第二話 未滅の子

 

 雨が降り始めた。降り始め特有の土の香りが、本降りになる予兆の様に満ちていく。

 干していた洗濯物がずぶ濡れになる前に、辛うじて回収できたことをひとまず良しとして、ファゼットは息を吐く。

「よー、ファゼ兄、相変わらず家事に精が出るなー」

 掛けられた声に振り返ると、日に焼けた肌によく似合う快活な笑みを浮かべたディーンが居た。

「ああ……久しぶり。……ていうか、おかえり」

「おう。ただいま!」

 にっと歯を見せたディーンに、どことなくファゼットは安堵を覚える。力仕事で鍛えられた腕は、服を畳むのには向いていないと宣言して、洗濯物を片づけるファゼットの後ろで、ディーンはダイニングを見回した。

「変わんないな。ここは」

「まぁね」

「ファゼ兄もな」

「……そうだね」

 一瞬止まりかけた手を、意識的に動かして、シャツを畳む。表情が翳っていないことを願いながら。

「……あっ、いや、してる事と性格がだって」

「何にも言ってないよ」

 苦笑を返すも、ディーンはばつが悪そうな顔をして、黒い短髪をがしがしと掻きむしっていた。

 そもそも、外見的な問題だって、仕方ない。≪最高兵器≫だった過去からは逃れられない。結局は人と同じ姿をした人ではないもの、なのだから。

 人造人間の寿命とは、どれくらいなのだろう。考えた事も無い。廃棄される予定だったのだから、あるいは失敗作なのかもしれなかった。

 今更確認のしようもなく、したくもない。ファゼットは、今の自分で居ることを、一番望んでいた。

「それで? 久々に戻ってきて、どうしたの?」

 努めて明るい口調で問いかけると、ディーンはためらいがちに口を開いた。

「ちょっと、……顔見たくなった、からだよ」

「うわ」

「な! 何だよ! 勘違いすんなよ、ファゼ兄じゃねーから! シスターとちび達だからな!」

「同じだけどね」

 真っ赤になって否定したディーンに苦笑で返す。年長者だったディーンは常に子どもたちの中心にいたのだから。

 十八。それがこの孤児院に居ることが出来る最大の年齢。世間から隠れているべきファゼットを除き、だが。

 大概はそれまでに仕事を見つけ、旅立っていく。だが、ディーンは仕事を見つけながらも、ギリギリまでここにいた。

 ちび達が懐いていたのもあるだろうが、案外ディーンが一番寂しかったのかもしれない。

「……仕事は? 順調?」

「おう。今度隣町で大掛かりな工事が始まるんだ。一年はかかるってさ」

「へぇ、そうなんだ」

「しかも俺、まとめ役任されたんだよ。凄くね?」

 得意げに胸を張ったディーンに、ファゼットは小首を傾げた。

「そう?」

「ちょ! ファゼ兄酷くね?!」

「え? だってディーン、いつもここでやってたから」

 仕事とプライベートでは確かに違うだろうが、ディーンは気遣いのできる少年だった。それは仕事の現場でも生かせるスキルだろう。

 立派だとは思うが、特段大きな変化には感じない、というのがファゼットの感想だった。

 ディーンは苦虫を噛み潰したような渋い顔をして、ファゼットを半眼で睨む。

「すっげ、反論しづれー……」

「心配してないよってことだよ」

「だああ! 分かった、分かったから!」

 顔を覆って反らすディーンは耳まで真っ赤だった。素直な性格は、相変わらず。

「……感謝してるんだよ、僕も。……ディーンが居たから、馴染めたと思うし」

 初めての食卓で、真ん中に手を引いてくれたのは、ディーンだった。あの一歩がなければ、今でもファゼットは隅に居たのかもしれない。

 あるいは、食事の有難さも人に囲まれる幸せも、知らなかったのかもしれない。それは怖いと、今でも思う。

 あれから色々な事を知った。手紙の書き方も、料理の方法も、魔法のコントロールの仕方も。

 今でもエリキルト特製の暴走抑止用の首輪は存在するが、それはある意味での安心感を与えてくれていた。下手に暴発して、周囲を傷つけるのが怖いと思うようになった、今では。

「ファゼ兄は、優しいから大丈夫だよ。どこ行っても」

「……そうかな」

「そりゃ、老けないから、外の奴らに変な目で見られてんのは、知ってるけど。俺らにとっては、美味い飯と、掃除洗濯と、あと魔法も教えてくれるすっげー頼りになる兄貴だよ」

「……ありがとう」

 正直くすぐったいが、ディーンは真顔だ。本気で思ってくれているのだろう。ディーンは魔法の才能こそなかったが、それを卑屈にも感じず真っ直ぐに育った。全ては、エリキルトの教育のおかげだろう。

「で、シスターは元気か? ファゼ兄」

「部屋にいるよ。ああ、やっと熱が下がったばかりだから、無理はさせないであげて欲しいな」

「おっけおっけ、任しとけ!」

 多少不安だが、エリキルトもディーンの顔を見れば、元気を取り戻すだろう。苦笑しつつ見送って、ファゼットは洗濯物の片づけに意識を傾けた。

 

◇◇◇

 

 エリキルトも、そろそろ起き上がるのが難しくなってきたようだった。老いには勝てない。ファゼットも老化が目に見えていないだけで、内側では終わりへと向かっている可能性は往々にしてある。確認できないが、覚悟だけはしていた。

「シスター、入りますよ」

 声をかけて、ファゼットは寝室へと足を踏み入れる。窓から差し込む柔らかな光を受ける、上半身を起こしたエリキルトの笑みが見えた。

「ああ、ファゼット。さっきはありがとう。ディーンが元気だから、私も元気になったわ」

「みたいですね。顔色がいいです。一応、薬を持ってきました」

「ありがとう。そこに置いておいて頂戴」

 頷いて、サイドテーブルに水の入ったコップと薬を合わせて置く。抗生物質は飲み切っておいた方がいいだろう。

「……ファゼットも、立派になったわね」

「そんなこと、ないですよ。僕は……シスターや、みんなのお陰で、やっと人並みになれたくらいです」

 人並み、という言葉すら相応しくはないのかもしれないけれど。心に影が落ちる。

「今の貴方は、自分で考えて行動が出来る。それだけでも、価値のある事ですよ」

「……シスター……」

「私も、貴方のように、ここから立派になって巣立っていく子どもたちを見るのが、とても嬉しかったわ」

 遠い目をして、エリキルトは言葉を紡ぐ。終わりを予感させる言葉に、ファゼットは言いようのない不安を覚えた。

 もしも、エリキルトが死んでしまったら、この孤児院はどうなるのだろうか。

 周りの支えと、ここから旅立って行った子ども達がいるからこそ、成り立っている。エリキルトが居なくなった後の事が、想像もできない。

 ただ少なくとも、ファゼットは思うのだ。

「ここは、ずっとあるものだと、思って……いたい、です」

「そうね。私もそう思うわ」

「……シスター」

「何かしら」

 じっと、ファゼットはエリキルトを見やる。言おうとしている言葉は、果たしてエリキルトが頷いてくれる願望かは、分からない。

 だがファゼットなりに、叶えたい願いなのだ。だから。

「……僕が、シスターの後を継いで、この孤児院を続けても、良いですか」

「ファゼット……」

「僕は、ここがなくなるのは嫌です。……それに、ディーン達の帰るべき場所がなくなるのも、悲しいと思うから」

 だから、エリキルトの死と同時に終わりにはしたくないのだ。

 不安と緊張で震える手を押し留めながら、じっとファゼットはエリキルトの返答を待つ。

 瞳を閉じて、一つ頷くエリキルト。そしてゆっくりと、濁り始めている瞳をファゼットへ向けた。

「……もちろんよ。……貴方がそう言ってくれなかったら、困るところだったわ」

「シスター……」

「頼むわね、ファゼット。私の可愛い息子」

 家族だった。どんな形でも、ここに居るすべての仲間は、家族だった。それだけで前を向く勇気になる。

 それがエリキルトに教わってきた生き方。そして、だからこそ、ファゼットは家族のために立ち上がれるのだ。

 ほっと胸を撫で下ろしたファゼットに苦笑を向け、エリキルトは不意に。

「……ひとつ、お願いをしてもいいかしら」

「お願い?」

「そう。ずっと会いたい人が居て、手紙を出していてね。やっと会いに行く約束をしたんだけれど、ほら、私はもうお婆ちゃんでしょう? 難しくなってしまったから、ファゼットに代わりに行ってもらってもいいかしら」

「僕で、大丈夫なんですか?」

 エリキルトが直接行くべき事柄なら、他人が行っても門前払いを喰らう可能性が高い。無駄足を踏むどころか、エリキルトの印象を悪くすることも不安材料の一つだった。

 不安を隠せないファゼットに、いつもの温和な笑みを浮かべ、エリキルトは枕の下から一通の封筒を取り出した。

「大丈夫よ。しっかりとお手紙を書かせていただいたわ。話の分かる方だし、行って来てもらえると、とても助かるの」

「……分かりました」

 エリキルトの頼みを、無下にできるはずもなかった。

 

◇◇◇

 

 エリキルトから託された手紙の表面には、相手の名前がエリキルトの丁寧な字で記されていた。

≪アサカ・ミゼス様≫

 山を越えた先にある、栄えた街の貴族だとエリキルトから簡単な説明を受けている。貴族、という響きはそれだけで緊張を呼び起こす。

 エリキルトが孤児院を構えた村は小さく、もちろん貴族はいない。村長はいるが、貴族というほど立派な家柄でもない。

 直接貴族という存在を目にしたことはないが、下手な真似は出来ない相手、という事だけは言葉として知っていた。

 とはいえ、孤児院に暮らすファゼットの服装は貴族に会いに行くというには、貧相ではある。一張羅とは言い難いが、それでも孤児院にある服の中では見栄えのいいローブを羽織って、ファゼットは黙々と山道を歩いていた。

 間もなく峠に差し掛かる。そこから街は見下ろせるだろう。薄っすらと滲んだ額の汗を拭いながら、ファゼットはようやく峠に立った。

「……え?」

 見下ろした峠のふもと。そこには確かに大きな街があった。だが、何故か黒煙が立ち上り、炎がちらついている。

 ただの火事ではなく。街全体が、煙と炎に、侵食されていた。

「うっ……」

 ずきりと、頭に鋭い痛みが走る。思わずふらついたファゼットは慌てて木に手をついて体を支えた。

 脳裏をちらつく、朱色と黒の記憶。深く深く封じ込めた、今となっては思い出すと寒気と後悔で潰れそうになる光景が脳裏をちらつく。

「……かな、きゃ」

 ざり、と震える足を、一歩前に出す。

「行かなきゃ……」

 意識を振り絞って、ファゼットは自分を奮い立たせる。燃えている。誰かがきっと、苦しんでいる。

 そしてきっとまだ、誰か生きている。何が起きたかは分からないが、生きている命があるならば、救わなければならなかった。

「っ……!」

 自分の罪を、清算できるとは思っていない。ただ、目をそらすことは出来なかった。

 そんな事をすれば、孤児院に居る家族に顔向けが出来なくなる。やっと手に入れた『居てもいい場所』を失う事は、怖い。

 ファゼットはその思いを糧に、街へと駆けだした。

 

◇◇◇

 

 充満した煙。まだ燻る炎で、街全体が熱い。吹き抜ける風が炎を時折増長させていた。

 酷い匂いがする。人体が焼ける独特な匂いの他にも、いくつもの匂いが重なっていた。ファゼットは煙を吸い込まないよう、口元を覆いながらふらふらとした足取りで街を進んでいた。

 転がる死体に足を取られ、心の中で謝罪を繰り返しつつ。火災のせいで酸素が薄いのか、意識がもうろうとする。

 それでも、ファゼットは屋敷を目指していた。沈黙する街の中、唯一燃えていない屋敷があった。よく見なければ分からないが、強固な結界で守られている。生存者がいるとすれば、きっとそこだろう。

 街の中にもいるかもしれないが、可能性としてはその屋敷の方が高い。そして何より、そこがファゼットの目指すべき場所だったのだから。

 ミゼス家という、貴族の屋敷。エリキルトから託された、手紙の送り先。

 靴底が熱で溶け切る前に、辛うじて屋敷へ辿り着く。

「……誰か、生きて、て……」

 願いを込めて、ファゼットは結果に触れて干渉する。複雑に変化する結界と同調して、ファゼットはするりと結界を突破した。

 結界の中は、熱すらも遮断していたのか、すっと温度が下がる。劇的な変化で、寒く感じる程だ。

 ぎゅっと手を強く握り締めて、ファゼットは屋敷の扉へ大股で歩み寄る。金属の装飾が過大な扉を、そっと開いた。

「う……」

 思わず呻く。客を招き入れるための広いエントランス。煌めく光を撒き散らすシャンデリアと、丁寧な細工の調度品。それらにすら付着した、真っ赤な血。幾人もの死体が、転がっていた。使用人らしき姿の他に、鎧を着た兵士らしき死体、武器を手にした傭兵のような姿もある。

 いずれにせよ、血の海だった。吐き気がこみ上げる。

――こんな事、前にもあった。

 蹲りそうな自分を奮い立たせ、ファゼットは前を向いた。

――自分が、こんな風に、たくさん殺したことを、忘れたわけじゃない。

 当時、何の感情も抱かなかっただけで。泣き叫び、助けを乞う人々に、自分は無慈悲な死を与え続けた。それが兵器として正しかったから。

 そしてそれが、当たり前だったから。

 今なら分かる。それがどれだけおぞましい事か。どれだけ、罪深い事か。無知は、最悪の罪だ。

 だからこそ、ファゼットは守り抜かなければならなかった。罪を償う事は出来ないだろう。それでも、親を失った子ども達を見捨てる選択など、絶対に自分を許せない。

 震える体で、ファゼットは屋敷を歩く。扉を開けば、誰もおらず、破壊しつくされた部屋か、血にまみれた部屋。

 気が狂いそうなほどに充満した血の匂いに、またも意識がくらくらとしてくる。

 幾つ目の部屋を開けたか、分からない。半ば虚ろな目で扉を開いたファゼットは、ふと違和感を覚える。

 他の部屋と、取り立てて何かが違ったわけではなかった。ただ、血にまみれた女性と、男性がいただけ。だが、それが引っかかる。

 折り重なるようにして倒れている二人は、同じ向きで、倒れていた。不思議な事ではないのかもしれない。

 だが、ファゼットにはどうしても、それが気になってしまった。

 踏み込む。ぴしゃ、と靴が血の池に鈍い波紋を広げる。女性が、強く握り締めた絨毯の裾。男性が倒れているのは、その絨毯の真上。

 自分でも分からない直感で、ファゼットは手を伸ばす。震える手で、男性の体をどける。

 重い体をようやく退けると、血が染み込んでどす黒くなった黒い絨毯が現れる。

 恐る恐る、絨毯を捲る。床が、あるだけだった。しかし、ふと隙間の違いに気付く。一か所だけ僅かにずれていた。

 唾を飲み込んで、ゆっくりと、床板に指をかける。

――かたん、と小さな音を立てて、床板が外れた。その隙間から、現れた紫の瞳と、目が合う。

「っ?!」

 どくん、と心臓が高鳴る。細い隙間に、半分だけ覗いた顔。その頬には、隙間からしたたり落ちたのか、血が落ちていた。

 そして、微かに、動いていた。

――生きている。

 ぱっと意識が覚醒したファゼットは慌てて他の床板を外す。薄い隙間に、まだ幼い子どもが仰向けに横たわっていた。

 ぼんやりと虚空を見つめる瞳は、瞬きすらしない。まだ十歳にも満たないだろう。その小柄さでここに、押し込められ、隠されたのかもしれなかった。

 それでも、胸は小さく上下している。生きていた。

「大丈夫かい? 怪我は?」

 反応はない。ただ、生きているのは確かで。やっと見つけた生存者にファゼットは興奮が抑えきれない。少年に手を伸ばし、抱き起す。

 ようやくそれで気付いたか、少年はゆっくりと視線をファゼットへ向けた。

「痛い所は? よかった、生きてて、生きてる人が居て」

 涙が滲む。安堵が胸を満たす。たった一人でも救われた命があることに、ファゼットはほっとせずにはいられなかった。

「……ひっ」

 引き攣った少年の声。少年が見つめていたのは、今や物言わぬ男女の死体。かたかたと震える手を伸ばした少年に、ファゼットは慌てて視界を遮るように頭を抱く。

「見ちゃ駄目だっ……、見なくていいんだよ、こんなの……!」

 きっと、知った人間で。あるいはこの屋敷の住人で。ならば、こんな現実は見せるべきではないと、ファゼットは判断した。

 少年の体から、ふっと力が抜ける。意識を手放したようだった。

 そっと確認すれば、白い頬に、一筋の涙が伝っていた。ぎゅっと胸が詰まる。

 世界は、今でも残酷だった。

 

◇◇◇

 

「……大変だったわね、ごめんなさいねファゼット」

「いえ……僕は……、大丈夫、です」

 精神的疲弊はある。だが脳裏に過るのは、まだ幼いあの少年で。栗色の髪をした幼い少年は、未だ眠りから覚めない。

 どんな夢を見ているのか分からないが、せめて悪夢でないといい。

 労わる様な視線を向けるエリキルトに、ファゼットは微笑んで見せた。

「……すみません、手紙、渡せませんでした」

「いいえ。大丈夫よ。……むしろ、あの子が生きていて、良かったわ」

「あの子? シスター、知っているんですか?」

「ええ。アサカさんにお願いしていたのは、あの子の……ガディの事なの」

 ガディ。それがあの少年の名前。そして恐らくは、ミゼス家の最後の生き残り。たった一人の、生存者。

「ファゼット……お願いしてもいいかしら」

「……あの子の、……ガディって子の、ことですね」

「ええ。……事情がある子だから、その辺りもきちんと説明はするけれど」

「大丈夫です。……僕が、見つけた命です。もしかしたら、生きたくなかったかもしれない、命です。だから、その責任はとります」

「……ありがとう」

 ファゼットは首を振る。いずれにせよ、ガディは一人きりになってしまった。だとしたら、この場所に居ることは何ら不思議な事ではなく、むしろ拒もうとも同じだろう。どこか別の街に親戚がいたなら、話は別だが。

 だとしても、今日明日でどうにかなる話ではない。

 街一つが壊滅したのだから。

……何のために?

「ファゼット?」

「普通の街に、見えました。あんな……住民全員を殺さなければならないほどの何かが、あの街には、あったんでしょうか」

 年齢性別、身分さえ意に介していないような殺戮の跡。覚えのある光景。

 やり方も感じる残滓も、記憶の隅にあるものと酷似している。音が、感覚が、遠のく。

「きっと……同類、が」

 人造人間の寿命がどれくらいかは知らない。そして、その製造が今も続いているのかは分からない。だが、その存在はきっと消えていない。

 目的も知らず、ただ破壊をもたらすだけの『最悪』が恐らくは、今回の件も……――

「貴方は、もうそんな事をしなくていいのですよ」

 エリキルトの声に、ハッとファゼットは気付かず伏せていた顔を上げる。

 いつも見守り続けてくれた穏やかな笑みが、ファゼットに向けられていた。

「シスター……」

「酷な事を言うようだけれど、貴方はきっとこれからも、同じような光景を、繰り返し見なければならないかもしれないのだから。……ここを継ぐという事は、そう言う事。だから、しっかりなさい。誇れる自分で、ありなさい」

 すっと染み込むエリキルトの言葉に、ファゼットは強く拳を握りしめる。

 過去を怯えることは逃げていることと同じで。

「……すみません、シスター。……しっかりしなきゃ、駄目ですね」

「特に、本当にあの子をここに受け入れるつもりならね」

「どういう、意味ですか?」

 ガディを受け入れることに関して、エリキルトは躊躇しているのだろうか。それはいつものエリキルトらしからぬ思考だった。

 積極的に孤児を受け入れてきたエリキルトとは思えない。

「ずっと、探していたの」

 ため息をつくように、エリキルトが口を開く。その口調は、どこか陰りを感じた。

「蘇生の秘術が使える一族。それがミゼス家だったのよ」

「は、い?」

「その秘術は、力あるものへ知られては危険なもの。だから、私は彼らよりも早く、そのことを知らせなければならなかった。夢物語でないのならば、早急に。……本当に存在していたなんて、とても考えたくなかったけれど」

 顔を覆って、エリキルトは深く息を吐き出す。その為に払われた犠牲に、苦しんでいるのかもしれない。

 だがそれよりも、今のエリキルトの発言が嘘ではないのなら。

「……あの、ガディって子は、それが出来るって事、ですか?」

 恐る恐る問いかけたファゼットに、エリキルトは頷く。そっと手を降ろし、ゆっくりと視線をファゼットへ合わせた。

 濁り始めた瞳には、それでもまだ、強い意志を感じる。

「アサカさんが言うには、一族でも全員が使えるものではないそうよ。むしろここ何代かはいなかったらしいわ。あの子も、本当のところは分からない、って。ただ、尋常ではない魔力を持っているのは、確かよ」

「そうですね」

 否定はできなかった。ガディから感じた魔力は、下手をすれば自分を軽く凌ぐ。兵器として魔法に特化していたはずの自分など、足元にも及ばない。圧倒的な能力者であることは間違いなかった。

 まだ、ようやく学校に通い出そうといった年齢にも関わらず。

「それでも、ファゼットは託されてくれる?」

 問いかけたエリキルトに、ファゼットはじっと視線を返す。

 エリキルトが心配しているのは、様々な面からなのは明らかだった。ファゼット自身の事、まだここにいる小さな子供たちの事。そしてここから巣立っていった彼らを見守り続ける事。……そして何より、危険を招くかもしれないガディを受け入れる覚悟を、問われていた。

「……僕は、シスターに助けてもらって、今ここにいる」

「ファゼット……」

「そのシスターが願う事を、僕は成し遂げたいって思ってますから。……頼りないかもしれないけど……、頑張らせて、下さい。シスター」

 エリキルトは、静かに頷く。そしてファゼットをすぐ傍へ手招いた。

 距離を詰めると、すっとエリキルトの手が伸びる。

微かに震え、乾燥した指先が触れたのは、これまでずっとファゼットの魔力暴発を抑制し続けた首輪。

 ぴん、と細い糸が切れたような音と共に、重量が消える。僅かにあっただけの重量だが、するりと動いた空気に、ファゼットは思わず手を伸ばしていた。何もなくなった首に、自らの指先が触れる。どこか不思議な感覚だった。

「……貴方はもう、一人で大丈夫だものね」

「シスター……」

「子どもたちと、この場所を、お願いね。……ファゼット」

 こく、とファゼットは頷く。奪うだけだった自分から抜け出し、育てられたファゼットが居た。

 そして今は、守るべき立場へと、シフトする。

 自分を守り続けてくれたシスターの枷は、外されて。それは、最早自分を止められるのは自分だけだという、重い責任を背負わされた瞬間だった。

 

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