第二話 籠の鳥 –a sequel of Nightmare-
外洋へ続く港には、白い帆を張った船が次々に荷物と人を飲み込みながら、出発の時を待っていた。
カモメが舞う、青い空。
強くなってきた日差しが、夏の到来を告げようとしている。
水夫が忙しく貨物を積んでいく、貿易港。
大陸の領土の大半を国土としているエバノン帝国の主要貿易港だ。
帝都アクティ・ギリー。
帝国の主、レウ・アクティ女王の城がある、帝国の首都。
この二十年近く、大きな戦争もなく人々は平和を享受していた。
物価も大きな変動はなく、飢饉や災害にも見舞われていない。
素晴らしい時代だ、と誰もが思っている。
そんな空気が漂っていた。
(……平和ボケってのは、良いのか悪いのか……)
人波を眺めながら、彼はそんなことを思っていた。
最前線から最後方まで下がってしまったような気がするのは、気のせいか。
腰に吊った剣の柄に触れながら、心のどこかで感覚が鈍る事を予想し、彼は小さくため息をついた。
青みがかった髪が、海風に揺れる。
「待たせたわね」
凛とした声に、彼は我に返り振り返るって、背筋を伸ばす。
帝国騎士団と一目でわかる刻印の入った緋色のマントを羽織った女性が、そこには居た。
年齢は、二十代前半といったところ。
もっとも、事前に聞いた話では人間ではないとのことで、正確ではない。
印象的なのは、茶髪の中に、一房だけ真紅の髪が交じりこんでいることだろう。
海風に彼女の長い髪が舞い踊る。
彼女は左手で髪を抑えながら、微笑んだ。
「初めまして。第二騎士団長、ディルオーラ・ルヴィースよ。ディルでいいわ」
「南方警衛隊第四小隊から出向しました、ブレンです」
緊張の面持ちで名乗ったブレンにディルは苦笑しながら頷く。
「そう。じゃあ、早速だけど行きましょうか」
ディルが踵を返し、ついてくるように示す。
ブレンは慌てて荷物を掴むと、ディルを追いかけた。
これは、ブレンが光と闇が相反するものだと思っていたころの話。
◇◇◇
ディルの姿は城下ではとりわけ人目を引く。
緋色のマントに、一房だけ赤い髪は彼女の存在全てを示しているかのようだった。
ただ、それを意にも解さず、颯爽と歩くディルの姿は清々しい。
周囲のどよめきや囁きなど涼しい風のように歩を進めるのだ。
ブレンは前に自分がいた警衛隊の隊長の太鼓腹を思い出し、苦笑する。
同じ帝国軍人でも、こうまで違うのか、と。
「ブレン、いくつか質問してもいい?」
不意にディルが肩越しに振り返りながら、問いかけた。
ブレンは迷わず頷いた。もともと拒否権などないと思うけれども、そういうささやかな言葉がディルの人柄を表している。
ありがとう、と添えてからディルは言う。
「今、いくつ?」
「先月で十八になりました」
「へぇ……じゃあ、いつから軍人になったの?」
「二年くらい前です。最初は、村の自警団にいたんですけど。軍が警護する、という事で……流れで」
「それはまた、災難じゃない」
ディルが同情した口調で告げる。
だが、ブレンは苦笑いで首を振った。
「でも、軍人になるって決めたのは自分です。後悔はありません」
「ふぅん……」
後悔はないが、正直、ここにいるのは希望とは違う。
ブレンが村の自警団から軍へ警護部隊が変わる際に志願したのは、自分の故郷を守りたかったからだ。
帝都に来て、帝都の守りをしたいわけじゃない。その可能性は最初からあったのだろうが、まさか田舎の警護から引き抜きがあるなど、誰も予想しないだろう。
正直、ブレンは現状を嬉しく思ってはいない。
沈みそうになる気持ちを振り払うために、ブレンはディルへ言った。
「逆に、こちらから質問してもよろしいでしょうか?」
「もちろん。どうぞ」
「ディル団長は、何故、帝国の傘下に? 団長は……エルフでしょう?」
その言葉に、ディルは寂しげな笑みを浮かべた。
「あたしはエルフだけど、魔族でもあるのよ。ハーフってやつね」
「えっ……」
ブレンは言葉を失った。
この大陸には四つの種族がいる。
人間、エルフ、魔族、天使族。
どの種族も、決して良好な関係を築いているとは言い難い。
中でも、エルフと魔族は思考の方向性がまるで違うせいで、お互いに関心さえない。
その二つの種族の、間に生まれたのがディルだという。
ただ、少しだけ納得する。
エルフは極端に争いを嫌う。
閉鎖的環境で生きることを余儀なくされても、戦いからは距離をとる種族なのだ。
そんなエルフでありながら、騎士団に在籍するディル。
魔族の血が入っているのならば、多少は納得できる。
血気盛んな種族として有名なのが、魔族なのだ。
「……ブレン、もしかして種族で部類わけ出来ると思ってる?」
「はい……?」
「エルフでも、普通に騎士団にいるわよ。彼らは、魔法に長けている、頼りになる仲間よ。種族の特徴ってね、その種族が集団化して初めて生じるのよ」
ディルが言いたいのは、環境的要素で変わる、という事だろう。
親の教育が子供の性格を創るのだから、当然と言えばそうだ。
「ほかに聞きたいことは?」
ディルが明るい声音で問いかける。
ブレンはいくつか脳裏に浮かんだ質問があったが、それを選ばずに別のことを尋ねた。
「どうして、私が帝都に召還されたんです?」
「そうねぇ……運、かな?」
「運?」
「あるいは、それが運命だったりしてね」
楽しげに笑ったディルに、ブレンは首を傾げた。
後から思えば、確かにそれは運命みたいなものだったのかもしれないけれど。
今現在のブレンにとっては、嬉しくもない言葉だった。
◇◇◇
港から城下の大通りまで抜けると、一台の馬車が止まっていた。
「ごめんね、貨物車なくて」
「いえ、私はいいんですが……」
むしろディルが荷台に乗る方が問題だと思うのが普通だろう。
だがディルは気にした様子もなく、荷台へひらりと乗り込み、ブレンを促した。
戸惑いながらも、ブレンも続き、持っていた荷物を肩から下ろす。
そして、馬車が動き出した。
かたかたと揺れながら、ブレンは視線を外へと向ける。
流れゆく馬車から見える景色は、ブレンにとっては全てが新鮮だった。
宝飾店や、貿易商。滅多に出会わないもののオンパレード。
きらきらと輝く街の景色。
故郷の市場を思い出すと、少し寂しくなる。
だが、この場所には、自分の居場所はない。
ブレンはそんな気がしていた。
「さ、着くわよ」
寂しい想いに囚われていたブレンは、ディルの声で顔を上げる。王城がすぐそこまで迫っていた。
重い門が開き、からからと馬車の荷台の車輪が通りとは違う、滑らかな石畳の上を転がる。
馬車が止まると、ディルはひらりと荷台から降りた。
ブレンも慌てて荷物を掴んで、それに続く。
「ようこそ、アクティ王城へ」
ディルが軽く腕を広げて、そう微笑んだ。
ど田舎から、こんな首都へ放り出されたブレンは、ただ茫然と城を見上げるしかできなかった。
「それじゃ仕事場まで案内するわね。ニーリィ、馬とブレンの荷物を頼んでいい?」
「承知しました、団長」
御者の部下が即答する。
流石にそこまでは、と言いかけたブレンの荷物を自然に奪って、ディルは荷台へ戻してしまう。
こうなったら、流石にどうにもできない。
諦めたブレンは、お礼を込めて御者に深々頭を下げる。
御者は気さくな笑みを浮かべて、軽く手を上げ、馬車を格納に向かっていった。
「さて、行きましょうか」
「はい」
ディルに促され、ブレンは深く頷いた。
◇◇◇
「あ、忘れてたわ。ブレンの所属、詳しく教えてなかったわね」
通路を歩きながら、唐突にディルが口を開く。
今更だと思ったが、ブレンは黙って続きを促す。
「ブレンは、特殊警衛員。最近一人辞めたから、そこの穴埋めに入ってもらおうと思って」
「特殊警衛員?」
「行けばわかるわ。ちなみに、王直轄部隊の一つよ。ちなみに、班員はブレンを入れて、四名ね。班長と、あと二人。仲良くするのよ」
その口ぶりではディルは班長ではないという事だろうが……。
なら、何故迎えに来たのだろう、という疑問が鎌首をもたげる。
たん、たん、と一歩ずつ螺旋階段を上っていく。
踊り場を過ぎる度、人気が薄れていく。
それと同時に、足元から冷えていく感覚。
実際の温度は変わっていないはずなのに、とブレンは心の中で首を傾げていた。
ちらりとディルの背中を見やるが、質問が上手く言葉に出来ないブレンは、仕方なく諦める。
最上階までたどり着くと、ディルが木製の扉を押し開ける。
ディルに続いて、ブレンも中へ足を踏み入れる。
――そこには何重もの魔法陣が目に見える濃さで描かれていた。
これほどまでに濃い結界は見たことがない。通常強力な結界ほど、見えやすくなるのだ。それでもうっすら見える程度が通常で。こんなにもはっきりとした魔法陣という事は、有り得ない。
――どれだけ強力な結界を張ってるんだよ……?
あまりの事に、ブレンは思わず息を飲んだ
「ディル? ……どなた、ですか?」
思わず足元に目を奪われていると、不意に別の声がした。
慌てて顔を上げ、
――目が、合った。
空を映したような青の瞳と、陽に透けそうな金髪。
村ではまず見たことがないくらいの、美少女がいた。
見つめあったまま沈黙していると、不意にディルが言う。
「……クオル、あんたいい加減自覚しなさいよね……可哀想に」
「え? 何をです?」
視線がブレンから、ディルへ移る。
不可思議な拘束が解けたブレンは、視線を慌てて下げた。
心拍数が跳ね上がっていた。
何とか落ち着こうと、深く息を吸い込む。
「ブレン、騙されんじゃないわよ。これ、男だからね」
「騙してなんかいませんよ! 見てわかるじゃないですかっ」
反論する超美少女。
いや、美少年?
ブレンがただ絶句していると、ディルがため息をついた。
「まぁ、いいわ。ブレン、これがあんたの警備対象。クオルよ」
「あ、はじめまして。クオル・クリシェイアです」
ふわりと微笑んだクオルに、ブレンがぎこちなく頷いた。
男だと言われても、どうしても信じられず、意識してしまうブレンがいた。
ディルはくすっと笑って、ブレンへ告げる。
「ブレンの仕事は、クオルの世話一般だから。任せたわね」
「……はい?」
「見てわかるでしょ? これ」
床を示して、ディルが言う。
強力な結界。
それはクオルを守るためというよりは、クオルを閉じ込めておくために張り巡らされているように、ブレンの目には映る。
ブレンはそっと視線でディルに確認する。
ディルは悲しげな笑みを浮かべて、頷いた。
どうやら、間違ってはいないらしい。
「……分かり、ました」
「ありがとう。……頼んだわね」
そう言い残して、ディルは出て言った。
ぱたん、と扉が閉まる。
そして訪れるのは、沈黙。
「聞いて、いいですか?」
沈黙を先に破ったのはクオルだった。
少しだけ困ったような表情を浮かべて、クオルはブレンの瞳に問いかける。
「貴方は、僕のことをどれだけ知ってここにいるんですか?」
それは、寂しさと、恐怖を混ぜ込んだ、そんな言葉。
しかし、妙な事を聞くな、とブレンは密かに訝しんだ。
ただ、クオルの瞳は、どこか真剣みを帯びていたので、ブレンはクオルに首を振る。
「何も」
「そう、ですか」
安心したような……悲しそうな。
若いのに複雑な表情をする人だ、とブレンは思った。
ブレンにとっては、クオル・クリシェイアという存在が、謎で仕方ない。
姓があるということは、貴族である。
この大陸では姓は貴族であることを示すのだから。
一般庶民たるブレンには当然、姓はない。
そして、貴族であるはずの人間が……こんな場所で、拘束されているのだ。
疑問を抱かないわけがない。
「ブレンさん」
ブレンの思考を遮るように、クオルが声をかけた。
目を向けると、クオルは微笑んでいた。
ガラスの向こうに閉じ込められた、人形のようだった。
「お世話になります」
「……あ……えっと……はい」
それが、ブレンがクオルに出会った最初の記憶。
出会っていなければ、きっと平穏な人生を歩めた。
だが、後悔だけはしていない。
ブレンにとってクオルを守るという事の最初の意味は、ここにあったのだから。
◇◇◇
それからまた、戸惑いの漂う沈黙が降りていた時だった。
「誰だよーっ! 僕の渾身の魔法陣消したのーーっ!」
叫び声とともに、扉が壊れそうな勢いで開く。
ブレンは反射的に剣の柄に手をかけ、クオルは苦笑した。
だん、と床を踏みしめたのは、十歳くらいの外見の少女だった。
尖った耳と、金色の瞳でエルフであると分かる。
ブレンが知っているエルフの性格とは百八十度反対だったけれど。
「キミ? それともクオル様?」
「どっちも違うと思いますよ、シェマ」
「経時劣化なんてまだ全然先だよ!」
一人で怒りながら、少女はしゃがみこんで床を眺める。
目を皿のようにして、魔法陣の状況を確かめていた。
やがて、がっくりと床に手をついてうなだれる。
「しくったぁ……! 属性相殺を忘れてたぁぁぁ」
今までの流れからも、この少女――名をシェマというらしい――がこの部屋の魔法陣を管理しているということだろう。
エルフの標準クラスなのかもしれないが、ブレンにとっては驚愕のレベルだ。
シェマは大きなため息をつくと、飛び上るようにして立ち上がった。
ブレンと向かい合って、しげしげと観察するシェマ。
身長が小さいので妙な威圧感がある。
「あー、もしかして、テンベートの言ってた新しい特殊警衛員かー」
「テンベート?」
シェマは緑のローブの内側から手帳を取り出して、ぺらぺらとめくりながら答える。
「班長の名前だよ。まぁ、キミが会うことはないだろうけどさ」
「いや挨拶くらいは行きま……」
「要らないって言ってんじゃん」
シェマはそう拒絶の言葉を投げた。
その言葉の強さに、ブレンは怯む。
シェマは息を吐いて、ブレンを見やった。
「僕は、シェマ。見ての通りのエルフ。キミは、人間かな? 名前は?」
「ブレンです」
外見は幼くても、間違いなくシェマの方が年上だ。
ブレンの回答に、シェマは満足そうに頷いて見せた。
きちんと年功序列を理解していることに満足しているのだろう。
「そ。キミが特殊警衛員で、僕は特殊結界師。仕事内容とか全然違うから。あんまり関わることはないっしょ」
「何言って……対象はクオル様なんでしょう? 協力しないでどうやって……」
「キミはキミのやるべきことをやる。僕は僕の任務を遂行する。それで目的は達成できるもんだよ。キミはただ、この部屋でクオル様を……警護してればいい。簡単だろう?」
意味が分からない。
クオルはこの話に関して一言も言葉を発していなかった。
渦中の人物だというのに。
ブレンが不安を抱きながらクオルを見やる。
目が合ったクオルは、困ったような笑顔を向けて、小首を傾げただけだった。
「しょーがないなぁ。戻りがてら、少しだけ話してあげるよ。部屋も案内するようにディル様にも言われてるし」
くるりと背を向けて、シェマはさっさと扉の方へ向かう。
ブレンは慌ててシェマを追いかけようとして、一旦足を止めた。
ガラスの向こう側で、静かに椅子に腰かけるクオルがいる。
「あの、クオル様、また」
「え? は……はい。……また……」
驚いた様子で戸惑いながら返事を返したクオルにブレンは心の中で首を傾げ、シェマを追いかけて扉を閉めた。
◇◇◇
一つ下の階の踊り場で、シェマは待っていた。
ブレンが追いつくと、シェマは徐にため息を一つ。
その意味が分からず首を傾げたブレンを無視して、シェマは階上を見上げる。
まるで、その先にいる存在を警戒するように。
「キミさぁ、勘違いしてない?」
ブレンに視線を合わせて、シェマは切り出した。
勘違い?
「僕らの任務、ちゃんと教えてあげるから忘れないでよ」
そっけなく言って、シェマはくるりと背を向け歩き出した。
ついてこい、という事だろう。
ブレンは黙って、そのあとに続く。
「いい? 特殊警衛班ってのはね……――」
シェマの話を要約するとこうなる。
配置先は、特殊警衛班。警衛対象はクオル・クリシェイア。
班長はテンベートという人間の男性らしい。役目は班員の管理。班員は二人。シェマと、あともう一人。シェマは会ったことも見たこともないという。
シェマは特殊結界師……あの部屋の結界を担当する。
もう一人は特殊封術師……部屋への立ち入りを制限する能力者とのこと。
そしてブレンは、特殊警衛員。
「勘違いしないでよ。世話一般は確かにキミの役目。だけど、それはクオル様の面倒を見ろ、って意味じゃないんだからね」
「……矛盾してるけど大丈夫ですか?」
「分かりやすくいってあげるとさ。キミは化け物が暴れないように見張ってればいいんだよ」
化け物。
その物騒な響きは、あまりにもクオルには似つかわしくなかった。
鳥かごに閉じ込められた、不自由な鳥だと言われたほうが、よほどしっくりくる。
言葉に窮したブレンに、シェマはぽん、と背中を叩いた。
「ま、精々取り込まれないようにすれば問題ないよ。明日から頑張んなね」
そうしてブレンを部屋まで案内すると、シェマは振り返りもせずに去って行った。
無言で部屋に入り、自分の荷物が丁寧に窓際に置かれているのを見つける。
何故だかその光景に無性に安心したブレンがいた。
◇◇◇
荷物をほどいていると、不意にノックがブレンの鼓膜を揺らす。
「はーい。どーぞ、開いてます」
答えながらブレンは振り返った。
視線の先で、そっと躊躇するように扉が開いた。
「って、エリオ?」
率直にブレンは驚いた。見覚えのある栗色の猫っ毛。少し人より細い目。
良く知った、幼馴染だった。
何年か前に引っ越したのは覚えていたが、まさかこんなところにいるとは思わなかった。
「うわ、ほんっとに、ブレン。久しぶりだなぁ」
エリオも確信を持って訪れたわけではないのは、先ほどの入室の様子からもうかがえる。
ほっとした表情をお互い浮かべた。
「久しぶり。エリオ……それ」
「お、気づいた? 気づいちゃった? ふふん、良いだろう」
得意げに手甲を見せるエリオ。
帝国騎士団特有の真紅の文様が刻まれた手甲だった。
エリオは、騎士団の一員という事だ。
「って言っても、まだ下っ端だけどな。第2騎士団に入れてもらえただけ、幸運だけどさ、俺は」
「ああ、ディル団長か。あの人、凄く良い人そうだもんな」
「そうそう。……ていうか、なんでお前知ってんだよっ。そのうえディル団長とか親しげにっ! お前今日来たんだろ!」
まだ声かけてもらったのなんて数えるほどしかないのに、と心底悔しがるエリオにブレンは思わず苦笑いを浮かべた。
先ほどブレンの心に広がった不安の波紋が、少し和らぐ。
「んで、ブレン。ブレンの配属先は?」
「ああ……特殊警衛班」
その名を聞いたエリオは呆気にとられた。
瞬きを数回して、徐にエリオは口を開く。
「ブレン……お前、すごいとこに呼ばれたんだな」
「は?」
「しょーがねーな。ちょっとだけ先輩の俺が説明してやるよ。ま、ひとまず飯に行こうぜ」
凄い、というエリオの言葉の意味が、今のブレンには全く理解できなかった。
◇◇◇
兵舎食堂。
流石は帝国騎士団本部といったところで、村の食事とは一線を画していた。
ただ、どうにもまだ肩身の狭いブレンは味がよく分からず、飲み下すだけの作業と化していた。
半分ほど食事を平らげたところで、ようやくエリオが切り出す。
「特殊班ってのは、機密を扱ってる部隊って噂だ」
機密。思い出すのはクオルの姿。
ガラスの部屋に閉じ込められた、十代前半の少年。
世界から隔絶された、化け物と揶揄される存在。
確かに、あれだけ厳重に管理されているならば、機密でもおかしくはないだろう。
そんな事を当然知らないエリオは、難しそうに眉根を寄せて腕を組んだ。
「超兵器を開発してるとか、モンスターを研究してるとかいろいろな噂を聞くけど、どれも信憑性がないっていうか、確信がない」
「そうだな……」
むしろ、その方が余程『機密』らしいとさえブレンは思うのだが。
エリオは好奇心に瞳を輝かせて、若干身を乗り出した。
「ちょっとだけ教えてくれよ。お前の任務って何なんだ? 気になるんだよなぁ」
「任務って、言われても……」
「誰にも言わないからさ、なっ!」
手を合わせて懇願するエリオには悪いが、今日来たばかりのブレンはまだ何も知らないに等しい。
ただ、与えられた役目は……
「世話係……」
ぽそりとブレンはエリオに返した。多分、それに全てが凝縮されている気がする。
エリオは不思議そうに首を傾げた。
「世話って、誰の? もしかして、王女とか王子か?」
「いや、そうじゃなくて」
――城の最上階に住んでるクオルって人の――
「世話」
「……は?」
エリオが首を傾げる。
ブレンも戸惑った。
今、言葉が、出なかったのだ。自分でもその理由が分からないほどに。
絶句するブレンに、エリオが「あー」とか意味のない言葉を言いながら、頭の後ろを掻いた。
「なるほど、そっか。もう班員になってるからか」
「何がだよ?」
逆に問い詰めるブレンに、エリオが苦笑する。
「特殊班の人って、思考だか何だかに制御がかけられるんだってさ。知らないうちに。で、自分の仕事に関係しそうなことは外に発せなくなるらしい。つか、そういう状態だな、ブレン」
「な……」
そんな状態、聞いたことがない。魔法の一種だろうが、それにかかったことさえブレン自身、気づかなかった。
自然に、さりげなく、かけられた。
誰が?
ふと、思い当たるのはシェマの言っていた人物。
特殊封術師。あるいは、今も近くで見ていて、気づかない状態にさせられているだけなのかもしれない。
近くで見ていて、自分が下手に情報を漏らしそうになったら、処分するつもりなのかもしれない……――
そう思うと、背筋が寒くなった。
「ブレン? どうした、顔色悪いぞ」
目の前でひらひらと手を振るエリオに、ブレンは我に返った。
「な、何でもない」
「……大丈夫か? まぁ、俺もいるしさ。部屋番、覚えたろ? いつでも相談に来いよ」
気遣ってくれる存在に、ブレンは幾分救われる。
ありがとう、と笑みを浮かべてブレンが返すと、エリオはそれ以上その話を続けることはなかった。
食事を切り上げ、部屋へ戻りながら、他愛ない会話を交わす。
困惑している自分を気遣うように、エリオが場を繋いでくれたことに、ブレンは安堵した。
エリオは変わらない。
そしてきっと、これからも幼馴染として何かと頼りになるはずだと思うのだ。
望む望まざるとに関わらず、輝かしい帝都に招かれたはずだった。
だが与えられた任務も、そこに関与する班員も、全てが無機質で、冷たい。
何故、クオルなのだろう。
あの場所にいなければならない理由が、本当にあるのだろうか。
それが、ブレンの最初の疑問だった。
帝都に召還され、任務を与えられた初日は、そうして終わった。