間章 学院にて –intermission-
『魔法学院ランティス』
それがこの世界の名称だった。
魔法に関してあらゆる知識と技術が集う場所。その特殊性ゆえに、学院では様々な事情を抱えた人々が数多くいる。
学生といっても、明確な卒業もなく、どちらかといえば養成施設としての位置づけが強い。
「まぁ、色々説明すると混乱するだけだと思うんだけど」
栗色の髪に、目鼻立ちの整った美少年がそう苦笑する。
外見は十代後半にしか見えないが、教員を示す文様の刻まれたローブを羽織っていた。
「元の世界へ返すのはもう少し先でいい、っていう結論に変更は?」
「ありません」
きっぱりと答えたブレンに、少年は頷く。
とある研究室の窓際にある四人掛けのテーブルに向い合せて座っていた二人に、少女がお茶を出す。
特徴的な桃色の髪を高い位置でシニョンにした、勝気そうな目をした少女。
黒いワンピースの裾は黒のレースで装飾がなされている。
「砂糖いる?」
気軽な口調で話しかけた少女に、ブレンは目を向けて首を振った。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「そ。じゃあ、先輩。また何か用があったら言って。そこでレンとエーテル生成してるから」
実験台を示して、少女が告げると、先輩と言われた少年が頷く。
「ありがと、ニナ。頼んだよ」
少女は頷いて、形ばかりの一礼をするとくるりと踵で回って手にしていたトレーを片づけに奥の部屋へ消えた。
この研究室の長であるブレンの正面でお茶をすする少年の名は、ファゼットという。
こと、とカップを置いて、ファゼットはブレンへと大人びた笑みを向けた。
「そういえば、クオルの調子、少しは良くなった?」
ブレンは頷いて、カップを手元に引き寄せる。
「お陰様で。少し落ち着いたようです。まだ部屋から出るほどではありませんが」
「そう。まぁ、クオルはゆっくり時間をかけないと駄目だからね。焦らないほうがいいと思うよ」
ランティスに来て数日が経過した。
クオルはこれまでの心労が一気に出たのか、ほとんど寝ている。傍らにライヴがいて、イシスもついているので今はそっと見守っている状態だった。
無理もない。
生まれてからほとんど、緊張状態だったのだから。
少しずつ、外へ意識が向けばいいと思う。
「帰りたいとか言える状況でもないしね。まぁ、ここなら大丈夫だから、ゆっくりしていくといいよ。追い出したりはしないから」
「ありがとうございます。……突然だったのに」
「いいって。……シスが自分であんなことしたのも珍しいし」
小さく笑ったファゼットに、ブレンもつられて笑みを浮かべる。
確かに、自分の領域に侵入されることを嫌いそうなシスだ。あの場合、自分だけ逃げるという選択肢だってあったはずなのだから。
「良い変化では、あると思うしね。で、何から話そうか」
「とりあえず、現状から教えてください。ここはどこで、貴方は何者か、から」
ああ、そうだね、と気を悪くした様子もなくファゼットは同意した。
「じゃあ、まずは改めて自己紹介かな。僕はファゼット・ドーヴァ。こんな外見してるけど、実年齢は三百越えてて、数えるのはもうやめたよ。この学院では、一応この異種魔導研究室の助教授」
年上もいいところだ。実際ブレンはクオルより年下だが、クオルは精神年齢がまだ近い方だった。ファゼットは達観している。さすが、年齢を重ねただけはある。
「で、本職っていうとあれだけど。メインは次元総括管理局転送処理課の担当官。分かりやすく言えば、キミたちをここに転送した『魔法とシステムの管理担当』かな?」
ブレンはひきつった笑顔で、固まった。
さっぱり、理解できない。ブレンの様子に、ファゼットは苦笑いでこめかみに人差し指をあてた。
「あー……だよね。分かんないと思うよ……うん」
「すみません……えー、と」
「いや無理に理解しようとしても無理だと思う。そうだな……あ」
何か思いついた様子で、ファゼットは近場にあった大量の資料らしきものを掴む。ぺらぺらと裏をめくって、二、三枚を手元に用意する。
胸ポケットにさしていたペンを手にして、ファゼットは用意した裏紙の一枚に丸をふたつ描いた。
「世界って一つじゃないんだ」
「……みたいですね」
ここは少なくとも、自分が住んでいた世界ではない。それだけは、現状を理解できていないブレンでも分かっていた。
「でも、つながってるわけでもない。だから、お互い交流は本来できない。だけど、それを可能としてるのが、ゲートシステム」
二つの丸の間に、びっ、と一本線を渡したファゼットに、ブレンは頷く。まだ、かろうじて理解できる。
「ゲートシステムがつまり転送の主幹ですか?」
「そういう事。そのゲートを管理してるのが、僕の属する部署、転送処理課。ゲートが繋ぐ世界を監視・調査してるのが調査課。その世界に直接介入していくのが監査課。シスは監査課だね」
「その組織名が……えー……」
「次元総括管理局。世界を維持管理する、組織だよ」
理解したブレンは頷いた。つまり、シスは何かしら見張っていたのだろう。
「シスさんは、何のためにあの場所に?」
「さぁ? 仕事じゃなかったと思うよ」
「シスみたいなレベルになると、別に転送許可をほとんど必要としないから。暇つぶしに、ぶらぶらしてたんじゃないかな」
「それって良いんですか?」
「言って聞く相手じゃないし、それに……普段のシスなら、事件に首を突っ込んでいくタイプじゃないよ」
だとしたら、今回はずいぶん特別だったという事だろう。
何がそうさせたのかはわからないが、ブレンは感謝している。
お陰で、クオルがあの場所で必要以上の傷を負わずに済んだのだから。
「ところで、ブレン」
「はい。何でしょう」
「こんなこと言うのは、嫌がるかもしれないけど。……クオルの力を、管理局で役立てて欲しいんだけど」
ファゼットの言葉に、ブレンは少しだけ落胆する。
なんとなく、予想はしていた。
核心的な話をしてくれたのだ。それに見合う何かを求めているに決まっている。それでも、ファゼットはそういう人間ではないと、思いたかったのが本音だ。
無言のブレンに、ファゼットは苦笑を浮かべてはたはたと手を振る。
「あ、いや。無理にとは言わないから」
「本人に言った時点で頷くと思いますよ」
「だからまずはブレンに言ったのに……。でも、話を聞く限り、クオルは定点でじっとしているよりは、色んなものを見たほうがいいと思うよ」
「それはそうかもしれませんけど……」
「まぁ、気が向いたらでいいよ。強制する気はないし」
そう締めくくって、ファゼットは引き下がる。
肩透かしを食らったような感覚に陥ってしまうほどに。
ブレンの戸惑いを他所に、ファゼットは説明の続きを始めた。
世界の構図。
管理局の仕事内容と、その意味。
今の状況に関係する内容を一通り聞いたブレンは今後の事を考える時間をファゼットからもらって、与えられた部屋へと戻る廊下を歩いていた。
考えることなど、実際はそれほど多くはない。
どういう生き方を選ぶか、それだけだった。
元の世界で人目に怯えての隠居を選ぶか、管理局のもと、その能力を揮うか。
メリットとデメリットの天秤だった。
そしてそれを決めるのはブレンではなくクオルなのだから。
どちらを選ぼうとも、ブレンはクオルの決断に従うだけだ。
クオルの決断を尊重し、その上でクオルを守る。
それが今のブレンの自分に課した使命だった。
自室として与えられた部屋の扉の前にたどり着くと、ノックをする。返事は特に待つことはないが、一応の気づかいだ。
「クオル様、戻りました」
「あっ、おかえりなさい、ブレン」
窓際で外を眺めていたらしいクオルはぱっと振り返って笑顔を見せた。
寮の一室で、二つのベッドが並びその奥に丸い窓がある。
奥がクオルで、手前をブレンが使用している。
目礼して、ブレンは扉を閉めると尋ねる。
「具合はよろしいんですか?」
「だいぶ体は軽いです。ごめんなさい、心配をかけて」
「……ほんとですよ、まったく」
ブレンの返答に、クオルが呆気にとられた表情を浮かべた。
純粋な、驚きで。よもや、そんな返しがあるとは思っていなかったのだろう。
内心、ブレンとしても冷や冷やしている。これから告げようとしている言葉を、重荷にはしたくなくて。
ぽかんと呆けているクオルを真っ直ぐ見つめて、ブレンは口を開く。
「……私は、決めたんです」
「決めたって、何を?」
少しだけ動揺した様子で、クオルが尋ねる。
不安げな表情で、クオルはブレンの答えを待っていた。
「私は、クオル様を今度こそ守るって」
「僕は守ってほしいなんて思ってません!」
即座に強い口調で、クオルは拒否を示した。
だが、すぐに罰が悪そうな表情を浮かべて、俯く。
クオルの右肩に座すライヴがそっとクオルの頬に寄り添った。
「……守ってもらいたく、ないんです」
ぽつりと、喉から声を絞り出したような細い声で、クオルはそう訴えた。
クオルは守られることをひどく嫌う。
それは、自分が傷つくということが、守ってくれた誰かが倒れた時であることを理解しているからだろう。
自分が関係して誰かが傷つくことがクオルは誰より怖いのだ。かつてその手を血に染めた記憶が、そう思わせるに違いない。
だからこそ、あえて孤独をも受け入れるのだ。それは……酷く悲しい強さだと、思う。
そしてブレンは、その強さを守る為に、今ここに居ることを選択したのだから。
「私が、クオル様を守れるとは思ってませんよ。魔力も、多分それ以外も」
「じゃあなんでっ……!」
「でも心なら、守れます」
「え……?」
拍子抜けした様子で、クオルは戸惑いを浮かべた。
その様子に、ブレンはようやく肩の力が抜けて、穏やかに微笑んだ。
「クオル様の我儘を聞いてあげられるのも、無茶を止められるのも私にしかできないことでしょう?ライヴやイシスさんは貴方を尊重してくれる。だけど、貴方に本当に必要なのは、そうじゃない」
黙って瞳を向けるクオル。意味を測り兼ねているのだろう。
だからこそ、ブレンは自分の決めた道を貫き通す。
「貴方が拒否しようと、私はそうします。だから、教えてください。貴方がこれから、どうしたいかを」
「これから……?」
「何を選ぼうと、私は貴方についていきますから」
その言葉に、クオルは肩の力を抜いた様子で、一度目を伏せた。
現在の状況に関しては、クオルもイシスを通して伝わっているはずだ。
やけに、その沈黙が長く感じた。
やがて、クオルは顔を上げて、ブレンの瞳を見据えた。
「僕は……、今度こそ、この力を誰かを守るための力にしたいです」
「クオル様……」
ふ、とクオルは笑みを浮かべる。
それは今にも消えそうで、儚い笑み。
「それが……ラーズとディルとの、最後の約束だから」
「そう、ですか」
「それでも」
目を伏せかけたブレンを、クオルの言葉が引き止める。させたくなかった選択ではあった。
だがそれがクオルの決めたことならば、ブレンは従うまでで。
空を映したような青い瞳が、どこか不安げに揺れる。
「それでも……一緒に、居てくれますか?」
ああ、と納得してしまい、思わず笑みが零れた。
結局まだ、クオルは自分では選択しきれないのだ。そしてその選択の是非を、ブレンに依存している。
だが、それでいい。だからこそ、ブレンはまだ、隣に居られることを知っていたから。
だから、その道に痛みが伴うことが約束されていようとも。
「当たり前じゃないですか。……クオル様の望む場所まで、私はお供しますよ」
「……はい」
やっと、クオルが笑う。どこか泣きそうで、それでも嬉しそうに。それで構わない。
ただその笑顔を守るために、自分はこれからも存在し続けるのだから。そしてこの日この瞬間に、クオルは監査官への道を選択した。
クオル編 終幕