第六話 歪みの宝玉

 

 降り立った大地は、なじみのある青い空と、赤茶けた土の世界だった。

 基本的には、人気のない場所へ最初は転送される。今回は古びた神殿の前だった。

 通信端末を手にして、エージュは現在地を探る。

「エージュ、あては……あるの?」

「ない。でも、行かなきゃ俺はあの人を止めることも、守ることもできない」

「……だよね」

 どこか諦めた様子で、ソエルは目を伏せた。

 Aランクパスの権利の一つ。任意の場所へ、一名まで同行させることができる権利。エージュはその権利を使って、ソエルを同行させていた。

 全てはアルトからの任務……あるいは、願いのために。

 クオルを見つけ出して、早急に保護してほしい。

 それが、アルトからの要請であり、願いだった。

 公的な事情と、私情がまじりあった複雑な要請ではあるのだろう。

 だが少なくとも、アルトにとってはクオルの無事が確保できるならばどちらでも構わないはずだ。

「……分からないなぁ。……クオルさんは監査官なんだから。滅ぶ世界を守りたいって思う気持ちはわかるけど……だからって、何も危険に自ら飛び込んでいくなんて、まるで自殺だよ?」

 ソエルの言葉に、エージュは否定も肯定も出来ずに黙り込む。

 あの人はそういう人だ。そう片づけることは、きっと簡単だった。だが、なんとなくエージュ自身も感じていた。

 クオルの存在そのものが、何か意味を持つ気がして。

 自分を助けてくれた。それも、何がしかの目的をもって。だとしたら、自分とクオルの道は必ずどこかで交わるはずなのだ。

 こんな所で、終わらせるわけにはいかない。

「時間がないって、アルト様は言ってた。多分、崩落までの時間はそう残されてない」

「……そだね」

 頷いたソエルに対し、エージュは表情を引き締め、空を仰いだ。

 青い空。この空の下に、クオルはきっといる。

 

◇◇◇

 

 エージュたちを送り終えたアルトは、アリシアと共に会議室へ向かっていた。

「それにしても、この土壇場でよく覚醒させられたわね」

「俺はお前が良く手加減したと褒めてやりたいけどな」

 そっけなく言い返したアルトに、アリシアは肩をすくめた。

「手加減なんてしてないわ。私、そういうの苦手だし。あの子は、強い。いえ、強くなる、かな」

「……だと、良いんだけどな」

「心配しすぎよ、アルトは。あら、保護者さんじゃない?」

「……」

 アリシアの一言に、アルトは表情を険しくする。

 廊下の少し先に、壁に背中を預けて腕を組み、楽しげな笑みをこちらに向けた男がいる。

 黒い衣服に、黒いマント。そして黒髪の下で、紫の瞳を細めて笑うのは、シスだった。

「そっちは会議室じゃないよ、あーちゃん?」

 踵を返しかけたアルトに、シスが言葉を投げた。

 アリシアが口を押えて笑いをこらえているのを横目に、アルトはぎろりと目を向ける。

「るせーな。お前が行く手を阻むからだろーが」

「嫌だなぁ、寂しがらなくても」

「ぶっ殺すぞ」

「もうダメ……この緊迫した状況下でもよくそんな漫才できるわね」

 腹を抱えて笑うアリシアの笑いのツボもアルトには良く分からない。

 アルトはため息をついて、シスに問いかけた。

「で、何か情報来たか? シス」

「何も。生の情報は議会と各課長レベルでしか持ってないみたいだしね」

「……分かった」

 頷いて、アルトは再び会議室へと向けて歩き出す。

 アルトは視線でアリシアを促し、シスは呼ばれずともアルトに続いた。

「それより、クオルはまた飛び出してったのかい?」

「兄貴にじっとしてろって言う方が無理だろ。特に、今は兄貴レベルの奴ら以外は動くこともできないし」

「まぁ、そうだね」

 つい、と視線を向けてアルトはシスへ言った。

「お前も行ってきていーんだぞ」

「何言ってるかな。僕はあーちゃんの傍にいることが一番大事な役目だよ?」

 相変わらず、シスの発言は意味が分からない。

 アルトは軽くため息をついてシスとの会話を諦めた。

 シスは小さく笑い、そしてアルトに言う。

「あーちゃんが手軽に動かせる駒が一つくらい残ってないとね」

「……俺はお前の事駒だなんて思ったことねーよ」

 シスの言葉に、ぽそりと反論したアルト。

 アルトは一度たりとも、シスを駒だなんて思ったことはない。

 普段は面倒な存在でもいざという時は、頼ってしまう自分を自覚しているからだ。

「何か言った? あーちゃん」

「な、何も言ってねーよ!」

 慌てて反論する。シスに目をやると何やら楽しそうなので、間違いなく聞こえていた。

 聞こえていて、再度言わせるのがシスという人間である。

 口角を引き攣らせて、アルトはぷいっと前を向いた。

「聞こえなかったなぁ」

「黙れ変態鬼畜! とにかく、情報集めて、少しでも早く状況を打破しなきゃいけないんだ。お前と遊んでる暇なんてこれっぽっちもねーんだよッ!」

「じゃあ全部終わったらね」

 アルトは怒りのあまり言葉を失い、肩を震わせるしかなかった。

 事態が緊迫していようが変わらないシスの態度には、恐れ入る。

「まぁ……急がないとあの二人に全部押し付けかねないものね、議会は」

「そんな事は、させないよ。……ね、あーちゃん」

 シスにそう振られ、アルトは複雑な表情で頷いた。

 先を越された口惜しさと、少しだけ過る恐怖で。

「当たり前だ、馬鹿。……何のために俺が議会で頑張れてると思ってんだ」

「それでこそあーちゃんだよ」

 何もかも知った風なシスが、アルトは憎らしかった。

 

◇◇◇

 

 エージュは以前、崩壊することが決定づけられていた世界へ行った時を思い出していた。

 あの時、クオルはソルナトーンと呼ばれる魔石を回収していた。管理監査官の仕事としては、当たり前のことだとジノも言っていた。重要なのは、そこへ向かっている可能性があることだ。

 崩落直前の世界ですることがあるとすれば、恐らくソルナトーンの回収以外にはない。つまり、ソルナトーンを探した方が手っ取り早い。あてもなく探すよりはこちらのほうが確率的には高いはずだ。

 幸いと、上級認定されたエージュの端末は、ソルナトーンの現在地を捜索する機能が追加されていた。

 そして、思惑通り現れてくれたのは正直、救いだった。

「今更、遅いわ」

 とある神殿の中にある祭壇の上。

 かつては神体であったであろう石像が抱える球体が、今はソルナトーンとして鎮座している。

 そんなソルナトーンの前で待ち構えていたエージュとソエル。

 二人に対し、開口一番告げられたのは、そんな突き放す言葉だった。

 イシスの後ろに控えたブレンが苦笑いを浮かべている。

「素直に喜んだらどうです?」

「喜ぶには遅い。大体、上級になったのなら、他にもすべきことはあるだろうに」

 ぶつぶつと文句を垂れるイシスにエージュが歩み寄った。

 イシスは視線を寄越すと、不服そうに黙り込んだ。

「弁明とかは、しません。……クオルさんは?」

「無理だな。この事態が解決する糸口が見つかるまでは無理に晒せば動けなくなる。おとなしく寝かせておいた方がのちのためだ」

「……そうですか」

「おとなしく信じるのか?」

 問いかけたイシスに、エージュは頷いた。

 そして苦笑する。

「貴方は、必要以上の嘘はつかない気がするから」

 エージュの答えに、イシスはため息をついた。諦めた様に。

 そして、気を取り直してイシスは尋ねる。

「で、上級監査官になって、ソルナトーンの前にいた、ということはこれを回収する意味でも悟ったか?」

「えっと、クオルさんを待ってただけです」

 ソエルが答える。するとイシスは呆れた様子で眉間に皺をよせ、目を細めた。

「……馬鹿か?」

「まぁまぁ、心配してくださったんでしょう。あなた方が無茶ばかりするから」

 どっちの味方なんだかわからないブレンの言葉。

 だが、本人に聞けば簡潔明瞭な答えが返ってくるに決まっている。

 クオル様とイシス様の身の安全を確保することが使命ですから、と。

 ブレンとは、そういう人間なのだ。

 イシスは軽く頭を振って、ともかく、と口を開く。

「ソルナトーンの回収が先だ。崩壊してからでは、遅い」

「アルト様が心配してました。一度、戻りましょう」

「……断る」

 ソエルの言葉をきっぱりと、イシスは拒否する。

 クオルと異なる、紫の瞳をひた、とソエルに合わせ、言う。

「保護という名の、隔離あるいは、監禁だろうて」

「まぁ、そうでしょうね」

 残念そうに、ブレンが同意した。

 エージュとソエルだけが、イシスの言葉に固まる。

――隔離か、監禁?

「あ……アルト様は、そんな人じゃないですよ?」

「本人意思とは別だな。……あるいは、それを伝えたくて、接触したがっているのかもしれんが」

 はぁ、と再度ため息をついたイシスは、疲れた様子だった。

「……まぁ、いい。ならば一度その手に乗ってやるか……」

「イシス様……」

「根本的解決をせぬ限りは、いずれそうなる。情報を整理するためにも一度戻った方が効率的だ」

 はい、と渋々同意して、ブレンはそれきり口を閉ざした。

「では、回収して、戻るか」

「ソルナトーンって、確か世界の記憶……でしたっけ?」

「ああ、そうだ」

 ソエルの確認に首肯したイシスは、視線でブレンにソルナトーン回収を命じる。

 今回のソルナトーンは、かつての御神体の腕の中。ご神体ごと持って帰るには大きすぎ、そこから剥がすしか方法はない。

 ブレンがその回収作業にあたっている間に、イシスは話し始めた。

「世界の記憶そのものであるソルナトーンを回収し、世界の柱へ還す。記憶がばらばらになる前に、世界の柱にある『無限書庫』に記録する。それが、ソルナトーン回収の意味だ」

「回収しないで壊れてしまうと……どうなるんですか?」

 ブレンの回収作業を横目に、エージュが問いかける。

 イシスは肩のライヴを撫でながら、薄く笑った。

「王の糧にはなるまい。以前の失敗や成功をもとに、よりよく世界を作り出すのが王の役目なのだから」

「なるほど……」

 確かにイシスの話は筋が通っている。

 だとしたら、無為に世界を崩落させて、ソルナトーンを失うのは得策とは言えない。管理監査官が命を賭して崩落寸前の世界に出向く理由も、納得が出来る。

 全ては、よりよい未来の為なのだ。

 その事に、エージュは安堵と共に、切なさを覚える。誰かの犠牲なしでは、やはり世界は幸福を作れないという現実に。

「世界とは、儚くも尊い犠牲を払って、続くものだからな」

 イシスが悲しげな視線を空へ投げた。

 間もなく、この世界も滅ぶのだろう。その犠牲を、忘れず、未来へ繋がなければならない。

 それが管理監査官の役目の一つなのかもしれない、とエージュは思った。

 沈黙が降りかけたとき、ちょうどタイミングよく、ブレンがソルナトーンを引っ張り出した。

 それを見届け、イシスは冷静な声音で告げる。

「さて、では帰るか」

 

◇◇◇

 

 転送の終了は、いつも感覚的なもので、強いて言えば空気の違いで、認識する。

 空気を察知して、目を開く……というのが、エージュやソエルにとっては普通、なのだが。

「兄貴っっ!」

 今回は、違った。わかりやすく、アルトの声が聞こえたから。

 慌てて目を開くと、アルトがイシスに詰め寄っているのが見えた。

「兄貴、兄貴は⁈ 無事なんだろうなっ!」

「ああ、うるさい。寝てるだけだ。騒ぐな」

 はたはたと手を振ってアルトを邪険に扱うイシスに、ブレンが苦笑いを浮かべていた。

 それだけを見れば、微笑ましい様子なのだが。

 実際は、それほど余裕のある状況ではない。それより、とイシスはアルトの詰問を遮断する。

「状況の説明をしろ」

「う……、とりあえず……契約者だけで、柱の機能維持をさせようって、ことには……なった、けど」

「なるほどな。まぁ、妥当な選択だ」

「納得すんなよっ! お前はよくても、俺はちっともよくない! そんなのは……俺はっ……」

 言いかけて、言葉を詰まらせる、アルト。

 顔を伏せて、肩を震わせていた。イシスはその様子に、ため息をつく。

「誰も納得などしていない。理解しただけだ。履き違えるな。で、肝心の『王』はどうなった?」

 沈鬱な表情で、アルトは首を振った。

 イシスが表情を曇らせ、ブレンへ一瞥寄越す。

 まるで視線だけで会話でもできるのか、ブレンはイシスの無言の問いに答えた。

「ラナさんへ引き渡しだけですので、状況は……すみません」

「……今は、ジノが傍についてる」

 ぽつりとアルトが状況を付け加えた。

 イシスは腕を組んで何事か思案し始める。

「ところで、お二人とも」

「え?」

「なんだ?」

 イシスとアルトが、それぞれ怪訝そうにブレンへ視線を向ける。

 ブレンは苦笑いを浮かべながら、す、と指をさす。

――完全に蚊帳の外へと追いやられていた、エージュとソエルを。

 向けられた視線に、エージュは緊張からか、背筋がちりちりと痛む。

「少しは、状況の説明に加えてあげるべきかと」

 無言のまま固まっていた二人にようやく気付いた様子で、イシスとアルトはそれぞれ口を閉ざした。

 イシスとアルトは視線だけで、説明について相談を始める。

 流石兄弟と言うべきか。

 答えが出るのはすぐだった。

「……どのみち、力を借りなければならんからな」

 少しだけ、不服そうな様子でイシスは呟いた。

 エージュはその態度に少々憤りを覚えたと同時に、不安が脳裏をかすめる。

「助力を求めるからには、お前にも話すことはある。知ってもらわなければいけない、現実もな」

「現実……」

「だが、その過程で生じる疑問に対する回答は後回しだ。今は、王を再起させることが第一命題。どの道、現状を突破しない限り、この世界構造に未来はない」

 イシスが断言して、アルトは沈痛な表情で頷いた。

 エージュはイシスの牽制に、僅かながら恐怖を感じていた。

 自分の存在に直結する『何か』が、重要な意味を持つということに。

 不意にイシスは小さく息を吐く。

「さて、ではそろそろ頃合いだな。……私は休ませてもらうが、……王を、頼むぞ」

「分かってる。……ありがとな、イシス」

 イシスは静かに首を振って、目を閉じた。

 そしてゆっくりと、と瞳を開く。

 青の瞳が瞼の下から現れる。クオルへ切り替わったのだ。

 たったそれだけの事で気配さえ、変化する気がした。

「……兄貴」

 ぽつりとアルトが名を呼ぶと、ゆっくりと視線を向けて、クオルが口を開く。

「大丈夫ですよ。事情も大まかには把握しています。行きましょう。それと」

 場違いなほど、穏やかで綺麗な笑みを浮かべて、クオルはエージュへ告げた。

「ありがとうございます。それと……ごめんなさい。こんな事に、貴方を付き合わせて」

 首肯も、否定もできなかった。

 ただ、少なくとも今エージュが立つ場所は、望んでいた未来の一つだった。

 

◇◇◇

 

 アルトを先頭にして、一同は本部の廊下を靴音だけを響かせて歩いていた。

 一般職員がいるため道中の説明はなし、という結論に至ったためである。ソエルに関しては、エージュが説得して同席を許可してもらった。

 アルトは渋っていたが、クオルが説得してくれたのだ。

 有難いと同時に、不思議にも思う。どうしてそこまでしてくれるのかと。

 その答えは、「懐かしいのと、羨ましいから、ですよ」という言葉を苦笑とともにもらった。それは、過去に置き去りにした思い出に浸っているような、どこか悲しい笑みだった。

 ともあれ、こつこつと靴音が向かう先は、……医務室、だった。

「……ここですか?」

 かろうじてそれだけを問いかける。

 アルトは頷いて、黙って扉を開放した。すたすたと中へ入っていくアルトに、自然にその後に続く、クオルとブレン。

 エージュはソエルに目くばせをして、お互いに頷く。

 ソエルはぎゅっとエージュの服の裾を掴んで、あとに続いた。

 中は一般的な医務室のつくりだった。学院にある医務室と雰囲気は同じ。ベッドがあって、薬棚があって、点滴や血圧測定に必要な機材もそろっている。

 そして、エージュはアルトたちに続いて、とあるベッドの傍へ。

 予想していた通り、そのベッドで寝ていたのは、ジノの知り合いだという「すばる」という人物だった。

 点滴からはぽたぽたとしずくが定期的に滴っていく。

 チューブに繋がれた腕には、何故か横向きに白い線が幾本も走っていた。

 その脇で、ジノがじっと口を引き結んで座っている。

「状況は?」

 アルトが冷静に尋ねたのは、白衣を着て、難しい顔をしながら腕を組んでいるラナだった。

 違和感のない雰囲気は、白衣を着て過ごすことに慣れているからだろう。

「変わらないわ。生体反応はあるから、生きてはいるんでしょう。でも、意思反応が見られない」

「……魂が、抜けてます」

 ぽつりと、クオルが零した。アルトが驚いた様子で目を向ける。

「な、そんなこと、つか、その状態で生きてるって言えるのか?」

「どうでしょう。生命体……中でも、ヒトというものは殻(シェル)と核(コア)で出来ている。殻は肉体という器、核は魂。二つがそろっている状態こそが、生きているということ。……今の状況は、息をしているだけの、人形と、同じです」

 それはクオルの口から出たとは思えないほどの冷たさを持っていた。

「さすがにクオルでも、それは聞き捨てならない」

 どこか憎悪を忍ばせた声音で、ジノが言った。

 無関係なエージュですらびくりと身を竦ませるほどの強い口調。

 だがクオルはそれに怯む様子もなく冷静な瞳を向けて、返す。

「このままでは、肉体もやがて朽ちます。それを待つだけの時間です」

「だから、そんなこと聞いてないんだよっ!」

 ソエルがびくっと身をすくめるほど、ジノの怒りはすさまじかった。

 そもそも、こんなにジノが激昂することなど初めてだ。まるで敵かのようにクオルを睨みつけ、歯を食いしばっていた。

 にわかに張り詰める空気。どうにか打ち払いたくとも、エージュには事情も分からず口を挟むことさえままならない。

 すると、ブレンがすっと間に割って入って、理解不能な穏やかな笑みでジノへ問いかける。

「それは、貴方自身も感じているのでしょう? だから、そこまで怒鳴り散らす。無力さに対するいら立ちをクオル様にぶつけるのはやめてもらいましょうか?」

「っ……」

 目をそらして、ジノは膝の上で強く拳を握りしめる。

 図星、らしい。

 ブレンはそれ以上詰問することなく、そっと下がった。自分の役目を確実に遂行するブレンらしい行動だ。

「……兄貴、性格悪ぃな、相変わらず。……素直にとっとと助ける方法考えようって言えばいいのに」

「事実の認識は、重要です」

 さらりとアルトの言葉を肯定し、クオルはジノへ声をかけた。

「今はまだ、終わってなんていないんです。諦めるには早い。違いますか?」

「……かって……るよ……」

 絞り出すように答え、ジノは黙る。

 どうやら、妥協点に落ち着いたらしく、ほっと息をつくソエルの気配にエージュも安堵した。

 ジノの返答にクオルは満足そうに頷いて、今度はラナへ目を向けた。

 ラナは不機嫌な顔でクオルをじっと見据えている。

「何よ」

「もう少しだけ、時間を稼いでください。その間に、必ず『王』を再起させます」

「は、どーやって? あんたね、あんたがいくら四元の章っていう、恐ろしいくらい強力な魔法を使えたところで、魂をどうにかできるわけない。ただの驕りよ」

「エリスが教えてくれました。王の魂は霧散したわけじゃないと。ならば、まだ可能性はある。探し当てれば、いいんです」

「はぁぁぁっ……」

 大きなため息を、一つ。ラナは頭をぐしゃぐしゃとかきむしった。

「アルト。あんたの兄貴はついに頭まで悪くなったのね」

「失礼言うなっ」

 反論するアルトに、ラナは呆れた様子で眉間に皺を寄せ、白衣のポケットに両手を突っ込んだ。

「とっくに、糸が切れてるのよ。無理に決まってるでしょう。どうやって無限に広がる世界から探し出すのよ」

「それは、今時点で、でしょう?」

「は?」

「そのために、ここまで用意したんです。今更、これ以外は考えられません」

 そう断言し、クオルは不意に振り返る。

 視線の先に居たエージュは、クオルが向けたと視線とぶつかる。

 真っ直ぐなクオルの視線に、エージュは射すくめられたかのように、硬直する。息をするのさえ、忘れそうになるほど。

「時間を逆走さえすれば、まだ、間に合います」

「俺に、それをしろって、いうん……ですか?」

「貴方は時間を遡ってくれれば、それで構いません。糸が残留する時間まで逆行し、王を見つけるまで停止させる。あとは、貴方の能力次第で、時間的猶予が決まります」

 エージュが沈黙していると、ふと破顔したクオルが、言う。

「大丈夫です。捜索は、人数をつけますし。魔力が必要なら、分ける方法もないわけじゃありませんから。貴方は、逆行する『方法だけ』をしっかり実行してくれたらそれで十分です」

 笑顔で、残酷なことを言う。

 いや、本人はあるいは優しさのつもりかもしれない。気遣いかもしれない。

 でも実際にエージュにしてみたら、それは道具の一部でしかない扱いの宣告だ。

 だが、実際反論はできなかった。

 全て自分でできるといえるほど、能力を使いこなせるとは決して言えない故に。

「……分かりました。でも、俺も同行させてください。力になれるとは思ってないけど。でも……その権利はあると思うんです」

「それは構いませんよ。ジノさんも、行きますよね?」

「あ、当たり前だろ……!」

 答えたジノに微笑んで、クオルは頷いた。

 ……本当に、この人は笑顔で怖い人だ。

 人心掌握に、手慣れている。それも、天性のもので。計算なしで、クオルという人間は人を上手く転がしている。

 王の魂を取り戻すための作戦は、こうして静かに小さな医務室で開始されようとしていた。

 

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