第二話 翼の騎士

 

 第四特殊小隊は、対レジスタンスに編成された部隊だった。自己完結型を目指す軍の中でも、更に小規模な自己完結部隊。それが特殊小隊だった。

 それ故にリリバスも戦場へ赴くことを義務付けられてしまっている。

 精鋭と言えば聞こえはいいが、一番危険な事には変わりない。

 任務さえなければ、平和で余計な付加業務もないのだから、文句は言えないが。

 

「……ふーん。りぃくんが誘拐をするとは、これは上に報告をしないといけないのです」

 

「おい。誤解を招く発言はやめろ……誘拐じゃない。倒れてたのを助けたんだぞ。どっちかって言えば、人助け! 褒められてしかるべきだ!」

 

「はいはい。寝ている人がいるのですよ? 大声を出さないでください」

 

 飄々としているラフェルをじとりと睨み、それからリリバスはため息を吐いた。

 ちらりと、視線をカーテンの閉じられたベッドへと向ける。その向こうで、今も少女は眠っているはずだ。

 起きている可能性は否定できないが。

 

「……で? お迎えはいつ来るのです?」

 

「あー、今ギルが連絡先を確認してる。その内来るだろ」

 

 あの後学生鞄も見つかって、学生証から身元は明らかになった。王立学校高等部。専門は魔法甲種……所謂『高位魔法』だ。乙種に比べて、自由度が高い。威力だけ、あるいは効果範囲だけを見れば乙種に劣るものはあるが、それでも詠唱時間が短い、あるいは消費魔力が少ない等、補って余りあるメリットがあるものがほとんどで。

 形式にとらわれず、即座に判断した魔法が出来るならば甲種を主とする魔法師は多い。種々の呪文を覚えるのが面倒だったリリバスは、乙種ですらまともに覚えようとはしなかったが。

 

「そんな一学生が、どうして、あの場所に居たのです?」

 

「うーん、はっきりとはしないけど……あの靄に取り込まれてたっぽいしなぁ」

 

「その靄の正体は?」

 

「俺が知るか。気配は……高位悪魔っぽかったけどな。超怖かったし」

 

 ぴくりと、ラフェルの表情が強張る。何か気になる事でもあるのかもしれない。

 だがリリバスは基本的に面倒事には巻き込まれたくない主義であり、問い質すつもりはなかった。さらっと見なかったことにして、診療机の引き出しを開け、今日のスナック菓子を取り出す。

 

「食べてる暇があるなら、少しは鍛錬でもすべきなのです」

 

「悪いな。俺はおやつ食べたら昼の瞑想が待ってるんだ」

 

「昼寝など、私が許さないのです」

 

「しょーがないな、ラフェルも食うか? これ新味なんだぞ」

 

「……りぃくん?」

 

 ラフェルのオーラが鋭さを増した、刹那。

 

「あの……」

 

 細く、柔らかい声が滑り込んだ。知らない声に、リリバスはラフェルと顔を見合わせ、声のした方向へと視線をスライド。

 カーテンの影に、半分体を隠した青い髪の少女が、どこか怯えた瞳でこちらを見ていた。

 先ほどまで、ベッドで眠っていた、地下で見つけた少女。

 

「お、あ、うお」

 

「あら、りぃくん本格的に壊れたのですか」

 

「ばばば、馬鹿! どういう意味だっ」

 

 慌ててラフェルに反論したものの、リリバスの思考はぐるぐると忙しない。

 ショートボブの空色の髪と、淡い緑のぱっちりとした大きな瞳。在るべき理想の場所にパーツの収まった、綺麗な顔立ちの少女は、端的に言えばリリバスの理想像の一つにぴたりとはまっていた。

 

「馬鹿は置いておくとして。遅いお目覚めなのですね。私は、ラフェルと言いますです。見てのとおり、統合司令部所属……まぁ、一般にわかりやすく言えば、軍人です」

 

「統合……」

 

「で、こっちのクズ医官はリリバスなのです。こっちは覚えなくて結構ですよ」

 

「酷い?!」

 

 笑顔で無視するラフェルに食い下がるわけにもいかず。リリバスは再度、少女へ目を戻す。

 確か、名前は。

 

「私、は……エコデ、です……」

 

 恐る恐る、少女が名乗る。相手を認識したことで落ち着いたのか、表情から緊張感が少しだけ消えていた。

 それも幾分、不思議ではあるのだが。

 

「えっと、痛い所とかないか? 気持ち悪いとか」

 

「あ、いえ。……特には」

 

「そそ、そっか。えーっとな、今家に連絡して、迎えに来てもらうように準備してるから」

 

「れんら……」

 

 さっとエコデが青ざめる。思わぬ反応だった。

 小首をかしげ、あるいはラフェルなら、と一瞥する。ラフェルも肩をすくめるだけで、分からないようだった。

 

「わた、私帰れます! 大丈夫ですからっ! あの、鞄とかどこにっ」

 

「え、あ、落ち着けって。一人じゃ基地内はうろつけないし、それにほら、まだ君に聞かなきゃいけないことも……」

 

「でも私、私……」

 

 なぜか涙をにじませるエコデに、リリバスは口を噤んだ。どうしていいか分からない。

 迎えが来ることは、むしろ安心するものではないのだろうか。帰宅途中にさらわれた可能性すら否定できないのに。

 嫌な沈黙が、室内の空気を重くする。

 

「まぁ、落ち着いてくださいなのです。事情聴取は、あとでも構わないのですよ、りぃくん。鞄はこっちにあるのです。ひとまず落ち着いて、診察を受けるのですよ」

 

「あ。そ、そうだ。一応、怪我ないか、問診だけでもさせてくれないか?」

 

 曲がりなりにも医者である自分を思い出し、リリバスはエコデに問いかける。エコデは酷く不安そうな顔で、それでも小さく頷いた。

 ラフェルが奥の部屋へと荷物を取りに踵を返す。

 ぎこちない足取りで、エコデはゆっくりと歩み寄る。リリバスの用意した診察椅子へと腰を下ろすと、すぐにも顔を伏せた。

 

「……怒られること、何かしたのか?」

 

「怒らない、と……思い、ます」

 

「じゃあ大丈夫だろ。心配しなくていいって。ちゃんとフォローするからさ」

 

「……はい」

 

 沈んだ声で答えたエコデにリリバスは何も言えなくなる。事情も分からない。そもそも、初対面の少女の、心の内は読めるわけがない。

 意味もなく、真っ白なカルテの上で空中に文字を描く。

 

「はい、中はそのままのはずなのです。確認してくださいな」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 ラフェルが持ってきた黒い学生鞄。レースの花のストラップが春色のアクセントを添えていた。

 エコデは黙って鞄の中を確認していたが、ふと手を止めて、ラフェルを見やる。

 

「あの、ごめんなさい。……ほんとに、これ、全部ですか?」

 

「ええ。あの場所から回収されたのは、これだけと聞いているのです」

 

「そんな……うそ……でしょ……私、どうしよう……」

 

「何か、足りませんです?」

 

 エコデは力なく、頷いた。白い手が、更に青ざめているようにも見える。

 あるいは、怯えているのか。

 

「大事な物か?」

 

 首肯する。小さく震えだした手に、ぎゅっと胸が詰まる。厄介なことに巻き込まれたであろう上に、何か大切なものを失くしたのだという。

 あまりにも可哀想だった。視線を伏せて打開策を思考するもリリバスの頭では一つしか浮かばない。

 ぐっと手を握りしめ、リリバスは顔を上げる。

 

「探しにいくか」

 

「え……?」

 

 のろのろと視線を上げたエコデは、目に涙を溜めていた。余程思いつめているのだろう。

 引き攣っていないことを祈りながら、リリバスは笑顔を向ける。

 

「そうしよ。あっ、すぐには難しいだろうけど、連絡先、渡しとくからさ。一緒に探せばいいって」

 

 引出しから滅多に使わない名刺を取り出して、エコデに差し出す。

 エコデは目を丸くして、唖然としたまま動かない。思わず苦笑し、リリバスはエコデの手を取った。

 

「はい。気が向いたら、必要になったらでもいいけど。気軽にこき使ってもらっていーぞ」

 

 冷えた手だった。白く細い指先は微かに震えていて。それでもその手に、リリバスは名刺を渡す。

 ぎゅっと握らせて、笑みを向けた。医者の最後の武器は笑顔だ。患者の心を落ち着かせる一番の薬だと、かつての師が言っていた。

そんな言葉を必死に自分に言い聞かせ、リリバスはエコデの様子を窺う。

 

「失礼します、ロタ医官、彼女目を覚ましました?」

 

 のんびりとした声が扉の開閉音に紛れて室内へと滑り込む。声の主はリリバスも良く知る、同じ小隊のギルのもので。

 目を向けようとした刹那。

 

「え」

 

 視界が暗闇に遮られた。そして両こめかみに掛かる異常な圧力。

 

「いててててっ?! ちょっ、痛い痛い?! 何?!」

 

「何してるんだ? ……死にたいのか?」

 

 低く、憎悪が練り込まれた声に、背筋が凍る。頭蓋骨を粉砕する勢いの圧力が、死を予期させる。

 

「兄さん、そのくらいで。エコデも困ってますよ」

 

 小さく舌打ちが聞こえ、ようやく視界に光が戻る。どうやら顔面を鷲掴みにされていたのだと、遅ればせながらに気付く。

 視界の隅に見えた深い青。はっと顔を上げる。

 

「え」

 

「なんだ」

 

 不愉快を前面に押し出した表情が、そこにはあった。青いフレームの眼鏡をした、空軍の制服を着た男の顔は、自分とそっくりで。

 ぽかんと見上げて固まるリリバスに、より一層眉間に深い皺を刻んだかと思えば視線を反らす。

 その先に居たのは、困ったような表情で口を噤むエコデがいた。

 

「……何があった」

 

「なに、も、あの」

 

「何もなくてどうしてこんな場所に厄介になるんだ。ちゃんと説明しろ」

 

「あの、わたし」

 

 徐々に声を小さくするエコデに、男はそれでも無言で説明を促していた。その光景に、リリバスは我に返る。

 

「や、やめろよ。エコデを責める事ないだろ。どっちかって言えば、労わってやんなきゃいけな……」

 

「部外者は黙ってろ」

 

 一蹴され、流石にリリバスも口を閉ざす。

また万力の様に締め上げられたら敵わない。だが、目の前で泣きそうになっているエコデも、見てはいられない。

 どうすべきかと必死に思考を回すも、言葉は空転するばかりで。

 

「……俺はまだ、仕事が残っている。ロヴィが早上がりの許可をもらってきた。一緒に帰れ」

 

「……は、い」

 

「ロヴィ、後は任せた」

 

「分かりました、兄さん」

 

 答えた声に目を向ければ、苦笑する少年が居た。エコデを問い詰めていた男と同じ、空軍の制服に身を包んで、顔立ちも似ている。

 醸す雰囲気は温和で正反対ではあったが。

 くるりと背を向けて歩き出した背中に、ようやくリリバスの体から緊張が抜ける。

 

「……レイルさんっ!」

 

 椅子から立ち上がって呼び止めたエコデに、男が振り返る。あまり感情の見えない紫の瞳が無言でエコデを見やった。

 

「あの……あの、私」

 

 何かを伝えたいだろうに、上手く言葉に出来ないのか口を濁すエコデ。不安がその表情を覆っていた。

 

「……俺も、暇じゃない。話は帰ったら聞く」

 

「あっ……」

 

 つい、と視線を戻し、そのまま男は出て行った。しん、と重い沈黙が室内に降りる。

 しまった扉の音が、やけに大きく響いた。

 

「……はぁ。兄さんにも困ったなぁ」

 

 沈黙を切り裂いたのは、まだ若い、少年の声だった。

 それぞれが視線を向ける。少年は苦笑いを浮かべていた。

 

「似てると思ったらやはり貴方は弟なのですね」

 

 ラフェルに首肯し、少年は改めて深々と一礼した。

 

「改めて、自己紹介を。空軍第三航空隊所属、ロヴィ・ラプェレ少尉です。先ほどは兄のレイルがお騒がせしました」

 

「怖い兄貴だな……」

 

「まぁ、しょうがないですね。ああ、ご覧のとおり、兄も空軍所属です。航空母艦の副長に任命されたばかりで気が張ってたんだと思いますよ」

 

 レイルに、ロヴィ。少し歳は離れているようだが、よく似た顔立ちをしていた。

 そしてそれは何より、リリバスにも似ていることになる。正直、居心地が悪かった。

 

「世の中には三人に似た人がいるって言いますけど、すっごいですね。滅茶苦茶似てましたね」

 

「だから余計に腹が立ったのかもしれないですけどねー」

 

 笑顔を交わし合うロヴィとギル。ギルがここまで案内したのは明白だった。

 ただでさえ細い目が、笑みを浮かべたせいで最早閉じているようにも見える。その話題に触れれば、ギルの逆鱗に触れてしまうのだが。

 がしがしと後頭部をかきむしり、リリバスは茫然と立ち尽くすエコデを見やる。

 

「大丈夫か?」

 

「……私、また」

 

「大丈夫だって、エコデ。兄さん、心配し過ぎてただけだから」

 

「でも、怒って、た」

 

 ぽろ、とエコデはついに涙をこぼす。ぱたぱたと、透明な雫が床に落ちる。

 その姿に、リリバスの胸が軋む。訳の分からない目に遭遇してただでさえ不安だろうに。

 関係性は知らないが、あのレイルの態度は流石に許せない。

 

「追っかけて一発ぶん殴ってくる」

 

 立ち上がって、レイルを追い掛けようとしたリリバスを阻んだのは、意外にもギルだった。

 軽く目を見張ったリリバスに、ギルは静かに首を左右に振る。

 

「先ほどのお言葉を借りるようでアレですが、部外者は黙っているべきです、ロタ中尉」

 

「でも」

 

「貴方が介入して、もっと立場を悪くしたら、それこそどう責任を取るつもりですか」

 

 ギルの視線に、リリバスは怯む。確かに、考えが足りなかったことは認めるほかない。

 だが、振り返ればロヴィに宥められながら、まだ震えるエコデが居る。

 それが、苦しい。

 

「弟君も、いらっしゃるのです。下手な口出しは、しないほうが賢明かと。貴方の妙な正義感は、褒められるべきかもですけどね」

 

「俺は別に、正義感なんかじゃ……」

 

「では、惚れた弱みってやつですかね?」

 

「ほれっ、馬鹿! 違うし! なんでっ」

 

 顔から火を噴きそうだった。瞬く間に、顔が熱くなる。

 くすくすと楽しそうに笑うギルと、にんまりと邪悪な笑顔を向けるラフェルから、必死に目をそらす。

 この超極短時間で、好き嫌いは、判断したくない。だが心臓はうるさく拍動し、リリバスは自分を鎮めるために、大きく深呼吸を一回。

 

「……とにかくだ!」

 

 くるりと、向き直る。エコデは涙をぬぐいながら、小さく首を傾げた。

 慌てて視線を他へと流し、リリバスは思いを紡ぐ。

 

「何かあったら、連絡しろよ。その、力になれることは、するし」

 

「……リリバスさん……」

 

「それだけ。……気を付けて、帰れよ」

 

 エコデは握っていた手に、視線を落とした。その手の中にあるのは、少し潰れたリリバスの名刺。

 両手で皺を伸ばして、エコデは小さく頷いた。

 

「ありがとう、ございます」

 

 声は震えていたが、幾分安堵する。やっと緩んだ空気に、胸を撫で下ろしていると、エコデの傍らで様子を見守っていたロヴィが軽く会釈をした。

 

「では、これで失礼します。ありがとうございました。行こう、エコデ」

 

 ロヴィに頷いて、エコデも頭を下げる。鞄に名刺を仕舞い込んだエコデに、リリバスは思わずほっとした。連絡がある可能性は、ないとしても。

 そうして帰って行った二人を見送り、ようやくいつもの空気が室内に戻る。

 

「はぁ。なんか忙しい一日だったなぁ」

 

「ロタ中尉は、それくらいの方がいいですよ。鈍りきってしまっては、またアカシア少尉が怒りますからね」

 

「マイヤ、俺に対して超容赦ないよなー」

 

「期待の裏返しなんじゃないですかね」

 

 そうだろうか。リリバスがマイヤから感じるのは、どうにも陽性な感情ではなく、疎ましがるような空気だけなのだが。

 首の後ろをさすりながら、可能性を模索するリリバスの耳に、ふと。

 

「マイヤは単にりぃくんの怠惰が嫌いなだけだと思うのです」

 

 一番正当に近い気がして、ならなかった。

 

◇◇◇

 

「よーぅ、レイル。今日も不機嫌だな。どうした」

 

 テストフライトの分析結果を入力していたレイルの左肩に、重みが加わる。

 少し上に視線をスライドさせれば、バルクが居た。肘を載せてレイルに対して、にやりと笑みを見せる。

 長髪の跳ねた毛先が、レイルの手元に掛かり、モニターの光で紫の髪は青に見えた。

 

「不機嫌ではありませんが」

 

「そういやそうだった。それがお前さんの通常だったな」

 

 悪い悪い、ともちろん悪びれた様子のないバルクがばしっとレイルの背中を叩いて、背筋を伸ばした。

 単に絡み相手を見つけた程度だったのかもしれない。

 

「申し訳ありませんが、艦長と談笑している時間はありません」

 

「俺、お前が笑ってんの見たことないから談笑したことないと思うんだ。つまり俺とお前の会話っていつも会議じゃねーかな。どう思う」

 

 無視を選択する事にした。

 バルクの冗談は、部下を惹きつける魅力のひとつだという。レイルもバルクのカリスマ性を否定するつもりはないが、時と場合による。

 今の状況ではバルクと会話する時間は、レイルにとって価値のないものだ。

 無言で分析結果を入力するレイルの背に、大仰なため息がもたらされる。

 

「まぁ、あれだ。早く帰ってやれよ。多分、不安だろうからよ」

 

「当然です」

 

 保存ボタンを押す。最後にもう一度誤字脱字をざっと確認すると、レイルはファイルをデータベースへと移植した。

 これで明日には反映されるだろう。

 端末をシャットダウンし、レイルは立ち上がる。

 疑問符を頭の上に躍らせたような顔をしているバルクに、レイルは淡々と。

 

「お先に失礼します。明日は許可をいただいた通り、フライト前のブリーフィングから出勤しますので」

 

 軽く頭を下げ、呆気にとられたバルクの脇をすり抜ける。

 残業時間は予定通り、一時間。いつもよりは早い帰宅だった。

 

 

 

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