第六話 信念と現実
茫然自失でそれぞれが歩いていた。会話など、もちろんない。
足取りがふらついているクオルを支える必要があるのは、分かっていた。
だが、エージュもソエルも、震えてまともに歩ける状態ではなかった。
やがて学院の正門にたどり着く。長かったのか、短かったのか。距離感や時間感覚もない。
「エージュ、ソエル!」
ばっと紺色のローブを翻しジノが駆け寄ってきた。
ジノと一緒に待っていた、全身黒づくめの男は、無言でクオルに歩み寄る。
「大丈夫か? 怪我はないか?」
「きょうか……教官っ」
ジノの姿を視界に捉えると、ソエルは反射的に抱き付いていた。
震えるソエルの背中を宥めるように撫でながら、ジノはエージュを見やる。
「……大丈夫、です」
覇気がないと自覚しつつも、エージュはジノへ返した。
ジノはほっとした様子で微笑む。
「……予定外にも、程があるよね」
冷たい口調に、ジノとエージュは視線を向ける。
精悍な顔つきをした黒づくめの男……シスは、意識を失っているクオルを抱き上げながら、こちらを睨んでいた。
ジノはぎゅっと唇を噛み締め、視線を外す。エージュはそんなジノの様子に胸が詰まる。
クオルに無茶をさせたことを責められているのだ。ジノは、無関係なのに。
「俺が……頼んだんです。教官は悪くない」
「そうなる可能性は、分かってたんじゃないの? ね、教官?」
嘲るように笑ったシスに、ジノは目をそらしたまま……小さく頷いた。
シスはため息をつくと、踵を返す。
「とりあえず、あーちゃんには報告しとくからね。……後で謝るんだね」
「分かってる。他にもたんまり怒られるのは、覚悟してる」
「……怒られる程度で済んでよかったと、思ったほうが良いよ」
ジノは返す言葉もない様子で俯いたまま、シスが去って行くまで動かなかった。
エージュは、援護さえ出来ず、無力感で歯を食いしばる。ぽん、とジノの手がエージュの肩に触れる。
そろそろと視線を上げると、ジノは疲れたような笑みを浮かべていた。
「教官……俺」
「とりあえず、研究室に戻ろう。……な」
頷くしか、エージュには出来なかった。
◇◇◇
「なんで俺があの任務をさせたのか、分かってるよな?」
研究室へ戻り、ソエルが落ち着きを取り戻したころ、ジノはそう切り出した。
こくん、とソエルが頷く。エージュも黙って、首肯した。管理監査官の任務の一端を体験させることだったはずだ。それは、エージュも理解していた。
ジノは、一つ息を吐いて、俯く二人に語る。
「俺がさせたかったのは、クオルに無理をさせることじゃない。あの世界の人を助けることでもない」
「あの世界が……崩壊するの、分かってたんですね」
「そのための、ソルナトーン回収だからな」
「分かってて……管理監査官は、何もしないんですか? 助けようとか、ないんですか?」
それは、エージュにとって血を吐くような言葉だった。肯定されたら、エージュは自分の故郷を見殺しにされたと言われたに等しいのだから。
そんなエージュの心境を知っているであろうジノは静かに、それでも事実を言う。
「崩壊選別が済んだから、崩壊するんだ。本来……助けるなんてことは、ない」
肯定に、エージュは膝の上に載せた拳を、強く握りしめた。
「俺は……管理監査官の教官からそれだけは聞きたくなかったです」
「エージュ……」
自分の目的も分かってくれていたジノだった。
だが、ジノの言っていることは、エージュの夢など叶わないと言っているに等しい。それが、無性に悲しかった。
「諦めろって……言うためにこの任務を与えたんですか? 教官……」
「……理想と現実を知ってほしかったことは、否定しない」
エージュは顔を上げ、睨む様にジノを見やった。自分の信念だけが、エージュを支えている。その信念を、エージュはジノへぶつけた。
「それでも俺は、管理監査官を諦めたりはしない。俺には、クオルさんが居る。きっと俺と同じ思いでいてくれる、クオルさんがいる。俺は最初からあの人だけが目標です」
断言したエージュに、ジノは軽く目を見張った。
そしてジノは何か言いかけたが……諦めた様子で小さく息を吐く。沈黙が、降りる。
「……クオルさんは……エージュが思ってるような人じゃないと、思うよ」
不意にぽつりと、ソエルが呟いた。
思わぬ発言にエージュは驚き、そして思わずソエルを睨んだ。
「ソエルだって見てただろ。あの人は、助けようと思って……」
「最終的には、そうなっただけだよ。……でもクオルさんは、最初はそのまま崩壊を見届けるつもりで、今回の世界に行ってたんだよ。さっきみたいになるって、多分、分かってたから」
じゃなきゃ、ソルナトーン回収なんて仕事してないと思うし、とソエルは自信なさげに目を伏せた。
「じゃあ……クオルさんは、あの地獄みたいな光景を、わざわざ俺たちに見せたってことか?」
ソエルを責めるような口調で、エージュは問い質す。
分かんないよ、とソエルは泣きそうな声で返して目をそらした。
クオルはそんな残酷な人ではない。希望がない選択などするはずがない。エージュはそう信じている。だからこそ、ソエルの発言は納得いかない。許せない。
「臓器移植、って知ってるか? エージュ」
不意に、ジノが重い口を開いた。
「なんですか、突然」
ジノにまで冷たく言い放つエージュを、ソエルはただ不安そうに見つめる。
エージュの苛立ちを受け止め、冷静な口調でジノは続けた。
「ある人が欠損してる生体の一部を、別の人にもらう治療法。与えてくれる人っていうのは大抵が、死んでしまってることが多い。でもな……それって、結局他人の臓器なんだ。自分じゃないものは、体が勝手に排除する。つまり、せっかくもらった臓器を、必要としてる人間が潰してしまう」
「それが?」
「分からないか? 死んだ世界の一部を生きてる世界に植え付けても、拒絶されてしまうってことだよ」
「俺は……生きてます」
すがるような思いで、エージュは否定した。
ジノはエージュの否定を静かに受け止めて、続ける。
「全てが拒絶されるわけじゃない。世界を植え替えるときは、フィルターを通して再構築される。そのフィルターで異物として排除されなければ第一段階クリア。それから新しい世界で再構築さえされれば、第二段階もクリアして、『ちゃんと』存在できる」
「じゃあ……」
「そう。半分以上は異物として排除されて、残りは再構築に失敗した。新しい世界との適合が図れない場合は、再構築がうまくいかないんだよ」
運が良かった。ブレンは、そう言っていた。確かに、その通りなのかもしれない。
そうであるとすれば、本当にわずかな確率のもとに、今のエージュはいるのだ。
「人と世界は、つながってる。存在を支えるのは、世界だから。その世界が壊れるときは、一部である人も一緒に消えるんだ。それが、普通のことなんだよ」
「……でも、それでも……」
助けたい。そう願うのは、人として、監査官として間違ってはいないはずだ。
エージュは拳を強く握りしめて、ジノに問いかける。
「俺のしたことは、間違いですか?」
「間違いじゃ、ない。でも……エージュは、その責任を負いきれてない。だから、俺はエージュの決断を、認めては、やれない」
返す言葉が、なかった。ジノの言う通り、エージュは自分では何一つできていない。最悪の結末から目を背けようとさえしていた。それは何もしていない事よりも、罪深い。
ジノは黙り込むエージュに優しく微笑んだ。
「俺だって、見捨てたくなんかない。普通のことだって、割り切りたくない。でも、俺にはそれを成すだけの力はない。……だから、しょうがないって割り切るしかないんだ」
「あの人に、責任を押し付けるなって、ことですか? 」
「ちょっと……違うかな。クオルは、それでもやるときはやる。エージュの時みたいに。俺は……どっちがいいのか、分からないだけなんだ。見捨てて、人の形のまま、世界と滅ぶか。本当にわずかな希望に託して、助けるか」
「俺は、助けるほうを選択します」
だからこそ、今自分が生きているから。それがエージュにとっての最後の希望だ。
ジノは静かに首を横に振った。
「責めてんじゃないって。ただ、俺は滅茶苦茶に再構成されて、それでも『生き残ってしまった』人を、見たくないだけだから」
「っ……」
ソエルが口元を押さえてうつむいた。先ほどの光景を、思い出したのだろう。
エージュが最初に触れた人間は、最初から事切れていた。でも、ほかはきっと生きていたに違いない。だから、クオルはその一つ一つを殺して回ったのだ。人としての、尊厳を保つために。それはクオルの優しさであり、エージュの罪だ。
「管理監査官が永遠に悩まされる課題だよ。だからエージュ。もう少し、世界の仕組みを理解しろ。そうじゃなきゃ、いつか世界を救うための力を得たところで、お前は……自分自身がした事に対して、向き合えなくなるから」
それ以上は、ジノは語らなかった。
聞きたいことは山ほどあった。
何故、崩壊する世界を止めないのか。何もできないのなら、管理監査官の役目はソルナトーンの回収以外、いったいどこにあるのか。そもそも、神でもない監査官が世界をどうこうする権利を有しているのか。
きっと、誰も答えてはくれない。それは、きっと禁忌の問いかけであり、自分で納得のいく答えを探さなければならないことだから。
◇◇◇
――数日後、次元総括管理局本部。
その日は、昇級試験も、大きな事件もなく、本部は閑散としていた。事務仕事に追われる職員以外は、談笑しながら歩いている。
エージュが立っていたのは、医務室の扉の脇。腕を組んで、壁に背中を預けて、じっと天井を見上げていた。言うべき言葉を、繰り返し思い浮かべながら。
不意に、ぱしゅ、と扉の開く音。エージュはその音に機敏に反応して、背中を浮かす。姿勢を正して、左側へ体を向けた。
やや遅れて、出てきたその姿にエージュはすかさず声をかける。
「あのっ……」
つい、と視線が向けられた。肩に青い竜を乗せた、いつもの白い法衣のクオル。その紫の瞳と目があう。
……ふと、エージュは違和感を覚えた。
「何か用ですか?」
いつもの通り付き従っていたブレンが、どこか刺々しく、エージュへ尋ねた。前回の件を、完全には許していないのだろう。
ブレンから伝わる拒絶にエージュが口を濁していると、クオルが息を吐いた。
「気持ちは分からんでもないが、少し落ち着け。今回は前回ほど酷くない」
「そういう問題じゃ、ありません」
「私は構わんが、そうやって突っぱねていると、困るのはこれ自身だぞ?」
クオルが窘め、ぐ、と言葉に詰まったブレンは渋々黙る。
何か様子が、おかしかった。いつものクオルらしくない口調と態度……雰囲気そのものが、違うとエージュは感じていた。それを言葉にするのは、難しいのだが。
冷たい笑みを浮かべて、クオルはエージュへ尋ねた。
「で、何の用だ?」
「……え……あ……」
まるでクオルではない誰かと話しているようで、戸惑うエージュに、苦笑してクオルが言う。
「悪いが、今『こやつ』は寝ているのでな。用件なら、私が後で伝えておく」
「は……?」
「用がないのなら、行くが?」
エージュはその言葉に慌てて首を振る。
クオルであってクオルではないような受け答え。理屈はよくわからないが、伝えるべきは一つだった。
「助けてもらったお礼……まだちゃんと、言ってなかったんで。ありがとう……ございました。それと……」
「それと?」
そこで一旦言葉を切って、エージュはゆっくりと、告げる。
「俺は、諦めませんから。絶対に、滅ぶ世界を見捨てたりなんか、したくない。だから、強くなって世界を助ける方法を考えます。それが……あなたに助けてもらった、俺のなすべきことだって、思うから」
クオルはその言葉に、静かに笑みを浮かべていただけだった。
肯定も否定も、賛辞もなく、クオルは問いかける。
「それが、茨の道と知ってか?」
「分かりません。俺は……きっと何も分かってないから」
「ならばそれは誰かが、喜ぶと思っての決断か?」
それにはすぐさま首を振る。クオルは怪訝そうな表情を浮かべて、じっとエージュを見据えた。
エージュは小さく笑って、そんなクオルへ返す。
「俺が、嬉しかったから。助けてくれた貴方の姿自体が、俺にとってはただ一つの、残された希望だった。だから……俺が俺であるための、我儘です」
「そうか」
それだけ答えて、クオルは踵を返して歩き出す。
納得したわけでも満足した様子でもない、ただ受け止めただけの態度だった。
ブレンは黙ってクオルに従い、歩き出す。エージュは引き止める言葉もなかった。
数メートル歩いて、ふとクオルが足を止め、横顔だけ振り向かせる。
そうして、微かに口元に笑みを浮かべ、言った。
「良いのではないか? 誰かを助けるなど、自己満足のなれの果てでしかない。それを理解しているのであれば、お前はきっと、正しく人を救える」
「……はい。あの、最後に一つ」
「なんだ?」
「貴方は、誰なんですか?」
尋ねたエージュに、クオルはつい、と視線を前に戻した。
「……イシスだ。覚えておけ」
こくりと頷いて、エージュはその背を見送る。
クオルであり、イシスであるというその姿を。
またひとつ知らないクオルがいる。少し近づけば、また突き放されるようだった。
それでも、エージュはクオルを目標とすることに、疑問を抱くことはない。
今は絶対に届かないその姿だった。だが目指すべき背中。その背中を見えなくなるまで見送って、エージュは息を吐いた。
「あー、いた、エージュー」
底抜けに明るい声が聞こえる。
振り返ると、右手をぶんぶん頭の上で振りながら笑顔で走り寄ってくるソエルが見えた。
「もう、探したよー。こんなところで何してたの?」
「ちょっとな。……それより……」
言いかけたエージュの眼前に、ソエルがずいっと通信端末を突きつける。
「近すぎて見えない」
「あはは、ごめんごめん」
からからと笑うソエルは、あんな現実を見ても、まだエージュの夢を応援してくれている。
管理を諦める、とも言わず。それはソエルの強さで、優しさだとエージュは感じていた。
だからこそ、簡単には諦められないのだ。この生き方を、支持してくれる誰かがいるのなら、迷いは捨てられる。
故郷を失った自分のような存在を一人でも減らす。その願いは、濁らない。
第一章 Lost Garden 終幕