前篇 偶然の出来事

 

転生して、1年になったある春の事。俺は、その日卒業式を迎えていた。

欠伸を殺しながら、長い長い学長の挨拶を座って聞いているのは、同じ卒業生たち。

まぁ、俺よりは幾分年が上だ。だって、俺はまだ二十歳だし。

この世界は、前世の俺の世界と教育システムは大体一緒だった。

7歳から入学して、初等部6年、中等部3年、高等部は専門化が進んでいるけど、それでも3年。

そして俺が今卒業を迎えているのが、4年制の高等教育院。まぁ、いわゆる大学だ。

だから、通常早くてもこの卒業式を迎えるのは22歳以上。

そういうわけで、俺は異端児。そういう所で悪目立ちするもんだから、俺はいつも孤立してた。

別に卑屈にはならない。俺、前世は病院にずっと入院してたし。

今は自分の足で歩ける。それだけですごく嬉しいところではある。ちっさい幸せだと笑われるかもしんないけど。

あの時のしょーもない神様にはそこは感謝するか。アンケート無回答で提出したけど、丈夫な体を与えてくれたわけだし。

……丈夫と言うには怪しいところもあるけど。まぁ、問題なし。

「それでは諸君、病に苦しむ人々の希望の光となることを願っている」

そう締めくくった学長。

こうして、俺は晴れて医者になったわけである。

 

◇◇◇

 

ぞろぞろ出て行く卒業生。その波からそっと逃れて、俺はすぐに脱兎のごとく寮から去る用意に走る。

じゃないと恐ろしい奴が迎えに来るからだ。

ロヴィという、弟が。ロヴィは基本的に俺の話は聞いてない。自分の考えで全て回ってるという恐ろしい奴。

何から何までやってくれる、といえば聞こえはいいが、それはすなわち俺の自由が奪われることだ。

絡まれたくねぇぇっ!

裏門付近に昨晩のうちに用意しておいたスーツケースを掴み、そのまま5mを越えるフェンスをひとっ跳び。

よし、脱出成功……ん?

裏門から見える大通りに、見慣れた紋様がずらりと並んでいる。

「も、もう来てやがったのか。恐ろしいなあいつの執念はっ……!」

背筋がぞっとする。

とと、とりあえず見つかる前に逃げないと。

「あら、何してるのリリバス」

ずるずると腐乱死体の悪臭を引き攣れてやってくる女に軽くめまいを覚える。

「見逃せサチコ!」

「……いいけど、どの道包囲されてるわよ?」

頬に指を当て、首を傾げるサチコ。シスター服で、オレンジの髪色。顔立ちは綺麗な方で、あと胸が平均以上。

パッと見は満点だ。だが、手にしているものが臭すぎる。

「弟の偏愛にも困りものね?」

楽しそうに笑って言う台詞か! 吐き気がするわ、その台詞っ!

「とにかく、あいつのためにも、俺は逃げないといけないんだ」

「まぁ、そう言う事にしてあげるわ。そうそう」

ぴっと上空を指さし、サチコは微笑んだ。華やかに。

「ロヴィだから、上からの監視もばっちりよ?」

見上げれば、ばらばらばらばら……と小型無人偵察用ヘリ的な何かが上空を飛んでいた。

「早く言えぇぇっ!!」

けらけら笑って手を振るサチコから俺は全速力で遠ざかった。

希望を書かなかった俺も悪いけど、なんでよりによって弟から逃げ出さなければならないような人生を与えたんだ。

あの神様はぁぁ!

 

◇◇◇

 

全力疾走でとりあえず教育院から離れた俺は、息をつく。

一呼吸で息を整えて、べこべこになったスーツケースを確認。

耐久力最高峰の買ったはずなんだが、やっぱり無理か。まぁ、仕方ない。新しいのを買うしかないな。

……金ないけど。

「いや、よく考えろ俺。医師免許は貰ったんだ。つまり医者として働いていいってことだ!」

ぐっと拳を握りしめ、俺は自分を励ます。

ロヴィにまとわりつかれながら、ニート生活するよりは、自力で頑張って仕事して、たまにチート能力に頼った方が、遥かにマシだ!

「よし、とりあえず外門を目指すか」

ぐるっと視界を巡らせると、外壁まではまだかかる。

外壁で囲まれたこの王都の真ん中には、ずっしり構えた白い壁の城。この辺一帯を統治する王のいる場所。

「俺は俺の好きな道を行かせてもらうわ。頑張れよ、ロヴィ」

ひらっと城に向けて手を振って、俺は背中を向けた。俺はもう、そこへは戻らないつもりだから。

 

◇◇◇

 

転生した俺が居た場所は、某国第一皇子、っていう立場だった。

で、弟がロヴィ。だけど、実際はそう簡単に長男次男を語れるものじゃない。思い出すと、軽くへこむ。

まぁ、今はそれから解放される道を選んだんだ。忘れよう。

メンドクサイ弟だったけど、別に嫌いなわけじゃないから。そのうち、あいつが王にでもなったら会いに行くつもりでは、いるけど。

道行く人々は、大体が人間だ。たまに羽が生えてたり、角生えてたり、それなりに色んな種族がいるらしい。

魔法が使えたりそうじゃなかったり、意外と複雑な条件がある。

割と面倒な世界ではあった。車もあるけど、魔法で空も飛べるし、ミサイルもあるらしいし。

何でもあるけど、全てがあるわけじゃないという。

……複雑。まぁ俺は、気ままに医者として生きて行こう。一番普通っぽいし。

「やばっ!」

近衛兵らしき鎧が視界の隅に入り、俺は慌てて脇道へ逃れた。

基本、あいつらは大通りしか探さない。ていうか、ロヴィや俺が大通りしか知らないと思ってるらしい。

馬鹿にすんなっての。ロヴィはともかく、俺はあいつから逃げるために町の裏道全て頭に叩き込んである。

危険な道だろうが、俺には関係ないし。

「さて、どーすっかな。どこ行くかー」

がらがらがらがら……とスーツケースが音を奏でる。

この街からすぐ隣って言っても、それなりに距離はある。

とりあえず、方角だけ決めるかな。王都の出口も、東西南北に一つずつだし。うーん、暑いのは嫌だよなぁ。寒いのは苦手だし。となると……

どんっ!

「うぉ?!」

左から襲い掛かった衝撃に面喰うが、ふらついたりはしなかった。

慌てて視線を左に向けて……固まった。

「……ぅ……」

薄汚い路地に、倒れこんでいる空色の髪色をした、ロングヘアー。でもって、獣耳。

俺よりも年下……か? 小さいし。

「あ。大丈夫か?!」

ぱっと手を差し伸べると、その子はふらふらと体を起こす。

そして、ゆっくりと顔を上げ、俺と視線がぶつかる。

綺麗な、若草色の瞳。空と緑の大地が揃った、綺麗な子だった。顔立ちも可愛いし、線は細いし。

ふわ、やべ、ドキドキしてきたっ?!

「……あ……」

俺の差し出した手を見るなり、その子は身を強張らせて後ずさった。

じゃらっ、と金属がぶつかる音と一緒に。

「ん? じゃら?」

変な音だな? 周囲を確認しても誰もいない。

……って。

「ちょっ、お前っ!」

「や、やめっ……!」

その子は逃げるように背中を向けた。

だけど、俺の方が早い。肩を掴んで向き直させると、完全に怯えきった顔で、俺を見やった。

かちかちと、奥歯が鳴る音が、微かに聞こえる。

くそ、怖がらせてどーすんだよ、俺。

「大丈夫だから。俺は、えーっと……」

……どうすればいいんだ? 怯えてるもんな、この子。えっと……

「あ、そっか」

まずは、こっちが先だよな。努めてゆっくりと手を差し上げる。

長い髪に隠れて見えなかった、首に巻きついた重みへと。

「っ!」

びくっと体を縮めた様子に、何か凄い罪悪感を覚えた。

俺がしたわけじゃないけど。俺が知らない所でこんな小さい子が苦しんでたんだなぁって。

何かが出来たわけじゃないけど。

この鉄製の首輪つけた奴、見つけ次第ぶん殴ってやんないとな。

鍵穴はあるけど鍵はないし。まぁ、こんなの力づくで一瞬だな。

ばきょっと変な音を立てて、首輪が真っ二つになる。

「……よしと。……もう大丈夫だからな」

首輪の残骸を放り投げて、俺はその子の頭をわしわし撫でる。犬みたいなんだよな、何か。

「……」

じっと無言で見つめられ、何か無性に恥ずかしくなった。

ひとまず、怪我はないかさらっとチェックする。

「怪我はなし、と。……逃げてきたのか?」

問いかけた俺に、その子はびっくりしたみたいで、目を丸くした。

やがて、恐る恐る小さく頷く。

その瞳は、見る間に潤んで。保護欲駆り立てるわ、この子!

でも、それなら答えは一つだ。すっくと立ち上がって、俺は手を差し伸べる。

「俺も逃げてる途中だ。一緒に逃げるか!」

 

◇◇◇

 

空色の髪は色んな種族がいる中でも、目立つ。ていうか、この子の場合容姿が美麗すぎて目立つ。

「……これでいいかぁ」

適当なフード付きパーカーをスーツケースから取り出した。

真っ黒で、背中にスカルマークが描いてある俺の結構お気に入り。

「ほら、これ着てろ」

無言で頷いて、袖を通す様子は見ていて微笑ましい。

淡いイエローの半袖のワンピースを着ていたその子にパーカーを着せる。

丈が長くて、ちょっと不格好なのがまた可愛いなぁ。あ、そうだ。

「俺、リリバス。一応医者。……君は?」

「……エコスポレーシュア・ウィルスポレード・ディクス……、です」

凄い小さい声で長い名前が紡がれた。

……どこをどう呼べばいいんだ? エコス……何だっけ?

あぁ駄目だ。覚えきれない。

「えっと、……えー……エコデ、でいい?」

きょとんとした顔をされる。うわ、外したっぽい。恥ずかしい。穴があったら入りたい!

「……だ、駄目だよな?」

するとその子はふるふると首を横に振った。

ん? エコデで良いってことかな?

「エコデで良い?」

こくん、と頷いたその表情は、何か嬉しそうだった。

うわぁ、可愛いわ、この子。俺の理性がまともだからいいけど、幼女好きだったら大変だったな。

「じゃあ行くか、エコデ」

差し出したその手にエコデの小さな手が重なる。

成り行きで助けちゃったけど、ちゃんと守ってやらないとなぁ。

国は背負えないけど、せめて俺はこういう小さいところから頑張るよ、ロヴィ。

てわけで、後は任せた。

 

◇◇◇

 

外門の周辺は、案の定がっちり固められていた。

俺が反対の立場でも同じことはするだろう。……俺は、ロヴィを執拗に追いかけたりはしないけど。

「……仕方ねーかぁ」

そう。これは仕方ないんだ。

偏愛を見直すきっかけを俺は与えねばならない。そのための必要な代価だ。

「よしっ。エコデ、こっち」

スーツケースとエコデの手を引いた俺の両手は満員だ。

ここで誰かに出くわしたら面倒だけど。今のところ俺の広域検索ではサチコもロヴィも傍にはいない。

奴らが隠匿術を使えるならば別だが。

見上げれば首が疲れそうな外壁。この外壁の向こうに俺の自由がある! 多分!

「エコデ、ちょっと後ろ向いてろ」

「えっ……」

急に怯えた様子を見せるエコデ。

でも、考えてみればそうか。

事情は詳しく分からないけど、エコデは誰かにあんなもんを装着させられてたんだもんな。

ったく、どんな変態か割り出してとっちめてやりたいもんだ。

「じゃ、これでいっか」

「ひゃっ……」

エコデの頭を胸に抱えるようにして視界を遮り、俺は外壁に手を触れた。

破壊よりは透過の方が後始末が楽だからな。

外壁に干渉して、外側に何もいないことを確認。そのまま『壁を通り抜け』た。

それはすわなち、ついに手中に収めたことになる。

「俺は、自由だーーっ!」

ロヴィとか格式とかそういう面倒な全てから解き放たれた。前世で死んだ時以上の解放感が俺を包む。

はぁ、と深く息を吐いて視線を落とす。

「……あ」

吃驚した顔で俺を見上げるエコデがいた。

そうだった。

「もう大丈夫だからな。……悪い奴らはもういないぞ」

「……本当に……?」

か細い声で問いかけられ、俺は力強く頷いて見せた。

まぁ、外が危なくない、という保証もないけど。

「う……」

俺の思考をよそに、エコデは見る間に表情をゆがませて、ぼろぼろと涙を零した。

余程怖かったんだろう。

俺は泣き出したエコデの頭をそっと撫でてやるしかできないけど。

「家まで送ってやるけど、方角分かるか?」

問いかけた俺に、エコデはふるふると首を振った。

分からない、ってことか? そんな遠くから来たのか?

……もしかして誘拐されて、売り飛ばされたとか?

こんな可愛い子に対して何たる仕打ちだ。犯人許すまじ!

「……帰れ、ないっ……です」

「帰れない?」

微妙なニュアンスの違いを感じる。

こくんとエコデは頷いて、ぎゅっと俺の服を掴んだ。

おい、やばい。可愛すぎるって!

「ほんとは、飼われる、予定でっ……でも、怖いし、帰りたいからっ……」

でも、帰れないとエコデは言った。分からないじゃなくて、帰れないと。

つまり、それは。

「じゃあ、もしかして……エコデ、親に……」

エコデはこくっと頷いたきり、また顔が上げられなくなった。

冗談だろ。

そんなのってありか? これが、社会と言う現実か?

……そんなの、残酷すぎるだろ。

俺だって、ロヴィから逃げ出してきたけど、それは嫌いだからじゃないし、嫌われてるからじゃない。

ただ、適性距離を取りたかっただけで。

でも、エコデは違うんだ。身一つで、逃げ出してきたエコデの覚悟と痛みは、そんなのじゃない。

俺が最初に感じた痛みと同じか……いや、それ以上だ。

「……ぇ……?」

エコデの呆けた声が、俺の耳元を掠める。

俺は小さなエコデをぎゅっと抱きしめた。

偶然出くわしただけかもしれない。

でもそれでも俺は、エコデを見つけて、外へ連れ出してしまった責任があるんだ。

……それに、なかったことなんて、出来るかよ。

「俺が一緒に居てやる。エコデを一人には、しないから」

「……!」

「エコデが良ければだけど」

それはもう、拒否権はエコデにあるだろうし。

エコデはすん、と鼻をすすって、小さく頷いた。

そうして、俺とエコデは一緒の道を歩くことにしたんだ。

 

◇◇◇

 

通常の大通りは閉鎖されいるのが明確。

雪で閉ざされている北部の道以外は、近衛兵を常駐させてもおかしくはない。

つまり、俺に与えられた選択肢は北部だけ。マジかぁ……俺寒いの苦手なんだが。

でも、裏を返せば北部を進めば簡単にはやってこれないという事でもある。

なら、迷うことはないか。エコデも、少しでも遠くへ連れてってやりたいし。

もしくは、実家に帰らせてやりたいけど……今は聞ける状態じゃない。

ぴったりくっつかれるのは、悪い気はしないけど。

パーカーのフードをすっぽりかぶって、トレードマークの空色の髪が隠れても、エコデの可愛さは損なわれてない。

これは本物だ。耳の形も分かるけど、これじゃ案外聞こえないかもしれないな。

「お医者、さん……なんですよね」

「あ? ああ、一応。新米だけど」

「それでも、凄いと思います。……僕、何も、出来ないし……」

視線を伏せたエコデはまだ幼い。俺は別にエコデに対して何かを求めてる、ってわけでもないんだが。

気になるには、気になるか。

「……じゃあ、エコデ俺の手伝いしてくれよ」

「手伝い?」

ぱっと顔を上げたエコデに、俺は頷く。

「うん。ほら、医者には看護師と言う助っ人が必要だからさ」

「……でも、難しいです、よね?」

「最初っから全部できなくていいって。少しずつでいいからさ」

エコデはしゅんと耳を垂らして、小さく頷いた。

あ、もしかしてエコデ血が苦手とか。あるよな、そういうの。

「じゃあ、俺の飯担当でどうだ? 料理は出来るだろ?」

「ちょっとだけ……」

「俺は壊滅的だから助かるよ」

少しだけ元気を取り戻した様子で、エコデはこくっと頷いた。

いちいち反応が可愛いなぁ。しかも一人称が僕とか。僕っ子で獣耳ってどんな素敵属性なんだ。

「そーいえば、エコデは幾つ? 俺は二十歳なんだけどさ」

「えと……十三……」

「そっか。寒くないか? パーカー以外もあるけど」

ふるふると首を横に振るエコデ。

行動が微笑ましすぎるんだが。

……ん? 十三、っていうと丁度思春期真っ盛り?

俺、気持ち悪い男と思われてるんじゃあ……。俺は、今更ながらに恐ろしいことに気づいてしまった。

「えと、エコデ。俺、男で……一緒にいると、気持ち悪くない? 大丈夫?」

「いえ、別に……」

「そっか、良かったぁ。いやぁ、若い女の子狙ってる変態扱いかと」

「僕、男です。一応」

……何?

驚いて視線を落とす。二の腕のあたりにぴったりくっつくエコデが、不思議そうに首を傾げた。

つまり、こいつは……男の娘ってやつか!!

そこらの女子よりもレベルが高いんだが。いや、ていうかキミワンピース着てますよね? ね?

「わわ、ワンピースは……」

せめてもの抵抗を見せると、エコデはワンピースの裾を摘まんで首を傾げる。

「変ですか?」

慣れてるー。この子慣れてますー。

恐らく、間違いない。エコデは、ずっとそうやって育ってきてる。

「昔っから、着てるんだな……」

「おかしい、ですよね。分かっては、いるんですけ、ど」

寂しげに目を伏せたエコデに、俺は首を振った。

「これから変えればいいって。エコデ可愛いから、似合うんだよ。変じゃない」

「……はい」

ふわっとエコデが笑った。

意識がぐらつきそうなくらい可愛いんですが。

何かの罰ゲームでしょうか。ご褒美じゃない。ご褒美ならば、女の子であってしかるべきだ。

 

◇◇◇

 

その町に辿り着いたのは、夕方だった。

王都から北へ3つ離れたそこそこの経済基盤を持つ街。卒業式は昼に終わって、その日のうちに王都から離れられたのは僥倖だ。まぁ、エコデにばれないように、こっそりと空間転移を駆使してはいたけど。

さすがに子供の足に、120キロ徒歩はきついし。

「さて、ここからが本番だな」

「?」

不思議そうに俺を見上げたエコデを見やり、俺は断言した。

「俺、無一文なんだ」

「え?」

「だから、稼がなきゃいけない。俺にあるのは、医師としてのスキル位だけど」

じっと、エコデは俺を見上げている。

何か、多分ぴんと来ないよな。俺もそうだし。

だけど、分かることもある。俺と一緒に居ると苦労するってことは。

「それでも、俺と一緒でいい?」

この街でまともな人のところへ預けることも、出来るだろうから。

しかし、エコデはこくんと深く頷く。そして俺の手を小さな手が、握り返した。

「僕は、先生と一緒が良いです」

何か、くすぐったい。先生とか、一緒が良いとか。

それでも、俺を頼ってくれたのはエコデが初めてだから。それだけで、何となく、力になる。

「よしっ、行くか!」

まだ未来は何も決まってなくて、下手すると真っ暗かもしれないけど。

それでも今の俺は、前世では感じなかった前向きな想いが湧きあがっていた。

 

◇◇◇

 

出向いたのは、不動産屋さん。

いらっしゃいませ、の後に続いたのは、じとーっと俺を不審者のように見つめる視線。

いや、だからそうなるのは予想してたけど。

店員の視線を無視して、俺は壁にかかった貸家を眺める。

……高い。無一文、とは言ったけど、多少は持ってる。

だが、その多少で何とかなるレベルを超えている。勇気を出して、聞くしかない。

ぐっと勇気を振り絞り、俺は不審者扱いを受けながら店員へ問いかける。

「あの、これ以外の、もっと安い物件って、ないですかね?」

「あるには……ありますけど……」

じろじろと俺とエコデを見やる店員。

そうですね、不審ですよね。分かってますよ。だが俺は、誘拐犯じゃない。

仕方ない。かくなる上は。

ぽふっとフードの上からエコデの耳を塞ぐ。頭の形にぺたっとなる耳に、エコデはびっくりした様子で俺を見上げた。

すまん、エコデ。でも、お前には聞かせたくないんだ。

「親戚の子です。色々あって、詳しくは言えないんですけど、家族とは一緒に居られないんで、俺が引き取ることにして……で、家探してるんです」

「……そ……そうですか」

同情の目でエコデを見やる店員。

何とか導けたらしい。そこで詳しく問い詰めるような心無い人はそういない。

まぁ、それなりに答えは用意してたけど。

そっとエコデから手を離すと、不思議そうな顔でエコデは俺を見上げ、首を傾げた。

エコデが聞いていたら、多分逆に問いかけられそうだったし。

答えの代わりに頭を撫でると、エコデは嬉しそうに目を細めた。そうやってエコデが笑ってくれると、俺も安心だ。

「こちらが最安ですけど……」

そう言って店員が差し出してきた物件は、最安と言うには普通のワンルームだった。

即決したのは言うまでもない。

当時の俺は、一般的社会常識が欠如していたのは、振り返ってみれば明らかだった。

 

◇◇◇

 

空っぽの、割と綺麗なバストイレ付のワンルーム。何にもないけど雨風凌げるだけマシだ。

マシだけど。しくじった。

出迎えてくれたのは、外のベランダで、ロープに体を揺らす、青白い顔をした男だった。

総毛だった俺が立ち尽くしていると、不思議そうにエコデが俺を見上げる。

「……あ、だ、大丈夫。とりあえず、飯にするか」

「でも、お金……」

「心配すんな」

あんまり頼りたくはない能力だけど、生き死にかかってるしな。

俺だけなら我慢できる。でも、エコデには我慢させたくないし。

前世でずっと食いたかったカップ麺をさくっと『創造』して、夕飯にする。

ちなみに仕事はこの部屋のあるアパートの少し手前にあった病院でこぎつけてきた。手に職万歳。

ある程度安定したら、ここから早く出よう。この死者の気配、結構ヤバい。

 

◇◇◇

 

しかし、流石に寒いな、北部は。フローリングの床で寝るとかその内死ぬぞこれ……。

スーツケースから全部服を引っ張り出しても、流石に寒い。即日住ませてくれたことは感謝するが、忠告一つくらいしてくれ……。

ふと視線を天井からスライドさせる。

ちょっと距離を開けて、隣で横になっているエコデ。寒くないかな。

「エコデ、寒くないかー?」

「……えと、……平気、です」

「俺寒い。寒いの苦手なんだよぉ……」

やばっ、下手に動いたせいでみっしり重ねていたはずの服がずれて空気が流れ込む。

寒い。凍えるほどじゃないけど寒い。

「……あの」

「んー?」

「く、っついて……いい?」

突然のエコデの提案に、俺は目を丸くした。

エコデは恥ずかしそうに慌てて背中を向ける。

くっつく。その考えはなかったな。よし、じゃあその方向で行くか。

「ひゃっ……?!」

「おー、あったかい。エコデ温かいなぁ」

何かこう、小動物っぽくて頬ずりしたくなるけど、したら嫌われそうだからそこは我慢。

エコデは何か言いたげにしてたけど、掠れた息が零れるばっかりだった。

ぽん、と頭に手を置く。

「少しの間我慢しろよ。すぐ、ちゃんと生活させてやるからな」

エコデは何も言わず、ぺたっと俺の胸に頬を寄せた。

頼りにされてるんだろうか、俺は。

いや、頼りになる存在にならないと駄目だよな。俺にはもう、後ろ盾なんて何もないんだから。

 

 

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