第10話 変調

 

 回るローター。鼓膜を揺らす爆音。それをどこか遠くで感じながら、俺は眉をひそめていた。

 頭痛がする。疲れか、あるいはヘリ酔いか? どっちにしろ、早く地上に降り立ちたいもんだ。

 今日の夕飯は何かなぁ。出張帰りのエコデの飯はいつにも増して素朴なのが多い。ポトフとか、カレーとか。いかにも家庭料理って感じ。

 きっとエコデなりの対抗心なんだろうな。王城の飯はさぞ豪勢な食材を使ってるんだから、美味しくて当たり前だぞーって。なーんかそういう所、可愛いよなぁ。

 ダンダに任せてるから、そんなに心配はしてないけど、寂しがりやだからな、エコデ。

 帰ったら撫でてやろう。

 俺が口元を緩めて和んでいると、徐々にヘリコプターが高度を下げ始めた。

 慣れ親しんだ街が視界に飛び込む。景色がはっきりと見え始めた頃だった。

――それは、唐突に訪れた。

「うぐっ……?」

「リリバス?!」

「りぃくん!」

 猛烈な頭痛に襲われ、世界がくるりと回転して、サチコとラフェルの声を遠くに聞きながら俺は意識を手放した。

 

◇◇◇

 

 気付けば、俺はここにいた。靄が掛かったように視界が白いこの場所に。

 呆然と座り込んだまま俺は、見上げる。どこまでも、白い。空すら雪のように真っ白な雲で覆われていた。

 ……あれ? この感じ、どこかで前に見たような気がする。いつだったろう。そんなに遠くない昔に、俺は……

――ぬしは、まだ少し早い。馬鹿者が。

 不意に背後から響いた声に、俺はドキリと震えた。

 俺は、その声を知っていたから。ゆっくりと、駆動の悪くなったロボットのようなぎこちなさで、振り返……

――どん!

 背中を強く突き飛ばされ、俺は前のめりに倒れ込んだ。

 しかし地面があるはずの場所を俺の体は透過。そのままの勢いで引っ張られるように、俺はまっ逆さまに落下し始めた。

「う、そ……だろぉぉぉ!?」

 白い世界の中をスピードを上げ、落下していく。強風が体を襲い、俺は目を閉じて腕で頭を庇う。

 ……多分このスピードじゃ地面と激突して死ぬけど。俺、死ぬ……のか?

――……せ……

 ふと、耳元を声が掠めた。今、誰か。

「先生っ!」

 一際強く、エコデの呼び掛けが鼓膜を揺らした瞬間。

「あ、れ?」

 俺の視界はクリアだった。

 草原色した目から、今にも大粒の雫を溢しそうなエコデが90度傾いて見える。

「エコデ……? どうした? 誰に虐められた?」

 そんな最低な奴は俺が張り倒すから安心しろよ。

 手を伸ばそうとして、何か体が重い事に気付く。そー言えば、俺横になってないか?

「せんせっ……先生良かった、良かったぁぁっ……!」

「うぉっ」

 エコデが俺の胸にしがみついて泣き出した。

 どうしたんだ? 俺、何でエコデを泣かせてるんだ?

 困惑しか浮かばない。

「やぁリリバス、目が覚めたかい?」

 ペタペタ足音を連れて、エコデの傍らにシャルルが姿を見せた。その脇で無言で俺を見据えるサチコ。

 やっぱり状況がよく掴めない。

「俺、どうしたんだ……?」

 エコデを宥めるために、その背を撫でながら俺はシャルルへ問い掛ける。

 シャルルは僅かに表情を曇らせたが、すぐに答えた。

「ヘリの中で倒れたんだよ。それで緊急搬送になった」

 倒れた? 俺が? 記憶に、ない。

 黙り込んだ俺に、サチコが淡々とした口調で告げる。

「頭痛いって、ずっと繰り返してたわ」

「頭痛……」

 脳梗塞か、あるいはくも膜下出血? もしかして俺、もう半身不随とか……?

 不安ばかりが募る俺に、シャルルはにっこりと微笑んだ。

「大丈夫だよ。画像検査では異常なし。血液ももうすぐ出るけど、心配はないと思うよ。片頭痛の強烈なやつじゃないかな?」

「まぁ……その可能性はあるな」

「少し疲れてるんじゃないかな? 出張だったんだろう?」

 対外的にはそういうことになってたっけか。疲労の可能性も無きにしもあらず、だな。

 人間、知らないうちに疲れは溜まるもんだから。曖昧に笑った俺に、シャルルは肯定と捉えた様子で頷いた。

「じゃあ、今晩は入院して、明日もう一度検査してから退院、って感じで」

「そっか。うん、シャルルなら安心だ。頼んだ」

 ははっと、軽く笑ってシャルルは白衣を翻して出ていった。

 忙しそうだな、シャルル。……っと。

「エコデ、だーいじょーぶだから」

「ひっ……く、だって、だって先生っ……倒れっ……」

 顔を上げたエコデは反則だ。こんな時でも超絶可愛い。

 けどまぁ俺は崩れ落ちない強靭な理性を持ってるから問題ない。

 涙で濡れて、声まで上ずってるエコデの頭をそっと撫でた。

 いつもだったら、それで笑ってくれるんだけどなぁ。今日は駄目みたいだ。

 もっと泣きそうになってる。おかしいな。俺、今日の夕飯を楽しみに帰ってきたはずなのに。

 そーいや、今日は入院だから食えないじゃんか。すげー悔しくて申し訳無い。

「ごめん、今日の夕飯無駄にした……」

 俺の言葉にエコデは目を丸くして、そして……破顔した。あ、やっと笑った。

「いいですよ。帰ったらその分食べて貰いますからね」

 それくらいなら朝飯前だ。

 目尻の涙を拭うエコデを見ながら、俺は安堵する。俺もう、エコデを悲しませないって一年前に誓ったから。

 その向こうで、じっと俺を見つめるサチコ。その視線は皮膚に突き刺さるような鋭さを孕んでいた。

 俺は何となくそれが怖くて、エコデを宥めながら敢えて見えないふりを貫き通した。

 

◇◇◇

 

 落ち着きを取り戻したエコデは、ラフェルとダンダに連絡してくると一旦席を外した。

 そーいや、ラフェルはいないな。ダンダにはもう一日警護延長してもらわないとなぁ。

「リリバス」

 固い、サチコの声に俺は小さく息を飲んだ。ずっと無視していた自分を咎められたような気がして。

 そろそろと視線をサチコへ向けると、サチコは感情の薄い口調で問い掛ける。

「何か、見たの?」

「何かって?」

 口の中がからからで、喉も張り付きそうだ。

 明らかに俺は動揺してる。サチコには、それを悟られたくなかった。

「眠ってる間に、よ」

 どくん、と心臓が一際強く脈打つ。ヤバい……悟られるなよ、俺。

「目が覚めたらエコデが泣きそうだったぞ」

 俺の返答に、サチコはじっと俺を見据える。獲物を狙う、蛇のように。

「そう。ならいいわ」

 すっと視線を外し、サチコはそのまますたすたと出ていった。

 俺は思わず胸を撫で下ろす。そして、思い出す。

「……くそっ」

 鼓膜に刻み込まれたように、俺の脳内に反響する声。

――ぬしは、まだ少し早い。

 何で、ドクターの声が聞こえたんだ。ドクターは死んだんじゃないのか?

 

◇◇◇

 

 窓ガラスの向こう側で、くぐもった音が聞こえてきた。ヘリのローターのかき鳴らす騒音だ。

 サチコ、帰るのか。ロヴィには言わないでくれると助かるんだが。

「先生、起きて……ますか?」

「ん?」

 瞑っていた目を開くと、エコデが心配そうに俺を見下ろしていた。

 なんだろうな。凄く……気分が落ち着かない。気持ち悪くて、腹立たしい。

「何か、持ってきましょうか?」

「いい。慣れっこだよ、暇は」

「でも……」

「いいんだ。エコデには分からないだろうけど、入院って結構制限あるし」

 エコデは不意にとても悲しそうな表情を浮かべた。あ……ヤバい。俺、今きついこと、言った。

「そ……です、ね。ごめんなさい、先生。でしゃばりました」

 馬鹿野郎。俺、何してんだよ。必死に笑ってるけど、エコデは凄く傷ついてる。俺のひねくれた発言のせいで。

「あっ、ちょっと外しますね! 入退院で必要な書類とか聞いてくるので」

「エコデ、ちょっ……」

 くるっと背を向けてエコデは逃げるように出ていった。

 しん、と静まる室内。

 俺は……何て、身勝手で最悪な奴なんだ。何だってこんなに荒んでるんだろうな、俺は。

 死んだはずのドクターの声で、死にかけたっぽいのを悟って、怯えてるから? それとも生前を思い出すような、病院にぶちこまれたから? だけどそれって、エコデには何の非もないじゃねーか。俺の勝手な感情で、守ってやらなきゃいけないエコデを傷付けて、どーすんだよ……。

 転生して五年。生前の人生足したって、もう二十歳は越えてる。

 成人だ。大人だ。自立すべき年齢だ! なのに……今の俺は。

「何してんだよ、俺はっ……!」

 ベッドから起き上がって、スリッパも履かずに歩き出す。

 個室の病室扉を開き、廊下に視線を走らせると、右側少し離れた位置にその姿を見つける。

 ナースステーション脇の待ち合いフロアの椅子で俯くエコデを。

 ずきずきする。申し訳なくて。どーしようもない俺に、いつも飯と安堵を与えてくれる、唯一の味方なのに。

 駆け寄った俺にエコデが気付くより早く、俺はその小さな味方を抱き締めた。

「せ、先生? ど、どうしたんですか?」

「ごめん。ごめんエコデ。俺、ほんとにごめん……!」

 思考回路が滅茶苦茶だった。出てくるのは、謝罪のフレーズだけ。

「ごめんなさい、先生。僕……分かったような事言いましたよね?」

 エコデから零れた言葉に、俺はさっと血の気が引いた。

「そんなことない! 俺が、全部っ……!」

「先生が、一番不安ですよね。……死ぬって事がどれ程怖いか、先生が一番知ってるから」

 そう呟いたエコデの言葉に、俺は絶句した。

 エコデはそっと俺の腕を解いて、淡く微笑む。

「僕は、先生に幸せでいて欲しいんです。だから、何でも言ってください。遠慮なんて、しないでください」

 エコデはいつも俺に優しい。いや、……違う。

 俺に甘いんだ。それに甘えてきた俺だから、今もこんなにどうしようもないままなんだ。

「ごめん……エコデ。俺、ガキだ。どーしようもないガキだ」

 一人で抱え込めない恐怖を、俺は、前世でも吐露出来なかった。

 最後まで笑って答えることで誤魔化してた。

 だけど、本当は怖かったんだ。泣いて、降りかかった不条理に叫びたかった。俺は……こんな恐怖が繰り返されるくらいなら、希望なんて要らないって思って、あの時神様の差し出したアンケートを撥ね付けたんだ。

 だけど、違うよな。俺の目の前にエコデがいてくれるのは、そんな人生をリピートするなって事だろ、神様。

「怖く、なったんだ。俺」

「え?」

 エコデが不安と心配を混ぜたような表情で俺を見上げる。

 俺はどんな表情を浮かべたらいいのか分からなくて、曖昧に微笑んだ。

「シャルルのいうとおり、心配ないとは思うんだ。だけど……燻る恐怖が、ある」

「先生……」

「だからさ、話し相手に、なってくれないか? せめて、面会時間の間だけでいいから」

 自分でも情けないこと言ってる自覚はある。だけどこれが、俺の本心だから。

 じ、と俺を見上げていたエコデが、すっと立ち上がる。

 そして、ふわっといつものように、笑った。俺が一番落ち着く笑顔だ。

「先生?」

「ん?」

「辛い時は……、泣いて、いいんですよ?」

 あぁ、くそ。ほんとに、エコデは。

 いつも俺に甘すぎる。

 だけど、今回だけだから。今回は、俺の弱さを許してくれ。もう二度と、弱い自分を受け入れたりはしないから。

 その日、俺はこの世界に生まれ落ちて初めて、弱い自分をさらけ出した。

 

◇◇◇

第11話 Re-rebirth

 

 検査結果は異常なし。俺だって医者の端くれだから、データも画像も自分で確認して、問題なしって判断した。

 露骨に安心してたらしくて、同席してたエコデとラフェルは苦笑してた。

 あとは荷物をまとめて、退院するだけだった。

「なぁ、エコデ」

 俺が声をかけると、タオルを畳んでいたエコデが顔を上げる。

「ロヴィ……きっと来るよな?」

「多分……」

 曖昧に肯定したエコデに俺は頷く。

 ロヴィの事は俺の方が良く知ってるのに、何で聞いたかな。どんだけ俺はエコデに頼ってんだか。

「もしかして、何も伝えてないんですか?」

「うーん……て言うか、伝えられないんだ」

「伝えられない?」

 首を傾げるエコデ。

 俺は小さく息を吐くと、ベッドに腰かけた。問い掛けるようなエコデの視線を、背中に感じる。

「そもそも、全部ロヴィのためだったんだ。でも……」

 肩越しにエコデを振り返る。

 俺の視線の意図を汲み取ったらしいエコデは、ふっと表情を和らげた。

「先生は、先生らしく居てください」

「……ありがと、エコデ」

 俺は嘘が下手だ。偽ってきた事を怒るだろうか。

 でも……俺はもう、嘘で傷付くのも、傷付けるのも嫌なんだ。

 

◇◇◇

 

 自宅兼職場の診療所。普段なら裏口から入るけど、鍵が開いてるから、とエコデは診療所の扉を引いた。

「兄さんっ!」

 あぁ、やっぱり。案の定来ていたロヴィは重そうなマントを翻して俺に駆け寄ってきた。

「もう大丈夫なんですか? 腕のいい医者、呼びましょうか?」

 地味に傷付くな、その台詞。だけどそれも、俺を心配しての発言だもんな。

 ……いや、違う、か。

「大丈夫だって。何ともないから」

 それでも心配で堪らない、という表情のままのロヴィに俺は苦笑する。

 ロヴィは誰より脆くて、純粋だ。俺は、そんなロヴィをずっと騙してる。

 ふと、少し距離を置いたエコデの視線に気付く。エコデはエコデで、俺を心配してくれているようだった。

 大丈夫。俺……少しは強くなったからさ。

「ロヴィ、落ち着いて俺の話を聞いてくれるか?」

「え……?」

「大事なことなんだ。俺とお前と、お前の兄貴に関わる大切な話だ」

「兄さん、言ってることが、変ですよ?」

 そう諭すロヴィの声は震えていた。

 本人も気付いていないかもしれない。ロヴィは、怯えてる。

 でも。

「俺はお前の本当の兄貴じゃないんだ」

 それがどんなに残酷でも、俺はこれ以上嘘を重ねて、ロヴィを憐れみたくはないんだ。

 

◇◇◇

 

 五年前。俺はこの世界に、神様の悪戯か悪ふざけか、少なくとも望まない転生を敢行された。目を開いた俺の目に飛び込んだのは、足元に広がる黄緑色に発光する、複雑な模様だった。大きな円のなかに、数字だか文字だか良くわからないものが書き込まれたもの。

――魔法陣、ってやつか。

 自然と俺の中で理解が及ぶ。見知らぬ場所で、未知の事態に遭遇しても驚かない自分が不思議だ。

 それが、神様の与えた能力ってやつなのか?

「あら、貴方……私と同じね?」

 どこか甘ったるいような、女の声。視線を上げると、そこにはオレンジの長い髪を持つ、年上っぽい女性。

 綺麗な人だな、と思った。

「でも、残念だわ。貴方、変な生まれ方を選択したのね」

 こつ、と一歩踏み出し、妖艶に笑う。しかし、妙なことを言うな……?

「まぁ、それはいいわ。自分の状態については……少しは分かってるのかしら?」

「さっぱりです」

「そう。じゃあ説明してあげるわね。着いてきて頂戴」

 くるっと背を向けた勢いで、ふわりとオレンジの髪が広がった。明るい、カーテンみたいだな。

 そして、それが俺のねじ曲がった人生の始まりだった。

 

◇◇◇

 

「詳しくは後でするわ。今は今時点で認識しておいて欲しいことから説明するわね」

 暗い洞窟のような通路に、声が反響していた。何か、不気味だ。

「まずは、貴方自身の事。この国は王政国家でね、貴方はその第一皇子よ」

「ぶっ?!」

 思わず吹き出した。

 ギリギリファンタジーな展開は受け入れよう。だけど、皇子ってなんだ。俺は生粋のサラリーマン家庭で、しかも人生の大半をベッドの上で費やしたんだぞ? 王族のたしなみとは無縁だ。

「ふふ、大丈夫よ。弟が居るから」

「弟?」

「そう。五つ離れた弟。名前はロヴィよ」

 俺に弟、か。妹なら居たんだけどな。少し楽しみかもしれない。

 そんな若干浮わついた俺に、彼女は言う。

「でも、厳密には貴方の弟ではないわ」

「え……?」

 不意に彼女は振り返って、俺の頬に触れた。

 生前女子とまともに接したことのない俺は、その挙動に思わず硬直する。細いその指が、俺の輪郭をなぞり、ぞくりと背筋が震えた。

 う、わ。ど、どうし……

「だって貴方は、人であって人ではないからね」

 ……え?

 すっと目を細めて微笑む彼女が恐ろしく感じた。

 この人は、何を……言ってるんだ?

「貴方はね、第一皇子の情報から構築されたコピー。だから貴方にはこれまでの皇子としての記憶がない。理屈に合うでしょ?」

「コピー……?」

「材料を組み合わせて、魔法で構築したの。秘術の一つなんだけどね。人間と同じ構造をしてるから、まずバレることはないわ」

 するっと、彼女の手が離れる。そして、少しだけ悲しげに微笑んだ。

「貴方にはね、レイル・ラプェレとして、ロヴィの死んだ兄の代わりとしてこれからを生きて欲しいの」

「なっ……?!」

「貴方は、そのために生まれ落ちたんだから」

 嘘だろ。転生ってもっと明るくて、気楽な人生じゃないのか?

 愕然とする俺に、彼女は優しく微笑む。

「でも、貴方は、貴方だわ。だから、私が貴方に新しい名前をあげる」

――帰還と再誕、リリバス、なんてどうかしら?

 死んだ第一皇子の帰還。

 死んだ現代男子の再誕。

 なぁ、これはあんたのアンケートを撥ね付けた俺への罰なのか? あんまりじゃないか、神様。

 

◇◇◇

 

 彼女が言うには、俺は第一皇子の振りをして生活をしろ、ということだ。

 そこには俺の意思なんて不要。何も俺には自由なんてないってことだ。

 俺はまた、無為な生を送るのか。つまらないな、人生なんて。

「大変だな、王政も。偽物でも皇子は用意しなきゃいけないなんてさ」

 存分に嫌味を詰め込んだ、自分でも辟易しそうな言葉。彼女は肩越しに振り返ったが、足を止めたりはしない。

「別に貴方に王になれ、とは思ってないわ。期待もしていないし」

 ムカつく女。人の人生をなんだと思ってるんだ?

「貴方は、ただロヴィの兄として存在すればいい。ただそれだけ」

 言ってる意味が、さっぱり分からない。死人が生き返るなんて信じてる奴なんていないだろ。

 いたとしたら、それは教育がおかしい。ましてや、王族がそんな……

「ロヴィは死んだとは思ってないわ」

「は?」

「後は、貴方の目で確かめるといい。言葉を尽くして説明したって、貴方の気持ちを動かせる訳じゃないもの」

 そして、彼女は一室の前で足を止めた。

 部屋の扉には、赤十字。医務室、か?

 ……胸の奥がざわつく。

 何の躊躇もなく、彼女は扉を開けた。

 いや、用件が分かってるんだから、当たり前か。俺だけが、何にも分かってないんだ。

 奥へ進むと、恐らくその先にはベッドがあるカーテン。そのカーテンを見つめているのは、清潔な白衣を羽織った中年男性。医者、だよな、多分。

「巫女様……」

 すごく複雑な表情を浮かべる医者。困り果ててるみたいだった。

 不意に俺と視線がぶつかると、医者が目を見開き、一歩後ずさった。

 後ろにあった棚に背中をぶつけ、その反動で載っていた本がどさどさと落ちる。

 何か幽霊でも見たかのような……ああ、そうか。俺は、死人のコピーなんだっけ……。

「レイル、様? そんな、あり得ない……!」

「あら、何を言ってるの? 公務から帰った所よ」

「ふ、ふざけないでください! 私は、私はこの手で、目で、確認したんですよ! レイル様は……!」

「リリバスよ?」

 よくもまぁ、しゃあしゃあと、嘘をつく。

 巫女、なのかこの人は。しかもしれっと名前を捩じ込んだ。

 医者は頭を抱え、首を振った。

「頭がおかしくなりそうです。何なんです、一体貴方は、何を考えているんです?」

「ロヴィの幸せよ」

 俺の人生を生け贄に、この巫女は言い切った。

 唖然とした医師が再び言葉を紡ごうとした時だった。

 しゃ、と弱々しくカーテンが内側から開かれた。

 そこにいたのは、顔色が極めて不良なまだあどけなさを残した少年。

「兄さん……?」

 その子は、ぼんやりとした目で、俺を見ていた。

 もしかして、この子が、ロヴィか? 俺のオリジナルの弟。

「う、ぁ……兄さんっ!」

「わっ?!」

 想定外の素早さで、ロヴィは俺に抱き付いてきた。

 五つ離れた弟、だっけ? ロヴィは俺に抱きついたまま、震えていた。そして、涙を溢していた。

「良かった、良かった兄さんっ……!」

「え、あ……」

 ちらりと救いを求めるように、巫女様の彼女を窺う。

 彼女は優雅に微笑むだけだった。どーしろって、言うんだよ……。

「兄さんが、倒れたなんて嘘だったんですね。良かった、僕は……兄さんがいなくなってしまったら、生きていけない」

 ちょ……どんだけだよ。

 俺が軽く引き始めていると、ロヴィは。

「もう、血の繋がった頼りになる存在は兄さんしかいないから」

 震える声で紡がれた言葉。俺は、何も言えなくなってしまった。

 この子は、脆過ぎる。きっと、レイルはこの子を王家っていう重圧からずっと守ってきたんだな。

 だけど、過保護が過ぎたんだろう。だから、ロヴィはこんなに脆くなってしまった。

――俺が偽物かも判別できないくらいに錯乱して、信じてしまった。

 それを指摘したら、解決するんだろう。

 俺は、お前の兄貴じゃない。本物は死んだんだって。

 そうすれば、少なくとも俺の人生は……少しは自由になる。

 たった一言だ。人違いだで、済む。

 でも。俺は、馬鹿なんだろうな。

「……心配かけて、ごめんな。ロヴィ」

 ロヴィに同情して、俺はダミーの人生を受け入れてしまったんだから。

 この秘密は墓まで持っていこう。俺の嘘でロヴィが救われたのはきっと事実だ。

 だけど、この秘密が白日の下に晒された時、ロヴィを絶望させるも、俺なんだから。

 

――そう、決めてた。

 

 それが正しい生き方なんだって、思ってた。でも、違うよな。

 俺の存在を、偽物だとしても必要としてくれたロヴィの心に甘えただけ。それは、俺の弱さだ。

「ごめんな、ロヴィ。俺ずっと、嘘ついてた。嘘でしか、お前と向き合えてなかった」

 愕然とするロヴィに、俺は頭を下げるしかなかった。

「何で、そんなこと言うんですか。兄さんは、そんなに僕が嫌いなんですか?」

 震える声で問い掛けたロヴィに、俺は顔をあげた。

 ロヴィは、今にも泣きそうな顔で俺を見ている。

 ……俺だって、泣きたいよ。こんな嘘まみれの人生、隠せるならそれが良かった。

 嘘でも人は幸せになれるって思ってた。だけど、一年前に俺は気付いたんだ。それじゃ駄目だって。

 だから、本当の事を伝えたかった。そのチャンスと切り出す勇気を俺が持ってなかっただけだ。

「ごめんな、ロヴィ。今さら何を言ったって言い訳だ。だけど、これだけは信じてくれ! 俺はロヴィのことを本当の弟だと思ってた。それだけは、嘘じゃない」

 ロヴィは唖然と俺を見つめ返す。その瞳には、幾重もの感情が浮かんでは消えている。

 そして……ロヴィはぎゅっと唇を噛み締めて、俺の脇を掠めた。

 診療所から、去るために。

 俺は、何も言えなかった。

 立ち去るロヴィを呼び止めて謝罪をすることも。楽しかった思い出を振りかざすことも。俺にはそんな権利あるわけないんだ。なのに、何でだろう。

 からんっと扉のベルが鳴り、閉まった音が聞こえた瞬間。

 俺は膝から崩れ落ちた。

「りぃくん」

 声をかけたのは、ラフェルだった。

 呆然と座り込んでいた俺に、ラフェルがしゃがみこんで、視線を合わせる。

「良かったのです? これで」

「分かんね。今凄い泣きたい。でも、一番辛いのは俺じゃ、ないもんな……」

「泣いたらいいのです」

 ぽんぽん、と悪魔に頭を撫でられる。

 それすらも、悲しい。俺にはラフェルとエコデが居てくれる。だけど、ロヴィはどうなんだろう。

 それが凄く心配だ……。

「りぃくんは、優しいですね」

「どこがだよ。でも、もしもこれでロヴィが俺を見限ったとしても。俺はロヴィが困ってたら、助けにいくよ」

 だって俺にとっては、ロヴィは弟なんだから。

 ラフェルは満足そうに笑って、すっと立ち上がった。

 そして俺に手を差し伸べる。

「さぁ、じゃあ帰宅のおやつにするですよ。エコちゃんが今、パンケーキ準備してるです」

 あぁ、エコデの姿が見えないと思ったらそう言うことか。

 きっと、エコデなりに俺を励ますつもりの行動なんだろう。

 優しいやつらに囲まれて、俺は幸せだ。涙が滲みそうになったけど、飲み込んで堪える。

 終わりじゃ、ないんだ。俺はやっぱり、ロヴィの兄貴で居たいから。

 いつか、また笑って会えたら……今度こそ、ちゃんと兄貴になれるよう、頑張るからな。

 

◇◇◇

第12話 雪国問題

 

「先生、ご飯できてますよー。起きてくださーい」

 ゆさゆさ朝から船酔い寸前だ。仕方なしに布団から顔を出す。

「寒っ! てかもう、冷たっ?!」

「どう違うんですか……」

 俺の起き抜けの発言に呆れ返るエコデ。

 ばりばり頭を掻きながら俺はのそりと体を起こした。

 それに連動するように、フリースの上着を差し出してくれるエコデは天使だと思う。

 やっとの思いでベッドから抜け出し、上着の袖に手を通しながら俺はエコデの疑問に答える。

「寒いは気温差に吃驚するくらいで我慢できる。冷たいのはもう、無理だ!」

「分かりましたから、ちゃんと起きて、ご飯にしましょう?」

「すぐ行くよ」

 ぽん、とエコデの頭に手を置いて笑いかけると、エコデはそそくさと視線を反らした。

 そんなに俺に飯を食ってほしいとは、ほんとにエコデは可愛い奴だ。

 時刻はすでに、九時を回っている。本当なら開店準備もしなきゃいけない時間だ。だけどまぁ、退院したばっかりってことで。一週間ほど休診の札を提げることになっていた。

 常連も、何やら心配そうにしていたし。何だかんだと、俺はこの街にだいぶ馴染んできたみたいだ。

 

◇◇◇

 

「遅ようございます、りぃくん」

「おはよう、ラフェル」

 朝から無駄に嫌味を応酬しながら、俺は席につく。紅茶のカップを傾けていたラフェルは軽く肩を竦めた。

「そうそう、りぃくん。お仕事があるのです」

「今日の俺はオフだ!」

 ばしっと拒否した俺に、ラフェルはにっこりと悪魔の微笑みを見せる。

「それは医者としてのりぃくんの休みなのです。人としてのりぃくんは、馬車馬のように働く以外、息をする資格もないのです」

 酷い言われようだな。まぁ、実に悪魔らしい。悪魔の戯れ事は聞き流そう。

 何しろ我が家には、たまに悪魔の片鱗を見せる天使がいるからな! いやー、実に安心だ。

「先生、お願いがあるんですけど」

 今日も完璧な朝食を俺の前に並べたエコデは、徐に切り出した。

「おー、どうした、エコデ?」

「昨日の夜、大雪だったみたいで……凄い積雪なんです。だから……」

 大雪だと? だから朝氷の中みたいに寒かったのか。納得納得……、いや。

「まま、まさか俺に雪かきをしろと?!」

「あっ、いえ。僕が行きますから、お昼ご飯少し遅くなるの我慢してもらって良いですか?」

 エコデの発言に二重の意味で俺は愕然とした。

 普段、雪かきは常連でお隣さんの土木建築社員の若い兄ちゃんがやってくれる。ところが、先月末、『俺は政治家になって、この世の中を変えるんだ!』と一念発起して王都へ行ってしまった。

 その結果が、今回の問題である。まぁ、ちょちょいと魔法を使えば良い話なんだけど。

 エコデが頑張ろうとしているのに、俺だけ楽するってのも。

 ていうか、何で俺に頼まないんだ。その代価が昼飯の遅れとか二重苦じゃないか?!

「先生、聞いてます?」

「俺がやるっ!」

「だ、駄目ですよ! 先生、倒れて入院してたんですよ? 退院したばかりじゃないですか!」

「ピンピンしてるって」

「駄目です! ラフェルさんも、何とか言ってあげてください」

 ラフェルに援護を求めたエコデ。

 紅茶を飲んでいたラフェルはカップを置いて頷いた。

「りぃくんが無理をしないように、エコちゃんがついていてあげれば解決なのです」

 本末転倒な答えが返ってきた。

「そもそも、りぃくん一瞬自分がやらされるのかと焦ったでしょう? まったく、自己の欲求のためならすーぐ発言を翻すのは悪い癖なのです」

「なな何を言うっ! 俺はエコデはか弱い可憐な男の娘だから大変だろうと思って!」

 的確に俺の本心を揺さぶる驚異の悪魔がここにいる。

「あら、そうでしたか。ごめんなさい、りぃくん。私はりぃくんがニートよりも使えない、ハエのような鬱陶しさしか持たない人だと勘違いしていたようです」

 にこにこと笑みを向けるラフェル。

 まったく、ラフェルの中の俺は一体どれだけクズみたいな存在なんだ。心外だな。

「良かったですね、エコちゃん。りぃくん、とっても元気が有り余ってるのと、エコちゃんに心配かけたお詫びに、一人で雪かきをしてくれるそうなのです」

 何故そうなった!

 唖然とラフェルを見やった俺に、ラフェルは涼しい顔で紅茶のカップを再び傾けた。

「でも、先生また倒れたりでもしたら……」

 エコデは信じてるし?! 見れば物凄く心配そうな顔をしていた。

 ぎゅっと手を握り締めてじっと俺を窺うエコデは可愛い。俺はラッキーだよなぁ。こんな可愛い居候を抱えて。

「ほらっ、先生まだぼーっとしてるじゃないですかっ!」

「あぁ、違う違う。今日もエコデが抜群に可愛いなぁと見惚れてただけだ」

「はぃっ?!」

 素っ頓狂な声をあげて、真っ赤になったエコデ。

 あ、怒ったのか? そりゃそうだよなぁ。仮にも男が可愛いとか言われたり、ましてや男に見惚れてたとか言われたら俺なら発狂して、取り敢えず寒中水泳に行くな。

 ガチャン!

 ガラスの奏でた悲鳴に、俺とエコデは視線をスライド。

 その先には、青筋を浮かせた笑顔のラフェル。

「さ、じゃあとっとと雪かきをしてくるのですよ、鈍重りぃくん?」

「お……おぅ」

 頷かないと、ヒールの踵が俺の足の指を粉砕するだろう。

 立ち上がろうとして、やっぱり心配そうな顔をするエコデに俺は苦笑した。

 ほんと、心配症だな。案じてくれる気持ちは嬉しいけどさ。

「お昼は体が暖まるもの食いたいなー、俺」

「え、あ。えっと……シチューでも良いですか? 先生」

「何でもいーって。俺は、エコデの飯が食えれば万事オッケーだから」

 エコデは途端に目を反らした。

 何だろうな。たまに反応がおかしいんだよなー、エコデって。怒ってんのか呆れてんのか、いまいち分からない。

 ま、俺みたいに面倒な奴の世話を焼いてくれる凄く良くできた同居人ってことで、俺の中では解決してるけど。

「とりあえず、やって来るわ。部屋暖めて待っとけよー」

「早く行くがいいのです。ウスノロりぃくん?」

 ラフェルは今日も完璧な悪魔だ。

 

◇◇◇

 

 扉を開ければそこは雪景色だ。別に珍しくも何ともない。この街は平均気温が低く、一年の半分は冬だ。春と夏は合わせて三ヶ月くらい。短い平穏の時だ。幸いと、降雪するのは冬のなかでも半分くらい。

 だからまぁ……雪景色は慣れっこだ。でも。

「うぉぉ……何で、スコップが熱伝導性抜群の鉄製なんだよぉぉ……!」

 手があっという間にかじかんで霜焼け。

 考えてみれば雪かきを隣の兄ちゃん任せだったから、ろくな装備があるわけないんだ。

 ざくざくごすごす、近所のおっさんたちは談笑しながら雪掻き中。

 驚いたことに、半袖で首にかけたタオルで汗まで拭いてる始末。中年ってすげーな……。

「お? 先生珍しく肉体労働か!」

 雪に突き刺したスコップに凭れて休んでいた俺に、おっちゃんが輝く白い歯を覗かせて手を挙げる。

「俺だってやるときはやるって」

「そりゃあ、ラフェちゃんとかエコデちゃんにやらせてたら先生襲撃するところだ」

 がはは、と笑うおっちゃん。

 基本的に有言実行のご近所さんだからな。……危ない所だった。

「しかし、全然進んでねぇな、先生……」

「うぐっ!」

 痛いところを突かれた。

 慣れない俺の雪かき進捗度はやっと診療所入り口前が大通りに接続された程度。片やおっちゃん達は大通りすら綺麗に掃く勢いだった。悲しいかな、これがベテランと新人の差だ。

「ほら、とっとと終わらせて一杯やろうや先生」

「ん? 飲んでんのか、おっちゃん」

「おうよ! 雪見酒が雪の日の醍醐味だからな」

 まぁ、それくらいは許される労働量だよな。

 しかし、酒かぁ。

「そーいや俺、酒飲んだ記憶がないな」

「おっ、じゃあ一緒に一杯やっか」

 大人の悪い誘い。だけど考えてみれば、俺も成人してるし、大人のたしなみだよな。

 たまにはいいか!

「じゃあ、さくっと終わらせるから、ちょっと待ってろおっちゃん」

「何時間も待たねーぞ」

 そーいうときの、必殺能力だ!

 さて、じゃあ……どうするかな。熱量系だと雪景色が消えるし、勿体ないよなー。

 しょーがない、あんまり好きじゃないけど自己強化系で行くか。

「よっと!」

 掛け声を合図にスコップを握る。さて、頑張って片付けるか。

 

◇◇◇

 

 ……で、何で、こうなってるんだっけ?

 目の前に広がる地獄は、はて何ヵ月ぶりだったか。

「えーと……エコデ」

 ぷいっと視線を反らされた。

 怒ってる。滅茶苦茶怒っておられますねエコデさん。だから俺の食卓は赤い悪魔と緑の妖怪による勢力争いが繰り広げられてるんだな、納得。

 ……納得出来るかっ!

「エコデ、俺、雪かき頑張ったよな?」

「知りません!」

 ぴしゃりと言い切られた。

 困った。俺はまた何かしたんだろう。覚えがないけど。参ったな、と頭を掻いていた俺に、

『いつの話をしてるですか、りぃくん』

 するりと俺の心へ話し掛けたラフェル。

 吃驚したけど正直助かった。救いの女神に見える。まぁ、目を向けたら不自然だから実際は見ないけど。

『だから、雪かきだよ』

『昨日の話を今更自慢げに言わないで欲しいのです』

 つっけんどんな態度でラフェルは言う。

 昨日って? ……あれ?

 そーいえば、俺身体強化使って、雪かきを即効終わらせたあと……おっちゃんたちと酒飲んでたっけ?

 すっぽり記憶がないな。しかもこれ朝飯だな。

 …………あ。

「すいませんでしたぁぁぁ!」

 すっかり俺の十八番と化した、華麗なる土下座。

 記憶がないってことは、多分帰ってすぐに寝て朝になったパターン。

 自分でリクエストした昼食を食べず。そりゃ、エコデも怒る。

 そして、

「先生はお酒禁止です! 暫くデザートも抜きです!」

 容赦ない罰を、俺に下した。

 まったく、酒は飲んでも飲まれるな、だ。……反省。

 

 

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