第10話 予定通りと予想外の女達

 

「あー……眠いぃ」

言いながら、ぐでっと机に伏す。

何かゆるキャラに居そうな感じで。人気でないかな。そーしたら、グッズ販売で一儲けできそうなのに。

午後3時。そろそろ患者がちらほら現れそうな時間だ。

眠い目を擦り、欠伸を堪えているのも結構きついなぁ。

がらが、がーん!

どこの馬鹿だ! 扉の強度も無視して勢いよく開け放ったのは?! ぶっ壊れたら修理費でまた家計が圧迫されるだろうがっ!

すっくと立ち上がり、俺が診察室の扉を押し開けると、

ごぉん

と鐘の音が響いた。

見れば床でのびている、甲冑の額部分が無惨にへこんだ奴がいた。俺は思わず溜め息。

「またお前かビクサム。朝来たろ。断られたろ。帰れ帰れ」

「か……患者作っといて医者がいう台詞かぁ?!」

あー、なんも聞こえねー。耳遠くなったかなー。

無視の俺にビクサムはぐぬぬ、と唸って立ち上がる。

こいつの素顔ってそーいや見たことないな。興味ないけど。

「お宅の患者が屋上から身を投げようとしてるってのにっ!」

……えぇぇぇ……そういう面倒なことしそうなの、一人しか思い付かないんだが。

「エコデさん、すみませんがドクター借りますっ!」

ぐいぐい俺を引っ張るビクサムは、受付で書類整理中のエコデに声をかけた。

エコデは目を丸くして、首を傾げる。

「ビクサムさん、顔面陥没してますよ?」

そこは突っ込まなくていいぞ、エコデ。

しかも表現がおかしい。顔面は陥没してないから。

まぁどうでもいいんだが。

「何か面倒な展開らしい。行ってくるな、エコデ」

「? 分かりました……」

疑問符を頭の上に躍らせながらエコデは頷く。

最近ずっとご機嫌斜めだったが、今日のエコデは機嫌が良い……というか普通まで回復している。

平穏っていいよな。

「代わりと言っては何ですが私がエコデさんをお守りしま」

「あ、いいです」

即答。今日もビクサム撃沈。なんかもう、可哀想すぎて俺が泣きそうだ。

いい加減エコデの正体を教えてやらないと、ビクサムは真実を知った時に首吊るかもなぁ。

ちらっとビクサムを見やると、何か同情するくらいに落ち込んでいた。

これは真実を知っても同じだな。

すまん、ここまで黙っていた俺が悪いんだ。多分。でも最後まで責任は持ったりはしないけど。

 

◇◇◇

 

項垂れながらも、自分の目的だけは忘れていないらしいビクサムは、その場所へと俺を案内した。

大通りから一本外れ、更に迂回した割と静かな商店通り。

今は特売セールのごとき喧騒が広がっていた。

「……マジかぁ……」

確かに、その女は居た。

ある時はキャリアウーマン、ある時は不倫女子、ある時はメンタル患者の、レイラだった。

やっぱりな……。

「はは……」

「何笑ってんだよ、ドクター。止めろよ!」

ビクサムにまともな事を言われ、俺としては複雑である。

確かに、レイラは屋上、いや屋根の上に上ってヤバい顔でぶつぶつと何か言ってる。

だけどほら、落ち着けよお前ら。あの家、二階だから。多分打ち所が悪くない限り、助かる確率高いし。

地面に衝撃緩和クッションそれだけ引いてたら、問題ないし。

「俺、要らなくない?」

この平和ボケした素晴らしい町では、2階からの投身自殺未遂も大きな事件だ。

いやー、実に平和だな。

「さて帰るか」

「いやいやいや医者が何を言うっ?!」

うーん。言い分は分かるけど、俺、面倒に巻き込まれるの心底嫌なんだが。

「あっ、先生!」

「ドクターのお出ましだ!」

「腐れロリコンドクター!」

「助けてリリバスさん!」

「今日も安くしとくよー」

凄い歓迎を受ける。

……ん? おい、待て誰だ今。どさくさ紛れにロリコンドクターとか言ったの、前に出ろ。

大体、俺はどうまかり間違っても、ロリコンじゃない。

それはエコデが女子だったら78歩譲ってそうだと頷いてやろう。

だけど、あれはあくまでも男だ。言うなればショタコンだ。

「俺って……!」

何か自分で思って、凄く傷ついた。

がっくりと膝をついて項垂れる俺に、ビクサムがそっと肩を叩く。

俺が顔を上げると、目しか見えないビクサムが、ぐっと金属に固められた手で親指を天に向けていた。

「エコデさんの未来は俺に任せろ、ドクター」

反射的に俺はビクサムの顔面を完全に陥没させた。

あ、多分肉体的損傷はないと思うけど。してたらしょうがないからサービスで治療してやるか。

がしゃぁん、と崩れ落ちたビクサムを無視して、俺は立ち上がる。

上を見上げれば、民家の屋上で絶望を呟くレイラがいる。

どうせなら、愛でも叫んでくれ。どっちにしろ聞きたくないけど。

すぅっと息を吸って、俺はレイラへ叫んだ。

「レイラー、とっとと降りてこーい」

驚いた様子で、レイラは下の俺を見やった。

あー、遠目でもわかるほど泣き腫らしてるな。おおよその原因は分かってるが。

「私はもう終わりよ。もう生きてる価値なんてないんだわ!」

言い返す元気があるじゃないか。流石レイラ。

「そこから落ちても痛い思いして終わりだ。さっさと降りて来い」

「ふふ……うふふふ。その程度の痛みなんて感じる状態の私じゃないわ」

怖ぇ。マジ怖いわ、狂乱状態のレイラは。

あの不倫彼氏と別れたか、あるいは現実を見たか。

どっちにしろ終わったんだな。少し俺の肩の荷も下りた。

「何でほっとしてるんだ、ドクター」

「医者には守秘義務があってな……。でも俺、今清々しい気持ちだ……!」

不倫なんてゴシップ黙っとくのは結構きついしな。

大声で叫んで回りたいが、それは我慢だ。

非常識です、ってまたエコデに怒られる。

「私にはあの人しかいなかったのに、そうでしょう、先生!」

いや、それは肯定できないな。倫理観を問われたくない。

「この想いが届かないなら、私、消えてしまった方がいいわ……!」

あー、参ったな。全然だめだ。聞こえてない。

……あ、れ?

ふと、屋上にもう一人姿を現す。

その姿に、俺は呆気にとられた。

レイラの隣にすっと現れたのは、風もないのに頭をうねらせる女。

「ポアロ? 何でそこにいるんだ?」

「気持ち、よくわかるから」

何の?

首を傾げる俺の周囲はざわついている。

それもそうだ。メドゥーサなんて見たことあるやつの方が少ない。

「ぽーちゃんだ!」

「ポアロっさーん!」

「俺は貴方の石になりたいっすー!」

何か違う。意外と人気者?! 何故に?!

屋上から無表情にポアロはアイドルよろしく手を振っている。

より一層大きくなる歓声。アイドルなら輝く笑顔で応対しろよな。

「ポアロ、降りてこい。ついでにレイラ引きずり下ろせ」

「降りない。迎え来るまで」

「誰が?」

ぴっとポアロは指を指す。

思いっきり俺に。

「何で?!」

意味が分かりませんポアロさん。

「俺はお前の保護者じゃないんだが」

年も多分下だし。

て言うか、俺より年長者が世間を騒がせてるのか……若者の手本となる大人がいない社会って何か、寂しい。

「ドクター、エコデさんは俺に任、ご」

ビクサム、お前はもう少し寝てろ。鬱陶しい。

ふう、と溜め息をついて俺はポアロとレイラ、面倒な女達をみやる。

何でこう、俺の回りの女は変なのしかいないんだろう……。

「俺は目立たず、日陰暮らしを愛してやまないんだが……」

「店で暮らすという提案?」

若干目を輝かせたポアロ。

何故その結論にたどり着いたのか是非、詳しく聞きたい。

「蛇に絞め殺されるのも、毒殺されるのも嫌なんだが」

「言うこと聞かせるっ」

えぇぇぇ……そこは引いてくれよ……。

するとレイラが唐突にポアロの肩に手をおいた。

吃驚した様子でポアロがレイラを見やる。

レイラの腕にポアロの蛇が沿う光景。身の毛がよだつ。

あのざらついたしゅるしゅると音を立てる蛇がなければと、何度思ったことか。

そして、レイラは。

「そうね! ここは私達二人して、先生のお宅で暮らさせて貰いましょう!」

「ちょちょちょ、待て待て待て!」

俺とエコデが頑張って生活してるんだぞ?相手の家計の逼迫について目を向ける能力が欠けすぎだ。

ほんとに手に終えない。

「いやぁ、大変だねー先生」

「でも結局オーケー出すんだろうなぁ」

「エコデちゃんも大変ねぇ」

誰か助けろ。

「あらあらあらー、一生に一度のモテ期到来ね、リリバス。でーも!」

またお前か!

「サッチーはロヴィの味方なのよー」

黒い衣装でポアロとレイラの背後へ舞い降りたのは、案の定サチコだった。

もう勘弁してくれ。

「貴方たち、甘いわ」

くすっと邪悪な笑みを浮かべるシスターコスプレイヤー・サチコ。

周囲は誰だあのスタイル抜群の美人はと盛り上がりを見せている。

俺としては、正直おぞましい存在なのだが。

手を取り合ってサチコを凝視するポアロとレイラは、恐らく何がしかの恐怖感を覚えたのだろう。

正しい感性がまだ二人に残っていたことに、俺は感涙しそうだ。

「リリバスはね、人妻で巨乳が好きなのよ!」

「人前でお前は何をばらすんだ?!」

「徹底的なドM体質なのよ。貴方たちのようなSっ気のない女なんて相手にされないわ」

あ、それは否定しないな。したほうが良いんだろうか。

でも何か周囲の視線が生暖かくなってます。

しかし、何でこういう時に限ってエコデがいないんだ。

最低ですねと即行で罵ってくれるはずの存在が。悔やまれる……!

「ほんと、困ったもんだわ。私にも選ぶ権利はあるのに」

……は?

「ごめんなさいね、リリバス。私、貴方みたいな子供には興味がないの」

ひらっと白いハンカチを振るサチコ。

「すみません、サチコさん。貴方が何を申し上げているのか、この私めにも分かる様な懇切丁寧な説明をお願いしてもいいですか」

「あら、照れなくてもいいのよ」

くすくすと笑うサチコは、壊れてしまったんだろうか。

俺はサチコのスタイルは認めるが、その他は認めてない。そもそもサチコは存在自体が論外だ。

どうしたもんか、と遠い目で空を眺めていると、俺は名案を思い付く。

古典的に言えば、ぴんぽーんと頭の中で電球が閃く。

「俺、仕事があるから、帰るわ」

くるっと背を向けた俺の背後に、瞬き一瞬でサチコが舞い降りる。

首根っこを掴まれ、流石に踏みとどまる。下手すると首に入って死ぬ。

「逃げるな下衆が」

「いや俺、サチコの事は別にどーでもいいし。レイラはいつもあんなだし。ポアロは多分、恋と飼い主の感覚間違えてる」

「ふぅ……言い訳が下手になったわね。まぁ、良いわ」

何が良いのかぜひ説明して欲しいが、なんかもう絡みたくない。

「ところで、不倫した末に捨てられて投身自殺を図ろうとしてる素敵な現場はどこか教えて頂戴?」

「事件はここで起きてますが」

何故ここにサチコが現れたのか、俺はようやく合点する。

相変わらず、怖い女だよお前は……。

「あら、じゃああの二人のどっちかね?」

ぱっと俺を掴んでいた手を離して、サチコは嬉しそうに振り返った。

そして、

「さぁ飛び降りてっ! そして素敵な死体になって頂戴!」

表情をキラキラさせながら手を広げたサチコに、周囲はさーっと物理的にも精神的にも距離を広げた。

今日も悪霊を宿して破壊するための物理的器を求めていたらしいサチコに、俺は深くため息をついた。

そのあとすぐに、レイラとポアロが屋上から無事保護されたことは、言うまでもない。

 

◇◇◇

 

「残念だわ。実に残念だったわね」

「どうかしたんですか?」

「ええ、素敵な器をね……」

ふう、とため息を吐くサチコにエコデが、苦笑する。

「それは残念ですねー」

「本当にね」

いや、エコデ。

サチコがいう器は死体だけど、お前の言う器は皿とかだよな? 本当は納得するところじゃ、ないからな?

まぁ、突っ込むと藪蛇だから言わないけど。

「さて、お茶も戴いたことだし。帰る事にしようかしら。あ、寂しがっては駄目よ?リリバス」

「いや、ないから。とっとと帰れ」

「ふふ、そういう事に、してあ・げ・る」

……気色悪いからとっとと帰ってくれ。

俺の周りに集まるのは、他人様の家でくつろいで、気色悪い捨て台詞を残して行く変態ばかりだ……。

「面白い方ですね、サチコさん」

サチコを見送って戻ってきたエコデが、せめて俺の救いになりますように。

祈らずには、いられない日々である。

 

◇◇◇

第11話 巫女シスト

 

ゴミ一つないように細心の注意が払われた廊下。

真ん中を貫くのは、クッション性に富んでいるが故に歩きづらい赤絨毯。その絨毯に金糸で刻まれた刻印。

そしてその先に座すのは、無駄に高い背もたれのついた王座。と、ちょっと控え目の王妃の座。

黒い衣装を翻し、私はそこへ腰を下ろす。

「暇だわー。早くリリバス戻って来ないかしらー」

誰もいない玉座の間で独り言。いい感じに反響する、私の美声。廊下で衛兵が倒れているかもしれないわ。

みんな私が通ると気絶寸前の顔だもの。うふふふ……美しいのは罪だわ。

「サンディさん……怖いですよ?」

「あら、ロヴィ。リリバスはまだよ?ごめんなさいね」

「貴方に期待はしていませんのでご心配なく」

ロヴィは優しいわね。

これくらいの優しさがあの子にもあればね。私がこんな苦労せずに済むのに。

「ところで、ロヴィ。どうしてそんなに遠いの?近くへいらっしゃいな」

8mくらい距離があるじゃない。絶対領域的な壁は作ってないはずなんだけど。

「結構です。死臭に自ら接近する馬鹿ではありませんので」

刺繍は匂うものではないと思うけど。

新しいロヴィのジョークかしら。ここは笑ってあげるべきね。

「とっても素敵でしょ?」って。

あら、貴方私に興味があるの? ふふ、どうしたの? 上下左右前後確認なんてして。

誰でもない、貴方に私は話し掛けてるのよ? まさか、まだ気付いていないの?

貴方よ、貴方。私の声を目で追っている、そう、読者《アナタ》のこと。

ずーっと、リリバスの生活の一部を覗いてきたんでしょ?

是非、私に教えて欲しいわ。

リリバスがここから出ていって、どんな生活をしていたのか。

あらあら、黙ってるなんてアナタはリリバスのプライベートを守る騎士のようね。

言っておくけど、私は巫女。だから貴方に気付くのよ。それが、私なの。

少し飛び出た能力のある、巫女のなせる技。それをアナタの世界じゃこう呼ぶのよね?

チートって。

知ってるわよ? だって……

「いやだわ、危うくしゃべり過ぎるところだったわね」

仕方ないから、ちょっとだけこの退屈でスパイスのないサチコさんの生活を覗かせてあげるわね。

ちょっと、戻るボタンなんて無粋よ? 困った人ね!

 

◇◇◇

 

さてとー、じゃあ何から案内してあげましょうか。

あ、やっぱりロヴィよね? 健気に頑張るとっても素直な子よ。

あんまり私に心開いてくれてないんだけどね。

「そうだわ、ロヴィ。またリリバスの所へ行ってみましょ!」

それが一番楽しそうだもの。

なのに、ロヴィは吃驚した顔。あらあら? 変ね?

「兄さん……の居場所、分かったんですか? サンディさんっ!」

食いつきっぷりはいつも通りだけど。

あらあら、リリバスったら、照れ屋さんなんだから。

何もロヴィの記憶消すことないでしょうに。ま、それがリリバスの可愛いところね!

私の魅力に危険を感じて逃げ出しちゃったところとか。

まだまだ、お子様なんだから。気を取り直して、私はロヴィへ慈愛に満ちた笑みを見せる。

「そうよ。さ、行きましょっか!」

「はい!」

うん、いい返事ね。私も嬉しくなっちゃうわ。

 

◇◇◇

 

リリバスの隠居先はここから北部へ三つ先の町。距離にして約120キロ。近い方ね。

この間は偶然、大量の悪霊さんたちが向かう先にリリバスが隠れてたんだけど。

リリバスは元々面倒なことは嫌いだし、何だかんだと困ってる人を放っておけないイイヒトだから、引っ越したりはしてないでしょう。

周囲からも、信頼得てるみたいだしね。

イイヒト……ねぇ。皮肉よね。ふふ、勘のいい貴方なら気づいてるかも知れないけど。

「サンディさん、こんなんで大丈夫でしょうか?」

声をかけられ、私はロヴィを振り返る。

「うーん……そうね……」

支度は万全! って気持ちは分かるけど。

「それじゃあ世界最高峰を制覇する登山隊よ」

「ですが、寒いのでしょう?」

首を傾げた……っぽいわね。

首まですっぽり埋まってて、分からないけど。

折角の美貌は着膨れの下敷きね。特にその、トンボの複眼みたいなサングラスが最悪のセンスだわ。

ロヴィって、顔面偏差値は高いし、性格も温厚で優しいし、時期王候補としては申し分ないの。

でも、完璧な存在なんていない。チートって最強かもしれないけど、それってただ「強いだけ」でしょう?

人間性が優れていて、美形で、でも転生時にそれを望んだ時点で負けを認めたようなもの。

その強さって、全てが平和になったらただの災厄の種になりかねない。

そう言う事よ。で、その完璧じゃない部分が、ロヴィは服のセンスのなさ。

色の組み合わせが変とか当たり前なんだから。酷いと丈がおかしいの。ロングTシャツに短パンってどうなの。

出かけるときは、頭痛いわ。だから、私はため息交じりにロヴィへ告げる。

「いつも通りの恰好で大丈夫よ。そんなに寒くないし」

「そうなんですか。分かりました」

ばっと服をはぎ取るロヴィ。

いつものマントをを羽織った格好に早着替え。アイドルになれると思うわ。

「あとは、足をどうするかよね。馬車使うのもねぇ」

「それについては任せてください」

ロヴィはすっと左方向を指す。

巨大なガラスが嵌った窓に目を向けると。

がっしゃぁぁぁん!

粉々に砕け散るガラス。陽の光を遮断する巨体。どっしりとした体は真っ黒な鱗に覆われて、長い首の先にある頭部は長く、口からは、ぽふっと火が零れた。火竜ね。

でもあとで教えてくれても良かったのに。この窓、修理するのにまた予算が傾いちゃうの、分かってるのかしら。

「さぁ、行きましょうサンディさんっ!」

目が輝いてるロヴィは可愛いわね。

流石あの人の子供だわ。後先考えないばっかりに、後で部下に訥々と叱られてしまう所までそっくり。

「巫女様に皇子様っ! またド派手に何てことをぉぉ!」

あら、宰相じゃない。あの人、話が長くて私嫌いなのよね。

とん、と床を蹴って、宙へ舞い上がる。

すでに竜の背に乗ったロヴィの背後へ、ふわりと私も降り立つ。

「リリバスのところまで一っ跳びでよろしくね、ロヴィ」

「もちろんです!」

ぶおっと宰相のお小言を吹き飛ばす風圧。

あら、勢いに負けて後転してるわ、宰相。意外と運動神経がいいんじゃない。

「兄さんは必ず、連れ戻すっ!」

それは難しそうだけど、面白いわ。

さて、今日はどんな面白いことがあるかしらねー。

 

◇◇◇

 

「ねぇロヴィ……少しは予想されてしかるべきだったんじゃないかしら」

「薄着で大丈夫って言ったの、サンディさんですよね?」

違う。そうじゃないでしょ、ロヴィ。

ふう、っとため息をついて、私は黒い鱗に触れる。

火竜ってね、通常平均気温25度を上回るところで生活するの。だから、よくて王都くらいが限界ね。

それ以上北部はとても寒くて住める環境じゃないわ。つまり、今火竜は凍えちゃってて、羽根が広げられないのよ。

可愛いんだけどね。ガタガタガタガタ震えてるの。ふふふふ。凍死しちゃうかしら。しちゃうわよね。

現在気温15度だもの。変温動物だからね、竜って。火竜にはひとたまりもないわ。

「仕方ないわ。ロヴィは先に王都に戻っていいわよ。この子は私が」

「そうですか。では任せます」

王都って言っても、飛び立ってすぐに降りたもんだから、目と鼻の先だけどね。

ちょっと歩けば、すぐよ。

宰相がゆでだこみたいに真っ赤になってるのを想像すると、何だか笑えてくるわね。

踵を返したロヴィを見送り、私はかがんでそっと火竜へと囁いた。

「さぁ、素敵な凍死体になって頂戴な」

火竜がか細い声で悲痛な叫び声をあげたけど。

残念、私、竜語は分からないの。ああ、こんな素敵な高ランクな死体が手に入るなんて。ありがとう、リリバス。北部に住んでくれて。また同じ方法で火竜を手に入れられそうよ。

 

◇◇◇

 

『火竜が王都付近で暴走。巫女により討伐される』

あ、これきっとサチコさんですね。

「先生、サチコさんまた何か大きな仕事したみたいですねー」

メープルシロップの海に沈むホットケーキを食べていた先生は、眉根を寄せて、渋い顔をする。

あれ、甘くなかったかな?

「薬の仕入れが悪くなるな……」

あ、仕事の悩みだったんですね。

流石、先生です。僕もちゃんとそういうこと考えなきゃ……。

いつまでも先生におんぶされてちゃ、駄目だよね。

……でも、出来ない方が先生に構ってもらえるのかなぁ。

「真菌薬とか抗生剤の在庫あったっけ?」

「あっ、えと、この間多めに買ってますから、あります」

「そーいえば、そうだっけ。いやー、エコデがいると助かるわー」

へらっと笑った先生。

先生に、頼りにされてるの、かな。嬉しい。にやけてないかな。

最近、先生忙しいし……やっぱりちゃんと、頼りになる存在になろうっと。

だって。

「そういえば先生。また変な本買ったでしょうっ!」

「ななななにを言うかなエコデさん?!」

「隠すならちゃんと隠してください」

「あ。見たいのか。なんだそーいえよー」

……見たくないですっ!

ほんとに、余所見ばっかり。良いですけど。奥さんにはなれないし。でも、一番の家族には、なれたらいいな。

「でもエコデの趣味と俺の趣味が合って、良かったなぁ」

先生、その話題しつこいですっ!

 

◇◇◇

第12話 乙女参観日

 

「……そう、そうよね。そもそも、前提がおかしかったのよね」

「次、気を付けるべき」

「いつもそう思ってるのよぉ……」

さめざめと泣く、レイラさん。

ぽんぽん、とレイラさんの肩をその頭の蛇で叩き慰めるポアロさん。

そして、今日もなんか、変な匂いのするサチコさんは優雅に紅茶のカップを傾けている。

わぁ、何か凄い絵になる。サチコさんって高貴な育ちっぽいし。

あ、でもそっか。サチコさんは巫女様だから、シスターの中でも上位階級に当たるのかな。

昼下がりの、日曜日。

また遊びに来ていたサチコさんに誘われて、僕は何故かここに居る。

このいかにも女子会っぽい空気の中に。

うーん……先生、ちゃんと掃除してくれてるかなぁ。先生目を離すとすぐお昼寝とかサボり出すから、心配。

……折角の休みだし、どうせなら先生と出掛けたかったぁ。

「もうそんな暗い話はやめましょうよ。それよりは」

ことっとカップを置いて、サチコさんは綺麗な笑顔で言った。

「今すぐ死人が出そうな場所を探した方がよっぽど建設的よ!」

……たまに、発言が良く分からないのは、先生の仲間って気がします。

「サチコさんは、さぞモテるんでしょうね……」

遠い目で口を開いたレイラさん。

何となく、それは分かる気がする。

顔立ちは綺麗だし、そのオレンジ色の艶のある長い髪は風にさらさらと靡いて、女性として完璧なプロポーションを持ってるサチコさん。通り過ぎる人が思わず振り返ってしまうくらいの美貌を兼ね備えた巫女様。

歩く姿も颯爽としてる。

……先生の好みまっしぐら。いいなぁ……。そもそも、僕なんか……

「そんなことないわ。それに私、夫がいるし」

旦那さん?!

ばっと三人揃って、サチコさんを見やる。

サチコさんは意味深に、くすっと笑った。

「ふふ、乙女には秘密が付き物よ?」

「秘密……確かにミステリアスさは魅力になりうるわね!」

興奮するレイラさんと、うんうんと頷くポアロさん。

そ、そこなの?

僕は正直、サチコさんの旦那さんがどんな人がすごく知りたいんですけど。

「影のある男性って素敵よね。うふふふ」

えと、サチコさんの言っている意味が、普通の人とは違うのはなんとなくわかりました。

だからあえて問い詰めたりはしませんけど。……背筋が寒いです。

「ところでエコデ」

「はいっ!」

不意にポアロさんに名前を呼ばれ、咄嗟に背筋を伸ばす。

恐る恐る視線を向けると、半眼で見られていた。

ポアロさんはいつも下から人を見上げてる生活だから、それが癖みたい。

だから、睨まれてるわけじゃ、ないんだけど。

冷や汗が止まりません。頭の蛇が一斉にこっち見てしゅうしゅう言ってるし。

助けてください先生。やっぱりポアロさん怖いです!

「交換、希望する」

「交換……ですか?」

な、何をだろう。服とか、靴かな?

でもポアロさんの方がすらっとして背も高いし、サイズ合わないよね。

「部屋」

「へ……や? 部屋……ですか?」

ポアロさんと僕の部屋を交換するってこと?

「それは、あの……難しい、と思いますけど」

「……」

じぃっと見つめて来るポアロさんの頭の蛇がこっちに勢力を伸ばして、制空権を奪っていく。

怖い怖い怖いから!

「ポアロったら積極的ね」

くすくす笑うサチコさんは訳知り顔。

意味を教えて欲しくて視線を向けると、サチコさんは首を軽く傾けた。

「ほら、ポアロってリリバスが好きでしょ?」

先生が好き?

聞いてないです。知らないです。そんなの知りたくないです。

ちらっとポアロさんを見ると、頬を赤くして照れてるのが見えた。

だから、そんな提案したんだ。

そっか。……そうなんだ。先生、人気者ですね。

「……やです」

ぽつっと、無意識に言葉が零れた。

ポアロさんとレイラさんが吃驚した顔をする。

サチコさんだけが、何か余裕の笑みを見せていた。

僕、とんでもない事、言っちゃった。自分でも吃驚して、言葉が続かない。

「嫌?」

ポアロさんがダメ出しの一言を繰り出してくる。

どうしよう。後にも引けない、先にも進めない。八方塞がり。

「そう、残念」

すっと引いたポアロさんに、ものすごい罪悪感が湧く。

ポアロさんは、蛇頭がなければいいのにって、先生も言ってたし。

お似合いなのかなぁ。お似合いだよね?

どうしよう、今からでも遅くない?

でもそうしたら僕、先生と会えなくなる。

考えれば考えるほど、何か僕、苦しいです。

先生……僕も病気になっちゃったかもしれないです。

かぷ

かぷ?

「あ。エコデ、ごめん」

ポアロさんの間の抜けた声が聞こえた。

ぱしっとサチコさんが僕の二の腕のあたりで何かを捕らえた。

青白い顔の蛇が、サチコさんの手の中でちょろちょろ舌を出してる。

それを見た瞬間、視界が真っ黒くなった。

 

◇◇◇

 

「お前ら何してんだ馬鹿がっ?!」

「やだやだー、怒っちゃ駄目よ、リリバス」

憤慨するリリバスはそれでもせっせとエコデの手当中。

まぁ、毒っても弱ったメドゥーサのそれだから、大したことはないだろうけど。

可愛い助手のために必死になってるんだから、可愛いわねーリリバスは。

でもほら、ちゃんと反省してる相手を見てあげなさいな。

しゅんとうなだれて、頭の蛇ちゃんたちに慰められてるわよ?

「ったく。どうしてくれるんだ……エコデが居なきゃ、俺の飯は誰が作ってくれるんだよぉ……」

そこなのね。やっぱりそういうずれたところに思考があるのね、リリバスは。

「私がしてあげましょうか?」

「断る! お前が飯を作ると全部腐った匂いがするっ!」

失礼な事を言うわね。腐った食材なんて使わないわよ。

大体、貴重な死体を食材にするなんて馬鹿な真似、私がするとでも思ってるのかしら。

死体を探すのにも遠路はるばる出向いたり、偽りの情報流したり、自殺志願者の集まるサイトを常時観察してみたりで、忙しいし手間もかかるのよ。

その辺りの苦労も分からないで、短絡的な考えで発言するだなんて。困った子だわ。

「わ、私……する……?」

「ポアロは駄目だ」

即答?

それは恋する乙女には失礼じゃないかしら。

流石に私も援護したくな……

「お前は家事する暇があったら、俺の依頼の品を完成させてくれ。それはお前にしかできない」

「リリバス……」

「期待してるからな」

……この男は、天然もののたらしね。

清々しいほどの鈍感ぶりだし。

「しょ……承知」

ほらほら、ポアロもすっかり舞い上がっちゃって。

レイラも素敵なものを見てるような目で見ちゃ駄目よ。

ほんと、この男は駄目ね。

さっさとロヴィの元に連れ帰って、絶叫させておくのが一番いい気がしてきたわ。

 

 

 

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