第一話 転生の間

 

 嗚咽が響く、白い部屋。

 霞む視界で、母さんと父さんが泣きながら、笑っていた。うん、分かってるからさ。大丈夫だって。

 声も聞こえないし、だんだん視界が暗くなってきた。

 俺はもう、やれるだけやったからいいのにな。

 俺のことはいいから、母さんと父さんは、長生きしろよ。

 由美は泣くんだろうなぁ。あいつ、普段はつんけんしてるけど、何だかんだとお兄ちゃんっ子だったもんな。

 だけどまぁ、俺には後悔なんて微塵もない。

 

 痛くて

 苦しくて

 退屈なだけの日常とはおさらばだ。元気でな、みんな。

 ぶつんっ、と何かが途切れる様に全てが断絶された。

 

◇◇◇

 

「ようこそ、××××」

 ……誰かが俺の名前をさらっと呼びやがった。

 不信感だけを抱きながら、俺は目を開く。

 ? 目を開けられた?

 真っ白な靄が、座り込んでいた俺の胸ほどまでを覆っている。更に真上を見上げれば、晴れ渡った青空。

「何だここ」

「ここは転生の間という」

「ぬぁっ?!」

 目の前にどんと構えるじいさんに、俺は本気で驚いた。

 白いひげをたんまりと蓄えて、頭の上には金色の輪っかが浮いている。

 ……痛いじーさんだな。

「痛くなどないっ! ていうかそんな事神様に言っちゃダメっ!」

「テンションの高い神様がいるかっ?!」

 思わず反論すると、自称神様の老人はしょんぼりと肩を落とした。何なんだ、このじーさんは。

「……よっと」

 試しに、手と足に力を込めてみる。

 ふらつきながらも、俺は立ち上がることが出来た。なんだ、意外と覚えてるもんだな。

 立ち上がって見た自称神様は、デカい。2mは固いぞ。

「まぁ、いいや。で、君これ書いて」

 神様はずいっとバインダーに挟んだ一枚の紙を羽ペン付きで押し付けてきた。

 紙には、しれっと当たり前のように。

『転生先希望アンケート』

 中二病な文字が並んでいた。

 

――希望の転生条件に付いてアンケートにお答えください。

1.転生先の世界の希望は?

魔法世界

科学世界

どっちでもいい

意味が分からん。

2.転生先での性別は?

その他

……その他って何だかすっげー気になるわー。

3.転生先での職業は?

勇者

王様

その他

……おいおい、他にも色々あるだろ?!

「はぁぁ……」

「おぉ、悩むがよい悩むがよい」

 満足そうに頷く自称神様が頷くたびに、長いひげがふっさふっさと獣の尻尾並に揺れ動く。

 俺はそのバインダーをそのまま突っ返した。

 全問無回答のままで。

 呆気にとられた神様に、俺はさらっと言ってやった。

「テキトーに設定してくれたら、もうそれで良いっす」

「え、え! 何で、どうして? 君の人生だよ! しかも若くして命を散らしたというすごく不運な終わり方だよ?!」

「いや、俺別に、後悔も未練もないんで」

「そそそそんな今時の子って、こういう希望通りにしないと怒るのに?!」

 尋常じゃないほどに慌てふためく威厳ゼロの神様。

 俺はこのじーさんが神様であることの方がよっぽど心配だ。

 若くして死ぬ、にも色々あるだろう。事故、いわれなき殺人。でも、俺みたいな病人は、やっと解放された! って思う奴も多いんじゃないか? 俺が特別なのかもしれないけど。

「とにかく任せたから、テキトーに頼んだ、神さま」

「ほんとに? ほんとにキミ、希望ないの?」

 寝っ転がって日曜の親父のような俺に、しゃがみこんで神様が言う。ていうか……つんつん構って欲しい子供みたいにつつくのはヤメロ。

「ない。全然ない」

「うーんうーん。困ったなぁ困ったなぁ」

 頭を抱える神様。全知全能、完全掌握の神様、後は頼んだ。

 俺は適当に生きるだけなんで。

 ていうか、転生って希望取るんだな。そんなどうでもいい事を考えていた、俺の耳に。

「よし出来たー! 完璧だっ! じゃ引き続き人生頑張ってね!」

 えー……俺また、そんな頑張らなきゃいけな……

 って、え?

「ちょっと待てッ?! 記憶そのままで行けとか言うんじゃ……」

「そうだけど? だって、希望転生だもん!」

 全然理論的じゃない回答が帰ってくる。

「ふ、ふざけんなぁぁ?!」

「あ、ごめん。もう実行しちゃった!」

 覚えとけ神様。

 次に会ったら、アンケート内容、まともなもんに書き換えてやるからなぁぁっ!!

 

◇◇◇ 

第二話    無希望だけど無気力じゃない

 

 朝日が昨日まで降り続いていた雨の名残をきらきらと反射する。

 洗い流されたような空気が、景色をより透明に見せるよう。

「先生起きてくださーい。朝ですよー」

 そんな朝の空気を取り込むために、窓が片っ端から開けられる。

 若干寒い。一年の半分が寒いこの場所で、窓を開けるなどある種の拷問だった。

「……エコデ、寒い。閉めてくれ」

「駄目です。朝です!」

 ベッドの脇に立って、見下ろす姿はいつ見ても可愛い。

 空色の髪に、あどけなさを残した顔立ち。でもって、獣耳。こんな可愛いのが朝起こしてくれる俺は幸せ者なんじゃないだろうか。

「先生ってば!」

 ぼーっと眺めていた俺を、エコデがゆさゆさと揺する。

 朝から容赦なく。気持ち悪くなるほど。

「わか、わかった! エコデ分かったから、気持ち悪い……」

「あ! ごめんなさい、ごめんなさい先生っ」

 おろおろとし始めたエコデを手で制しながら、俺はやっと体を起こした。

 外気に触れた肌が思いっきり粟立つ。寒っ。

 見れば、エコデは困り果てた様子で、不安げな表情を浮かべていた。

 苦笑して、俺はベッドから抜け出るとエコデの頭にぽん、と手を置いた。

「着替えたら行くよ」

「あ、はい」

 ほっとした様子でエコデが表情を和らげる。

 ぺこりと頭を下げて、ぱたぱたと足音を引き連れて出て行ったエコデ。

 それを俺は見送ってから、エコデの開けた窓を即行閉める。

 寒い。マジ寒いからな、エコデ。勘弁してくれ。

「……っはー……それにしても、四年かぁ」

 ため息をついて、俺は着替えを出しにクローゼットに手をかけた。

 

◇◇◇

――俺がこの世界に放り込まれて、四年が経過しようとしていた。

 新しい名前は、リリバス。年齢は現在二十三……のはず。外見はまぁ多分、普通。

 あの謎の神様が俺に与えた能力はいわゆるチート系能力。

 そこらの山なら本気を出せばひと吹きで爆発するし、デコピンひとつで城が吹っ飛び、俺が呟けば、基本的にはすべて願いが叶っちゃうらしい。

 うわー、すげー興味ねー。が、最初の感想。まぁ、役立ったのは無駄に良い記憶力くらい。

 今じゃ、王都から三つ離れた、そこそこ発展してる街の片隅で医者をやっていた。

 ひっそりと構えた診療所には、俺とエコデの二人だけ。それなりに、やっていた。

 そう、それなりに、なんだけどな。

「あー……そろそろセーター買い換えたいなぁ」

 希望した転生ではないけど、それなりに俺は真面目に生きようと頑張っていた。

 

◇◇◇

 

 エコデは診療所に住み込みで働いてくれている貴重な存在……というわけでもなく。

 諸事情あって、今は俺の手伝いをしてくれている。炊事洗濯、基本的には全ての家事を一人でやってくれているのは非常にありがたい。お陰で、俺は仕事以外はゴロゴロと過ごしても生きていける。

 ……そりゃあ、たまにはエコデの手伝いもするけど。

 手際が悪すぎて、エコデが一人でやった方が早いのが事実。

 だから買い出しに付き合って、重いものを持つのが俺の主な役割だった。適材適所ってやつだ。うん。

 今目の前に広げられた栄養バランスが整った食卓は、エコデでなければ用意できない。

「……先生、またぼーっとして。あと一時間もしたら診療所開けますからね!」

「ああ、うん。考え事してた」

 考え事? と首を傾げたエコデに、俺はしみじみと頷いた。

「来月のエコデの衣装どんなのにしようかと」

「……先生」

 にっこりと微笑むエコデ。

 おぉ、眩しい。眩しいな、そのスマイル。

「次そんな事考えてたら、お昼抜きにしますからね!」

 怒っても可愛いんだからエコデはずるいと思うのは俺だけじゃないはずだ。

 

◇◇◇

 

 診療所の開店は一応十時。夜間応対も一応してるけど、基本急がなければこの時間で十分だ。

 白衣を羽織って、欠伸をしながら俺は診療室の机に頬杖をついていた。

 左から差し込む光があったかくて、丁度眠くなる……

「先生寝ちゃ駄目ですからね」

 開いていた扉からエコデが釘をさす。

 真面目な可愛い助手にひらひらと手を振って生存を伝える。

 ちなみに、エコデは診療中も白衣は着ない。ていうか、俺が着させてない。

 今は前世で俺が死に際流行していた某アイドルっぽい衣装を着させている。

 月一で注文するのが俺の唯一の楽しみ。エコデからしたら、地獄の一瞬らしい。いや、面白いからやめないけど。

 からんからーん、と扉についたベルが来客を知らせた。

「……あー、来たかぁ」

 のそっと体を起こして後頭部を掻いていると。

「エコデさん今日こそ結婚を前提にお付き合いをお願いいたしますッ!!」

 待合室から聞き覚えのある大声が聞こえ、俺はやれやれと立ち上がった。

 診察室から続く待合室へ出ると、エコデに跪いて一輪の花を差し出す甲冑男がいる。

 正面にいるエコデはおろおろと視線を彷徨わせている。それが駄目なんだけどな、エコデ。

「俺は心の病は見ない主義だ。帰れ」

 問答無用で甲冑男を蹴倒す。もちろん手加減してるって。

 本気で蹴ったら、下手すれば惑星一周して戻ってくるし。

 がっしゃん、と音だけは激しい。

「今怪我したし?! 医者の暴力反対!」

「うっせ。帰れビクサム」

「うぐぬぬ……」

 よくわからない反抗心の目を向けてきたこの甲冑は相変わらず反省してねーな。

 こんなのが城壁の門守ってるとは、警備に不安を覚えなくはない。

「大体、診療所に来るのに仕事着のまま来るなよ。重たそうでこっちが疲れる」

「リリバスに会いに来たわけじゃないから問題ない」

 ふふん、と得意げに腕を組むビクサム。

 ちなみに鎧の下は自慢の筋肉が存在し、街行く女性一同が噂するほどの美形らしい。

 らしいが、俺とエコデにはどうでもいい情報だった。

「……というわけで、エコデさんっ!」

「だ、だから困ります!」

 慌ててエコデは俺の後ろへと回りこんだ。

 おお、今日の俺はすっごい役得だな。

「ほら、エコデが嫌がってるだろ。帰れ帰れ」

 しっしっと手で追い払うも、ビクサムは今日も帰る気がないらしい。

 野犬のごとく俺を睨んでくる。それは一般人相手なら怯えて逃げ出すだろうけど。

「そこらの女の尻でも追いかけてろ。エコデのじゃなくて」

「先生! 何卑猥なこと言ってんですかっ!」

 助けたはずのエコデが背後から怒鳴る。

 今日はよく吠えるなぁ、なんて若干感心するほどだ。

「おいエコデ。俺は一応助けてやってるつもりなんだが?」

「僕、先生の事見損ないましたからね!」

 全然聞いてねーな……。

 よほど頭に来たのか。しかしまぁ、何でそこまで怒るかね、エコデは。

「エコデさんっ、そんな下劣な男とではなく、私と一生を共にしま……」

「それはお断りします!」

 断言した。

 がっくりと肩を落とすビクサム。その落ち込み方は、同情するぞ、ビクサム……。

 まぁどうせ明日忘れて来るんだろうけどな。

 とぼとぼ出て行くビクサムの背中を心の中は同情一杯で見送る。

 ナイスファイトだったぞ、ビクサム……

 ふぅっと背後で息を吐いたエコデ。こいつ、もしかして計算してやってんのか?

「おい、エコデ」

 首を巡らせると、俺の二の腕くらいまでしかないエコデが顔を上げる。

 一応咎めておこうと口を開きかけた瞬間、

「僕は、先生と一緒じゃなきゃ、嫌ですからね」

「…………」

 落ち着こうか、俺。

 上目づかいごときで騙されるな。エコデの常套手段じゃないか。

 ここは一発、ビクサムの心理的ダメージについて説教を……。

「先生?」

「わーかってるよ」

 くしゃっと頭を乱暴に撫でると、エコデは小さく悲鳴を上げた。

 若干嬉しそうなのは気のせいだ。気のせいじゃないとおかしい。

「ちゃんと受付の仕事してるんだぞ」

「はぁい」

 満面の笑みで応えたエコデに俺は深く頷いた。

 踵を返してすたすたと診療室に戻って、椅子に座り……

「すまん、ビクサム……仇は俺には討てなかった……」

 頭を抱えて心の底からビクサムに懺悔した。

 つくづく、恐ろしい男だな、エコデは……。

 

◇◇◇

 

 史上最強に可愛い獣耳属性持ち……それがエコデだ。

 外見上は絶対に分からない。分かった奴に会ってみたい。

 身長145センチ。体重を計測しようとしたら本気で切れられた。

 何でだ。男同士でそこ気にするのかあいつは。謎だ。謎過ぎる。

 空色の柔らかい髪に、新緑のくっきりした目。ついでに肌は白いし、基本的に線が細い。ちなみに指先が超綺麗。

 でも、エコデは正真正銘の男だ。いわゆる、男の娘ってやつだ。まぁ、俺にとっては可愛い妹みたいなもんだけど。

 診療所にやってくる野郎どもの半数はエコデ目当て。しかも性別分かってないから可哀想になるときもある。

 ビクサムにもいい加減教えてやるかな。あいつが事を起こす前に。

「先生、聞いてくださいっ!」

「うぉあっ?!」

 ぼけっとしてる間に、いつの間にかエコデが患者を通していた。

 見ればさめざめと泣く女がいる。こいつ、また来たのか……

 年齢は大体三十代後半。街中の大手出版社でバリバリに働いてるいわゆるキャリアウーマンと言う属性。

 華美でもないが見合った化粧をしているのだが、今現在は完全に崩れている。

 ハンカチが黒いぞ……。いいのか、女子としてそれで……。

 若干勢いに気圧されている俺の視界の隅で、青が過る。

 エコデが俺と患者のためにお茶を出してきたのだ。エコデと、泣いている女を思わず見比べる。

 ……負けてる。負けてるよ……誰だっけ。

 左手でカルテを漁ろうと手を伸ばし……その手にエコデがカルテを渡す。

 流石に慣れているだけあって、頼りになる。向けられた笑顔さえ武器なのがネック。

 さておき、名前だけをさらっと確認。ああ、そうそう、レイラだっけ。

 カルテを机の上に置いて、レイラを見据える。

「で、今日はどういう振られ方を……」

「振られたなんて言わないで頂戴! 気にしているのにぃぃ」

 藪蛇だった。

 レイラは年の割には若く見えるが、どうやら仕事と違い、恋愛が苦手らしい。

 というか、毎度振られてやってくる。しかもどいつもこいつも駄目な男にばっかり引っかかってるんだから、救いようがない。ちなみに俺の能力で何とかできなくもないが、しない。

 レイラの性格上、また駄目な輩に引っかかるのが落ちだ。

「元気出してください、レイラさん」

 傍らにいた一番言われたくない相手が口を開いた。

 ぐっと握り拳を作って胸の高さに持ってくるエコデ。

 あー、アイドルっぽいなぁ。衣装にぴったりだ。流石エコデ。そしてそれを選択した俺。

 レイラはぐしゃぐしゃになった顔を上げて、エコデを見る。

「レイラさんにはもっと相応しい人がいるんだと思います!」

「何度そう思い込んだか分からないわ……!」

 わっと更に声を上げるレイラ。

 うん、それは俺も思った。

 この間も同じこと言って励ましてたもんな、エコデ。

 やれやれ、と俺は頭を振ってぽん、とレイラの肩に手を置いた。言っとくけど、俺は医者だからな。やましい感情じゃない。

 レイラは恐る恐る顔を上げ、俺を見やる。正直、レイラは綺麗な部類だとは思うんだけどな。

「レイラは、笑ってればきっともっといい男が寄ってくる」

「でも……」

 言いかけたレイラの目の前に、一輪の花を差し出す。

 さっきビクサムが置いてったやつだ。結構綺麗な大柄の白い花。

「とりあえず、仕事場に花飾るところから始めてみたらどうだ?」

「え……」

「レイラに似合うと思うし」

 ぼっ、と音が聞こえそうなほど一瞬でレイラが顔を赤くした。

 あれ……俺また変な事言ったか……?

「あ、ありがとう……先生」

 そっと俺の手から花を受け取って、レイラは可憐に微笑んだ。

 そうそう。そうやって笑ってればいいのに。後は変なのを選ばなきゃいいだけだ。

 ぺこっと頭を下げて、嵐のような泣き女レイラはエコデと共に診察室から出て行った。

 後は会計済ませて帰るだけだ。

 ああ、俺メンタルカウンセリングって苦手なんだよなぁ……。

 レイラがまた来たらメンドクサイな……。

 椅子の背もたれに体重を預けて天井を仰いでいると、傍らに負のオーラを感じた。

 ぎょっとして目を向けると、死んだ目をしたエコデがいる。

「な、何だ? どうしたエコデ」

「……レイラさんから言付けです」

 声まで死んでるし。何かあったのか?

「……先生今度デートしましょうね! だそうです」

 滅茶苦茶棒読み。しかもデートって、レイラ……相当疲れてるのか。可哀想に。

「そうか。時間作ってやらないとなぁ」

 再び天井を見上げると、ぼそりとエコデが言った。

「先生、お昼抜きです。決めました」

「え? ちょちょ、何で?」

 慌ててエコデを見やる。何故か涙目。

「抜きったら抜きですっ! 先生なんて一生お昼抜きですっ!」

 そう叩き付けて、エコデはぷいっと背中を向けて出て行った。

 ぽかんと口を開けてエコデが出て行った扉を見つめる。

 今日はまた、エコデの機嫌が悪いな……俺なんかしたかな。

 深いため息をついて、俺は天井をまた見上げる。

 昼抜きかぁ。きついな。流石にそれは、マジきついです、エコデさん。

「先生、患者さんです」

「ひぃっ?!」

 地獄の底から響いたような声に、俺は背筋を正す。

 扉の向こうから顔を覗かせていたエコデが、見えた。

「……先生、分かってますよね?」

「なな、何が……?」

 にっこり微笑み、エコデは怖いトーンで告げた。

「次は、お夕飯抜きですからね」

 何が怒りの琴線かは不明だが。

 俺は前世でみたことのある赤べこのごとく首をぶんぶんと縦に振った。

 満足げに笑ったエコデが患者を呼ぶ声がする。

 それを聞きながら、俺はそっと息を吐き出した。全く、年頃の子供はよくわからない。

 

◇◇◇

第三話 転生者のお仕事

 

 時計が恨めしい。っていうか、太陽が恨めしい。むしろ、一日の長さが恨めしい。

「……限界。マジ限界だ……」

 丁度一番太陽が高くなったころ。

 それが最近の俺にとっては地獄の時間の始まりだった。

 机の上に常備しておいた水入りの瓶を傾け、透明なガラスに透明な液体が満たされる。

 百パーセント、水道水。浄水器を通さなくても綺麗な水がこの街の売りだ。

 だがきっと俺は、この綺麗な水に殺される。そろそろ俺、水中毒で死ぬわ……。

 おかしい。前世病死した俺は、今度はちゃんと老衰で死のうと決意したはずだ。せめて老衰で苦しまずに死んでやると。

 ……けどどうだ。

 今の俺は前世よりも惨めな死に方をしそうじゃないか。

 仕事もあるし、ちゃんと金もあるし、屋根付きの家もあるんだぞ。だけど。

「ぐぅ……腹減ったぁ……」

 エコデから一生昼抜きの刑を言い渡された俺は、翌日から本気で昼抜きと言う罰を与えられていた。

 世界史上類まれに見るトップクラスの男の娘・エコデから与えられた、いわれのない暴力である。

 しかも今日は午前診療と言う、最悪の事態。

 仕事をしていればそれでも空腹は紛らわせるもんだ。

 だけど、何もしないとなると、俺は真正面から空腹を戦わねばならない。

 最悪だ! ああ、こうなったらもう、満腹中枢を刺激する魔法を使って誤魔化すか。

 チート能力の使い方を間違えてる気もするが、下手に物は食えない。

 それこそまた、エコデに冷たい目で見下される。それはそれで悪くないけど。

 下手すると、三食抜きだな。

 それはそれでエコデが居る意味を見失うしなぁ。

 せめて神経を混乱させておくのがベストだな。うん。

「よし!」

 気合を入れて、診療室の机の上を適当に片づけスペースを作る。

 集中するにはある程度の空間がいるからな。

 肘をつき、両手を組んでそこへ額をつける。居眠りしてる奴か、どこかまじめそうにものを考えてるか、あるいは神様に祈りを捧げてるような姿勢。

 ちなみに俺は、神に説教することを心に誓っている。あんなふざけたアンケートは俺が改訂する!

 絶対にだ。

 それはさておき。さて、空腹消去の魔法を……

「先生、何してるんですか?」

「うおあぁぁぁっ?!」

 飛び上って驚いた俺を見つめる若草色の瞳と目が合う。

 吃驚したようで、目を丸くするエコデ。

「な……脅かすなよ、エコデ……」

 安心から息を吐きだした俺に、エコデは申し訳なさそうな顔をする。

 それだけで保護欲を駆り立てるのは相変わらず卑怯だ。

「で、どうした?エコデ」

「あ、えっと……」

 目を伏せて視線を彷徨わせた後、エコデは意を決した様子で顔を上げる。

「午後は休診ですしっ、出かけましょう、先生!」

 マジか。

 空腹の俺に更なる地獄を与える気かエコデよ。その鬼畜さに、俺は涙が出そうだ。

 この世界に転生して初めて流す涙が、飢餓のためとはな。

「美味しいクレープ屋さん見つけたんです。甘い物好きな先生にも食べて欲しいなぁって」

 ああ、クレープな。エコデ、甘いもん好きだしな。女子並に。

 ……ん? 食べて欲しい?

「俺も食していいのですか、エコデさん」

「先生言葉が変です」

 くすっと可憐に笑って、エコデは頷いた。

「反省したみたいですから、許してあげます」

 ああ、今エコデがマジで天使に見える。

 俺を地獄に突き落としたのと同じ笑顔だったけど。

 

◇◇◇

 

 診療所は水曜と日曜日が休みだ。金曜日が午後休診。一応働く人々のために、土曜日は一日開店で対応している。

土曜日に開いてることの有難さは、俺も良く分かってるしな。

 まぁ、問題は土曜にやってくる連中の三分の一が二日酔いってところだ。明日もその土曜日がやってくる。

 石畳の舗装路をエコデと並んで歩きながら、俺は全速力でクレープ屋に駆け込みたい衝動を抑えていた。

 エコデは診療所では某アイドル風の衣装を着ている。外は自由にしていいと、俺は思ってるんだけどな。

 だがどうして、今着ているのはクラシックロリなんだろう。

 意味が分からん。

 男と言う自覚をどっかに捨ててきたんじゃないだろうか。……それはそれで心配だ……。

 今度、エコデのカウンセリングが必要だな。うん。

「あ、先生あそこです」

 くいっと袖を引いて前方を指さすエコデ。

 馬車行き交う道路の脇道に立ち並ぶレンガ造りの建物の間に、ちょこんと可愛らしい看板が見えた。

 白とピンクのいかにもふわっとした雰囲気の……

「ひゃあ?!」

 気付けば俺はエコデの手を引いて猛ダッシュをかけていた。

 

◇◇◇

 

「一番高カロリーで、一番ボリュームあるのを一つ!!」

「は……はい」

 引き攣った表情で何度も頷く店員。

 まるで強盗にでも入られたかのような怯えっぷりだ。

 ぜぇはぁ息を切らしながら注文を終えた俺は、俺以上に苦しそうなエコデを見やる。

 まぁ、歩幅が違うもんな。仕方ない。時速80キロを超えた気もするが気のせいだ。

「エコデはどうする?」

 一呼吸で息を整えた俺はエコデに問いかける。

 だがエコデは苦しそうに息をしながら首を横に振った。

 どうやら、要らないらしい。何で俺を誘ったんだろう、エコデは謎だ。

 ふう、と深く息を吐いて、ようやく落ち着いたエコデは鞄から財布を取り出す。

 俺の稼ぎは全てエコデが管理してくれるシステム。

「もう……先生ってば、子供みたいです」

 清算しながら、エコデはそう笑った。

 それが俺の今日の昼食だ。加減なんてするか!

 と突っ込みたいのを堪えて、俺は黙って完成品が出てくるのを待ち構える。暫くして、それはやってきた。

「お待たせしましたー。ショコラ&チーズケーキストロベリー鬼盛り生クリームチョコでーす」

 たった一つのクレープだが、俺のここ数日の一日摂取カロリーを越えていた。

 通常、ぐっしゃぐしゃのべしゃべしゃになるという恐ろしいダイエットキラーのクレープを、俺は一ミリたりとも汚すことなく、綺麗に平らげる。

 くだらないことに能力を使ったとは言わせない。俺は日常生活でしかチートな能力は使わないと心に誓ってるからな。

 もしもそれ以外で使うとしたら、あの自称神のじーさんのアンケートを書き換えるときだけだ。

 それとマジでヤバいとき。さっきまでみたいに、飢餓で死にそうなときとか。

「うん、美味かったー。満足したぁ」

「よかったぁ」

 ぱぁっとそこが花畑なんじゃないかと錯覚を起こしてくれそうな、エコデの笑顔に俺は頷き返す。

 まぁ、鬼畜天使のエコデだけど、それなりに気を使ってくれてたのは知っていた。

 朝食多めだし、夕飯は早めにしてくれてたし。

 でも昼食抜き! という状態は続けたという悪魔っぷりだったけど。

「じゃあ、買い物してから帰るか。折角出てきたし」

「はい!」

 嬉しそうに頷いたエコデの頭をくしゃっと撫でて、俺たちはクレープ屋を後にする。

 後で聞いた話だが、あのハイカロリー鬼畜メニューをぺろっと平らげた俺を、店員たちは影でグラトニー≪暴食の悪魔龍≫とあだ名していたらしい。失礼な奴らだ。

 

◇◇◇

 

 買い出しでの俺の役目は基本的には荷物持ちだ。

 後はエコデに意見具申。今週はあれが食べたいなー、みたいな。

 基本エコデは全部聞いてくれて、その上で栄養バランスを考えてくれる。

 とても良く出来た助手だ。断じて嫁じゃない。妹ならいいけど。

「うーん、どうしようかなぁ」

 フリルでレースな衣装を風に遊ばせながら、エコデは並ぶ野菜と睨めっこ。

 そんなエコデを見ていた店主の鼻の下が伸びてる。病気だな。今度縫い付けてやろう。

 俺は少し後ろからエコデの背中を眺めていた。

 ああ、平和っていいな。満腹だし。

 ……ん?

 気配を辿って視界を巡らせると、その子は居た。

 人並みの真ん中で、泣いてる迷子。

 茶色のベレー帽が目につく、エコデよりも年下の少年だった。

「……しょーがないな」

 ちらっとエコデを見やる。

 まだ真剣に八百屋で格闘していた。今のうちだな。

 エコデに気づかれないように、そっと踵を返して、俺はその子へと歩を進めた。

 傍まで歩み寄っても、目を擦って泣き止む様子はない。まぁ、それもそうだよな。

「……おい坊主」

 俺が声をかけると、その子はぱっと顔を上げた。

 目を真っ赤にして、泣き腫らした顔。

 俺は思わず苦笑して、ぽすっとベレー帽を潰す様に頭に手を置く。

「もう泣くな。今送ってやるから」

 きょとんとした目を俺に向けてくるのが、何か可愛い。俺、小さい子って結構好きなんだよな。

 ぴっとその子の額に指で触れる。

 ふわっと微かに風が舞って、その子は見る間に霞んでいく。じっと俺を見上げたその子は、くしゃっと笑った。

――ありがと、おじさん。

「誰がオジサンだ」

 反論すると同時に、完全に視界から消える。

 俺はふっと口元に笑みを浮かべて、空を見上げるとぽつりと呟いた。

「もう迷子になんなよ」

 死んでまで迷子なんて、悲しすぎるからな。

 日常では絶対使わないチート能力だけど。俺は、この能力だけは惜しみなく使う。

 一応は、こんなんでも御子認定されてるからな。

 エコデは知らないけど。

「先生ー?」

 やべ、エコデが迷子になったら、本末転倒だな。

 戻るか。

 両手に重そうに袋を持ったエコデが、若干泣きそうな顔で俺を探していた。

「先生ぃ、どこですかぁっ」

 俺が案内してあげるよ、だの、一緒にあっちで待とうか?だの、ナンパ野郎どもに声をかけられても、エコデは無視だった。

 どうやら頭が俺を探すことで一杯らしい。

 可愛いやつめ。でも昼飯抜きの傷は深いからな。

「帰るぞー、エコデ」

 割と遠くから声をかけると、エコデはぱっと俺を見つけた。

 流石獣耳。耳だけはいいな。

 嗅覚は人と同じレベルらしいけど。

「先生ぃーっ!」

 ぱっと駆け寄ってきたエコデの頭をわしゃわしゃ撫でる。

 くすぐったそうに身を縮めたエコデは何か犬っぽい。

「ほら、荷物貸せ。持つから」

 こくんと頷いてエコデは買い物袋を俺に差し出す。

 受け取ってみて分かったけど、これ結構重いし。

 買いすぎだろ、エコデ。2週間分はあるぞ……。

「帰りましょ、先生っ!」

 嬉しそうに笑った。

 まぁ、一週間で刻み込まれた昼食抜きのトラウマで、俺は逆らえなくなってるんだけど。

 マジで、食べ物の恨みは怖いな。いや、何か違うな。ま、いいか。

 

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