第四話 世界星座 The 13 stars of a constellation 

 

 時間だけが無情に過ぎていく。

 かちこちと時計が刻む音が、うるさいほどに感じるというのに、目の前に広げた魔導書の文字がちっとも頭に入らない。

 これでは、クオルを救えない。

 そう思った瞬間に、アルトの視界は見る間に滲んでぼやけた。

 空虚感が胸中に見る間に広がっていく。

「は、うっ……」

 口を押さえて、アルトは強く目を閉じ、肩で息をする。

「あーちゃん?」

 呼びかけられた声に震えながら顔を上げると、執務室へ入ってきたシスと目があった。

 ばっと駆け寄って、シスはアルトの背中をそっとさする。

「大丈夫だから、ゆっくり呼吸して。深呼吸、出来る?」

 こく、と頷いてアルトは言われた通りに、深呼吸をする。

 吸って、ゆっくりと吐き出す。過呼吸に陥りかけたアルトを宥めるのは、いつもシスの役目だった。

 アルトの苦しげな呼吸が室内に響く。

 時計の針はすでに深夜二時を回っていた。

「もう……大丈夫」

「うん。少し、休もう。何か飲んで、落ち着こうか」

 アルトは黙って頷く。過呼吸に陥りかけて滲んだ涙を拭っていた。顔色も白い。シスはそっとアルトの頭を撫でるとお茶を入れに奥へと消えた。

 アルトは天井を仰いで、目を閉じる。

 エージュとソエルは、現在ランティスや本部の蔵書から何か方法がないか探している。

 ジノやファゼットも、別系統で調査を続けているはずだ。

 アルトは自分の唯一の武器である四元の章で、方法がないかを模索していた。

 世界最強と言われる四元の章であれば、あるいは何か見つかるかもしれない。

 そう信じて、滅多に読まない魔導書を広げていたのだ。

 まだ、魔導書の意味を噛み砕くので精一杯だったが。

 誰もが懸命に頑張っている。分かっているだけに焦りだけが募ってしまう。

 いつだったろう。前にも、似たようなことがあった気がする。

 ぼんやりと思考が沈んでいく。

 前にも、クオルを守ろうとして。

 ノイズが混じったような景色が、脳裏にちらついた。

 水たまり。ヒトの皮膚の色に似た、粘性のある水。

「あ……」

 ひゅう、と喉が鳴る。

「あーちゃん、大丈夫?」

「ひっ!」

 肩に触れた手を咄嗟に払いのける。

 呆気にとられたシスと、目が合った。

「へ……あ……」

 自分の行動に茫然となったアルトに、シスは笑みを浮かべた。

「何、寝ぼけたの?」

「俺……今、なんか……あれ?」

 ぽろぽろと、涙が零れ落ちていた。訳も分からず、痛む胸と止まらない涙に、アルト自身が困惑していると。

「……大丈夫、大丈夫だよ」

 そっとシスがアルトを抱き締める。いつもなら怒鳴り散らしてでも引き剥がす所だが、何故か今は安心が勝る。

 ゆっくりと頭を撫でられる感覚に、涙が収まっていく。

「……離せ馬鹿」

 落ち着いたアルトは、不機嫌に吐き捨て、シスを押し返した。

 大した抵抗もせず手を離したシスが苦笑する。

「根を詰め過ぎたんじゃないかな。少し休憩したほうがいいよ」

「うるさい」

「可愛かったなぁ」

「うっせぇ馬鹿! 掘り返すな!」

「さ、ココア淹れたから、ひとまず休憩しようか」

 ジト目で応接テーブルにココアと紅茶、ついでに茶菓子を持っていくシスの背中を見やる。

 カップを並べ始めた様子に、アルトは息を吐いた。

 デスクからソファに移動し、すとんと腰を下ろしたアルトは軽く頬を叩いた。

「本当に無理はよくないよ、あーちゃん。眠い中やると、効率は半減するものだし」

 目の前に座りながら、シスはそう苦笑した。

 アルトはぶすっとした表情のまま、ココアのカップを手に取り、口をつける。ココアの甘さが口の中に広がり、ささくれ立つ心が少しだけ平静さを取り戻す。

 シスは何も言わず、黙って自分用に淹れてきた紅茶のカップを傾けた。

 室内には何とも言えない重い空気がしん、と漂っている。

「……ミウと、ブレンは何か言ってたか?」

 先に切り出したのは、アルトだった。

 シスは静かにカップを置き、口を開いた。

「使えないクソ野郎とミウに罵られたくらいかな?」

「ミウらしいな。……それだけか?」

「あとは、そうだね」

 小さな笑みを浮かべ、シスはアルトに告げた。

「信じて待ってるから、しっかりやってよね、だって」

 ぴく、とカップを持つアルトの指が震えた。

「みんな、信じてくれてるよ。あーちゃんが目標としてること。それを、達成すること。だから……」

「だか、ら……?」

 不安に揺れる瞳を向けたアルトに、シスは淡く微笑んだ。

「自分を、信じていいんだよ。あーちゃんには、最後まで僕がついてる。最後まで、味方で居るから」

「俺は、兄貴を守れなかったら、きっと……駄目になるぞ」

 視線を伏せたアルトに、シスは迷いなく答える。

「その時は、僕があーちゃんを楽にしてあげるから、心配しなくていいよ」

 たとえその命を奪ってでも。

 それが、苦痛から解放する唯一の方法であれば、迷わずに。

 アルトは視線を上げ、シスを見やった。

 じっと、何を言うでもなくただ確認するために。

 やがてアルトは空になったカップをシスに突き付けた。

「……お代わり」

「はいはい」

 笑ってカップを手に席を立つシス。

 その背に、アルトはぽつりと言った。

「……ありがと、シス」

 やっと聞こえるくらいの小さな声だった。

 シスは背を向けたまま一瞬だけ足を止めかけたが、奥の部屋へとそのまま消えて行った。

 

◇◇◇

 

 さわさわと流れる風に、その髪をなびかせながら彼女は月を見上げていた。

 時折雲が白い姿を隠す空。

「私の覚醒が、お前の目覚めの引き金だなんて……なんと皮肉な結果だろうな」

 ぽつりと呟くと、ふと、風が止む。

 重力に引かれてはらりと流れた髪は、銀髪から葡萄色へ見事なグラデーションだった。

 死神であり監査官。生者であり死者である少女、ロゼ。

 先代の王と時間を共にし、今は先代の王の殻として存在する少女だった。

 記録としての彼女は、肌で感じていた。

 此度の問題の底にいる存在を。

 王の感情の意味を。

「私は……それでも」

 信じていたい想いが、ロゼの心にはまだ、くすぶっていた。

 

◇◇◇

 

 定例会議開始三十分前。

 少し早く会議場にやってきたクスフェは、先客を見つけた。

 自分の席に突っ伏して寝ているアルトである。

 そっと歩み寄っても、一向に起きる気配はない。

 すうすうと寝息を立てているが、その目元はくまがはっきりと出ている。

 この二週間、まともに寝ていないのだろう。

 広げた資料にもいろいろと書き込みがあり、他にもクスフェの知らない魔導書のコピーがあった。

 アルトは現状の打開方法を必死になって探し回っていたのだ。

 二週間で、良好になったかと言えばそうでもない。

 データ上は静かなものだが、いつまた影が湧き出るとも限らない。ヴァニティからの逆流量が以前と比較して倍になって、対処できるかもわからない。

 先行き不透明なままに、時間だけが過ぎていた。

 きゅっとクスフェは両手を握りしめる。

(だけど、それも今日で終わりにするんだ。私が、今度はアルトを助けなきゃ)

 クスフェの異変にいち早く気づいてくれたアルトに恩を返したい。それが世界を救う事と繋がっているだけだ。

 気持ちを引き締めたクスフェが自席に着こうと踵を返す。

「――きゃ……?!」

 悲鳴を上げかけ、クスフェは慌てて口をふさぐ。

 無言で立つ、炎武(えんぶ)が居た。

 炎のような緋色の衣装に身を包む、アルトと同い年くらいの少年である。

 炎武の燃えるような赤い瞳が、じっとクスフェを見下ろしていた。

「え……炎武」

「早いな、海蓮」

「い、いえ。アルトの方が、早かったです」

 尻すぼみになりながら返答すると、炎武は不思議そうに首を傾げる。

「アルト?」

「あ……水虎の、本名です。……あの、炎武」

「何だ?」

 クスフェは精一杯の勇気を振り絞って、炎武へ告げる。

「私は、変わります。だから、炎武もどうか、変わってください。私たちは、そのために居るんだと思うから」

「は……?」

「では、私も会議用の資料に再度目を通しますので。……失礼します」

 ぺこりとクスフェは頭を下げると、対角線上にある自席に向かって歩き出した。

 間もなく、会議が始まる。

 

◇◇◇

 

 会議室には評議員の他、すばる、エリス、アリシア、そしてココルが居た。

「さて、まずは死神側から状況を伝えようか。管理局は長いからね」

 ココルが率先して発言すると、用意されていた椅子からすっくと立ち上がる。

「現在、死神側は機動班で王の魂を探させている。ああ、先代の王の、だ。残念ながら、まだ見つかってはいない」

「それで、解決する可能性がある、って認識でいいのか?」

 尋ねたすばるに、ココルは頷いた。

「恐らく、ロゼが先代の王の殻です。であるならば、魂がどこかにある」

「なるほど。そっか……」

「その魂の暴走によるものなら、王の柱に導ければ恐らく解決すると、私は踏んでいます、王」

「そうじゃない場合については管理局側で対応というわけね」

 さっさと話を進めたアリシアに、ココルは満足げに頷いた。

 そうなんだ、と納得したすばるは議員へ視線を向ける。

「では、管理局側の対処について会議を開始します」

 今回の議長は奏空だった。

 一番に発言すると思われたアルトは、黙って自分の前に広げた資料を見つめていた。

 酷く、悔しそうに。

 このままでは、評議会が出す結論は見えている。

 アルトの精神は恐らくそれを黙って受け入れられない。

 ちらりと、クスフェはアルトを見やったが、視線を伏せているアルトは気づかない。

「あの……――」

「此度の問題についてですが、私の世界の技術で解決することが出来るかもしれません」

 クスフェが言いかけた言葉を遮るように、発言したのは奏空だった。

 会議場が、しん、と静まり返る。

 クスフェはぎこちなく、隣の席で凛と立っている奏空を窺った。

 奏空は軍人だった。その職に恥じない、信念を持つ男性だ。

 全員の視線を受けながらも奏空は、動じる様子を微塵も見せない。

「どういう、意味……ですか?」

 声を絞り出したクスフェに、奏空は口元に笑みを浮かべる。

「私の世界には、空子(くうし)と呼ばれる粒子がありましてね。その粒子を収集・濃縮する機械があるのです」

「それが何の役に立つ?」

 光流(こうる)が呆れたように口を挟んだ。

 光流の言う事も、一理ある。何かを収集・濃縮するにしても、その対象がなければ意味がないのだから。

「もちろんその通りです。でも、それは私の世界だけ、だったらの話です」

 クスフェは奏空の言い回しに、その意味を悟る。

 同時に、歓喜がこみ上げてきた。

 自分だけじゃなかったんだ、と。

「わたっ、私の世界は濃淡についての感知力を誇ることが出来ますっ」

 慌てて立ち上がったクスフェに、光流は視線を向け、頷いた。

 意図を悟ったようだった。

「私の世界ならば、純度管理は出来るな」

 ぽつりと口を開いた光流に、クスフェは嬉しそうに頷いた。

 会議場の空気が明るくなったような気がする。

「……修復のために必要な源泉のエネルギーを計算することなら、可能です」

『修復箇所の特定については我らで把握可能だ』

 白雷(はくらい)、色無(しきむ)が続く。その他の議員もぽつりぽつりと、発言していた。

 だが未だにアルトは暗い表情で目を伏せていた。多分、会話が頭に入ってきていないのだろう。

 クスフェが何とかアルトに声をかけようとした時だった。

 炎武がアルトに手を伸ばして、ばしんっとその頭を容赦なく引っ叩いた。

 唐突な出来事に一同が固まる。アルトは意味が分からない様子で、茫然と炎武に視線を向けた。

 炎武はまっすぐ前を見つめて、口を開く。

「ちゃんと会議に参加しろ。破壊の使徒を王の柱に閉じ込めたくないんだろ」

「え……?」

 それでもまだ呆けているアルトに、炎武はため息をついた。

「お前は……折角、議会一丸となって、助けようってのに」

「助け、る? 兄貴を……議会の、みんなで?」

 頷いた炎武に、アルトは呆気にとられた表情を浮かべる。

 その意味を飲み込むのに、時間がかかるのだ。

 だからこそクスフェは、アルトに満面の笑顔で告げる。

「協力すれば出来ないことはないはずです!」 茫然とクスフェの表情を見つめて、アルトはゆっくりと息を呑んだ。

「……ほんと、に? 本当に、兄貴を助けてくれるのか?!」

「それをするための会議だ、馬鹿」

 ぶっきらぼうな言い方だったが、炎武の言葉は肯定だった。

アルトは感極まったか、顔を伏せる。敵だけしかいないと、思っていたのだろう。

だが、今は違う。手を貸そうとしてくれる議員がいる。特権と言う世界最高峰の能力を持った十二人の……仲間が、ここに。

 その全ては、アルトが自分の力で手にしたものだと、クスフェは思うのだ。議会でずっと協力し合う必要性を訴えてきたのは、アルトだけなのだから。

「泣くな。泣くのは、助けてからにしろ。保証してるわけじゃない」

「うん。うんっ……」

 炎武の言葉に何度も頷き、アルトは目を擦った。 冷たい場所だったはずの会議室が、何だか暖かい気がする。

 クスフェですらそう感じるのだから、アルトはもっと、嬉しいだろう。

 それがクスフェには何より嬉しかった。

 

◇◇◇

 

――初めて熱を帯びていく会議を見つめながら、ココルはふっと息を吐き出す。

「ほんと、人が沢山いるのも、考え物だね。進展が遅い遅い」

「あら、だから人は面白いのよ。千差万別、十人十色。貴方だけじゃ、出せない答えを部下は出してるでしょう?」

 くすくす笑うアリシアに、ココルはやれやれと肩をすくめた。

「命令違反も甚だしいものだよ。予想通りとはいえね。まぁ、でもそうだね……」

 すっと目を細め、ココルは笑みを浮かべた。

「そうやって人を動かすだけの存在があるから、世界は面白いものだね」

 

◇◇◇

 

「シス、シスーっ!」

「あ、おかえりあーちゃ……」

 言い終わる前に、抱き付いてきたアルトに、シスは一瞬現実かどうかを疑った。

 執務室で片づけをしていたシスに、扉を開けると同時に抱き付いてきたアルトなど、今までない。

「でもまぁ、可愛いからいっか。今日は積極的だね、あーちゃんてば」

 疑問は全て思考の外に追いやって、シスはここぞとばかりにアルトを抱き締める。

「で、どうしたの?」

「だって、兄貴が助けられるかもしれなくてっ。議員がそのために協力しようってっ」

 声を弾ませるアルトだったが、いまいちシスには理解できない。説明が説明になっていない。

 ただ、シスとしてはこれだけ喜んでいるアルトを見られるだけでも、幸せだった。

「俺、嬉しくてっ……ほんとに、嬉しくて……っ」

「……そっか。よかったね、あーちゃん」

「うんっ……」

 胸に顔をうずめて頷くのは最早反則である。

 小さくため息をついて、シスはアルトの頭を撫でて、宥めた。

「……はぁ。僕の理性を褒めてほしいもんだよね」

「そうね。流石に同情するわね」

「へ……?」

 アルトがようやく冷静さを取り戻す。

 かちゃ、とテーブルの上にカップを置いたのは、頭に白いリボンを結わいた少女。紫色のワンピースに、ドレスエプロンをしている、いつものミウだった。

「ああ、いいわよ。そのままいちゃついてて頂戴。ゆっくりとここで、クオル様を待たせてもらうわ」

 我に返ったアルトは現在の状況に、凍り付いていた。自分の行動に対して、思考停止したのだろう。

 そんなアルトなどお構いなしに、ミウは続ける。

「必要なら家帰っていいわよ。あとはごゆっくりどうぞー。あ、ブレンがいるから気をつけなさいね。ちゃんと鍵かけて、声は控え……――」

「ばばば馬鹿言うなぁぁぁっ!」

 絶叫して慌ててシスを突き飛ばし、アルトは数歩下がる。

「残念」

 心の底からの言葉なのだが、アルトは青ざめた顔でそれでも睨み付けてきた。

 ミウは肩をすくめて手にしていた本に視線を落とす。

 アルトは数十秒前までを振り切るようにぶんぶんと頭を振って、びっとシスを指さした。

「いいかっ、勘違いすんなよ! 俺は、兄貴を助ける方法に前進があったから、嬉しかっただけで! ちょっと浮かれて、だから、勢い余っただけだからな!」

「はいはい。あーちゃんが僕の事を好きなのは分かってるから大丈夫だよ」

「ちっがぁぁぁぁうっっ!」

 全力で否定するアルトだが、残念ながらシスはそれをなかった事にするつもりはない。記憶に大切にしまい込むつもりだ。

「ま、改めて。今後の展開について教えてもらおうかな、あーちゃん」

「分かってるよっ!」

 一人で怒っているアルトに、シスは笑う。この距離感こそが、自分たちの適性距離なのだから不思議なものだ。

 

◇◇◇

 

 ゲートの源泉からエネルギーを収集・濃縮し備蓄。そのエネルギーをゲートに生じた穴の修復に使用する。

 することはたったそれだけだ。

 後は二柱の仕事を軽減するシステムを構築するだけ。

 主に穴の検索と修復のシステムだ。常にゲートの状態を掌握し、自動的にゲートに生じた穴を感知。その穴に対しての修復を実施する。

 ゲート自動修復システム。

 その為に様々な世界の技術を組み合わせる。全ての世界の元となる、十三世界の技術を利用して。

『うまくいくかは、分からない。でもする価値はある』

 それが議会の出した結論だった。

「で、その最前線基地がランティスの傍に出来るってことかぁ」

「これで何とか解決できることを祈るしかないな」

 魔法学院ランティスの屋上から、すぐそばにある湖が見渡せる。五分と離れていない場所にある巨大な湖は、つい先日、ヴァニティへのゲートを穿った小さな島がある。

 その島のすぐそばを今回の計画拠点とするらしい。

 全ての世界の技術を取り入れられるのは、ランティスと管理局本部のある世界だけであり、当然の流れではある。

 湖の中に浮かぶフロートの上に、建設中の施設。骨組みだけの、のっそりとした姿がここからでもよく見えた。

 エージュもアルトから連絡を貰い、ソエルと共にランティスへ戻ってきていた。

 結局、何も見つからなかった二人としては、議会で前進してくれたことでほっとしていた。

「大丈夫なのかなぁ」

「上手くいくさ」

 応えた声に、ソエルと共にエージュは視線を左へと移した。

 屋上の塀の上に座って、足を投げ出すヴェロスがいる。その隣で、ライレイは空を見上げていた。

 ヴェロスは笑みを向けて、頷く。

「エルミナさんが兄さんたちを何とか説得して、俺たちを使いに出したんだ。失敗したら、あの人の立場がない。だから、意地でも成功させようとする人がいる。だから、上手くいく」

「そうだといいな。それにしても、二人は、いつまでここに居られるの?」

 ソエルが問いかけると、ヴェロスは微かに表情を陰らせる。

「……今回の件が片付くまで、だな。そろそろ、俺達も次へ進まないといけないだろうし」

「やっと、会えたのに……それで、いいの?」

 ライレイはずっとヴェロスが輪廻の輪に来るのを待ち続けていた。

 そして、ようやく会えたのに。次へ進むという事は、今の自分を捨てて、新しく生まれ変わることだ。

 それは、永遠の別れになる。

「今度こそ一緒に生きるために、私たちは一度別れるだけですよ」

 ライレイがそっと呟いた。

 ソエルは黙り込み、眉尻を悲しそうに下げる。

「私は、こうしてヴェロスとまた会うことが出来た。本来なら、きっと有り得なかった再会。だから大丈夫だって、信じられるの。だって……」

――生きた時間よりも、待つ時間の方が長かったんだから。

 ライレイの言葉は、風に乗って切なく響いた。

 ヴェロスは黙ってライレイの手を握り締め、強く頷く。

「……また、会えるよね?」

「ええ、きっと」

 ソエルの言葉を肯定し、ライレイは微笑んだ。

「今は、この計画の成功を祈りましょう。……世界が変わる瞬間が、ここにはあるのだから」

 

◇◇◇

 

 ゲート自動修復システム本部(Gate automatic restoration system headquarters)……通称GARS(ガルス)本部。

 急ピッチで進められる本部のフロート建設現場は、主に白雷が指揮を執っていた。

 機械文明に特化した白雷が最適との判断だった。そこへ魔法技術を組み込むのは、光流や奏空が手を貸す。その他防御フィールドや、耐久力向上等、各議員の属する世界の特色を生かして、建設は進んでいた。

 監査官以外に学院の生徒も動員し、様々な文明と人種が入り乱れる現場だった。

 作業員は交代で休憩に入り、昼も夜も作業は絶え間なく行われている。

 現場指揮官もその例に漏れない。

「白雷様ぁ、そろそろ交代の時間ですよ」

 上空で現場監督をしていた白雷は下から呼びかけられ、無言で頷くとフロートへ着地した。

 待っていたのは、目隠しに黒いローブをすっぽりと被った、いつもの星闇(せいあん)だ。

 夜こそ星闇の領域であるため、日没を境に交代する。

「何か変化は?」

「順調に進んでいる。作業効率は二%パーセント低下しているが、完成時期に大きな影響はない」

「了解。……お疲れ様、セイン。ゆっくり休んで」

 ぽん、と肩に手を触れ、星闇はかつかつとGARS本部の奥へと進んでいく。

「あとは任せる、……アンティノラ」

 答えて白雷はメンテナンスのため、自身の世界へと帰還した。

 

◇◇◇

 

――あの日を境に議員も、変わった。

 出来る限り、役職名ではなく、本名で呼ぶようになったのだ。

 色無だけは集合意識体であるため、名がない。それを除けば、今や大半が名前で呼び合う。些細ながらも大きな変化を与えたアルトはと言えば、毎日げんなりした顔で作業にやってくる。

「アルト、また眉間にしわが寄っているよ」

 ぴっと自分の眉間を指さし、実覇(じっぱ)が笑った。

 本名、銅山深怜(どうざん みれい)。クスフェと同じく、幼い少女だが拳ひとつで岩を砕く。特権の使用もせずに自分だけの力で成すのだから、銅山家の修業がいかに過酷かが窺える。

「寄せたくもなるっつーの。毎度毎度鬱陶しい……」

「ああ、保護者か」

 こくりと頷いて、アルトはため息をついた。

 この所、執務室で過ごす時間が少ないせいか、帰るとシスに引っ付かれる日々だった。帰宅時は流石に疲れているので、好きにさせているのが原因とは分かっているが、いちいち突っ込む気力もない。

「寂しいからではないか? 忙しいから」

「俺は男だぞ。じょーだんじゃない……」

 腕を抱いて身震いしたアルトに、実覇は苦笑した。

「どちらかと言えば、子離れできない親だな、アルトの保護者は」

 どっちでも同じだ、とため息交じりに零し、アルトは建設中のシステム本体を見上げた。

 計画の要であるシステムはGARS本部の中央に位置する。

 排気ダクトやケーブル、チューブ等が剥き出しの状態で、武骨な本体を晒している。これからまだ、計器や操作パネルが設置されていく計画だ。

「なぁ、深怜」

「どうした?」

「大丈夫だよな……?」

 何が、とも言われずとも実覇は汲み取って同じくシステム本体を見上げる。

「これで駄目なら、そこまでの世界だ。だと、思わないか?」

「……そうだよな。それに、その時は……」

 最後まで言う事なく口を閉ざしたアルトに実覇は一瞥寄越す。

 ぽん、とアルトの腕を軽く叩いて実覇は踵を返した。

「さぁ、持ち場につこう。アルト」

「……ああ」

 頷いて、アルトも踵を返した。

 まだ、チェックメイトではないのだから。前だけを見ていればいい。

 

◇◇◇

 

「待機命令か……暇だな、蘭」

「でしたら自己鍛錬でもなさったらどうです? 先輩は毎日鍛錬に励む必要があるのです。だから私のような後輩に易々と追い抜かれるのです」

 辛辣な言葉を放った蘭に、先輩死神であるネシュラは言い返す言葉がなかった。

 かつては蘭の面倒を見ていたネシュラである。しかし独り立ちしてからの蘭の活躍は目覚ましく、ネシュラはあっという間に実力を追い抜かれていた。

 蘭は最終調整橋の川原に腰をおろし、足を川に浸して優雅に読書していた。

 ネシュラはその隣に寝転がりぼんやりと薄桃色の空を眺めている。

 現在セイヴァーはこの最終調整橋にて待機命令が出ていた。

 結局のところ王の魂を見つけ出すことは出来ていない。

 そんな状況下で総統から出された待機命令。

 従う以外ないのだが、もっと情報が欲しいというのが全員の願いだろう。

 班長であるロアは、不機嫌そうにあれこれとデータ検索をしていた。

「でもまぁ……」

 ネシュラは転がったまま、ちらりと視線を向ける。

「勿体な……ぐふっ?!」

「あら、ごめんなさいです。先輩」

 腹に思いっきり拳を振り下ろした蘭は、涼しい顔をしてその手でページをぺらりと捲った。

 腹を抱えて呻くネシュラに、同僚達がくすくす笑う。

 涙の滲んだネシュラの視界の先には、同僚のキアシェとペイル、そしてクオルが居た。

 何とも微妙な空気で会話を交わす彼らだが、それだけでも分かることがある。

 立ち入れない思いをそれぞれに抱えていることが。

「先輩、休んでおけるうちに休んでおくべきなのですよ」

 不意に、蘭はそう告げた。

 ネシュラは蘭の凛とした横顔を見やる。ゆったりと本のページをめくる蘭は、ネシュラの返答を待たずに続けた。

「管理局が事を起こせば、休む暇などなくなりますです。……交代休憩なんてできないのです」

「何でそんなことが分かるんだ?」

 ネシュラが問いかけると、蘭は初めて視線を合わせた。

 黒曜石のような瞳がひたりとネシュラを見据える。

「女の勘ですの。私は外したことがないのです。間もなく……」

――世界のカタチが大きく変わるのですよ、先輩。

 生温い風が蘭の短く切りそろえられた黒髪を、ふわりと靡かせた。

 

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