第二話 異次元双児

 

 監査官の大きく分けて三種類ある。

 渉外、討伐、管理だ。

 渉外は、世界の文明を観測する。管理は、世界の記憶を回収する。そして、討伐は……世界を誤って越えて、悪影響を及ぼしている存在―侵略型異存在―を討つために、存在する。

 任務中で最も多く、かつ分かりやすいのが討伐だ。エージュはソエルと二人、今回の任務について確認していた。

「でー、今回の任務をもう一回確認しよっか」

 ソエルが転送システムを起動させながら、そう口を開く。

 本部の二階にある転送フロアは全部で二十五台。各転送室はうす暗く、足元のゲートシステムの鈍い魔法陣が頼りない光源だ。

 大抵の監査官は、ここで行き先を指定する。

 まずはゲート座標を選択し、登録。カードリーダーでそれぞれのゲートパスを読み込ませた。次は任務用に転送条件を指定する。

「侵略型異存在による被害が多発。タイプがデュラハン類似。数は一から二を観測」

 デュラハンと言えば、魔力で駆動する魔物だ。首なし鎧という別名を持ち、巨大な剣を携えるのが特徴の魔物。

 その対抗策を思い浮かべ、エージュは頷いた。

「となると、基本は魔法で対応だな。魔法は当然使えるんだろ?」

 任務を確認しながら転送条件をエージュが調整する。

 ソエルは任務先の世界の情報を集めていた。

 事前の転送条件の設定は、長時間任務となる場合には重要となってくる。慣れない世界に長時間適応できる肉体を確保するためだ。

 ソエルは自身の通信端末に表示された情報を見つめながら、エージュへ返す。

「魔力はちょっと濃いかもしれないなぁ。でも対策はいらないとは思うよ」

「じゃあ、抑制フィルターオプションは外すぞ。無駄に戦力を落とすこともないしな。……けど、一から二って、ずいぶん曖昧だな」

 普段なら確実な個体数を教えてくる。それが三桁だろうと、果ては十五桁だろうと。

 情報が取りにくい世界だと、そういう場合もあるが、そういった場合にはやはり腕利きの監査官にしか仕事は流れないものだ。そして何より、それが確実であることこそ、調査課の存在する意義がある。

「調査課でも調べきれないのかな?」

「でもランクは俺らでも引き受けられる……中級者向きだぞ?」

「じゃあ大丈夫ってことかな」

 確かに二人からすれば一人で何とかできるレベルのミッションだ。問題ない。類似ではあるので、警戒は多少必要だとは思うが、渋るほどではない。

 そして何より、渋るほど自分の腕前を信じていないエージュではなかった。

「……まぁ、とりあえず、行くか」

 装備品の最終確認を終えて、エージュはソエルに告げた。

「じゃあ起動するね」

 頷いて、ソエルは転送装置を起動させる。

 いつもどおり、きっかり五秒後に転送陣が光を帯びて、ゲートが起動する。室内を白い光が染めた。

 

◇◇◇

 

 転送先は、白い森の中だった。

 一瞬、雪景色かとも思ったが、よく見ると違う。木々のすべてが、白いのだ。地面も白い。

 驚くほど、世界のすべてが白かった。影だけが黒い陰影を描く。

 ふと空を見上げれば、薄い緑色をしていた。

 少しだけ、息苦しく感じるが、世界にはさまざまな形がある。この世界が珍しいということもない。

「やっぱり、見慣れた青い空が好きだな、私は」

 ぽつりとソエルが零し、無言でエージュは同意する。

 普通の青い空、というのは案外と貴重な存在で、ある意味では特殊でもあった。

 初めのうちは、異世界という物が珍しい。

 だが、やはり住み慣れた故郷が一番だと感じるのが通常だ。

 ……エージュには、思い出せる故郷はあっても、戻れる場所ではないが。

 沈みかけた気持ちを振るい起こし、エージュは地面を爪先で軽く蹴る。地面を掘り起こしてみると、やはりその下の土も白かった。

「灰とかじゃないんだな。多分、組成から違う」

「だからデュラハンも類似なのかなぁ」

「可能性としてはあるな。とりあえず、検索から始めるぞ」

「りょーかいっ! 任せてー」

 くるっとツインテールをなびかせながら背中を向けて、ソエルはすぐに魔法陣を展開する。

 青白い魔法陣から紡がれた、目に見えるか否かの細い糸。糸は音もなく四方へ延びていく。

 ソエルの得意な分野のひとつだ。

 エージュと異なり、ソエルは基本的に後方全般の魔法に秀でている。

 索敵、防御、解除を中心とした補助魔法に優れているが、治癒はできない。反対にエージュは純攻撃系魔法の使い手である。

 バランスとしては良好だ。あとは、治癒さえできたら完璧なのだが、生憎と治癒ができる魔法の使い手というのも、数少ない。

 監査官で治癒ができる人間には限りがあり、常に引っ張りだこの状態にあるほどで。

「この先を南に二キロくらい行くと、古い神殿があるね。で、そこにいるみたいだよ」

 糸から伝わるという情報を、ソエルがエージュへ告げた。

 エージュは首を捻る。

「モンスターがねぐらに神殿を選ぶのか? 珍しいな」

「住みやすいのかな? ほとんど通常のタイプと変わらないみたい。あと……やっぱり一体じゃないね」

 にわかに、緊張感が走る。

 表情を硬くしたエージュを他所に、ソエルは魔法陣を解除しエージュへ向き直った。その表情は、何故か厳しい。

 納得いかないように、眉根を寄せて、顎に指をあてて首を傾げる。

「でも……気配だけしか、読めなかった。誰、なんだろう……分からないな……」

 ソエルの探知能力でも正体が掴み切れなかった存在。

 単にソエルが知識として持っていない存在か、あるいは完全なる新種か。

 いずれにせよ、これで正確な数は把握できた。今はそれで十分だった。

「とりあえず、もう一つ何かいる、それだけ分かれば十分だ」

「そだね。とにかく、行こっか。時間かけても仕方ないし」

「ああ」

 とにかく目的地までは、気を抜かずに進めばいい。

 お互い頷き合って、方向感覚を見失いそうな白い森の奥を目指し、歩き出した。

 

◇◇◇

 

 遠近感を失いそうな白の世界。

 警戒を緩めることなく歩き続けて、十分ほど。白の世界に、ふと飛び込んだのは茶色の煉瓦だった。

 一旦足を止めて、樹の影に身を隠しながらエージュはソエルを振り返る。

「あれか?」

「うん。もう一度確認しとく?」

 ソエルの提案に、エージュは躊躇った。

 メリットとデメリットがほぼ同量。ここで索敵をかけて、相手に悟られるのも、危険だった。目と鼻の先に敵が潜む可能性があるのだから。片や、相手を確実に掌握することは勝敗に大きく貢献する。

 再度、茶色の煉瓦を見やる。

 それほど、巨大な神殿ではない。神殿内の様子を再検索するか否か。

 エージュが選択したのは、後者だった。

 こく、と一人で頷いて、エージュはソエルに振り返らず、緊張した声音で告げる。

「俺が先行する。ソエルはシールド展開」

「うん」

 頷いて、ソエルはすぐに防御結界を張り巡らせる。

 それを確認すると、エージュは頷いてその手に自分の武器である槍を握って歩き出した。

 ソエルはエージュとの距離を適正に保ちながら、そのあとを一歩ずつ追いかける。

 結界ギリギリにエージュが入るように移動しつづけるのが、ソエルの今の役目だ。

 徐々に視界にその全貌を晒す、神殿。二人がそれぞれ、息をするのさえ押さえて、一歩踏み出し……

――がんっ!

 頭上から襲った衝撃と、音。弾かれるようにエージュとソエルは顔を上げる。

 首のない、人間の成人男性より一回り大きな金色に輝く鎧が、大剣を直上から振り下ろしていた。

 デュラハンの、一撃。

 ソエルが展開した防御結界がみしみしと音を立てて軋み、ぱらぱらと光の粉が落ちてくる。負荷が大きく、結界が小さいながらも崩れ始めたのだ。

 しかしソエルは慌てず、結界の修復と強化に神経を集中させる。

 エージュはソエルの結界から一度抜け出ると、槍を構えて、魔法を重ねる。

 槍に対する強化と自身に対する加速。

 デュラハンへ向けて、エージュは刺突の態勢でとびかかる。魔力に反応したデュラハンは、結界に振り下ろしていた剣を横なぎにして、エージュの攻撃を相殺する。

 攻撃をはじかれたエージュは地面に着地すると、ソエルのドーム状結界の上でたたずむデュラハンを睨みつけた。

――強い。

 知能もまわるタイプだ。

 普通のモンスターであれば、最初の獲物を捕らえるまでは攻撃の手を緩めることはほとんどない。

 今回で言えば、ソエルの結界を破壊するまで攻撃の手を緩めはしないのが通常だ。

 だが、この敵は、エージュの攻撃に反応し、かつ、今結界を破るか、あるいはエージュを倒すかの優先順位を考察しているように見える。

 ただの、魔物ではなかった。新種、あるいは進化した魔物とみて間違いないだろう。

 ざぁ、と白い木々が風に揺れて、音を立てた。

 この沈黙を先に破ったデュラハンの選択は……エージュを先に倒すことだった。

 大剣を軽々と振りかざし、重さを感じさせない速さでエージュへ肉薄する。

「ちっ!」

 舌打ちして、エージュはすかさず杖に切り替え、シールドを展開する。

 ソエルと比較すればエージュのシールドは遥かに脆弱だ。

 だが一瞬でいい。一瞬でも足を止めることができれば、至近距離で仕留める。

 ソエルもエージュの意図をくみ取って、エージュの結界を強化する魔法を唱える。

 動きも読めている。勝てない敵じゃ、ない。

 ぐっと杖を握りしめ、腰を落としてエージュは来たるべき衝撃に備えた。

 接近したデュラハンが再度剣を横なぎに振りぬいて……

――シールドが、叩き割れた。

「……え」

 咄嗟に、反応ができなかった。

 エージュが凍り付いている隙に、デュラハンは握りを返して、反対方向へ剣を振りぬく。エージュを衝撃が襲ったのは、その直後だった。

「エージュっ!」

 ソエルの悲鳴じみた声がエージュの鼓膜を揺らす。

 白い地面に横倒しになった自分に気づいたのは、その瞬間だった。

 斬られた? それにしては、痛みがない。いや、そういうものだと聞いたこともあった。人間は大怪我を負った直後は認識するまではほとんど痛みを感じないことが多い、と。

 がらんがらんがらん、と金属が崩れるような音が聞こえ、視界の中に鎧が地面へと崩れ落ちたのが、見えた。

 デュラハンが、崩れたのだ。

 唖然となるエージュ。

 その眼前に、ざり、と土を踏みしめた黒いブーツが現れた。

 それはソエルではない。

「たく。……無事か?」

 声をかけられ、倒れたままの姿勢でエージュはぎこちなく視線を上げる。

 薄緑の空をバックに、青のケープが翻った。襟元のラペルピンが光を反射している。青の瞳が、面倒そうに目を細めていた。

 雰囲気と服装がいつもと違うが、クオルのようだった。

 エージュの目指す監査官であり、恩人。ブロンドの髪を風に揺らし、中性的な外見をした小柄な少年だ。

 こんな中級レベルの任務場所に現れるはずのない、高ランク監査官のクオル。

 その姿に、エージュは呆気にとられながら見上げるしかできなかった。

「エージュっ、大丈夫?」

 ソエルが駆け寄ってくる音に、ようやくエージュは我に返った。

 ゆっくりと体を起こすが、あちこちが酷く痛む。

「う……てぇ……」

「安心しろ、斬られちゃいねーから。悪くて、ただの打撲だ」

 随分と口調と態度が荒っぽい。

 いつものクオルとは思えないエージュの抱える違和感は、すさまじい。

 だがひとつ分かるのは、助けられたという事だ。

 安堵のこもった息を吐いて、エージュは顔を上げ、クオルを見やる。

「……助かりました。クオルさん」

「あ?」

 いつもとはあまりに違うぞんざいな返し。ぞんざいというよりも、ぶっきらぼうというか、粗暴というか。

 とにかく、エージュが接したことのあるクオルとはまるで違う。

 その違いに、思わずエージュは閉口した。何か気に障る事をしたか、あるいは……

「もしかして、イシス……とかいう……」

 クオルは、もう一つ人格を抱えているはずだった。それがイシスだ。その可能性は捨てきれない。

 だが軽く目を見張り、次いで不機嫌そうな顔を浮かべるクオル。

「なんでお前みたいなのがイシスまで知ってんだよ。つーか、俺は兄貴じゃねーってのに」

 ため息交じりに、そう零された。

 じゃあ誰だ? と首を傾げるエージュに、突如ソエルが襟元を掴んだ。

「え、エージュ。よく見てよもうっ」

 必死な形相で訴えるソエル。

 エージュはよくわからず、クオルではないと言い張る人物を観察する。

 特徴的なのは、青のケープと、ラペルピン。見るからに生地が良い。

 更に、ピンの装飾をよくよく観察する。深い青の宝石の中心に、彫り込まれた刻印。

「……冗談だろ」

 さすがに、エージュも息をのんだ。

「そんな冗談極刑ものだよっ!」

「水すい虎こ様、なのか?」

 管理局を束ねる魔導評議会十三役員の一人。言うなれば遥か雲の上の上司だ。

 彼は、不機嫌な表情を崩さず、頷く。

「一応な。アルト・フォリア。兄貴を知ってるとは、結構レアな人間だな、お前」

「どうも……」

 クオルに弟が居て、ましてやそれが水虎だとは初耳だった。

 だが、それでようやく理解するのと同時に、エージュは安堵さえしていた。

 ……エージュの抱えていたクオルのイメージが壊れずに済んだ事が。

「ま、いいけど。さて、と」

 くるりとアルトは背を向けて、デュラハンの残骸に歩み寄る。

 鎧の表面をこつこつ拳で叩いて、ひっくり返した後、何かを採取し始めた。

 その間にエージュは怪我がないことをソエルに確認され、ようやく立ち上がる。ごそごそと作業をしているアルトの背に、ソエルが一度唾を飲み込んだ。

「あ、あの……す、水虎様……?」

 意を決して声をかけたソエル。

 だがアルトは作業の手は止めず、試験管にデュラハンの欠片を放り込んでいた。

「なんだ? つか、別に名前でいーぞ」

「えと、何してるんですか?」

「見ての通り、調査」

 短くどこか素っ気ない返答に、二人は不安から顔を見合わせた。

 黙ってアルトの作業が終わるのを待っていると、よし、とアルトが一人頷く。

 そしてようやくアルトは立ち上がり、ソエルとエージュへ向き直った。

「で、なんでお前らはここにいるんだ?」

 質問の意図が、二人にはよくわからなかった。

 困惑から沈黙するエージュとソエル。そんな自分たちをじっと見据えるアルトに息をのんで、エージュは緊張に喉が渇くのを感じつつ、口を開く。

「任務の……、その、デュラハン討伐の」

「これ、お前らのレベルで倒せるわけないだろ」

 かん、と鎧を軽く蹴って、アルトが言う。

 確かに、間違っていない気がする。先ほどアルトの助けがなかったなら、今頃エージュは真っ二つだったに違いない。

 反論できずにいると、アルトはログを調べるためか、端末を取り出した。

 監査官の任務状況は、基本的にゲートにログとして残る。特にアルトは、魔導評議会議員であって……それを閲覧する権限も持っている。

「……これか。ソエル・トリスタン、それから……エージュ・ソルマル」

「ちゃ、ちゃんと正式に手続きは踏んでるんですよー」

 ソエルも、いつもの様子ではいられないらしい。

 エージュの服の裾を掴み、若干隠れながらどぎまぎと返すほどだ。

 アルトは眉根を寄せたまま何か端末を操作して、それからそれを仕舞い込む。

「ったく、このごろ多いな」

「えっと……」

 戸惑いを隠せない二人へようやく目を向けて、アルトは言う。

「手違い……つーか、システムバグ。お前らの引き受けた任務は、本来Aランク任務。終わり次第、俺が送ってやるからちょっと待ってろ」

「え、どうして水虎様がAランク任務なんて請けるんです?」

 ソエルが小首を傾げた。

 Aランクは基本的に上級前期監査官が引き受けるものだ。評議会議員は最上位に位置する上、立場と腕前的には特級監査官を凌ぐという。つまり、通常より危険度の高い時にしか出てこないものである。

 すると、アルトは心底不愉快そうに顔を歪めた。

「いーだろ別に」

「いやでも、もっと重要な案件とか……」

 エージュがやんわりと尋ねるも、アルトはぷいっと背を向けた。

「るせ馬鹿っ! 俺はまだレベル的には上級なんだよっ! ほっとけっ!」

「「は?」」

 さすがに面食らった二人は、呆ける。

 議員が、上級監査官?

 しかもアルトはクオルの弟だという。なら、順序的にも腕前的にも、疑問が湧き出る。

「あれ? でもお兄さんなんですよね? クオルさん、特級……」

 ソエルはエージュが抱いたの疑問と同じ問いを口に出してしまった。

 即座にアルトがソエルを睨む。

「うるさい。お前らには関係ない」

 ぴしゃりと言い切られ……しかも触れてほしくない様子だったので、二人はそれ以上アルトに何も言えなくなった。

 気まずい空気が、流れる。

「……とにかく、行くぞ。とっとと迎えに行って、仕事は終わらせる」

「あ……はい」

 背を向けたアルトに続いて、エージュとソエルは神殿に踏み込んだ。

 

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