◇◇◇
ページをめくるたび、希望が打ち砕かれて、絶望が積みあがっていく。
否定するための材料を探しているのに、何一つとして否定してくれない。
残酷な現実だけが、ブレンの手元に存在した。
編纂された記事の年代は、今から三十年近く前のものだった。
当時の属国の反乱についての記事。
クリシェイアと言う姓の貴族が治めていた領土での反乱。
だが、それでもクオルの名前はどこにも出てこない。
そもそも、子息の存在すら触れられていないのだ。
一夜にして前線基地を壊滅させた戦力の存在。
快進撃を続ける、属国。
そしてたった一日で形成が逆転したという記録。
記載されているのはそんな事ばかりで、最終的にクオルがあの場所にいる意味へは繋がらない。
だがもしも、クオルが兵器としてこの反乱の戦力に投入されていたのだとしたら。
パズルピースが足りないように、上手く噛み合わない記録の数々。
そこにクオルという単品の力を加えればすべてが噛み合ってしまう。
一日で形成が逆転したのだとしたら、それは何か強力な単体の兵器があると考えるのが自然だ。
……それが、クオルという事だろう。
何かしら理由があり、クオルが捕らえられて、帝国側が勝利した。
結論としては一番すっきりする。
あの場所に今も幽閉されている意味も、それで道理にかなうのだ。
シェマが繰り返した『化け物』の意味がブレンにもようやく理解できる。
人間であるクオルが不老なのは、破滅的な魔力を持っているから。
魔力が高い種族ほど、寿命が長いとされている。だから、魔力の低い人間種は長い寿命を保てない。
そして……人間に耐えきれる量を越えているならば、それはもう、人間ではないのだろう。
人間でありながら、クオルは人間の枠を超えてしまったのだ。
その苦痛を今まで気づくことが出来なかったという現実が、ブレンには圧し掛かる。
ずっとあの場所で孤独と闘い続けてきたクオルに、下手な希望だけを与えた。
そんな自分が、ブレンは許せない。
「それでも……俺は」
初めて出会ったときに見せたクオルの寂しげな笑顔が脳裏をよぎり、ブレンの胸を締め付けた。
◇◇◇
「……生真面目なのか馬鹿なのか、判断に困るやつだな」
冷たい態度で迎えたのはイシスだった。
すでに日が変わっている。
就寝していると思っていたのだが、イシスはブレンを待っていたような態度だった。
それに、ブレンは微かにほっとする。
「どちらでも構いませんけど。……クオル様に、代わってはもらえませんか」
「何故?」
「私は、クオル様と話がしたいんです」
「……何のために」
どこまでも突き放すような態度をとるイシス。
イシスは、クオルの最後の守り人だ。
その守り人が直接対峙し、ブレンからクオルの心を守ろうと立ちはだかっていた。
「……確かに、クオル様は、大量殺戮をしたのかもしれない」
ぽつりと、ブレンは零す。
イシスはただ黙って腕を組み、続きを促した。
「だから、ここに捕らえられたのかもしれない。……でも、クオル様は無意味に人を、殺さないでしょう」
「私が体を乗っ取って行ったのかもしれないぞ?」
そう返したイシスを、ブレンは見据える。
凛とした姿を崩さないイシスに、ブレンは小さく笑って首を振った。
「貴方は、クオル様の守り人でしょう? 貴方が出てくるのは、いつもクオル様が苦しんでる時ですから」
「…………」
「貴方もクオル様も、優しい方です。だからここで、じっと耐え忍ぶ道を選べている。……だけど」
ぎゅっと拳を強く握りしめ、ブレンはイシスに微笑んだ。
「クオル様は、外を望んでるじゃないですか。自由に、生きたいって願ってるじゃないですか」
「そんな事はない」
「私は。……私だけは、最後まで貴方の味方をしますから」
イシスの表情が停止した。
ブレンは静かに続ける。
「だから、一人で抱えないでください。本当の願いを、教えてください」
ブレンをじっと見据えるだけで、イシスは何も語らない。
二人の間にあるのは透明なガラス一枚。
表情も距離感もわかるのに、この一枚があるだけで触れることはできない。
「私は……クオル様の、力になりたいんです」
「何故?」
「私は、誰かを守るために軍に入ったんです。貴方をここで孤独にするためにいるんじゃない」
「……お前という奴は……」
小さく呟きイシスは瞳を閉じて顔を伏せる。
そして、力なく首を振った。
ブレンはイシスの様子にしびれを切らし、言葉を強めた。
「クオル様っ……答えてください……!」
「……ずっと……」
ぽつりと、言葉が紡がれる。
クオルに、切り替わったのが気配で分かった。
ブレンは言葉を仕舞い、クオルの言葉を待つ。
「ずっと……孤独じゃない死を、願ってました」
軽い衝撃とともに、しかしどこかで納得したブレンがいた。
だが、その言葉自体はやはり、悲しい。
「でも……きっと、どこかで死にたくなかったんです。だから今も、ずるずると生きてる」
「クオル様……」
「願いなんて、大層なものは見えてないんです。切望した死を拒否した僕は、自分の願望さえ分からない。孤独でなくなれば、幸せなんだと思ってました」
だが、現実は違った。
ライヴがいて、イシスがいても、クオルの心には穴が開いたままで。
自分の願いさえ見えない、深い闇の中でクオルはずっと立ち尽くしている。
シェマの悪意に満ちた言葉さえ闇に溶けて、鎌鼬のように皮膚を薄く傷つけるだけ。
それでも、とクオルは言う。
「その先に、何もなくて……いいから」
す、とクオルが顔を上げる。
泣きそうな顔で、クオルはぽつりと言った。
「……もう一度、海が見たいです」
思わず、ブレンは苦笑する。
考えることは一緒じゃないか、と。
ブレンは取り出した鍵を鍵穴に差し込んで、回す。
かしゃん、と開錠された音が、室内に響いた。
何度も繰り返した。何度も、戻ってきた。
(だけどもう……)
扉を開けて、鍵を引き抜くと、ブレンは鍵を床へ落とす。
何か言いかけたクオルの目の前で、ブレンは引き抜いた剣でもって……――鍵を破断した。
ちゃりん、と二つに分かれた鍵が小さく跳ねて音を立てる。
鍵の残骸を見つめて絶句するクオルに、ブレンは言った。
「行きましょう、クオル様」
「え……」
唖然とした表情のクオルに、ブレンは微笑んだ。
「知ってますか? 未来は進むことしか許されないんですよ。クオル様が未来を願うというなら、ここで閉じこもってる場合じゃないんです」
そして、鍵を破壊したことによって、停止は許されなくなった。我ながら無茶をする、とブレンは心の中で苦笑する。
クオルはしばし沈黙し、やがて……小さく笑った。
それが答えだった。
◇◇◇
朝方の城内は静かなものだ。
そっと足音を抑えながら、ブレンはクオルを連れて慣れた裏門へ向かう。
まだ快復しきっていないクオルは時折ふらついていたが、ブレンが支えることで確実に前に進んでいる。
警備はこの時間が一番薄い。
大した苦労もせずに、裏門へとたどり着いた。
最後に待つのは門の衛兵。
だが、裏門で立っているのは鎧で武装した衛兵ではなく……仁王立ちをした小柄な姿だった。
「シェマ……」
ぽつりと、クオルがその名を呼んだ。
「むかつく。ほんっと、予想通り過ぎて嫌んなるな」
そうシェマは吐き捨て、深くかぶっていたフードを払った。
薄暗闇の中、わずかな光に反射するシェマの金色の瞳が、冷たくブレンを見据える。
「ブレンさぁ、言ったよね? 今度連れ出したら、一般囚と一緒にするよって。ブレンは、そんなにクオル様を看守の餌にしたいの?」
「そんなことにはならない」
「なーに言ってんだか。そんだけ綺麗な顔立ちで放っておかれるわけないじゃん」
けらけら笑うシェマに、ブレンは毅然と首を振る。
ブレンの後ろで、クオルが心配そうな顔をしながらも、黙っていた。
「もう、ここへは戻らない」
きっぱりと告げたブレンに、シェマは笑いを収める。
「……は、それも予想通りなんだよね。……くだらない」
す、とシェマの瞳が細められる。
金色の瞳が、ブレンを睨みつけた。
「そんなこと、僕が生きてる間は許さないから」
「待ってください、シェマ」
不意に、クオルが前へ進み出た。
ブレンが止めようとしたが、クオルはやんわりと微笑みで制止する。
その笑みは、ブレンに逆らうことを許さない気配を滲ませていた。そして、クオルはシェマへ目を向ける。
「……見逃す気は、ないんでしょう?」
「ないね」
「答えは、それしか……ないんですね」
「ずっと、言ってんじゃん」
クオルは静かに頷いた。
「分かりました」
何の、話だ?
話が読めないブレンに構わず、クオルはライヴを預けた。
ライヴは特に何も言わず、心配そうにクオルの背中を見つめる。
クオルの手には、月を模した杖が握られている。
亡国の国宝、ムーンクレスタ。静謐な美しさを誇る、杖。
クオルは、シェマと一線を交える気だった。
「クオル様、まだ体がっ……!」
「貴方は、こちらで」
制止しようとしたブレンのすぐ隣に、ノウェンが立っていた。驚いたブレンに説明もなく、ノウェンは二人が入るだけの防御結界を展開する。
「ノウェンさんっ? ちょっ……クオル様ッ!」
ブレンが必死に呼び止めるが、クオルは振り返らない。
苛立つブレンの視界の先で、シェマは不敵な笑みを浮かべていた。
「そう。……それでこそ、クオル様だよ!」
歓喜に満ちた声を上げて、シェマは身を低くすると、地面を蹴った。
魔法で加速したシェマは一瞬でクオルに肉薄する。
「あいさつ代わりに、受け取れ!」
甲高い音とともに、衝撃が走る。
超至近距離からの、シェマの最大威力の一撃。
クオルは展開した防御シールドでもって受け止めていた。
見えない光の壁が、二人の間を隔てる。
シェマは口元に笑みを浮かべて、跳躍し、後退。
と、と地面に降り立ち、満足そうにシェマは笑った。
「あはは、それでこそ僕の見込んだ化け物だよっ。そうそう。そうでないとね。そうじゃないと僕は殺せない」
ふとブレンは違和感を、感じた。
どうして、シェマはああまでしてクオルに固執するのだろう。
そして、クオルは何故、シェマとまともに遣り合おうとしているのだろう。
「シェマ……」
「手加減なんてしないでよ、クオル様。時間がないんだよ? クオル様は欲しいものが目の前にあっても諦められるようなお人よしじゃないよね?」
シェマは、そうクオルを煽る。
だがその意図がブレンには分からない。
あの場所へ連れ戻すならば、不意打ちであるべきだった。
真っ向勝負を挑めば、どんな余波があるか分からない。
シェマが命を落とす可能性だって、十分ある。
むしろ本当に、クオルが破滅的な能力を抱えているのだとしたら、その可能性の方が高くなる。
これではまるで、シェマは……
「まさか……」
傍らでたたずむノウェンを、ブレンが見やる。
ノウェンはじっと前方で繰り広げられる戦闘を見つめていた。
止めることも、加勢することもせず。
それが、答えだとブレンは確信する。
「止め、ないと。……こんな無駄な戦い、止めないと駄目だろ、ノウェンさんっ!」
「無駄ではありません。少なくともシェマにとっては命を懸けた戦いです」
「それこそ意味ないでしょうっ! クオル様っ!」
「止めないでください」
ブレンが呼びかけると、ようやくクオルは冷静な声を返した。
思わず息をのんだブレンに、クオルは答えず、シェマの放った雷撃を全て相殺する。
詠唱速度もその威力もまるで比にならない。
圧倒的な、クオルの優位。
完全ではないクオルは、戦闘開始以降その場から未だに一歩も、動いてはいないのだ。
「まだ……まだだよ、クオル様。まだ倒れてないんだから」
笑んだシェマの口の端から、つう、と血が一筋伝った。
喀血、している。
ブレンが青ざめ、クオルは少しだけ目を細める。
シェマはぐい、と口元を拭って、その血を見やって肩をすくめる。
「体が先にガタがくるとか、意味ないじゃん。へったくそ」
誰かに対しての暴言を吐いて、シェマは頭を振った。
「ま、いーや。ていうか、クオル様少しはまともに攻撃してよね。受け流してばっかじゃん」
「……そうですね」
クオルは頷いて、杖を握り直す。
シェマは笑って、拳を広げた。
「決着を」
「つけましょうか」
ぶわっと、風が吹き抜けた。
凶悪的なまでの濃さの魔力がこの場に満ちる。
一瞬の無風の中、クオルが、短い……ブレンの聞いたことのない魔法の呪文を唱えた。
「四元の章、反射の連章」
轟音が朝方の城内に響き渡った。
◇◇◇
――僕は、エルフの形をした『何か』だった。
小さい頃の思い出を振り返るほど、僕もガキじゃない。
語るほどの思い出もないしさ。
エルフは、魔法適性が高い構造をしている。
なら、どこまで持つのだろう。
それが多分始まりだったんだろうなぁ。
凄くどうでもいいし、迷惑な話。
母体に対して、許容量限界を超えた魔力を注ぎ込んで、出産させた。
……らしい。
母体は崩壊。子供が生存。
つまりそれが僕だった。
僕は生まれる直前に魔力を叩き込まれて、生まれながらに許容量オーバーの魔力を持った歪な存在として生を受けた。
魔法は使えた。
だけど、暴発ばかりで血を浴びて育った。
世話係が目の前で何人も血を吐いて倒れていった。
発露する魔力が濃すぎて、影響を受けるらしくて。
当然そんな規格外の魔力に、僕の体だって対応できるわけがなかった。
いつだったか、寿命検査をした。
ていうか、耐用検査。いつまで使えるか。
残五年。
そのころすでに僕はそれでも20年くらいは頑張って生きてたから、二十五までの命だってことになる。
短いのか長いのかはどーでもいーんだけどさ。
なんで僕は、こんな風に生まれたんだろ?
なんで僕は、意味のない力を持ってるの?
そんな疑問ばっかりが頭をぐるぐるしてた。
ある日、帝国の使いとかいう人がやってきた。
それが、ノウェンだった。
ノウェンはどーいう話をしたのか知らないけど、僕をその場所から連れ出した。
連れていかれたのはもちろん、この城。
意味が分かんなかったよ。当たり前じゃん。
だけど、連れてこられた意味はすぐ分かった。
だって、いたんだよ。自分を超える化け物がさ。
圧倒的魔力と、それを感じさせない普通の姿をした人間。
それが、クオル様だった。
あの頃、クオル様は魔力のコントロールにまで意識が向いてなかった。
濃い魔力が駄々漏れで、毎日誰かが貧血で倒れてた。
今でこそ結界を僕が張ってるから、誰も倒れやしないけど。
僕はその時のノウェンが特殊封術師とは知らなかったから、最近までノウェンの事は班員として認識してなかった。どうでもいいけど。
残り五年を、どうしようか。
それがここへ来てからの悩みだった。
僕は、前の場所では化け物だった。
それはある意味、特別。ある意味、それが存在価値。
でもここじゃ、僕はただのちょっと魔力の多いエルフでしかない。
だって、クオル様っていう、もっと凶悪なのがいたんだから。
つまり、これじゃちょっと魔力の多いエルフが早死にするだけってこと。
うわ、何これ。笑えない。ろくな親もいなくて、無駄な力ばっかり持って。
クオル様と僕はおんなじだった。
でも僕とクオル様の違いは、残りの時間。
僕は体の方から壊れ始めている。使い道のない魔力が、体を痛めつけてくる。
何これ。最悪。なんでこんな痛いの。僕だけが痛いの?
毎晩悩まされて、籠の鳥状態のクオル様を見るたび、複雑だった。
この人は、何万と命を奪っても死なない。でも僕は、誰も殺してないのにもうすぐ死ぬ運命にある。
羨ましくはなかった。
殺戮の力として扱われて閉じ込められたクオル様みたいになるくらいなら、僕はこのままでいい。
だけど、同じなんだ。
本来の許容を越えてしまった、企画外の存在。
本当は、存在しちゃいけない。
僕もクオル様も一人だった。少し前まではね。
だけど、クオル様はそこから脱した。
ブレンが来たから。
クオル様と僕は、同じじゃなくなった。
僕は別に、ブレンみたいな人がほしいわけじゃない。
ていうかあれは逆に鬱陶しい。クオル様はいーだろうけど僕は嫌だ。ただ僕は、意味のないまま終わりたくないんだよね。
この魔力、意味あるわけ?
使わないで終わるなんて、僕が生まれた意味って何さ。
だけど魔力って日々回復するから、これまた不便なんだよね。
魔法陣での消費量なんてたかが知れてる。
ああ、どうしよう。
時間だけがなくなっていく。五年も持たないかもしれない。だってこのごろ体が重いもん。
やだやだやだ! それだけは、嫌だ!
そんなことを考えていた矢先に、ブレンがやってくれた。
クオル様に風邪をひかせたんだ。僕はずっと見逃してあげてたんだけどね。
だって、外なんて出ただけじゃ意味ないしさ。
クオル様にとって外を知ることは、残酷な現実を見つめることになる。それ、ブレンは分かってたのかな。
まあいいや。僕には関係ない。
クオル様が、死ぬかもしれないって時に、僕は実はすごく焦った。ごめんね、ブレン。大事なクオル様をぼろくそに言っちゃってさ。
でも、僕だって悔しかったんだよ。クオル様を取られた気がしてさ。
だって、ブレンが来るまでは僕が一番あの部屋に行ってたんだから。
あんなに忠告したのに、どんどん仲良くなるなんてさ。別に……寂しくなんて、ないよ。
外に出れなくなるクオル様を、きっとブレンは放っておかないって思った。
クオル様が出て行ったら僕はどこへ行くんだろう。
きっと、連れ戻すために行かされるんだろうな。
でも、そのあとは?
きっと、クオル様は今度こそ、殺されてしまう。
そうしたら、その後、僕は?
真っ暗だ。だって、僕の話をまともに聞いてくれたの、クオル様だけだもん。
クオル様だけが、僕に普通に接してくれたのに。
で、気づいたんだ。
全力で魔力を消費して、死ねばいいって。
クオル様なら、きっとその願いを叶えてくれる。
出て行くクオル様を止めて、全力で戦おう。
そうして僕の願いを全部叶える。
そして、魔力を使い切るほどに戦って、クオル様の未来を拓く。だから、
「……反則だよー……クオル様」
シェマが見上げた視界に、クオルがいた。
シェマの魔力は空っぽだった。
それはすなわち、生命活動の停止を意味する。
そう掛からず、シェマの命は終わる。
クオルはそんなシェマの傍らに膝をついて、その頭を撫でた。
「子ども扱いはなしだよ、クオル様」
「……ありがとう、シェマ」
「なんでさ」
「痛くは、ないですか?」
話題を変えられたシェマは息を小さく吐いて答える。
「痛くないよ。……指一本動かせないけどさ。……でも……」
「でも?」
シェマはふっと、口元に笑みを浮かべる。
「クオル様が見えて、良かったよ。これなら最後まで、見れるかなぁ」
「シェマは、満足ですか? ……この、終わり方で」
「うん。さいこー。だって、世界最強と本気で殺り合えたんだよ。多分、破壊兵器として生まれたはずの僕には、本望だよ」
「……そう、ですか」
寂しそうに笑うクオルに、シェマは霞んできた瞳で微笑んだ。
「クオル様が、傍にいてくれるし。それも、……嬉しいよ」
「シェマ……」
「僕の最後、空が見えるとは思わなかった。……空と、同じ色だね。クオル様の目」
シェマの瞳はもう焦点が合っておらず、光が鈍ってきた。クオルは黙ってそっとシェマの手を握り、せめてその存在を伝える。
「……もう……、閉じこもっちゃ、……駄目だかんね……」
「……はい」
「ごめんね、クオル様。……先、行く、ね」
クオルは頷いた。シェマはもう反応を返さなかった。
朝日がうっすらと差し込む世界。その中でシェマはその生を終え、静かな眠りについた。
◇◇◇
「……クオル様……」
そっとシェマの瞳を閉じていたクオルは、ブレンの呼びかけに振り返る。
視界に青が過って、クオルの肩に舞い降りた。ライヴだ。
ライヴに触れながら、クオルはゆっくりと立ち上がると、ブレンに微笑んだ。
「……そんな顔しないでください」
「でも……」
クオルが首を振る。ブレンは何も言えなかった。
ノウェンがシェマの脇にしゃがみこんで、その頭を撫でる。
「シェマは素直になれないだけだったのですよ。貴方が真面目に毎日クオル様の世話を焼くから、シェマは寂しかったんでしょう。班長に、医者の件を相談したのも、シェマです」
「あんなに、クオル様を貶めても?」
「ええ。貴方を信じていたのでしょう。自分がきつく当たれば、自力で解決するだろうと。そうすれば、班長の耳には入らない。クオル様を連れ出していたことも隠せると」
ブレンは言葉がなかった。
言われてみれば、そうかもしれない。
結界を担当しているシェマは、とうに外に連れ出していたことに気づいていたはずだ。
それでも何も言わずに、見逃してくれていた。
それはきっと、クオルを慕っていたからで。
クオルの幸せを、願っていたからに違いない。
ブレンと、シェマの願いは最初から一緒だった。
「どのみち、シェマには時間がなかった。だから、こういう強引な手段をとったのでしょう。シェマがいなければ、クオル様を確保できる人間はほぼいなくなる。これで、貴方は自由になれた」
ノウェンはクオルに目を向け、断言した。
クオルは静かに頷いて、言う。
「シェマを、お願いします」
「ええ。……さようなら、クオル様」
「ありがとう、ノウェン。……いってきます。ディルにそれからテンベートさんに、よろしく伝えてください」
ノウェンは頷いて、シェマを抱き上げた。
クオルはブレンを視線で促す。
ブレンは黙って頷くと、クオルと共に、門を抜け……城を後にした。
さぁ、と風が吹き抜けた。戻らない道を隔てるように。