第六話 偽りの王と真の騎士 

 

 つう、とその頬を涙が伝い落ちる。

 ぴしゃん、とその涙が落ちて波紋を広げた。

 その涙の意味が、相手に届かないとしても、それを受け止める存在がある。

 その存在が、世界の王。王の名を、六連すばる。

 そして、王の権限が導く答えが、その涙を希望へ導く。

 王とは、観察者ではなく、人々の最後の希望でありたい。

 それが、六連すばるの王としての在り方なのだから。

 

◇◇◇

 

「これで、終わりッ!」

 赤い鎌を振り抜いて、眼前の黒いシルエットを両断する。

「キアシェ、こっちは片付……」

 ペイルが振り返ると、目の前に黒と赤のシルエットが舞い降りた。驚く間もなく、彼女は刃を閃かせる。

 赤い鎌は、ペイルに襲い掛かろうとしていた牙を引き裂いた。

 華麗にして鮮烈な、キアシェの一撃だった。

「背中ががら空き。いい加減自立してよね」

 黒い霧となって消えていく影を背に、キアシェは冷たく言い放つ。

 呆気にとられていたペイルは、破顔して首を振った。

「俺はキアシェと一緒に居られるなら、それでいーけどな」

「どんだけ困った後輩なんだよ、キミは」

 ため息をついて、キアシェは背を向け、鎌を構え直す。

 その頼りになる背中に苦笑し、ペイルはキアシェの背後の守りに就いた。

 絶え間なく姿を現す、影。数は減少しているというが、それはあくまで倒しているからだ。

 GARS本部を目指し進行する影の行く手を阻む形になっている二人には、休む暇などない。

 しかも位置的には本部から一番遠い防衛ライン上だ。

 最初の交戦ライン。ほぼ百パーセントの影が通ることになる。

 その何分の一かでも、数的不利には変わらない。

「……きつくなったら、迷わず下がりなよ」

「男としてそんな格好悪いこと出来るか」

「僕は絶対に負けない自信があるからいいけど。キミはそうじゃないんだ。引き際心得ないのは半人前だよ」

 たんっ、と地面を蹴って跳躍しキアシェは姿を現した影へ躍りかかる。

 キアシェの攻撃に気づくのがわずかに遅れた影は、何もできないままに消滅へ誘われた。

 ペイルは低い位置から接近してきた蠢く影を、魔法でもって焼き尽くす。

「半人前でもなんでも。好きな相手を守れなくてどーすんだよ」

「守ってもらっといて、何それ」

 会話をしている場所が、戦場でなければ微笑ましい光景。

 だが、ここは存在の有無を決する戦場で。

 ぞろぞろと姿を見せる影に、キアシェは思わず舌打ちをした。

「ったく、雑魚が数揃えたって雑魚には変わりないんだよ」

「気持ちは分かりますけど、油断は危険ですよ」

 不意の声に、思わず二人は振り返った。

「どうし……、クオル様……」

 張り付いたように声を絞り出したキアシェ。

 黒い刀身の剣を携えたブレンと、いつものように白い法衣に身を包んだクオルがいたのだ。

「これでも、監査官なので」

 小さく微笑んで、クオルは茫然と立っているキアシェに言う。

 そして、静かに。

「ブレン、行きましょうか」

「手加減してくださいね、クオル様。じゃないと」

 迫りくる影に対し、ブレンが肉薄する。

 剣を振りぬく、その瞬間。

 瞳を閉じていたクオルが静かに目を開き、魔法を発動させた。

「四元の章 第一章……炎の章!」

 チッ、と一瞬だけ音を立てた、ブレンの握る剣ヘブンベイル。

 見る間にその刀身が色を変え、漆黒から真紅へ染まった。

 そしてブレンが振り抜いた剣の軌跡に、烈火が撒き散らされる。

 炎に呑まれた影は灰にも黒い蒸気にもなることなく、静かに消滅していった。前方十メートルを丸ごと焼き尽くした炎は、音もなく霧散する。

「ああ……加減しないから、森まで焼いちゃったじゃないですか……」

 呆れだか、嘆きだか曖昧な口調で、ブレンが肩を落とす。

 圧倒的破壊力と言っていい。

「張り切っちゃいました」

 珍しくクオルが悪戯っぽく笑う。

 ブレンは一瞬呆気にとられ、それから苦笑した。

「じゃあ、せめて最後まで息切れしないようにしてくださいね」

「はい。頑張りますっ」

「が……頑張りますじゃないよ、クオル様ッ!」

 ようやく我に返ったキアシェはクオルにずかずかと歩み寄る。

 クオルはキアシェの様子に、目を丸くした。

 さも、予想外と言うように。

「何でこんな前線に出てくんのさっ?! こんな前線は下っ端とか戦力外とかで十分だよ!」

「下っ端で戦力外って俺の事か?!」

「キミは黙っててよ!」

 声を荒げたキアシェに、ペイルは流石に口をつぐんだ。

 今のキアシェには、冗談や横槍は火に油を注ぐようなものだから。代わりに出来るのは、キアシェの代わりに警戒を続けることだ。

 焼き尽くされて視界が晴れたとはいえ、危険が去ったわけではない。無言でその任についているブレンに、ペイルも倣う。

「クオル様は、もう個人の命じゃなくなっちゃってるんだよ?!」

「いいえ」

 キアシェの言葉を、クオルはきっぱりと否定した。

 そして、柔らかく微笑んでクオルは静かに告げる。

「自分の中に閉じこもっちゃ駄目だって言ったのは……シェマ。貴方ですよ」

「っ!」

「それに、これが間違いなら、ブレンは止めてくれましたから。それが、ブレンと交わした約束です」

 自分が間違っていたら、ブレンが止めてくれる。

 そう、かつてクオルはブレンと約束をしたのだから。

 今この場所に居るという事は……間違っていないと、ブレンも賛同してくれたからで。

 言葉が浮かばないキアシェにクオルが苦笑する。

「だから、僕はシェマを守ります。……一緒に、この場所で戦うんです」

「僕、は……もう……違う、よ」

「ええ。今の貴方は、キアシェですね。でも……僕とブレンにとっては……貴方は今でも、シェマですよ」

 だから、とクオルは呆けたままのキアシェの脇をすり抜けた。

 キアシェは引っ張られるように視線で追いかける。再び数を増す影を前に、クオルはキアシェを振り返って微笑んだ。

「一緒に戦いましょう。……それが、キアシェの願いでも、あるんでしょう?」

 キアシェには、もう否定できなかった。

 しかし、肯定もできない。

 肯定してしまえば、それは納得することと同じだ。

 納得は、自分の消滅と同義。ぎゅっと握った鎌に力を込めて、キアシェはぶっきらぼうに返した。

「違うよ。……僕の願いは、そんな単純じゃないよ」

「そうなんですか?」

「そーだよ。……僕はね、……クオル様を、最後に狩りに行くんだから。仕返しだよ」

 キアシェの言葉に、クオルは目を丸くした。

 しかしすぐに表情を崩し、戦線へ視線を向ける。

「それは、困りました」

 苦笑しているクオルの先へと進み、キアシェはペイルの隣に並んだ。

 ペイルが横目で心配そうな視線を送っているのを無視して、キアシェは言う。

「……でも、……来てくれて、ありがと」

 消えそうな声で呟いたキアシェに、クオルとブレンが小さく笑みを浮かべる。

「……ええ。では」

「さっさと片付けますかね」

「何やら、厄介なのも現れてるみたいだしな!」

 ペイルの言葉を合図に、それぞれが戦闘モードへ再度シフトする。

 遠くで木霊す爆音を気にする余裕は、まだない。

 

◇◇◇

 

『海蓮とも無事合流した。ガティス・コアという王の影は現在、王とロゼに固執しているらしい。星闇たちと共に逃亡中だ』

「了解。……こっちでも追いかける」

 色無とのコンタクトを終え、実覇はアルトへ視線を向けた。

 ふらつく足取りで立ち上がるアルトは、先ほど襲い掛かった爆風で吹き飛ばされてしまっていた。ダメージがいくらかあるかもしれない。

 実覇も木に叩き付けられていたが、特権属性の影響で、無傷である。

「大丈夫か?」

「何とかな……けど、何だよガティス・コアって。王の影なんて反則だぞ」

「まさか本格的に牙をむいて来るとはな」

「しかもロゼとすばるを追い回すとか……急がないと、やばいよな」

 頷き合うと、二人は迷わず走り出す。

 最後の戦いの場へ向けて。

 

◇◇◇

 

「くっ、伏せろ!」

 鋭く叫んだ星闇に、全員が転がるようにして地面へ伏せた。

 次の瞬間には、頭上を衝撃波が駆け抜ける。

 風圧に引っ張られないように体制を低く保って、やり過ごす。

 衝撃波は前方の木々に炸裂する。轟音を撒き散らしながら木々はなぎ倒され、土埃を舞い上げた。

 しかしここで安心している場合ではなかった。そんな猶予を与えてくれる相手ではない。

 すぐに立ち上がって、逃げなければならない。

「ロゼ、立って!」

「私、ヘリエルは……私はっ……」

「ロゼ、しっかりしろってば! 頼むからっ!」

 すばるが肩を掴んで揺すっても、ロゼは茫然とうわ言のようにそれを繰り返す。

 フロートから湖の傍に広がる森へと逃げても、ガティス・コアは執拗に追いかけてきた。

 ほとんどの議員は、手傷を負いながらも何とか合流を果たしている。

 今ここに居ないのは、実覇と水虎、そして遠音だった。

「王、ロゼは私が!」

 すばるに手を貸すために合流していた奏空がばっと駆け寄る。

――刹那。

「よそ見出来る相手じゃねーだろっ!」

 そう吐き捨てたと同時に、強力な防御結界が展開され、視界を焼くほどの強い光が弾けた。

 数瞬遅れて、突風が巻き起こる。

 風が収まり、思わず閉じていた目を開くと、アルトの後ろ姿があった。

 ほっとしている、場合ではなかったが。

「何故、逃げる? ……王である私から、逃げられるわけもないのに」

「お前は王じゃないっ! 王が民を苦しめてどーすんだよ!」

 ぴく、と空中から見下ろしていたガティス・コアの眉が跳ね上がる。

 苛立った様子だった。

 その間にすばるはロゼを立たせて、庇うように立つ。

 そしてそのすばるを守るように、集合している議員が周りを固めた。

「確かにね。……私は、確かに籠の鳥だ。世界を何も知らないかもしれない。……民を知らない、最悪の王かもしれない」

 語るガティス・コアの声に、ロゼが涙で滲んだ瞳を向ける。

 それでもまだロゼの瞳は、希望を信じていたいのだから。

「でも、私はその民に、勝手に王にさせられた。私に何も与えないままに、私は籠の中でじわじわと殺されるための役目を与えられた。……それは世界で言う、希望で、幸せなことなんだよね……?」

「それ、は」

「答えなよ。君たちのしてきたことは、他人の命を踏みにじってまで行ってきた、発展だ。そのために、私はその船の作り方を見守ってきた。それが幸せなんだね?」

 ガティス・コアの記憶は先代までの記憶そのものだ。

 つまり、その問いは、歴代の王が繰り返してきた、疑問。

 そして自分をそうやって誤魔化してきた言葉そのものだ。

 いつか、アリシアは言っていた。

 言葉など幻想だと。そうやって自分を正当化し、逃れるために使われるのも言葉なのだから。

 答えられない一同に、ガティス・コアは悲しい笑みを見せた。

「私はね……教えて欲しいんだ。私は殺し合うために世界を作ったんじゃない。だけど、それが皆の幸せだったんだよね。それが王に期待された、役割だよね?」

 否定も肯定も、出来ない。

 だが答えを待たずに、ガティス・コアは冷たく言い放った。

「私に、絶望をありがとう。だから、私からも貴方たちへ最後の優しさをあげるよ。……そんなに殺されたいなら、私がこの手で殺してあげる」

「ヘリエル、そんなこと誰も望んでなんて……!」

 声を振り絞ったロゼに、にこりと、ガティス・コアは微笑んで見せた。

「知ってるよ。それは絶望。だけど世界は等価交換。絶望をくれた貴方たちに、私も絶望を贈るよ」

「ヘリエル!」

「私も、その前も、ずっと前も……ずーっとみんな、世界が大嫌いで、壊したくて仕方なかった。治しても治しても無残に殺しあう世界を全部消す。その為に私はいるんだ。さぁ……」

 ぱぁ、と輝くような笑顔を初めてこちらに向ける。

 そしてその表情から決して聞きたくない言葉を、ガティス・コアは紡いだ。

「お互いが発狂するまで、殺し合おうか」

 絶対的な存在感を放つ存在に、背筋が凍り付く。

 敵に回してはいけない存在だと本能が訴えていた。

 全員が逃げたくなるような衝動を覚えた時だった。

「……お前は、王じゃない」

 唐突な声に目を向けると、そこにはエージュが肩で息をしながら立っていた。

 すぐ傍に遠音が隙なく佇み、ソエルが不安げに見守っていた。

「君は、何だ?」

「お前が王だった時代は、とうに終わってるんだ。それに気づけよ。今の王は、そこにいる六連すばる、その人だ」

 ガティス・コアに臆することなく鋭い眼光を向けるエージュ。

「それに、王に記憶を渡さなかったのも、ここに議会があるのも、全部お前の残した希望だろ。それから目を背けるな」

「……私の、希望?」

 議員一同を見回し、ガティス・コアは眉根を寄せた。

「きぼ……うぅっ……!」

 頭を抱えて呻きだす、ガティス・コア。

 その一瞬の隙を見逃す議員では、なかった。

「お前の役目はもう終わりだ、ガティス・コアッ!」

 アルトがその手に武器を取った。それを合図に、各議員が戦闘態勢に入る。

「王は、私だ……私が、させられたんだッ!」

 そう叫んだガティス・コアは、子供のようだった。

 どこか、悪い道に迷い込んで自暴自棄になってしまった様な、そんな。

「殺してやる……絶望しながら、死ぬがいいッ!」

 ガティス・コアはそう叫んで、火球を放った。

「雪桜」

「分かっているよ、炎武」

 楽しげに答え、炎武と共に雪桜が前に進み出る。

 炎とは、すなわち燃えるという現象そのものと高熱という物理変化だ。

 炎武の『火』と雪桜の『温度』。炎武が燃えるという現象を掻き消し、雪桜が温度を奪ってしまえば、炎は存在しなくなる。

 それこそが、最大の防御だ。

 散らすでもなく、打ち消すでもなく。二つの特権で制御する。

 全ての物理現象は、彼ら評議会の特権でもって再現できる。

 裏を返せば、全ての物理現象は評議会が一丸となれば看破できる。

 それが、先代の王の残した、希望の形。

「厄介な能力をっ……!」

 ガティス・コアは憎々しげに吐き捨て、大小の光の球を周囲に浮かばせた。

 相手は本気だった。そして、こちらも。

 すばるが発する次の言葉で、議会は動くだろう。

 不意に、ロゼはすばるの背中を掴んだ。

 すばるが目を向けると、ロゼは今にも泣きそうな声で言った。

――……ヘリエルを、助けて、と。

 すばるは頷いて、言った。

「……もう、眠らせてあげよう」

 こくん、と議員が頷く。全員が揃った魔導評議会議員。

 王を囲うように並んだ彼らは、覚悟を決める。

「ソエル、エージュ。ロゼを頼んだ」

「はい!」

 すかさず返答し、ソエルとエージュはロゼへ駆け寄って下がらせた。

 その護衛に、ライレイとヴェロスも加わる。

 ここから先は、手を出せるレベルの戦いではないのだから。

「眠るのは、お前たちだッ! 永遠の眠りに、私が誘ってあげるよッ!」

 ガティス・コアは叫んで、憎悪の塊たる大小の光球を地上へ向けて放った。

光とはエネルギーだ。エネルギーは、直接攻撃性はない。だがそれの持つ熱と、波状破壊力が人体を損傷させる。

「……クスフェっ!」

「はい!」

 アルトの呼びかけにクスフェは的確に反応する。

 アルトはガティス・コアの初手で湖から蒸発した揮発している水分をかき集め、巨大な水のカーテンを作り出す。

 そのカーテンへ向けてクスフェが働きかけ、波状破壊を緩和した。

 同時に何も言わずとも雪桜は水のカーテンから温度を奪い去り、拡散させる。音もなく、全ての光球は消失する。

「守ってばかりでは、生憎と移動標的は打ち落とせんのでな」

「なっ……!」

 ガティス・コアが驚愕の声を上げる。

 いつの間にか、実覇が手の届くところへ跳躍していたためだ。

 小柄なその体から、考え付かないような高さまで体ひとつで跳躍した実覇は、渾身の拳を叩き込む。

 だが、ガティス・コアは口元に笑みを浮かべた。

 山をも砕くと言われている強烈な一撃。

 それを、ガティス・コアは指一本で受け止める。

 しかし衝撃自体は緩和できなかったらしく、数メートル分ガティス・コアは降下した。

「それで攻撃したつもりか?」

「……お前は甘いな」

「何…――?」

 実覇に気を取られたガティス・コアは、二手目を見逃した。

 光流の領域たる『可視領域』で視覚を狂わされ、実覇を見逃したのが初手のミス。

 更に可視操作に加え遠音によって更に魔力収束の『音』までかき消されていた、星闇に影を捉えられた。

 実覇の領域は『対物』で、魔力に対して圧倒的劣勢である。

 星闇の魔力による拘束は、実覇の一撃と共に、決まっていた。

「うるさいハエみたい。……こんな子供だまし、私の模造品だ。しかも劣化した」

 苛立った口調で、ガティス・コアは実覇の拳を『音』の領域で肩の骨まで一瞬で破壊する。

「ぐっ……あ、うっ……」

「深怜っ!」

 ガティス・コアは星闇の領域である『影』を下方に収束させた光で打ち消す。

 子供が飽きたおもちゃを放る様に、ぽいと、実覇を空中へ放った。特権領域『対物』である実覇が地面にたたきつけられた程度では傷は受けない。

 しかし、それでもその光景は評議員の心を凍えさせる。

 圧倒的な力の差だった。

 地面へ打ち付けられるまえに、奏空が実覇を抱きとめる。

 苦々しい表情を、コアへ向けながら。

「ふ……、その、劣化コピーに……触れさせる程度でも、お前は、負けだ……」

 奏空の腕の中で、実覇は冷や汗を流しながら、勝ち誇ったように言う。

 奏空は心配そうに一度実覇を見やった。

 腕の損傷は、生易しいレベルではないことは、見ただけで分かる。はれ上がった腕は、早く処置をしなければ取り返しのつかないことになるだろう。

 だが、実覇の言葉があながち間違っていないことも、知っていた。ガティス・コアは、万能ではないのだと、その一撃で実覇は示したのだ。

 ガティス・コアは空中に停止したまま、憎悪をたぎらせ、こちらを睨み付けていた。

 ぎゅっと拳を握りしめ、すばるはガティス・コアを見つめていた。

(何か……何かおかしい)

 だが、何がおかしいのかすばるは上手く言葉に出来なかった。

「全員でぶつかれば、必ず倒せる。行くぞ」

 炎武の声を合図に、それぞれの特権を組み合わせての攻撃を開始する。

 奏空は実覇を後方へ下がったソエルたちに委ね、自らも戦場へと舞い戻った。

 実覇が示したのは、一つ。

 ガティス・コアが一度に相殺できる能力は、一つだけだ。

 だから実覇の攻撃を受けた瞬間、ガティス・コアは空中で静止することが出来なかった。

 だからこそ、勝機はある。

 姿形こそはっきりしているが、影の本質から逸脱しているとも考えられない。

 ならば、圧倒的魔力……議員全員で一撃を見舞えば勝てる。

「王である私に、歯向かう……などっ……!」

 あちこちを焦がし、水と血を滴らせ、筋肉の痙攣をしながらも、ガティス・コアは立っていた。

 肩で息をしながらガティス・コアはまだ諦めてはいない。

 世界への復讐と言う執念だけで、ガティス・コアは自己を保っているのだ。

 そんなガティス・コアが、アルトは見ていてどこか苦しくも感じる。

「……もう、いいだろ。お前、もう一人で頑張る事なんてないだろ!」

「うるさい……うるさいうるさいうるさいっ!」

「アルト、それは王の影だ。絶望そのものだ。眠らせてやることがせめてもの救いだ」

 炎武の声に、アルトは悲しげな表情を浮かべる。そんな救いを、アルトは簡単に受け入れられるタイプではない。

「……俺は、それでも……!」

 アルトがガティス・コアに手を伸ばしかけた瞬間だった。

「アルト様、駄目ぇぇぇっ!」

「え?」

 ソエルの絶叫が響いた。

 

◇◇◇

 

「粗方片付いたけど……何かヤバそうな気配があるな」

 疲弊しながらも、軽傷で済んでいるペイルの言葉に、キアシェは頷いた。

 キアシェは無傷ではあるが、疲労の色はペイルよりも濃い。

 死神としての力が多少なりとも落ちているのが大きい。

 ただ、それを表に出さないように気丈にふるまうのがキアシェと言う少女である。

「……行きなよ、クオル様」

「え?」

 不意に振られたクオルは、驚いた様子でキアシェを見やる。

 キアシェは小さくを息を吐くと、顎で危険な気配のする方を示す。

「議員の気配もする。……心配なんでしょ、弟のこと」

「キアシェ……」

 キアシェは目を反らして、ぼそっと言う。

「良い奴、だったしさ。……いー、弟じゃん。ブレンが兄とか言ったらぶち殺してたけどさ」

「同じようなもんに見えるけどな」

 口を挟んだペイルは、問答無用でキアシェによって足を踏みつけられる。痛みに悶絶するペイルを心配そうにクオルが見やったが、特に声は掛けなかった。

 ペイルを一度冷たく見下ろしてから、キアシェはクオルへ視線を戻した。キアシェの視線には、迷いはなく。

「ここはもう、大丈夫だから。……クオル様が大切なものは、自分で守りなよ」

 クオルは一度ブレンを見やる。ブレンは黙って、頷いた。

 選択の確認を外せないのは、実にクオルらしい。

 一つ深呼吸をしてからクオルはキアシェに微笑んだ。

「……行ってきますね、キアシェ」

「うん。……さよなら、クオル様」

 そして、クオルはブレンと共に、姿を消した。

 

◇◇◇

 

 クオルが転移の魔法で舞い降りた場所は、確かに議員のいた場所で。だけど、少しだけ……間違っていて。

「……どう、して」

 こんな未来は、一番訪れてはいけなかったはずなのに。

 クオルは茫然と、その光景を見つめていた。

 遅れたとは分かっていてもじっとしていることは、出来なかったから。だから支援に来たはずで。

「アルト……?」

「ふ……あははっ、あははははっ、馬鹿だね。殺すって言ったのに。私が殺さない理由がないのに」

 満身創痍で笑うガティス・コア。

 茫然と、議員も見つめていた。

 倒れて、ぴくりとも動かないアルトを。血溜まりをなお広げるアルトの胸には、拳大に風穴が開いていた。

 しかしガティス・コアの攻撃が直撃したのはアルトではなく。

 直撃したのは、最早肉片ほどしか残っていないソエルだった。

「………そえ、る?」

 がくん、とエージュが膝をつく。

 いつも隣でエージュをコントロールしてくれていたソエル。

 一緒に幾多の任務をこなして、笑い合って支え合ってきた。

 後ろ向きになりがちな自分の方向修正をし続けてくれた、明るい笑顔が見えない。

『悲しいのは二人でなら半分にして、嬉しいことは二人で二倍以上にしよーって言ったでしょ』

 かけがえのないパートナーの言葉だ。

 だけど。

――ソエルがいなくて、どうして、半分に出来るんだ?

「あ……ぁぁあああああああああっ!」

 言葉にならない絶叫がエージュの喉から迸る。

 そこに重なり合うようにして、哄笑するガティス・コアは、もう壊れていた。

 ロゼが顔を覆ってそんなガティス・コアから目を反らしているほどに。

 

◇◇◇

 

「……クオル様っ!」

 ふらついた足取りで、アルトへ歩み寄っていくクオルをブレンが慌てて追いかけてきた。

「アルト……? こ、んな……所、で……寝ていたら風邪をひきますよ?」

 血に濡れるのも構わず、クオルはアルトの拡げる血だまりに膝をつく。震える手を伸ばして、アルトの頬に触れた。

 まだ、微かに残る温もりも、徐々に失われつつあるアルト。

「こん、なの……は……。僕は……水虎にさえ、なっていなければ、アルトは……」

 アルトが水虎として逃げずに戦ってきたのは全てクオルのためだった。

 それは言い換えれば今ここにアルトが居たのは、クオルのため。自分の、せいだ。

 涙は、滲まなかった。

 ただクオルの胸中で広がるのは、暗い感情だけ。

「違います……クオル様が、悪いんじゃありませんからっ……だからっ!」

「アルトは、僕のせいで死んだんです」

 黒く染まる思考を引き留めようとするブレンの声。

 その声を拒絶するように冷たく、クオルは返す。

「それは違います!」

 それでもなお、背後から懸命に訴えるブレンに、クオルはゆっくりと視線を向ける。

 普段から付き従うブレンが身を引く。冷たく澱んだ瞳をしているのだろう。

「ブレン。……ヘブンを、出してください」

「だ、駄目です。クオル様、お願いですから落ち着いてっ……」

「聞こえませんでしたか? ……出せ、と言ってるんです」

 自分でもぞっとするほどに、冷たい声だった。

 断れば、多少の脅しをしてでも、クオルは命令するつもりでいた。

 しかし、ブレンは理剣ヘブンベイルを差し出すことを躊躇していた。自分が何をするか、分かっているのだろう。そしてきっとそれは、間違った行動だ。ブレンが止めるほどの。

 だが、クオルは止まれない。理性が感情を、制御できない。

「もう一度だけ、言います。……出しなさい」

 躊躇するブレンへ、クオルは命令した。

 酷く苦しげな表情を浮かべ、ブレンが震えながら手元に呼び出した黒い剣の柄を、差し出す。

 その漆黒は、自分の心を映したようだった。

「……ごめんなさい、ブレン。……でも僕は」

 クオルはその手に強く剣を握りしめ、ガティス・コアへと剣先を向けた。

「あれを、許せないんです」

 ブレンが、他の議員が何かを言うより早く、クオルは地面を蹴ってガティス・コアへ突撃した。

 ガティス・コアはシールドを展開し、軽々剣を受け止める。

 すかさずクオルは威力を重視し、コントロール無視の魔法を発動。

 ガティス・コアは即座に反応し、クオルから距離を取った。

 攻撃先を失ったクオルの魔法が、地面に炸裂する。

 地面を揺らすほどの衝撃が走った。

 

◇◇◇

 

 完全に、クオルは我を忘れていた。

 たった一人の存在を失った、行き場のない感情が暴れまわっているのだ。

 相手に対する憎悪と守れなかったことに対する後悔。

 それだけが、クオルを支配している。

 そんな光景を、議員は息を呑んで見守るしかできなかった。

 手出しでもすれば、もろとも巻き込まれるだろう。

 今のクオルに、周囲を気にして戦闘するほどの理性は残っていないのだから。

 そんな光景を前に、エージュは首を振った。

 こんな世界は、誰も望んでいない。

 ソエルを失って、慕ってきた人々が壊れていく様をエージュは直視できなかった。

「アルト様まで死んでっ! ……クオルさんまで……どうして殺し合うんだよっ!」

 だんっ、と地面を拳で叩きながら、エージュは叫び続ける。

「それこそ先代が一番憎んだ世界なのに!」

 ソエルが死んだのは、自分がこんな力を持っていたせいで。

「何でソエルがそれに巻き込まれなきゃいけないんだよ!」

 無茶苦茶に暴れまわる思考回路で、エージュは自分でも何を言っているのか分かっていない。

 ぼたぼたと地面に堕ちて行く雫。

 怒り。

 悲しみ。

 後悔。

 憎悪。

 負の感情だけが膨れ上がる。

「ソエル、ソエル……!」

 思考が鈍化していくエージュの脳内で、かつてクオルと交わした言葉が再生される。

『僕は何かを犠牲にしてでも、守りたいものがあります。だから、たとえ自分が犠牲になろうとも、やり遂げてみせます』

 クオルが何かを犠牲にしてでも守りたかったのは、アルトを含めた自分の『家族』だ。

 ブレンやライヴ、ミウやシス。そう言った、血族ではないにせよ、クオルにとっての『家族』。

 だからその身を滅ぼそうとも、アルトの仇を取る以外にその感情を抑え込めないのだ。

『貴方は、未来に何を望んでいるんですか?』

 ソエルのいない未来。

 想像もしていなかった。

 ずっと隣で、一緒に任務をこなして……いつか監査官を辞めるときに、初めて別れる。

 でもそんな日を想像したことは、あっただろうか。

 ソエルが隣にいない未来なんてものは……。

「そんな未来は……要らない……」

 ずっと傍でソエルが笑っていてくれること。それがエージュの願った未来だ。ソエルがいない未来など、エージュにはない。

「…………エージュ」

 傍らに立っていたヴェロスがそっと声をかける。

 ゆっくりと視線を向けると、ヴェロスはぽん、と肩に手を置いて微笑んだ。

「俺は、お前の味方だ。……ダチだからな」

「……ありがとう、ヴェロス」

 礼を述べて、そっとヴェロスの手を退けると、エージュは立ち上がって、目を擦った。

「……俺は、ソエルを取り戻す。助けられる未来を得られるまで、どんな犠牲を払ってでも」

「その覚悟に、嘘偽りは、ない?」

 いつの間にか目の前にいたすばるが、エージュへ問いかける。

 周囲の音が全て消えたかのような、静けさだった。

 いや、事実、世界は停止してセピア色をしていた。

 これも、王の能力の一端なのか? とエージュが唖然としていると、すばるは苦笑した。

「時を停められるのは、今のところエージュの専売特許。でも、俺は観測だけは、出来る。だから少しだけ、話をしたくて」

「……引き止めたって無駄ですよ」

「うん、分かってる。だけど、このまま戻っても、同じ未来が待ってるだけだ」

 エージュは、ぐっと言葉に詰まる。

 すばるの言う事は、恐らく正しい。

 自分一人、いやすばるは覚えている可能性はある。

 しかし、すばるには何の力もない。助力には、遠く及ばない。

 かといって、エージュが過去に戻って、ソエルを今の時間軸に連れて来るほどの能力もない。

 出来るのは自分だけを転送して、直接ソエルを守るか。

 ……しかし、ソエルだけを助ければ、良いわけでもない。

 アルトを失ったクオルを見て、ソエルだけでも助けられてよかった、なんて思えるわけもないのだから。

 ソエルと出会えたのは、クオルに救われたからで。

 そこに目を背けても、いつか後悔するのは、分かっていた。

 エージュが監査官として誇りを失わずに生きてきたのは、後悔せずに来たからで。

 どうすればいいのか、エージュ自身もう、分からなかった。

「じゃあ、どうすればいいんですか。俺は、ソエルを助けたい。それが世界の理に背くとしても」

「分かってる。……だから、エージュの時を操作する魔法に関する時間を、俺に全部、渡してほしい」

「どう、してですか?」

「先代が残した最後の希望。本当の世界の王は、エージュだからだよ」

「は……?」

 意味が分からない、と唖然となったエージュに、すばるは続けた。

「だけど、俺は間違って、世界の王になってしまった。きっとタイミングが悪かったんだ」

「い、意味が分かりませんよ?! 全然、俺には意味が……」

 ただ、時間を巻き戻す能力を持つだけだ。

 たったそれだけ。

 しかもエージュの世界にあった、最高峰の魔法だっただけで。

 ソエルを助けたい、という想いの前に突き付けられた言葉。

 それは、あまりに突飛すぎた。

「世界は王が作り出す。つまり、王が持たない力は存在するはずがない。だけど、実際にエージュはいる。つまり、その力は王が持っていなければいけないものなんだ」

 王から力を分け与えられて、世界は生まれてくる。

 つまりは、王が持たない力は、世界に生れ落ちない。

 そこから外れたエージュは、本来有り得ない。

 つまり、エージュの持つ能力こそが王の証明だった。

「じゃあ、どうしてガティス・コアは? あれが王の影なら、あれだって時を操作する能力を……」

「使ってるよ。……あれは、王じゃない。時間を操作して、過去から引用した攻撃を再現してるだけだ。本人の能力じゃない」

 納得がいかないという表情を浮かべたエージュに、すばるは苦笑した。

「……だから、エージュが時間を停めた世界で、ガティス・コアは動けていない」

 はっとエージュは視線を走らせる。

 確かに、ガティス・コアは停止していた。セピア色の世界に埋もれている。

 先代と言えど、王の影であるなら、それは王そのものだ。

 王が、王ではない能力に負けるというのは、おかしい。

 絶句しているエージュに、すばるは静かに頷いて見せた。

「特権は、王が本来持ってるべきものを分け与えただけだから。議員のそれは、あくまでコピーで、原本には劣る」

 エージュは目を見張った。

 ガティス・コアが、過去からの引用だけで対抗しているのだというのならば。

 もしもそれが真実なら、ガティス・コアというのは、本当は。

「それじゃ……あれは、まるで議員じゃないですか」

「多分、そうだと思う」

「それが、真実なんですか?」

 問いかけたエージュに、すばるは首を振った。

「分からない。俺には、何の記憶も受け継がれていないから。でも、俺だって王として、世界の事を知ろうとはしてたよ。で、色々と考えたんだ。考えて、調べて、それで今この結論に達してる」

『貴方ともう少しだけ早く出会えていたら、私は貴方を選んでいたのかもしれない』

 初対面のアリシアが告げた言葉だ。

 エージュはてっきり、契約者の話だとばかり思っていた。

『いいえ。貴方しかいなかった、のかも』

 だが、本当は違ったのだ。

 アリシアは、王の話をしていたということだ。

「でも、待ってください。なら、どうして最後の議員だけ、明確な形として残さなかったんですか?」

「エージュが王だったら、時間なんて便利な特権、管理できない状況下で誰かに与える?」

「え? いえ……それは、危険だと思います」

「俺もそう思う。きっと、先代も。だから、あえてどこかの世界には、渡そうとはしなかった。本来なら、きっとロゼが受け取るはずだったんじゃないかな。最後まで一緒にいたわけだし」

 だが、実際はそうもいかなかった。

 だからこそ、王の影が……ふと、そこまで思考し、エージュは気づく。

「……先代までの王の記憶が、十四番目の議員……?」

「俺は、そう結論付けた。今回の世界構造で、記憶を引き継がせないという選択は、きっとそのためにあったんだ。だって、おかしいだろ。本来影は、その本体が消えてから初めて現れる。だとしたら、今までの王は、ずっとその前の王と闘ってきたのか、って」

「これまでは、記憶と言う存在そのものを引き継いできたから……影なんて、いなかった」

 呟いたエージュにすばるは頷いた。

「幸か不幸か、ロゼが特権を受け取れないままに、外に出てしまった。だから、ロゼを追いかけて目覚めたんだと思う。それがガティス・コア。王の柱の記憶中枢の名前なんだ」

 そう括ったすばるに、エージュは思考を整理していた。

 激情も収まり、エージュは本当に必要な情報を把握しようと努める。時間を巻き戻してもソエルを救えなくては何の意味もないのだから。

「確認しても、いいですか?」

 こくりと頷いたすばるに、エージュは向き直って尋ねる。

「ガティス・コアは十四番目の議員で、その特権は時間制御」

 すばるは無言で首肯する。

「もしも時間を戻したとして、王は記憶があるんですよね?」

「うん。それと多分、アルトやクオルも」

「なら、王が助けてくれれば、十分ですよね?」

 記憶を渡すことなく、王の能力で出来るならそれが一番確実だとエージュは判断した。

 しかし、酷く申し訳なさそうな顔をして、すばるは黙って首を振る。

「どうして駄目なんですか? まさか、王は世界に手出しできない、なんてこと言わないですよね?」

「そうじゃない。……言ったろ、俺は、本物の王じゃないんだ」

「でも俺は、時間制御以外は……」

「俺がその能力を発揮できるのは、王の柱だけなんだ。観測は出来る。だけど、それだけなんだ。王の柱以外では、俺はただ、見ているしかできない。どうしようもないほど無力な存在なんだよ!」

 強い口調で、叩き付けるように言ったすばる。

 エージュは言葉を詰まらせる。

 すばるが一番無力感に苛まれているのは明らかだった。

 王であるというのに、何もできない。誰も救えない。

 観測することが出来ても、何か手を加えることは出来ない。

 その歯がゆさは、エージュも知っていた。

 あの時、かつての故郷が滅びゆくとき、エージュが出来たのは、ただ逃げるだけだった。

 繋いだ妹の手を離さないように走り続けて。

 しかし、手を離した瞬間に妹は目の前で光となって消えた。

 だからこそ、命を救われたエージュは誓ったのだ。

 自分と同じ思いを誰かにさせたくないと。

 その為に、監査官として生きることを選んだのだから。

「その他の能力は、王はあるってことですか?」

「うん。でも時間制御だけは、王の柱でも使えない」

 頷いたすばるに、エージュは思案する。

 もしも、すばるが最後の能力である『時間』を手にすれば、ガティス・コアを止めることもできる可能性がある。

 本来十四番目の議員であるその存在を受け止めれば、議員が全員揃う。本当の議会の完成だ。

 だが、議員がいないからといって王の能力が損なわれるわけではないだろう。

 ならば、ガティス・コアを滅しても。

「俺は、みんなを救いたい。誰かが悲しむ世界を、俺は作ったわけじゃないんだ」

 すばるの言葉はエージュに深く突き刺さる。

 間違いでも、すばるは王になった。王として、世界を守るために力を尽くしてきたのは嘘ではない。

 だからこそ、ガティス・コアを含めた全てを守るために、すばるはエージュの能力を求めているのだ。

 最後の能力があれば、すばるは本物の王になることが出来るのだから。

 だが、エージュは素直に頷けないでいた。

 目の前で、ソエルが形も残さず消失したのを、その目で見てしまった。

 アルトを助けに飛び出したソエルは、肉片だけを残して、アルトさえ救えなかった。大切な人を殺した相手を助けるなんて、心情的にできるわけがない。

 ぎゅっとエージュは手のひらを握りこむ。

「エージュの記憶と存在を犠牲にしようとしてる俺が、言える台詞じゃないのは分かってる。それでも、俺は出来る限り悲しい想いは、させたくない」

「王……」

 すばるの言う事は、人として正しい。

 エージュも自分の力で、望む時間まで戻れるかは、分からなかった。

 そして、ソエルを救えるかもわからない。

 しかし不確定な希望を捨てたくない思いも、ある。

「それに……ガティス・コアの気持ち、俺も少しは分かるんだ」

 ぽつりと、すばるは言った。

 エージュがどこか睨み付けるように目を向けると、すばるは悲しい笑みを浮かべていた。

「だってさ、あれは王なんだ。王の、悲しみなんだ。……俺だって、一生懸命作った世界が、殺し合っていくのを見たらつらい。……でも、エージュの気持ちも分からないわけじゃないんだ」

「それでも、王はあれを助けるんですか?」

 突き放すようなエージュにすばるは、今度は優しく微笑んだ。

「世界の全部を受け止めるのが、王の役目だからな」

――ああ、そうか。

 エージュは、すばるの言葉が胸にすとんと落ちた。

 エージュは王になる気などない。

 そのリスクを抱えて生きるつもりもない。

 そして何より……ここに、ちゃんとその意思を持った本物の王が、いる。

 偽りの王として座していたとしても、意思は本物だった。

 世界を守ろうと、たった一人で戦ってきた。

――六連すばるこそ世界の、本当の守り人なのだ。

 そう思えたエージュは、そう思わせてくれたすばるだからこそ、頭を下げた。

「……ソエルを、助けてください。……その為なら、俺はこの記憶全てを差し出したって構わない」

 ソエルを救えるなら、それでいい。

 それと引き換えに忘れてしまうとしても、もともと、ソエルのいない未来など要らないと思ったのだから。

「あ、頭上げて。……ありがとう、エージュ。……その記憶は、大切に扱わせてもらうから」

 頭を上げたエージュに、そっとすばるが歩み寄る。

 すばるは手を上げ、エージュの額に手を伸ばした。

 その手が触れたら、エージュの記憶は抜き取られるのだろう。

 エージュは静かに瞳を閉じて、瞼の裏に思い出す。

 ソエルと共に過ごした日々を。

 ジノの元で、訓練に、任務に、励んだ日々を。

 そして、すでに存在しない、故郷の景色と、妹の姿を。

 その全てがあったからこそ、ここまで来れた。

 その全てを失ってでも、救いたい人が出来た。

 それはかけがえのない想いで。

 きっとソエルは、この選択を許してくれる。褒めてくれる。

 エージュらしい答えだよ、と笑ってくれるだろう。

 その笑顔が守れるなら。

 大切なパートナーの未来を切り開くことが、出来るのなら。

 胸にこみ上げる思いを飲み込んで、エージュはぽつりと呟いた。

――ありがとう。さよなら、……みんな。

 

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