第三話 渉外監査官

 

「へー、よかったなぁ」

「良くないですよ! レベルに見合わないものをやらされるなんて、不安ですよ教官っ」

 反論するソエルに、ジノはそれでも嬉しそうだった。参考書を閉じて、ジノが頬杖を突く。ソエル以上に不貞腐れていたエージュに視線を合わせて、ジノは微笑んだ。

「渉外任務って行ったことないだろ。良い経験だよ」

「俺は興味ないです」

 むっとしながら言い返したエージュに、ジノが苦笑する。

「頑なだなぁ」

「信念があると言ってください」

 自分でもただの頑固と言う事は理解しつつも、エージュは毅然と言い返した。ジノはジノで、それは一理あるな、と同意も示す。

「ま、上級のレベルを間近で見れるいい機会だと思うといい」

「……それは、分かってます」

「ならいいんだ」

 満足そうにジノは笑った。

ジノは、教え子が育つのが素直に嬉しいのだろう。そんなジノを見ていると、エージュは何かと強情な自分が、情けなくなる。やっぱり、ジノには勝てない。強くなっても、きっとエージュにとって、ジノは一生教官だ。

 そんな人に出会えたことは、絶望の中に居たとしても、幸せだと思う。

「ソエル、そろそろ時間だ。行くぞ」

「うー……やだなぁ」

 ごねるソエルの気持ちも分かるが、どこか楽しみに感じているエージュがいた。

 待ち合わせ場所は、本部の転送フロア。いずれにせよ、気楽な気持ちではいられない任務が始まる。

 

◇◇◇

 

「遅い」

 ぶすっとした表情で待ち構えていたのは、あの幼い外見の少女。慌ててソエルが頭を下げる。

「すみません、エウィンさん!」

 エウィンは、腕を組んでふんっと鼻を鳴らした。外見こそ子供そのものだが、監査官としての歴はエージュたちより長い。加えて言えば、年齢自体も上だ。

 長命で魔法に長けた一族、エルフの少女。それがエウィンと言う態度の大きな少女だった。

「指令書確認した?」

 くりっとした大きな紫の瞳を向けて、エウィンは確認を取る。

「えっと、初回渉外任務ですっ」

「新米、なめてんの?」

 苛立ちを見せるエウィンに、ソエルがぶんぶん首を振った。といっても、メールで届いた任務内容はそれしか書いていなかったとエージュは記憶していた。

 口を開きかけたエージュより早く、ソエルは言う。

「ゲート接続の完了したばかりの世界の状態を実地で確認する、ですよね?」

 ソエルの回答に、エウィンはようやく納得した様子で、息を吐いた。

「そう言う事。……改めて自己紹介。上級渉外監査官エウィンだよ」

「中級前期、ソエル・トリスタンです」

「中級後期……エージュ・ソルマルです」

 背筋を伸ばして自己紹介をした二人をエウィンはじろじろ眺める。

「期待してないけど。まぁよろしく」

 そっけなく言い放って、エウィンは背を向けた。ソエルは戸惑い、エージュは軽く苛立ちながら、その背中を追いかける。

 新しく観測された世界は、ほとんどゲートの機能が制限されている。特別許可を得て、転送が初めて可能になるのだ。エウィンはすでにその手続きを全員分終えていたらしく、手際よくゲートの設定を進めていく。ソエルとエージュはそれを見守るしかできなかった。

「……はい、完了っと。行くよひよっこ」

「あの……どんな設定を?」

 必要な情報を引き出そうとしたソエルに、エウィンはくすっと笑った。酷く、意地悪く。

「そんなの必要ないから、初回渉外っていうの」

 

◇◇◇

 

 高い樹木が、空を覆っていた。足元には苔がびっしりと生え、湿った空気が漂っている。空はあるいは雲に覆われているのかもしれない。そう思えるほどの湿気だった。

「……湿気ってるし。最悪っ!」

 暴言を吐いたエウィンに、ソエルとエージュは我に返った。エウィンは周囲をぐるりと見回して、最後に空を仰ぐ。

「あー……なるほどね」

「あ、あの」

 意を決して声をかけたソエルに、エウィンは視線を寄越す。

「何?」

「ここは、あの」

 エウィンはやれやれ、と言いたげに息を吐いた。

「渉外任務は、初めて?」

「あ、はい」

「じゃあ一番渉外がどんなものか、よーく見とくんだね。良い経験にはなるよ」

 でも、とエウィンは笑みを浮かべた。

「管理の次に危険なのが、渉外ってことは、よく覚えておくんだよ」

 

◇◇◇

 

 管理は世界の最後に立ち会う。そのため、世界の崩落に巻き込まれる監査官も少なくない。そして、世界と世界を円滑に回すのが、渉外だという。

 だが、具体的にはソエルもエージュも何も知らなかった。エウィンの後を続きながら、二人は黙って周囲を警戒する。鬱蒼とした森は延々と続いていた。

「ストップ」

 ふと、エウィンが手で二人を制した。

「君ら、透明化か飛翔できる?」

「そ、そんな高度な魔法無理ですっ」

 おろおろと胸の前で手を振るソエルに、エージュも黙って同意した。エウィンは小さく息を吐くと、二人へと向き直った。

「これから本格的な仕事に移るから。気を抜かないように」

 あの不遜な態度が鳴りを潜め、凛とした気配のエウィンが告げた。

 その変わり身に、エージュとソエルは息を呑む。エウィンはポケットから糸と瓶を取り出した。すたすた歩み寄って、エウィンは有無を言わせぬ勢いで糸を二人へ順に握らせる。

「あの……」

「見えなくなって、迷子とか困るから。いい? 離したら、どうなっても知らないからね」

 どうやら、透明化をするつもりらしいと、二人は悟る。

 試しに軽く引っ張ってみる。細いが、テグスのような強度を持つ糸だ。それがまさに、命綱そのものになる。

 にわかに緊張感が走る。

「それから、何があっても、この世界で起こることに対して手を出してはダメだよ」

「それは……どういう……」

「それから、私に何があってもね」

 背筋がすっと寒くなるような言葉だった。だが、エージュがその意味を問い質すより早く、エウィンは瓶の蓋を開けて、ざらっ、と粉を無造作に撒き散らした。

 瞬く間にそれぞれの視界から、姿が消えていく。その存在を告げるのは、最早握った糸を引く感覚だけだった。

 存在の証明が、微かな感覚だけというのは、酷く心を不安にさせる。普段、気にしたこともない微かな気配にさえ敏感になってしまうほどに。

 エージュは取り残されたような感覚に、落ち着きがなくなるのを自覚する。姿が見えないだけであって、声は出せるはずなのだが、それさえ憚られるほどだった。

 ――不意に。

 ざぁっ、と強い風が木々を鳴らした。それと同時に、すぐそばの地面が爆ぜる。

「―――!」

 耳に届いた声に、エージュは視線を走らせる。苔むして、湿った地面を走る姿が見えた。

 姿形こそ人間と同じだが、青く発光する文様が肌に浮かび上がっている。何か言葉を発してはいるようだったが、その意味がエージュには分からない。

 何かから逃げているのは確かだと、思うのだが。その姿が見えない。

――否。

 再び強い風が周囲に吹きすさぶ。

(速すぎて、見えてないだけか⁈)

 目を凝らせば、残像のようなものが微かに見える。だが、それも一瞬。

 到底、目で追える速さではなかった。そして、こちらへと走ってくる姿が徐々に近づき、年若い青年である事が分かった。ぐいっと、握っていた糸が強く引かれ、エージュはたたらを踏んだ。

 驚く間もなく、走る青年を突風――恐らくは、目で追えない何かによる一撃――が襲う。

 ばっと、青い光を纏う液体が青年の肘から噴き出す。そして、肘から先は何もなくなっていた。

 息を呑むエージュの前で、青年は膝をついて、何かを叫んだ。しかし相変わらず、言葉が分からない。

 翻訳言語が追いついていないのは明白だった。そして、高速の正体が青年の背後へと現れる。半透明な体を持つ、蛇に翼の生えた見知らぬ生物。この生物にとって、彼は餌なのだろう。

 つまりは。

――喰われる。

 咄嗟に助けようと動いたエージュは、不意に強く引っ張られタイミングを逸した。

「駄目だって、言ったよね?」

 エウィンの声が、すぐ傍で聞こえた。

 ひゅんっと空気を裂く音がエージュの耳元を掠める。瞬間、破裂音が響いた。

「エージュっ!」

 ソエルが駆け寄り、エージュの腕を掴んだ。その感覚にエージュは我に返った。姿が、見えるようになっている。

 そして……エージュの前に立つエウィンの、肩から先が存在しなくなっていた。

 しかし、何故か血が出た様子はない。

「エウィンさ……」

「黙ってて」

 ぴしゃりと言い切られ、エージュは口をつぐんだ。

 正面では、青い液体を口から垂らす翼をもつ大蛇がこちらを見据えていた。ぱたぱたと、地面に滴る青い液体。姿のない青年。

――喰われた、と理解するのに時間は必要なかった。

 悔しさがこみ上げ、エージュはぐっと拳を握りしめる。そんなエージュの前に立っていたエウィンがおもむろに口を開いた。

「σǒ√y。нǒtИниḾy」

 ソエルとエージュにとって、全く知らない言葉だった。大蛇はじっとエウィンを見つめ、その口をゆっくりと開く。

 思わず身構えたエージュと、怯えた様子で掴んだ手に力を込めるソエル。その耳に、その声が届く。

「iн」

 低く響く、大蛇の声。

 エウィンが一つ頷くと、大蛇はその巨体で空気を震わせながら去って行った。大蛇が完全に見えなくなると、張り詰めていた緊張と、空気が解けた。

「っはー。……ったく、後で請求するからね」

 エウィンはため息をついて、エージュたちを振り返った。何でもない、という様子だが、右肩から先は、完全に消滅している。

「エウィンさん、怪我っ……」

「別に義手だから問題ないけど?」

 しれっと返したエウィンに、二人は呆気にとられる。そんな二人に、エウィンはため息をついた。

「ったく。キミら絶対渉外向いてないね。言ったよね? 渉外は管理の次に危ないんだって」

「それは……」

「まぁ、ここで話しててさっきのに食われても文句言えないし。一旦帰るよ。仕事も終わったし」

 困惑した様子も見せず、エウィンは帰りのゲートを開いた。何もかも、理解できないままでいる二人と共に。

 

◇◇◇

 

 本部で義手の制作を待つ間、ソエルは気になっていたことを尋ねる。

「あの、聞いていいですか?」

「義手の事?」

 けろりと返したエウィンに少なからず驚きながら、ソエルは頷いた。エウィンは軽く肩をすくめてみせる。

「両手両足、全部偽物。本物はとっくに失くしたよ。でも本部の技術は凄いから、困った事ないけどね」

「仕事で、ですか?」

 今度はエージュが問いかける。視線を寄越して、エウィンは苦笑した。

「そーいうこと。言ったっしょ? 渉外は危険なんだよってさ」

「言葉と文明を、観測するのが役目なんですか?」

 戸惑いながら、ソエルが質問をぶつけるとエウィンは頷いた。

「そゆこと。だから、渉外監査官は翻訳言語に特化してないと務まらないってわけ」

「管理とは、全然違うんですね」

「あのね……じゃなきゃわざわざ職種分けしないからね?」

 呆れた様子でエウィンは言う。口を濁したソエルに、しかし楽しげにエウィンは笑みを浮かべた。

「渉外に必要なのは徹頭徹尾、冷徹な傍観者であることと、翻訳言語。少しは今後の役に立った?」

「あ、はい! あの、ごめんなさい。その、義手……」

 エウィンは謝るソエルに首を振った。

「これは、私の力量不足。ひよっこが気に病む事じゃないよ。願わくば」

――自分に一番向いてる職種を選ぶことだね。

 それは、確実にエージュへ向けられた言葉だった。

 

←第二話   第四話→