◇◇◇
「あんたがついてて、そーいう展開になるとは……とんだ役立たずね」
「くっ……反論が見当たらない……」
「あはは、いいザマだね、ブレン」
「あんた何しれっとここにいるわけ? お帰りください、変態様」
「ミウ、お茶菓子を出してもらえますか? お茶は僕が煎れますから」
暴風をまるで無視した、花を周囲に咲かせたような笑みと口調でクオルが割って入る。
(兄貴の空気読まないっぷりも半端ねーな……)
現在、アルトはクオルの自宅にいた。クオルが自宅として使用している建物はかつて宿だった家屋だった。そのため、広い。今ではもう誰も参拝していない古びた神殿へ続く、参道の途中にぽつんと建っている。
玄関正面はカウンターがあるだけで空っぽだった。カウンターの右脇に階段があり、二階へと続いている。一階唯一の部屋が、キッチンの併設された食堂を改造した、リビングだった。
ブラウンの髪を肩まで伸ばし、白いレースのリボンで飾っている。落ち着いた濃い紫色のワンピースに、白のドレスエプロン。
メイドのいでたちをした少女は、玄関が開くとほぼ同時にリビングから飛び出してきた。
少女は開口一番、手短に報告しろとブレンに告げ、ブレンが端的に回答した結果が、先ほどの発言だった。
ひとまずお茶を出すことは了承し、少女はクオルの申し出を丁重に断って、キッチンへ踵を返した。てきぱきとした手際で、お茶と茶菓子を用意するとすでに着席していた一同の前へ、並べていく。
全てを完了させるとスカートのすそをつまみ、軽くひざを折って優雅に挨拶をした少女は、軽やかに微笑んで見せた。
「改めまして、お帰りなさい、クオル様。あとブレン。それからいらっしゃいませ。ミウと申します。ついでにとっとと帰ってください、変態様」
◇◇◇
「今更どうこう言っても変わらないとは思うので言いませんけど……もう少しご自分を大切にしてください。クオル様」
「気を付けます」
曖昧な笑みを返したクオルに、ミウとブレンがそれぞれため息をついた。二人の心労がなんとなくわかる気がして、アルトは苦笑する。
「まぁ、弟はいいんじゃないですか? 何か、いかにもそれっぽいし」
しれっと席について一緒にお茶をすすりながら、ミウはアルトに視線を向けた。メイドの立場にある、というわけではないような雰囲気だった。
「あーちゃんは可愛いからね」
「……大変ね、変態に好かれて」
「微妙にな」
苦笑して返すアルトに、ミウはシスを不愉快そうに見やってから、不思議そうな顔をしてアルトに視線を戻した。
「発言はうざいし気持ち悪いけど。……俺は、シスが居なきゃ今頃壊れてどうしようもなかったと思うから」
「そう……とりあえず、半分同情するわ」
「どーも」
「少し休んだら部屋の掃除をしないといけませんね。毛布とかシーツとかも出さないといけませんし」
「自分の事は自分たちでやるよ。クオルは休んだ方がいい」
そう言ったシスを、ミウがぎょっとして目を向ける。ブレンも嫌そうな顔をしていたが、黙っていた。
「なんであんたまで一緒に住もうとしてんのよ?! クオル様に害よ!」
「ブレンは許されるのに?」
「どーにかしよーと思ってたら、とっくにしてるだけの時間があるわよ!」
「いや、思ってませんし、しませんけど」
冷静に訂正するブレンは紅茶のカップを手に、呆れていた。
片やクオルはといえば。
「賑やかになりますね」
楽しそうに、子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。
◇◇◇
騒がしいお茶の時間が終了し、アルトはクオルとミウの指揮下で必要な物品の用意を始めた。結局シスについてもミウが折れる形で決着していた。クオルが仲裁に入ったのは言うまでもない。
ベッドマットの埃を叩き落とし、シーツを洗濯して裏庭の物干しへ。枕とマットはぎりぎりまで天日干しだ。
「まぁ、こんなもんでしょ。夕方に取り込めば問題なしね」
シーツが風に翻る。腰に手を当て仁王立ちのミウの背に、アルトは声をかけた。
「いろいろ、ありがと。……ごめん、な」
「なーに言いますか」
くるりと振り返って、ミウは笑みを見せた。
「クオル様の弟になるなら、私の仕える人になるだけ。尽くすのはおかしなことじゃない。……そーいうものよ、アルト様」
「さ、様はいい。俺は別に……普通がいいっていうか」
「そ? それならそれで助かるわ。肩凝るもの」
悪戯っぽい笑みを浮かべ、ミウは頷いた。アルトはミウの発言に引っ掛かりを覚える。
「兄貴だって、そう呼ばれるの嫌がるだろ? 多分」
「まぁね。でも……私とブレンにとっては、『クオル様』なんだ」
よくわからないが、そういうものなのだろう。ふと、アルトは周囲の空気に違和感を覚える。組成の違う何かが、混じったような。
「今日は客が多いわね」
ミウが呟くと同時に、強い風が吹き抜け、シーツを舞いあげた。その向こうに、佇む姿をさらす。
「えっと……どうも」
困ったような笑みを浮かべた、少年。シーツの下をくぐって歩み寄った少年は、紺のブレザーで、見るからに学生だった。
「誰、あんた」
ミウが警戒した声音で問いかける。
「やっぱりこの世界だと制服は珍しいんだ……失敗した……」
そう独り言を呟いて、少年は息を吐いて気を取り直した様子で向き直る。
「第四代目世界の王になった六連(むつら)すばるです。はじめまして」
ざぁ、と風が吹き抜けた。しばしの沈黙ののち、おもむろにミウはアルトを振り返って、笑顔を見せた。
「知り合い? つまみ出していい?」
「王をつまみだす奴があるかっ!?」
「どこの王よ。大体、それが真実である確証はないわ。悪いけど……」
つい、とミウは自らを王と名乗ったすばるへ視線を戻す。そして、目を細める。敵意を乗せて。
「クオル様に危害を及ぼす危険性のある輩は、私が許さない」
「いや、あの、お、俺は挨拶に来ただけで……その」
胸の前で両手を振って否定するすばるは、アルトの目から見ればどうみても敵意など持っていなかった。丸腰にしか見えない。
もっとも時転武器だった場合には、分からない。
「どうかしたんですか? ミウ、殺気なんて放って」
殺気という言葉を使うには余りに呑気な声音で、クオルが声をかけた。手にはクッションを抱えていた。埃をはたくつもりで持ってきたのだろう。
「客……あるいは、敵に接待中です」
「えっと、どうも……」
クオルは、すばるを見やって、ぽつりと、言った。
「……王、ですか? 四代目の」
「そうっ! よかったぁ、やっと分かってくれる人がいたぁ」
ほっとした表情を浮かべるすばる。クオルがゆっくりと歩み寄る。
すれ違いざま、ミウが自然にクッションを受け取り、警戒は解かずにすばるへ視線を戻す。
「どうして、ここに……?」
「エリスの事……ちゃんとお礼言ってなかったから」
「どういう意味です?」
「契約。……ありがとう、クオル」
「お礼を言われるようなことは、何も。僕はただ……」
不意に、クオルは言葉を切って、寂しげな笑みを浮かべた。
「望まれたことと、望んだことが一致したから、そうしたんです」
そう答えたクオルの瞳に迷いはなかった。すばるは静かにその想いを受け止め、ひとつ頷く。
「ありがとう。それから……よろしく。辛くなったら、いつでも言って。候補はいつでも確保しておくよう、エリスにも言ってあるから」
「はい。ありがとうございます。……何だか、不思議です」
「え、何が?」
首を傾げたすばるに、クオルは小さく微笑んだ。
「王ってもっと、偉そうにしてるものだと思ってましたから」
「それはクオル様が言っちゃ駄目ですよ」
ミウがそう口を挟み、クオルは一瞥寄越して「そうですね」、と同意する。
アルトは理解できなかったやり取りだった。まだ、知らないことがたくさんあると突きつけられる。
すばるは恥ずかしそうな笑みを浮かべながら、頭をかいた。
「俺、人の上に立ったことなんてないから……」
「あ、悪いとかじゃなくて。……こちらこそ、よろしくお願いします、王」
「すばるでいいよ。そうだ、アルト」
不意に名前を呼ばれ、アルトはびくりと肩を震わせた。
「別に何か咎めようとかしてないって」
「そ、そーいうんじゃ……ない、です」
「敬語もいらないし。クオルをよろしくな。あと……水虎になったら、一緒にいろいろ考えよう」
アルトはすばるの言葉に戸惑いを覚えながら頷く。
――なんとなく、歯に物が挟まったような言い方をしている気がした。
そんなアルトの思考を掻き消すかのように明るい笑みをすばるが見せる。
「じゃあ、またそのうち遊びに来るから」
ひゅん、とすばるの姿が掻き消える。残された沈黙を破ったのは、ミウだった。
「……胡散臭いわね、やっぱり」
呟いた声を風が攫って行った。
そして、運命は『その時』へつながっていた。
◇◇◇
監査官でもないアルトが出来ることといえば、家事手伝い位なもので。
生活資金はミウがふらりと近くの村や町に出かけては、調合している薬品類を納品したり、魔物退治を引き受けてその対価を入手してくる。
監査官自体には給料という概念がないので仕方ないといえばそうで。
どうしても稼ぎが難しい監査官は、学院で衣食住を確保しているのだと、ミウが教えてくれた。ミウは監査官ではないが、事情だけは理解している。
家を守る者。それがミウだった。
「じゃあ、少し出てくるから留守番よろしくね、アルト」
「ん。気を付けて行って来いよ」
ひらひらと手を振って、メイド服のままミウは出かけて行った。玄関でアルトはそれを見送る。
「さてと。じゃあ俺は……勉強するか」
知らないことが山ほどあることを自覚してから、アルトはまともに勉学に励んでいた。守りたいものを心に決めてから、守る方法を得るために知識のなさを埋めることから始めた。
目的が出来た事で、やっと自覚したといっても過言ではない。
自室へ戻って学院の図書室から借りてきた資料を開く。
学院にある魔法に関する図書はアルトにとってはだいぶ役に立つ。四元の章以外をろくに知らなかったアルトは、これらの蔵書でもって基礎的な魔法をだいぶ習得して、少しは成長できたと思えてきていた。
もっとも、相変わらず、クオルどころかシスにも届かないけれども。それでも成長を喜んでくれる存在があるだけでも、行動する価値はある。
不意に、机の上の隅に置いていた通信端末が機械音と共に振動する。視線は資料に向けたまま、手を伸ばして通信端末を掴む。
「……兄貴? ……えー……っと」
手にした端末の画面にはクオルの名前が表示され、画面が規則的に明滅していた。不慣れな手つきでアルトは通信モードを起動する。
「兄貴? どーかしたのか? 任務終わったとか?」
『一応そうなるけど、ちょっと違うのよね』
「……は?」
聞き覚えのある声だった。医務室にいた、女性の……確か、ラナの声。
『悪いけど、迎えを寄越してもらっていいかしら。こっちに置いとく意味も、特になくなったしね』
「意味、って……なんだよ?」
『後で説明するわ。じゃあ頼んだわね。本部の医務室で待ってるから』
一方的に告げると、向こうから通話が切られた。ツーツー、という機械音が鼓膜を叩く。
「医務、室? ……兄貴ッ……!」
通信端末を握りしめ、アルトは立ち上がる。資料もそのままに部屋を飛び出し、唯一残っているブレンを呼びに階段を駆け下りた。
「ブレン、ブレンっ!」
「な、ど、どうしたんですか? アルト様抜けてるとこあるんですから、足を踏み外するかもしれませんし、危ないですよ」
さらりと暴言を挟みながら、ブレンが駆け寄ってきたアルトを落ち着ける。
「兄貴が、多分兄貴また無茶してっ!」
「本部ですか?」
意図をくみ取ったブレンはすぐさまアルトに聞き返す。アルトがこくりと頷いて、両手を握りしめる。
監査帰りに、クオルが怪我をして来るのは珍しくない。ただ、頻度は減ったし、軽傷になってきたとブレンとミウ、それからクオルと常に一緒にいる竜であるライヴも言っていた。
こんなことは、久しぶりで。戸惑いだけが先行する。不安が押し寄せる。
「転送を、お願いできますか?」
「あ、う、うん」
ブレンはゲートパスを持っていない。そのため、アルトのパスを使わなければ移動はできない。
アルトは一度深呼吸をして意識を落ち着かせてから、ゲートを起動した。
転送先は、管理局本部。
(兄貴……すぐ行くからっ…………)
アルトの中で言い様のない不安が爆発的に膨れていった。
◇◇◇
本部へ転送すると小走りで医務室へと向かう。ブレンは特に何かを問いかけたりはしなかった。付き合いは長いゆえに、ある程度分かっていたのだろう。
「兄貴ッ!!」
医務室へ駆け込むと同時に、悲痛な声でアルトが名を呼ぶ。
入って正面にあったデスクに座っていたラナが椅子をくるりと回転させて体を向けた。
「お迎えご苦労様。今とりあえず寝かしてるから、連れてって頂戴」
「その前に説明してもらえますかね?」
笑顔で問いかけたブレンに、ラナは一瞥寄越す。笑顔だが、ブレンは静かに、怒りをたたえていた。誰にでもなく、多分、自分に。
ラナは小さく肩をすくめて、椅子を再び回転させると、背中を向けた。ペンを手に取り、日誌だろうか、手を動かす様子だけが見える。
「いつも通りよ。負傷して帰ってきたのが約一週間前」
「一週間も前、ですか?」
「ええ。手続諸々があったから、時間がかかったんだけどね。無茶っていうか……やってくれるわ」
「その物言い……改変(リライト)ですか?」
ブレンの問いかけに対し、ラナは振り返って息を吐く。
「そーいうこと。分かったら引き取ってもらえる?」
「……どうして、またそんな事を……」
独り言を呟き、ブレンは目を伏せた。アルトは必死に頭を振り絞る。
『改変(リライト)』……アルトの記憶が確かであれば、所属世界を変更する禁術だったはずだ。その発動には莫大な魔力を必要とし、最悪の場合、術者の生命さえ奪う可能性のある魔法の一つ。
「クオルの本心は分からないけど」
ぽつ、とラナが言う。
「……過去へ戻るための手段を手にしたかっただけなんじゃないかって、疑ってるわ。私はね」
「過去……?」
ラナは手招きをして、二人を呼び寄せる。
一度顔を見合わせ、ブレンとアルトはラナの背中へと歩み寄った。
ラナが机の上に広げていたのは、報告書だった。
「……今回、クオルが壊した世界はね。本来は、第三代目の王の管理していたそれだった。十三世界と一緒ね」
三枚の報告書だった。一枚目はその世界に関するデータそのもの。出自や崩壊原因、移動経路などだ。二枚目は崩壊時に放出されたエネルギー等の測定データのまとめたもの。
そして三枚目の写真には写真が添付されていた。
うつろな表情で写真に納まる、少年。
「これ……誰だ?」
「今回クオルが改変した子。貴重な成功例ね」
「兄貴、そんな無茶をしたのか?」
改変の危険性はいくつもの資料で語られている。失敗がほとんどであること。その失敗のなれの果ては『なりそこない』という残酷なものであること。
それを越えた、少年。クオルが命を賭してでも改変した、存在。
「過去へ戻りたいがため、と言う事は……この子は」
「そう。時間を行き来できる能力を持つ、稀少能力者。まぁ、実際使えるかどうかは分からないけどね。この子の世界は壊れたわけだし……付け焼刃的に、学院へ結んだみたいだけど」
ふう、とため息をついて、ラナは資料をまとめる。
「クオルの気持ちも分からなくはないわ。過去に戻ってやり直せるならどんなに幸せか。だけど……その為に、この子の人生は狂ってしまったのかもしれない」
ラナは言いながら、写真の少年の顔を指で撫でる。ひどく、つらそうに。
「……でも、助かったことにはきっと意味がある」
そう、アルトは口を開いた。ラナとブレンが、怪訝そうな視線を向ける。
「なくても、俺が探す。見つける。俺は兄貴のしたことが間違ったことじゃないと思うから。だから……兄貴を責めるなんてことは絶対にさせない」
そしてその結果を迎えるのはもっと後の事になる。
◇◇◇
話が一通り完結するとラナは書類を持って、出て行った。それを見送り、ブレンとアルトはクオルの元へ。
カーテンを開いて中を覗くと、静かに眠っているクオルがいた。枕もとで丸くなっている青い竜……ライヴも、いた。
点滴チューブが腕に伸びて、ぽたぽたと滴下される雫だけが動いている。
「どうして、兄貴はそうまでして過去に帰りたいんだろう」
「アルト様は、振り返りたい過去はないんですか?」
ブレンの問いかけに、アルトは言葉に詰まった。帰りたい時間が、ないわけじゃない。ドゥーノがいて、前の、魂の兄弟だったクオルがいた頃。その頃に帰れるならば、それはきっと幸せなことだ。
だけど。
「……戻ったら、俺は……今の自分を否定することになる。シスも、ブレンも、ミウも……兄貴も全部捨ててまで、あの頃に戻りたいとは、思わない」
「……強いんですね」
「強くなんてねーよ。そう思って必死に自分を誤魔化してるだけで。だけどそれって、きっと俺を支えてくれた人がずっといたからなんだよな」
眠るクオルの孤独はきっと自分よりはるかに深い。ブレンとミウとライヴで何とか保っている命と心で、過去を見つめながら今に立っている。
「兄貴は寂しいんだ。だから、俺はそれを少しでも軽減できるように傍に居たい。兄貴を守れる議員になる。いつまでも兄貴を独りきりで、最前線で戦わせたりしない」
決意の言葉だった。その言葉にブレンは淡く微笑み、そして言った。
「では後方はアルト様に頼ることにします。私は……」
「ブレンは?」
笑みを少しだけ変化させ、ブレンは苦笑混じりに、返す。
「クオル様を最前線で一人にはもうさせませんよ。……頑張りましょう、アルト様」
「……ああ。守り切って見せる。兄貴だけは」
これがどんな結末を招くのかは、まだ不定だけれど。