第一話「世界を守るために魂を狩る存在だよ」
サイレンが鳴り響いていた。車体の上で赤いランプをくるくると回す車両が近づいてくる。
白いボディに赤いライン……救急車だ。
「……で、これはどーいうことなんだ?」
そう呟いて、拓巳はただ首をひねる。周囲は喧騒で包まれていた。
――嘘、交通事故?
――やばくない、あれ。
そそくさと目をそらしながら足早に過ぎ去る人もいれば、携帯電話を取り出して写真を取り出す完全な野次馬もいる。
そんな場所。その注目の中心で、拓巳は首を傾げるしかなかった。
そしてもう一度、拓巳は足元で無造作に転がる制服を着た少年を見下ろした。
アスファルトに黒い染みを広げた少年は微動だにしない。足と手があり得ない方向にねじ曲がっている。見るからに、早く手当をしないと危険だった。
「あー……」
意味のない言葉を吐き出しながら、視線を足元から少し上へずらす。視線の先には、黒いフレアのワンピースに、赤い長袖のジャケットを羽織った少女がいた。
拓巳に背を向け、周りの喧騒さえ無視。
右耳に手を添えて、ぶつぶつと独り言のように何かを言っている。
――通してください! 救急隊です!
群がる人ごみをかき分け、救急隊員がやってくる。その声に引き寄せられるように、拓巳は目を向けた。
救急隊員はストレッチャーを引きながら、倒れたままの少年へ駆け寄る。微かに表情を曇らせた救急隊員だったが、すぐに表情を切り替え、応急処置を施しバックボードに固定。そのまま少年をストレッチャーへ載せた。
救急隊員が再び救急車へ向かい始める。周囲はほとんど事態が終わったと感じてか、すでにばらけ始めているようだった。
何とも、人がいかに他人に興味がないか分かる光景だ。
「あ。俺も行かないと……」
「その必要はないよ」
制止した声に、踏み出しかけた足を止めて、拓巳は振り返る。呼び止めた少女は、茶色の髪をなびかせ、金色の瞳で拓巳を見据えていた。
その間にも、救急隊はストレッチャーを運んでいく。
「ほんと、何考えてんだか。信じらんないお人好しだよね、君ってさ」
「そりゃどうも」
「褒めてないよ」
ため息交じりに少女はそうこぼす。
「教えてほしいんだけど」
「……君の考えてるとおりだよ」
あまりにも淡白な少女の返し。
拓巳は思わず諦めまじりにそっか、と呟いた。
そっと救急車の停車している背後を見やる。ちょうど、扉が閉められるところだった。
扉と扉の間。その隙間に見えたのは、ストレッチャーに乗っている少年。少年の顔は、拓巳と全く同じ顔をしていた。
「つまり、俺は死んだのかぁ……」
何とも言えない、呆気ない終わりを迎えたらしい。
◇◇◇
毎朝同じ電車に揺られ、学校までの道のりを歩いていく。
なんて退屈な日常だろう。そう、拓巳は思っていた。
どこにでもいる高校生。自宅から近いという理由だけで選んだ高校で、部活は中学の延長で陸上部。ほとんど幽霊部員だけれども。拓巳は、そんな『普通の』高校生だった。
今朝もそんな退屈な日々に、拓巳は埋没していたはずだった。
――横断歩道のど真ん中を、ふらふらと歩いている少女を見かけるまでは。
往来激しい道路で、いつ轢かれてもおかしくはない状況だった。真紅のジャケットに、黒いワンピース。人目を異常に引く姿だが、何故か信号待ちの誰もが無視をしていた。
まるで、誰も少女が見えていないように。普通ならざわめきくらいは起こるものだろう。
声をかけようかと一瞬過ぎったが、逆に少女がこちらに気を取られて危険かもしれない。そう判断した拓巳は、もう一つの決断を下す。
足だけは自信がある、拓巳だった。
それに放っておけば今にも轢かれるかもしれない少女だ。黙って危険を見過ごすほど、拓巳は人でなしでは居たくなかった。
素早く左右を確認。往来激しい道路状況から、チャンスを見つける。
周囲の人間が不審そうな顔をしたのに若干苛立ちながら、拓巳は道路へ飛び出した。
それと同時に驚きの声が広がる。
その気配に気づいたか、少女が振り返る。
「ちょっ……何してんの!」
拓巳と目が合い、少女がそう叫ぶ。
拒絶にも似た言葉。思わぬ言葉に、拓巳は反射的に足を止めてしまった。
それが多分、本当の意味で『命とり』というやつで。
左からすさまじいブレーキ音。目を向ける暇もなく、拓巳は大型トラックに轢かれることとなった。
思い出すこともできないほどに、一瞬で。気付けば拓巳は交通事故で負傷した事態になっていた。
――そんな数分前を思い出しながら、この現実に拓巳は肩を落とす。
「キミさぁ、もうちょっと驚くなり、嘆くなり、怒るなりしないの?」
ふと、呆れた表情で少女が言った。
拓巳は小首を傾げる。
「なんで?」
「何でって……僕が言うのも変だけど、僕のせいでこんなことになったんだよ?」
「……そういえば」
この少女が交通量すさまじい交差点で佇んでいたのが、確かに原因といえばそうだった。
少女を無視して、高校までの通学路をいつも通りに過ぎ去っていれば、あるいは。
「つか、なんでこんなど真ん中に……」
「仕事場所に早く着いただけだよ。……けど、何で事故に遭うのがキミなのさ」
何故か、少女からぎろりと睨まれる。
周囲は遅れて到着した警察が、せっせと立ち入り禁止の黄色いテープを張り巡らせている。拓巳の体が横たわっていた場所にテープを張っていたが、作業する警官がそのすぐそばにいる拓巳と少女に視線を向けることはなかった。
しかし、不思議なことを言う少女だと、拓巳は首を傾げる。まるでここで事故が起こることを、分かっていたような口ぶりだった。
事故現場が仕事場所で、待ち構えるなんてまるで……――
「死神みたいなこと言うんだな」
「そうだよ」
即答する少女。拓巳は軽く表情をひきつらせる。拓巳としては、冗談のつもりだったのだから。
ましてや、死神だなんて……あまりにも不吉な響きだった。
こつ、と少女の靴音が緊張した拓巳の脳内で反響する。少女は一歩拓巳へ歩み寄り、自然な口調で告げる。
「僕は死神。世界を守るために、魂を狩る存在だよ」
「じょ……冗談だろ?」
声が上ずった拓巳に、少女はくすりと小さく笑う。死神と言うフレーズにぴったりな、昏い笑み。
右耳で揺れるイヤリングに触れながら少女は続けた。
「まぁ、信じたくないのも分からないでもないけど。さて、お人好しだったせいで不幸なキミに質問だけど……キミはまだ、死にたくはないよね?」
「そ、そりゃ当たり前だろ! 人生で一番ふざけて過ごすことが許される時期を謳歌しないで死にたくねーよ!」
「意味わかんない理由だけど、とりあえず死にたくない、と。……ま、そうだよね」
少女は頷いて、ぴん、とイヤリングを指で軽く弾いた。
少女の金色の瞳と、拓巳の視線が重なった。その瞳に、拓巳は思わず息をのむ。
それは少女の外見からは想像もつかない、強い意志の宿る、まっすぐな瞳だったから。
「キアシェ」
少女がさらりと言う。
「キミの名前は?」
「え……池本……拓巳」
どうやら簡単な自己紹介だと気付くのに、拓巳は若干時間がかかった。
「イケモト……タクミ。うん。やっぱり違う。さて、じゃあ行こうか」
拓巳の困惑など思考の外なのだろう。
理解しきれていない拓巳をよそにキアシェは促した。
「どこへ? でもって何で?」
ぎろりと、キアシェが苛立った様子で拓巳を睨み付けた。空気がぴりぴりと張り詰め、拓巳の肌が小さな電流が走ったようにちりちりと痛む。
……死んだというのに、何かを感じるのだから不思議だな、と拓巳は思考の片隅でそんな事を思った。
「別に、キミを連れてってもいいんだけど。こっちがわざわざキミを救ってあげようってのに、失礼な奴」
「救うって、死んだ人間を生き返らせるってことか? まさかぁ、神さまじゃあるまいし」
けろりと笑った拓巳に対し、キアシェの向けた視線が冷たさを増す。
キアシェはその手にどこから出したのか、赤い鎌を手にし、それを拓巳に向けて構えた。間違いなく、殺傷能力のある刃が太陽光を受けてぎらりとした光を反射する。
「なら、今すぐ狩られていいってことだね? 別にキミが死を受け入れるなら、僕の仕事はここで完了なんだけど」
「すみませんでした。助けてください」
拓巳は反射的に謝る。冗談では済まされない空気がキアシェからは感じられたのだから。
死神だと、キアシェは言った。その苛立ちと発言からしても、何とかできる算段があるのだろう。
「最初から素直にそーいえば良いんだよ」
ふん、と鼻を鳴らしてキアシェは鎌をその手から手品のように消した。
それだけでも、キアシェと自分が異なる存在であることを拓巳は理解する。
「とりあえず行くよ」
「だからどこへ?」
「本来狩るべきだった……つまり、本当なら死ぬはずだった人間のところへだよ。キミは、あくまで『間違って』肉体から魂が離れただけだからね」
しれっと言い切ったキアシェに、拓巳は再び表情をひきつらせた。
間違いで死んだなど、笑える冗談ではなかった。
◇◇◇
朝の往来は、普段と何も変わらない。忙しなく行き過ぎる学生や会社員の波を、紙一重ですり抜けながら拓巳はキアシェの後を歩いていた。
下手をすれば中学生にしか見えないキアシェの小柄な背中。赤いジャケットに、黒のフレアワンピース。茶色の髪は腰のあたりまで伸びていた。
過ぎ行く人とぶつかることなく、すいすいと進んでいく様は不思議でしかない。まるでキアシェを避けているかのような印象を拓巳に与えるほどだ。
「キアシェ、だったよな」
「そうだけど?」
肩越しに振り返るキアシェに、拓巳は慎重に言葉を選びながら問いかける。
「俺もキアシェも、誰にも見えてない……んだよな?」
「誰にも、じゃないよ。キミみたいに見えてしまう、厄介なのもいるしさ」
そっけなく答え、キアシェは再び前を向いた。キアシェの返答に、確かに、と拓巳は納得する。
あの時、キアシェの姿は誰にも見えていない様子だった。自分にだけ、見えたのだ。自分にだけ見えたから、キアシェを助けようと飛び出してしまった。
その結果が、今。ふと疑問が湧いた。
「俺は……まだ死んでないのか?」
キアシェが自分を連れて行かない、という事はまだ死んでいない可能性がある。死んでいないから、まだ助けられるのではないだろうか。
考えてみれば、キアシェはまだ一言も拓巳が『死んだ』とは明言していなかったのだから。
「そうだね……まだ一応、生きてるよ。この世界には便利なものがあるしさ。なんだっけ……じんこーしんぱい?」
背を向けたまま、キアシェは特に興味もなさそうなトーンで返す。人工心肺装置の存在がなかったら、と拓巳の背筋がすっと寒くなる。
「それがなかったら……」
「それはあまり関係ないよ。手間がかからなくて済むってだけ。記憶をいじったりとかしなくていいから。あぁ、心配しなくても、もしも肉体的に死んでもこっちで何とかできるから。他に質問は?」
淡白な返しにほっとすると同時に、拓巳はもう一つの疑問を投げる。
「何で今すぐ、生き返らせる、って言っていいのかは微妙だけど……そうしないんだ?」
間違って、と言っていたのだから。さっさと戻してくれればいいのに、というのが拓巳の考えだ。
だがキアシェはさらりと返す。
「もしも本来狩られるべき相手を連れて行けないようだったら、キミを連れて行くしかないからだよ。二度手間なんて、めんどくさいだけだしさ」
別に誰だっていい。キアシェの言葉にはそんな意図が含まれているような気がした。必要なのは、『一人』で、『誰か』ではないということだ。
「つまり……俺の代わりに、誰かを連れていくんだよな?」
そう確認すると、キアシェは暗く、笑んだ。その笑みはそれだけで拓巳の温度を奪うようだった。
「もちろんだよ。だって、それが死神の役目だからね」
それ以上何かを問いかけようとは思わなかった。これ以上キアシェから色々と聞いたところで何かが変わるわけではないのだ。
間違って死にかけている自分の代わりに、正しい誰かが死ぬ。キアシェが言ったのは、そういう事だった。
それに、キアシェの言葉が正しければ……自分はまだ、死ぬわけではない。
それが拓巳の思考をどこか楽観的に導いていた。
「……学校?」
ふと気づくと、キアシェは拓巳の通う高校の前に立っていた。
キアシェは不思議そうに拓巳を見やる。
「キミの通っていたところだっけ?」
「あ、あぁ……ここに、いるのか?」
酷く、嫌な予感がした。
拓巳の不安を他所に、キアシェは流れるように言葉を紡いだ。
「そうだよ。フユキ・ミオ」
「冬木……美緒、って!」
思わず声を荒げた拓巳に、キアシェは振り返ってこくりと一つ頷く。
拓巳の様子にキアシェは向き直って問いかける。
「何? 知り合い?」
「知り合い、なんて……もんじゃ……」
そう。知り合いなんて淡白な関係ではなく。
俯いて言葉を濁した拓巳にキアシェは目を細めたが、くるりと背を向ける。
「ま、僕には関係ないけどね」
ふわりと風に髪をなびかせながら、キアシェは無情にも言い切った。
キアシェは俯く拓巳を置いて、歩き出す。
「……美緒」
ぽつりと呟き、拓巳は少女の姿を思い出す。
頼りなくて、放っておけない少女の姿を。
「立ち止まるのは勝手だけど、置いてくからね」
キアシェが振り返らずにそう言い放ったのが聞こえ、拓巳は顔を上げる。
止めたところで、キアシェが聞く耳を持っているわけもない。
キアシェは死神としての仕事を全うしようとしているだけなのだから。
ぐっと手のひらを握りしめ、拓巳は表情を引き締めるとキアシェを追いかけて歩き出した。
◇◇◇
キアシェは迷いなど感じさせない足取りで、校内を進んでいた。まるで校内の構造を把握しているようだった。
拓巳は二年で、校舎の二階に教室がある。ちょうど二階へ上りきったころ、チャイムが鳴り響いた。
始業のベルだ。
拓巳にとってあんなにも退屈だったチャイムの音。その音がひどく遠く、懐かしく感じる。
こつこつとキアシェのブーツが廊下に響くが、恐らく誰も聞こえてはいないのだろう。
扉の閉まった教室の中では、クラス担任が出席をとっていた。
「ふーん……」
キアシェは一つの教室の前で足を止める。そこは拓巳のクラスだった。
廊下の窓が一箇所だけ開いており、そこから微かに担任の声が流れてくる。拓巳はちらりと自分の席に視線を向けたが、当然ながら誰も座ってはいない。
「あれか……」
クラスの真ん中より少し後ろの席。そこに真っ直ぐな黒髪を肩まで伸ばした少女がいた。
唖然とした表情を浮かべたまま、少女は固まっている。
その少女こそ、キアシェの目標人物である、冬木美緒だった。
「美緒……」
届かない名前を呼び、拓巳は目を伏せる。キアシェは何か思考しながら、黙って教室内を見つめている。
担任が晴れない表情を浮かべて教室から出て行くとほぼ同時に、クラスの女子がわっと美緒へと駆け寄った。
――美緒、大丈夫だよ! 池本のことだから、きっとけろっと帰ってくるよ!
何の根拠もない言葉だが、拓巳としては有難い。
それはいつもなら……拓巳がしているはずのことだったのだから。
美緒は、曖昧な笑みを見せてはいたが、明らかに動揺している。その原因を作ってしまった自分を、拓巳は心の中で罵った。
――でも顔色悪いし、保健室行こうか? ね?
気遣ってくれた女子が、そう美緒を教室から連れ出す。
「何してんの、行くよ」
キアシェにせかされ、拓巳は我に返ると頷いた。
美緒と、付き添っているクラスの女子の背中を追いかけながら、拓巳は痛む思いを堪える。
自分と美緒の命は、交換制だという。
そもそも、あの場所にキアシェが居たのは、美緒の命を狩るためだった。
――つまり、どちらにせよ、美緒と拓巳が顔を合わせることはもうなかったのだ。
「さっきから顔が険しいよ。生きてたいんじゃなかった?」
不意に声をかけてきたキアシェに、拓巳は目を向ける。
選択が重過ぎて、拓巳は言葉を濁した。キアシェは簡単に言うが、拓巳にとっては文字通り生死に関わる。
拓巳が即答できないでいると、キアシェは目を細めてさらに問いかけた。
「あの子、キミの何?」
「……幼馴染」
やっとの思いで拓巳はぼそりと答える。
キアシェはふうん、と適当な相槌を打った。興味というより、確認といったところだろう。
「美緒は、凄いやつだよ」
キアシェの淡白な反応に反抗するように、拓巳は言った。
「聞いてないし、そんなこと」
拓巳の言葉を撥ね付け、キアシェは歩き続ける。
「良いから聞けよ。あいつ、そんなに頭良くないけど、絵がすっげー上手いんだ。俺はあんまり技術的なものは分からない。だけど……あいつの絵には人を惹きつける何かがある」
「だから、何?」
ぴたりと足を止めて、キアシェは睨むように拓巳を見やる。
その冷たさに、拓巳は思わず息をのんだ。
「僕はね、才能がないから狩りに来たんじゃない。そういう星の巡りだから、狩りに来たんだよ。キミがどんなに使えない人間だとしても、将来害悪しかもたらさない最悪な奴でも、今の僕はキミの魂を狩る意味なんてないんだ」
だから、とキアシェは立ちすくむ拓巳に冷たく言い切った。
「そんなにあの子を生かしたいなら、キミが死ぬことを受け入れればいい。僕の役目は一人連れて行くこと。最終的には、それが誰だって構わないんだ」
キアシェの言葉は、正しいのだろう。
人の命には限りがある。
そしてその命を最後に迎えに来るのが死神であるなら、誰しも平等に彼らはやってくる。
老若男女、善悪問わずに、分け隔てなく訪れるものだ。
――だとすれば、今ここでこのまま死を受け入れることに、何の不都合があるというのだろう。ましてやずっと一緒に育ってきた幼馴染の美緒を助けられるのなら。
気付けば死にかけている自分が諦めさえすれば、美緒の未来はまだ繋がるのだ。
「あのさぁ」
退廃的な思考に向かっていた拓巳を、キアシェの声が引き戻す。顔を上げれば、キアシェが呆れたと言わんばかりの表情を向けていた。
「そこまでいうなら、じゃあそうします、とか言わないでよ?」
「何で突然デレるんだよ」
先ほどまで代わりに死ねば済むと突き放していたキアシェの言葉とは、思えない。
どう勘ぐっても、気遣いが含まれている。
「意味不明な言語はこの際置いておいてあげるけど。命は軽くて重いんだよ。誰かのために死ぬっていうのはね、言い訳でしかないんだ」
「死神の言葉とは思えねーな」
拓巳の返しに、キアシェはじっと視線を向けただけだった。
言うだけ無駄と判断したのか、あるいは返す言葉がないのか。
くるりとキアシェは背を向けて、再び歩き出す。
「勝手にすれば。もっとも、僕があの子を狩るまでに決めてくれないと意味ないけどさ」
「なんで、すぐ狩らないんだ?」
ふと抱いた疑問をキアシェの背中を追いかけながらぶつける。
美緒を探すだけなら、すでに目標は達成している。
すぐにもキアシェの仕事は終わるはず。
だが、まだ後を追いかけているだけで、動きがないのが引っかかった。
「今更、焦る状況じゃないよ。それに、持病もないあの子が突然死ぬには、事故くらいしかしっくりくる状況はないんだし。記憶を操作することは出来るけど、あまりにかけ離れた操作は後に影響するから」
「何か、随分と日常に沿った死神だな……」
「普通は、死ぬと決まった魂を迎えに来るのが僕らの仕事だよ。この状況が逆におかしい」
背中を向けたままのキアシェだが、明らかに言葉にとげが含まれていた。あるいは、拓巳の先ほどの発言をまだ怒っているのかもしれない。
階段を降り、一階にある保健室まで、クラスメイトが美緒を送り届ける。
保健師は、事情を聴いていたらしく、特に何も言わずに美緒を迎え入れた。扉が閉まる前に、滑り込むようにしてキアシェと拓巳も室内へ。
美緒はすぐに奥のベッドに通され、カーテンを閉められた。
これでは様子がうかがえない。流石に覗くわけにも行かない。
美緒は大丈夫なのだろうか、と拓巳の不安が徐々に膨らんでいく。
「……聞いていいかな」
「え?」
ふと声をかけたキアシェに、拓巳は驚きながら目を向ける。
キアシェからの問いかけなど、予想もしていなかった。
すでに全てを理解して、ここにいるのだとばかり思っていたから。
キアシェの金色の瞳が、拓巳の動揺を誘う。何もかも、見透かされそうな瞳だった。
「キミって、昔から死神が見えてた?」
「死神って言われても……」
「こういう服装したのでもいいよ」
これが死神の正装だから、と付け加えたキアシェに、拓巳は記憶を探る。
「……いや、見たことない」
拓巳は首を振って否定した。
キアシェの服装からも、やたらに目立つ格好だ。
見たことがあるとすれば記憶の隅に引っかかっていてもおかしくない。少なくとも、思い出せる範囲では見たことはなかった。記憶の蓋が厳重に閉じられているとなればまた別の問題ではあるのだろうが。
「やっぱり、変だな」
拓巳の返答に、キアシェは眉根を寄せた。実に、不可解そうに。
そして、キアシェは耳に手を当てる。正しくは……耳にぶら下がるイヤリングへ、手を添える。
「あ、教えてほしいことがあるんだけどさ。……うん、そう」
唐突に独り言を言い始めたキアシェに拓巳は目を見張った。
何か怪しげな電波でも受信しているのではないかと勘繰るほどだ。
だがどうやらイヤリングが通信機であるらしく、ぽそぽそとイヤリングから漏れる音が拓巳の耳にも聞こえる。はっきりとは聞こえないが、機械的なやり取りではないようだった。
キアシェは何か確認を受けながら、何度も頷いていた。
三分ほどそうしていたのち、キアシェはゆっくりと手を下ろす。
黙ってキアシェを見つめていた拓巳は、次の言葉が酷く不安になった。
ふ、と視線を拓巳に向けキアシェは暗く微笑む。
「キミは、どうも厄介な展開に巻き込まれたみたいだよ」
死神に魂を囚われるという意味を、拓巳が直接肌で感じた言葉だった。