第一話 死神協会と宵の血族

 

 赤いジャケットと黒い衣装にそれぞれ身を包み、彼らは月に一度あるかないかの集会に並んでいた。

 死神の象徴たる赤と黒の衣装はジャケットのみが指定で、それ以外はばらばらだ。ジャケットの左腕に、死神協会のロゴが描かれたワッペンが張られている。二つの鎌が交差し、その鎌をぐるりと囲う円。

 鎌は死神の象徴である仕事道具。円は魂の循環を表す円環と、輪廻の輪。このロゴが死神の仕事の全てを表しているといっても過言ではない。

「今日は新任死神のお披露目会かぁ。楽しみですね、班長」

 集団の右寄りに並んでいたロアの脇で、キサラギが声を弾ませていた。黒髪の長髪を一つにまとめたキサラギは涼しげな目元に似合わない子供のような無邪気な笑みを浮かべている。

 ロアと比較しても年上に見えるというのに、だ。ロアは肩にかかるブロンドの髪をため息交じりに払った。

「どうでもいいわよ……どうせうちに増員はないんだし。はぁ、そろそろ私も引退したいわね……」

「そんな! 俺より先に班長が居なくなるなんて殺生ですよ!」

「……殺生って、キサラギ。あんた、酷い冗談ね」

 ロアは呆れのため息を吐く。キサラギはいつもこうだ。

 すみませーん、と軽く笑っている辺り、どうせまた反省していないのだろう。

 死神は、生者ではないのだから。

 かつて生きていた人々が、死神協会によって死後スカウトされて、死神となる。つまり、ここにいる死神全てが、死者だ。

 第一支部最終調整橋と呼ばれる場所の班長……それがロアの立場。少女といって差し支えない外見だが、死神の歴は長い。

 もっとも死神に外見年齢はあまり意味をなさない。

 死んだときの外見と、死神となってからの外見は大きく異なっても不思議ではないのだから。

 死神の原動力は未練であり、未練が強いほど強い死神になる。

 未練が解消された時に、死神は初めてその役目を終えるのだ。

 そして、今、班長班長とやかましく絡んでくるキサラギは、死亡年齢六十七歳。現在の外見は「儂が一番輝いとった二十三歳に変身じゃあ」とか言った結果である。テンションまで若返るわけではなく、もともとこういうキャラだったのだろう。

 死神歴としては浅いので、随分とロアに懐いている。

 あるいは、孫でも見てる気なのかもしれないが、ロアからすればその見方は失礼だった。

「そろそろ配置ローテーションの時期ね。キサラギ、あんたは一番静かな所に配置してあげるわ」

「いえいえいえいえ。結構ですよ。俺は班長と一緒に仕事したいですよ」

「第三層をよろしくね、キサラギ」

 笑顔で断言してやると、キサラギは頭を抱えて『鬼悪魔ぁー!』と叫んでいた。

 死神に対して鬼も悪魔もないだろうに。

「さて、無駄話はここまでよ。総統が来たわ」

 そうロアが告げると途端にシャキッと姿勢を正すキサラギ。さすが齢六十七。縦社会にどっぷりつかっている。

 ロアは苦笑して、ざわめきが収束していく会場の正面を見つめた。

 シンプルな演台に優雅に昇っていく姿は、相変わらず。どこか聖職者のような衣服だが、基本は赤と黒で統制されている。

 言うなれば血塗られた聖職者だ。だが、それさえ品位をうかがわせるのだから、流石だった。

 気品を振り撒きながら、死神協会の総統は演台に立った。

 マイクの高さを少しだけ調整して、そのよく通る声をマイク越しに発する。

『お疲れ様、死神諸君。多忙な日々を過ごしていると思うが、今日は朗報だ。今期の新任死神がなんと十六名もいる』

「おぉっ、班長。これはあるかもしれませんよ、増員!」

 こそっとキサラギが背後からロアに話しかけた。

 やかましい、と手を振って伝えるも、どうせキサラギは聞かないのだろう。

 通常の新任は四半期ごとに二名から三名と少ない。今回の多さは、ある意味では問題といえば、問題だ。

『今回の増員を踏まえ、私は新しく編成をし直そうと考えて居る。今までは第一支部と第二支部で完全な仕事の住み分けをしてきたわけだが……近年それでは対応できない事象も増えていることは皆も知っての通り』

 ロアは不意に思い出す。自分にとって大切な人を守るために、世界にさえ嘘をつき続けた少年少女を。

 彼らは、今頃どこにいるのだろう。まだ、輪廻の輪の中で夢を見続けているのだろうか。

 それくらいは、赦してあげてもいいと思う。やっと、会えたのだから。

 ロアの思考とはお構いなく、総統は続けた。

『そこで、私は新たに機動班を編制しようと考えている。各支部への橋渡し……それが機動班の任務だ。まだ構想段階だが、近いうちに各部署からの人員差出があることを考慮されたい』

 機動班。その言葉に、会場がざわめいた。

 引き抜かれれば、間違いなくエリートであるのだから。

『ひとまずは……』

 ふと、総統は視線を右へスライドさせた。ロアたちからすれば、左翼へ。

『死神としての働き、期待しているよ? 新任諸君』

 ちらりと見れば、最左翼にどことなく居心地が悪そうな一団がいた。彼らが新米なのだろう。

 その中の一人でも第一支部へ来てくれたらいいと、ロアは心底思った。

『では各班長を残して解散。任務の遂行を頼んだよ、死神諸君』

 総統はそう締めくくると、ひらりと背を向けた。

 死神協会の集会は、大体いつもこんなものだ。

 

◇◇◇

 

 がやがやとはけていく人ごみの中、キサラギはロアに声をかける。

「それじゃ、皆で先に帰って吉報待ってます、班長!」

「いいから戻ってとっとと仕事して頂戴」

 最後まで高テンションで去って行ったキサラギを見送り、ロアはため息をつくと気持ちを切り替えて歩き出す。

 これからが本番、と言ってもいい。班員確保のためには、これからが重要だ。

 集会場から出てすぐに、総統控室がある。

 班長は第一、第二支部を合わせて全員で十名。全員が揃ってからの入室が暗黙のルールだ。

 第一支部の先任班長は、キルルという少年。キルルももれなく死者であり、実際は生後三か月で死亡している。

 死神歴はロアより遥かに長い。

「揃ったかな? じゃあ入ろうか」

 屈託ない笑みを見せて、キルルはそう促した。黒塗りの扉を開けると、大きな円卓に、椅子が並んでいる。

 入って、丁度正面。そこには総統が座っていた。

「あ、来た来た来ったー! 座って座ってー!」

 テンションの高いこの少女は、間違いなく死神協会の総統である。

 黒髪をショートボブにして、白いカチューシャを頭に装着した、ロアと年の変わらない外見の少女。

 いつも集会時には遠くて良く見えないのが幸いしてか、いまだにこの少女を総統と認識していない死神も多い。

 そうでなくても、信じたくないのだから。

 ロアは自分に言い聞かせて、指定の席へそれぞれが腰かける。

「はい配ってセビー」

 お付の死神に資料を配布させ、本人は机に肘をついて、組んだ手の上に顎を乗せてご機嫌な様子だった。

 一応外面であんな喋り方をするが、普段はこんなものだ。

 最初はロアもひどく混乱したが、慣れてしまった。

 配られた資料は今回の新任死神の一覧だった。

「……あら?」

「どうしたの、ロアちゃん何か発見? 発見なの?」

 今日は一段と浮かれているようだが、ロアは冷静さを崩さず総統へ尋ねる。

「配置先がないのですが、これは印刷ミスか何かですか?」

「さっすがロアちゃん! 人手不足の班長は目の付け所が全然違うね!」

 ばん、と机をたたいて立ち上がる総統。

 浮かれるにもほどがある。よほど今回の人員が多かったことが嬉しいのだろう。それにしても、人手不足を認識しているなら回してもらいたいものだ。

「そう。ここが今回からのびっくりドッキリイベントだよ」

「総統、流石に落ち着いてください。何だか緊張感がなさすぎます」

「プリセプター制度ってのを導入します!」

 キルルの言葉も華麗にスルーして、総統はぐっと拳を握りしめた。

「プリセプター制度って……?」

 第二支部班長の一人、元妖怪の白百合が問いかける。ちなみに白百合は妖怪猫娘だった過去を持つ。

 今やその名残は猫耳くらいだが。

「先輩死神にこの後輩死神をくっつけて、仕事を一緒にしてもらうことで、早いスキルアップを目指すってこと。ほら、今までだと、ある程度見学させてからだったでしょ。これは実務だよ、実務」

「……なるほど?」

 納得したのかしていないのか、白百合は曖昧な頷き。

「そういうわけで。最初の配置先は決めてまっせん! ローテーションで回すしね。ということで班長諸君にお願いしたいのは一つ!」

 ああ、嫌な予感がする。全員がそう思っていたが、誰も口にはできなかった。

 そしてテンションが上がり切ったままで総統は言った。

「教育係を最低二人用意しといてね! よろしくっ」

 総統、ココル・ナイトレイという人物はいつもこんな風に部下を振り回すのだ……。

 

◇◇◇

 

「どうする? ほんとに用意する?」

 会議が終了して、ご機嫌で出て行ったココル総統を見送ってから、第一支部班長の一人、宮前杏奈(みやまえ あんな)がロアに声をかける。

 杏奈の服装はジャケット以外が全てフリルという奇抜な服装をしている。

「そんな暇、杏奈のところはある?」

「ないない。全然ない」

 大真面目な顔で、高速で手を振り、杏奈はロアの言葉を否定する。

 第一支部と第二支部の人員は三〇倍くらい違う。第一支部の班長は多くても二〇名しか部下がいない。だが、第二支部は一班につき最低でも五〇〇名はいるのだ。班の域を越えている。

 カバーするエリアが違いすぎるとはいえ、一人当たりの仕事量にはそれほど差がないのだから困る。

「大丈夫、僕に任せておいて。あとで連絡するよ」

 キルルは席を立ちながら、二人へウインクをして見せた。

「根拠はないけど、何か……あれよね」

「キルルに言われると、何か大丈夫って気がするよね」

 生きた年月だけでは語れない何か。

 それを死神は持ち合わせているのだから、不思議なものだ。

 

◇◇◇

 

 部屋を出たキルルは、廊下をスキップしながら歩くココルの背中を見つけた。

 傍らにはココルの付き人の死神セバスチャンがいる。『セビー』はあくまでココルのつけたあだ名だ。外見的には初老の男性なので、執事の雰囲気は確かにあるのだが。

「総統、ちょっとお話があります」

「ん? あちゃあ、キルルにつかまったかぁ」

 振り返ってキルルを認めると、ぺしんと額を叩いてココルはため息をついた。

 すたすたとキルルが近寄ると、ココルは楽しげな笑みを浮かべたまま、体を傾けた。

「で、何? 私お腹すいたんだよぅ。久々に生モノ食べるの。もう今から楽しみで楽しみで」

「え? ということは、下界に降りるんですか?」

「そ。ちょっと次元総括管理局に用があるついでにね。ちょこっとだけご飯を」

「それは邪魔をしてしまいました。あとにしましょうか」

「いいよいいよ。言って言って。私今なら何でもオッケー出しちゃうよー!」

 どれだけ空腹なんだ。キルルは思わず苦笑いを浮かべる。

「総統の言っていた教育係ですが、第一支部から人数を割くのは実際問題、無理があります。なので、第二支部で賄ってもらいたいのです」

「えぇ、それじゃあ今までと変わらないよ」

 なんでもオッケーではないらしい。やはりどれだけ空腹で、高テンションな状態でも冷静な部分が残っているのだ。

 さすがは、死神協会総統のココル・ナイトレイである。

 キルルは深く頷いて、そこで、と付け加える。

「いっそ第二支部の教育係をもろともローテーションさせるというのはどうかと」

「んー? つまり……第二支部の死神を第一支部で働かせてみよう、と?」

「その通りです。機動班を作る前段階としては面白いかと」

 キルルの意図に気づいたココルは、ぱぁ、と表情を輝かせた。

「なるほど! つまり、プレ機動班! それいい。実はメンツもう半分は考えてるんだ。それで行こう。セビー、分かるよね? あとはよろしくぅ~」

『キルルもばいばーい』と空腹の臨界か、ココルは一人で下界へ姿を消した。

「貴方という人は……」

 じっと黙っていたセバスチャンがため息交じりに口を開く。

 キルルが苦笑しながら肩をすくめた。

「ココルは素直な良い子だと思うよ」

「本当にキルル様は……悪いお人です」

 

◇◇◇

 

 次元総括管理局本部は、死神協会とは正反対の任務を背負った組織だった。基本的には接点などない。

「やっほぉーーっ! 元気してた水虎(すいこ)ぉ~!」

「な」

「は?」

「え」

 三者三様の驚き方で、彼女は迎えられた。

 ココルはいつもの通りに、いつもの部屋に、降臨した。そして間髪入れずにいつも通り飛びつこうとして。

「むがっ?!」

「何この発育不良」

 顔面を抑えられ、ココルは動きを阻まれた。ばたばたと手を泳がせるも、届かない。

「知らない知らない知らない! 誰だよっ?!」

「失礼しないでくれるかなっ!」

 顔面を抑えていた手を払いのけて、ココルは腰に手を当て仁王立ち。その足元は書類の散乱するデスク。ココルのピンヒールは書類を無残に引き裂きながら踏みつけていた。

 見下ろせば、唖然とした表情の水虎の証たるラペルピンとケープを羽織った少年。ココルの予定にはない存在だった。

「あれ? 水虎じゃない。誰キミ」

 デスクの上に仁王立ちをしたココルの方が本来名乗るべきだろうが、当人に不審者意識はない。

 ただ不思議に思いながら首を傾げる。いつもなら水虎のこの席に座っているのは、白髪が混じり始めたいつも険しい表情ばかりの中年だ。

「水虎は……俺だけど、もしかして、親父の……知り合いか?」

「親父さん? ……ああ! 確かにね!」

 ひょいと座り込んでようやく視線の高さが合った。

 驚いた様子の、金髪碧眼。確かにあの中年が若いころはこうだったかもしれない。

 そう思うと何だかそれだけで親近感が湧いてくるのだから不思議なものだと、ココルは何だか楽しくなっていた。

「似てる似てるー! かっわいいー」

「うあ」

 わさわさと頭を撫でて、ココルは笑った。

 勢い余って頭を振っているが、当然ココルは気にしていない。

「あーちゃんに何してんのさ。目が回ってるし」

 手首を掴み、ココルの手を止めたのは、黒髪の青年だった。顔は笑っていたが、目が笑っていない。

 どこかで見覚えがあるような気もしたが、ココルは特段気にしたりはしなかった。

 興味の焦点は、水虎の席に座る少年なのだから。

 頭を振られて、三半規管が混乱しているのだろう。少年は頭を押さえて唸っていた。

「キミ、もしかしなくても水虎のお子さん? 知らなかったぁ。そっかそっか、水虎も人の子かぁ」

「ど……どういう納得だよ……」

「んん?」

 背後からの声に振り返ると栗色の髪をした少年がいた。呆れたような、少し怯えたような空気を醸し出していた。

「何か……私アウェーじゃない?」

「ていうか、お前……誰?」

「あぁ、そっか!」

 ぱん、と手を合わせて、ココルはひらりとデスクから降りる。

 デスク越しに、現在の水虎に恭しく一礼して、ココルは『きちんと』名乗った。

「お初にお目にかかる。死神協会総統、ココル・ナイトレイ。此度は次元総括管理局評議会の会議に出席したく参上した次第である。お目通りをお願いしたい」

「へ……、えと、俺は魔導評議会第四の座の水虎、アルト・フォリア……です」

 慌てて立ち上がって、少年も一礼する。

 ココルは顔を上げると、けろりと笑った。

「よっろしく、水虎! ところで、お願いがあるんだ。聞いてくれる? ていうか聞いてもらうけどね!」

「お、お願い?」

「そう。私とぉぉぉーってもお腹が空いたの。それでねっ」

 手を組んで目を輝かせながら、ココルはアルトに詰め寄る。

「AB型の人の血をたんまり分けてくれないかなっ!」

「……はい?」

 アルトは首を傾げるしかできなかった。

 

◇◇◇

 

「あぁ……親父。悪いけど教えてもらいたいことがある」

 久方ぶりに、アルトは父親へと電話をかけていた。それはもう、切迫した状況で。

 視界の隅に、ちらりとココルを捉える。ココル・ナイトレイ死神協会総統は、ソファに座っておとなしく待っていた。正面で会話の相手をさせられているのは、たまたま部屋に居合わせたエージュだ。

 かといって、何か話題があるわけでもなく、ぎこちない世間話にココルがけらけらと笑っているだけだった。

『珍しいな。お前が私に頼み事など』

「ココル・ナイトレイってのはマジで死神協会総統なのか?」

『ココル? ああ、あの娘久しぶりに現れたのか。……なるほど、そういう事か』

 さすがは元水虎。ココルの扱いに覚えがあるようだ。大嫌いな父親が、少しだけ頼りになる瞬間だった。

『本部の医務室に取り置きがあるだろう。分けてもらえばいい』

「その手があった。……よし、それで行こう。……一応お礼は言っとく。……ありがとな、親父」

 ぽそりと最後を付け加え、返答が来る前にアルトは通話を切った。

 決して折り合いが良い親子関係ではない。だからこそ、恥ずかしくて、続きなんて聞けやしない。一つ深呼吸をしてから、アルトは向き直った。

「シス、医務室行って、輸血バッグ貰ってこい」

「えぇっ! 嘘それはないよぉ、水虎ぉー!」

 ココルが誰より早く反応した。アルトはココルの様子に若干身を引きながら、首を振る。

「無茶言うなよっ……他に方法が……」

「むぅぅ……まぁ、今日はそれで許してあげよう。すぐまた来るしね。その時は用意しといてね! AB型だよ!」

 満面の笑顔でココルは言った。だが発言内容がおかしい。明らかに可愛らしい仕草で誤魔化せるような中身ではなかった。

 どう反応するのが一番正しいのか全く分からず、アルトは引き攣った笑みを返す。

 ひとまずアルトは視線でシスを使いに出すと、ココルへ視線を戻した。

「ところで、死神総統。何しに本部に来たん……ですか?」

「ココルでいいよ、水虎。評議会の会議っていうのがどういう内容なのか確認したいのと、それから……」

「それから?」

 くす、とココルは先ほどとは違う笑みを見せた。

 どこか昏い、含みを持った笑み。

「取引、あるいは……宣戦布告、かな?」

「な……」

 宣戦布告。その言葉にアルトは返す言葉が浮かばなかった。

 死神協会と管理局では担当部署が明確に線引きされている。お互いがお互いの仕事に干渉していないのが現状だった。

 今のココルの発言は、それをひっくり返そうとしている。

「まぁ、水虎が心配してるほど緊迫してないよ。心配ご無用さんだよ!」

「ならいいけど……」

 宣戦布告という響きに、心配しない者はいないだろう。

 曖昧な返答は返したものの、アルトの心中は穏やかではない。

 アルトは基本的に平和主義だ。暴力という物が、嫌いだ。宣戦布告という響きは、物騒でしかない。

 ココルの話し相手だったエージュも、不安げな表情を必死に殺していた。

 死神協会総統……言うなれば、管理局における評議会のようなものだ。総統の意思はその組織の意思。ココルの言葉が、評議会にいかなる波紋をもたらすのか、アルトには全く想像できなかった。

「それにしても、お腹すいたなぁ。水虎、まだー?」

「今取りに行かせたから……多分あと五分くらいで」

「客人へのもてなしが悪いぞぉ。ところで、さっきから気になってはいたんだけど……君は、管理局の秘密兵器と呼ばれているエージュ・ソルマルくん?」

 不意に視線をアルトからエージュへ移し、ココルは問いかけた。

 エージュはココルの発言の意図が汲めず心持首を傾げた。

「エージュ・ソルマルは自分ですけど……秘密兵器?」

「何かあったらキミを使って『えい!』ってやっちゃうんでしょ?」

「……なんとなく何を言いたいかは分かったけど、俺が議員でいるうちは、そう簡単にはさせない」

 アルトを一瞥し、ココルは猫のように目を細める。

 とても楽しそうに。

「いいねー、燃えてきたねー。ちなみに、今日の会議の内容は何なの?」

「定例会議。現況確認と、あるなら選定」

「うんうん。選定があるなら来た意味がそれこそあるってもんだね」

 腕を組んで満足げに頷くココル。アルトは小さなため息をつくと、時計に目をやった。

 そろそろ会議の時間だ。

「さて、そろそろ移動しないと」

「食事がまだだよ?!」

「生憎と、こっちも時間は決まってるから無理です」

 きっぱり告げて、アルトは立ち上がる。

 ココルは不服そうに頬を膨らませていたが、アルトはしれっと無視を決め込む。

 エージュだけがはらはらとその様子をうかがっていたが、何も言えなかった。

 身なりを一度確認してから、アルトはココルを促した。

 ココルはふくれっ面のままで、アルトに続き、エージュもそのあとに従う。アルトの執務室にエージュだけ残っているわけにもいかないのだから。

 エージュは仕事に戻ります、と一礼してから去っていった。

 監査官の仕事は忙しいものだ。

「あ、間に合った。あーちゃん」

 声をかけたのはシスだった。手には密封バッグに入った輸血製剤。ピンクのシールが貼られているのは、その血液がAB型であることを示している。

「ご飯来たーー!」

 嬉しそうな声を上げて、ココルは振り返った。

 アルトより先に反応したココルがシスに駆け寄ってあっという間に奪い取る。

「どーやって飲むわけ?」

「ふっふっふっ。こういうものがあるんだよねー」

 ココルがどこからともなく、細長い何かを取り出した。

「エアー針ってやつだね。これをぶすっと」

 パッケージを破って、透明な筒を外すと表れた細長い針を輸血バッグのルート部に差し込む。

「あとは、針先怖いからー……専用開発されたストローをセットして……」

 てきぱきと用意を完了させ、ココルは嬉しそうに本当に吸い出した。半透明なブルーのストローの中を赤黒い液体がのぼっていく。笑顔で嚥下するココルは至福の表情を浮かべていた。

 それを見ていたアルトの方が気分が悪くなる。口の中に広がる嫌な味に、アルトは青い顔でココルから目をそらした。

「ぷはぁ。やっぱり生はいいよねー」

「お代わりはないよ」

「大丈夫! 生なら一パックで十分! さぁ水虎、いざ行かん評議会へ、だよ!」

 元気と機嫌を取り戻したココルは無敵だった。アルトは青い顔で頷いて、上機嫌のココルを連れて議会場へと歩き出した。

 苦笑しながらシスが見送りの言葉を投げる。

「いってらっしゃい、あーちゃん。元気に戦ってきてよ?」

「いってくるねー!」

 返事を返したのは軽やかな足取りのココルだけで、アルトはすでにぐったりしながら会議場へと足を運んでいった。

 

◇◇◇

 

――魔導評議会、会議室。

 定例会議が開始されると、今回の議長である第十の座・奏空(そうくう)が流れるように現況調査報告を読み上げていた。

 奏空は、出身世界の軍服に空色のマントを羽織っている。アルトと同じようにラペルピンに装飾が施されており、鮮やかなエメラルドグリーンの宝石に、白く五線譜が描かれている。

 その間、手元にあるモニターで、それぞれの議員は報告書を眺めていた。

「……というわけで、現時点では先月から大きな変化はないということで、よろしいかな」

 異議はない、とそれぞれが無言で頷く。

 奏空が再度ぐるりと全員を見回し、深く頷いた。

「それでは次の議題に。今回選定対象に挙がっているのはこの五世界だ。このうち、二つを王に進言しようと考えている」

「一ついいかな」

 す、と手を上げたのは、議員ではなく……ココルだった。

 部屋の壁にもたれて輸血パックを吸いながら話を聞いていたココル。しかし今はきちんと礼にのっとり挙手をしていた。

 驚く奏空にココルは微笑み、空になったパックを仕舞い込んで、すたすたと全員の視界に入るように移動する。誰もがその存在を気にしてはいたが、口にはしていなかったのだ。

 ココルの歩みに呼応して、それぞれが視線をスライドさせる。

 全員の視界に入ったココルは、恭しく一礼し、口を開く。

「改めて、自己紹介を。私は死神協会総統、ココル・ナイトレイ。貴重な会議を見学させていただいたこと、恩に着る。大変に後学のためになる会議」

 アルトからすれば、目と耳を疑いたくなるようなココルの態度だった。

 血液を持って来いと子供の様に喚いていたココルなど幻のような、まるで別人だ。その切り替えの早さに、死神協会総統という肩書に見合う異常性を見出したアルトは一人息を呑む。

「さて、ではなぜ私がこの下界に降りてきたかという話をしよう。前置きはさておき、私は、評議会の貴殿らに提案を持ってきた」

「提案、ですか?」

 不安げに問い返したのは、第十一の座・海蓮(かいれん)。議員の中でもアルトに次いで若い少女。深海の世界の巫女である彼女は、海の色をした髪を微かに揺らして、首を傾げる。

 ココルは海蓮へ深く頷いて、微笑んだ。

「選定とはつまり、滅ぼす世界だと聞く。ならば、その選定対象……死神協会の方で斡旋するというのはどうかな?」

 ココルの提案に、その場の空気が停止した。何を言っているのか理解するのにどうしても時間が必要だった。

「世界を管理するのは、私達……管理局に委ねられたことではありませんか?」

 沈黙を破り、奏空がそうココルへ問い返す。ココルは軽く肩をすくめて、呆れたように告げた。

「何か、勘違いをしているのではないかな? 管理局は王の不在の期間が長すぎて、自分たちの仕事を拡大解釈しすぎているよ。そう。管理局は世界という器を守る。協会は、魂という中身を守る。だけどね……」

 ふ、と笑みを消し、ココルは冷たい眼差しを投げた。

「管理局のしている選定は、中身が残っているのに叩き割るのと同じ。否定はしない。風化して、原料がなくなれば新しい器も作れないのは確かだ。でも、中身のない器なんて、誰が喜ぶ?」

「具体的に貴方は何をしようとしているんです?」

 ココルの威圧感に、奏空の返答はいつもに増して張り詰めた声音だった。姿こそ少女なれど、侮っていい相手ではないと、理解しているからだろう。

 アルトは手のひらに滲んだ不安の汗を、ぎゅっと握りこんで成り行きを見守るしかない。敵味方の区別で語るつもりもないが、下手に口を挟めば集中砲火を浴びるのは確かなのだから。

 圧倒的アウェーにも関わらず、ココルは飄々とした態度で奏空の問いに返答する。

「簡単な話だ。私達死神の仕事が終わるまで、世界に手を出すな、というだけのこと。難しくはない」

「それは聞けない相談だね。世界だって無限じゃない。言ったように崩れ落ちる前に回収しなければ、それこそ中身ごと失われてしまうよ。中身は、後で回収すればいい。違うかな?」

 口を挟んだのは、第六の座・雪桜(せつおう)だった。真っ白な髪に、幻想的な色合いの青い着物を羽織った彼女は、ココルを微笑みながら諭す。いや、諭すというよりは、牽制している、という方が正しいだろう。

 そんな雪桜の言葉に、ココルはやれやれ、と頭を振っただけだった。

「それが困難だからこそ、こんな提案をしているというのに。……頭の固い。まぁ、すぐに答えを出せとは言わない。考えておいてもらおう」

「それは、どうもありがとう」

「だが、この交渉が決裂した暁には……我ら死神協会も、実力行使に出させてもらうということは、宣言しておこうか」

 それは事実上の脅しのようなものだ。

 死神の実力行使となれば、恐らくは議員か、あるいは前線の監査官の邪魔をしてくるか、最悪その魂を狩る事だ。魂を狩るというのは極論だが、初手で行使してくる可能性はゼロではない。こちらを怯ませるには十分だ。

 唖然となるアルトを他所に、ココルは恭しく、どこか演技臭い動作で大仰に一礼する。

「それでは、私はここで失礼する。御機嫌よう、魔導評議会の議員方。お互いに良い結末となることを祈っているよ」

 沈黙する会議室にそう別れを告げて、ココルは衣装を優雅に翻して出て行った。

 誰一人、呼び止めることは出来なかった。その隙が、皆無で。

 かくして、世界は死神と監査官という二大派閥が大きな変革の時を迎えようとしていた。

 

←プロローグ   第二話→