第三話 凱旋

 

 雨が窓を叩いていた。お陰で本日予定されていた戦車の実射訓練はキャンセル。静かな昼下がりに、案の定リリバスは微睡んでいた。

 膝をついて舟をこぎながら夢と現の境目を、行き来する。

 

「……大丈夫なのです? りぃくんより農耕動物のほうが世のために働きますですよ?」

 

「それは否定致しませんが、残念ながら隊長命令ですので」

 

「おい……本人目の前にして、少しは自重しろ……」

 

 棘のある発言に背中が痛み、リリバスはようやく覚醒する。欠伸を殺しながら振り返れば、ラフェルとマイヤがそれぞれの温度でリリバスを眺めていた。品定めでもされているような気分になる。

 

「んで? 今日は何だ?」

 

 マイヤがここに来るのは、任務の時だけだ。その上、実に不機嫌そうな空気が滲んでいる。

 よほど気に食わない任務なのだろう。マイヤにしては珍しいが、以前虫だらけのアジトを押さえた時パニックで魔法をあらぬ方向へ発動させたこともある。虫が苦手というのは意外だったが、とにもかくにも冷静さを失ったマイヤは怖い。

 虫が出るくらいならばいっそ待機要員になっていてくれた方が、リリバスとしても安心だ。

 

「不本意ながら、私とロタ中尉に与えられた潜入ミッションです」

 

「うわっ、それ俺が絶対向いてないやつ」

 

 顔に出やすい自覚はある。周りも、もちろん隊長たるゲンギスも熟知しているはずだ。

 だが、承知の上で与えられる任務なのだろう。マイヤの顔が、そう告げている。

 小さくため息を吐いて、マイヤは辞令書を差し出した。

 

「明後日からになります。準備は怠らないよう、くれぐれもよろしくお願いします」

 

 マイヤの声は、耳をすり抜けて行った。

 書かれた内容は、思いもよらぬ中身だったのだから。

 

『王立学校に潜入し、以下の対象を監視せよ。監視対象エコデ・ウィスプ』

 

◇◇◇

 

 ゆっくりと速度と高度を合わせ、機体が甲板に着陸した。即座に風除けの魔法が展開され、エレベータを使って艦内へ引き込まれるテスト機。

 飛行データの回収と整備に、また慌ただしくなるだろう。

 それでも、ひとまず本日分のテストは終了だった。航空戦艦『アレスタ』のブリッジ内も、ほっとした空気に切り替わる。

 

「よーしよし。ミッション終了だな。基地に戻るか」

 

 右肩を回しながらバルクが口を開く。ミッション中は気を張っていたのだろう。

 普段は軽口ばかりだが、ミッション中は厳しいバルクらしい。傍らで終了報告を基地へ送信していたレイルは、ようやく顔を上げる。

 

「残念ですが、別命が出ました」

 

「冗談はテンションだけにしてくれ、レイル」

 

「ウィールに降りる様にとのことです」

 

 バルクの言葉を受け流し、レイルは命令を伝える。案の定、バルクは眉を顰め、口を引き結んだ。

 ウィールは王都から東へ進んだ先にある港町だ。貿易で栄え、そして主要な軍港の一つでもある。その水平線の先には冷戦状態の島国セヴォルがあり、最重要防衛拠点でもあった。

 バルクはがしがしと頭をかきむしり、大きくため息を一つ。

 

「りょーかい。だけど、滑走路は足りんのか? 水平離着陸も不可能じゃねーけど、ある程度は確保してもらわねーと安全に離着陸出来ねーぞ」

 

「滑走路の耐荷重と、飛行限界速度まで落としたうえでの滑走距離はスペック上問題ありません」

 

「スペック上、なぁ」

 

 歯に物が挟まったような物言いのバルクを横目で一瞥し、レイルは手にした通信端末へ視線を落とす。

 表示された数値データが正確ならば、問題はない。まったくの安全かと問われれば、肯定はしかねるが。

 判断は艦長たるバルクに任せるしかない。レイルは決断のための情報を揃えることが副長としての役割だと、自分を定義している。

 肘置きを使わず、組んだ足の上に肘をついて考え込むバルクは姿勢がすこぶる悪い。

 考え事をするときはいつもこれだ。鋭く目を細めて口を引き結んでいると、それだけ威圧感がある。

 

「……用件はなんだって?」

 

「移送任務だそうです」

 

「移送?」

 

 体を起こし、バルクがレイルを見やった。端末モニターを切り、レイルはバルクに視線を合わせる。

 

「海洋戦艦グレーエが帰還したそうです。司令部が秘文書を早急に受け取りたいのではないかと」

 

「アレスタはタクシーじゃねーっての。ったく……仕方ねーな。乗員名簿は先に提出しといてもらえよ。あと、整備準備もな。早く戻らせたいなら相応の準備はしとけってんだ。重々伝えとけ、レイル。おっと、レディをエスコートするがごとく、丁寧にな」

 

「……は?」

 

 思わず眉間に皺を刻む。それはつまりどういう文面で送れという話か、レイルには理解できない。

 バルクはにやりと笑って、立ち上がる。

 

「司令部上手くおだてとけって話だ! 頭に柔軟剤使った方がいいぞ、レイル」

 

「用途外使用は、賛同しかねます」

 

「……勘弁しろ。お前面白すぎる。……とにかく、あとは任せたからな」

 

 頷いて、レイルはひらりと手を振りながら出ていくバルクを見送った。

 扉の向こうにバルクが消えた後、ぽつりと。

 

「何が面白いのかさっぱり分からん」

 

 呟いて、レイルは着陸経路をブリッジ内へ伝達した。

 

◇◇◇

 

 白い波が、青い海に躍動していた。きいきいと海カモメが甲高い鳴き声を上げて、空を悠然と泳ぐ。

 潮風がバルクの長髪を揺らし、特有の風の匂いに、レイルは眉を顰めていた。

 防波堤に打ち付ける波しぶきを頬に微かに感じながら、白い艦体を見上げる。太陽の光を反射したその白は、網膜を焼きそうなほどに強く。

 そしてようやくタラップを降りて来る姿を視認する。

 

「おっ。来た来た。ったく、おっせー登場だな」

 

「最終離陸可能時間まで、あと二時間です。そろそろ離陸準備を開始させておいてもいい頃合いかと」

 

「おいおい、司令部の命令そんな急げなんて書いてないだろ。ゆっくりしてこーぜ。折角の港町だぞ。特にここの海産物は旨いんだ。食って帰るのが流儀だろ」

 

「秘文書の移送任務を先延ばしにする理由にはなりません」

 

 ふむ、と顎に手を当て、バルクは空を思案げに見上げた。ふとその顔に、にやりと大きな笑みが広がる。

 嫌な予感が、レイルの眉間に皺を呼び込む。

 

「あっちにも命令は行ってるんだ。要相談だな! 長い船旅の上、更に空の旅の連続はきついだろ」

 

「何を悠長なことを……」

 

「おいおい、体力の回復も軍人にとっちゃー大事な仕事だぞ。つーか、そうだな」

 

 ぽん、とバルクが軽くレイルの肩を叩く。至極楽しそうな笑顔で。

 

「たったこんだけで焦るとは、案外お前はちっせーぞ」

 

「……平均身長は越えて」

 

「おいっ! お前とことん俺を笑わせるつもりかっ」

 

「うわー、艦長さん自らが迎えに来てくれるっていうから、渋いおじさまか超イケてる若いのが来てくれてるんだと思ってたけど、微妙ぉ」

 

 無礼極まりない声に、揃って視線を向ける。

 白が、太陽に眩しく輝く制服が目に飛びこむ。鮮やかな深紅が華やかに彩った海軍の制服を身に纏った新緑の色をしたポニーテルを揺らす少女の頭には、黒い猫のような耳が生えていた。よく見れば、腰の後ろから黒い尻尾も覗いている。

 勝気そうなツリ目の少女は、至極残念そうにレイルとバルクを交互に見やる。

 

「はぁぁ。せめてこっちの眼鏡が艦長ならまだ少しは頷けなくもないんだけどなぁ」

 

「おいクソガキ。どういう意味だ」

 

「え? 暑苦しい三十代だなーって話だよ」

 

「俺はまだ二十八だッ!!」

 

「チハヤ、世話になる相手に無礼をするんじゃない」

 

 バルクが怒鳴った瞬間、諫める声が響いた。

即座に少女が振り返る。ぴんと耳を立て、足取り軽くターンすると、遅れてやってきていた青年へと駆け寄った。

 勢いのままに銀髪の青年の腕に飛びついて、再び踵でターン。満面の笑みで右腕に絡みついた猫耳の少女は、バルクやレイルに向けていた表情とは正反対の明るさを映している。

 バルクは感情を吐き出す様にひとつ大きく息を吐き出し、それからふっと笑みを浮かべた。

 

「よう、久々だな。相変わらずバリバリ働いてんな、ノーゼン」

 

「お前も変わらないな。……世話になる」

 

「おうよ」

 

「お知り合いですか、オーロット少佐」

 

 ただの顔見知り、というほど遠くない。むしろ良く知った存在のようだった。

 バルクは苦笑しながら頷く。

 

「士官学校の同期だよ。こいつ主席で俺は……まぁ真ん中くらいだったけど、同室だったんだなこれが」

 

「昔の話だ。ところで、貴官はオーロット少佐の部下か?」

 

 レイルはハッとする。海軍の階級は読みづらいと有名だが、それでも帽子のモールで少なからず中佐であることが分かる。

 つまりは、上の階級だ。自分の思わぬ失態に心の中で舌打ちをしつつ、レイルはすかさず敬礼する。

 

「申し訳ありません。大変申し遅れましたが、航空戦艦アレスタ副長のレイル・ラプェレ中尉です。今回の移送任務、承っております」

 

「よろしく頼む。私はグレーエ艦長ノーゼン・アイノ中佐だ。先ほどの無礼は許せ」

 

「ええっ、何でノーゼンが謝るのっ」

 

「チハヤが謝罪しないからだよ」

 

 ノーゼンを挟んでチハヤと反対側に立つ少年が呆れた様子で口を開いた。目までを覆う長い前髪で、いまいち表情は読み取れない。

 背も年も、チハヤと大差がないが、醸す空気感は正反対だった。

 

「うん? コーダ、コール少尉はどうした?」

 

「ダンダリアンは、帽子忘れたのと、あと肝心の文書忘れたって慌てて戻ったよ。今頃転んでると思うな」

 

「……あいつは、困ったものだな……」

 

 はぁ、と大きくため息を吐いたノーゼン。どうやらいつも通りのようだが。バルクは苦笑していたが、レイルとしては同情する。

 同じ副官のような立場だとすれば、嘆かわしいとさえ思うわけで。

 

「あああ、艦長すみません! 遅れましたああ」

 

 ばたばたと駆けて来る姿に揃って視線を向ける。眩しい白の制服に身を包み、走る勢いで吹き飛ばないようにか、帽子を左手で抑え、右腕でアタッシュケースを胸に抱きしめている。何故か帽子の向きが四十五度ほど、ずれていたが。

 ようやく追いつくと、深呼吸をしながら汗を拭う黒髪の青年。

 

「コール少尉、君はもう少し落ち着きというものをだな……」

 

「すみませ……ああっ!」

 

 声を上げた青年に、ノーゼンと同じくレイルが眉を顰める。確かに落ち着きがないと、思いつつ。

 青年は眉尻を下げ申し訳なさそうに、ノーゼンを見やる。

 

「すみませんアイノ艦長……。……アレスタへの乗船許可と移送命令、艦内に忘れてきました……」

 

「……はぁ。もういい。アレスタ側にも命令も氏名も流れているはずだ。……問題はあるか、オーロット少佐」

 

「ねーよ。お前の部下も面白いな。ウチとは違った意味で」

 

 ちらりと視線を寄越したバルクを、レイルは軽く睨み返す。面白いとは、あまり言われたくない。真面目に仕事に打ち込んでいるつもりなのだから。

 ノーゼンは小さく笑み、再度向き直った。

 

「まぁいい。各々、自己紹介をしておけ。世話になるのだから」

 

「はーいっ。じゃ、あたしから! あたしはチハヤ・アイノ。かいきゅーは少尉ね」

 

「僕は、コーダ・アイノです。同じく少尉」

 

「ああっ、えっと、俺はダンダリアン・コール少尉ですっ」

 

 慌てて右手で敬礼をしたダンダリアンは案の定アタッシュケースを落とし、チハヤに笑われ、コーダに呆れられていた。

 ノーゼンが渋い表情を浮かべ、ため息を一つ。ダンダリアンは顔を真っ赤にして、そそくさとケースを拾う。どうやら随分と天然気質が強いようだった。レイルの苦手なタイプには間違いない。

 バルクは実に、楽しそうだが。

 

「すまないな、オーロット少佐。人数が少し多いが、よろしく頼む」

 

「おうよ、任せとけって。な、レイル」

 

「任務は完遂します」

 

 多少、頭の痛い人員だとしてもだ。

 

◇◇◇

 

 降り出した雨で、傘のない人々は小走りで街を駆け抜けていた。

 数日前に放り込んだままだった折り畳み傘のお陰で、辛うじて雨から逃れていたエコデは、ようやく自宅マンションへとたどり着く。

 オートロックの扉を抜けて、エレベータのボタンを押すと、降りて来る低い音が聞こえてきた。

 閉じた傘の先端から、ぽたりぽたりと、静かに雫が滴っていく。

 制服の袖が雨に濡れて、しっとりと重たくなっていた。

 小さく息を吐きながら、エコデは鞄から携帯電話を取り出した。

 まだ一般的ではなく、それどころかほとんどの場合、軍関係者しか持っていない通信端末だ。エコデもレイルから連絡用にと渡されているだけで、特に学校の級友のアドレスなど入ってはいない。

 画面を確認すれば、一件の着信とメールが一通。

 ロヴィかレイルだろう。期待が過ぎらないわけではないにしても。

 ぽーん、と気の抜けるような音と共に、エレベータの扉が開く。降りる人もなく、扉が閉まれば自分だけの空間になってしまう。

 にわかに、緊張が全身を包んだ。苦手な、空間だった。

 

「……」

 

 ぎゅっと携帯を胸に抱くようにして、エコデは口を引き結ぶ。上に向かうエレベータのガラスに反射した自分の顔が、強張っていた。

 不意に、握っていた手に、振動が伝わる。

 慌てて画面を確認すれば、そこには良く知った名前が表示され、着信を知らせていた。

 

「は、はいっ」

 

『もう家か?』

 

 レイルの声が、耳に滑り込んだ。名前も名乗らず、いきなり切り出すのはいつものレイルらしい。

 

「えと、あの、エレベータの中です」

 

 怪訝そうな気配が、マイク越しに伝わった。どきどきと、心臓が騒ぎ出す。

 

『メールは確認したか?』

 

「え、あ……ごめんなさい……、まだ、です」

 

『お前は……、……まぁいい。見ればわかる。そう言う事だ』

 

 どういう意味か分からない。混乱が膨れるエコデの前で、目的の階に辿り着いたエレベータの扉が開いた。

 止まっているわけにもいかず、歩き出しながら、エコデは必死に言葉を探す。

 

「あの、レイルさん」

 

『何だ?』

 

「その……、……話が、あるんです、けど」

 

『それは急ぐ話か?』

 

 ぎゅっと言葉に詰まる。急ぐ話と言えば、急ぐ話で。だが、それはエコデにとって重要だからだ。

 レイルが同じように重要だと思っているかは分からない。それどころか、話すことが時間の無駄かもしれない。

 今ですら、仕事の最中だろう。そんな中で送ってきたメール。いつもメールを確認したら何かしら返信するように言われているのだ。裏を返せば、回答しなければならない事だからこそ、連絡をしてくるに過ぎない。

 これは、そのためのツールでしかないのだ。

 胸に、刺さる。

 

「それほどでも、ないです」

 

『なら、後にしてくれ。急ぎの用件ならロヴィに相談してもいいだろう』

 

「……ごめんなさい」

 

『何故謝る? 何かあるならちゃんと言え。それが俺の、保護者としての役割だ』

 

「……いえ、大丈夫、です」

 

『ならいい。それと……メールはちゃんと確認しておいてもらわないと、その端末を渡している意味がない』

 

「はい……」

 

 思わず謝罪しそうになったのを寸でのところで飲み込み、エコデは返事を返した。

 ぷつりと、通話が切れる。機械音だけが、鼓膜を揺らす。

 のろのろと画面を確認して、メール画面を開いた。

 

――今日は帰れない予定になった。不都合があれば連絡を。

 

「あっても、できるわけ、ないじゃないですか……」

 

 ふっと、肩の力が抜ける。脱力する。小さく笑みが浮かんだ。

 

「……私には……そんな資格、ないですよ……レイルさん」

 

 

 

 

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