エピローグ 空の還る日

 

 轟音と砂煙が、視界を遮った。咄嗟に顔を庇って、呼吸を止める。

 風が過ぎ去ってようやくリリバスは息を吸った。途端に口の中にざらついた感覚が走り、思わず唾を吐き捨てる。

 

「……汚いです、ロタ中尉」

 

「俺だってしたくてしてんじゃないですが、マイヤさん」

 

「我慢してください。ロタ中尉には徹底的に我慢が足りません」

 

「いやー、俺繊細だからなー」

 

 けろりと笑顔を向けると、マイヤの冷ややかな視線にリリバスはそのまま硬直する。相変わらず、マイヤに冗談は通じないようだった。

 マイヤは大仰にため息を吐くと、広げていた魔導書を片手で閉じる。

 

「ミッション終了です。お疲れ様でした、ロタ中尉。戻りますよ」

 

「おっ、そっか! お疲れ! 帰ろう帰ろう」

 

 いそいそとホルスターに銃を戻しつつ、リリバスはマイヤを促した。呆れた様子でマイヤはため息をついていたが、こればかりは変われない。

 そもそも、リリバスは戦闘自体が苦手だ。だというのになぜこんな道を選んだのかと問われれば「何となく」しか返せないわけで。

 医者としての自分を辛うじて保つのが限界だ。

 嫌いで嫌いで仕方なかったミッションも、ようやく最近は意義を見いだせてきたのだから、前進はしている。

 最も、相変わらずレジスタンス相手の戦闘は前向きにはなれないが。

 残弾をそれとなく確認しつつ、元来た道を戻り出す。

 天井が崩れ、太陽の光が足元を照らす廃墟。悪霊が居なければ、緑が徐々に侵食してきたこの廃墟も、どこか神秘的でさえある。

 葉の隙間から零れた木漏れ日が、ミッション完遂も相まってリリバスの気分を明るくしていた。

 

「……ところでロタ中尉」

 

「ん?」

 

 傍らを歩くマイヤを見やる。マイヤはまっすぐ正面を見据えたまま、さらりと。

 

「失恋の傷は癒えたのですか」

 

「癒えたように見えるか?」

 

「むしろ傷口に塩塗り込まれてるんじゃないかと思っていますが」

 

「そう! その通りっ! 俺マジ司令部嫌いになった」

 

「ロタ中尉はそれくらいでは響かないという、ある意味での太鼓判と思えばよろしいのでは?」

 

「俺だって人並みに傷つくわ!」

 

 憤慨せずにはいられない。何を隠そう、現在リリバスはサンディと共に、何故かレイルの家で暮らすことを強要されているのだから。

 名目としては、エコデの監視だ。保護観察に更に監視を明確に付与したに過ぎない。

 サンディとしてはエコデと暮らせるのは、喜ぶべき事だろう。リリバスとしても微笑ましいと思っている。それを否定するつもりはない。

 

「何で保護観察に俺がつけられんだよぉぉ。おかしいだろぉぉ。サンディが居れば十分だろ……」

 

「ロタ中尉には、ラプェレ中尉を見張っておけという暗黙の指令です。あの人、盲目的ですから。またあんなことになれば易々と私たちに牙を剥きますよ」

 

「それは、否定できないけどさぁ」

 

 研究所の件から、すでに一月。だが未だ何も分からないままで、今はもう更地になっていた。

 このまま闇に葬られるのだろう。そして、それをあまり気にも留めていない自分がいる。気味が悪いほどに、周囲も。

 それでも、リリバスはそれでいいと思っていた。

 エコデの罪になるよりは余程いい。何もなかった事になれば、それはそれで。

 違和感は、ずっと心に残り続けるのだろうが。

 

「……大体朝から自分とそっくりな顔見て、しかも正反対のテンションで対面するの、滅茶苦茶疲れんだよ……」

 

「少しは見習った方がいいですよ。ロタ中尉に徹底的に欠けてますから。仕事熱心さと冷静さは」

 

「マイヤも少しはエコデを見習えよー。料理とかさ。相変わらず素っ気ないの、エコデ気にしてたぞ」

 

 むっとした表情を浮かべ、マイヤは押し黙る。地雷だったのかもしれない。

 ひやりと背筋が凍るリリバスを置いて、マイヤは歩く速度を幾分速めた。

 

「ちょ、ま、待ったマイヤっ! いやほら、マイヤも可愛いところあるって! 仕事できるし、案外お菓子とか好きだし俺と同じだな?!」

 

「一緒にしないでください。それに気にしてませんから」

 

「めっちゃ気にしてんじゃん! あーそうだ! 今度俺オススメのカフェ行こ! 奢る奢る!」

 

 マイヤが視線を寄越す。びしりと背筋を正したリリバスに、意外にもマイヤは笑みを零した。

 

「もういいです。そもそも、素っ気ないのは元からです。それから、正直、私はまだ……彼女の存在をすべて受け入れてるわけじゃない」

 

「マイヤ……」

 

「私は……うやむやなままで納得できるほど、お人好しにはなれないだけです。でも、彼女が意図して敵に回る様なタイプではないことは、分かってます。だから……はっきりさせたいだけだって、お伝えください」

 

「お、おう」

 

「折角ですから、今後ロタ中尉のお財布でお茶にでも行きましょうともお伝えください。……仕事ではない場所で、話したこと、ありませんからね」

 

「そーいえば、そだな。……うん、伝えとく。割り勘な!」

 

「あら、先ほどの言葉は嘘ですか。質が悪いですね」

 

 反論の言葉に詰まる。口を濁したリリバスに、マイヤはくすっと笑って再び前を向く。

 

「さ、戻って報告です。急がないと今日も定時には帰れませんよ」

 

◇◇◇

 

「おいコラ、レイル。何だこの書類の山は」

 

「見てわかる通り、決裁書類です。今日中にお願いします、艦長」

 

「ふざけろ」

 

「ふざけてなどいません。文句を言っている間に目を通してください」

 

 ぎろりと睨みを寄越したバルクをレイルは今日も涼しく受け流し、別件の報告書に取り掛かる。

 苛々と頭を掻きむしり、更に髪を乱したバルクは、それでもため息と引き換えに書類を手に取る。

 

「……ところでレイル、今日は暇か? 暇だろ」

 

「決めつけないでください。暇じゃありません」

 

「まぁまぁ、早く切り上げるから一杯しよーじゃねーか」

 

「今日は早く帰らなければいけないので、申し訳ありませんがお断りします」

 

 申し訳ないとは微塵も思っていないのだが。報告書の文言に頭を捻りつつ、キーを叩く。定型的な報告書だが、どうも言葉尻に違和感を覚えていた。大した問題ではないのだが、仕事上においては完璧主義のレイルとしてはそれが許せない。自分の嫌いな部分ではある。

 

「あれか? あれだな? 嫁さんに断りを入れんのが怖いんだな?」

 

「何も言ってませんし、そもそもエコデはまだ嫁じゃありません」

 

「まだ! まだっつったな! 聞いたからな!」

 

 口を噤む。余計な一言を口走った自分を罵りながら。

 機嫌が上向きに走り出したバルクは、鼻歌を歌う勢いで書類に決裁のサインを記入していく。中身をきちんと確認しているのか、いよいよ怪しい。

 

「しょーがねぇ。俺が連絡しといてやっから。えーっと」

 

 徐に通信端末を手に取ったバルクを、レイルは思わず凝視する。

 さも当然とばかりに、連作先を探している様子だった。

 

「どうして艦長が連絡先を知っているんです」

 

「ん? そりゃあ、部下の身内くらいは知っとかねーと。この間来た時に交換してな。ホント、お前さんには勿体ないくらい良い嫁さんだな」

 

「色々と聞きたい所ですけど、本当にやめてください」

 

「何だ、今日はやたら頑なだな」

 

 怪訝そうに頬杖を突きつつ視線を寄越したバルクに、レイルは一つ息を吐き出し、眼鏡を指で押し上げる。

 

「今日だけは勘弁してください」

 

「おう。理由を聞かせろ」

 

「それも勘弁してください」

 

「んじゃ電話な」

 

「艦長っ」

 

 思わずデスクから立ち上がると、にやりと笑みを浮かべたバルクの横顔。実に楽しそうだった。

 まんまと術中にはまった自分を呪いつつ、レイルは口を濁す。

 

「ん? ん?」

 

「……だから、その」

 

 促すバルクから視線を逃しつつ、再び椅子に腰を下ろしながらレイルは声を絞り出す。

 

「……食事、の約束、してるんです」

 

「おっ、珍しーな!」

 

「今日、その……誕生日、なので……エコデの」

 

「ほーーーぉ。そりゃ定時退社しないとまずいな。プレゼントは? プレゼントは何にしたんだラプェレ中尉殿!」

 

「……まだ」

 

「なぁぁぁにぃぃぃぃ!?」

 

 席を立ちあがった勢いで、バルクの机上の書類の一角が崩れ落ちた。

 何故かこの世の終わりの様な顔つきで、レイルを凝視する。

 我ながら準備が悪いことは自覚していたが、何もそこまで驚かれるとは思ってもいない。

 意外に思いつつ黙って見つめ返したレイルに、バルクは頭を振って内線電話に手を伸ばした。嫌な予感がする。

 

「……ああ、俺だ……アレスタ艦長、バルク・オーロット少佐だ……」

 

「艦長、そのテンションで電話するのは如何なものかと」

 

「うるせぇお前のせいだ! あ、いやお前さんじゃない。……そう、まさしくその通り! また車頼むわ!」

 

「……まさか」

 

 受話器を置いて、バルクが腕を組む。ふう、と大きく息を吐き出して、バルクは嫌な予感に身構えるレイルに歯を見せて笑った。

 

「ダンダリアンに車頼んだから、しっかり見繕って来いよ馬鹿副長!」

 

「艦長こそ何言ってるんですか……仕事中ですよ。そもそも、俺もですけど、あれも大概当てにならな……」

 

「安心しろ。チハヤもプラスで頼んどいた」

 

 得意げに親指を立てたバルクに、レイルは唖然とならざるを得なかった。

 何一つ話を聞いてくれない上司に、ほとほと頭が痛い。

 数分後、今回はVIP用車両で乗り付けてきたダンダリアンとチハヤに、レイルはより一層大きくため息をついた。

 明後日からまた偵察ミッションだというのに、仕事に集中できるのは明日以降になるようだった。

 

◇◇◇

 

 赤い絨毯が、幾分ヴィクターの靴音を掻き消していた。

 書類を小脇に抱え、雑音の様な言葉を交わしながら脇を掠める司令部の面々。今日も慌ただしく彼らは『今』以降の動きに頭を悩ませている。

 そんな忙しなさとは無縁そうに、窓枠に頬杖をついて外を眺めている姿を見つける。

 赤く長い髪を指に巻き付けて、うっすらと口元に浮かべた笑みは今にも歌を歌い出しそうに。

 いつ見ても、感情の振り幅が少なそうなラフェルへと、ヴィクターは無言で歩み寄る。

 

「私は、貴方に特に話はなかったと思うのです」

 

「そうだな。俺も仕事上で必要な話は、今はない」

 

「あら、ではプライベートなのです? ふふ、まさか色気づいたお話をするタイプとは思っていませんでしたのです」

 

「何故、あんなにも早く、研究所を取り潰した。十分な調査も終わっていなかったというのに」

 

「なるほど、その話ですか」

 

 ラフェルがヴィクターに向き直る。ひらりと髪が広がり、深紅のカーテンのように翻る。

 浮かべた笑みが、どこかうすら寒さを与えるラフェル。じっと睨むように見つめたヴィクターに、ラフェルは軽く肩を竦めた。

 

「貴方は、半分気付いているのでしょう? 私がわざわざ説明する必要もなく、いずれ貴方は答えに辿り着く。その先に、答えはあるのですよ」

 

「何を言ってる? 俺が聞きたいのは、研究所の件だけだ」

 

「ふふ。それは、残念ながら私が進言したことではないのです」

 

「何だと?」

 

「貴方もよくご存じのとおり、王の考えなど基本的には軍にまで及んでいない。それは仕方のない事。王は象徴であり飾り。国が国としてまとまるための一つの導でしかないのです。だから政を為すための人員がいる。国を守るための私たちがいる。とても簡単な事なのですよ」

 

 こつ、とラフェルが一歩歩み寄る。背の高いヴィクターだが、一般女性よりも高身長のラフェルはそれほど差を感じない。

 語る言葉も、ヴィクターの思考と大差はない。悪く言えば形骸化した、良く言えば最適化された国というシステムに組み込まれているのが、自分たちなのだから。

 しかしラフェルが切り出した理由が、釈然としない。

 

「統合軍司令が、事件そのものをなかった事にしようとしている?」

 

「いいえ。司令はそもそもこの件の本質をきちんと理解しているのかすら、私からは保証いたしかねますのです」

 

「馬鹿な」

 

「この件は、小さくて、でも大きな話になるのですよ。まったく……余計な事をしてくれたのです。あの艦長さんは」

 

「……オーロット少佐の事か?」

 

「ええ。こんな言い方をしたら失礼ですけれど、餌さえ与えておけば大人しくしていたかもしれないのです。少なくとも、りぃくんは」

 

 眉を顰める。それはラフェルがずっと『監視』し続けている対象の愛称だったとヴィクターは記憶していた。

 ラフェルの言わんとしていることが、ヴィクターでは理解できない。持ちうる情報の差が、大きすぎるのだ。今ここで問い詰めて解決できる情報量でもない。

 くす、と小さく笑って、ラフェルはくるりと背を向ける。

 

「人を一番動かす感情は、何だかご存じなのです? アーク少佐」

 

「……いや」

 

「憎悪なのですよ。その根底は、他人に対する根深い嫉妬。そして憎悪の裏返しに、愛情があるのです。ふふ、まるで……」

 

――天使と悪魔のようなのです。

 

 動けなかった。遠ざかるラフェルの背を、ヴィクターはただ茫然と見送っていた。

 ラフェルがポニーテールの司令部要員に声をかけられ、そのまま並んで歩き去っていく。腕章の色は白。海軍担当者だ。何か協力ミッションの話を持ち掛けているのかもしれない。

 

「……リリバス・ロタを調べろ、というのか? ……ラフェル少佐」

 

 だがラフェルの監視対象をヴィクターが調査して得られる情報にどれほどの価値があるのかが、分からない。

 そもそも、何故リリバスをラフェルが監視しているのかすら、知らされていないのだから。本来ヴィクターが関知すべき存在ではない。

 嫌な予感が、忍び寄る。

 

「……始まったばかり、ということか」

 

 空は青く澄み渡っている。

 いずれ、暗い雲に覆われるのだろう。その時に降る雨は、何を嘆く雨なのだろうか。

 

  

to be continued [RessentimentⅡ]

 

←prev   next(RessentimentⅡ)→