第二話「無関係ではないようなので」
真っ白なキャンバスが、幾重にも重なった絵具で彩られていく。
それは無から有を生み出す、まさに神様が生命を生み出すような工程。
人は、神様にはなれない。
命という限界があって、肉体という枷があるから。
でも神様が何かを生み出す存在であるというなら、矮小な存在だとしても小さな世界の神様にはなれるかもしれない。
――私は、そんな小さな世界の神様になれるだけで、十分だよ。
苦笑交じりに絵筆をキャンバスに向けた彼女が言った。
――だから。
ふと彼女は視線を寄越して、静かな笑みを見せる。
――私は絵を描き続けたいんだ。誰のためでもない、私の小さな世界のために。
◇◇◇
厄介な展開に巻き込まれた……そうキアシェは言った。
その意味がいまいち分からないでいる拓巳に、キアシェは口を開く。
「キミはね、本来僕が見えちゃいけなかった」
「なんで……」
「この世界の人間にどれだけ理解できるか分からないけど。この世界の大半の人間は、魔力に関して非感受性だから」
「ま……まりょく?」
混乱しか招かない。
魔力……いわゆるアニメやゲームで登場する魔法の源となるあれが拓巳の脳裏に思い浮かぶ。
しかし、非科学的な現象を本能的に脳が拒否していた。
理解できない力で、こんな事態に巻き込まれたというのを認めてしまうことが恐ろしいのだ。混乱から戦慄へとシフトしかけていた拓巳は、ぎゅっと拳を握りしめる。パニックに陥らないために。
そんな拓巳の心境を知ってか知らずか、キアシェは少し考えを巡らせ、思いついたように言った。
「霊感、といえばわかるのかな?」
「幽霊が見えたり、話せたりするあれか?」
ほんの少しだけ分かりやすくなっただけで、拓巳は生憎とその手の話に詳しくない。
残念ながら肝試しに行っても、何も感じないし、見えない体質だ。今までも精々怯える仲間たちと同調して騒ぐのが関の山だった。
「まぁ、そんなところ。霊感がなければ、幽霊は見えない。この世界は本来、魔力体質じゃなければ魔法は見えないように出来ている。分かる?」
魔法だの魔力だの、拓巳には縁のない世界だった。ゲームはするが、それはあくまで架空の存在で、その存在の真偽など疑う余地もない。あり得ない存在。
ただ真偽を別とすれば、キアシェの言いたいことはなんとなく、理解できる。
「俺は、魔力に対して何かしら察知できる体質、だった?」
「あの一瞬……、あるいはその付近だけね。キミは、魔法の素質なんてかけらも持ち合わせてないみたいだしさ。だから、キミは本来、僕が見えるなんて有り得なかった」
現実を除いてはね、とキアシェが付け加える。
「見えたところで、それが何か変わるのか、って気もするけど。人間って不思議なもので、時々そういう正義感だけで行動することがあるんだよね。特にキミくらいの年代だとさ」
拓巳はキアシェの言葉に、冷えた液体を飲み込んだ時のような、体の内側から温度を下げる感覚に襲われる。
本来見えなかったはずのキアシェが見えたからこそ、拓巳は直感的に人助けのために動いた。
拓巳ならそうするだろうと、予想していなければそんな事はしないはず。
――なら、俺が死ぬよう仕向けたのは……
「誰も、あの子がキミを身代わりにしようと画策してた、なんて言ってないよ。あの子も普通。魔力非感受性」
言葉もなく立ち尽くす拓巳に、キアシェが小さく息を吐く。
「…そ、そうか」
自分でも呆れるほどに、分かりやすく安心していた。
幼馴染を疑うなんてしたくない。
美緒は、そんな事をするような人間では、ない。
どちらかと言えば、美緒は人から貶められるタイプの人間なのだ。
だが、キアシェは静かに首を振る。
「だけど、あの子が何も知らないっていう証明にはならないよ」
「は……?」
「見えないだけで、存在しないわけじゃないからだよ。微かだけど、あの子には魔力の残滓が感じられる。何か、いるのは間違いないよ」
美緒がいるベッドのカーテンに視線を向けて、キアシェは断言した。
キアシェは、間違いなく美緒を疑っていた。ただ、確証がないから、拓巳に告げないだけで。
それは、ある意味キアシェなりの気遣いなのかもしれない。そう拓巳は感じた。
「……死神は、誰がどこに来るのか分かってて、行動してんのか?」
美緒に対する自分の中で生じた疑惑。
それを振り払うために、拓巳はキアシェに質問を投げかける。
半ば、自棄にもなりながら。
「そうだよ。大まかにはね。あとは引っ付いて回るかな。でも、事故とかは決まってるから、待機してる場合が多いんだ」
ぞく、と背筋が寒くなる。
言葉が出てこない拓巳の心理を分かった様子で、キアシェは微笑んだ。
「そうだね。あの時、あの子はあの場所に居なかった。誰かの介在があるとしか考えられない」
「誰かが、美緒を死なせないようにした……」
「代わりにキミが死ぬように設定した、って考え方もあるよ?」
思わずキアシェを睨むが、キアシェは慣れた様子ではたはたと手を振る。
「何で僕を睨むのさ。だけど、その『誰か』は死神の仕事を分かってない。だからこんなお粗末な展開になるんだよ」
「お粗末ね……」
「そ。ふふ……僕の手を煩わせたことを後悔させてやらないとね」
心底楽しそうに、キアシェは暗黒の笑みを浮かべた。拓巳は何も言えず、ただキアシェを見つめる。
「とりあえず、出ようか。ここにいても情報が入るわけでも、状況が好転するわけでもないし」
「……俺がついていく意味ってあるのか?」
拓巳の心境としては美緒の傍にいてやりたいという想いがある。ただでさえ、心配をかけているのだ。声も存在も伝えられなくても、せめて見守りたいというのが拓巳の考えだった。
言い方が、若干反抗的だったのはさておいて。
キアシェは拓巳の想いなど気にした様子もなく、軽く肩をすくめた。
「好きにしていいけど。ただ、忠告だけはしとくよ」
忠告? と訝る拓巳に、キアシェはひとつ頷く。
「もしも、あのミオって子を死なせたくない『何か』がいるとしたら、キミはそれに狙われる可能性が高い」
「な……んでだよ」
「世界はね、一度に持てる魂の量が決まってるんだ。だから死神が、その量を監視し続けている。魂が容量オーバーをすれば、世界そのものが維持できなくなるから」
「は……?」
「許容範囲を逸脱しないようにするのが死神の役目。つまり世界を維持しつつ、あの子を死なせないためにはキミがこのまま死ぬのが、一番簡単なんだよね」
「で、でも。それがどうして……」
拓巳が縋るような思いで尋ねると、キアシェはさらりと答える。
「僕はキミが間違いだと知ってるけど、他の死神は知らないから。キミみたいな不安定なの、ほっとくと厄介だから他の死神に見つかると、問答無用で連れて行かれるよ」
無茶苦茶だった。だが、現状がすでに日常を逸脱し、異常な状況にある。
今更、キアシェの言葉を否定できるほど拓巳は現状を把握していないわけではなかった。
無知な拓巳にキアシェが色々と説明してくれるのは、拓巳を救おうとしているからなのは明白だった。
でなければ、それこそ最初に問答無用で連れて行かれたはずなのだから。
素直じゃない死神なんだな、と拓巳は思わず苦笑する。
「……キアシェって、ほんとツンデレだな」
「は? それどういう意味?」
「何でもない」
ツンデレという意味を説明したところで、キアシェの事だ、『馬鹿じゃないの?』と鼻で笑うに違いない。
拓巳は笑いを殺しながら、頷いた。
「俺も行く。一緒に、謎解きだ」
「……遊びじゃないんだけどね」
ぱら、と肩にかかった髪を払いのけて、キアシェはため息をついた。
「まぁ、いいけど。それじゃまずは現場検証だね」
◇◇◇
キアシェはつくづく、説明という過程が嫌いなのかもしれない。
必要以上の情報は語らず、その場その場で回答していくということが多い。
多分、今回も。
「……何で外? あの事故現場?」
瞬きする間に、拓巳とキアシェは学校の外にいた。
きょろきょろと周囲を見回すと、アスファルトに張られたテープが事故を物語っていた。
しかも、見ればキアシェは何故か拓巳の高校の制服を着用していた。
ベージュのブレザーとプリーツスカートのキアシェは新鮮といえばそうなのだが、中学生が着ているようにしか見えない。
「キアシェ、何で俺ら外にっ! しかもその制服って!」
「うるさいなぁ」
そうぼやいて、キアシェはやはりいつの間にか手にしていた高校の指定鞄からごそごそとスマートフォンを取り出す。
日常感どっぷりなアイテムが飛び出し、拓巳は言葉を失う。
先ほどまで、非日常的な話ばかりしていたのに。いきなり現実に引き戻されたような気分だった。
キアシェは不慣れな手つきでメール画面を開くと、そこへ文字を打ち込んでいく。スマートフォンのストラップが髑髏なのは、やはり死神だからか。
混乱する拓巳に、キアシェは画面を傾けることで内容を見せる。
『キミはあくまで魂でしかないから人からは見えないし聞こえないけど、僕は魔法を解いてるから。下手に話しかけないでくれる? 頭おかしい人みたいじゃん』
魔法を解いている。つまり、キアシェには肉体があるということだ。
拓巳がなるほど、と一瞬納得しかけた。だが、ふと根本的な問題に思い当った。
「いやいや、おかしいだろ。キアシェ、そもそも死神で人間じゃないし。見えない方がいいだろ」
冷静に突っ込む拓巳に、キアシェはむっとした表情を浮かべる。
捜査するなら姿は見えない方が何かと便利だと、拓巳は判断しただけなのだが。
キアシェは仏頂面で再度メール画面を操作し始めた。
どうやら、キアシェは今後これでコミュニケーションをとるつもりのようだった。
『とにかく状況を確認するからね。邪魔しないでよ』
何とも、そっけない文面が拓巳の目に飛び込む。
鞄にスマートフォンを放り込むと、キアシェは拓巳に背を向けた。
視線の先には、今朝の事故現場がある。今は、警察もいなかった。
血を洗い流したらしく、現場は水で濡れていた。
横断歩道の前に立ち、キアシェはじっと事故現場を見つめる。
そこから何かを探るように。車が通り抜け、キアシェの髪を舞い上げた。それでもキアシェは微動だにしない。
物理的な現象には無関心なのだろう。
拓巳の目には見えない何かを、キアシェは見ているようだった。
「……なっ!」
「ん? どーした、キア……」
拓巳が問いかけるより早く、キアシェは道路へ飛び出した。
歩行者信号はまだ赤。
左右から車はひっきりなしに駆け抜けているこの状況で何を思ったか、キアシェは道路に飛び出したのだ。
「おい馬鹿!」
叫んだ拓巳の声が宙を舞う。
信号という存在を知らないのかもしれないが、危険かどうかは判断できるはずだ。
だが、キアシェはブレーキ音を響かせ、迫ってきた車に目も向けていない。
「邪魔」
ぼそりとキアシェの声が憎悪を帯びた。
「しないでよ!」
キアシェはそう叫んで突っ込んできた車のボンネットに飛び乗る。
止まることなく、キアシェはボンネットを蹴ってさらに前へ身を躍らせた。
キアシェがボンネットに飛び乗った車の運転手は唐突な出来事に動転し、コントロールが崩れる。ハンドルを大きく切って、けたたましいブレーキ音が周囲に響き渡った。
「ちょっ……やばっ!」
拓巳の方へ突っ込んでくる、車。通行人も唐突な出来事に唖然とした表情を浮かべ立ち尽くしていた。
――不意に、キアシェは振り返らず指を鳴らす。
するとコントロールを失いかけた車が、何事もなかったかのように、通常走行に戻っていった。
通行人も事故など起こりかけていないというように、元々の行動に戻る。
なんとも奇怪な光景を拓巳は見ることとなった。
見えないからと言って、存在しないわけではない。キアシェの言葉が拓巳の脳裏に過った。
「い、今のも魔法か? ……いやていうか、あの馬鹿死神!」
車両の信号が黄色に変わる。その頃には向こうの道路にキアシェは辿り着き、さらに背中が遠くなっていた。
拓巳の焦りとは裏腹に、信号は定刻通りに青になった。
「キアシェ、待てよ!」
◇◇◇
拓巳が横断歩道を渡りきるのと、キアシェが見るからに頭の軽そうな五人の男集団に突撃していくのは、ほぼ同時だった。
「君、可愛いね。そこの高校の子だよね? どうせサボるならお兄さんたちと遊ばない?」
「黙れ社会の底辺ッ!」
ざりっ、とアスファルトを踏みしめ、キアシェはその男集団の後ろに立つ。
キアシェが暴言を吐いたのは、一人の少女をナンパしている集団だった。
「何してんだよ、ほんとにあいつはぁぁっ!」
行動原理不明のキアシェに向かって走る拓巳だが、やけに足が重く感じる。
焦りが体の動きを鈍らせているようだった。
男集団は振り返ってキアシェを視界に捉えると一瞬呆気にとられ、次いで笑みを浮かべる。
にやけた、下卑た笑みだ。
「なんだ今日はついてるな」
「そうかな? キミらにとっては最悪な一瞬を迎えたと思った方がいいよ」
キアシェの小馬鹿にした態度は彼らの神経を逆なでする勢いだった。
だが男集団はげらげらと笑って、キアシェに言った。
「そうか。強気なおじょーちゃんだな」
「違うね」
「待ったぁぁ!」
「僕はね、強いんだよ」
拓巳が止めるより早く、キアシェはその小柄な体からは想定できないであろう拳の一撃を、男の一人の腹へ叩きつけた。
「が……」
体をくの時に折って、膝をついた男はそのまま、地面へ倒れこむ。
口の端から涎を垂らし、白目をむく、男。
しん、と空気が静まり返る。
「……で?」
沈黙を破ったキアシェは、倒れこんだ男の頭を靴で踏みつける。
「キミらさ」
身も凍るような冷たい声音で、キアシェは言う。
「何してくれてるわけ?」
ぎろりと睨み付けたキアシェの金色の瞳は、蛇が獲物を捕らえるように細められた。
恐怖か、あるいは最後の意地か。
キアシェに襲い掛かろうとした残りの四人の男は、キアシェに触れることさえかなわなかった。
蹴りやストレート、しかし全てたった一撃で彼らは地面と、あるいはショーウインドウとご挨拶をする羽目になっていた。
最後の一人が通りのアスファルトに崩れ落ちる。
キアシェはぱんぱんと両手を叩いた。
「身の程をわきまえなよね」
ふん、と腕を組んで鼻を鳴らしたキアシェ。
やや後方で茫然と立ち尽くしていた拓巳は、慌てて我に返る。
「馬鹿死神っ! 何大立ち回り決めてんだよ!」
視線を寄越して、キアシェは拓巳を無視するように腕を組んでそっぽを向いた。
人目を気にして、というよりは……まるで子供が親に怒られている時のようだった。
「目立つの嫌だって言ったのお前じゃないのかよ? 大体、何でいきなりケンカ売りに行くんだよ!」
問い詰める拓巳に、キアシェはため息をついた。拓巳としても、人助けを咎めるつもりはないのだが、行動が理解できない。
スマートフォンを取り出すかと思いきや、キアシェは拓巳へ視線を寄越す。
「うるさいなぁ。こいつらが悪い。こいつらが身の程もわきまえず、くお……」
言いかけて、キアシェは固まった。しまった、という気配と共に。
「……おいキアシェ?」
拓巳の言葉など聞こえていない様子で、キアシェは小さく息を呑んだ。先ほど勢いがまるで嘘のように鳴りを潜めている。
それどころか、どこか緊張した面持ちに切り替わっていた。
組んでいた腕を解き、キアシェはそろそろと窺うように視線を向ける。
男に絡まれていた、人物へと。
呆気にとられた表情を浮かべた、キアシェと同じ制服を着用した、金髪碧眼の少女。
外国人の、少女だろう。少女は、キアシェに驚いているようだった。
「ほら見ろ。キアシェが大暴れするもんだから、日本の文化が思いっきり勘違いされてるじゃねーか……」
「キアシェ……?」
少女がそう繰り返す。何か、違和感を覚えた様子の少女。
拓巳は首を傾げ、キアシェに問いかけた。
「なんだ? キアシェの、知り合いか?」
キアシェは拓巳の言葉にばっと顔を伏せる。
その表情は明らかに動揺していた。何か大きな失敗をしたような、そんな動揺。
「クオル様? なんですか、これ?」
場の空気をまるで意に介していない声が割って入る。携帯電話を手にした男が、地面に転がる男たちを不思議そうに見ながらやってきた。
「え? 貴方は……」
キアシェを視界に捉えた男が、怪訝そうに問いかけようとしたその時だった。
「おまわりさんこっちですー!」
先ほどのキアシェの大立ち回りを見た誰かが警察を呼びに行ったらしい。
ばたばたと走り寄る音が聞こえてくる。
「やばっ、警察じゃねーかよ! キアシェ、逃げないと厄介だぞ!」
「るさいな! 分かってるよっ!」
拓巳に大声で言い返して、キアシェは少女と男に目を向ける。
二人とも、状況をまるで理解していない様子だった。
ぎり、と奥歯を噛み締め、キアシェは口を開いた。
「逃げるよ! ついてきてよねッ!」
「え、あ」
身を翻して走り出したキアシェに、拓巳は迷いなく地面を蹴った。そして、戸惑いながらも二人も走り出す。
すぐ近くの角を曲がり、大通りから住宅街へ。
徐々に声が遠ざかり、先頭を走っていたキアシェは速度を緩めた。
「ここまで……くればいいか」
足を止め、背後をキアシェが確認する。追手は、いない。
追いついた拓巳は、膝に手をついて呼吸を整えながら、口を開いた。
「おま……足、速すぎ……」
息を整える拓巳に、キアシェは大きくため息をついた。
「キミさぁ、魂なんだから。肉体の感覚忘れなよ。疲れなくて済むよ?」
「そーいうもんなのか? ……はー……」
深呼吸する。見る間に疲労が抜け、呼吸も落ち着いた。もっとも呼吸にどれだけ意味がある状態かは分からないけれども。
少なくともこれで、拓巳は意識次第で疲労コンロトールが出来ることを理解する。
そして改めて、彼らに視線を向けた。
戸惑った表情で佇む、少女と男に。
何か言いたげな二人に、キアシェはそっけなく言う。
「勘違いしないでよね。キミ、有名じゃん。破壊の使徒。死神の間だって知れ渡ってるよ。当然でしょ」
「死神? ……貴方は、死神なんですか?」
問いかけた男に、キアシェは頷く。
「そ。死神協会、第二支部所属の死神……キアシェ」
「話が通じるってことは、この人たちも死神なのか?」
口を挟んだ拓巳に、キアシェが面倒そうに首を振る。
「違うよ。この世界の人間でもないけど。まぁ、キミは知らなくていいことだよ」
「こちらの方は……?」
少女が拓巳に目を向け、尋ねる。そこに来て初めて、拓巳は気づいた。
この二人は、自分が見えていると。話しぶりからもキアシェと同じ、何かしら別世界の存在だった。
驚く拓巳を他所に、キアシェは冷たく返す。
「間違って死にかけてる魂。本来の魂を拾うまでの代理だよ」
「そうなんですか。大変ですね」
そう拓巳は笑顔を向けられる。人の生死に対しての感想としてはあまりに淡白で、綺麗な笑み。
見惚れるほどの笑顔で、拓巳は思わず息をのんだ。
「破壊の使徒様こそ、何してんのさ」
そんな拓巳の態度を遮るように、キアシェが質問した。キアシェの横柄な態度も気にせず、少女は苦笑する。
「仕事です。妙なゲートが観測されているそうなので」
「……ふーん、大変だね」
キアシェの物言いは完全に他人事だった。
「仕事が、違うのか?」
何とか状況を把握したい拓巳は、微妙な空気の漂う中問いかける。
「ええ、違いますよ。死神と監査官の仕事は正反対と言ってもいいんです」
「か……かんさかん?」
答えてくれた少女には悪いが、拓巳にとってはまた知らない言葉である。
拓巳の様子にキアシェは呆れを含んだ表情で言った。
「監査官は世界そのものを守る。死神は、世界に存在する魂を守る。仕事の住み分けだね。器と中身、それぞれ守るものが違うってことだよ」
「えっと」
「超簡単に言えば、魂を守るのが死神。肉体を守るのが監査官」
厳密には違うけどさ、とキアシェは付け加えた。
キアシェの説明に、ぼんやりと拓巳は理解する。
つまり、その二つの存在が互いに補完し合って、人間の命を守っているという事らしい。
「じゃあ、生きてる間は監査官ってのが守ってくれて、死んだら死神が守ってくれるってことか?」
「違うけど」
「あ。そうか。死神は守ってくれてるとは言い難いのか」
うんうん、と頷く拓巳に、キアシェは大きくため息を吐く。
「違う。全然違うから。魂の管理が死神の仕事。監査官の仕事は、世界そのものを守る事だよ」
キアシェの説明に、拓巳は曖昧な笑みを浮かべて、首を傾げる。
……違いが、分からない。
「……別に理解しなくていいよ。理解したって、死神も監査官もキミがこうやって関わることは二度とないから」
ため息交じりにキアシェが拓巳に言い放つ。
拓巳は諦めて口をつぐんだ。
キアシェの言葉も、もっともだと思ったから。
これは、日常ではないのだ。
そんな拓巳の様子に少女は小さく笑って、キアシェへ視線を移す。
「死神が、仕事に不具合を抱えることがあるんですね」
「たまにね。ああ、ごめん。そういえば、仕事の邪魔したね?」
いえ、と苦笑し、少女はふと拓巳を見やり、わずかに目を細めた。
「よろしければ、一緒にいてもいいですか?」
「何でさ」
「無関係ではない、ようなので」
少女の言葉に、キアシェは唐突に拓巳を睨み付けた。
身に覚えのない、非難だった。
『そもそも、キアシェのせいで俺は死にかけてるよな?』と返したくなるほどだ。
だが、キアシェは次の瞬間どこか寂しげに拓巳から視線を逸らした。
「好きに、してよ」
何故かひどく切なそうにキアシェは言った。
その様子が、拓巳の心に引っかかる。
今までのキアシェの様子からは、想像もできなかった、苦しげな表情だったから。
少女は微笑み、軽く一礼する。
「では、改めて自己紹介を。管理局特級監査官の、クオル・クリシェイアです。こちらは、ブレン。しばらくよろしくお願いしますね。えぇと……」
「あ、池本です。池本拓巳」
首の後ろを撫でながら、拓巳は自己紹介をする。
そして視線でキアシェを促した。キアシェは目を伏せながら、言う。
「死神の、キアシェ」
「はい。よろしくお願いします。池本さん、……キアシェさん」
そう微笑んだクオルは、どこか寂しげに見えた。