第二話 新任死神とプリセプター

 

 死神協会の各支部へその命令が伝達されたのは、全体集会から僅か二日後の事だった。

――以下の一〇名を仮称機動班『セイヴァー』へ配置する。

 そこに名前が記されていたのは、有名な死神から、最近になって話題に上がるようになった死神、あるいはまだ新米に近い死神まで、様々だった。だが、トップで部隊は決まる。

 そして、この仮称機動班のトップは、ロアが指名されていた。

「……じゃあ、改めて自己紹介をしておくわ。仮称機動班セイヴァーの班長『兼』第一支部最終調整橋班長のロア・コンスタル。よろしく」

 目の前の九名に、ロアは簡単な自己紹介をする。

 仮設されたこの機動班の基本位置はここ、最終調整橋、ということでロアは兼務を強いられていた。

 前向きに考えれば、新しくこの第一支部へ九名増員したという事にはなるが、そう簡単な問題で済まないのは、分かっていた。頭が痛い展開だが、愚痴をこぼしている暇もない。

 九名の男女比は六対三で、男性の方が多い。

 桃色の空と、幅十メートルほどある巨大な橋が、透明な水の流れる川の対岸へ道を繋いでいる。

 この川を隔てて、生と死が明確に分かれる場所。無闇に死の世界へ踏み込ませず、生の世界へ還ることを阻むために、死神が配置されているのだ。橋のすぐそばには、死神の詰所がぽつんと立っているだけの、殺風景な場所。それがこの最終調整橋だった。

 そんな境界の地に、彼らは集合していた。

「本当は自己紹介をして、色々と話をさせてあげたいんだけど。悪いけど、そうもいかないのが死神協会なのは、みんなも承知よね」

 ロアの言葉に、それぞれが神妙に頷いたり、苦笑いを浮かべたりの反応をする。

 コミュニケーション能力には問題がないようだ。些細なことからも人柄は見えてくる。といっても、いちいち面接や自己紹介をさせなくても、ロアには十分その人物を知る手がかりを得る機会はあるのだから、それほど重要視はしていなかった。

「……さて、じゃあまずは、最大の任務から説明するわ」

「何ですか? 最大の任務って」

 九名のうち、最初に口を開いたのは、ロアと同じ班で働いていた部下の一人、ネシュラ。

 明るい茶色の短髪に、深い茶色の瞳。下がった眉尻で性格をそのまま反映した様な気弱さを伝える。

 ロアは軽く肩をすくめて、そんなネシュラに答えた。

「新米教育よ。全員はさすがに無理と断ったから、半分の八名。こちらに回ってくるわ。まぁ、上手く育てばそのまま使えるし、重要といえば重要よ」

 なるほど、と納得する一同。この部署が激務なのは予想されてしかるべき展開だった。今後を考えれば、人手は一人でも多い方がいいとロアもその条件を飲んだ。

 ふと、周囲の空気の変化にロアは気づく。

「ああ、来たわね」

「お待たせしました、班長!」

 ふわりと現れる死神数名。その中でも表情が輝いているのは、キサラギ。

 新米の迎えという雑用を押し付けられたにもかかわらず、キサラギは何故か楽しそうに帰ってきた。

「帰ったらとっとと仕事に戻りなさい」

 すげなく言われ、キサラギはがっくりと肩を落とす。いつも通りなので、五分もたてば元には戻るのだが、死神の何たるかすら理解しているか怪しい新人たちの前でその態度はいかがなものかと、ロアは心の中で嘆いた。

 気持ちを切り替えながら、ロアは視線をスライドさせる。キサラギが連れてきた八名は、それぞれがどこか緊張した面持ちだった。男女比一対一。ロアとしては、悪くない比率である。

「さて、それじゃあ早速だけど組分けを……」

「キアシェ? ……うわ、マジでキアシェかぁっ!」

「は?」

 セイヴァーの女性陣三名のうち最も小柄な少女が、露骨に嫌そうな顔を浮かべ……何故か、新米の一人に抱き付かれていた。

 状況の読めない他の面々を他所に、空気の読めない新米死神の少年がはしゃいでいる。

 第二支部に所属していたキアシェと言う死神。そんな彼女を深い緑の髪に、幼さの抜けない少年が嬉しそうに抱き締めているという光景に、ロアですら呆気にとられた。

「死神に誘われた時は興味半分だったけど、まさか会えるとは思わなかった! 会いたかったぁぁっ」

「まさ、キミ……っ」

「再会記念」

 困惑するキアシェの頬に間髪入れずキスをした少年。

 次の瞬間、ぐっしゃぁぁっ、と壊滅的な音を立てて、新米は吹き飛ばされる。見事な左ストレートが、緩み切った新米の顔を直撃していた。

 数名が、咄嗟に目を閉じていた。死神は基本的に物理的には消滅しないようにできているが、怪我くらいはするものだ。これは生前の癖のようなものだろう。

 吹き飛ばされて頭から接地した少年は地面を転がる様を、唖然と見守る一同の中、ロアは大きくため息を吐く。

「いきなり喧嘩はやめてもらっていいかしらね?」

「いやぁ、すんませーん。過激な挨拶を返されるとは思ってなかったなぁ」

「キミは、一体何考えてんのさ?!」

 怒鳴るキアシェの声に、へらへらと笑いながら体を起こした新米死神。頭から血を流していた。

 それを見たキサラギが慌てて救護死神を呼びつけていたのは、流石だった。ロアはキアシェへ視線を寄越す。

「キアシェ、貴方の知り合い?」

「あんな変態知らない」

 キスをされた頬に触れながら、不機嫌そうにキアシェは返す。至極冷たい目で新米を睨みながら。

「ペイルくん大丈夫?」

 おっとりとした話し方の新米死神の女性が、キサラギの呼びつけた救護死神の世話になっている新米へ声をかける。

「大丈夫っすよ。キアシェの愛情表現は苛烈なだけなんで」

「あらあら。青春ねぇ」

 彼女は頬に手をあて、微笑むという少々軸のずれた女性だった。ロアはキアシェを一瞥し、手元の資料を再度確認すると、小さく笑った。

 何も知らなかったとはいえ、偶然とは恐ろしいものだ。

「キアシェ、貴方が指導するのは、彼だからね」

「……は?」

「ペイル、貴方の指導官のキアシェよ。ちゃんと、指導してもらいなさいね」

「マジですか?!」

「やだよ?!」

 嬉しそうなペイルと、心底嫌そうなキアシェの対比がすさまじく、他の面々の笑いを誘っていた。

 ロアとしても、どこか微笑ましく感じてしまう。

「何で僕なのさッ?! あんな頭軽そうなの嫌だよ!」

 キアシェはロアに必死に訴えるが、ロアは笑顔でそれを聞き流す。

 事前に能力値からロアは指導官を決めていた。それを今更変更する気は、ロアにはない。

 そしてとどめの一撃を加えた。

「それも仕事のうちよ、キアシェ」

 ロアの命令にぐっと言いよどんだキアシェは、嬉しそうに表情を輝かせているペイルを批難の目で睨みつけた。

 よほど照れくさいのだろう。実に微笑ましい。

 

◇◇◇

 

 不機嫌さを表情だけでなく最早オーラとして放つキアシェに、セイヴァーの同僚は若干怯えていた。

 ただ、その不機嫌の原因だけが、これ以上ないというくらいに楽しげにキアシェに寄り添う。

「じゃあ各自、専用通信機は受け取ったわね?」

 ロアが全員を見回し、それぞれ頷くのを確認する。

 配布されたのは新型の通信機。死神協会では通信機が二種類存在する。

 第一支部で使用されるものと第二支部で使用される通信機は形こそ同じだが、使用圏内が大きく異なる。ただどちらも同じイヤリング、あるいはピアスの形状。

 赤い宝玉が通信機本体だが、今回配布された専用通信機は翠色の宝玉が使用されている。

 しゃら、とロアは自分の通信機であるイヤリングを摘まんでみせながら説明を始めた。

「この通信機で使用しているのはソルナトーン。故障すると修理に時間と資金がかかるから、間違っても壊したりなくさないように。使用方法については以前と同じだからすぐに使えるわ。新任死神は、指導官から聞きなさいね」

「もちろんです!」

 ひときわ嬉しそうに、むしろ最早一人だけ返答をしたペイル。

 キアシェが鋭い視線を、その他の死神仲間は苦笑を浮かべた。

 ロアはペイルの挙動を特に気に留めず、聞き流して続ける。

「この通信機は死神の活動範囲全域で使用することができる。で、実際の仕事内容について説明をいい加減説明しないとね」

 死神の仕事は支部ごとに明確に分かれている。

 通常の個々の世界での魂の循環を担当するのが第二支部。

 そして第一支部では、損傷が発生している魂を修復する過程である『輪廻の輪』に導くという役割を担っている。

 第一支部と第二支部で仕事が交わることはほとんどなく、問題が発生した場合には互いに仕事を引き渡すのが今までのやり方だった。

 これまでは、大きな問題はほとんどなかった。だがココルが新たに機動班を設置した背景には、先日の管理局で発生したゲート暴走により、死神側も仕事に大きな支障をきたすこととなったのがあると、ロアは考えている。

 真相はココルの頭の中にしか存在しないので、何とも言い難いが大きく間違ってはいないと踏んでいた。

 当時の最大の問題は、引き渡す魂の数が多すぎ、上手く機能しなくなったのだ。仕事に明確な線引きをしすぎていたのが原因だろう。

 だからこその新しい編成だと考えれば、筋が通る。

「支部の枠を超えて、全ての魂をあるべき場所へ導く。それが私たちの与えられた任務。前例もなく、苦難の道かもしれないけれど。でも、死神の役割の大きさは、誰よりも貴方たち自身が知っていることだと思うから。……一緒に、頑張りましょう」

 何もかも未知数な道のりだった。だがロアが見回した彼らの中には誰一人、迷いなど宿していなかった。

 ほっとすると同時に、実に頼もしい。

「班長、質問していい?」

「ええ、どうぞ。キアシェ」

 ロアは口を開いたキアシェに頷いた。

 キアシェは腕を組んだまま、小さく首を傾げる。

「仕事って、どうやってくるの? 今までだと、本部が支部に送ってきた予測データから迎えに行けたけど、機動班の仕事とは違うよね?」

「そこなのよ……」

「は?」

 ため息をついて、ロアは呆気にとられたキアシェに、困ったような視線を送る。

「予定では、管理局と連携してやる予定だったのに総統ったら喧嘩を売ってきたらしくて、まだ諸々の条件が締結前なのよ」

「それ、組織のトップとしてどうなの?」

 これに関しては、キアシェが正しいと同意せざるを得ない。

 ロアとしても頭を抱えたい問題だ。これでは当面機動班としての活動は期待できない。

 不安げな空気が流れ始めるという悪い流れを断ち切るために、ロアは気持ちを切り替える。

「とりあえず、今は時間的余裕ができたと前向きに考えましょう。どのみち後輩育成っていう重要任務もあることだしね」

 

◇◇◇

 

 何か進展があり次第連絡をする……そう宣言した班長であるロアの言葉により、セイヴァーの面々は一旦元の職場へと戻り、各支部での支援をする流れになった。彼らも兼務でしかないのだから、仕事量は倍になったのと同義だそうだ。

 特に第一支部は人数が少ない。人員を遊ばせておくよりは、仕事を振り分けたほうが効率的であるという結論だ。

 ペイルをなるべく視界に入れないようにしながら、キアシェも第二支部へ戻る手配をしていた。その姿は、以前よりも肩の力が抜けたように見えて、ペイルとしてはどこか安堵していた。

「キアシェ、いい?」

 ロアに声をかけられ、キアシェは無言で振り返る。

「貴方、クオル・クリシェイアを知ってるわよね?」

「……知りません」

 刃のように鋭い返しをしたキアシェに、ペイルは首を傾げた。

 長いブラウンの髪を払い、キアシェは興味がなさそうな視線でロアの続きを促す。

「それなら、仕方ないわ。ごめんね、呼び止めて」

「別に、いいよ。大変だね、上手く動かない部隊の班長はさ」

「まったくね」

 曖昧に微笑み頷いたロア。

 ペイルは一度キアシェを盗み見て、それからロアへ視線を向けた。

「班長さん。こいつ、嘘言ってますよ? キアシェは、クオルを知ってます」

 そう告げたペイルへ、キアシェは氷のように冷たい視線を投げる。極寒の吹雪が吹きすさびそうなキアシェの瞳だったが、ペイルはちらりと一瞥しただけで、ロアに視線を戻す。

 すると、ロアは静かに首を左右に振った。

「いいのよ。知ってるだけじゃ、駄目なの。お願いしたいことがあったの」

「だったら尚更! ほら、キアシェ、クオルにまた会え……」

 言いかけた言葉を、ペイルは飲み込まざるを得なかった。

 ぴたりと首筋に充てられた真紅の鎌の刃に、自分の顔が写っていた。

「……前は、キミはゲストみたいなものだったから許してあげたけど」

 鎌を突きつけたキアシェの瞳は静かな怒りを湛えていた。殺気が、びりびりとペイルの肌をなぞる。

「その名前は……キミが軽々しく言っていいものじゃないんだよね」

 息を呑むペイルを、キアシェはただ鋭く睨み付ける。その中に浮かぶ感情は複雑に絡まり合っているようで、判断できない。

 ペイルの頭はすっかり混乱していた。この怒り方は、尋常ではないのは確かだ。

「一つ、教えてあげるとね……ペイル」

 静かに割って入ったのは、ロアだった。

 キアシェは視線をペイルに固定したまま、ペイルは恐る恐る首をひねって、ロアを見やる。

 涼しげに腕を組んで眺めていたロアと目があった。部下が消失させられそうになっているというのに、冷静である。

「死神の強さは、生前の未練に依存するの。そして死神の消滅は、未練の消失」

「みれ、ん?」

「ええ、そう。キアシェの未練はね、クオルと時間を共有すればするだけ解消されてしまうの。そしてその反面、時間をかければかけるほど未練は深まっていく。……分かる?」

 実際に今頷くことは出来ないので、ペイルは心で頷いた。

 理解は出来る。ただ、あまりにも……残酷だとは、思うが。

 無言を理解と受け取ったらしいロアは、静かに微笑むと、キアシェへ告げた。

「そういう事だから。時間を取らせて悪かったわね、キアシェ。また後日」

「……りょーかい、班長」

 ひらりと踵を返したロアを一瞥し、キアシェはようやく刃を下げた。

 もっともまだ手にしては居るので、余計なことを言えば今度こそ首と体が離れるだろう。異物感のする首に手を当て、ペイルは息を吐いた。

「……なんかごめん、キアシェ」

「キミの馬鹿さ加減はよぉぉぉーーっく覚えてるからいいよ。……分かったら、二度とその名前を口に出さないで」

「ああ」

 キアシェはペイルの瞳をじっと見据える。

 ここで瞳をそらせば、キアシェの信頼をまた一つ失う。ペイルは複雑な思いを抱えながらも、視線だけはそらさなかった。

 数秒かあるいは数分か。ペイルにとっては長くも短い時間で、キアシェはくるりと背中を向けた。

 するりと、ペイルの体から緊張が途切れる。

「……さぁ、じゃあ普段の僕の仕事へ戻ろうかな。……行くよ、馬鹿後輩」

「ああ。頼んだ、先輩」

 

◇◇◇

 

「よろしくです、ネシュラ先輩」

 ちょこんと頭を下げた新任死神の少女である、蘭。

 ネシュラの身長が百八十後半と高いことを差し引いても、蘭は小さかった。一二〇センチくらいだろうか。容姿からすれば、まだかなり幼い。

 だが、死神の社会において外見は何の判断基準にもならない。

 そしてもちろん蘭は、『普通』ではない。顔つきと背丈こそ幼子だが、醸し出す気配は老獪だった。

 そして何より、匂いが、違う。

 眉間にしわを寄せ、黙って蘭を見下ろしながら、ネシュラは何者かを考えざるを得なかった。妙な緊張感に、ネシュラは身を硬くしていた。

「ふふ、流石死神さん。もちろん、女性に年齢を聞くのはマナー違反なのです」

 ぴ、と人差し指を唇に当て、蘭は子供らしく微笑んで見せた。仕草だけは、子供だった。

 だがやはり、それは計算しつくされた仕草だという印象をネシュラに与える。

「そんな難しい顔しては駄目なのですよ、先輩。仲良く楽しく、私の幸運を信じてくださいませです」

「幸運って……?」

 縫い付けられていた糸を断ち切る様に、ようやく口を開いたネシュラへ、蘭は意地悪い笑みを覗かせた。

「私は、こんななりですが、幸運の女神である、座敷童だったのですよ。いわゆる、妖怪なのです」

「ああ、なるほど。だから匂いが……」

「加齢臭のように言うのはやめてもらいたいですね、先輩。とっても失礼なのです」

 笑ってはいたが、蘭の機嫌は傾いたようだった。ネシュラの肌に、蘭の苛立ちが悪寒となってぞわぞわと駆けあがる。

 妖怪の位についてネシュラは詳しくないが、蘭が高位に居たであろうことは、この短いやり取りでもわかった。

 どうやら、ロアは厄介な人物を押し付けてくれたらしい。新任の死神で厄介ではない人物の方が少ないのは、事実としてはあるけれども。

 引きつった笑みを返したネシュラに、蘭は表情を和らげて苦笑する。それだけで、空気までもが変質するような気がするのだから、蘭は本物だ。

「もう。しっかりしてくださいな、先輩」

「お手柔らかに……」

 いつ立場が逆転してもおかしくはないような予感がした。

 

◇◇◇

 

「ネシュラ、いい?」

 声をかけられ、ネシュラと蘭は揃って視線を向ける。

 全員を見送ったロアが、歩み寄ってくるところだった。

「悪いんだけど、お使いを頼まれてくれる?」

「あ、はい。珍しいですね。本部ですか?」

 ロアは頷くと、可搬記憶媒体をネシュラに差し出す。

「管理局本部に行って、このデータを届けて欲しいの。評議会議員と、監査官のクオルって人がいるんだけどその人に」

「了解です。えっと確かその人、特殊役員の人ですよね?」

「水虎の部屋に行けばいるかもしれないわ。居なかったら、水虎に頼めば問題ないだろうし。評議員には、調査課に渡せば大丈夫よ。ああ、中身はセイヴァーの概要についてだから」

 可搬記憶媒体を受け取りながら、ネシュラはロアの意図を察知した。総統のフォローするつもりなのだ。

 ただ、総統とて単純な理由で議会に喧嘩を売っているわけもない。何かしら理由があるはずで、互いの組織の無理解によるものであるならば、まずはその溝を埋めることが必要だろう。

 ロアは、その溝を埋めるための一手を打とうとしている。それ以外ならば、現場に行かない限りは分からない。

 ネシュラを向かわせるのは、そう言った点も見て来いとそういう事なのだ。流石は重要なポストを二箇所も兼務で班長に指名されるだけのことはあると、ネシュラはつくづく感心する。

「班長、私も行っていいです?」

 不意に、声を弾ませた蘭が割って入る。

 ロアは深く頷いた。

「もちろん。頼んだわね、蘭」

「はいです!」

 お願いね、とロアは再度ネシュラに念を押すと、踵を返して職場である詰所へと向かっていった。

 

◇◇◇

 

 調査課は管理局において、データ管理が中心となる課である。

 各世界の現状を迅速かつ正確に管理するのが調査課の主任務だった。死神協会の機動班が上手く活動をするためにも、この課との連携は必要だろう。

 この世界時間で深夜一時を回ろうとしている。この時間では当直体制で対応しているはずだった。

「失礼します」

 緊張の拭えないままネシュラは声をかけると、返答を待たず調査課当直室の扉を開ける。

 簡易ベッドに通信機がある程度の簡素な作りを想定していたネシュラにとっては、視界に飛び込んだ室内の構造は、意外な光景だった。

 正面には壁一面にモニターが据え付けられ、コの字型に並んだデスクにはそれぞれ二台ずつパソコンが並んでいる。決して広くない室内に、計六台ものパソコンが並び、三人の班員が仕事についていた。

 小さいながらも緊急対応が可能な作りの部屋なのだろう。

 さすが管理局本部だった。

 もっとも、起きていたのは一人だけで、後の二人はデスクで潰れて寝ていた。交代で仮眠を取っているのかもしれない。

「あら、何か用? 死神が来るなんて珍しいわね」

 当直責任者なのか、腕章をした女性はくるりと椅子を回転させて、二人へ向き直る。

 長い薄緑の髪を無造作にひとまとめにした女性は、切れ長の瞳を笑みの形に緩めていた。

 ネシュラは軽く会釈をして、女性へと歩み寄る。持参した可搬記憶媒体を女性に差し出した。

「これは?」

「近々正式に設立される予定の機動班に関する概要データです。機動班の活動には管理局の協力が欠かせないゆえに、少しでも情報をと」

「ふぅん……そういうきちんとした考えをするとすれば、……ロアかキルルね?」

「ロア班長をご存じですの?」

 蘭が首を傾げると、女性は苦笑いを浮かべた。

 くるりと背を向けると、パソコンへ可搬記憶媒体を差し込み、データ抽出作業を始める。

「あの子くらいでしょ。どんな時も最前線に自分で赴いてしまうのは。必ずいるのよ。組織という枠に収まり切ることを良しとしないのはね」

「管理局は、死神側の情報を持っているんですね」

 ネシュラがその情報量に感心していると、女性はいいえ、と首を振った。

「個人的な知り合いよ。はい、これ」

 データを取り出し終えた可搬記憶媒体を女性が差し出し、ネシュラは慌ててそれを受け取った。

「データ、確かに預かっておくわね。評議会に提出すればいいんでしょう?」

「はい。助かります。申し遅れました。死神協会、新設機動班所属、ネシュラと申します」

「同じく、蘭ですの」

「調査課ラナ・シグルフォードよ。わざわざありがとう」

 お互い遅ればせながらに挨拶をかわす。組織同士が対立しようとも、個人的な親交には影響しない。その逆もしかりだ。

 打ち解けたような空気にほっと胸を撫で下ろしながら、ネシュラは一つ質問を投げる。

「あの、もし知っていたらでいいんですが……特殊役員のクオルさんって方がどこにいるか、教えていただくことって……出来ますか?」

「クオル? あの子なら、今日は任務してないはずだから……アルトのところじゃないかしらね?」

「アルトさん、ですか」

「執務室にいると思うわよ。二階にいけばわかると思うわ。水虎の執務室に行ってごらんなさいな」

 

◇◇◇

 

 水虎……ネシュラの記憶が間違っていなければ評議会議員の一人だ。死神協会で言えば、各班長クラス。それだけで十分緊張してしまう。

 蘭は興味津々と言った様子できょろきょろと周囲を見回していた。まだ、蘭にとっては死神協会も管理局も物珍しいだけの存在でしかないのだろう。ネシュラが死神協会に入って間もなく教わったことと言えば、班長クラスの恐ろしいまでの強さだけだった。

 特に、ネシュラいた部署の班長だったのはロアだ。

 死神協会でもトップ三に入るともいわれるロアの強さは、鮮烈にして華麗。舞うように振るわれる鎌の軌跡は芸術的とさえ言われるほどに見事だ。

 それが班長クラスであり、それを適応するならば評議会議員は、ネシュラにとって機嫌を損ねれば消されるかもしれないという覚悟が必要とされた。

(気が重い……帰りたい……)

 そういえば、ロアも水虎のところにいるだろう、と言っていたのを思い出す。ただひたすらに気が重くなってきた。

「先輩、気を確かにもってくださいません?」

「あ、ああ。ごめん……」

 蘭に咎められ、ネシュラは反射的に謝罪した。

 やれやれ、と言った様子で蘭は首を振り、右の扉を示す。

「ここです。……先輩、可愛い後輩からの有難い忠告です。よぉくお聞きくださいな?」

「え?」

 す、と目を細めて、蘭はネシュラを見据えた。

 その瞳に、ネシュラは射すくめられ、思わず息を呑む。

「これからお会いするのが超重要人物であるならば、貴方の態度次第で死神協会と管理局の立場が決まるのです。先輩が下手に出れば向こうがつけ上がって死神協会を足で使うとも限らないのです。その覚悟をお持ちくださいませ」

「覚悟……って」

「平たく言えば、見くびられるような態度をとるな、と言う事なのです」

「な、なるほど……」

 すでに後輩から威圧をかけられる自分には、無理なんじゃないだろうか。冷や汗が流れるネシュラに、蘭はころっと子供らしい笑みを向けた。

「さぁ、後輩からの有難いお言葉を胸に、参りましょうです」

 蘭が行ってくれればいいのにと、ネシュラは心底思ったが、それを口にしたらそれこそ蘭の機嫌を損ねる。

 何とも、このプリセブター制度とやらは、苦悩しか与えてくれないようだった。

 それでも何とか気持ちを切り替え、ネシュラは扉に向き直ると、深呼吸をする。

(よし、頑張れ、俺っ!)

 自分を奮い立たせて、ネシュラは扉のノブを掴む。扉を開ければ良くも悪くも、進むしかなくなるのだから。

 短く息を吸って、口を開いた。

「失礼しますっ!」

 挨拶は元気に、しかしすっかりノックを忘れて、ネシュラは勢いよく扉を開けた。

 刹那、殺気がネシュラの次の行動を阻害した。

「あらあら。困りましたのです。先輩がきちんとノックをしないからいけないのです」

 背後から呑気に、あるいは呆れたような蘭の声。ネシュラは言い返す術もなかった。

 確かに、唐突な来訪者に驚かない人はそうそういないだろう。その為に一言声をかけるなり、ノックをするのが礼儀だ。

 だが、それにしたって、これは酷すぎやしないだろうか。

 頭では思うものの、何か言ったら、多分どこかしら斬られる。

「死神が何か用かな?」

 正面に立つ黒衣の男から飄々とした口調で問いかけられるも、ネシュラは動けない。

(ていうか、口を開いたら、斬るだろあんたっ!)

 心で叫ぶのが精一杯で、ネシュラの顔からだらだらと汗が流れ落ちる。敵意がないことを証明するために、引き攣った笑みを必死に浮かべていた。

 現在のネシュラは、左から短刀を首筋に、右から心臓の高さに大剣がちらつき、眼前に細身の剣を突きつけられていた。

 まさに、絶体絶命である。この局面をいかにして乗り切ればいいのか、ネシュラの混乱する思考の中では皆目見当もつかない。蘭の助けを待ちたいほどだった。

「ミウ、ブレン、お客様に失礼ですよ?」

「そーだぞ。それよりシス、紅茶のお代わり」

 深夜のティータイムの空気だった。

 この緊迫した状態下で、蘭を越えた平和な言葉が聞こえたのは、気のせいか。そろそろと視線で現状を確認しようとするも見えるのは、鋭い視線だけ。

 左から少女、右と正面から青年の無言の殺意の視線がネシュラに突き刺さる。

「刺客かもしれないんですよ、クオル様」

 まだあどけなさの残る少女の声。少女の呼んだ名に、目当ての存在に一つだけ希望を見つける。

と言っても、現状を打破できるわけもなく。焦りを収めるべく唾を飲み込みかけたネシュラは、刃の切っ先が首筋に触れ、思わず息さえ止めた。息を止めたところで死ぬことはないのだが、息苦しく感じるのは生前の体感の記憶再生だろう。

「殺し屋さんは、そんなに堂々とした気配で来ないですよ」

 くすっと笑う声に、ネシュラは今度こそ希望を見出す。

 しかし突きつけられるのは、三方向からの鋭い睨み。ネシュラは引き攣った笑みを浮かべるしかなかった。

「ほら、それくらいにしとけよ」

 諫めた声に、ようやくそれぞれの武器がネシュラから離れる。

 だが、彼らの心の中の舌打ちが、ネシュラの脳では聞こえたような気がした。それぞれの得物を仕舞った彼らの殺意から解放されたネシュラは、安堵から大きく息を吐き出す。

「危ないところだったですね、先輩」

 余裕の声音で隣に並んだ蘭。同意する気力もない。

 再度視線を上げると、応接セットで優雅にお茶を飲んでいた双子がいた。

 金髪の少年が、二人。あるいは双子ではないのかもしれないが、とにかくそっくりだった。

「で、何か用なの? 死神野郎さん」

 左から短刀を突きつけていたメイドの出で立ちをした少女が問いかける。

 その目は完全に据わっていた。警戒心をまるで隠そうともしていない。他の二人も睨んではいないものの、警戒しているのは間違いない。

 どう前向きにとらえようとも、未だ歓迎はされていない。

「えっと、クオルさんって方に、お届け物を……」

「僕にですか?」

 双子の片割れが尋ねた。どちらかといえば、温和な雰囲気の方が、クオルらしい。

 ほっと胸を撫で下ろしてネシュラが歩み寄ろうとした瞬間。

「近づいたら殺すわよ?」

 少女の鋭い一言でネシュラは再び凍り付く。関係性が見えないが、その殺気は本物かつ強烈で、足が止まる。

「ミウ、駄目ですよそんな言い方は」

「クオル様は無防備すぎますッ! そんなんだからどーーーしよーもない奴らが後を絶たないんですよっ!」

 ミウの言葉に、クオルは頭の上に疑問符を躍らせていた。

「まぁ、落ち着けよミウ。で、死神が兄貴に何の届け物だ?」

「あ。突然の訪問、しかも深夜に失礼します、死神協会、機動班所属のネシュラです!」

「同じく、蘭ですの」

 慌てて背筋を伸ばし申告するネシュラに、蘭はゆったりと追随した。

 クオルは座ったまま軽く会釈をした。

「ご丁寧にありがとうございます。管理局、特級管理監査官のクオル・クリシェイアです。先ほどはミウとブレンが失礼しました」

「あ、いえ、ノック忘れたこちらが悪いので……」

「いきなり斬りかかるこいつらも悪い。……あ、俺は水虎のアルト・フォリア」

 そう名乗ったアルトに、ネシュラは正直驚いた。議員と言えば管理局のトップだ。そのトップに、まだ若いアルトのような存在がいるとは知らなかった。

「それで、届け物って何でしょう?」

「は、はい! えっと……」

 ネシュラはちらりとミウを見やる。迂闊に近づけば、今度こそ容赦がないかもしれない。

「お預かりします」

「あ……どうも……」

 右から剣を振りぬこうとしていたブレンという青年が友好的な笑みで……多分内心はミウと同じなのだろうが、ひとまず視線で物を寄越せと言っていた。

 ネシュラはそろそろと可搬記憶媒体を渡す。

「データ、ですか」

「はい。えっと、見ていただければわかるんですけど……死神協会で新しく編成された班がありまして」

「へー……そーなんだ。ああ、だからこの間、総統が乗り込んできたのか……」

 納得した様子のアルト。クオルが不思議そうな顔をして、アルトを見やった。その間に、ブレンがアルトのパソコンにデータを展開している。

「死神協会の総統、ですか」

「そ。俺も初めて見たけど……テンションの高い血液マニアだった」

「血液?」

「そーいえば兄貴って……AB型だっけ?」

「ブレンもですよ」

 ならいいか、と口の中でぼそりと呟いて、アルトは一人頷いていた。

 ネシュラは帰るタイミングを探して、視線を彷徨わせる。

 穏やかなのだが、居心地の悪さは尋常ではない。

「こちら、お返しします」

 データを移し終えたブレンが可搬記憶媒体をネシュラへ差し出した。ネシュラはそれを受け取ると、任務を完了したことに胸を撫で下ろす。

 管理局と死神協会の関係はそれほど崩れてはいないというのも確認できたことだし、問題はないはずだ。

「それじゃ失礼します」

「あ、ネシュラさん」

 ふと、クオルが呼び止めた。ネシュラは微かに首を傾げ、呼び止めたクオルに目を向ける。少し躊躇した様子を見せ、クオルはどこか不安げに問いかけた。

「キアシェ、って子……知ってますか?」

「え? あ、はい。今度一緒の班になったので」

「元気に……してますか?」

「は、はい……一応」

 ネシュラが戸惑いながら返す。監査官ならば、死神が死者であることは理解しているだろう。存在の有無ならともかく『元気か』という生者らしい気遣いは、違和感がある。知り合いであることすら、不思議ではあるのだが。

ネシュラの疑問をよそに、クオルは返答に安堵した様子で笑みを見せた。

「そうですか。ごめんなさい、呼び止めて。データ、ありがとうございました」

「いえ。あの、何か伝えます?」

 気を利かせて問いかけたつもりだったが、途端にクオルは表情を曇らせた。どうやら、地雷だったらしい。

 周囲の空気が張り詰めかけた瞬間、クオルが口を開いた。

「大丈夫です。ありがとうございます、ネシュラさん」

「い、いえ。それじゃあ失礼します」

「お邪魔しましたです」

 ぺこりと蘭とネシュラは頭を下げて、踵を返した。

 

◇◇◇

 

 無事に職場に戻ってこれたことをこんなに嬉しく思ったことはない。いつもの橋が見えると、ネシュラは深く安堵のため息を漏らした。

「おかえりなさい、二人とも」

「班長、帰りましたです」

 ロアは優雅に微笑むと、ネシュラが差し出した可搬記憶媒体を受け取る。

「何か言ってた?」

「何も。ただ、クオルさんも、水虎様もまだずいぶん若いんですね」

「見た目だけはね。ところで、蘭、何か感じた?」

 不意にロアは蘭へ話題を振る。

 蘭は顎に指を当て、しばし沈黙したのち、おもむろに告げた。

「……強いて言えば、温度差、です」

 蘭の答えに、ロアは深く頷いた。

 ネシュラは、突然話題から置いて行かれたのを自覚する。

「聞いている議会と、実際の議員である水虎様の間には、確実に温度差がありますです」

「……まぁ、アルトが異質なんだけどね」

「私が感じたのは、そんなところです」

「上出来よ。ま、ココルも大概意地っ張りだからね。……アルトが、取っ掛かりになってくれるといいんだけど」

「班長?」

 呼びかけた蘭に、ロアが視線を向ける。つられて、ネシュラも蘭を見やった。

 蘭は子供らしくない、不敵な笑みを浮かべていた。

「……幸運は、待っていては訪れないのです。座敷童の私が言うのだから、これが真理なのです」

 その言葉に、ロアはまったくね、と苦笑した。

「この機会を逃すわけには、いかないものね」

 死神協会も、管理局も。

 今こそあるべき姿を取り戻さなくてはならないのだから。

 

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