第七話 彼女の選択

 

 部外者対応用応接室の窓を、雨が再び強く叩き始めていた。これは雷が鳴り出すかもしれない。

 思考の隅でよそ事を考えながら、マイヤは再び視線を机上の端末へ向ける。

 何度スクロールしても、あっという間にページは終わりを迎える。最初に戻っても、また数秒後には同じだ。

 それほど何もない。真っ白。

 あまりにも綺麗すぎる経歴しか、そこにはない。

 何ら不思議ではないのだが、マイヤとしては少しだけ腹立たしい。

 無実をねじまげるつもりはもちろんない。だが、潔白で疑惑が払拭は出来るわけではなく。

 

「……いい加減、理由を話してくれませんか」

 

「あの、本当なんです。本当に、探し物をしに行っただけなんです」

 

「だから何度も聞いています。何をどう間違えれば、あんな場所にいくんです。何を探していたんです」

 

「それは……あの」

 

 再び、エコデは目を伏せる。ぎゅっと唇を噛み締めて、再び沈黙へ戻る。

 マイヤは大きくため息をついた。見える様に。実にわざとらしく。エコデは視線をわずかに上げたが、それでも口は閉ざしたまま。

 ずっとこの調子だ。

『あるものを探しに行ったら、あの悪霊の群れがどこからともなく大挙し、やむなく身を隠していた』

 流れとしては、おかしくはない。あの廃病院は、その類のものを寄せ付ける因子を持っていたのだから。

 だが、頑として『あるもの』を語らない。その一点が、エコデの行動の全てに信用をなくしている。

 マイヤとて、エコデを毛嫌いしているわけではなかった。むしろ若干同情できる要素はある。以前といい今回といい、悪霊の類に縁の切れないつくづく不運な少女だと思っていた。たまにそういう存在はいるものだ。

 腕時計を確認する。かれこれ事情聴取を始めて一時間は経過していた。

 

「……あんな場所に一人で行くなんて、どれだけのリスクを払うのか、考えなかったのですか?」

 

「考えました。でも、それでも、私は……見つけたかったんです。探さなきゃ、いけなかったんです」

 

「下手をすれば、命を落とす可能性を許容してでも?」

 

 エコデが顔を上げる。口を引き結び、それでも強い意志を宿した瞳を、マイヤに向けていた。

 

「はい。だってそれが……私のたった一つの、支えだったから」

 

 嘘のない言葉なのだろう。そこに揺らぎは感じない。

 再びため息を吐く。

 

「……まぁ、良いでしょう。どの道、貴方自身では分からないことも多いのは、確かでしょうから」

 

「え……?」

 

「正直、私は貴方があの場所で何を探していたのかにそれほど興味はありません。私は貴方の存在そのものに、疑義があります」

 

 エコデの表情が強張る。マイヤは無表情のままに、モニターの画面をエコデに見える様に調整する。

 画面に視線を向けたエコデが、目を見開いた。

 

「貴方は、サンディ伍長の姉だそうですね」

 

「わた、し」

 

「それが本当であれば、教えていただきたいのです。貴方達姉妹は、一体いつどうして別々に暮らす様になって、そもそも両親はどなたですか?」

 

 モニターに映っているのは、サンディの経歴。エコデ以上に空欄の目立つ経歴表。

 そして何より、サンディには姓すらない。ずっとおかしいとは思っていた。何らかの理由があるのだろうと。そしてきっとそれは、サンディには非のない話なのだろうと。

 もちろん今でもそう思う。だが、もしもエコデがサンディの姉であるならば、ウィスプの姓を持つエコデならサンディの本当の出自へ辿り着けるだろう。

 

「……私が言うのもおかしいでしょうけれど。……でも、家族がいるならば、家族の元へサンディ伍長も、帰るべきです」

 

 まだ十二歳だ。それなのにすでに手を血に染めている。まだ甘えていい年頃だというのに。

 本人は嫌がるかもしれない。だが、マイヤとしてはこんな世界にいつまでも身を浸すサンディは、見ていて辛い。

 だからこそ、マイヤはエコデから情報を引き出す必要性を見出していた。

 

「……本当に、私の妹なら……それは、だめ、です」

 

「何を言ってるんです?」

 

「それに、私も知らない、から。だから、それは無理です」

 

 徐々に声が弱くなるエコデに、マイヤは眉を顰める。

 怯えているように、見えた。

 

「貴方は……」

 

 言いかけた刹那、扉が乱暴に開かれた。ノックもなく、下手をすれば扉を壊しそうな勢いで。

 無表情の中に、鋭い剣幕を宿したレイルがいた。その後ろで真っ青になっているリリバスを心の底で罵る。

 見張りとしてはてんで役に立っていなかった。

 

「……なんだ? 邪魔だ退け」

 

 マイヤを無視し、エコデに歩み寄ろうとしたレイルを、自然に立ち上がって阻む。

 冷たい視線で見下ろされながら、マイヤは毅然とした態度を崩さない。

 

「わざわざご足労いただきまして、ありがとうございます」

 

「お前に用はない」

 

「貴方は、何を隠しているんです?」

 

「隠す?」

 

「そうです。彼女は何者です? 何故経歴がこうも空っぽなのですか? 隠さなければならない何かがあるのではないですか?」

 

「答える義理はない」

 

「まさかとは思いますが、反乱分子を匿っているのだとしたら、貴方も罪に問われるのですよ?」

 

「調べたいなら諜報班でも使って好きにしろ。いずれにせよ、お前に用はない。邪魔だ。エコデ、帰るぞ」

 

 マイヤを徹底的に無視して、レイルはエコデに呼びかける。マイヤとしても、レイルが一度で語る相手ではないと踏んでいる。

 ここは引き下がって次回持越しが正しい選択だ。軽く肩を竦め、道を開ける。

 つかつかとエコデに歩み寄るレイルには迷いはなかった。入り口付近では、リリバスとロヴィがはらはらとした顔で見守っている。

 

「何度も言わせるな。どうしてお前は軍の厄介になるような場所にいた?」

 

「ごめん、なさい」

 

「謝罪など求めていない。理由を聞いてるんだ。一応、こいつらにも分かるように説明しろ」

 

「あーもう兄さん! もうちょっと言い方ってものを考えないと、それじゃエコデも言いにく……」

 

「もう、帰りませんから」

 

 ロヴィが呆れつつ口を挟んだ刹那、エコデはぽつりと口を開いた。

 空気が止まる。

 

「私の罪は、私が償うんです」

 

「罪? 何の話だ。お前が何をしでかしたのか、俺はまだ説明を受けていない」

 

「言いたくありません」

 

「言いたくない?」

 

 どんどん、レイルの語気が強くなる。だが意外にもエコデも、硬い口調ながらも毅然と言い切っていた。

 俯いてはいたが、覚悟を決めたように、一文字にすら力を込めて。

 

「え……エコデ。兄さんは怒ってるわけじゃなくて、ほら、心配してただけで」

 

「……帰りたくないというなら、それでも構わない。お前ももう、子どもじゃないからな。むしろ、そうあるべきだろう」

 

「兄さん!」

 

 ロヴィが鋭く制止する。慌てて駆け寄って二人の間に割って入るロヴィは、必死だった。

 マイヤは何の気なしにリリバスを見やると、表情を引き攣らせて固まっている。この様子では役に立たない。

 呆れつつ視線を戻す。

 

「一つだけ聞く」

 

 エコデが顔を上げ、レイルを見やった。

 

「俺だから、言いたくないのか?」

 

「え……」

 

「俺にはどうしても言いたくないのかと、聞いている」

 

「兄さん少しは落ち着いて……!」

 

「……そうです」

 

 ぎょっとした表情で、ロヴィがエコデを見やる。エコデはじっとレイルを見据えたまま、口を開く。

 

「だから、私の事は……もう、構わないでください。今まで……お世話になりました」

 

 沈黙。予期せぬ展開には違いなかった。

 そして、ぽつりと。

 

「……分かった」

 

 それだけ返し、レイルは踵を返す。振り切るように、逃げる様に。

 

「兄さん待ってください! エコデもッ、ちゃんと、ちゃんと家帰って話そう。だから」

 

「エコデ」

 

入口で足を止めたレイルは背を向けたまま。

 

「明日からしばらく家は空ける。荷物を出すならその間にしろ。鍵は、ポストにでもいれてくれればいい」

 

「あ……レイルさ……わた、私っ」

 

「……窮屈な思いをさせて、悪かった」

 

「兄さん! 待ってください! 兄さんっ!」

 

 そして逃げる様に、部屋から出て行ったレイル。ロヴィはそれを慌てて追いかけて行った。

 途端に静かになった室内。マイヤはそっとエコデを見やる。

 茫然と入口を見つめていたエコデの頬を、一筋涙が伝って落ちた。

 

「……貴方は」

 

「あ……はは、私……最低ですね。ずっとお世話になってきたのに……」

 

 ぎこちなく笑って、エコデは涙を指で拭う。言葉尻が震え、顔を伏せたエコデに、マイヤはそっと歩み寄る。

 年は、一つしか違わない。それでもエコデと自分の間にある大きな差に、マイヤはどことなく寂しさを覚えた。

 

「……貴方はそうまでして、彼を守るのですね」

 

「それは、違います」

 

「違う?」

 

 こくりと一つ頷き、エコデはようやく顔を上げた。寂しげながらも、笑みを浮かべて。

 

「あるべき形になっただけです。ただ、それだけなんです」

 

◇◇◇

 

 追いかけて来る足音を、走ってでも振り切りたかった。

 ロヴィの足音であることは分かっていた。それでも、追いつかれて呼び止められても、レイルには何も返す言葉がない。

 

「あらあら、結局喧嘩別れなのです? おかしいですね。お二人でゆっくりお話を聞ける約束だったのではなかったのです?」

 

 行く手を遮ったのは、赤い髪の女性士官。長い髪をひらりと揺らした陸軍担当司令部軍人の、ラフェル。そして少し後ろで壁にもたれてじっと視線を向けているヴィクターに、レイルは小さく舌打ちをする。

 

「兄さん!」

 

 そうこうしている間に、ロヴィが追いつく。振り返れば、軽く息を切らしながら、不安げな視線を向けるロヴィがいる。

 

「落ち着いて、ちゃんと話をしましょう。ね?」

 

「話すことなどない」

 

「ありますよ! 山ほど! 兄さんは言葉足らずなんです。だから人の何倍も時間をかけなきゃ、伝わらないんです! だから話さなきゃ駄目なんですよ!」

 

「エコデはそれを望んでない」

 

「何でそうなるんですか。エコデ言ってたじゃないですか。兄さんには言えないんだって。それは兄さんが嫌いだからじゃない。兄さんだから言えないんですよ。兄さんに迷惑かけたくないから言わないんですよ。何で、どうして分かってやらないんですか!」

 

「それはお前の希望的観測だ。俺は、そうは思えない。少なくとも、俺みたいな最悪の人間とは一緒にいるべきじゃない。エコデはもっと……ちゃんと、あいつの事を守ってくれる奴と、居るべきだ」

 

 ロヴィは懸命に首を振る。そうじゃないと。そう在れたらいいと、レイルとて思いながら過ごしてきた。

 だが現実、自分では無理だったのだ。ただそれだけの話で。胸の奥が、軋む。

 そして覆らない現実に戻るために、レイルはラフェルとヴィクターへ向き直る。振り返ることを拒否するために。

 

「そう言う事だ。俺の手は離れた。あとは勝手にしろ。陸軍で調べるのか司令部で調べるのかは知らん。ただ」

 

「ただ、何なのです?」

 

 不敵な笑みを浮かべたラフェルを、レイルは強く睨む。貫き通す、思いを胸に。

 

「あいつを苦しめることは、俺が許さない。それが今まであいつの保護者であった俺の役割だ。……事によっては、容赦しない」

 

「あらあら怖い顔です。ええ、心得ましたですよ。元保護者様」

 

 ラフェルを無視し、レイルは背中を向けたままのロヴィへ告げる。

 

「……帰るぞ、ロヴィ。ミッションの準備に不備は許されない」

 

「……はい」

 

 意気消沈した声だった。恐らくは表情も翳って。そして心の中でレイルはため息を吐く。

 何故、自分はこうも他人に対して優しくできないのだろう。

 

◇◇◇

 

 沈黙が重い。何とか話題を頭に浮かべては言葉にしようと視線を向けるのだが、その度に言葉が詰まる。

 暗い表情で黙り込み、生気が半分失われた顔で雨が打ちつける窓の外へ瞳を向けているエコデに、リリバスは何も声をかけられずにいた。

 結局その身柄は陸軍で……主にマイヤとラフェルの元で管理されることになったと聞いたばかりだ。

 しばらく学校は休学。単位的には足りる算段らしく、このままいけば一応は卒業できるらしい。事を大きくしないために、身元引受人はレイルのままだそうだ。そして卒業と同時に成人として認められれば、エコデはそれこそ自立の時を迎えるわけで。

 今のところ、エコデが直接何かしらの罰を受けることはない、とマイヤは言っていた。

 当人には告げられていないが、マイヤの言葉に嘘はないだろうとリリバスは信じている。マイヤは、頭は固いが嘘は言わないタイプだ。

 ただひとまずは、身柄を保護する必要がある。

 罪に問われないとしても、エコデにはまだ何かしらの疑惑は、残っているのだから。

 厄介事に巻き込まれる体質で済めばいいのだが、それにしても違和感は残っている。

 マイヤも呟いていたのをリリバスは聞いていた。二人して同じように感じるのは、流石に気味が悪い。

 はっきりさせる必要は、あった。

 

「……荷物、さ」

 

「……え?」

 

 エコデがようやく視線を向ける。ずっと沈黙で張り詰めていた空気が、少しだけ動く。

 リリバスは自分で呟いた言葉に、軽く驚きつつ。向けられた視線から逃れる様に明後日の方向へ視線の先を移しながら、リリバスは思いつくままに言葉を重ねる。

 

「必要な物あったら、取りに帰らなくて、だいじょぶか? その、あれだ。……しばらくは、帰れないかもしれないし」

 

「私はもう、……帰る場所は、ないですよ。リリバスさん」

 

「ご、ごめんっ」

 

 失言に慌てて謝罪する。エコデは寂しげな微笑みを見せた。

 

「リリバスさんが謝る様な事、何もないですよ。……むしろ、ありがとうございます。心配してくださって」

 

「……でも……」

 

「私、どうなるのか分からないですけど。……ひとつ、リリバスさんにお願いがあります」

 

「お願い?」

 

 首を傾げる。今更自分に何が出来るのかリリバスには皆目見当もつかない。

 レイルの様に強制的にでもここから連れ出すこともできない。マイヤの様に理論武装で守ることも。

 黙りこむリリバスの目の前で、エコデは制服の内ポケットから学生証の入ったパスケースを取り出した。

 そしてパスケースの中から、皺のよった折りたたまれた紙を抜き出す。リリバスは微かに目を見開いた。

 見覚えが、ある。大事そうに折りたたまれた紙を広げ、エコデはぎこちないながらも笑みを浮かべる。

 

「……困ったことがあったら、電話して、いいんですよね?」

 

「エコデ……」

 

 エコデがリリバスに向けたのは、名刺だった。初めて会ったあの時に、リリバスが渡した自分の連絡先。

 まさか大事に持ってくれているとは、予想もしなかった。

 

「どうしても、探したいんです。探して、せめて返したい。この手でちゃんと、返したいんです」

 

「あの場所で、探してたものを、か? それって……」

 

「……レイルさんが私にくれた……お守りです」

 

「お守り、って」

 

 全然守られていない気がしてならない。だが、エコデはそれが必要だったのだろう。

 失くしたとはとても言えなかった可能性はあるとしても。

 些細なものには、違いない。それでもエコデには代えがたいもので。

 ならば、リリバスが取るべき行動は一つしかなかった。

 

「……嫌だって言ったら、エコデはそれでも一人で探しに行くんだろ?」

 

「そうかもしれません」

 

「いや、する。絶対する。そーいう顔してる。……俺からも、一個だけ確認していい?」

 

「はい」

 

 この問いは、禁忌かもしれなかった。

 それでもこれから口にしようとしている問いをうやむやにしたままでは、リリバスは最後まで自分を貫き通せない。

 

「俺で、いいのか? 自分で言うのもあれだけど、あいつに似てるし、悪いけど戦うよりは逃げ隠れしたい派だけど」

 

 くすっとエコデは笑う。ようやく笑う。

 

「リリバスさんだから、相談できるんです。……だから、どうかお願いします」

 

 

 

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