第四話 衛門の鍵
ひっきりなしに鳴り響く警告音。
巨大モニターに映されている画面は次々警戒レベルへ変化していく。
「全方面必要以外のゲートはカット! 至急ランクA以下のゲートパス所有者を強制退避!」
転送処理課は忙殺寸前だった。今日の当番は外れだと全員が思いながら、指示を実行する。リンク途絶、供給エラー……同時に鳴ることがあり得ない各種警報音が転送管理室で鳴り響いていた。
唐突に起きたこの異変に対し、必死に対応するので手一杯。原因を探る暇もない。
「駄目です、強制退避が実行できないパス所有者がいます! 強制退避用ゲートも不安定……危険です!」
「諦めろって……ことなのか?」
「諦めるには、まだ早いかな。生きてるゲートは?」
「か、課長……? 今日はお休みでは……」
部屋へ入ってきた少年に、本日の当番班長が目を向ける。緑灰色の髪を肩ほどまで伸ばし、目鼻立ちの整った少年はこの場の誰よりも若い外見をしている。
だが、一方でこの場の誰よりも冷静だった。少年はモニターをざっと眺め、調査課から流れてきている別のデータを照合して、頷いた。
「まだ間に合う。焦らなくていいから、まずは第七のルートをカット。遠いものほど不安定なら、一つずつ近くへ戻せばいい。時間はかかるけどそれで被害は少なくて済むよ」
「は、はい……」
冷静な言葉に、当番班長も落ち着きを取り戻す。
少年の指示をそのまま復唱すると、担当者はすぐさまそれを実行していく。
「……さてと、ひとまずはこれで人員確保が出来たかな。……竿山、後はしばらく任せたよ。僕は課長会議に出てくるから」
「はい!」
少年は苦笑いを浮かべて、少し落ち着きを取り戻した部屋を出て行った。
依然として警戒レベルは高い。だが、まだそこまで逼迫はしていない。
(さて、議会はどうするつもりかな……またアルトが暴走しなきゃいいんだけど)
転送処理課長ファゼット・ドーヴァは小さくため息をついて会議室へ向かって歩き出した。
◇◇◇
ゲートシステムの不具合は瞬く間に監査官の間では周知の事実となった。
監査官とゲートは切っても切り離せない。当然の流れだった。
現在、転送システムは安全性を考慮し停止中。強制退避を命じられた監査官は、転送処理課の指示で本部へ戻ってきている。本部にいた監査官は不安とともに、待機を命じられていた。
エージュとソエルも、仕事中に強制退避で戻ってきた。
本部には半数以上の監査官が戻ってきており、人で溢れかえっている。
「困ったねぇ、教官と連絡が取れないよー……」
通信端末を操作しながら、ソエルはそう呟く。
この通信端末も小型ゲートの応用なので現在使用が制限されている。
ジノは魔法学院に残っていたはずで。だが未だに、連絡が取れなかった。
「学院にいるなら、大丈夫だろ。……多分」
答えながらも、エージュは自分の通信端末で情報収集にいそしんでいた。
本部内の情報端末にはアクセスができるのを利用して、少しでも情報を集める。現状の把握が出来ていないのが、不安をあおるせいでもあった。原因はわからなくても、何が起きているのかだけでも知りたい。
そう思っているのはエージュだけではなく、周囲でも同じように検索をしている監査官は大勢いた。
「私にも見せてー?」
ソエルがエージュの様子に気づいて、一緒になって画面をのぞく。
だが二人で見るには画面が小さすぎる。むしろソエルに押し出されて、半分以上見えなくなり、エージュは眉をひそめる。
「……自分ので検索しろ」
「うわ、ひどいね。ほとんどゲートが動いてない」
エージュの言葉を無視して、ソエルは言う。
エージュの端末画面に表示されているのは、転送システム稼働状況一覧だった。
本部のシステムで動いているのはたった二台。その他全て個人用……つまり、ランクSとランクAのゲートパスだけだった。
共通システムで動いてはいるのだろうが、まだ柔軟な対応が出来るというのが、高ランクのゲートパスなのだろう。
「考えられるのは、エネルギーの問題かな。システムなら、そもそもゲートが使えないだろうし、別ルートを確保すればよさそうなものだよね」
「そうだな」
エージュはソエルの考えに、曖昧に同意する。これだけの情報では何も分からないに等しい。
ただ、この情報で分かることがいくつかある。
使用しているゲート状況から、誰が移動しているか程度はわかるのだ。個人用のであればなおさら。
「……何か、怖いね」
ぽつりと呟いて、ソエルはエージュの服の袖を掴んだ。
エージュは視線を寄越し、ぽん、とソエルの頭に手を置いた。
大丈夫だと、自分に言い聞かせながら。ソエルだけは、守って見せる。あの時のように、無力ではないのだから。
後悔しないように努力を続けてきたはずの自分を、エージュは心の中で叱咤する。
「エージュ、ソエル!」
顔を上げると、ジノが走り寄ってくるのが見えた。
ほっとした表情を浮かべているジノに、不安が溶ける。
「良かった。無事に戻ってこれてたんだな」
「教官ーっ!」
抱き付いてきたソエルに、ジノは驚いたものの、すぐに苦笑いを浮かべる。
不安なソエルの気持ちを理解しているのだろう。ジノは宥める様にソエルの背中を優しく叩いた。
「大丈夫。落ち着け、ソエル」
「教官、何が起きてるんですか?」
エージュが冷静に問いかけると、ジノは顔を上げ、表情を曇らせた。
「ちょっとな、ゲートが安定しないらしいんだ。個人用のは、規模が小さいからまだ何とかなってるみたいだけど、……何人かは」
「議会は……」
「……まだ、何も」
首を振ったジノに、エージュは黙り込む。特級監査官のジノが知らなければ、もっと末端のエージュには知る術がない。
残念ながら、今は待つしかないのだろう。
「落ち着いたか? ソエル」
「はい……安心したら、つい……」
ソエルはジノに励まされながら、ようやく落ち着きを取り戻していた。目元をそっと拭いながら、深呼吸している。
そんなソエルの様子に安堵していたエージュは不意に思い出す。
「クオルさんは……何か知らないんですか? あの人なら、何か……」
「ああ……あいつは、議会に呼び出し受けて…………え?」
不意にジノが気の抜けた声をあげる。
何事かと二人が視線の先を追うと、黒髪の少年がいた。ベージュのコートに、紺色の学制服。
医務室前のソファに座っていたが、瞳はうつろだった。女性が医務室を開けて、中に入っていく姿が見える。看護婦、だろうか。
本部の医務室が使用されていることが少ないので、その存在も知られていない可能性はある。今回の件で、負傷した監査官かもしれない。
だが、エージュの中では少し妙な胸騒ぎがしていた。
「どうしたんだろ……」
「っ……!」
ぽつりと呟いたソエルを残し、ジノが唐突に歩き出す。
医務室の方へと。
エージュたちは一瞬呆気にとられ、やや遅れて我に返ると慌てて追いかけた。
ジノの様子は、明らかにおかしい。どこか、追い詰められたようにも、見える。
小走りで追い掛けたエージュたちの前で、ジノは、黙って少年の脇に立つ。しかし傍らに立っても、少年は何の反応もしない。
明らかに、表情に生気がない。
「すば、る?」
不意に、ジノがそう零した。
しかし、無反応。
エージュとソエルは互いに不安げな顔を見合わせ、ジノの様子を見守っていた。
ぎゅっと手を握りしめ、苦しげにジノは問いかける。
「……すばるじゃ、ないのか?」
「教官、知り合い……ですか?」
ソエルがそっと問い掛けたが、ジノは答えなかった。
それどころか、ジノは……震えていた。
様子では、誰か知り合いなのは間違いない。だが、おかしい。
それは、久しぶりに会えた、というような前向きな雰囲気ではなく……怯えているように、見えた。
「ちょっと。何してんのよ」
強い口調が、重苦しい空気を切り裂いた。
医務室から出てきた女性だった。長い髪を一つにまとめた、化粧っ気のない気の強そうな女性。
緑のニットセーターに黒のショートパンツスタイルの女性は不機嫌そうな表情で、それぞれをぐるりと見やる。
「病人は晒しもんじゃないの。仕事の邪魔よ」
容赦なく言い放つ女性は、腕を組んで眉をひそめている。
しかしジノが動く気配はなく。
エージュは何か話題点はないかと視線を彷徨わせる。
女性は、ネームプレートを首から下げていた。
『調査課 ラナ・シグルフォード』
調査課の人間が、医務室の管理も兼務しているのだろうか。
首を捻っていると、ラナと言う女性はジノへ視線を向ける。
「……あんた、何?」
ジノの只ならぬに様子に、ラナが問いかける。
顔を上げたジノは少年とラナを交互に見やった。
痛みを堪えたような表情で、ジノはラナへ問いかける。
「すばる、なのか?」
「何をもってして、そういってるのかよくわからないけど。あんたが指示している人間が『六連(むつら)すばる』であるなら、その通りよ」
「……やっぱり、そうなんだ」
寂しげに、ジノが呟いた。
ジノの様子に、ラナが幾分空気を和らげた。
労わっているのだろう。組んでいた腕を下ろし、ラナは尋ねる。
「知り合いだった?」
「……ん。まぁ」
何故か過去形で問いかけたラナに、ジノは頷く。
そのやり取りはどこか、妙だった。
だがその違和感の正体は、エージュには分からない。
「悪いわね。見ての通りの状態だから。少し休ませるのよ」
「少し、ついててもいいか?」
「……好きにすればいいわ」
了承し、少年の体を支えながら、ラナは先へ入っていった。
ジノはエージュとソエルを見やって淡く微笑む。その表情は、酷く憔悴していた。
「悪い。俺少し、ここにいるから」
「あ……はい。なにか動きがあったら、教えますねっ」
ソエルが笑顔でそう返すと、安心した様子でジノは頷き返し、迷いなく中へ入っていった。
扉が閉まったのを確認して、ソエルは、言う。
「教官がああいうの、珍しいね」
「そうだな。……なんか、悲しそうだった」
「だった、って変な言い方してたよね」
ソエルもその点は引っかかっていたらしい。
頷いては見たものの、エージュとしてはそこを掘り下げる勇気がなかった。
ジノの抱えた痛みを暴いたところで、その支えになれるとは、思えないからだ。
――不意に……気配に気づく。背後に、二人。
エージュが振り返ると、クオルとブレンがいた。
クオルのいつもの白い法衣が、この混沌とした状況でもどこか凛とした静けさを与えるようだった。
そしてクオルの肩には青い竜……ライヴもいる。
「……暇そうだな?」
暗い笑みを見せる、クオル。
あまりにも、普段とはかけ離れた笑みにエージュは即座に悟る。
今目の前にいるのは、クオルに潜むもう一つの人格……イシスだ。瞳の色はいつもの青から紫に変化している。
「イシス、さん」
「暇ついでに、少し手伝え」
それは反論を許さない、イシスの言葉だった。
エージュやソエルの存在を手伝い要員とは考えずとも、この状況を打破するために行動しようとしている。
そういう点ではクオルとイシスは同じような精神構造をしている。
身を挺して、何かを守る姿勢。エージュが目指す姿そのものだ。
だがどうして、同じ姿で同じ声で……瞳の色と、雰囲気だけでこうも違って見えるのだろうか。
エージュは未だに、ある意味での、冒涜にしか思えないでいた。
「生憎と、俺は今ゲートが使えません」
イシスにきっぱりと返し、エージュは首を振る。
エージュとてイシスの提案が嫌なわけではない。むしろじっとしているほうが怖いほどだ。
だが、それが事実だ。ゲートパスがレベルAでない自分ではゲートは使えない。
支援を求めるイシスの力にはなれない。悔しいけれども。
奥歯を噛み締め、その無力感を押し殺す。
「それが答えならば、残念だ」
イシスから紡がれたのはそんな呆れたような、期待外れだったような、返し。
ぞんざいな扱い、という言葉ではくくれない何かを秘めた言葉だ。
ぎゅ、と拳を強く握りしめ、エージュは毅然と返す。
「貴方だって、分かってるでしょう」
無茶と無謀は違う。
そして、イシスは無謀なことは嫌いなはずだ。
「お前は、以前私に何と言った?」
「……は?」
射抜くような瞳を向けて、イシスはエージュへ問いかける。
(前に俺が……イシスさんに向けて言った言葉?)
思い出せずエージュが言葉に詰まると、イシスは深くため息をつく。
「もういい。行くぞ、ブレン」
「いいんですか? そのために来たのでは?」
ふん、と鼻を鳴らして、冷たい視線をエージュに寄越す。
その視線が責めているように見えて、エージュは思わず目を伏せた。
「本人に覚えがないのであれば、強制はできまい?」
「……まぁ……それは」
「時間がない。行くぞ」
はい、とブレンが頷くとほぼ同時に、イシスは転送陣を発動させて二人の姿は掻き消えた。
その転送に、何故だか、違和感を覚える。
「……今の、ゲートパスの転移じゃない」
ソエルが違和感の核心をついた。
通常、ゲートパスを使っての転送陣は、範囲の差こそあれ、同じなのだ。
同じ魔法陣で、同じ残滓。
それは、ゲートパスランクがAだろうが、Cだろうが同じ。
つまり、イシスの転送は、ゲートパス……そもそもゲートシステムを使っていない。
だからブレンはゲートパスを持たずして転送許可が下りているのだろう。
イシスあるいはクオルの元、転送されているから。
だがそもそも、何故?
特級監査官だからではない。そんな程度であれば、少なからず、数人はできるはずだ。
だが実際、クオルだけが可能な状態にある。その理由が、あるはずだった。
思考に没入していたエージュの視界の隅を、青が過った。
「おい。今ここに兄貴かイシスが来なかったか?」
ぶっきらぼうな物言いに、エージュは慌てて伏せていた顔を上げる。
言葉だけで分かる。アルトだった。
アルトはきょろきょろと視線を巡らせ、首を捻っていた。
「アルト様……ほんの、数秒前まではいました」
「やっぱな。で、どこ行くって?」
「いえ……」
力なく首を振ったエージュに、思いっきりため息をついて、アルトは頭を掻きむしる。
態度からして焦りからくる苛立ちを募らせていた。
「だぁぁっ……なんで兄貴は……つかイシスはっ……」
「あ、あの、ログで追えばいいんじゃ……」
ソエルがそう助言すると、アルトは眉間に皺を寄せたまま、首を振る。
「兄貴はログじゃ追えねーんだよ。くそ、どーせまた、無茶なことしよーってんだろうな……少しは自分の体を大事にしろよ……」
「無茶って何を……」
「俺が知るかっ!」
そうエージュに告げると、アルトはくるりと向きを変えて、歩き出す。
「あ、アルト様っ。何か手伝えることはないですか?」
ソエルがその背に向けて、問いかけた。
アルトは振り返って、不機嫌そうに言い放つ。
「お前らじゃゲートパスAじゃねーから無理。おとなしくしてろ」
「で、でも!」
送ってもらうだけでも違うはず。
そう訴えたかったのだが、アルトは目を細めた。
「片道だけで放り投げて、ただでさえ少ない戦力を減らせる余裕は、今の管理局にはねーんだよ。悪いな」
「!」
返す言葉もなかった。
アルトは、何も役に立たないから来るなと言っているのではない。
むしろ戦力としての価値を維持するために、行かせないのだ。
今後生起する問題対処の要員を残すために。
「そうか……俺……」
不意に、エージュはイシスが残した言葉の意味を思い出す。
かつて、自分が宣言したこと。
絶対に滅ぶ世界を見捨てたりなんか、したくない。だから、強くなって世界を助ける方法を考える。
今の状況で管理局ができる最大の守りは、最小の犠牲で済ませることだ。それは少なからず、世界を見捨てること。
最善の選択と言っていいだろう。
だが、エージュは世界を見捨てるという事……それが、嫌だったのだから。
「アルト様」
「あ? まだなんかあるのか?」
少し面倒そうになってきたアルトに、エージュは屈せず頷く。
アルトの向けた拒絶するような視線を、真っ直ぐに受け止めて。
「臨時で、昇級試験を受けさせてください」
「は?」
「俺は、必ず受かります。受かって、みせます」