第八話 all in one
命の恩人が、自分の故郷を亡きものにした。目的のために、救い上げてくれた。
もしも、それが全てだとしても。
どうしても憎むことはできない。
生きていることを喜べたのは、事実で。そして少なくともこの道を選んだのは、自分だから。
そして、誰より傷ついていることを、薄々感じていたから。
――今、みたいに。
「兄貴、兄貴っ!」
悲鳴じみた声音で、アルトが懸命に名を呼ぶ。
ブラックアウトした視界から回復するとほぼ同時に、クオルはその場で頽れた。
エージュが手を差し伸べる前に、ブレンがクオルを支え、アルトが駆け寄ったのが、数秒前。
元の時間軸に、戻されたのだ。
だが、状況が読めなかった。
王の記憶干渉を強制的にシャットアウトされたとしても、エージュにはダメージはない。あるいは、と思い同行していたジノを見やったが、特に問題はなさそうだった。
それどころか、ラナと何か相談中で、慣れた様子だった。
どうしていいかわからないエージュは、思わず立ち尽くしてしまった。。心配そうにソエルが顔を覗き込む。
「エージュは、大丈夫?」
「あ……ああ」
頷いて、エージュは再度クオルに目を向ける。
肘から下にかけて、赤のシミが白の法衣に広がっている。
指先からはぽたぽたと絶え間なく微かに黒ずんだ、赤い雫が滴っていた。どう見てもそれは、血だった。
原因の思い当たらない、クオルの負傷。
「何が、あったの?」
ソエルはそう問いかけるが、聞きたいのはこっちの方だった。
返答できないエージュに、不安げな表情でソエルがクオルへ視線を向けた。
「ああ、心配しないでください。多分、エリスからの供給を最小限にして、自分で補っていただけですから」
問うようなエージュとソエルの視線に、ブレンはそう苦笑交じりに返した。
心配するなと言われても、無理がある。
意識のないクオルは真っ白な顔で、微かに呻き、目覚めるには至っていないのだから。
「それで、なんでそんな怪我につながるんですか」
若干きつい口調で、しかし震えた声音で、エージュは問いかける。
ブレンは寂しげに笑って、手当にあたるアルトのサポートをしつつ返答した。
「普通は魔力が底をついたら、体が自動的にその経路をカットする。痛覚と同じですよ。これ以上は無理だと訴えて、動かなくさせる。だけど、クオル様はそれを感じ取れない。いえ、あえて感じていない。突き詰めれば、死ぬまで続けるでしょうね」
「な……」
「信じられねーくらいの馬鹿だろ。だけど……兄貴は、それくらい何とも思ってないんだよ」
簡単な止血を施し終えたアルトは、憔悴した様子でそう呟いた。
限界を意図的に廃して、死に寄り添うなど……流石のエージュも、出来ない。
絶句するエージュの目の前で、アルトは立ち上がった。
「まぁ、今は兄貴のことは重要じゃない」
そう自分を奮い立たせるかのようにそっけなく言い放つアルト。
心中穏やかでないのは、表情で分かる。
きゅっと口元を引き結んで、アルトは視線でブレンを促した。ブレンは静かに頷いてクオルを空いているベッドまで運び出す。
それを視線で追いかけていたエージュの襟元をアルトがいきなり掴んだ。
慌てて視線を落とすと、アルトからの鋭い眼光が突き刺さる。まるで犯人を問い詰めているかのように。
「何を見て、どうなってたのか、一から説明しろ」
「お……俺のせいじゃ……」
ない、とは言い切れないが、直接手は出していない。本能が危険を知らせる。しかも、アルトだって分かっているはずだ。
すると、アルトの手の上に、そっと手が重なった。
その先を辿ると、……ジノが疲れた笑みを浮かべていた。
「それは、俺がする」
ラナとの会話を終えたジノがそう進言し、アルトはようやくエージュから手を離した。
アルトは視線でジノに説明を促す。単にクオルの状態に苛立っているのだと、エージュもようやく気付いた。
ジノは一度深く息を吸い込んでから、ゆっくりと説明を開始した。
王と、閻魔大王との会話。王の柱でのアリシアとエリス、二つの存在との様子。そして、エージュの属した世界と衝突する世界に対する対応決定までの、様子。
話すことはそう多くはない。
ただその一つ一つすべてに、意味があるとでも言うように、ジノはアルトへ説明する。
アルトは腕を組んで黙ってそれを聞いて、時折頷いていた。十五分もかかってはいないだろう。
だが、エージュには何時間にも感じた。
同時に、随分昔の事のような感覚もする。
やがて話し終えたジノは小さくため息をついた。未だ眠り続ける、あるいはかろうじて肉体を保っている王たるすばるを見やり、ジノは零した。
「一人じゃ無理だってことは、あの状態を維持しても意味はないってことだと思う」
「……まぁ、そうだろうな。もともとはそういう風にはできちゃいねーもん」
アルトとジノの間には、会話が成立していた。
そのことに少なからずエージュは驚き、またどこかで寂しさを覚える。
同じものを見て居たにもかかわらず、そこに意味を見いだせるか否か。それは大きい。
傍らにいたソエルが心配そうな顔をしていた。
エージュはそれに気づいて、淡く微笑む。そこで立ち止まっていては、意味がない。
「教官、アルト様。俺やソエルにもわかるように状況を教えてください」
「……なんで」
アルトのぶっきらぼうな言葉。
だがそれは拒絶のためではないことくらい、エージュでもいい加減分かってきた。
アルトは、素直ではないタイプなだけだ。
「協力者に説明なしで、口止めできるとか思ってないですよね?」
それはある意味での賭けだった。
軽い脅しが効く相手かわからない。好きにしろと言われればそれまで。
あるいは、記憶を操作することくらい、どこかの課に頼めばできなくもないだろう。
だが、アルトは少しだけばつの悪そうな表情を浮かべる。
ちらりとジノを見やり、救いを求めているようだった。
魔導評議会役員の一人、水虎。その立場にいる割には、アルトはいつだってそれらしくない。
だが、それゆえにエージュはアルトを信じることもできた。
多分、クオル以上に。
沈黙が、室内を包む。
「……あの、じゃあ代わりに一つ、質問良いですか?」
ソエルが恐る恐るそう口を開く。
視線がソエルに集い、ソエルは苦笑しながら慌てて胸の前で手を振る。
「そ、そんな見ないでくださいよー。ただ、どうして今の王は第四王政の王なのに、第四王政の始まったその時から、王じゃなかったのかなーって」
「そういう、システムだから」
端的にアルトが答えた。
ソエルはふーん、と応える。
頭脳がフル回転しているのだろう。目が、半分座っている。
「王の席が空いたまま、ずっと世界は回ってた。アリシアとエリスで賄えていた。だけど今は違う。それは王がまだそこに『いる』ってこと」
ぶつぶつと、ソエルは言う。
エージュはその言葉を聞きながら、状況整理する。
第四王政の始まりは今の王が『王』になってからではない。それまでも問題はあったとしても、アリシアとエリス、評議会で世界を回すことができていた。
だが、現状は世界が機能不全に陥っている。そもそもアリシアとエリスは王の意思には背けない。王と評議会では、王の方が優先されるから。拮抗する何かがあるのだ。
ならば、まだ王は、存在していなければならない。でなければアリシアとエリスが評議会に何も告げていない事が、説明できない。
だがそれは理由としては弱い。恐らく、この状況は積み重なった不具合のなれの果てだ。
それを打破できるのが王というだけで。
『俺は、俺だけじゃ、だめだと思うから』
『俺が俺じゃなくなったら、この時間まで戻らなきゃいけない』
王が一人ではだめ? 王が王でなくなる?
「ねぇ、エージュ」
不意に、ソエルが声をかけた。
ソエルに目を向けると、ソエルは顎に人差し指を当てたままじっと正面を見据えて、続ける。
「もしもエージュが王になったとしたら、壊す世界と作る世界。どうやって選ぶ?」
「は?」
何を唐突に言っているんだ?
エージュの答えを待たずして、ソエルはさらに続ける。
「管理監査官たちが選んでくれたいくつかの世界。最後に選ぶのは王だよね。アリシアとエリスは力でしかない。どうやって、決める?」
ソエルは横目でエージュに問いかけた。
「どうやってって、……どういう世界なのか、理解して……」
「エージュの知ってる世界を基準にして、だよね」
「そうだけど……」
それがおかしいことだろうか。
選択など、所詮自分が知っていることとの対比の結果でしかない。
(……知っていることの、対比?)
背筋がすっと寒くなる。
「……おい、まさか」
「多分、そうなんじゃないかな?」
ソエルが困ったような笑みを浮かべる。
エージュはアルトとジノに目を向ける。
「もしかして、王は自分の同位体全部を喰らおうとしてるんですか?」
「……お前の見てきた状況からだとな」
アルトは静かに肯定した。
めまいを感じる。無茶苦茶だった。
同位体。異なる世界にいる、自分と同じ運命を背負う存在。ドッペルゲンガーとも呼ばれる。
ドッペルゲンガーに出会ったら、死ぬという伝承がある世界もある。
それはあながち間違ってはいないのだ。
同位体に出会ってしまったら、どちらかが吸収される。世界が、自分のミスと勘違いをして統合してしまう。
それは監査官でも同じ。
本来出会うはずのない本人同士が出会えばどちらかが吸収される。吸収される可能性が高いのは本来その世界にいなかった方だ。
世界により多く記憶されている方が優先される。きっとそれは、ヒトであった王でも同じこと。
(王は、どこかの世界で吸収されてしまった?)
背筋が一気に寒くなった。
残されたすべが、なくなっていく。
「すばるは、自分という存在をまるごと統合して、世界のことを一度に多く知ろうって考えたんだろうな」
ぽつりとジノが言う。
ジノは決して『王』とは呼ばない。呼べない、のかもしれない。親しかった人間を遠ざけないために。
「でも、ひとの……特に、通常の人間の体は一つの魂に対して一つの肉体しか対応できない。すばるの肉体構築は元いた世界に依存してる。だから、統合されたすばるじゃ、許容量オーバーだ」
「維持されていたのは、奇蹟的、ってことね。まったく、なんて厄介なのかしら」
「すばるは、どこにいると思う?」
ラナにジノが問いかけた。ラナは肩をすくめて、言う。
「さぁね。でも、限られてると思うわ。だって、そうでしょう? 統合されたら、その記憶全てが世界から奪われて、誰の記憶からもなくなってしまう。王の記憶は、王の柱に刻まれるもの。そうよね?」
アルトに確認する、ラナ。アルトは戸惑いながら頷いた。
「王の魂はきっと『そこ』にあるのよ。で、王の器は、『柱』でしか構築できない」
「……」
「あんたには、酷かもしれないけどね」
ラナはそう付け加えて、ジノに微笑んだ。
ああ、そうか、とエージュも納得する。
もしもまだ、統合できていない記憶があるのだとすれば、それは……――ジノに記憶が残ることからも、王の元の世界しか考えられないのだ。