第一話 緋弾の少女
常日頃、アルトは真剣に考えていた。
監査官に全うな給料を払ってもいいんじゃないかと。
危険手当、という名目でもって給料を払うことはおかしくはないはずだ。
「水虎(すいこ)はいつも日常にどっぷりつかった意見をもっているね」
頬杖をついて楽しげに眼を細める、雪桜(せつおう)。
透き通るような白い肌に、純白の髪。着ている着物も、ごく淡い青。白に統一されたその外見で、唯一強い色を宿すのは瞳の翠だった。猫のような瞳を細めるその姿は、幻想的ですらある。
だが幻想的とはかけ離れた、至極合理的な思考回路を有するのが雪桜という存在だった。
アルトは正直、雪桜が苦手だった。どちらかといえば、アルトは感情を優先する。雪桜とは真逆の思考回路だ。
「お前らが無頓着過ぎんだよ」
仏頂面で、癖のない金の髪をがしがしと掻くアルトに、雪桜はくすくすと楽しそうに肩を揺らす。
「貨幣と言う概念がどこでも通用するわけではない。実に水虎らしいがな」
ぼそりと呟いた炎武(えんぶ)を反射的にアルトは睨み付ける。
けなしてもいないが、褒めてもいない言葉だ。
『水虎』とはアルトの魔導評議会での肩書だった。
雪桜や炎武も、本名は別にある。
アルトとしては、肩書で呼ぶのも呼ばれるのも嫌いだった。
どうにも、無機質な感覚が拭えないせいで。かといって、自分だけ呼ぶわけにもいかない。妙な所でプライドが邪魔をする。
「あーぁ。勿体ないね水虎は。金髪碧眼。黙っていれば美少女なのに」
実に残念そうに零した雪桜に、アルトは口角を引き攣らせる。
アルトは口調が粗暴で、すぐに眉間に皺を寄せるのが短所だと、雪桜はよく言う。加えて外見も何を間違ったのか、少女と勘違いされる屈辱に時折晒される始末だった。
いずれにせよ、アルトには歓迎すべき内容ではない。
ぷいっと視線を雪桜からそらせば、その先には炎武が座し、会議開始までの読書をしている。
炎の揺らめきのような輝きの金髪に、臙脂色の外套。
堅く引き結んだ口元と、切れ長の瞳はともすれば他者を拒絶しているようだった。
普段は黙っているが、炎武は何故かアルトの発言に突っかかるような言い方をする。だからつい、アルトも返答がぶっきらぼうになってしまうことを自覚していた。
それでも自分の考えだけは貫き通す。
「必要としてる監査官だっているだろ。特に管理なんて時間がかかることが多いわけだし」
アルトの主張に、炎武は視線を上げて、小さく息を吐いた。
「……お前の場合、個人的感情が強すぎる。大方、身内に対する配慮だろ」
「な、兄貴は関係ないっ!」
即座に噛み付いたアルトに、やれやれと炎武は頭を振る。
監査官である兄の存在をどこか頭の隅に置いていたアルトとしては、炎武に突かれたことが悔しかった。
敵意をむき出しに睨みつけるアルトに、雪桜は軽く笑う。
「悪くはないけどね、水虎。ただ、その資金源はどうするつもりだい?」
雪桜に問いかけられ、アルトは口を濁す。
正直、痛いところを突かれた。
共通の貨幣があるわけでもなし、ましてや言い値ではそもそも報酬としての意味をなさないのだから。
そんなアルトの葛藤を眺めていた雪桜は口元に笑みを浮かべる。予想通り、とでも言いたげだった。
「では、それは次回までの課題という事にしよう。よろしいかな?」
「……分かったよ」
渋々頷いて、アルトはため息をついた。
時計を見やる。
定例会議開始まで、あと十分を切ろうとしていた。
◇◇◇
「わー! さすが監査官上位主義の議員のアルト様」
「馬鹿にしてるな? 馬鹿にしてるだろ」
「滅相もないですよー」
けらけらと笑いながら手を振って否定するのは、ソエル。
よくまぁ、議員相手にそうも直球態度で居られるものだと、傍らでエージュは感心していた。とても自分ではできない。
各議員一人ずつに与えられた本部の執務室。
アルトの執務室にソエルとエージュは最近よく遊びに来ていた。
一度打ち解ければ、アルトほど親しみやすい議員はいない。
そんな感情が、知らずこの部屋に足を向けさせているのだろう。
それはある種の才能だと、エージュは思っていた。
デスクと、応接用のテーブルと二人掛けソファーが二つ。
アルトの座るデスクの後ろは窓ガラスで、外からの光を部屋へ導いている。
きらきらと外の光に照らされたアルトの髪が、ソエルにとっては憧れだそうだ。エージュにはよくわからないが。
「お前もそう思ってんだろ?」
不貞腐れた様子でエージュに話題を振ったアルト。
エージュはその問いに対する回答は用意しておらず、内心で慌てる。
「え、いや別に。むしろ考えたこともなかったので……」
エージュの回答に、アルトはがっくりと肩を落とす。
どうやら、フォローにはならなかったようだ。
そんなアルトの前に、ココアの入ったマグカップが置かれる。
黒髪に黒衣装。その上に羽織るマントも黒に近い濃緑色な全身黒づくめのシス。
黒一色だというのに、どの黒も違って見える不思議な男だ。
見るからに冷たく暗い印象を与えるが、アルトの世話を甲斐甲斐しく焼くのだから、不思議だった。
カップを置いたシスの右手は、そのままアルトの金色の髪の上に静かに置かれる。
「……んだよ」
鬱陶しげに目を上げたアルトに、シスは微笑んだ。
「あーちゃんの気遣いが細かすぎてみんな分かってないだけだよ。僕はあーちゃんの想い、ちゃんと分かってるよ?」
「……るせーな」
どこか恥ずかしそうに目をそらしたアルト。
見ていてどこか微笑ましいのは、いつも通りだ。
そして続いて紡がれる言葉も、予想通り。
「僕の事が好きだとかね」
「何の話だ! 何も関係ねーじゃねーか! しかも思ってねーし!」
「はいはい、照れなくても大丈夫だよ」
「馬鹿言うな!?」
打って変わって怒鳴りつけるアルトを、シスはまるで子犬と戯れているかのような余裕さで受け流す。
アルトにとっての一番の理解者たるシスは、常にアルトの逆鱗に触れているのだ。
それも、わざと。もっとも。
「……ほんと、仲良しですねー。お二人も」
ぽやんとした笑顔を浮かべたソエルに、それぞれが返す。
「どこがだっ!!」
「当然だよ」
当然のごとく否定するアルトに、飄々とした態度を崩さないシス。即座にアルトはシスを睨み付けていた。
本当に、見ていて微笑ましい光景でしかないのだから、不思議なものだ。
◇◇◇
本来、議員は監査官にとって崇高な存在である。
次元総括管理局の職員たる監査官は、魔導評議会の指揮のもと活動するのだから。
エージュも、つい最近まではそう思っていた。
いや、今でも崇高な責務を負った立場であることを疑ってはいない。
ただ、議員も同じように悩んで、苦しんでいる『ヒト』であることを知り、少しだけ身近に感じることができるようになっただけで。
アルトに出会ったからかもしれない。
そうでなければ、きっと一生、議員は別の次元に存在するものだと思っていただろう。
ただ、アルトは議員の中でも異端であるらしい。
どちらかと言えば、現場に寄った思考をしているからだ。
優先順位は『世界』より世界を守るべく日夜命をすり減らしている『監査官』が上なのだから。
一般的な議員の考えとは正反対だった。
でもお蔭でエージュたちは、アルトを慕うことが出来るのだ。
「お前ら仕事は?」
ようやく怒りを収めたアルトは、マグカップに口をつけながら疑問を投げた。
「今週は、単位取得しておこうかと」
「単位? あぁ、そっか。お前らも学院の生徒だもんな」
ソエルとエージュはそれぞれ頷いた。
魔法学院『ランティス』と呼ばれる世界がある。
あらゆる魔法に関する蔵書が納められた図書室を有する、数ある世界の中でも特殊な位置づけにある世界だ。
学院は監査官を受け入れる体制を保持しており、望めば学院の生徒として過ごすことができるようになっている。
もっとも、エージュは事情が特殊なため、そこにしか明確な居場所はない。
「アルト様も、生徒なんですよね?」
「……一応、まだ籍は置いてある」
歯切れ悪く答え、アルトは寂しげに目を伏せた。
それ以上の質問を踏みとどまらせるには十分な挙動。
アルトの傍らに立つシスは心配そうにそれを見やったが、声をかけたりはしなかった。
「……俺もたまには、学院に行くか」
ぽつりと呟いて、アルトは立ち上がった。
「あーちゃん、無理は良くないよ?」
「無理じゃねーよ。……心配すんな」
「……仕方ないね」
ふう、と小さく息を吐いて、シスは手早くマグカップを下げていった。それを見送るアルトは、どこか緊張した面持ちではあるが、滲む気配は特段落ち込んではいなかった。何か理由があるのだろうが、エージュには分からない。
羽織っていたケープを外し、椅子の背もたれに引っかけるアルトを目で追いかけながら、エージュは胸を撫で下ろす。
「アルト様も、授業に出るんです?」
首を傾けたソエルのツインテールが、ひらりと揺れる。
アルトは苦笑して、頷いた。
「ま、久しぶりに勉強するのも悪くねーかなってさ」
◇◇◇
「お出かけですか? アルト」
部屋を出てすぐにかけられた声に、アルトが足を止めた。
その視線の先には、アルトに瓜二つの顔をした双子の兄であるクオルがいた。
白の法衣に、肩には青い小型竜。
浮かべる微笑はアルトと異なりどこか儚く、柔らかい。
「ちょっとな。兄貴が一人とは珍しいな」
「ブレンはミウとお留守番です」
それは珍しい。
内心エージュも驚いた。
クオルは四六時中付き人であるブレンがいる印象なのだ。
いかにも一般人オーラの抜けないブレンは、あれやこれやとクオルの行動に口と手を出す。
アルトにとってのシスもそうだが、過保護な付き人と言う印象が強い。
「それに僕だってたまには、一人になりたいときもありますよ?」
「そりゃそうだ」
苦笑で返したアルトに、クオルは微笑んで頷いた。
パッと見た印象では区別がつかないと言われる二人だが、こうしてみれば、笑い方や気配が違うものだ。
「まぁ、ブレンの場合は心配してくれてるだけですから、無下にも出来ないんですけどね」
「俺は即行で振り切りたいけどな」
背後に立つシスをぎろりと睨み、アルトは暗に反抗する。
だがシスにそんな言葉が通用するはずもなく、得体のしれない笑みを返されているだけだった。
「エージュさんとソエルさんも、ご一緒ですか?」
話題を振ったクオルに、ソエルはこくんと頷いた。
「今週は学院で単位取得に勤しむんですよー」
「えっ……?」
僅かに表情を強張らせたクオルに、アルトが心持首を傾げた。
エージュも、その反応は若干意外で。
その意味を測り兼ねていると、クオルはそっとシスに視線を向けた。
何かを、確認するように。
「大丈夫だよ。ちゃんと僕もついてるから」
「……そう、ですね」
堅い表情ながら頷いたクオルに、アルトは即座に不機嫌な表情を浮かべた。
「変態が一緒だと安心っていう兄貴の心理が信じらんねー……」
「一番信用してる人に対してなんて事言うんですか……もう」
「誰がっ!」
「え、アルトですよ?」
さも当然のように真顔で返されたアルトは口を濁した。
こうなってはアルトがクオルに勝てるわけもない。クオルは天然だ。とかく、仕事以外は。
笑いをこらえるソエルをエージュは肘で小突く。
気持ちは分かるが、失礼だった。
それにエージュにとっては、クオルは恩人で目標で、頭が上がらない人なのだから。
「とにかく、出かけてくるからな! 兄貴も、たまにはちゃんと休めよな!」
「はい。いってらっしゃい、アルト」
笑顔で送り出され、言葉に窮し、アルトはぷいっとそっぽを向いて歩き出す。
恥ずかしいのだろう。アルトは直球の感情に弱い。
苦笑するクオルの脇を掠めて、転送フロアの方向へ歩いていくアルトに、シスが苦笑しつつ続いた。
「あの、失礼します」
「アルトをお願いしますね」
クオルの言葉に曖昧な笑みを返し、エージュはソエルと共に一礼するとアルトを追いかけた。
◇◇◇
世界と世界を繋ぐゲートシステムは、ゲートパスによってその権利を行使できる。
ゲートを抜けた先は、魔法学院ランティスと呼ばれる世界。
学院と言う青春漂う響きとは裏腹に、どこか暗い印象を与えるその学び舎。三棟からなる、古城のような外観の学院。
だが、城と言うより要塞という方がしっくりくる武骨さだ。
とても、希望を与えてくれるような外観はしていない。
そんな学院裏口に、エージュたちは転送を完了させる。
「……久々だな、この感じ」
学院世界の空気を吸い込み、ぽつりとアルトが零す。
その声音はどこか寂しげな気配を纏っていた。
アルトの見上げた空は、今にも泣きだしそうな黒い雲に覆われている。
どこかそれは、アルトの感情と同調しているように感じた。
「とりあえず、午後の授業確認して、受けにいこ、エージュ」
ソエルの明るい声音に、エージュは、はっと我に返る。
「あ……ああ。アルト様は?」
「俺は禁術講義くらいしか残ってねーからな。なかったら、部屋の片づけでもする」
「あーちゃんの部屋はゴミ屋敷だもんね」
うるさい、とぴしゃりと跳ね付けたアルトに、やっぱり楽しそうなシス。それが通常の光景なのだから、実に謎だ。
くるりと背を向けて歩き出したアルト。言われずともついていくシスのコンビネーションにソエルが腕を組んで感心している中、エージュはそっと学院を見上げた。
武骨で、どこか仄暗い。
だがその景色はエージュの心を安堵させる。
「……ただいま」
かつて、自分の故郷を失ったエージュ。
帰る場所があることは、それがどんな場所でもエージュにとっては安息の地だった。
◇◇◇
「久々だねぇ、この空気」
ひらりとスカートの裾を翻しながら、楽しげにソエルが先を歩く。
一旦自室へ戻り、着替えをそれぞれ済ませ、エージュはソエルと中央棟二階にある食堂前で待ち合わせた。
現在は渡り廊下を使って、東棟の講義室へ向かっている途中。
学院の制服と呼べるのは地味な黒のジャケット位なもので、ほとんどの学生は羽織っているだけの状態にある。
ソエルも、シンプルなオフホワイトのブラウスとブルーのスカートに防寒用のローブを羽織っていた。
ペンケースとノート片手に歩く姿は、一般の学生と変わらない。普段は命の賭けた現場で奔走しているとは思えないほどだ。
「そういえば、午後は何があったんだ?」
「私たちの取れるところだと、魔法基礎理論だよ。教官が基礎からちゃんとやって来いって言ってたし、丁度いいよね」
「魔法基礎理論か……」
正直、今更と思わないこともない。
普段から魔法は使っている上に、自己アレンジさえしているのだから。
ただ、自分たちの知っている情報量が正しいかは不明だ。
ソエルの言葉も、否定は出来ない。
東棟まで渡りきると、そのまま三階へ向かう。
各階講義室は三つずつあり、ソエルの先導で中央にある三〇二講義室へ。
開け放たれた扉の先には、檀上の教室ですでに着席している生徒がいた。
「真ん中くらいがいいかなぁ」
単位制の講義で、座席は特に指定されていない。
きょろきょろと視線を巡らせて、ソエルは空いていた中央のあたりを陣取る。
早速持ってきたノートやペンケースを並べて、ソエルは授業準備を開始した。エージュは黙って隣に腰をおろし、教室前方の黒板へ視線を移す。
何というか、安全が確保された場所にいるとどうも気が抜けてしまう。
安堵と言えば聞こえはいいが、エージュはそんな自分に辟易していた。監査官としては、常在戦場の心持でいたい。
「……?」
ふと、エージュは誰かの視線を感じた。
いそいそとノートを広げるソエルの、左手前方。一段下の、通路を挟んで左側。
そこに少年と少女が一組、座っていた。
黒髪の少年はあくびをしながら何かの本のページをめくっている。さして興味もなさそうに手を動かす様子から、テキストの類かもしれない。
その左側に、少女がいる。
茶髪の三つ編みを左右の肩に垂らした、緋色の瞳をした少女。
――その少女は、少年の陰から何かを窺うように、じっとこちらを見ていた。
エージュと視線がぶつかると、何事もなかったかのように少女は視線を正面へと戻した。
一瞬、見間違いかと思うほどに、ごく自然に。
だが、エージュの背筋を、ぞわぞわと虫が這うような感覚が襲う。
不安あるいは恐怖……何がしかの負の感情が駆けていく。
「ソエル、あれ、知り合いか?」
「ん? 誰?」
視線を少女へ向けたまま、エージュは小声でソエルに確認する。
その声音は自分でわかるほど緊張し、震えていた。
ソエルはエージュの様子に眉根を寄せたが、視線の先を黙って辿る。
「ああ、確か……ライレイだね。監査官だよ」
「何か言いたげにこっち見てたけど」
「えぇ? 私、話したこともないし、どっちかって言えば、ライレイたちの方が有名じゃないかなぁ」
「有名?」
うん、と頷いてソエルは声を潜めてエージュにそっと耳打ちする。
「ライレイと、あの隣にいるのがヴェロスだと思うんだけど。つい数か月前に監査官になったと思ったら、あっという間に上級まで上り詰めてるんだよ。凄い強いって本部では有名になってるの」
エージュは情報に疎いので、ソエルの話は初耳だった。
確かに、近寄りがたい何かを放っている気もしなくはない。
ただ、強いイコール近寄りがたい、ではないことは嫌というほどエージュは知っている。
そんなエージュの思考を他所に、ソエルはこそりと付け足した。
「このままいけば、月末には特級監査官かもって」
「それはさすがに厳しいだろ」
目を見張ったエージュに、ソエルは軽く肩をすくめてみせた。
「わかんないよ? 監査官って、活動歴じゃないもん」
確かに、ソエルの話を一笑に伏す事は、憚られる。
エージュですら、上級に昇級したのは異例の速さと周囲から囁かれているくらいだ。
年齢や監査官歴では一概に語れない。
そもそも、自分の努力がむなしく思えてしまうゆえの、抵抗かも知れないな、とエージュは自省した。
あるいはライレイという少女は、コミュニケーションが苦手なだけかもしれない。かつての自分のように。
「後で用件でも聞くか」
「うん。そうだねっ。知り合いが増えるのは嬉しいよね!」
……そういう問題では、ない。
嘆息しつつ、エージュは再度視線をライレイへ向ける。
真っ直ぐに前を見つめるその姿は、どこか作り物めいていた。
視線の先にあるものは、興味の対象ではないような。
あるいは……そもそも、その先にはなにもないような。
エージュは、そんなライレイの姿に引っ掛かりを覚えた。
その理由を問われたところで、明確な答えは返せないのだが。
◇◇◇
魔法基礎理論の講義が始まるころには、席はほとんど埋まっていた。
うるさいと感じる程ではないが、こそこそと囁く声が重なり合っている。
あれ以来、ライレイが視線を向けることはなかった。
勘違いか、あるいはただの偶然だったかと片づけるには十分なほどに。
だが、それでもエージュは喉に何かが詰まったような感覚が拭えないでいた。
ソエルには流石に相談できない。自分でさえ分からない焦燥感だった。
教室の後ろにある入り口から、囁きが波のように引いていった。担当教員がやってきたのだ。
ソエルは持参していた魔導書をぱたりと閉じて、机の下に仕舞う。
エージュも頬杖をついていた顔を上げ、僅かに姿勢を正す。
教員特有の紺色のローブは見慣れていた。
二人の教官であるジノも非常勤ではあるが、教員の一人で同じローブを着ている。
担当教員として入ってきた人物が、壇上に立つ。
その人物に、ソエルとエージュは軽く目を見張った。
肩口で切りそろえられた緑灰色の髪。目尻が下がった目元が、優しげな空気を滲ませている。
外見年齢は十代後半。
しかし実年齢は軽く百歳を超えている『異種魔導研究室』の先任助教にして事実上の室長でもある人物。
――ファゼット・ドーヴァ。
ファゼットは、次元総括管理局の三課のうちの一つ、転送処理課の課長だ。
てっきり、そちらがメインの仕事で、ジノと同じく非常勤のようなものだと勝手に認識していた。
思わず唖然としていると、ファゼットは携えてきた本を教壇の上に置く。
その所作は慣れている。
確実に場数を踏んだ動作だった。意外、というしかない。
エージュたちの思考を他所に、ファゼットはおもむろに室内をぐるりと見渡した。
「……じゃあ、そこに座ってるキミ」
不意にファゼットが指をさす。
その先に居たのは、ライレイだった。
ライレイは戸惑いを見せることなく、すっと立ち上がる。
実に堂々とした態度で、ライレイはファゼットの次の言葉を待っていた。
ファゼットは手を降ろし、ゆっくりと頷く。
「魔法発動の三つのプロセスとは?」
「収束、誘導、発散です」
即答し、ライレイは一礼すると静かに着席した。
戸惑いも躊躇いもない、受け答えだった。
ファゼットは満足そうに頷き、視線を教室に巡らせながら口を開く。
「正解。収束はすなわち意識の集中。誘導は呪文と勘違いされがちだけど、発動させる魔法に対して意識を傾けること。強いて言えば、呪文は手段だね」
変声期を経ていないような、若干高いファゼットの声がそう解説する。
なるほど、とエージュは心の中で頷いていた。
呪文が同一でなくとも、同じ事象は起こせる。
エージュですら、慣れたものなら無詠唱で魔法を発動できるくらいだ。
それぞれが感覚的にこなしていたことに、初めて根拠を得ていた。これは確かに、受けて損はない。
逆に言えば、今まで受けてこなかったのは大損に近い。
ファゼットは白いチョークで黒板に板書をしながら、解説を続けていた。
「重要なのは収束と誘導だね。魔法発動に必要な集中と、発動のイメージ。これが上手いと高等魔法でも楽にこなせるようになる」
へぇ、とどこからともなく感心の声が漏れる。
魔法学院というだけあって、もともと魔法に関して親しみのある者が多いが、こういった理論は珍しいのだ。
収束。誘導。発散。
どこか人の一生と似ていると、エージュは思った。
「ところで、根本的な問題なんだけど……魔力を使い果たすと死ぬって思ってる者、挙手」
不意に、ファゼットはそんな問いを教室へ投げかける。
微かなざわめきが室内に広がる。
エージュも、思わずソエルと顔を見合わせていた。
魔力は魔法の源だ。そして魔法を使い続ければ強烈な疲労感が伴う。酷使し続ければ、それは死に至るだろう。
だがファゼットの問いは、それを暗に否定していた。
戸惑いながら、挙手する者がぱらぱらと現れる。
ソエルとエージュも怪訝そうにしながらも、挙手。
二人とも、嘘も見栄も苦手だった。
一通り教室内の空気が落ち着くと、ファゼットは口を開いた。
「いいよ、下ろして。うん、まぁ、そう思うのも仕方ないね」
戸惑いつつ、手を降ろす生徒たち。
そんな生徒に薄く笑って、ファゼットは告げた。
「魔力は、本来人の中にあるものじゃない」
「えっ……」
どよめきが再び室内に走る。
そんな戸惑いも、涼しい風のようにファゼットは続けた。
「魔力は本来、大気中にあるもの。だからこそ、魔法が使用できない世界がある。魔力が体内にあるのなら、そんな事象は起こらないことの逆説だね」
確かに、とソエルがぽつりと同意した。
顎に手を当て、ソエルは思考モードへシフトした。
こうなると、ソエルの頭の回転速度と集中力は飛躍的に向上することを、エージュは良く知っている。
「となると、どこから魔力を調達するか。さて、もう自明のことだね」
――大気中の魔力を利用するしかない。
そう驚きと共に理解したエージュの横では、ソエルが視線を伏せて思考している。
独り言を零しながら。
「となると、収束の意味するところって、大気中の魔力をかき集めるという過程だよね。で、誘導が魔力を魔法として変換する過程。なら考えうる高い魔力っていうのは……」
ぼそぼそと、ソエルが呟く言葉が、エージュの思考を阻害する。
自分で何か考える前に、ソエルが答えに近い何かを紡ぐのだからたまったものではない。いつも通りではあるが、折角講義を受けている意味がなくなってしまう。
流石に止めようとエージュが口を開きかけた刹那。
「つまり、魔力が高い人っていうのは、魔力を受け入れる能力が高い人ってことですね!」
ソエルは唐突に立ち上がると、ぱぁっと表情を輝かせて思考の結論を発言した。
一歩遅かったようだ。
一斉に教室内の視線が集い、エージュは恥ずかしさのあまり顔を伏せ、頭を抱えた。
「はは……正解。とりあえず、座ろうか? 独り言は静かにね」
「す、すみませんっ」
我に返ったソエルは頭を下げるとすとんと席に着いた。
室内に小さな笑いが響く。
やっちゃったぁ、と苦笑いを浮かべたソエルの精神的強さに、エージュは若干感心した。
今の失態を自分が犯していたなら、エージュならば教室から逃げ出している。
ソエルはそれでも授業続行の心持ちなのだから、真似はしたくないが、尊敬はする。
「……今の独り言の通り、魔力は外から取り込んで、自分の中で処理されて魔法に変換される。つまり取り込めない人というのが、魔法体質ゼロの人。じゃあ何故、魔力切れという概念があるのかは……わかったかい?」
ソエルにファゼットが尋ねる。
唐突な質問にソエルはびくっと背筋を伸ばした。
一旦視線を伏せ、小さく頷いたソエルは頬をかきながら、自信なさげに答える。
「えぇと……魔力はそのまま利用されてるんじゃなくて……体内で濾過回路を通ってるんじゃないかな、って」
「へぇ、凄いね。短期間でそこまでちゃんと考えてるとは」
感心したファゼットに、ソエルは照れ笑いを浮かべた。
「まさにその通り。魔法に変換できない魔力は、毒と同じ。処理前に次々に取り込めば毒が蓄積されてしまう。人の体っていうのは、耐久以上は取り込めないような防御機構があらかじめ備わってる。だから本当は魔力が取り込めなくなる状態を指すんだよね」
うんうん、とソエルが若干身を乗り出して頷く。
興味が前のめりなソエルらしい行動だった。
若干呆れつつ、そっとため息をついたエージュの耳に、その声は聞こえた。
「ひとつ、質問していいですか」
挙手したのは、ライレイの隣に座る……ヴェロスという少年だった。
ファゼットが視線を向けると、笑顔で促した。
「その限界を超えたら、死ぬって理解しても?」
「イコールじゃ、ないけどね。魔力だけが人の命を保ってるわけでもない。魔力暴走することが多いかな」
魔力暴走。それが動植物であるのなら、魔物化する。人であっても同じだ。抑えきれない魔力が精神と肉体を壊す。
物理的な種族の枠を破壊し、更に理性を狂わせることが多い結末だ。
そんなファゼットの答えに、ヴェロスは微かに目を細めた。
納得いかないとか、理解できないとかではなく……どこか、悲痛そうな横顔。
エージュの目に映ったヴェロスは、持て囃されているという強さと反して、弱さを感じさせた。
◇◇◇
それから講義終了までは、淡々と過ぎていくだけだった。
知っていたことと、知らなかったこと。それぞれ半々くらいで、思った以上の収穫だった。
ファゼットの解説が分かりやすかった、というのもあるかもしれない。
ぐーっと腕を伸ばしたソエルが、満足そうに息を吐いた。
「勉強になったぁ。出て正解だったね、エージュ」
「ああ。何かと生かせることが多かった」
「あとは……あっちかな?」
ちらりと、ソエルが視線を左前方へ。
がたがたと次々と席を立ち退室していく生徒たち。
その隙間から覗くライレイとヴェロスの姿に、エージュも頷いた。
荷物を素早くまとめて、エージュはソエルより先に、ヴェロスたちへと歩み寄った。
「ん? なんだ?」
エージュの気配に気づいたヴェロスが、怪訝そうに顔を上げる。
片や、周囲の音などまるで耳に入っていないかのような態度のライレイ。
あまりに対照的な姿が、やけに鮮烈だった。
そしてヴェロスの様子が取り繕ったものでないのなら……エージュの事さえ知らない様子だった。
だが今更引けない。
左小脇に抱えたノートをぎゅっと握りしめ、エージュはライレイへ問いかける。
「用があるのは、そっちじゃないのか?」
「は? そーなのか? ライレイ」
「いいえ」
一言だけ。
たった一言だけ即答して、目も合わせずにライレイは静かに席を立った。
「もー、エージュっ! そーいう突撃の仕方は駄目だっていつも言ってるのに!」
遅れて追いついたソエルは、筆記用具を胸に抱えて咎める。
ヴェロスが更に困惑した様子で眉間に皺を刻む。
「何なんだ? お前ら」
「えっと、こーいうものです」
ジャケットのポケットから取り出したゲートパスを示して、ソエルは友好的な笑みを向けた。
パスを一瞥したヴェロスは、瞬く間に表情が険しくなる。
鋭く目を細め、睨む様にエージュとソエルを交互に見やる。
雰囲気が一気に冷たさを増していた。
「監査官が、何だ?」
「ヴェロス、構う必要はないと思われます」
「うわわ、エージュが突っかかるように話しかけるからだよ! ほんと、第一印象が悪い方法でしか接触しないんだから!」
頭を抱えたソエルに、エージュは不満一杯で視線を寄越す。
コミュニケーション能力が低いのは自覚しているが、ソエルにも言われたくはない。
空気を読めないという点においては、ソエルの方が上だと認識しているのだから。
「すみませんが、これで失礼します」
「……そうだな。じゃーな」
完全に無視した態度でもって、ライレイは歩き出す。
即座にヴェロスも続いた。
呼び止める言葉もなく、エージュとソエルはそれを見送る。
エージュ自身に用があったわけではない。
接触を続ける必要性は、皆無だった。
ふと、ソエルが呟く。
「……監査官と接したくないみたいだね」
流石に、否定はできなかった。
遠ざかる背中は、拒絶するような空気を隠そうともしていなかったのだから。
エージュは黙って頷き、二人の出て行った扉を見つめていた。
だが、やはりエージュは思うのだ。
――少なくともライレイは、何かを隠している。
それが何か説明しろと言われても無理だが。
「とりあえず、出よっか」
ソエルが促し、エージュは沈黙のまま頷いた。
◇◇◇
午後の後半分のコマは特になく、エージュとソエルは学院の外へと出向いていた。
簡単な運動もかねての訓練だ。
学院をぐるりと囲う石造りの外壁の向こうは、鬱蒼とした森が広がっている。少し離れた場所には湖があり、最終的には山に囲われて学院は存在する。
そんな森の中で、エージュはソエルと共に、コンビネーション訓練に励んでいた。
直径約一メートルの球体状条件反射ドローンを利用した訓練だ。
まずはエージュが槍で浮遊するドローンへ刺突を繰り出す。
ドローンは刃を受けると、すぐさま魔法で疑似的にエージュの攻撃を弾き返す。
迷わず、エージュは右へ体を捻り、後退を開始。
同時にソエルの拘束魔法の糸がドローンを絡め取った。
丁度、ドローンとソエルの直線状にいたエージュがどいたことになる。
ぎりぎりとソエルの拘束糸が軋みをあげる。
ソエルは眉間に皺を刻み、意識を研ぎ澄まして拘束を緩めないように踏ん張っていた。
ソエルよりさらに後ろへ後退したエージュは、すかさず自身の武器を槍から杖へ形状を変化させ、魔力を練る。
同時に、ソエルは拘束を解き、瞬時に今度は防御結界魔法へ切り替えて突撃してくるドローンを受け止めるべく備える。
銃弾が飛び出す様にドローンは突撃を開始。
ソエルの展開した多重防御結界により、見る間に減速するドローン。
多重防御結界の半分を超えた瞬間、エージュは魔法を発動させた。
火球がドローンへ向けて疾駆。それと同時にソエルは残りの結界を全て解除し、火球の進路を開放する。
爆炎がドローンを飲み込み、数瞬遅れて、強風が周囲の木々を揺らした。
炎がひゅるりと消え、黒焦げになったドローンは重い音を立てて地面へ落下した。
エージュは深く息を吐き出すと、ようやく緊張を解く。
訓練と言えど、流石に危険を伴う。
いつの間にか流れ出た汗を手の甲で拭って、エージュはソエルに声をかける。
「怪我は?」
ソエルは振り返って、笑顔で首を振った。
「だいじょーぶだよー。でも……」
不意に表情を陰らせたソエル。
頬に指を添え、難しい顔をしてソエルは首を微かに傾けた。
「うーん、もう少しタイミング遅くした方がいいかなぁ?」
「これ以上遅らせると、ソエルの負荷が増えるぞ」
今のタイミングでも、ソエルは前面で守る時間が長い。
エージュとしては、危険因子は少しでも減らしたいのだが。
「でも、今のままじゃ、エージュは十分な距離と魔力を練れないよ」
痛いところを突かれる。
結局のところ、このコンビネーションの肝はエージュのヒット&アウェイに連なる、魔法による一撃だ。
エージュが素早く後退し、強力な魔法で圧倒するのが目的となれば、威力は必要だ。
そして距離があればあるほどソエルが展開する多重防御結界で、魔法発動までの時間は稼げる。
ただ、結局はソエルの防御結界頼りなのは否めない。
「ドローンの修理は時間かかるしなぁ……でも、もう一回くらい続けてやりたいよね」
「なら、その相手、しましょうか」
不意の声に、ばっと振り返る。
ブラウンの髪を左右の三つ編みにした、緋色の瞳の少女が、木々の間の空間に、凛と佇んでいた。
「ライレイ……」
ソエルが茫然と名を呼ぶと、ライレイは薄く笑みを浮かべた。
微かにライレイの醸す無機質感が薄れる。
「改めて自己紹介を。ライレイ・エルド・ジャロスです」
状況が飲み込めない二人に対し、ライレイは淡々とした口調で続けた。
「先ほどの、お詫びです。……何か、聞きたいことがあるのでしょう?」
そう蒸し返したライレイの言葉に、エージュは授業終わりを思い出す。
今のライレイの発言は、あのやり取りが本心でなかったことを意味していた。
微かな苛立ちと共に、疑念が過る。
ライレイは接触する気があっても、ヴェロスにはないという状況。
ヴェロスの態度は監査官に対する嫌悪を強く感じたのだから。
だが、それをヴェロスに悟らせまいとするライレイの意図が読めない。
ただ……これは、好機だ。
訓練のためにも、そしてライレイとの距離を詰めるためにも。
そうエージュは判断し、不安げなソエルの視線を無視してライレイへ返した。
「……そこまで言うなら、相手してもらおう」
「ええ、是非に」
余裕すらにじませ、ライレイは頷いた。
◇◇◇
互いの距離は三十メートルからのスタート。
学院の周囲は森に覆われ、障害物が多い。ただ、この場所は比較的開けており、平坦だった。
目視できる範囲で、ライレイはその手に武器を握っている。
ライレイが体側に下ろした両手の先には、黒と銀の拳銃。
エージュは目を細め、ソエルに小声で話しかける。
「……銃、だな。あのサイズだとレンジはそれほど長くはないとみていいか?」
「どうだろ。魔法で強化されてるかもよ? 距離なんて関係ないかも」
ソエルの言う事も一理ある。
確かな腕前を持つというライレイの事だ。何か隠し持っていてもおかしくはない。
にわかに広がる、緊張とそして、僅かばかりの高揚感。
エージュとしても戦闘は嫌いではないのだから。
開始の合図は、特に指定していない。
お互いの準備が整ったのを確認後、ライレイが先に動く。
強いていうならばこれが合図だ。
正面で立つ、ライレイの姿は実に堂々としたものだ。
「さぁ、来るよ、エージュ」
楽しげなソエルにエージュは苦笑して、頷いた。
そして……――ライレイが地面を蹴って走り出す。
右方向へ走りながら銃口をこちらに、特にソエルに向けて合わせる。
ががががががががっ!
ソエルの展開したシールドに対して加えられる、容赦ない弾丸の猛攻。
シールドに当たった銃弾がばらばらと地面に滑り落ち、発熱した光が周囲を焼く。
「やるなぁっ……! さすが期待の新星!」
びりびりと伝わる振動に、ソエルは余裕な発言をしていたが、その表情には余裕がない。明らかに強がりだった。
エージュは槍をぎゅっと握り直す。
「ソエル、あと少し耐えろ」
「分かってるよーっと」
明るく答えたソエルを心の内で応援しつつ、エージュは距離を詰めて来るライレイを睨み付ける。
銃弾には限りがあるはずだ。魔法弾ではないただの銃弾なのだから、どんな形でも補充は必要になる。
その機会を、エージュは冷静に見据えようとしていた。
がぁんっ、と最後の弾丸がソエルのシールドに突き刺さる。
良く壊れなかったと思うほどの、猛烈な勢いだった。
しかし気を抜く暇など、ライレイは与えなかった。
エージュが動くより早く、ライレイはすぐ傍に迫っていたのだ。
「これで!」
「なっ?!」
ほぼ一瞬。その一瞬でライレイはソエルの正面へと移動し、展開したシールドに対して銃口を押し当てた。
乾いた二つの銃声が一つに聞こえるほど同じタイミングで響き、ソエルのシールドをゼロ距離で撃ち抜く。
シールドを突破できなかった銃弾は、ぐにゃりとひしゃげ、銃弾の形を失い、するりと、落下。
それと同時に、はらりと、薄い光の欠片が落ちる。
「う、そ」
ぼろぼろぼろぼろと、ソエルの展開していたシールドが崩れ落ちる。
「終わりです」
無情な、感情の薄い声が、響いた。
ひゅう、と風が吹き抜けて、ソエルの長いツインテールを揺らす。
エージュは動けなかった。何も言う事すらできず、息を呑みライレイを凝視する。
十分も経過していないはず。
ソエルの魔力シールドはまだ劣化するような段階ではなかった。だというのに、現実は違う。
ライレイの激烈な弾丸は的確に一か所だけを削り取っていたのだ。
とどめのゼロ距離射撃で、ついにソエルのシールドは砕け散った。神がかり的な精密射撃。
呆然と立ち尽くすエージュとソエルに、ライレイが小さな笑みを浮かべた。
嬉しそうに。
「さすが、上級管理監査官のパートナーです。ゼロ距離射撃でようやく壊せたのは久しぶりでした」
「知ってるのか? 俺たちの事を」
「ええ。存じていますよ。自覚はないのでしょうが、貴方は有名ですよ」
ライレイの言葉に、エージュは嫌な予感がした。
『例の能力については、誰にも知られるな』…――アルトからの唯一の命令だ。
その能力は、まず間違いなく、争いを呼ぶ。そして、自身の身を危険にさらすだけだから、と。
そんなアルトの忠告を思い出し、エージュは背筋が、凍りそうだった。
「崩壊した世界からの数少ない、改変成功例。違いますか?」
「……間違っては、ない」
思わず、ほっとしてしまった。
その話ならば、警戒も必要もないのだ。
確かに稀少な存在には違いないだろうが、ただそれだけに過ぎない。時間を操作する能力は、流石に広まっていないようで安堵する。
「水虎様と、親しいとか」
「アルト様はとてもいい人だよー」
ソエルが笑顔満開で口をはさむと、ライレイは深く頷いた。
「羨ましいです。通常、議員の方と接する機会はほとんどないのですから」
「アルト様なら、今学院に来てるよ。折角だから、会いに行ったらどうかな?」
ふとライレイは複雑な表情を浮かべた。
何かを躊躇したような、そんな。
「もう少し、立派になってからにします。まだ新米ですから。それより……実はお願いがあって参りました」
「お願い?」
ソエルが首を傾げる。
片やエージュは意識を集中する。それがライレイの本心のはずだから。
一度目を伏せ、再度視線を上げたライレイの表情は至極真剣だった。
「ホムンクルスに詳しい方がいたら、教えてくださいませんか」
『ホムンクルス』……その耳慣れない言葉に、ソエルとエージュは顔を見合わせた。
知らない言葉ではないが、明確な説明もできない、そんな言葉。
ライレイは知らないと態度に出した二人に、微笑んだ。
「……すみません、変なことを聞いて。気にしないでください」
「え、あ。えっと、ホムンクルスって、あれだよね。人造生命体。ライレイ、ホムンクルスでも創ろうとしてるの?」
ソエルが問いかけると、ライレイは静かに首を横に振った。
「いいえ。興味があるので、最近調べているんです」
「そうなんだ……もし新しい発見があったら教えてね!」
「ええ、そうします。では、失礼しました」
一礼し、ライレイは踵を返した。その背にソエルはまたねー、と手を振る。
「興味、かぁ」
遠ざかっていく背中を見つめながら、ソエルがぽつりと呟く。
「ホムンクルスなんて禁術じみたもの、興味だけじゃあ近づかないよね」
「……だろうな」
「普通に、友達になりたいのにな。監査官だもんね……そう簡単には無理かー」
残念そうに、ソエルはため息を吐く。
エージュはそんなソエルを一瞥し、先ほどのライレイの戦闘風景を思い出す。
緋色の火花を散らして弾幕を形成した、ライレイ。
近づかせないという強固な意思の表れそのものに、思えて仕方なかった。