◇◇◇

 

 青と白、それから薄い茶色だけで描かれた繊細な絵の前に、立っていた。

 上半分は空。そこにたなびく薄い雲が白く描かれている。

 下半分は、何なのか見当もつかない。

「これ、城下の海岸の絵ね」

 傍らで同じように絵を見ていたディルに、僕は首を傾げた。

「かいがん……?」

「そう。海に繋がるところ。この茶色っぽいのが砂浜」

 海。名前だけしか知らない存在だった。

 塩の取れる水というイメージがぼんやりとあるだけで。

「海……って、広いんですか?」

 尋ねた僕に、ディルはくすっと笑った。

「広くて深いわよ。でもって、しょっぱい」

「しょっぱい? 水が……ですか?」

「だって海水使って塩を取るのよ? たっぷり塩が溶けてるに決まってるじゃない」

 ……やっぱり、良くわからない。

「そのうち、出れるようになる」

 反対側に立っていたラーズがそう呟いた。

 視線は海と空の絵画に向けたまま、真剣な声音で。

「……いつか、本物の海を見に行ける日が来る」

「そしたら、海水浴したいわね。私、ついでにローズシェル探したい」

 薄桃色の貝があるのよ、と付け加えたディルに、僕はただひたすら疑問符を躍らせる。

 知らない事ばかりで、何も想像できない。

 一生懸命想像している僕の隣で、ラーズが呆れた様子で言った。

「そんな柄じゃないだろ、ディルは」

「ちょっと!」

 僕を飛び越えて大声を上げるディルと、しれっと聞き流すラーズ。

 何だかそれがおかしくて、笑みを浮かべた。

 そして、海の絵を、見やる。

 青い空と微妙に異なる青を輝かせる海。

 本物とどれだけ違うのか、興味がどんどん膨らんでいく。

「海……一緒に、見に行きたいですね」

「馬鹿ね! 行くのよ!」

 言い切ったディルに、僕は頷いた。

 ふと、ラーズが口を開いた。

「……お前は、迷わず生きればいい」

 ぽん、と肩を叩かれ、僕は目を向けた。

「すまんな」

 そこに居たラーズは……――

 

◇◇◇

 

「っ!」

 見えた世界は、石造りの天井だった。

 天井には何重もの結界が張り巡らされて、鈍い光を放っている。その光が、唯一の光源のようだった。

 鈍い思考で、クオルは首をゆっくりと動かし、周囲を見回す。

 天井はやがて、鉄格子が嵌っている部分へとたどり着いた。

「……?」

 重い体を起こして、その光景をやっと確認する。

 部屋の半分ほどを区切る鉄格子。

 それでクオルはようやく悟る。

 帝国に捕らえられたのだと。

 ふと、クオルは力なく下ろしていた手を見やる。

 何もなかったように、それどころか血色が悪い手。

 この手で、一番奪ってはいけない命を、奪ってしまった。

 生きていてはいけない自分が、生き残って。

「っ……!」

『無駄なことはやめるんだな』

 脳裏に唐突に響いた声に、突発的に自身の肉体を傷つけようとしたクオルは固まる。

『どうせ看守に見つかって、治療されてここに戻されるだけだ。大人しくしておけ』

「イシ、ス……さん……?」

 無言で肯定したイシスに、クオルは震える言葉で問いかける。

「ら……ず、は。……ラーズは……どうなったん、ですか」

『……それを確認することに意味があるのか?』

「だってっ……!」

 ふう、とイシスの気配がため息をついたのが分かる。

 心臓が痛いほどに拍動するクオルへ、イシスは言葉を突きつけた。

『……お前が、殺した。それだけだ』

「っ……」

『分かったら、大人しくしていろ。……どの道、現状については私でも分からん』

 イシスの言葉は、クオルの耳には入っていかない。

 現実を直視するしかないクオルは、ただ、溢れる激情をぽたぽたと落とす以外出来なかった。

 

◇◇◇

 

 最低限生活できる環境を整えてありながら、部屋の向こう側を隔てるのは鉄格子とガラスだった。

 ガラスには、中に入らずとも会話だけができるように設計されたのか、いくつかの小さな穴があけられている。

 それでも、外界との接触を最低限に抑えようとした結果が、ガラスなのだ。

 でなければ、鉄格子でも十分な筈だ。

 それでもあえて強化ガラスを用意したことから、いかに警戒しているかが窺える。

 ガラスに隔てられ、更に鉄格子をしつらえた部屋。

 そこが、今のクオルの居場所だった。

 ガラスの向こうでも、何重もの結界が張り巡らされている。

 その上で、部屋の外では常に誰かが待機し、新しい結界の構築をしていた。

 結界の穴が生じないように。

 それをぼうっと眺めているクオルに、彼らは怯えながら作業を続けている。

 クオルの存在に、怯えていた。

 だが、実際はそんなものは不要であることも、彼らは知らない。

 クオルは、現実に心を置いていなかったのだから。

 そして、クオルが目を覚まして二日後……――ディルは帝国の制服を纏い、クオルの前に現れた。

 

◇◇◇

 

「あんたが悪いわけじゃないのよ。あいつは、そもそも限界だったみたいだから」

 鉄格子の向こうから、ディルは告げた。

 この場所には二人しかいないが、酷く空気は重い。

「……もともと、体は丈夫じゃなかったらしいわ。治療に戻ればもう少しよかったのかもって、ドクターは言ってた」

 返事をしないクオルを意に介さずディルは続ける。

 そもそも、クオルは精神崩壊寸前で、ここにいるのだから。

 だが、それでもディルは言う。それが、最後の役目だと知っているからだろう。

 「でもね。あんたを助けるためには時間がなかった。あんたを助けるのを先延ばしにして、治療しても大差はないって聞いてから、迷いはなかったんじゃない」

 ただひたすらに、ディルはラーズの背負っていたものを、クオルに伝え続けていた。

 いつかこうなる日が来ることを予見して、城内での軟禁生活の中、どんな生活をしていたのか、どれだけの状況にあるのかを事細かに報告し続けたこと。

 クオルがどんな人柄か、そして、ディルとラーズにとって、どういう存在になっていたのかを王に直接訴えた日々を。 

 だからこそ、クオルが大した処罰も受けずに幽閉程度で済んでいるのだ。

 ラーズとディルの報告と、帝国の王の心の広さに、クオルは救われていた。

 でも、とディルは苦笑して、語りを止めない。

「無茶苦茶やるわ、あいつ。あんたがあいつを最後まで信じなかったら、何の意味もない作戦を絶対やれるって信じてた。……それだけ、あいつはあんたを信じてたし、……助けたかったのよ」

 沈黙を続けるクオル。

 ディルは気分を害した様子もなく、淡々と問いかける。

「ねぇ、あんたはもう、簡単に人は殺せないでしょう?」

 クオルはその問いかけに対して、ようやく反応らしい反応を返した。

 反応と言っても、うつろな瞳をディルへと向けただけだが。

 その瞳を受け止めて、ディルは苦笑し、頷く。

「それが、あいつの最後の希望よ。……届いてよかった。それと、ありがとね。……あいつに、良い死に方させてくれて」

「……よくなんて……」

「あいつにとっては、最高よ。……まぁ、今はゆっくり休みなさい」

 ディルはそう告げると、ひらひらと手を振って去って行った。

 黙ってディルを見送ったクオルは、視線を部屋の隅へ移す。

 チェストの上に置かれた、杖。イシスの力の象徴でもある、ムーンクレスタ。

 それは最早、クオルにとっては殺戮の証にしか見えなかった。

『……少しは話を聞く気に、なったか?』

 イシスに二日ぶりに声をかけられる。

 あるいは、クオルがイシスの存在をシャットアウトしただけかもしれないが、本人に自覚はなかった。

 それでも、聞きたいことは、ある。

「……どうして、……一緒にいて、くれなかったんですか」

 ぽつりと、クオルは問いかけた。

 イシスは短い沈黙の後、告げる。

『お前は覚えていないだろうが、あの地下室で目覚めた私を、あいつらは無理矢理閉じ込めた。いや、一時的に抜き取った、というほうが正しいかもしれん』

 黙って、クオルは先を促した。

『その移植先が、あの司教だ』

 ああ、と納得する。

 あれ以来司教を見かけなくなったのは、イシスを封じたゆえに壊れたからだろう。

 もともと、ヒトの体は二つの魂を宿すようにはできていない。

 それを無理に行えば、精神が壊れても何ら不思議ではないのだ。

 クオルのように、どこか最初から壊れていたなら、ともかく。

『生憎と力のほとんどはお前に渡したからな。私にはなすすべもなかった。そんな私を奪いに来たのが、あの二人だ。そして、お前に私を届けるために、私を受け入れたのが、ラーズだ』

「でも、ラーズは……壊れてなんてなかった」

 自分のように心が半分機能していないならいざ知らず、司教ですら駄目だったのに。

 そう思考するクオルに、イシスは静かに返す。

『あいつの魂は欠けていた。それは生まれ持ってのものじゃない。何かしらの方法でもって、欠けさせていたんだ。その答えは、多分あの娘が持っているだろう』

「ディルが……」

『だが、何故かあいつはお前に会ってもすぐに私を返さなかった。その結果が、あれだ』

 クオルはぎゅっと手のひらを握りこむ。思い出せば、痛くてたまらなくなる。

 今思えば、イシスは懸命に救おうと交代を要請していた。

 でも、現実が受け入れきれずイシスの言葉が掻き消されて、結局救えたかもしれないラーズをそのまま死なせてしまった。

 自分が、心が、弱いから。

『私が知りうる情報はこれが全てだ。……今は、あの娘の言う通り、少し休め。お前には、心身ともに休息が必要だ』

 頷く気力しか残されていなかった。

 

 どうしたら、良かったのだろう。

 どうすれば、救えたのだろう。

 

 過去に戻ることができたなら、こうなる前に自分を殺してしまえるのに。

 クオルは強く、そう思った。

 

◇◇◇

 

 何時間か、過ぎたころ。

 窓から見える世界が赤く染まり始めたころ、不意に、がちゃがちゃと金属がぶつかり合う音が聞こえた。

 ベッドの上でぼんやりと座りこんでいたクオルは、ゆっくりと音の方へ目を向ける。

 丁度ディルが隔離部屋に入ってきたところが見えた。

 ガラス戸と鉄格子の鍵を、外の衛兵が慌てて掛けているのが見える。

 その様子に、ディルが苦笑していた。

「そんなに怖がることないのにね」

「……ディル……」

 小さく名前を呼ぶと、ディルは悲しげな笑みを浮かべた。

「ごめんね。あたしたちは、結局あんたを最初から裏切ってた。最初に会った日のこと、覚えてる?」

 そんな昔話を始めたディルに、クオルは頷いた。

 ディルはその一房だけ赤い特徴的な髪を肩から払って、微笑む。

「あの時、あんた凄い困ってたわよね。同い年くらいの子供と会ったことなかったから、しょうがないんだろうけど。……正直、大丈夫かこいつ、って思ったわ。こんな世間知らずに力だけ与えたら本当に操られるだけだって」

「……そう、なりましたよ」

「でもあんたは、もう殺せないわ」

 ディルが否定してクオルは口を閉ざした。

 多分、間違っていないから。

 少しだけ張り詰めた空気を払うように、ディルは続ける。

「帰り際に、また来るって言った時のあんたがあんまりにも嬉しそうで。でもって、次に行ったときには本当に喜んでくれて、……さすがに、罪悪感を感じたわよ」

「どうして、です?」

「だって、あたしたちはあんたの話し相手になりに行ったんじゃないもの。あんたを監視、あわよくば殺すためにいたんだから」

 すっぱりと告げるディルに迷いはなかった。

 納得して黙り込むクオルに、ディルは小さく息を吐く。

「って……そう割り切れてたら、もっと簡単だったのかもね。だけど、駄目ね。あたしもあいつも、……ほんとに……あんたを親友だって、思ってしまったから」

 別の側面を持ちながらも、同じような立場にいた。

 年に似つかわしくない力と役目。

 お互いの傷を隠し合うようにして、それでも共にいる時間が一番安心したのだ。

 戻らない時間で、でもかけがえのない、三人一緒に居られた時間。

「……これから、僕はどうなるんですか?」

 そんな時間と引き換えに、これからを受け入れなけらばならない。

 クオルは過去から目をそらすためにも、ディルへ問いかけた。

 振り返った過去なんて、あの時間ですべてが終わってしまうのだから。

 ディルはクオルを見やって、寂しげな表情を浮かべた。

 しかしすぐに笑みを浮かべて、答える。

「しばらくは、このままで我慢して。そのあとは、制御法が見つかり次第、対策がなされるはずだから」

「そう、ですか」

「殺されはしないわ。もちろん、あんたを兵器扱いなんて真似もさせない。……あんたを兵器扱いしたら、あたしは王でも許さない」

 そう告げたディルの言葉には、確実な憎悪が潜んでいた。

 あるいは、一度そういった話も出たのかもしれない。

 クオルが黙ってディルを見つめていると、ディルはふと、問いかける。

「イシスは、いるの?」

 こく、とクオルが頷いた。

 そう、とディルは目を伏せる。何かを悩んでいるようだった。

「なら、イシスがどうなってたか、ラーズがどうしたかは、分かってるのよね?」

「経緯は……聞きました」

「十分よ。話が早いわ」

 ディルはつかつかと窓へと向かって歩を進めた。

 クオルはディルの動きを視線で追いかける。

 窓にはさすがに鉄格子はついていない。

 景色からでも察することができるように、この部屋はかなり高層にある。

 ディルは窓枠に手をかけ、上へと押し上げる。

 がこんっ、と窓が開き、風が舞い込んだ。

 生ぬるい、湿った空気が流れ込む。

 外は暗くなりつつあり視界は不良だが、弱い雨の気配がした。

「あいつは、多分……分かってたんだと思う」

 背中を向けたまま、ディルはそう切り出した。

 クオルは感情の乏しい表情のまま、そんなディルの背中を見つめる。

「自分が死んで、あんたがこうなること。……違う、な。そうだったら、いいなと思ったのかもね」

 どっちかはわからないけどね、と付け加えたディル。

クオルが今も苦しむのは、ラーズを大切な友人だと思うから。

 そうでなければ、きっと何も問題なかった。

 ラーズも、クオルにとっての自分がどの位置にいるのか、自信がなかったという事だろう。

 いつも自信満々な、ラーズらしくない一面だった。

「だから、何か残さなきゃって思ってた。あたしじゃ、あんたを支え続けるのは難しいだろうって、多分、分かってた」

 それはディルを信じていないという事ではない。

 ただ、出来ることが違うのだ。

 ディルはその立場だからこそクオルを守れる手段があるわけで、そこを蔑ろにはできない。きっと、そういうことで。

「……イシスもいなかったら、あんたはそれこそ一人ぼっちでしょう。あたしにも、罪悪感抱いてそうだしね」

 図星だった。

クオルは目を伏せて、両手を握りしめる。

「図星だからって、自分を責めないの」

 ディルは背中に目でもついてるかのように、クオルを咎める。

 暗い外の景色を見つめながら、ディルは続けた。

「だから、イシスがいなくても、寂しくないようにしたかったのよ」

 そして、ディルは窓の外へ向けて、その名を呼ぶ。

「おいで、ライヴ!」

 ディルの声に少し遅れて、ふわりと、一匹の竜が窓枠に降り立った。

 青い表皮に、金色の瞳。

 まだ、子供の竜だ。三〇センチメートルほどしかない。

 通常の竜は成体で四メートルを優に超える。

 それにしても、青い竜は珍しい。深い海のような青。

「はじめまして、クオル様」

「……え?」

 竜が言葉を発していた。

 そんな竜は、聞いたことがない。

 雨が降っていたのだろう。室内の光で、竜の鱗がきらきらと光る。

 ディルが竜を示して、微笑んだ。

「これがあんたへの最後の贈り物よ。あいつが魂を使って、残した存在。それがこの子、ライヴ」

『……なるほど。欠けた魂が、これか。滅茶苦茶をする』

 イシスの笑みを含んだ声がクオルの中で響く。

 茫然とクオルはライヴを見つめていた。

「……クオル?」

 そっと、ディルが呼びかけた。

 クオルは茫然となりながら、切れ切れに、言う。

「なんで、……そうまで、して」

「あんたに幸せになってほしいから、じゃない? ……自分には未来が残されてないこと、一番知ってたんだから」

 代わりに、生きろという事。

 強いて言えばそれが、ラーズなりの復讐なのだろう。

 ……ずるい。

 そんなことをされたら、死ねなくなってしまう。

 クオルはベッドから足をおろし、ふらつきながら、立ち上がる。

 そうして、一歩だけ踏み出した。

 視線を上げ、クオルはライヴを見やる。

 金色のライヴの瞳が、不安げに揺れていた。

 その瞳の色は……創造主と、同じ色をしていた。

 す、とライヴへ手を差し出すと、クオルは崩れそうな笑みを浮かべる。

「……ライヴ、……おい、で」

 ライヴはその言葉を聞くと、待っていたかのように翼を震わせる。

 ばさっ、と翼を広げて、宙を舞い……クオルの腕に飛び込んだ。

 クオルはそんなライヴをそっと抱きしめる。

 久方ぶりに感じる、生きた存在の温度。

 雨に濡れた小さな温もりが、クオルの頬に寄り添う。

 ぱた、とディルが窓を閉めた。

 震えながら涙をこらえるクオルに安心したような笑みを浮かべ、ディルは言う。

「あんたはもう、一人じゃないわ。ライヴとイシスがいてくれる」

「はい……」

「それから、ねぇ、クオル。今日が何の日か知ってる?」

 ディルの問いかけに、クオルは視線を上げて、首を振った。

 そんなクオルの様子に、ディルは微笑ましそうに、答えを告げた。

「あんたの誕生日。十六歳、おめでとう、クオル」

「…………あ……」

 クオルの表情は、完全に忘れていたことが丸わかりだった。

 力を宿してからの、約一年半。

 すっかり失われた、日常的なこと。

 そもそも、誰かにそんな言葉をもらったことが、クオルには生まれてこの方、なかった。

「あんたがいてくれて、よかった」

 ディルがそう微笑んで告げた。

 その言葉には色々な思いが凝縮されていたように思う。

 今と、過去と。それから多分未来へ託した言葉。

「……ありがとう……ディル。本当に、……ありがとう……」

 その言葉に込めた思いは、一つではない。

 傍にいてくれたこと、今も守ってくれていること……言い表せないほどの、感謝だった。

 首を振って、ディルはクオルの肩をぽん、と軽く叩いて踵を返す。

 ディルが入口に立つと、外にいた衛兵が開錠するために、鍵を取り出した。

「すぐには……」

 お互い背中を向けたまま、ディルが口を開いた。

「すぐには、立ち直れなんて言わないわ。でも……必ず立ち直って。あたしも、あんたを守るために出来る限りのことはするから」

「ディル……」

「で、一緒に……今度は、誰かを守るために、その力を使って」

 誰かを、守るために。

 ラーズが、してくれたように。

 クオルはその意味を噛み締め、頷いた。

「はい。……必ず」

 かしゃん、と鍵が開く。ディルは無言で出て行った。

 こつこつと靴音が遠ざかっていく。

 再び鍵がかけられ、クオルはやっと、振り返った。

 ディルが去って行った方角へ目を向け、自分へと、誓う。

 今はまだ、力と向き合うのが怖い。

 だけどいつか、力と向き合い、制御できるようになったなら。

 必ず、何かを守るためにこの力を使いたい。

 破滅を導くとしても。

 誰かの幸せを守れるのなら。

 誰かの願いじゃなくて、自分の願いと重なった時に。

 雨脚が、強くなる。

 窓を風にあおられた雨粒が叩く。

 雨は、音で少しだけ隠してくれる。

 悲しみや苦しみを嘆く時間を、許してくれる。

 太陽がそれらを照らして、傷を深くしないように。

 だから、今は少しだけ、休息を。

 

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