけど、サチコはシスターとはかけ離れた奴だ。

服はただのコスプレに過ぎない。

ちなみにサチコの本名は、サンディミン・チルルスクード・コートナー。長いからサチコ。

この街に来る前の、俺の知り合いだ。

「で、何の用だ?」

「仕事の話よ」

仕事ねぇ。俺は一応医師として慎ましく生きてるんだが。

町内会の害虫駆除の手伝いしたり、居候の男の娘に飯抜き食らったり、患者の不倫に目をつぶってやったり、深夜番組をチェックしたり、首から上が土気色の患者の治療をしてやったりと、忙しいんだが。

「まぁ、半分は冗談よ。様子見に来ただけ。面白い噂を小耳に挟んだもんだから」

「噂?」

首を傾げると、サチコはずいっと身を乗り出す。

おー、目がミラーボールみたいにキラッキラしてるな。流石サチコ。

「そうよ! 可愛いお嫁さん貰ったんでしょ?」

ガシャン。

ガラスが割れた音に、俺とサチコは揃って目を向ける。

――呆然と立つエコデの足元に、ガラスが液体と共に散乱していた。

「大丈夫か? エコデ」

「は……はいっ!だい、大丈夫です!えと、すぐ片付けますっ、から、あの」

「うん、まぁ、落ち着け。茶はいーから」

こくこくと真っ赤な顔をして頷くエコデ。余程、失敗が恥ずかしいのか。

ぱたぱたと走っていったエコデを見送っていた俺に、サチコがにんまりと笑う。怖いな、サチコ。

「なーんだー、そーいう事かぁー。いやいや、流石ミコ様」

「御子言うな。お前だって巫女だろーが」

「ミコ違いよ」

頭痛くなりそうな会話だ。はぁっと軽くため息をつくと、俺はサチコを見据える。

「で? 今日はこの辺りで仕事か?」

「ふふふ。まぁ似たようなものね」

いつ見ても、怖い女だな。全身武器女だし、俺は正直絡みたくないタイプだ。

あー、早く帰ってくんないかな。

「とりあえず一晩泊めて貰おうと思って!」

あぁ、そうです……何だと?

「いいじゃない。私と貴方の仲でしょ? ね、み・こ・さ・ま?」

鼻をつつくな。大体どんな仲だ。説明してみろ。と叫びたいのは山々だったが、腹にナイフ突き付けられたら、誰でも頷くしかないだろう。またひとつ、事件である。

 

◇◇◇

 

「エコデ、サチコが泊めて欲しいらしいんだけど……どーする?」

ガラス片の片付けに戻って来たエコデに俺はそう声をかける。

エコデは目を丸くして、俺の背後にぴたりと寄り添うサチコを伺った。

いいんだ! 駄目だと、無理だと言えば! 背中に当たる、嬉しくない感触なんて気にするな。

最早今後の運命は、エコデに委ねられた。

『ごめんなさい』とエコデが返せば、俺の背中は蜂の巣よろしく、風の吹き抜けスポットと化すかもしれないけど。

多分、頑張れば治ると思うし。

あー、でも頑張るの嫌だしなぁー。大人しく死ぬかぁ。エコデはじっと俺を見つめてくる。

段ボールの捨て犬みたいだ……!

久々に興奮するな。あ、いや、変態的な意味じゃなくてな?

こう手に汗握る状況になると、俺、テンション上がるタイプだから。

短いか長いか、しばしの沈黙が舞い降りる。

そして、エコデはぎゅっと手を握りしめて、ぽつりと言った。

「先生が、決めたらいいじゃないですか」

丸投げぇぇぇ?!

恐る恐る背後のサチコを振り返ると、『何か文句あるのか、豚が』みたいな笑顔を向けてきた。

その下民を蟻のように扱う目は、悪くはない。

ごりっと、腰椎に押し付けられる火薬で金属を発射するものがなければもっとな!

「でも先生、ゲストルームなんて無いですよ?」

ごくごく自然の発言に、俺は一筋の光明を得た。

まさにその通りだ、エコデ! やっぱりお前はエンジェルだ!

「あら、構わないわよ。リリバスと一緒に寝るわ」

何故そうなる。

「そ、そうなんですか? 先生っ」

いや、エコデお前もだ。何故さらっと飲み込む。

「診療所の患者用ベッドでいいだろ」

「嫌よ。私が一人じゃ眠れないの知ってるでしょう?」

知らねーよ?! いつの間にそんな属性を追加したんだサチコ。

だが残念なことに、わが社は男性職員しかいない。どうしたもんか。

不意に、ぱりんっと薄いガラスが割れるような音が響いた。

俺はばっと音のした方をみやる。

「あら、早かったわねー」

呑気なサチコの声。お前のせいか、サチコ!

「さーて、仕事しますかね!」

……マジかぁ……。

「どうかしたんですか?」

きょとんとした目で俺とサチコを見つめるエコデ。

耳が如何に良かろうとも、エコデの聴覚には引っ掛かってない。

サチコが気付いたのはサチコだからだ。ややこしい問題だが、そーいうもんだ。

「行くわよ、リリバス」

「断るっ!」

断言してやった。

びきっとサチコ周辺の空気が凍りつく。

さっと素早く、全力加速を駆使して、俺はエコデの背後に回る。

「せ、先生?」

見上げて来たエコデの肩をがしぃっと掴み、不敵に笑うサチコへ叫んだ。

「俺はただの医者だっ!」

「黙れ家畜」

「危険な展開はごめ」

「撃ち抜くぞ」

「一般人巻き込」

「それがどうした」

嘘ぉ……。

サチコは目がマジ過ぎる。多分、本気で殺される。

折角のエコデという盾を手にしたはずが、意味が丸でなかったという悲しい展開。

「すまん、エコデ。俺もう、死ぬらしい」

「えっ?!」

「本棚の医療関係の本に挟んであるへそくりと、俺の秘蔵の映像&書籍コレクションはお前に譲る。趣味に合わないようだったら、ビクサムにでもやってくれ」

「……」

「ゴミとして捨てないでくれよ。俺の愛蔵本の出演者達が憐れだからな……」

「……」

え、ちょっと。

何でエコデもサチコもそんな冷たい目で俺を見ます?!

「先生……最低です」

ふう、とため息をつくエコデ。

最低だなんて、この場合、褒め言葉か? 褒め言葉として受け取っておくべきなのか、俺は。

サチコはサチコで、やれやれと首を振る。

「大変ね、変態な旦那を持つと」

「だ、旦那じゃありませんっ!」

「そう照れなくていいわよー。変態な所を除けば、お似合いよ」

ウインクしてくるサチコに俺は鳥肌が立った。

エコデも絶句している辺り、同じように感じたのだろう。全く、恐ろしい女だ。

「それより、お前の仕事だろ。とりあえず外まではついてってやる」

「仕方ないわね。鈍るわよ」

鈍り上等だ。俺は平和主義なんでね。

「エコデはここに居ろ。危ないから」

サチコが特にな。真っ赤になって固まっていたエコデは我に返った様子で、俺を見やる。

凄く心配そうに。

「心配すんな。すぐ戻……」

「ぼ、僕も行きますっ!」

「駄目だ」

断言すると、エコデは見る間に涙目。

泣き落としとは卑怯な。巻き込みたくないという俺の気持ちも分かって欲しいもんだが、まぁ、エコデには何も知らせてないし。

「連れてってくれなきゃ、先生のご飯トマト塗れにしますからね」

「悪魔再臨?!」

 

◇◇◇

 

俺は押しに弱いらしいことを、つくづく痛感する。

いや、欲に弱いのか。だが、生きていくうえで、食欲と睡眠欲を失うわけにはいかない。

あともう一つ。

ぐしゃん。ぼこっ! ばりん。

「危ねっ?!サチコ、おまっ、俺らごと殺す気かっ?!」

「あーら、誰かさんが手伝ってくれないもんだから、そうするしかないの、よっ!」

俺の耳元を熱風が通り過ぎる。髪が微妙にかすって切れた。

危機回避能力なしでは、俺はとっくにもう、死んでる。

だからサチコとは関わりたくなかったんだよ!

どこから出したのか、大量の銃火器を周囲に散らかし、サチコは迫りくるそれらに発砲を続ける。

火薬と、腐乱臭がする。

「せ、先生……あの」

俺の後ろに引っ付いて隠れてるという可愛い状態で、エコデがやっと口を開く。

いや、うん。言いたいことは、分かるぞ。

「サチコは、あー見えても、巫女なんだよ」

しかも厄介な事に、サチコは退治専門。

穏便に済ます祓い専門とはわけが違う。問答無用で消し去るのが退治で、話し合いで解決するのが祓い。

しかも、サチコが異常にめんどくさいのは。

「うふふふふ。さぁさぁ、次はどんなタイプで殺されたいのかしらっ?」

嬉しそうに腐乱死体や骸骨を用意するサチコ。

ホントにこいつ、物理的に破壊するのが好きすぎて怖いわ。

悪霊が取りついた各種死体が動き出すと、ひときわ嬉しそうにサチコは銃器をぶっ放す。

ほんと、こいつ俺が張った防音結界とか人払いの術とかのありがたみ、分かってねーんだろうなぁ。じゃなきゃ今頃この街の警察に捕まって檻の中だぞ、サチコ。

しかもそのうず高く積まれた肉片や骨片、誰が掃除すると思ってんだ。

ああ、だから嫌だったんだ……。

黒い衣装を翻し、華麗なステップを踏んでいるようにも見えるサチコ。

まぁ、気持ち悪いほど笑顔で肉片と骨片を踏みつけてるから、怖いんだけど。

それにしても、こんな大量の亡霊どこから来たんだ?

そもそもこの街にはあんまり悪霊の類いないし、ヤバそうなのは俺がそれとなく祓っといたはずなんだけど。

「ラストぉ~!」

最後の一体がライフルで撃ち抜かれ、崩れ落ちた。

くるっと回転して、華麗な一礼をしてみせたサチコ。

「あー、はいはい。すげー」

気のない返事でぱちぱちと拍手してやる。

サチコは何故かはにかんだ。

パッと見、スタイル抜群なシスターが微笑む光景。

うわぁ。死体の上じゃなきゃあ、俺サチコに惚れたかもしんない。

でもそんな事は太陽がこの世界を焼き尽くして、全生命体が死ぬときくらいしかなさそうだから、一生ないな。うん。

しかしまぁ、自然発生的なもんじゃなかったな。

でもって、これが出来そうなやつっていうと……

「その通りですよ、兄さん」

「やっぱお前かぁぁッ!」

頭痛い。何なんだ。俺の平和な日常に、変態どもが集結するなんて不幸要らねぇぇ!

「せ、先生っ。落ち着いてください?!」

あわあわと狼狽えるエコデが一番の救い。

遭遇したくない二人が一堂に会したこの現状がおぞましい。

ばっさと豪奢なマントを翻して、サチコに歩み寄るそいつも、俺は良く知ってる。

ていうか、一応『弟』。

「帰りますよ、サンディさん」

「仕方ないわねぇ。でもまぁ、ロヴィのお蔭で気分転換になったから付き合ってあげるわ」

「助かります。それから……」

すっと視線を俺とエコデに向ける我が弟ロヴィ。今年で18だったか?

さらっとした髪を腐乱臭漂う風になびかせる、俺と違って美形男子。その形のいい唇が動きかけた瞬間。

「俺は帰らないぞ」

ぴく、とロヴィの左眉が不機嫌そうに跳ね上がる。うわ、やっぱサチコは囮かぁ……。

「何のために僕が出向いたと思ってるんですか、兄さん」

厄介。こいつ実はサチコ以上に厄介なんだよなぁ。どーするかなぁ。

「兄さんは、こんな辺鄙なところで、日陰に生きてるべき存在じゃないでしょう」

「俺は結構気に入って……」

「大丈夫です。帰りづらいだろうと思って、僕が迎えにきました」

うぉぉ……相変わらず聞く耳持ってねぇ……。冷や汗がだらだらと流れる。

俺ホントに、こいつ無理なんだよ。

不意に、袖を引かれた。視線を落とすと、エコデがじっと何か言いたげに俺を見ている。

捨てられるのを怯える犬みたいに。

「……ばぁか」

「ひゃ」

くしゃっと頭を撫でると、エコデがくすぐったそうに身を縮める。

そうそう。俺は日陰でエコデと二人、変人どもの診療してるのがぴったりだ。

「サチコ、とっとと連れ帰ってくれ」

「しょうがないわね。ロヴィ、新婚さんの邪魔しちゃ、無粋という物よ?」

「な?! 新婚?! 聞いてないです兄さんっ?!」

余計な事言うなサチコ?! 目の色が更にやばくなってるじゃねーか!

サチコは散らかしていた銃器を回収し、服の隙間にあるらしい謎の空間へ格納する。

どう見ても、隠せるサイズを超えているのもあったけど、後が怖いからあえて触れない。

ぱんっ、とスカートを叩いて、サチコはロヴィの首根っこを掴んで歩き出す。

あ、首に入ってる。死ぬかもあいつ。

「ぜ、絶対に諦め、ませんからねっ!」

「二度と来るなよー」

ひらひらっと手を振ってやる。あ、白目剥いた。まぁあとはサチコに任せよう。

しかし、疲れたな。

「あ!」

不意に声を上げたエコデに、俺はびっくりして目を向ける。

エコデはぎゅっと袖を握りしめて、言った。

「先生大変ですっ!午後の診療始まっちゃいますっ!?」

「何ぃっ?!まだ飯食ってないしっ?!」

「掃除が先ですよね、明らかに」

くっ。確かに肉骨片を放置するのは色々と倫理上まずい。

それは分かるが、俺には昼飯が重要なんだッ! 昼抜きの刑を受けてから特に!

「よし、表は任せろ。エコデは飯の準備!」

「は、はいっ」

ぱっと踵を返して扉の向こうへ消えたエコデを見送り、俺は深呼吸。

さながら戦場の跡。

太陽燦々と輝く光景には相応しくない光景。

こういう時こそ、役立たずなチートな能力の活用だ!

即行で戦場が綺麗な舗装路へと元通り。

そしてエコデの時短メニューでかろうじて昼にありついて。

無事に、午後診療へシフト。

そうして、変態二人組の存在をすっかり洗い流して、俺の平穏な生活は守られた。

……あいつらが二度と来ないように結界張っとくかな。

 

◇◇◇

第9話 月一Xデー

 

「しくじったぁぁぁ!!」

朝から俺は発狂する出来事に気づいてしまった。

「先生?! どうかしたんですかっ?!」

先日の変態駆逐に意識を持っていかれすぎて、俺は肝心な出来事に気が回っていなかった。

どうしたらいいんだ。この失態は取り戻せるのか、俺は?!

「先生、大丈夫ですか?! しっかりしてくださ……」

がしぃっ、と俺は俺へと手を伸ばしたエコデの手を掴む。

「せ、先生……痛い、です」

「はっ! すまん、つい!」

思いっきり掴み過ぎた。でもまだ、加減できてたはずだ。

出来てなかったら、今頃エコデの手首の骨粉砕されてる。エコデがさすっている手首が、赤くなっていた。

「うわ、エコデほんとにごめんっ?!」

「大丈夫です。それより、どうしたんですか?」

苦笑して許してくれた天使に、俺はほっと胸を撫で下ろす。

「いや、ちょっと忘れ物をだな……」

忘れ物? と小首を傾げたエコデに、俺は深く頷く。

赤くなったエコデの手首に触れて状態をチェックすると、何故かエコデは一瞬で赤くなっていた。

俺首は絞めてないぞ?

「せ、先生、大丈夫ですから」

「いや、大丈夫じゃない」

「えっ?」

「来月分のエコデの衣装発注締切昨日までだったんだよ!やってしまったぁぁ!!」

「なんだ……そんな事ですか」

「そんな事じゃないぞ?! 俺の月一の楽しみだ! ビクサムとの話し合いまで済ませてたのに! デザイン画を完璧に書き上げたんだぞ!」

「……僕、これでいいです」

「エコデが良くても俺が良くないっ!」

四季の変わり目に衣替えするのと同じだ。この寂れた診療所に季節感をもたらせるのは、エコデだけ。

そのチャンスを失うなど……商業的な失敗が大きいに決まってる!

「先生……これ嫌いでした?」

「いや、最高だった! でもエコデならもっと上を目指せる。いや、俺は目指して欲しいんだ!」

拳を握りしめ力説する俺を、エコデは何というか、複雑な表情で見ていた。

でもどうせなら、俺を罵るがごとく冷たい目で見下ろしてくれたら最高なんだが。

この間サチコとロヴィが来てから俺は精神不安定が酷過ぎる。やはり奴らは百害あって一利なしだ。

「仕方ないですね」

ふうっと息を吐いて、エコデはすっと俺に手を差し出した。

何だ。俺はまさか今、財布を握られている立場にも拘らずカツアゲをされそうになっているのか?

「金は持ってません」

「何馬鹿な事言ってるんですか。知ってますよ、そんな事」

そりゃまさにその通り。

「発注。掛け合ってきてあげますから。資料貸してください」

天使が降臨されました。俺の日ごろの行いの良さがここに出たな、うん。

診察室の机の一番上。そこに仕舞った鍵を取り出す。次いで一番下の鍵付きの引き出しを解錠。がらっと引き出しを開けると、ダイヤル式鍵付きのケースを取り出す。丁度封筒が入るくらいのサイズだ。

「先生、何でそんなに厳重なんですか……」

呆れた、と言わんばかりのエコデ。いやいや、分かってないな。

「エコデ……お前は自分で思ってる以上に、大切な存在なんだ」

「え」

「お前が居るから、俺はここでこうやって胡座かいて仕事してられるんだ。それは、忘れないで欲しい」

じゃなきゃ今頃俺は自力で街を歩き、患者を探さなきゃ行けなかっただろう。

全く、エコデに釣られて来る患者には助けられっぱなしだ。

「先生は、僕のこと……必要としてくれるんですか?」

「馬鹿、かけがえのない大事な存在だ」

途端に、エコデは顔を赤くして視線を伏せる。

照れ臭そうに。何でだろう。商業的価値が余程、嬉しいとか?

解錠して取り出した封筒をそっと取りだし、俺は両手でエコデに献上した。

「お願いしますっ! エコデ様っ!」

「は、はいっ……」

慌てて頷いたエコデはやっぱりそこらの女子より可愛いよなぁ。勿体無い。

 

◇◇◇

 

「へー……こんな所にお店があったんですねぇ」

感心の声をあげるエコデ。

診療所の面する通りから、一本裏へ入り込んだ路地。

退廃的な気配漂う場所を、俺はエコデと共に歩いていた。

考えてみれば、郵送じゃ絶対無視されるわけで。エコデについてきて貰って、直接交渉が望ましいと、エコデから提案を受けたのだ。

実に賢いな。一人で行かせるのは、とても無理だし。

治安最下層、入り口不鮮明、そして店主が面倒。俺だって普段は手紙と電話のやり取りくらいしかしたくない。

「あぁ、ここ」

「え? えぇっ?」

エコデが驚くのも無理はない。

『アリジゴク』とでっかく赤いペンキで書かれた看板のしたにある入り口は、高さ30センチ、幅50センチくらいの隙間しかない。

「ど、どうやって入るんですか、先生?」

「例の物を出せ、エコデ」

不安げな表情を浮かべ、エコデは持っていた鞄を開ける。

そして、それを取り出す。

組立式の竿と糸。糸の先に結ばれたのは、ヒトデ。

「それを、この中に垂らす」

「先生がやってくれるんじゃないんですか?!」

「大丈夫! 俺がエコデをきっちり守ってやるから」

「うー……」

エコデは唸りながら、複雑そうな顔をする。

俺信用ないなぁ……。へこむわ。

恐る恐る、エコデはヒトデを結び付けた糸を入口へ。

若干傾斜した入口は、穴と形容するに相応しい。緊張の面持ちで竿を握りしめているエコデも何か面白いな。

カメラ持ってくればよかった。ビクサムに高値で売りつけてへそくりにしよう。

この間の一件で全部没収されたし。

ふと、

「せせっ、先生っ! 引いてますっ!」

「おー、来たか。さて、じゃあリールを巻いて……」

「ひっ……!」

引き攣った悲鳴を上げて、固まったエコデに、俺は首を傾げる。

どうかしたのか?

穴へ視線を落とすと、いた。

ヒトデ口にくわえてる、頭が蛇の女。店主。うねる蛇が、エコデの足に絡みついていた。

「……よっと」

「ぎゃうっ?!」

だんっ、と蛇を踏みつけると、奇怪な悲鳴と共に、エコデの足にまとわりついた美味しい思いをしてた蛇が緩む。

好機を逃さず、竿も放り出してエコデは俺の後ろへとすぐさま逃げた。

小さく苦笑して、俺は震えるエコデの頭を撫でながら、変人店主を見下ろす。

「俺の大事な居候怖がらせんな」

「リリバスはワタシの大事な髪、踏むな」

ぎろりとお互い睨み合って、俺は足をどけた。

しゅるしゅると蛇がひっこみ、女はその蛇を優しく指で撫でる。

蛇頭の、しかし目が合っても人を石化できない不完全なメドゥーサ。

こいつが、『アリジゴク』店主ポアロである。

 

◇◇◇

 

もりもりヒトデを喰らう蛇頭女ポアロ。半眼で俺を睨んでくるが、石化させないメドゥーサほど怖くないものはない。

まぁ、それが原因でポアロはこんな風に隠れて生活してるんだろうけど。

「締切過ぎた。また来月のご利用お待ちするよ」

片言で俺を全力で拒絶するポアロ。

顔しか見えないけど、無能力でもメドゥーサ。綺麗な顔立ちで、多分スタイルもいいはずだ。

くそ、穴から引きずり出して、髪の毛全部蛇から普通のサラサラにしたい。そしたら完璧なのに。

不意に、悪寒が背筋を這い上がる。何となく背後のエコデを振り返ると、

「……どうかしたんですか?」

「今、一瞬だけすごく冷たい目してませんでした?」

「いいえ?」

くすっと微笑むエコデ。

残念だ。俺、どっちかっていえば、冷たく見下ろされたいタイプなんで。

さて、気を取り直して。ひょいっとしゃがみこんで、俺はポアロに封筒を差し出す。

「期日過ぎたのは悪い。だから詫びにヒトデ献上した。来月も頼むよ、ポアロ」

「……それ用?」

目線でポアロはエコデを示した。

それとはまた、怖いもの知らずだな。俺だったら飯抜きにされてるぞ。

「そう。エコデ用。今月も可愛いから完璧だっ!」

断言した俺に、冷たい目線が背後と前から突き刺さった。

ご褒美だな。最近つくづくそう思う。

「まぁ、暇だから」

すっと入り口から白い腕が伸びて……しゅっと引っ込んだ。

海底生物の捕食を彷彿させる動き。しかしどーせなら蛇で取った方がインパクトはデカイよなぁ。

かさかさっと封筒を開けて、中をあらためるポアロ。

「ところで先生?」

「ん? どした、エコデ。心配しなくても来月も集客効果は抜群だ!」

「いえ、もうそれは良いです。それより、そのお金どこから出てるんです?」

「なんだ、そんな事かぁ。毎月の小遣いからと、後は……」

あ、まずった。

途端にだらだらと汗が流れ出す。エコデは俺の異変に敏感に気付き、綺麗な微笑みを向ける。

それは俺が通称堕天使の微笑《ルシファースマイル》と呼ぶもの。

俺の食生活に多大なる影響をもたらす魔王アンゴルモア襲来の合図。

「後は……、何ですか? 先生?」

さーっと血の気が引いて真っ白な俺に、エコデは尋問をやめない。

「先生はどうやってへそくり貯めてたのか、考えてみれば、不思議ですねぇ」

うぉぉ、どうしよう。どうしたら良いんだ俺は!

「リリバス、不足分はいつも体で払うよ」

しれっと答えたポアロに、俺は救いの神を見つけた。

そうそう。材料運んだり、食料援助したりな。ポアロは基本的に店から出て来ないから。

あ、いや、エコデ?

そこは感動の涙を流す場面じゃないと思うんだが。

「先生、ごめんなさい……! 僕が先生の気持ちも分からないで、倹約を迫ってるばかりにっ……」

「いや気にするなよ。俺、そんな気にしてないし。ポアロもこんなんだからさ、俺くらいしか知り合いがいないし。ちょーどいいんだよ」

「じゃ、じゃあっ、先生は望んでしてるんですか?」

「え? うーん……それは違うけど」

難しい問題だな。うん。

世界は等価交換で出来ている。金を払えば物が買える。人に親切にすればきっといつかは自分に返ってくる。

人に後ろ指さされて生きてけば、最後は孤独。何かすれば、お礼くらいあるかも。

唯一そうじゃないのが、人の気持ち。好きになれば好きになってくれるわけじゃない。それは、ある意味俺の救いだ。

「ん?」

唐突にぎゅっと抱き付いてきたエコデに視線を落とす。

何だ? どうかしたのか? 別にもう、ポアロの蛇は迫ってきてないと思うが。

「大丈夫です、先生っ! 先生の事は、僕が全力で守りますから!」

「えぇぇ?! いいって、俺エコデに守られたら、かっこ悪いだろ?!」

「そんな事ないです! たとえかっこ悪くても、僕は先生がす……」

「す?」

エコデの発言は、変な所で停止した。

「す……、何?」

「う、あ、えと……」

見る間に顔を赤くしたエコデは上目づかいに俺を見やる。

出た反則技! だが俺は騙されたりしない。立派な理性ある紳士だからな。

「す……捨てたりしませんからっ!」

「捨てないでエコデさん?!」

酷い。そんな事をちらりとでも過ぎったってことだろ。

へこむわー。最近へこまされること増えてきたなぁ。

「……帰れ痴話喧嘩夫婦」

ぼそっとポアロが下から言い放つ。

開いていた資料をかさかさと畳みながら、つんとそっぽを向くポアロ。

何でまた機嫌が悪くなるかな、こいつは。

「まぁ、よろしく頼むな、ポアロ」

「承知」

「また今度、ヒトデ持ってきてやるからさ」

こくんと頷くポアロに苦笑して、俺は何故か目を合わそうとしないエコデの頭に手を置く。

「さ、帰るぞエコデ」

「……はい」

ひらひらと頭の蛇が首を振っているポアロを背後に、俺たちは帰路についた。

約二週間後には、新しいエコデの衣装が届くはずだ。

……ていうか、俺一人で来たのとあんま変わらなかった気がする。

まぁいいか。

 

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