第13話 ベクトル合力
「ふー……ぅ。やっと午前も終わりかぁ」
休診明けの初日はきついな。まぁ、いつも通りの面子しか来てないけど。
「りぃくん、ご飯食べるですよー」
「あぁ、今行く」
返事はしたものの、憂鬱だ。何しろ、エコデの機嫌を損ねたままだからな。
もちろん、俺が悪い。エコデの有り難みを分かってるはずなのになぁ。
「ん?」
重い気持ちでダイニングへ踏み入ると、サンドイッチがラップを外されて置いてあった。
ついでに、暖かいお茶。これはラフェルが用意したものだろう。
……エコデ、怒ってたけどやっぱ優しいよなぁ。
しみじみその優しさを噛み締める。今度お礼に何かしてあげないとな。
具材に赤い悪魔と緑の妖怪がふんだんに使用されてたけど、これもきっと優しさだ!
俺の体内での悪魔払いの修行の場として、エコデが用意してくれたに違いない。
「……りぃくん、顔が真っ青なのです。そんな顔をしてエコちゃんのご飯を食べるくらいなら、死滅した方が世界のためなのです」
いっそのこと、そうしたい……。
赤い悪魔の内臓が俺の意識を侵食するし、緑の妖怪が小躍りしてる。
最悪だ! 今日こそ食卓神の赦しを獲得しないとなぁ。
このままじゃ俺は惨めな死に様を晒してしまう。
『名医リリバス、悪魔との聖戦に敗北。敗因は窒息か』
なんて新聞の一面にでも載ったら……
「安心するといいです。りぃくんは名医じゃないのです。死んでも精々長くても三日でみんな墓の場所さえ忘れるですよ」
「せめて四十九日までは覚えててくれよ?!」
ふ、と哀れんだような笑みを見せるラフェル。
その頭弱くて可哀想、みたいな顔やめてくれ。泣きたくなるから。調子に乗ったのは謝るから!
「リリバス居る?」
「ぬぁっ?!」
唐突な声に驚いて目を向けると、診療所へ続く扉からポアロが覗いていた。
扉との隙間、十センチ程度。その隙間から、能力を失った銀色だか濁った白だか分からない瞳で見つめるポアロ。ついでに頭の蛇がうねうねとこちら側へ勢力拡大中。ホラー映画か!
「あ。もしかしてこの間頼んだ分か?」
「そう」
俺は席を立って、扉へ歩み寄る。
ポアロはすっと身を引いて、それを確認してから俺は扉を開けた。
扉の先でたっていたポアロは相変わらず。黒と赤とシルバーと、ついでに羽とレース。
顔の印象的なメイクがないお陰で、まだポアロらしさが残ってるけど。強烈だよなぁ、これ。
「これ」
ずいっと突き付けてきた紙袋も黒。
そこに赤字で『ブラッドレス・ジュエル』と書かれていた。
前も気になったけど、このバンド名ってどういう意図で付けられたんだ?
「あとこれ」
更に差し出したのは、請求書。今月もまた無駄に高い。両方受け取って、俺は納品確認を始める。
ポアロの腕を疑ってる訳じゃないけど、これはビジネスだからな。仕方ない。
「ん?」
中を覗けば、黒い布地。おかしいな。俺今回は、不思議の国のアリスをイメージしたんだが。
不審に思いつつ、更に中を検める。
「な……なんだこりゃああぁぁ?!」
「文句ある?」
「大有りだ! どど、どーいう展開だよ?!」
出てきた衣装は、黒と赤。
黒いブラウスに赤のフレアワンピース。その裾には黒のフリル。でもって極めつけは、黒い羽のあしらわれた怪しげな黒薔薇のヘアピース。まんま、ポアロの衣装の改訂版じゃないかっ!
「人の苦労、分かってない。リリバス最低」
「うぐ……で、でも企画書と違いすぎだろ! 特に色!」
ポアロまさか、色盲になったんじゃないか?
じゃなきゃ、白と青を黒と赤にはしないだろう。きっと、バンドの照明にやられたんだな?!
俺がポアロに診察を勧めようとした瞬間、ポアロが真顔で言う。
「エコデならきっと似合う」
んな馬鹿な……。
エコデはどっちかって言えば清楚系だぞ。頑張っても会いに行けるアイドル位だ。こんな典型的なパンク感……
「意外と可愛いかも」
ギターとかベースも似合うが、どっちにしろおたおたしてそうだ。完全なるギャップ萌え。
「ポアロ……」
ポアロは沈黙したまま、すっと手を差し出した。
そして俺は。
「流石ポアロだ! 俺の見込んだ最高の裁縫屋だ!」
がしっと両手でその手を握り締める。
ポアロは吃驚したように微かに目を見開き、楚々と目を伏せる。
「そ、それほどでも、ない」
「いいや。やっぱり俺にはポアロが必要だな、うん」
じゃなきゃ、俺の精神保健が保てない。ポアロは何やら、顔を赤くして、どうやら熱があるらしい。
徹夜で仕上げてくれたんだろう。マジ感謝だ。
◇◇◇
「見てくれエコデっ! 今月のスペシャル制服をポアロが完成させてくれたぞ!」
がらがらがらぁん、とヴィアの店の扉を騒々しく開け放つ。
「先生っ! 壊れたらどーするんですかっ!」
すぐさま俺に怒ったエコデに俺は嬉々と歩み寄る。
エコデの隣にいたヴィアが呆れた様子で俺を見ていたが気にしない。
「見ろ可愛いだろー」
「先生、話聞いてないでしょう……」
ジト目で俺を見るエコデは、どう捉えてもご褒美だ。
そして次に見せてくれるのは、輝く笑顔だ。間違いない!
ふう、とため息をついて、エコデは、俺の差し出した紙袋を受け取った。
ヴィアはひょっこり顔をだし覗き混む。
ぴらっと出てくるポアロ製美麗制服。驚きに目を見張ったエコデまでは想定済み。
「先生……」
「いやぁ、ポアロが機転を効かせて良い感じに……」
「何考えてるんですか、先生はっ! ほんとにもう、手に負えないです!」
俺の予想とは裏腹に、ガチンコで怒られた。
エコデの怒りを要約するとこうなる。
黒と赤では死神みたいで嫌だ。丈がフリルで誤魔化そうとしてるけど短すぎる。もう二十歳近いんだから、痛い格好はしたくない。そもそも、俺の絵のセンスが悪すぎる。
ん? 最後のひとつ、服とは関係なくない?
「とにかく! 今回のは絶っっっ対着ませんからね!」
ぴしゃりと言い切られた。
そんなに、嫌なのか……。
言葉もなく立ち尽くす俺に、エコデは顔を背ける。最早目すら合わせてくれないんだな……。
あ、何か泣きそう。
「まぁまぁ、落ち着きなよお二人さん。てか、店内で痴話喧嘩はやめてよー」
緊迫感の欠片もないヴィアの声。
そして、ヴィアは体を乗り出して、俺の襟を掴んで引き寄せた。
「うぉ?!」
ドキッとした俺の耳元で、ヴィアがこそりと囁く。
「俺の前だけで良いから、って言いなさいな、センセ?」
「は? それじゃ意味な……」
「良いから良いから」
語尾にハートマークが付きそうなトーンだが、生憎と親友の一応は彼女にときめいたりはしない。
あぁ、その問題も解決しないと……。
そっとエコデを窺うも変化なし。物は試しか。どのみち、これじゃ帰宅もままならないし。
「その、ほら……俺の前だけで良いから」
その言葉に、エコデはぴくりと獣耳を震わせる。
お、反応ありか? これは畳み掛けるしかない。
「エコデなら可愛く着こなしてくれると思ったから! 俺が見たいだけだし」
大体は本音だから、問題ないだろ。
エコデはぎこちなく俺に視線を向けた。
「……家だけですからね」
ぽそりと呟いたエコデ。
その条件さえあれば許してくれるのか! なら、迷うことは何もないっ!
こくこくと頷く俺に、エコデは小さくため息をついた。
「しょうがない先生です……」
俺が心の中で渾身のガッツポーズを決めたのは言うまでもない。
ちらっとヴィアを見やると、ウインクされた。婆さんのウインクには正直寒気がするが、今回ばかりは感謝だ。
やっぱり亀の甲より年の功だよな。しかしまぁ、次回も上手くいくとは限らないからな。
今度からは色指定をしっかりやるかぁ。俺の絵、壊滅的らしいけど。
◇◇◇
第14話 白い聖誕祭
聖誕祭。俺の元いた世界では、クリスマスと呼ばれて、誰とも知らない宗教上の偉い人を祝う日だ。
宗教が違えば、無関係なのが普通だとは思うが、一年の大型の1つとしてプレゼントを贈りあったり、恋人がいないと途端に慌て出す人が増える。まともに祝ってる人間なんかきっと一握りだろう。
かつての偉業も、時代が過ぎれば色褪せて見向きされないということか。聖人も切ないよな……。
「先生、ぼんやりしてますけど、また具合が悪いんですか?」
「いや、聖人に同情していた所だ。せめて俺くらい祝ってやろうと思って」
ぽかんとするエコデ。仕方ない、この世界の聖誕祭は少し違うからな。
「けどまぁ、国民から祝われる我が親父様も幸福者だよなー」
人徳もへったくれもない親父さんだが。この世界、というかこの国では国王の誕生日が聖誕祭の日と定められている。
もちろん国民の休日で、街はこれでもかと華やかに飾られ、賑わう一日だ。この日に独り身だと肩身が狭いとかで焦る恋人なしの連中もいるくらいだ。どの世界でも同じ様なもんだ。まともに、親父を祝うのは城の連中くらいだろ。任務だし。
「先生、良いんですか?」
ぽつりと、気弱に問い掛けるエコデに俺は首を傾げる。
お茶の話か? いつも通りの紅茶で文句はないが、実は何か違うのか?! それ、気付かないとまずいタイプだよな?!
俺は慌ててカップの中の液体を睨み付ける。
色……異常なし。味……いつも通り適切な濃さだった。匂いは……あ、今日は甘いな。
「先生、何してるんですか?」
「いやあの、うん! 今日も美味いお茶だなー!」
エコデは呆気に取られる。
あれ、俺はまた、何かずれた返しをしたみたいだ。
すると、エコデはくすっと苦笑。
あ、やっぱそうなんだ。どうも俺は、早とちりが多いみたいだと最近気付いた。
曖昧に笑って、頭の後ろを掻く俺にエコデが答えを言う。
「お城に帰って、お祝いしてあげなくていいのかって話です」
「あー……」
なるほど、エコデは気が回るよなぁ。だけど、な。
「いーんだよ、サチコも……ロヴィもいるしさ」
あ、ちょっとまだ痛いな。ロヴィとはあれきりだ。いつか、きっといつか、分かり合えたらいいなとは、願ってるけど。
「じゃあ、今年はラフェルさんと三人で楽しくやりましょうね!」
特別明るく、エコデは俺へ提案した。
つい伏せてしまった視線をあげて、俺はエコデを見やる。
笑顔の中に、ほんの少しだけ苦しそうな気配。
まーた心配させてるな俺は。いつも保護者面してるくせに。
でも、それすら含めて、今の関係があるんだよな。
だから俺はエコデに笑顔で返す。
「そうだな。ぱーっとやろうな」
「はい! 楽しみですね」
ありがとな、エコデ。
心の中で感謝しながら、俺は紅茶のカップを傾けた。
つくづく俺は情けない。でもまぁ、今の平穏さが続くなら別にいいよな、うん。
◇◇◇
聖誕祭当日は、街をあげて……というか国全体でもってお祭り騒ぎだ。
もちろん体裁は国王感謝祭だが、誰もそんなことは祝っちゃいない。
商店はここぞとばかりに売り出し、レストランはどこも予約で一杯。街にカップルが溢れかえり独り身は肩身が狭い。
所謂クリスマス商戦真っ只中だ。
「すごい人ですね」
「迷子になりそうなのです」
左にラフェルが颯爽と歩き、右側ではエコデが時折人波に流されそうになっていた。
「ほら、エコデ危ないから掴まってろって」
「い、いいですっ! 大丈夫です!」
ぶんぶん首を横に振るエコデ。
と言ってる傍から人にぶつかってよろめいてるし。可愛いよなぁ。
まぁ、男と手を繋ぐのは嫌だよなぁ。俺はエコデが可愛いからいいけど。脳内変換は得意だからな!
「俺じゃなくてラフェルでいーって」
「うー……」
唸るのは、やっぱり男としてのプライドか?
だとしたら何で真っ白なコートの下に、フリル満載の服を着てるんだろう……俺の中で未だに解けない謎だ。
エコデは大人しくラフェルに手を引かれて歩き出す。凄い不服そうに上目使いで俺を睨んだ理由は不明だった。
◇◇◇
「やー、待ったよー!」
やっとの思いで辿り着いたのはヴィアの店。
今年はこの店でパーティーを開くことになったのだ。
「ほら、頼まれてたケーキ。潰されないように頑張ったぞ」
「あ、そう? でも一番頑張ったのはエコデっしょ?」
俺の差し出したケーキ入りの箱を差し出しながら、ヴィアがけろりと言う。
否定のしようがなかった。もちろん作成はエコデに任せたし。黙った俺に、ヴィアは笑ってばしばし肩を叩いた。
「いやー、センセ素直だよねー! 好きだわー!」
婆さんに好かれてもなぁ。
どうせなら綺麗でスタイルの良い若い子に好かれたいのが、男ってもんだ。言わないけど。
「準備は出来てるから、奥にどーぞ! シャルルも待ってるのよー」
あぁ、そういえばヴィアとシャルルは恋人関係か、一応。
そう考えると俺らって邪魔なんじゃないかとも思うが……シャルル、魔法で騙されてるっぽいし、複雑だよな……。
案内するヴィアを追いながら、俺はぼんやりと親友の将来を勝手に憂いていた。
◇◇◇
相変わらず恰幅の良いシャルルは片手をあげて挨拶。
ヴィアに勧められて、俺達は席についた。ヴィアのことだから、全部パン攻めでくるかとばかり思っていたが、流石年の功。手料理もバッチリ揃っていた。オードブルからメインまで隙無しの布陣。
俺の空腹中枢はすでに胃の容量を確保すべく活発に活動している。
「りぃくん、涎」
「ぬぁっ!?」
慌てて口元を拭う……って、出てないし!
じろりとラフェルを睨むと、その向こう側に座っていたエコデがくすくすと肩を揺らして笑っていた。
ラフェルは冷めた笑顔だし。恥ずかしい。
「あはは、しょーがないねーセンセ。ま、始めよっか!」
「賛成っ!」
笑いの広がる室内。早速ヴィアがボトルをシャルルに手渡した。
「あれ? それ、もしやワイン?」
問いかけた俺に、ヴィアは栓抜きをシャルルに預け頷いた。
「そうよー。パーティーにはやっぱ赤ワイン。もしやセンセ、飲めないのぉ?」
にやにやと意地の悪い笑みを見せるヴィア。
絶対知ってての発言だな。エコデが聞き出されてない訳がない。
俺は食卓神エコデから禁酒令を言い渡されているんだ! そーっと、恐る恐るエコデを見やる。
するとエコデは、小さくため息をついて言った。
「今日だけですからね」
「良い子にしますっ!」
ともあれ、無事に許可が降りた。
ラフェルが呆れ返った表情を浮かべ、シャルルが苦笑いで、ヴィアが爆笑していたけど、万事解決だ!
きゅぽん、と小気味良い音をたてて、ワインボトル内の空気が解放された。
グラスに注がれる、深い赤。ヴィアが危ない笑顔をしているのは、この際見なかったことにしよう。
次々グラスに赤い液体が満たされ、最後にシャルルがエコデ分を注ごうとして、
「あ、僕は……」
慌ててエコデは辞退する。
そー言えばエコデも飲んだことないよな。俺の駄目っぷりを見て嫌なのかも。
「まぁまぁ、今日だけ今日だけ!」
エコデの意思を押し退けて、ヴィアはシャルルからボトルを奪ってあっという間に注いでしまった。
あーぁ……強引だな。
「エコちゃん、大丈夫です。りぃくんは私が面倒見るですから!」
「すみません、ラフェルさん。お願いします」
って、俺、そーいう心配されてたの?!
地味に悲しくなった。前科持ちには厳しい世の中なんだな……。
かくして、無事にパーティーは開始した。
流石パン屋のパン。バケットは良い感じに表面かりっと中は弾力がある。そーいや初めて食った気がするなぁ。
今度エコデに頼んで買ってきて貰おう。飯は旨いし、何よりデザートが最高。甘いものは正義。これは間違いない。
「あれ、寒い寒いと思ってたら雪だねー」
ワイングラスをゆらゆら揺らしながら、ヴィアは窓の外に視線を向けていた。
視線がどこか定まってないのは、酔いが回ってるからだろう。
「よっし、エコデ、ラフェルっ! 雪見酒しよう!」
「え? え?」
戸惑うエコデを、ヴィアはあっという間に引っ張り出していった。
ラフェルは優雅に立ち上がると、テーブルの上のまだほとんど飲んでないボトルを掴んで追いかける。
……まさかそれ、飲みきるのか。悪魔って怖い。残された野郎二人で顔を見合わせる。
シャルルはへにゃりと笑って、ぽんとその見事な太鼓腹を叩いた。
「さて、じゃあ片付けようか」
「それくらいはしないとなぁ」
流石に、何もしない、ってのはまずいもんな。
◇◇◇
食器を洗い、テーブルの上を綺麗に拭き、元通りとおぼしき状態へ戻して早数分。
ヴィアたちはまだ帰ってきていなかった。それどころか、きゃあきゃあと楽しそうです。
ラフェルは悪魔だし、ヴィアはバンパイアだから心配はしてないけど、エコデは風邪引くよなぁ。
「シャルル、ちょっと行ってくるわ」
お茶を飲んでいるシャルルへ告げて、俺はエコデのコートを手に、外へと向かった。
扉を開けると、冷気で一斉に毛穴が閉じる。
ひらりと、暗い空からは白い雪が舞い落ちていた。ヴィアの家の裏には小さな公園があり、そこに三人の姿を見つける。
寒くないのか、あいつらは。苦笑しつつ、積もり始めた雪をさくりと踏みつける。
「もう、嫌だぁっ……」
不意に、エコデの悲痛な声が聞こえた。
見れば顔を両手で覆って、ラフェルがそっと背中を撫でている。
明らかに泣いてる。思考が一瞬止まり、慌てて俺は声を掛けようとして、
「先生の傍にいるの……もう、辛いですっ……」
嗚咽混じりに溢したエコデの言葉が、俺の行動を止めた。
ど、いう……事だ? エコデ、俺の面倒を見るのがきつくなったのか?
不安と疑惑が思考を埋め尽くそうとしていたその時、ヴィアが嘆息する。
「センセ、鈍いにも程があるからねぇ。一生気付かなさそーだよ。エコデにこーんなに想われてるのにさぁ」
……え? ちょ、ちょっと待て。
「それで良いって、思って、ました。でもっ……でも、おかしいの、分かってるけど……っ」
いやいやいやいや! 落ち着け。落ち着くんだ。
だけど泣きじゃくるエコデは本物だ。泣いてるのは、見たくないってのも本心だ。
「でも、僕は……先生が、好きです。一番近くに居たいんです……!」
……俺は、もしかして、とんでもない事を、聞いたのか?
不意に、ラフェルが顔をあげた。視線が、ぶつかる。
ヴィアはエコデを励ましていて、俺には気付いてないようだった。
ラフェルはじっと俺を見つめるだけ。テレパシーも使うことなく、じっと。
俺は、咄嗟にくるりと反転。
そのまま、全部見なかった、聞かなかったことにしてヴィア宅へと即座に戻った。
ダイニングへ戻ると、シャルルが吃驚した顔で俺を迎える。
「どうしたんだい、リリバス。顔がこれから詐欺を働くセールスマンみたいだ」
「どんな顔?! ていうか、シャルルどうしよう?!」
シャルルの肩を掴んで、前後に揺らす。シャルルの体はゴム毬のごとく、たゆんたゆん揺れた。
「お、お、落ち、着い、て、リリ、バス」
「俺エコデに好かれてんの、全然気付いてなかった!」
俺の手から解放されたシャルルは、ふうふう息をつきながら、眼鏡の位置を直す。
そして、俺へ問いかけた。
「嬉しくないのかい?」
「いやいや! そういう簡単な話じゃないだろ!」
「保護者として誇って良いと思うんだけどなぁ」
「多分そっちじゃないと思うんですが?!」
困惑の一途を辿るばかり。
不意に。
「りぃくん、帰るですよ」
びくっと思わず身を震わせる。
恐る恐る視線をスライドさせると、ラフェルがいた。
唾を飲み込み、俺は口を開く。
「え……エコデは、どし、た?」
「寝てしまったのです。早く帰るですよ」
「わ、分かった」
ぎこちなく頷くと、ラフェルはくるっと背中を向けた。
俺はシャルルへの挨拶もそこそこに、慌ててラフェルを追いかける。
ラフェルの背中からは、何も読み取れない。
妙な緊張を募らせていると、先程の公園へと辿り着く。
ベンチでヴィアに支えられながら、寝ているエコデが確かにいた。
「あ、センセーあとはよろしくねー」
へらっと笑うヴィアに曖昧に笑顔を返す。
エコデ、連れ帰らなきゃ……な。うん。
何とか自分の体を駆動させて、エコデを背負うと、ラフェルはその背にコートを掛けた。
「行きますよ、りぃくん」
何だろう、居心地悪い。
◇◇◇
十分もかからない道のりが、こんなに遠く感じるとは。人通りも大分減り、祭りも終わろうとしている。
「何故、逃げたのです? りぃくん」
唐突に切り込んできたラフェルに俺は思わず足を止め、慌てて視線を向ける。
金色の瞳が冷たく俺を見つめていた。
「逃げてなんか……忘れ物をだな」
「言い訳とは見苦しいです、駄目男りぃくん」
返す言葉もなく、口を閉ざした俺に、ラフェルはため息をついた。
そのため息は俺を責めてるみたいだった。
「エコちゃんの想い、ちゃんと分かりました?」
「た、ぶん……」
あんまり認めたくないけど。
ラフェルは空を仰いで、ぽつりと言った。
「エコちゃんは、りぃくんといると、傷付くばかりなのです」
そう、だな。俺は全然気持ちに気付いてなくて。振り返ってみれば、納得できることも沢山ある。
酷い奴だよな、俺って。
「でも、だからこそ、エコちゃんはりぃくんが好きなのです」
「俺は……」
「りぃくんは馬鹿だからすぐには答えなんて出ないのです。それに、エコちゃんはりぃくんに知られたなんて気付いてない。そもそも、知られたくないのです」
何も言えない。情けないな、俺は。
「りぃくんに知られて、嫌われるのがエコちゃんは怖いのですよ」
「嫌うか、馬鹿」
ずっと世話を焼いてもらったんだ。
俺を初めて頼ってくれたのは、エコデだったんだ。
それなのに、嫌うわけないじゃねーか。それが、どんな想いでも。だって。
「エコデは、俺の家族みたいなもんなんだから」
するとラフェルはくすっと笑った。
悪魔らしくない、穏和な笑みで。
「ほんとに、りぃくんはお馬鹿さんなのです」
「言ってろ」
何か、自分で言って恥ずかしい。背中に背負ったエコデは、俺が初めて守ろうと思った存在だ。
その気持ちは変わってない。だから、嫌うなんて有り得ないんだ。
でも、まぁ。
「明日から俺、エコデをまともに見られないかもしれない……」
「何を今更照れているのです。エコちゃんは最初から可愛いのですよ?」
そりゃ、そうなんだけどさ。やっぱり複雑だよなぁ、感情的には。
あぁ、この雪が今日の出来事全部覆い隠して、真っ白に戻してくれたらな。
なんて、叶いもしない願いを抱きながら、俺は再び家へ向けて歩き出した。
◇◇◇
第15話 brother
今日もチラチラと雪が舞い降りて、寒い一日になりそうだった。
折角の休日だけど、これは昼寝しかないよなぁ。
「りぃくん、昼寝ばかりして、頭まで酪農動物になるですよ」
「まだ何もしてませんが?!」
心の中をすっぱり見抜かれた俺は慌ててラフェルへ反論する。
しかしラフェルは完全に俺を鼻で笑っていた。悪魔め。俺を堕落に巻き込もうとしてるな?!
「先生、ちょっといいですかー?」
「はいっ!」
思わず背筋を伸ばして返事をした俺に、キッチンから顔を出したエコデが吃驚したように目を丸くする。
ヤバイ。思いっきり不審な態度じゃないかこれ!
「ど、どーしたエコデ」
感づかれないように、俺は先手を打って、問いかける。
エコデは「あ」と思考を引き戻し、少し困ったように眉尻を下げた。
「あの、小麦粉が切れそうなので、買い物に付き合って貰っても良いですか?」
何だ、いつも通りの買い物か。小麦粉重いしな。他にも買うとなるとエコデ一人では大変だろう。
大体、そうじゃなくてもついてくし。じゃないと、次週のメニューに口を挟めないからな。
どこかほっとした自分に苦笑しながら、俺はエコデに頷いた。
「じゃあ、用意したら行くか」
「あ、はい!」
ぱっと表情を輝かせたエコデ。純粋に可愛いよなー。
ぱたぱたと自室に駆けていく背中を見送って、俺は。
「だぁぁぁっ! 何つーかもう!」
「やれやれなのです」
肩をすくめたラフェルの横で俺は頭を抱える。
可愛い居候の一挙一動言葉の端々まで勘繰るようになって、俺は一人苦悩の日々を送っていた。
「エコデが可愛いから悪い。あれがムサイおっさんとか、ただのイケメンの兄ちゃんとかだったら俺は苦労してない」
ぶつぶつ言葉を吐き出していると、ぽん、とラフェルの手が俺の肩に置かれた。
ゆっくりと見上げると、ラフェルは。
「りぃくんがヘタレで鈍感で無駄に天然タラシなのが一番悪いです」
「俺って他からそう見えてたの?!」
知らなかった。愕然。
するりとラフェルの手が離れるとほぼ同時に。
「先生、行きましょう!」
すごく嬉しそうに、今日も可憐な装いに身支度を終えたエコデがやって来た。……それは反則だ。
あぁもう、何でエコデは女の子じゃなくて男の娘なんだろうなぁ。人生、不公平ばっかりだ。
◇◇◇
真っ白に染まった街は、全てが静かだった。つい先日の、聖誕祭の喧騒など嘘みたいに。
日々ってきっとそんな物なんだよな。
でも、人は違うんだ。自分の心の中で、じっと蓋をして隠し続けるだけで、消えたりはしないんだ。
「帰ったら、今日はマフィンでお茶にしましょうね」
「お、それは楽しみだな」
屈託なく笑いかけるエコデの裏に、どんな想いがあったかなんて、俺は考えたことなかった。
結構、残酷なことしてたな……。まぁ、今の俺は剣山の上で正座を強いられている気分だ。凄くチクチクと痛い。このままじゃ、エコデの為にはならないのにな……。
「……? 先生、あれ……」
不意に、袖を引いてエコデが前方を指差した。
その指先を辿ると、二つの人影。
一人は真っ黒なフードつきの外套を羽織り、もう一人は赤い重そうなマントで、緑の傘をさしていた。
距離にして、約十メートル。その距離でも、緊張を孕んでいるのは感じた。
いや、緊張してるのは、俺か?
「ロヴィ……」
「少し、お時間を戴いても……良いですか?」
ぎゅっと心臓が掴まれたようだった。
ああ、俺は怖がってるな。
◇◇◇
人もまばらな喫茶店。どうせなら多少騒がしいほうが気分的には嬉しいが、流石に降雪時に外出する人は少ない。
必要に迫られなければ、不要不急の外出を避けるのが選択としては正しい。
カタカタと店員が手際よく注文の品を並べる。
窓際の四人がけテーブル。店内には俺たち以外には、カップルが一組と、カウンター席で新聞を広げてタバコをふかすおっさんが一人。見事な閑散ぶり。いつもは結構賑わってるんだけどな。
「元気そうね、リリバス」
切り出したのは、サチコだった。
一礼して去っていったウェイターを見送って、サチコはカフェラテのカップを手に取る。
「お陰さんで、元気にやってるよ」
「それは何よりだわ」
当たり障りのない会話。
でも、少しも空気は和らがない。エコデは心配そうに俺をそっと窺うし、ロヴィはロヴィで俯いたままだ。
どう、声を掛けたらいいのだろう。ロヴィの中で俺はどういう結論に達したのだろう。
考えると頭が痛くて、苦しくて吐きそうだ。
「レイル兄さん……じゃ、ないんですよね」
抜き身の刃で切り裂かれたような、唐突にして鋭利な言葉が、ロヴィの口から紡がれた。
テーブルの下、膝の上に載せていた拳をぎゅっと握り締め、俺は深く頷いた。
ロヴィを直視出来ない。責められても文句は言えない。
だけど、やっぱりキツいんだ。
転生者は孤独だ。自分の知り合いがいない中へ簡単に放り込まれて、孤独を突き付けられる。そんな中でも、偽物だとしても、ロヴィは弟だった。俺の、兄弟だった。騙してたのは俺だけど、逃げ出したのも俺だけど。
でも、それはロヴィが嫌いだからじゃなかった。
「……有り難う、リリバス兄さん」
「え……?」
リリバス、兄さん……って。
呆然と顔を上げると、泣きそうな顔で、でも必死に笑顔を浮かべたロヴィが見えた。
「例え偽物でも、僕を助けてくれたのは……嘘じゃないでしょう?」
「それ、は……」
「僕が弱いから、レイル兄さんが死んだのを認めたくなかったから。サンディさんが、貴方を『産み出した』んでしょう?」
そうらしい、けど。流石に、詳しくは知らない。
曖昧に頷いた俺に、ロヴィは淡く微笑む。
「考えてみれば、レイル兄さんとリリバス兄さんは全然違うんですよ。レイル兄さんは、甘党じゃないし、仕事熱心だった。何かと僕を気にかけてくれた」
……正反対も良いところじゃねーか。
「だから、最初から全部おかしかった。でも、僕はそれさえ目を瞑って、兄と言う存在だけを求めてた」
……気持ちは分からなくもない。
だって、そもそも俺は孤独に怯えて、存在価値を求めてレイルの偽者として生きることを受け入れたんだから。逃げ出したけど。
「兄さんが居なくなってから、僕は城で公務に追われて、兄さんの偉大さを痛感しました。それと同時に、思ったんです」
「何を……?」
やっとの思いで言葉を絞り出した俺に、ロヴィはひとつ頷く。
「もう、僕は一人でも歩けるんだって」
それは、自立の言葉だった。
「だから、貴方が本当の兄じゃないって知っても立っていられるんです」
「ロヴィ……」
「そういう風に、強く育ててくれたのは……リリバス兄さん、貴方です。僕は、二人も兄さんが居るんですね。凄く、それが幸せです」
言葉が、なかった。
俺よりロヴィの方がよっぽどしっかりしてる。俺は、レイルの影に怯えてばっかりだったのに。
「あり、がとう……有り難う、ロヴィ。ごめん。ずっと、ごめんな。俺は、ほんとに俺は馬鹿だ」
静かにロヴィは首を横に振って、そして優しく問い掛けた。
「これからも、兄さんで居てくれますよね? リリバス兄さん」
俺はもう、頷く以外出来なかった。
だって、口を開けば濁流のような感情が溢れて仕舞いそうだったから。
◇◇◇
ひらひらと、楽しそうに手を振って遠ざかる姿。
兄よりもしっかりした、次期国王になる弟。見えなくなるまで、俺はその場から動かなかった。
「先生」
「うん? どした、エコデ」
視線を落とすと、エコデが淡く微笑んで俺を見上げていた。
「また、会いに来てくれると良いですね」
「そうだな。でも……」
「でも?」
俺はふっと口元に笑みを浮かべる。
「会いに、行くよ。俺からも。聖誕祭とか、もっと家族と一緒にいる時間を作るんだ」
だって、生前の俺が求めてたのって、そういう当たり前のことだったと思うから。
エコデはそうですか、とどこか寂しげに呟く。
……分かってないなぁ、エコデは。くしゃっと頭を撫でると、エコデは小さな悲鳴を上げる。
「エコデも一緒にだぞ? 俺にとっては可愛い家族の一員なんだからさ」
「かぞ、く」
エコデの気持ちも、ちょっとは分かってる。だけどさ、俺にはそれが一番安泰なポジションなんだ。
卑怯なんだろうけど、許してくれ。
「さ、買い物済ませてマフィン食おう」
「……しょーがない先生ですね」
うん、俺はしょーもない医者だ。
だから、エコデが自分で出ていくまで俺はこの距離感を保ち続ける。それが一番良いよ……な?