第六話 ナイトメア

 

 白い棺と、白い花。

 怒声と慟哭が扉の向こうから聞こえる一室に、一人の少女が膝を抱えて座っていた。

「ライレイ……なのか? なんで……」

 まだ幼いライレイだった。そっと手を伸ばして、触れようとしたヴェロスの手はするりとライレイをすり抜けた。

 驚愕して凍り付いたヴェロスの背後に、気配が立つ。

「触るのは、今の俺の力じゃ無理だ。悪い」

「エージュ……?」

 ヴェロスが振り返ると、半透明な姿をしたエージュがいた。

 慌てて自分も確認すると、同じように半透明だった。

 ただ、ライレイと違って自分に触れることは出来るようで、額を軽く叩いてみる。

「……夢じゃ、ないってことか」

「夢とは少し違う。これは、ヴェロスの中にある魂に刻まれた過去を再現しただけだから」

「俺の、過去……」

「多分今のライレイを救えるのは、ヴェロスだけだ。ヴェロスは、ちゃんと過去を見つめなきゃいけない。覚えてない、んだろ。自分の過去」

 エージュの言葉に、ヴェロスは目をそらし、頷いた。

 全てを忘れているわけではない。ただ、思い出せない過去の方が多いのだ。

「過去がどんなに残酷でも、それを受け止めてなお出せた答えは……きっと自分に嘘をついてない答えだって俺は、教えられたから」

「……なるほどな」

 答えて、ヴェロスは幼い日のライレイに視線を戻す。

「ライレイがついた嘘に、甘えてただけだからな、俺は。嘘なんて、つけない奴なのに。……その嘘の意味。今度こそ……受け止めるよ。……ライレイ」

 聞こえない声でそう告げた次の瞬間、扉が壊れるほどの勢いで開かれた。

 長い黒髪を振り乱して飛び込んできた女性に、ヴェロスは目を見張る。それは、遠い日の記憶に宿る、母親だった。

「あ……」

 ぞわ、と肌が粟立つ。

 本能が、恐れていた。この光景を、かつて見たはずの世界を。

「っ!」

 母親の伸ばした手はヴェロスをすり抜け、ライレイの細い首に伸びた。大して強くもないはずの母の手が、酷く恐ろしい。

「ライレイッ! 母さんっ、やめろよ! 頼むからッ!!」

 叫んでも聞こえず、触れることさえかなわない。ライレイは抵抗もせず、むしろ抵抗を堪えるように体を固くしていた。

 それは、死を受け入れるかのようで。

「やめなさいっ!!」

 慌てた様子で父が母を止めに入る。母の指を引きはがし、必死に宥める父も狂乱寸前だった。

 首を解放されたライレイは咳き込みながら、細くかすれた声で何度も言う。

「ごめんなさい……ごめ、なさっ……」

 徐々に、世界が黒く染まる。魂の記憶と、エージュは言った。

 ヴェロスの最初の肉体に宿った記憶は、これが最後だった。

「ライレイ……ごめんな。俺と一緒に、お前は……遊んでただけなのにさ」

 幼馴染で、隣同士で。だからよく遊んでいた。運が悪かったばかりに、馬車にひかれて死ぬまでは。

 そんなささやかな日々はあの棺に入った日に、終わったのだ。

「……進もう、エージュ。ライレイがあんな場所にいた意味を、一緒に逃げだした意味を、俺はまだ、取り戻してない」

 立ち止まっている今だって、ライレイは苦しみ続けているのだから。

 

◇◇◇

 

 呼びかける、声がする。

 それはただ、大切な人を呼ぶ声で。

 それはただ、救いを求める声で。

「なん……なんだ? ここ」

 薄い桃色の空と、まっすぐに伸びた道。

 道の両側は色とりどりの花で埋め尽くされていた。終わりのない道の途中に、ぽつぽつと人の姿が見える。

「輪廻の輪だ……」

 エージュが唖然とした声で言う。ヴェロスは驚きエージュを一瞥してから周囲を再度確認する。

 魂が巡る場所、輪廻の輪。監査官でもそうそう立ち入れる場所ではない。何しろ管理者は死神なのだ。担当が違う。

「まさか、ヴェロスはここから堕ちたのか?」

「覚えて、ない。だけど……俺の記憶を再生してるっていうのが本当なら……俺は、ここに来たことがある」

――ヴェロス、聞こえる?

「え?」

 どこからともなく、声が聞こえた。それはとても懐かしくて、切ない声。

――ごめんね……、すぐ助けるから、待っててね。

「ライレイ……? ライレイなのか? 何言ってるんだよ?!」

「ほんと、自分ってのは恐ろしい。どんなに時間が流れても、することも考えることも全部一緒だ」

 唐突な声にエージュとヴェロスが目を向ける。すぐ後ろにいたのは、幼い、ヴェロスだった。

「なん、で」

「自分と接触するわけがないって? その意味は後でわかる。今は……行かなきゃ、駄目だろ」

 ライレイの元へ、行かないといけない。

 それは確実で。

 自分に対し頷いて、ヴェロスは記憶を走らせる。かつての自分と同じように、ライレイの元へ向かうために。

「『ライレイっ!!』」

 過去と現在の自分の声が重なる。目の前で、ライレイは白衣を羽織った姿で、デスクに伏していた。

『ライレイっ!』

 過去の自分が再度呼びかける。ほとんど透明な、その姿で。

 ライレイがゆっくりと顔を上げ、その姿を視界にとらえた。軽く目を見張り、そして安堵したように微笑む。

『ヴェロス……迎えに……きて、くれたの……?』

『馬鹿、ふざけたことすんなっ!!』

 それでもなお、幸せそうに微笑むライレイは、震える手を伸ばす。

『でも、ね。もしも許してくれるなら……使、って? ……私の、肉体で良ければ……貴方が……使って、生き、て』

 意味が分からず視線を巡らせると、ライレイの足元には見慣れない魔法陣が展開していた。

 禍々しい色を放ちながら、存在する魔法陣。

『まさか、魂を強制分離しようとしたのか?! お前、なんでそこまでっ!』

『……私、ヴェロスと一緒に、死んじゃったはずなのに、生きてるから……』

 さすがに、過去の自分は困惑して黙り込んだ。ライレイの言葉の意味を理解できないのだ。

 ただ、今のヴェロスにはその意味が、痛いほどに分かった。

「ライレイ……お前……」

 あの時、自分の母に殺されかけたとき。ライレイは、心が完全に壊れてしまったのだ。心が、死んでしまったのだ。

『一緒に、いてやるから』

 過去のヴェロスは、そうライレイへ告げた。ライレイは不思議そうな顔をする。

『お前、頭いいだろ。だから、俺に体を作ってくれよ。そしたら、また一緒に居られるだろ』

「っ!」

 愕然とするしかなかった。あまりにもそれは稚拙な考えとしか言いようがなくて。

 でも、当時の自分たちではそれが精一杯の答えだったのだ。

「そうだよ。俺が、ライレイに頼んだ。俺が馬鹿だったばっかりに、ライレイはとんでもない罪と罰を背負い込むことになったんだ」

 そう、もう一人の自分が言う。残酷な過去は、この瞬間から始まっていたのだ。

 

◇◇◇

 

 ライレイの両親は生物学者で、研究室を持っていた。

 だからこそ、ライレイは細胞に慣れ親しんでいた。同年代の子供に比べたらライレイは生命というものをよくわかっていた。

 そして、それゆえに簡単にその答えにたどり着く。

 細胞から作った肉体には、ヴェロスの魂を招き入れられないことを。

 細胞は生きている。生きているものには魂が宿る。そして魂は一つの器に一つ。それが普通だった。

「だから、ライレイはホムンクルスを創ることにした。俺は、ずっとその日を楽しみにしてた。俺も、ライレイも……子どもだったんだ」

 幼い日のヴェロスが言う。エージュもヴェロスも何も言えなかった。

 ライレイが薬品と魔法だけで肉体を構築する様はまるで手品だった。材料が悪いのか、魔法が悪いのかは分からないがたまにぼろぼろと崩れてしまう。

 それはあくまで「もの」でしかなかった。

 魂が吹き込まれるまでの存在とは、つまりは「もの」でしかないのだろう。人にとっての感覚とは、そういうものだ。

「でも……世界も神も、そんなに甘くはないんだ」

 すっと指をさした先。

 過去のヴェロスがその肉体に魂が繋がれて、体を起こした。

『……ほんと、に俺……生き返ったんだ?』

 ライレイは茫然と椅子に座ったまま、ヴェロスを見ていた。

『ライレイ、やっぱお前すげーよっ!』

 はしゃいだ様子で、ヴェロスは言う。その声に、ライレイはようやく石化から解かれたかのように、すとんと腕を下ろす。

『おい、何か言えよー』

 嬉しそうな声でヴェロスが言って、ライレイに歩み寄ろうとして……

『ライレイ』

 冷静な声が聞こえた。振り返ると同時に、ヴェロスは白髪の女性に抱き締められた。

『え』

『ああ、ヴェロスね。ヴェロスなのね。帰りましょう。さあ帰りましょうね』

 早口でまくしたてる声は間違いなく母だった。白衣を着たライレイの父親が黙ってライレイに歩み寄る。

 ライレイは何か言いたげな様子で父を見上げたが、それより早く、ライレイの父は言う。

『流石私の娘だよ。私は最高の娘を持った!』

 歓喜に震えた声を上げるライレイの父。そして、ヴェロスは理解した。

「ああ、そうか。……ライレイの親父さんは、この頃から壊れてたんだな」

「どういう、意味だ?」

 エージュが問いかけると、ヴェロスは静かに首を振る。

 先へ進めばわかる、と。

 二か月。それは長くて、短い時間だった。

 その二か月の間にライレイの父親はライレイの技術でもって研究所を拡大した。魔法と生物学の融合により、近隣から死という概念が消失し始めていた。

 でも、世界は甘くない。

 その二か月の間、ヴェロスは両親のもとで静かに暮らしていた。魂の成長に合わせて、肉体も成長する。

 それがライレイの生み出したホムンクルスの特徴でもあったが、その特性ゆえに、歪も大きかった。

 母親の絶叫が遠くに聞こえる。ヴェロスの肉体がぼろぼろと崩れていく様に、母は発狂していた。

「崩れながら、俺はやっとわかったんだ。自分の過ちの大きさを。だけど……」

 すぅ、と景色が変わる。

 あの研究室のデスクに無表情に座る、ライレイの姿が見えた。

 ライレイは気配を感じたのか顔を上げ、表情を引き攣らせる。

 まるで、悪魔でも見たかのように。

 事実、これは悪夢の始まりで。

「俺の魂は、この場所に固定されてしまったんだ」

――それは、悪夢だった。

 何度も崩れる体に、何度も戻ってくる場所。ライレイの両親が自分のような存在を次々生み出し、成功を目指し続ける日々。

 失敗作を切り捨てていく研究者たちに、ライレイは追い込まれていった。

 生命を踏みにじる行為に、心を潰す。

 罪を償うべく、成功体への研究にのめりこんでいく。

 その間にもヴェロスの肉体は何度も耐久しきれずに崩れてはより良い器へ結ばれる。

 そんなある日だった。一人の少女がライレイのデスクの元に現れた。

『貴方、自分がしていることの意味を分かっているの?』

 す、と驚くこともなくライレイは顔を上げる。精神が麻痺しかけているのだ。

 視線の先には黒衣に赤いジャケットを羽織った少女。

 それは、ロアだった。

『貴方、魂を削り取っていること知っているの? 貴方がやっているのは、魂を無理矢理接着剤で肉体にくっつけているようなもの。魂は消滅を逃れるために一部を切り捨てでも、存在しているの。同じ魂にそれを繰り返させていたら、その魂はやがて本当に壊れてしまうわよ』

『その前に……私は、本物を創って見せます。崩れることなく、天寿を全う出来る肉体を。それが私の生きる意味です。そしてそのためなら……私は、私の命を懸けたっていい』

「ライレイ……」

 何もかもを背負い込んで、ライレイはそこにいたのだ。ヴェロス以外の魂を全て実験体として、その心を痛め続けても。

『そう。だけど、次が最後よ。次にこの魂の器が崩れるときは……私が狩りに来る。貴方の覚悟と、想いは……確かに受け取ったから』

『ありがとうございます』

『さあ、最後の時間を大切に生きなさいね』

 そう、ロアは目覚めるヴェロスへ告げた。

 

◇◇◇

 

『なぁ、ライレイ』

 声をかけたヴェロスに、ライレイが怪訝そうな顔で目を向ける。

 ヴェロスは悲しく笑って、言う。

『もう、こんな事続けたくないよな』

『え?』

『俺はもう、見たくない。壊れる直前に、貴重なデータだからって生きてるのに、何度も切り刻まれてる奴らを。それを見て泣いてる、ライレイも』

『ヴェロス……?』

『だから、俺が終わりにしてやる』

 言って、ヴェロスはライレイのデスクから離れる。ライレイは歩き出したヴェロスを慌てて追いかけた。

 途中で躓いたのか、ライレイが呼び止める声が聞こえたが、それも振り切って。

 研究処理室の扉を抜け、見えた世界に、ヴェロスは目を細めた。

 その中に渦巻くのは、恐らくは……憎悪。

 ホムンクルスの特殊性。

 それが、ヴェロスの感情に応じて炎となって爆発した。

 赤く、染まる世界。

 研究所を舐めるように炎が広がる。だが、研究処理室だけは結界で守られていた。

 恐らくは、ライレイを守るために。

 そうして、ヴェロスは研究所長たる、ライレイの父の研究室へと向かって歩き出した。

 悲鳴と破裂音が炎の中で舞い踊る。

 その中を、黙ってヴェロスは進む。

 その光景は、自分のことながらヴェロスの心を凍らせる。傍らで無言を貫くエージュも、同じだろう。

 そして、正面に炎に包まれてのたうち回る姿が見えた。

『熱そうだな』

『お、ぉあ……お前、かっ……お前のせいかっ!』

 ライレイの父が悪鬼のごとき形相で睨み付ける。

 炎は皮膚を捲りあがらせ、血がさらに延焼させていた。

『これでもう、ライレイが苦しむ場所はなくなるんだ』

『お前も、消滅する、こと……になるんだぞ!』

『それがどうした。俺はもう、死んでるからどうでもいい』

 その発言に、ライレイの父は目を剥いた。

 狂ってる……。過去の自分は、狂っている。ヴェロスは自身へ戦慄した。

 やがて喉を焼かれたライレイの父は言葉も紡げなくなり、ついに動かなくなった。

 最後を見届けたヴェロスは、くるりと踵を返す。

 戻る先は……ライレイの元だ。

 研究処理室の前で、ライレイは力なく座り込んでいた。

 訳が分からない様子で、茫然と。

 ふっと、過去のヴェロスは微笑んでいた。

『ライレイ』

 呼びかけた自分の声に、ヴェロスは吐き気を覚えた。

 自分はなんて、愚かだったのだろう。

『……どうしたんだよ?』

『ごめん……なさい』

『何で謝るんだよ。これでもう、苦しまなくていい。これでもう、後戻りはしなくていい』

『ごめんなさい……ごめんなさい……』

 ぼろぼろと涙を零すライレイに、ヴェロスは笑みを向けて、手を差し伸べる。

『大丈夫。……もう一人にはしないから』

 だから、もういいんだ。

 ライレイがこれ以上苦しむことなんてない。

 そう、本気で思ったのに。

 ライレイは首を振った。そして泣きながら言う。

『消えるときは……私も、一緒に消えるから』

『は……? それじゃ意味ないだろーが』

『ヴェロスが一緒に生きようって……そう言ってくれたから、私はここまで生きてきたの。だから……ごめんなさい』

 あの日と同じ、禍々しい魔法陣が二人の足元に広がる。

『貴方の記憶の一部は、私が預かるね。そうしたら……ヴェロスは何も引け目を感じずに、残りを生きれるよね』

「っ! そういうことか!」

 ばっとヴェロスは存在するもう一人の自分へ目を向けた。

 ライレイと自分の中にそれぞれヴェロスという魂が存在する。だからこそ、対面できたのだ。

『ごめんね。貴方の優しさに……最後まで甘えさせてね』

「俺は……優しくなんてないんだよ。ただ、馬鹿なだけだってのに……!」

 自分より弱い人間を見ると放っておけず、だけど自分が弱いところを見せるのなんて恥ずかしくてできないという……ヴェロスという人間を理解しているライレイだからこそ吐いた嘘。

 記憶を奪って、自分がホムンクルスだと言って、過去を抱え込んだ。

 優しくて強いライレイだからこそ、出来た罪だった。

「ここまで見たら、俺自身であるお前なら答えは俺と同じだろ」

「ああ……多分そうだな」

 お互い自分自身に頷き合って、ヴェロスは言った。

「「ライレイを今度こそ、ちゃんと救ってみせる」」

 それが、今ここに、自分がいる意味なのだから。

 あの日失った命の意味はそのためにあるのだと信じるために。

 

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