第六話 因子の可能性

 

 無秩序に攻撃を仕掛ける悪霊一団に、リリバスはサンディと共にギルの援護射撃を受けつつ、一体ずつ確実に仕留めていた。

 どこから沸いて来るのか不思議なほどに、倒せば次が姿を現す。

 それでも随分と数は減っていた。もちろんこちらの残弾も残りわずかではあるのだが。

 

「まったくもう。何て数なのかしらね。鬱陶しいったらないわ」

 

「サンディ、俺そろそろ本気で残弾が」

 

「あら、リリバスは退魔陣使えるでしょ。殴って直接破壊すればいいじゃない」

 

 にこりと笑顔を見せたサンディに、口角が引き攣る。

 確かに武器のないリリバスが確実に仕留めるには自らの拳に退魔陣をまとわせるしかないだろう。零距離にまで近づくことを推すサンディの笑顔が怖い。そろそろと視線をそらしつつ、残りを数える。

 ぐるりと囲われた状態だった。全て最早輪郭を保つことさえできなくなった怨念の塊。その数は六。

 リリバスの残弾は、二発。サンディは鼻歌を歌いながらマガジンを入れ替えていた。

 

「サボろうとか考えてたら見捨てるわよ、リリバス」

 

「ししししてないぞ?!」

 

「あら良かった。ならさっさと終わらせるわよ」

 

「ちょっと待った」

 

 不意にギルが床を踏み切ろうとしたサンディを制止する。

 怪訝そうにギルを見上げたサンディに目も向けず、ギルは周囲の悪意を見回していた。

 

「これは……」

 

 刹那、音もなく怨念の塊は空気へ溶ける様に消えて行った。

 暗く張り詰めていた空気が、幾分和らぎ、割れた窓ガラスの向こうで降りしきる雨音だけが残される。

 身を硬くしていたリリバスを他所に、ギルとサンディはそれぞれ周囲を確認し武器を下げた。

 

「消えたわね」

 

「いやー、危なかったですねー」

 

 けろりと笑いながら、ギルは足を踏み出す。予想外の動きにリリバスが硬直していると、サンディが軽く背を叩いた。

 

「武器、しまっておきなさい。危ないわよ」

 

「あ、あぁ」

 

 我に返り、慌てて拳銃をホルスターへ戻す。手から離れた重量にほっとしつつ顔を上げて、ナースステーションのカウンターへ向かっているギルの背を見やった。

 カウンターに身を乗り出し、その下をのぞき込むギルに、リリバスは小首を傾げた。

 

「ギル、何し……」

 

「もう大丈夫ですから、出てきていいですよ。というか出てきてもらえますかね」

 

 予想外の発言だった。その意味を問い質す前に、リリバスは目を見開く。

 

「怪我はないですか?」

 

「は、い」

 

「では、なぜここに居たのか説明してもらってもいいですかね?」

 

 暗い表情で頷いたのは、ここにいるなど考えもしなかった制服を纏ったエコデだった。

 唖然となって動けなくなったリリバスの傍らで、サンディが小さくため息を吐く。

 

「……てっきり、普通に生活をしてるみたいだったから制御できてるのかと思ってたけど、そうじゃなかったのね」

 

「サンディ?」

 

 かつん、と軍靴を鳴らしサンディはまっすぐにエコデへ歩み寄る。カウンターを隔てて向かい合ったサンディの背からは、何も読み取れない。

 緊張と不安を浮かべたエコデに、サンディは。

 

「久しぶりね、エコデ姉さん」

 

「え……?」

 

「まぁ、貴方が覚えてなくても無理はないと思うわ。だって、姉さんは七歳でいなくなって、私は当時二歳だもの。会ったこともなかった」

 

「あ……」

 

 青ざめたエコデ。サンディの発言に、リリバスも頭痛がしてきた。

 心臓が煩く聞こえる。覚えのない汗が、頬を伝う。

 

「まぁ、ここで話しても仕方ないし。戻りながら話しましょう。どっちにしろ、道を探す所からなんだから」

 

 誰も反論はしなかった。否、正しくはサンディ以外の誰もが、衝撃から回復できていなかった。

 

◇◇◇

 

 雨は一層強さを増していた。

 窓にかじりついて外を眺めるチハヤとコーダの背中を横目で見つつ、レイルは視線を正面へ戻す。

 

「あっ、間違って添付ファイルなしで送信した! あー、送り直しだ……」

 

「さっきも聞いたぞ」

 

「大丈夫です! 先ほどとは別の送付先ですから!」

 

 笑顔で返したダンダリアンに、レイルは大きくため息をついた。

 せっせとノート型端末でメールを送っているダンダリアンだが、まともにメールを送信できているのか実に怪しい。下手をすれば相手先を間違えている可能性もある。ダンダリアンでは否定できないのが、より一層頭が痛い。

 それでレイルが直接的な被害があるわけではないのだが、回り回って面倒な展開になることは避けたかった。

 とはいえ、手を貸すつもりは毛頭ないのだが。

 

「ラプェレ中尉は、会議には参加しなくて良かったんですか?」

 

 不意に声をかけたダンダリアンをレイルは冷たく一瞥する。

 ダンダリアンはメールの再送をしているのか、視線は端末に向けられていた。

 

「どういう意味だ」

 

 軽く苛立ちを覚えつつ意図を問うと、たん、とキーを小気味よく押したダンダリアンが視線を上げる。

 

「明日以降の作戦における最終確認をしているはずですから。ラプェレ中尉って、自分で見聞きしたこと以外はあまり信じないタイプかなと」

 

 思わず目を細める。元々目つきが良い方ではないレイルだ。最早凶悪にしか見えないのだろう。ダンダリアンが表情を引き攣らせて背筋を伸ばしていた。

 しまった、という所ではあるのだろう。つくづく口の滑る男だった。

 

「……すみま、せん」

 

「謝る事ないんじゃないのー? 大体この人、睨んでくるの図星の時だよ」

 

「ちっ、チハヤ!」

 

 ダンダリアンの右肩に肘をついてにやにやと笑みを向けるチハヤ。子どもらしさは抜けていないが、癪に障る物言いだった。

 年下相手に苛立ちを覚える自らに情けなさを覚えつつ、レイルは毅然と返す。

 

「オーロット少佐の決定に俺は従うだけだ」

 

「間違うかもよ?」

 

「艦長は自由人だが、命令は的確だ。俺は、少佐の下で動けることを光栄に思っている」

 

 嘘はなかった。本人の前では言えないが、レイルはバルクを艦長として、そして一軍人として尊敬している。そうありたいと思えるほどに。

 故に、バルクの下す選択をレイルは信じている。余程の事がなければそこに余計な口を挟むつもりはない。

 

「なるほどねー。……うん!」

 

 不意にチハヤはダンダリアンを押す様にして身を乗り出した。そして右手を差し出す。

 意図が組めず眉をひそめたレイルに、チハヤは快活な笑顔を向ける。

 

「仲間の証だよ!」

 

「仲間?」

 

「そ。あたしはノーゼンを守るためにいるの。ノーゼンの事を悪く言う奴は絶対許さない。レイルも同じでしょ」

 

「一緒にするな。俺はそんな個人的感情でどうこう言ってるわけじゃない」

 

「まったまたー! 分かってるよ。レイルは隠すの下手くそなんだからさ。バルクの事ぼっこぼこに言ったら怒るっしょ? だから」

 

 す、とチハヤが目を細める。無邪気な笑顔に、攻撃的な光が過ぎる。

 

「お互い守りたいものを守ろうとしてる者同士、仲良くしようってことだよ。あんたが困ってたら、あたしが助けてあげる。代わりに、あんたもあたしたちを助けなさいよっていう、そういう話」

 

 レイルには理解できない理論展開だった。頼まれずとも、同じ軍人という立場上、助力を惜しむつもりはない。戦力を捨てるつもりは当然ないのだから。だが、チハヤの提案は違う。完全に個人的な話だ。

 沈黙のまま睨み返していたレイルの視界に、ふとコーダが映った。

 窓の傍に立ったままだが、薄い笑みを口元に浮かべたコーダ。前髪で目が隠れているせいか、その笑みの真意が窺えない。

 そしてどこか、うすら寒さを覚える。

 

「はい握手ー!」

 

「な」

 

 ぎゅっと一回りほど小さな手が、レイルの手を掴んだ。いつの間にか傍に回り込んでいたチハヤが笑顔で握った手をぶんぶんと上下に振る。

 一方的な握手。呆気にとられるレイルに、チハヤが嬉しそうな笑顔を向けた。

 

「一人じゃ限界があるんだよ、レイル。だからあたし、仲間随時募集中なんだなこれが」

 

「子どもの仲良しごっこじゃない」

 

「もちろんだよ。だからこそ、だよレイル。……レイルは」

 

 すっとチハヤが顔を近づける。無邪気な笑顔が、不敵な嗤いに、シフトする。

 

「知っているつもりで、知らないことが多すぎるんじゃない?」

 

◇◇◇

 

 雨が壁を打つ音が未だ大きく響いていた。

 無言のまま靴音だけが不協和音を響かせる廃墟の中。時折足を止めて方向を確認しあうギルとサンディの背を見つめつつ、ぐるぐると思考を巡らせていた。

 

――主に、今隣で伏し目がちに歩くエコデについて。

 

 ちらりとエコデを見やれば、肩にかけた鞄の持ち手を両手で強く握り締め、その手は微かに震えていた。

 顔色も見るからに悪い。不安で潰れてしまいそうな顔をしていた。

 それが酷く、苦しい。

 

「……エコデ」

 

「っ!」

 

 努めてそっと声をかけたつもりだったのだが、エコデはびくりと肩を震わせた。

 恐る恐る視線をリリバスに合わせ、緊張感の拭えない瞳をじっと向けて来る。あるいは自分の向こう側にそっくりなレイルを重ねているのかもしれない。そこに、恐怖を覚えている可能性は捨てきれない。

 凍り付きそうな空気を払拭するべく、リリバスはぎこないながらも笑顔を作った。

 

「俺はさ、ちゃんと味方してやるから」

 

「え……」

 

「だから、何でここにいたのか、話してくれないか? 黙って責められるの、嫌だろ」

 

「リリバスさん……」

 

「ほら、俺一応、エコデの通ってる学校の、せんせーの一人だしさ」

 

 偽りの立場であることは言うまでもなかった。それでも、この一点でしか寄り添う事は許されないだろう。

 本来ならばリリバスは軍人で、危険極まりないこの場所に居た意味を問い質すべき立場にある。そして何より、教師の一人という立場すら偽りだ。

 学院に居た目的も、エコデを『見張って居ろ』という一点だったのだから。あるいは、こうなる可能性を司令部は最初から分かっていたのかもしれない。酷く、気分は悪い。

 エコデはじっと口を閉ざしたまま。淡い緑の瞳に流石に恥ずかしさを覚え、リリバスはそれとなく視線を前に戻した。

 再び、重く湿った沈黙が舞い戻る。

 

「……リリバスさんは、優しいですね」

 

「んあっ?! そそ、そんな事ないぞ?!」

 

 思いもよらぬ言葉に声が裏返る。

 見れば意外にも、エコデは小さな笑みを浮かべていた。

 

「……みんな、優しいんです。優しさに私はずっと、甘えてきて……何一つ、返すことも出来てないのに」

 

「エコデ……?」

 

「あの子……何て名前、なんですか?」

 

 エコデが示したのは、サンディだった。エコデよりも年下の、しかし毅然と軍人として仕事をこなす異端の少女。

 そして、エコデを姉と呼んだ存在。気にならないはずもなかった。

 それでも少しだけ和らいだ空気にほっとする。

 

「サンディ。偉そうだけど、まあ……俺よりはしっかりしてるし、頼りになる同僚、かな」

 

「私、全然覚えてないです。……でも、本当に妹なら……嬉しいな」

 

「そうなのか?」

 

「はい。私、ずっとロヴィが羨ましかったから。頼りになるお兄さんが居て、いいなって」

 

「いやいや怖すぎるだろ。あいつ目で人殺せそうだぞ。つーか俺殺されかけたぞ」

 

 頭蓋骨を粉砕されるんじゃないかという恐怖は今でもどこかにこびりついている。たった一回だ。

 だが強烈な一回で、リリバスにとっては忘れられない。身震いをしたリリバスとは裏腹に、エコデはくすっと笑みをこぼす。

 

「そんなことありませんよ。レイルさんは、優しいんです。私なんかを、ずっと育ててくれた……優しい人なんです」

 

 寂しげな影を過ぎらせ、エコデは口を閉ざした。

 それは先ほどまでの暗さとは別の、もっと複雑な感情を練り込んだ沈黙で。

 リリバスとしては、どこかもどかしい。

 

「サンディちゃんは、そういう人がいたから、ここにいるんでしょうか」

 

「……どーなんだろ。俺が入った時には、あいつもう居たし……そうなのかもな」

 

「色々、お話したいです。……許されれば、ですけど」

 

「あいつが一番話したいんじゃないか? じゃなきゃ、自分から言い出さないだろ」

 

 サンディ以外は誰も知らなかったのだから。わざわざ自分で言いだしたという事は、共有したい情報だったのだろう。

 何か別の意図があれば別だが、今のところ何一つ利益にはなっていない。

 それどころか困惑の種を植え付けてしまったのだから。

 エコデは変わらず晴れない表情を浮かべていたが、それでも視線は前を向いている。何がしかの思いを胸に。

 

「あらあら。帰りが遅いと思ったら。拾って帰るのは犬猫だけにしてほしいものなのです、りぃくん」

 

 ぞくりと背筋が凍った。聞きなれた声だった。普段の声音と何ら変わりないものだった。

 だがその声を今この場で聞いたことを、リリバスの本能が恐怖と感じたのだ。

 かつん、と踏み出した靴音。正面から歩いて来る姿を避ける様に道を開けたギルとサンディ。黒い制服の裾を揺らし、赤いロングヘア―を靡かせて笑顔で歩み寄ってくるラフェルに、リリバスは息を呑む。

 いつもならばありもしない緊張感が、走る。

 

「流石に、年頃の女の子を拾うのはいかがなものかと思うですよ?」

 

「保護したんだよ」

 

「りぃくんの場合は、どうもそう見えないのですよ」

 

 くすっと金色の瞳を細め、ラフェルが笑う。それだけで、周囲が翳ったようにも感じた。

 ふと、ラフェルは視線をスライドさせる。つられて、リリバスも見やる。

 全身に緊張を走らせているエコデを。

 

「お話は、落ち着いた場所で聞こうと思うのです。お時間は?」

 

「大丈夫、です」

 

「連絡は、しておきますです?」

 

 さっとエコデが青ざめた。レイルに連絡が行くことを恐れたのだろう。

 咄嗟に、リリバスはエコデを庇うようにラフェルとの間に割って入る。完全に体が勝手に動いたようなものだが。

 

「あらどうしたのです、りぃくん」

 

「あいつに連絡するんだろ。待ってやれよ」

 

「気持ちは分からなくもないのですよ? でも、遅くなる連絡くらいはしないと」

 

「俺らの事情でエコデが怒られるのは可哀想だろ」

 

「……りぃくんのくせに、言うようになったのです。良いでしょう。じゃ、りぃくんがきちんと応対してくださいです。責任は、取りませんですよ?」

 

 黙ってリリバスは頷いて見せた。今ここはエコデにとって、敵しかいないのだから。

 せめて自分だけは味方でいてやりたい。くるりと背を向けて歩き出したラフェルを半ば睨むように見つめていると、不意に。

 

「でも、それがりぃくんです。どうなろうとも、りぃくんはエコちゃんを守ってあげなければ、りぃくんではないのです」

 

「は……?」

 

 ラフェルの言葉を、リリバスは理解できなかった。唖然となったリリバスに、ラフェルは不敵な笑みを浮かべた横顔を見せる。

 

「さぁ、戻りますよ。……エコちゃんには、たくさんお話を伺いたいことが、ありますです」

 

◇◇◇

 

「何というか、どんどん悪い方向へ進んでるとしか思えないんですけど……兄さんはどう考えてるんですか?」

 

「どうもこうもない。悪いなら悪いなりに、好転させるように態勢を整え、迎え撃つほかない」

 

「……兄さんは相変わらずですね」

 

 何とも言い難い苦笑を向けたロヴィに、レイルはじっと黙り込む。

 アレスタのブリッジには今二人しかいない。いつもならレーダー管制官や操舵手がいるせいか、広くやけに静かに感じる。

 テストフライトのミッションを終えて戻ってきたロヴィとは実に数日振り……いや一週間以上会っていなかった。

 

「エコデとは、喧嘩してないですか? 兄さん」

 

「当たり前だ。そもそも、あいつと喧嘩などしたことがない」

 

「あー、言葉が悪かったですね。エコデを困らせませんでした? 兄さん」

 

 口を噤む。即座に肯定できるかと言えばそんなわけもなく。

 ひとしきりロヴィの不在間の出来事を思い返す。

 

「……どうだろうな。……俺は、エコデが困った顔してるのしか、見たことがない」

 

「そうですか」

 

「そもそもあまり目を合わせてくれなくなった気がする。……嫌われてるんだろう。仕方ない事だが」

 

「兄さん……ほんと、そっちも相変わらずですね」

 

「悪いな。心配ばかりかけさせて」

 

「そうじゃないです……はぁぁ……どうしよ。ホントに何か決定的な事がないと駄目なんだろうなぁ……」

 

 ため息と共に零したロヴィの言葉は、レイルには理解できなかった。

 何の話か皆目見当もつかない。そしてそれを問い質すほど、興味もなく。

 不意に。

 

「おー、揃ってんな。つーかこれしかいないのに揃ってなかったらこれまた笑いってな!」

 

 豪快な笑いと共にやってきたのは、バルクだった。ようやく呼び出した本人が現れたわけである。

 そして、バルクとともにやってきた存在に、レイルは軽く目を見張る。

 

「ヴィクター?」

 

「久しぶりだな、レイル。……活躍は聞いている」

 

 低い声に、それでも幾分の友好的な空気が混じる。深い緑の髪は、左目を覆い隠すように長い。統合司令部特有の黒い制服に、青い腕章は主担当が空軍であることを示していた。レイル並みに感情の窺えない表情をした長身の青年は、レイルも良く知るヴィクター・アークだった。

 

「お知り合いですか、兄さん」

 

「士官学校の同期で、ヴィクターは主席卒業している。上から声が掛かって、最初から二階級上だ」

 

「人を持ち上げるのは勝手だが、お前も大差なかっただろう。それに、声が掛かっていたのはお前も同じで、断っただけだったと思うが……記憶違いか?」

 

「……否定はしない」

 

 居心地の悪さを覚えつつ、レイルは引き下がる。薄く口元に笑みを浮かべ、ヴィクターもそれ以上の追い打ちはかけてこなかった。

 その引き際の良さも才能の一つだ。レイルが少しだけ不得手な部類の会話術。

 

「……って待てよ。じゃあ俺今頃レイルをこき使うどころか、こき使われてもおかしくなかったってか? うげぇ……」

 

「でも色んな意味で、流石は兄さん、って感じです」

 

 バルクとロヴィのそれぞれの言葉を聞き流し、レイルは軽く咳払い。これでは肝心の話が進まない。

 

「艦長、さっさと会議の内容と今後の行動について話してください。時間は一秒でも惜しいんでしょう」

 

「おう。まぁ、この豪雨が収まらない事にはどうにもならんだろうし、大掛かりな作戦はまだ少し先だが調査は開始するからな」

 

「調査ですか」

 

 ロヴィが小首を傾げる。バルクは頷いて、自らの席へ腰を下ろすと、正面のモニターへ持参したデータを映し出す。

 表示されたのは、写真が四枚。どれも高解像度解析を実行した後か、それでも若干画像が荒い。

 どれも海上の写真のようだった。白い波が見える。

 

「何です、これ」

 

「画像が悪いのと、色が識別しづらいんだが……そうだな、これだ」

 

 画像がさらに拡大される。曇天の空の一部が大きく映し出され、画面の中に見慣れないものを見つける。

 蝙蝠のような翼を持つ、獅子。黒い翼を広げた金色の体躯が空を舞っていた。

 しかしそんな生物は、公式には未だ確認されていない。

 

「……これ」

 

「グレーエの艦隊は、何度かこういう所謂未確認生物による襲撃を受けていたそうだ。外洋哨戒の最中に。幸いと毎度数は数体と少なかったから撃退、もしくは振り切ってたらしい。で、問題はこれが『ただの今まで知られてなかった生物なのか』ってわけだ」

 

 ぞくりと背筋が凍る。バルクの言おうとしていることが、レイルの本能に冷たい恐怖を忍び込ませる。

 四枚の写真を順に切り替え、その度に映る異形の姿にロヴィは息を呑んでいた。

 そして最初の一枚に戻り、バルクは映像を切る。

 

「……んで統合司令部の判断は、これは意図的に生み出された生物ってわけだ」

 

「えっ……」

 

 小さく声を上げ、ロヴィは沈黙を守ったままのヴィクターを見やる。

 腕を組んで目を閉じていたヴィクターが瞼を上げる。黄金色の瞳が、世界を捉える。

 

「それ以外に説明がつかない。過去から存在したとして、何故今になって牙をむく? そして、こいつらが狙っているのは何故か『軍用設備』もしくは軍の装備品だけだ」

 

「それって……それじゃもしかして、セヴォルが作り出した可能性が?」

 

「否定はできないな」

 

 未だ冷戦状態にある隣国セヴォル。大掛かりな戦闘がないだけで、互いに牽制しあっている現状は変わっていない。

 それどころか、互いに危うい一線を越えるかどうかの状態まで最近は来ている。それもこれも、国内で小さな内乱が起こり始めているせいだ。

 王都では見えない、それでも確実に格差社会の広がっているこの国の中の火種さえ消せていないのだから。

 頭が痛い。そして何より、不安定でしかない。

 

「とはいえ、第三国が関与しているとも限らない。近いのは確かだが他にも可能性のある国がないわけではない。事実、つい先日大陸西部ではまた大きな戦争が始まっている」

 

「また、ですか……」

 

 落胆するロヴィに、ヴィクターは軽く肩を竦める。

 

「仕方あるまい。理由はどこも同じだ。資源の限界。どの国も、一国で全てを賄えるわけではない。我が国が魔法に支えられている一方で、セヴォルと比較して科学技術に後れをとっているのと同じだ」

 

「……そうだな」

 

「陛下は、この態勢をどうにかする算段をお持ちなんでしょうか」

 

「分からん。現状は逐次報告しているはずだ。特に今回の件は、下手をすれば大きな危険を招くだろう。……全く、国内の事に気を取られている場合ではないというのに。陸軍も何をしているのか」

 

「そーいや、折角新設したなんだっけ。特殊小隊? うまく活用できてねーのか?」

 

 バルクの問いに、ヴィクターは苦い顔で首を横に振る。

 

「成績はそれなりに上がってきている。ただ、数ばかり増えるだけで、根本的解決になっていないのだろう」

 

「そりゃあ悪霊の類は常にわんさといるからな。しょーがねーんじゃねーのか?」

 

「……それだけなら、いいのだがな。……すまない。話がそれてしまった」

 

「気にすんな。ま、そーいうことで俺達もちょっと上空から囮も兼ねた捜索任務に出ることになる。天候によるが、早ければ週末から開始だ。二日飛んで、戻って一日メンテナンス。それを一ソーティとして四ソーティ。以降は未定だけどな」

 

「……分かりました」

 

「僕も今実施中のテストフライトミッションは中断で、って話ですね?」

 

「そうだ。代わりに一機こぎつけて来たぞ。新古戦闘機だが現役バリバリのベティオ!搭載空対空ミサイルはなんと先週仕上がったばっかの最新鋭だ!」

 

 胸を張ったバルクにロヴィが苦笑する。恐らく別の部隊の整備員か整備班長辺りに無理を言ってきたのだろう。

 呆れると同時に、準備を自ら整えに走るその姿は相変わらず頼もしい。

 不意に、ブリッジ内に通信端末の着信音が響き渡る。聞きなれない音にレイルが眉を顰めると、ヴィクターが制服の内ポケットから端末を取り出した。

 

「……ヴィクター・アーク少佐だ」

 

 固い声で応じたヴィクターは、数度無言の相槌。ふと、怪訝そうに眉根を寄せた。

 そして訝しげにレイルを見やる。その視線に、レイルは嫌な予感を覚えた。

 

「分かった。伝えておく。俺も向かう」

 

 視線を固定したまま、ヴィクターは通話を切った。

 無意識に、レイルは眼鏡を指で押し上げる。

 

「レイル。伝言だ」

 

「伝言?」

 

「エコデ・ウィスプの件で聞きたいことがある。陸軍第四特殊小隊事務室まで来られたい……だそうだ」

 

 ロヴィが息を呑んだ気配が分かる。レイルは手のひらを強く握りこむ。

 ヴィクターは何のことか分かりかねている様子だった。つまり、『知られていない』のだ。

 

「電話をしてきたのは、誰だ?」

 

「ああ、俺と同じ統合司令部の、彼女は陸軍担当だ。イスラフェル少佐という」

 

 知らない名前だった。だが、不安を煽る名前でもある。

 

「本人も交えて、話がしたいそうだ」

 

「なっ……」

 

 それはつまり、エコデは陸軍に身柄を拘束されているという事だろう。

 理由は分からない。連絡すら貰っていない。思考が、急速に鈍る。

 

「……兄さん」

 

「行くぞ、ロヴィ」

 

「はい!」

 

 バルクの許可を待っている余裕は、レイルにはなかった。

 

 

 

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