第16話 悪魔と恋と食卓の小話
良く晴れた、新月の夜。新月の日は、悪魔や悪霊が月の攻撃を受けないからと活発に動く。
そして、そんな夜にこそ悪魔の集会……夜会《サバト》の開催がぴったりと言うものだ。
「お久しゅうございますね、イスラフェル様」
視線を落とすと、組んだ足に擦り寄る身の丈40cmの黒の悪魔。
人に変化出来ぬ、下等種のガーゴイル。足を軽く振って、ガーゴイルを退ける。歓喜だか悲鳴だか不明の奇声をあげて、地面へ転がった。
「さっさと進めろ、愚図」
私の一声で、集っていた悪魔はそれぞれに、定時報告を開始。見慣れた聞き慣れた、退屈な光景。
そんな事を思う私は、悪魔らしさを失いつつあるのだろう。
でも、それでも構わない。脳裏に過るのは、ただ一人だから。
いつも苦しい思いを抱えながら、必死にただ一人を支え続ける健気な精神。
何だか全てがあべこべで生まれてきてしまったみたいな、可愛くて仕方ない存在。
私は、そんな彼に恋をした。悪魔の一番苦手な恋とやらに、私は囚われてしまった。
今日はそんな与太話でも聞いていくといい。
◇◇◇
悪魔の好物は、濁りきった魂。魂自体がご馳走だが、濁った魂は格別だ。重要なのは、欲の深さ。だから欲の塊といっていい魂は不動の人気。かといって、毎日毎食分も魂はない。
食べ尽くせば次の魂がなくなるかもしれないから。代わりに、人や動物の負の感情を食べる。
だから、悪魔の食生活は二分される。空腹を堪えて魂を喰らうか、負の感情を喰らって細々と生き長らえるか。
私は特に拘りもなく、空腹を感じたら適当に食べて過ごした。運が良ければ魂も食べながら。
そんなある日だ。そろそろ空腹を感じた私はある街を訪れた。ほとんどの人には悪魔は見えない。
変化の術を使えば目視を可能とするが、特に変化する理由もない。
上空から食事になりそうな対象を物色していると、ふと気配を感じた。
――苛烈な感情だ。
引き寄せられるように降下すると、一軒の家屋。そして、そこから聞こえた声こそが、感情の主。
「先生の馬鹿ぁぁぁっ!」
「何で怒るのエコデさんっ?!」
悪魔のなかでは有名な、感情的美味展開《痴話喧嘩》が繰り広げられていた。
この屋敷の二人は普段ぽやぽやとした綿菓子みたいなほんのりと甘く柔い生活をしているのに、時折烈火のごとく感情的暴風が吹きすさぶ時がある。
苦労せずとも満腹を得られる上に、聞いていて実に愉快だった。
他の悪魔に見つかる前に、いいスポットを見つけたものだ。
そんなある日。
片割れが姿をくらました。少し私が離れている間の出来事だった。それからの日々は、悲壮の味だけ。
負の感情にもいろいろある。だけど、同じ感情にはすぐ飽きが来てしまう。
そろそろ潮時かと思い、試しにどんな姿をしているのだろう、と私は興味をもった。
普段は、上空から感情を食していただけで、実際は顔は知らなかったのだ。
ひらりと舞い降りて、窓からそっと中を覗く。あぁ、今もまた、悲しみの味が……
「え?」
思わず呆けてしまった。
いや、多分誰でもそうだと思うが。ずっと痴話喧嘩を繰り広げていたのは、どう見ても可憐な外見をした『少年』だったのだから。
テーブルの上に広がる、人の世の食事。それも、二人分。
ぽろぽろ涙を流す姿に、私はひどく動揺する。何故、人は毎日悲嘆に暮れて、同じ行動を繰り返すのだろう。
分からない。そして、興味が沸いた。
それから私は観察を続ける事にした。純粋な興味で。
名前は、エコデだったな。毎日エコデはプログラムされた人形みたいに、食事は二人分作る日々。
壊れてしまったわけではない。精神が壊れたら、感情は無くなって、魂ですら不味くなる。
だから、まだ辛うじてエコデは壊れずにいた。それはきっと、周囲のお陰で。
様子を見に来る人間が、エコデの精神をまだ支えていた。
――そうして、あの馬鹿はやっと戻ってきた。
悪魔の私がやきもきするくらいだったのだ。さぞエコデは憤慨するだろうと思った。
久しぶりに、悲壮以外の感情にありつけると期待に胸を膨らませたのだが。
「何故、笑うかね」
今までの悲壮が嘘みたいに、嬉しそうに笑っているエコデがいた。
馬鹿も馬鹿で、へらっと笑って。私も、何だか笑ってしまった。良かったって、思ってしまった。
エコデが笑ってくれて、本当に良かった。そして、思ったのだ。
もっと近くで見てみたいと。そしてあわよくば、その隣に居てみたいと。
この感情は、知っている。恋に繋がって切れない、独占欲と嫉妬だ。
私は、悪魔のくせに人に恋をした。
◇◇◇
それから私は人に化けて、あの診療所で働けるように看護師免許を取得した。
それと、悪魔語では会話が出来ないから、人の世の言葉を学んだが……こちらは習得に多大な苦労を強いられた。
正直片言レベルだが、仕方ない。そうして、ようやく私はあの診療所の扉をくぐった。
最も。
「何でスタイル抜群の女型悪魔なんだよぉぉ」
第一声で馬鹿から正体を見破られたけど。
「先生、失礼です。悪魔さんでもお仕事をちゃんとしてくれるなら、有り難いじゃないですか」
「それはそうなんだけど。でも悪魔って。悪魔って診療所に……」
「先生、真面目に働く気あります……?」
至極冷たい目で馬鹿を見やるエコデ。よほど悪魔っぽい。
「あります!」
「じゃあ?」
「もちろん明日とは言わずに今日からお願いしますよ?!」
完全服従の様子。馬鹿に対しにこりとエコデは笑って、私に向き直った。
そして、私が見たかった笑顔でエコデは言う。
「よろしくお願いします。えっと……」
「ラフェル、と呼んでくださいです」
天使の名前の大悪魔なんて、滑稽だからな。
「はい。今日からお願いします、ラフェルさん」
それは私の破滅と夢の一歩だった。
◇◇◇
最も……エコデはリリバスしか見えてないから、私も嫉妬している日々。
リリバスは素でエコデを口説く。しかも自覚なしの最悪のパターン。あれじゃエコデが可哀想だ。
今はその思いに苦しんでるのをやっと少しは気付いたみたいだが。全く最悪の馬鹿だ。
「イスラフェル様、いかがなさいましたか?」
足元のガーゴイルに視線を落とす。
ふむ、名案が浮かんだ。少し馬鹿にお灸を据えてやろう。口角を吊り上げて、私はガーゴイルに命令を下した。
◇◇◇
翌朝。
「っぎゃああぁあっ?!」
「朝から煩いですよ、りぃくん!」
転がるように部屋から飛び出してきたリリバスを蹴飛ばした。笑いをこらえるのに必死だけども。
「先生、どうしたんですかっ」
慌てて駆け寄って来たエコデに、リリバスは子供みたいに抱き付いた。
……それは予定外。腹立つ。エコデは困惑しながら、少しだけ嬉しそうで。リリバスの馬鹿のくせに!
「せ、先生?」
「エコデぇっ! 俺の、俺のベッドにぃ……」
「は、はい?」
「オカマのガーゴイルに寝込み襲われそうだったんだよぉぉ!」
笑っちゃいけない。だが実に愉快。
エコデは呆れた様子でため息をついて、さっさとリリバスの腕を押し退けた。
「はいはい。夢が覚めて良かったですねー。ご飯にしますから、着替えてきてくださいねー」
棒読みのエコデにリリバスは嘆いていたが結局無視されていた。全く、これだから面白い。
◇◇◇
第17話 血の縁《エニシ》
「うん、特に異常無しと。全く、お騒がせだねリリバスは」
「好きで倒れたんじゃないし?!」
俺の反論に、シャルルは快活に笑った。
眼鏡の位置を指で押し上げたシャルルを半眼で睨む。
「まぁ、あれ以来特に不調を感じたこともないんだろう?」
俺の不服をさらっと受け流して、シャルルが尋ねてきた。流石医者。患者対応には慣れている。
「特になんもない。ただ、定期的に検査受けろってラフェルが煩いのと、エコデが心配するから」
「はは、なるほどね」
納得した様子でシャルルは頷き、検査結果一覧を俺に差し出す。
ざっと自分で確認しても異常は見当たらない。むしろ健康体過ぎて怖い。安堵かまた別の何かかは自分でも分からないけど、小さく息を吐いた。
「おっと、そろそろ僕は上がりの時間なんだ。良いかい? リリバス」
「お、悪いな。俺も失礼して、エコデを迎えにいくかな」
「ああ、じゃあ一緒に行こうか」
ん? シャルルもヴィアの店に行くのか。
「ああ……ヴィアとデートか……」
何とも言えない複雑な思いを乗せた俺の言葉に、シャルルは凄く照れ臭そうな笑みを覗かせた。
……どうしよう。そんなシャルルを見るのは親友として辛い……!
一度担ぎ込まれて以来、俺は病院で定期的な検査を受けていた。主治医はシャルルだから安心だ。
特に異常が見つかったこともなく、平穏無事に過ごしている。それよりは、シャルルが問題だ。
「なぁシャルル。ヴィアはやめといた方が良いぞ。バンパイアだし、婆さんだし」
「リリバスがそれを言っちゃお仕舞いだよ」
肩と腹を揺らして笑うシャルル。ちょっとどー言う意味か分からないけど。
でも少なくともヴィアはまずい。……というか、シャルルはヴィアの魔法で惹かれているようなもんだ。
本当の恋愛とは言い難い。どうしたもんかと、頭を掻いていると、左側を歩いていたシャルルが、ぽんと俺の肩に手を置いた。意味が分からず戸惑いながら視線を向ける。
にっこりと、風貌に似合った柔らかい笑みをシャルルは浮かべていた。
「リリバス、種族も年齢も、言い訳にしたらキリがないよ。ヴィアさんはとても素敵な人だ。それで良いんだよ」
それはそうかもしれないけどさ。だけど、俺が心配してるのは……
「それにね、リリバス。僕は魔法不感受性で、何も効かないんだ」
「え?」
思わぬシャルルのカミングアウトに、俺は目を丸くした。
「まぁ、そもそも医者が魔法に頼ってるようじゃ本末転倒だとは思うけどね」
スッと手を離して、シャルルは呆然となった俺を残し歩き出す。
俺はシャルルの後ろ姿が全部見える距離まで離れた頃我に返ってシャルルを追い掛けた。
「ま、マジか? 本当に?」
「嘘をついても仕方ないだろう? 面白いことを言うね、リリバスは」
人を和ませるのに特化した笑顔でシャルルは言う。
確かに、そんな嘘誰も得しないな。……じゃあ、そうか。
「ヴィアの魔法で惹かれた、って訳じゃないんだな」
「僕はね。ヴィアさんはどう思ってるか分からないけど」
ほっとしかけた俺に、再び謎を与えたシャルル。
ヴィアは分からないとは、どう言うことだ?
首を傾げた俺を横目に、シャルルは寂しげに目を細めた。
「ヴィアさんは、食事提供者として僕を選んで、魔法をかけたつもりでいると思うんだ」
それはまた、複雑だな、おい。何とも返しようがない。
そうこうしているうちに、間も無くヴィアの店だ。
「それでも、僕はヴィアさんと一緒にいる時間を得られて、とても嬉しいんだ」
シャルルの言葉に、俺は眉尻を下げて視線を寄越す。
正直、何て言って良いか、分からない。でも、やっぱりシャルルは優しい笑顔で。
「この気持ち、リリバスは、多分一番分かってると思うよ」
◇◇◇
ヴィアの店は相変わらずエコデのお陰で盛況だ。
最近はどこの誰だか知らないが、ヴィアに雇われたんだか無理矢理雇ってもらったんだか知らない野郎が、グッズ販売ブースまで設けている。いつか張り倒す事を俺は誓っていた。うちの診療所の元アイドルを安売りされてたまるか。
「あ、先生! それにシャルルさん」
店内に入ると、ぱっと表情を明るくしたエコデが声をあげる。
飼い主を見つけた犬みたいだ。可愛い……んだけど、ちょっと複雑。
そう思うのが、何か卑怯な自分を許容してしまう気がして。
それでも曖昧に微笑んで、シャルルと共に歩み寄る。
「ヴィアはどーしたんだ? 姿が見えないけど」
「着替えてくるって言ってました。シャルルさんとデートだったんですねー」
照れ臭そうに後頭部をさするシャルルへ、にこにこ笑うエコデは凄く楽しそうだ。
そういえば女子の好物と言えば、甘いものと恋バナだよな。エコデも恋バナに興味があるとは。
……それはどうなんだ。いいのか?
「おっ待たせー!」
そうして齢452歳のバンパイアが高テンションで姿を現した。黒いブラウスと、オフホワイトの膝丈スカートに身を包んだヴィアは、どことなく洗練された印象を振り撒いていた。
俺とシャルルの姿を認めたヴィアは笑顔で歩み寄り、案の定クッション性抜群のシャルルの腕に絡み付く。
「シャルルったら、タイミングバッチリね!」
「いやぁ、時間通りに来ただけだよ」
ああ、何か他者を近付けないオーラが痛い。刺さる!
反射的に距離を取ってしまった。所謂、二人の世界の邪魔は出来ないしな、うん。
「センセも今日はゴメンね?」
ようやく俺の存在へ声をかけたヴィアに俺は曖昧に笑った。
別に、忙しくもないしな。たまにはデートで休みってのもいいんじゃないか?
事情がまだ複雑そうだから、迂闊には言えないけどさ。
すると、ヴィアは思案げに視線をさ迷わせ、不意に表情を明るくした。
「そうだ! 折角だから、二人も一緒に行きましょ!」
「馬鹿、デートに行くんだろヴィア」
「だからダブルデートってやつね」
ちょっ……そ、それは流石に駄目だろ。こいつ、分かってての発言だろうし。
ちらりとエコデを伺えば、案の定顔を真っ赤にして固まっていた。
あー……前にも似たような光景があったな。何か、ほんとにごめんなエコデ。
◇◇◇
「あー! これ、新作だぁ!」
ワントーン高い声をあげて、ショーウインドウにぱっと駆け寄るヴィア。
「エコデー、これ可愛くない? 良いよね、きっと似合うってー」
嬉しそうだ。すげー楽しそう。淡いピンクのカーディガンに、シックな黒のシフォンスカートを着せられたマネキン女性。彼女にかじりつくヴィアの脇に並んで、エコデも何か目を輝かせてるし。
いよいよ、男としての自覚を地中へ埋めたなエコデは。
「俺のせいか。そうだな、俺のせいだよな……」
項垂れるしかない。
ぼそぼそと懺悔する俺の隣で、肩を揺らして笑うシャルル。
道行く人々の談笑をBGMに、俺たちは特にあてもなく街をぶらついていた。
シャルル曰く、普段もそんなもんだそうだ。平和なカップルだよな、こいつら。
不意に、シャルルはジャケットの胸ポケットから小型通信機……所謂携帯電話を取り出した。
微かなバイブ音が聞こえる。
「仕事か?」
「どうだろうね?」
苦笑して、シャルルは軽く手を挙げ、喧騒の少ない場所へ歩いていく。
病院も大変だな。俺は急患も入院患者もほとんどこない診療所で良かった。
「あらら? センセ、シャルルはー?」
脳内試着を済ませたであろうヴィアが戻ってきた。
エコデはきょろきょろと視線をさ迷わせ、小首を傾げている。
俺は軽く肩をすくめてシャルルが消えた方向を指差した。
「電話中。病院からだってさ」
「あぁ、シャルルはセンセと違って忙しいからねぇ」
……地味に心を突き刺すな、その言葉っ!
エコデはエコデで、苦笑してフォローしてくれないし。……そりゃあ、確かに忙しいとは言わないけど。言わないけどさっ! 心の中で拗ねながら、俺はふと気付く。
今こそヴィアを説き伏せる時じゃないか? 幸いとシャルルが戻ってくる気配はまだないし。
よしっ!
「ヴィア、お前に聞きたいことがある」
「なーに、センセってば大真面目な顔して。似合わないしー」
何この精神攻撃?! 酷い。余りにも酷すぎる……だがここは我慢だ。
このまたとない機会を失うわけにはいかない。何しろ俺の親友たる同期が、結婚詐欺まがいの出来事に巻き込まれてるんだからな! けらけら笑う婆さんの化けの皮を剥いでやる!
「ヴィア、お前シャルルに虜の魔法をかけたんだよな?」
「何を突然」
目を丸くして、驚いた素振りを見せるヴィア。
大方、エコデがいる手前、簡単に首肯出来ないんだろう。敢えて否定の言葉を紡がないのは、遠回しの肯定だ。
意識的にしろ無意識的にしろ、ヴィアは俺の指摘を認めた。
「シャルルはお前の餌じゃないぞ」
「先生! 何をさっきから失礼なこと言ってるんですか!」
エコデが咎めるのは流石に心に痛いが、証人になってもらわなきゃ困るからな。
ぐっと我慢で俺はヴィアに視線を固定する。
だが、正面にいるヴィアは実に堂々と……笑みさえ浮かべていた。
「ねえセンセ? バンパイアってどうやって子孫を残すか知ってる?」
唐突に保健の授業か?! ちょ、緊張なんてしてないからな、俺は! だから、その純粋無垢な瞳を向けるのはやめてくれ、エコデ。
「正解はねー、バンパイアの血を分け与えれば同族になれるんだなー、これが!」
そうなのか。それは正直知らなかった。要らんところで勉強になってしまった。
「で、一度バンパイアになるともう後には引けないわけ」
何か、話がずれてきてないか? そもそも、バンパイアの主食は血だ。
その為にシャルルに献血車や輸血パックを貰ってたんだし。……あれ? そういえば……
「ヴィア、シャルルの血って飲んだことないよな」
「ないよー」
けろりと言い切るヴィアに、俺は首を捻る。
確かにシャルルの体は完全なる洋梨体型だから、血は不味いのかもしれないけど。
なら、別にシャルルに魔法を使う必要はないよ……な。何か、おかしいなぁ。
「もう先生! そんな失礼ばっかり言って!」
「いや、だってさエコデ……」
「どうしたんだい?」
ぶーぶー怒るエコデに弁明の言葉を探していると、シャルルが戻ってきた。
振り返って、しかし言葉が見つからないでいると、不意にエコデに袖を強く引かれた。
慌てて視線を向けるとエコデはぺこっと、頭を下げる。
「ごめんなさい! 用事があるので、そろそろ失礼します!」
「あ、もしかして邪魔しちゃったー?」
「そっ、そうじゃないですけど……せ、先生帰りますよっ」
くるっと方向を変えて歩き出したエコデに、俺は唖然としたまま引っ張られる。
遠ざかるシャルルとヴィアに、見送られながら。
「先生は本っ当に鈍いんですからっ!」
大分距離が離れた頃、エコデはそう切り出した。
実によく言われるが、今回もさっぱり分からなかったんだが。
俺が言い返せないでいると、エコデは正面に回り込んで、俺の瞳を覗きこんだ。くっ、卑怯な……!
「ヴィアさんは、シャルルさんが大切だから血を吸わないし、与えてないんじゃないですか!」
「え?」
「鈍感過ぎて吃驚です、もう」
いやいや、逆に気付いたエコデが凄い。それが真実ならば、特に。
ふう、とため息をついてエコデは背中を向けた。
「で、でもエコデ……あいつが魔法をかけたのは間違いなくて……」
「それとこれとは話が別です。ヴィアさんは、シャルルさんが好きで、魔法でも良いから、傍に居てもらいたい。それだけなんだと思いますよ」
何か、エコデに言われると説得力があるな。
……でも、だとしたら。
シャルルもヴィアも、どんだけ不器用にしか相手を思えないんだ。何か、微笑ましく思っちゃうじゃねーか。
「何で笑ってるんですか? 先生」
肩越しに振り返ったエコデが問い掛ける。
俺は苦笑して、くしゃっとエコデの頭を撫でた。微かに身を縮めたエコデに、俺は心の中で感謝しながら言う。
「あいつら、上手くいくといいな」
「いきますよ、きっと」
うん、何か、不思議と確信したくなるな。エコデの言葉は、俺の中では強力な魔法なんだ。呪いでもあるけど。
……って。
「? 先生どうかしました?」
不思議そうに俺を見上げたエコデから、慌てて視線を剥がす。
うわ、もう、馬鹿か俺っ! 口に出なかっただけマシだけど。
何かもう、エコデの気持ちを知って以来マトモに受け答えできてる気がしない。
「さ、さーてっ! クレープでも食って帰るか、エコデ!」
話題を急転換。そうでもしないと、俺はちゃんと会話できる気がしないからな。
苦肉の策だ!
エコデは怪訝そうにじっと俺を見ていたが、ふと苦笑する。
「先生ってば、変です」
「そ、そんなことないぞ?」
「そーいう先生、嫌いじゃないです」
言って、自然に歩き出したエコデ。
…………卑怯だろそれはっ! 照れてない。照れてなんかないっ!
そう自分に言い聞かせながら、俺はエコデを追いかけた。
もしかしたら、俺もシャルルの事は言えないくらい不器用なのかもしれない。……認めたくはないけど。
第18話 fire fighter on stage
気づけば間も無く一番寒い時期が終わろうとしている。つまり、一年が半分は過ぎたということだ。
そして、この時期も慌ただしくなる。特に警察と消防が。
「おー、今年も派手にやるみたいだなぁ」
とある空き地に建てられたプレハブの二階建て。空き地の周辺は人で溢れて賑やかだ。
そして俺は空き地の中、立ち入り禁止テープの張られた内側で悠々とその時を待っていた。
空き地の中にはプレハブの他、野外テントと消防車が二台。警官は交通整理にピーピー警笛を吹き鳴らしている。
「りぃくん、何故カッパなんぞ着ているんです?」
「濡れると寒いからに決まってんだろ」
「馬鹿は風邪を引かないと言うのは迷信なのですか?」
いや、それおかしい。
馬鹿は風邪を引かない、ってのは迷信だ。何故、科学的証拠を持っているかのように言うんだラフェル。
「まぁいいや。さて、そろそろ開始時刻だな」
訓練本部と書かれた紙の貼られた机のあるテントを横目に見やった。
最後の作戦会議に、みんな慌てている。
今日は街をあげての大型訓練日だからな。実に楽しみだ。
この大型訓練は、とにかく盛り上がる。何故なら、軍と警察と消防が入り乱れた大混戦訓練だからだ。
今年は街の北西四分の一が訓練フィールドだ。一番中央に近い場所が、このプレハブのあるところ。
訓練概要は、まずこのプレハブを目指して軍の特殊部隊が攻めてくる。この特殊部隊を街の軍警備隊が殲滅または捕獲するように展開、応戦する。その間、警察と消防は住民の避難誘導や消火活動ルートの確保に勤しむ。大体の場合は突破されて、このプレハブを燃やされ訓練終了だ。
この訓練、大規模公的サバイバルゲームとも呼ばれている。他の区画の住民からすれば盛大なアトラクションだった。
「単なるお祭り騒ぎがしたいだけということですね」
俺の説明に対し、ラフェルはズバッと感想を返した。もちろん否定要素なんてない。
「それでりぃくんは実患者対応要員ってことですか」
「そ。意外とマジになって怪我するやつが多いからな」
逆に言えばそれくらい本気でやるから訓練の意味もあるし、見ごたえもあるんだけどな。
まぁ、今から心配そうな顔をしてるエコデの前じゃ言えないが。
ピンポンパンポーン……
若干気の抜けるような音が街中に響き渡る。
『これより、第二十六回大型危機対処訓練を開始しまぁーすぅ』
ひ……酷い。今年の開始宣言緊迫感無さすぎだろ。俺なら一気に戦意が削がれ……
「うぉぉぉぉ! やるぞお前らぁぁぁ!」
「消防魂魅せてやっぞぉぉ!」
「特殊部隊なんぞ放水で圧死の溺死だぁぁ!」
あ、やる気満々ですか。ここは黙っておこう。
気合い十分な待機要員の消防隊員が案外と一番燃えてるかもしれない。
「先生先生っ」
「ん? どしたエコデ」
「これって何ですか?」
傍に寄って、問い掛けたエコデ。
その手には大事そうに白い球体を持っている。何、と言われても……なんだこれ?
手にとって引っくり返してみると、底になっていた部分に文字。カウントダウンするタイマー。
「これ、どうしたんだ?」
「あ、訓練前に軍の方が、始まったらプレハブの中に置いといてくれって」
「ふーん。そっか……」
あと、二分少々……。ん?
「あああああ! それは特殊部隊御用達の訓練用爆弾ッ!」
叫んだ消防の連中はあっという間に車内へ退避。
ちょっ、それでも救助隊か!
何で爆弾設置をエコデに頼んだんだ。これじゃテロリスト……まさかな?
「エコデ、離れてろっ!」
「でも、先生っ?」
一応訓練用のはずだ。だから、プレハブに置いとけば小爆発で済むだろう。
後一分。周辺住民を退避させてる暇はない。かくなるうえは……
「どっせぇぇえぇい!」
は?
ばっと俺の手から奪われる白い爆弾。
そして上空へと吸い込まれるように遠ざかる。
「打ち上げ完了! セカンドフェーズ!」
聞き覚えのある声が、呆けていた俺の鼓膜を叩いた。
上空へ放られた爆弾は、次の瞬間爆発した。破裂音とそよ風を残して、爆弾は消失。どうやら別方向から銃で撃ち抜いたようだ。一応見えた。
「なんつー精度」
「おいおいドクター、頼むぜ。エコデさんが怪我したらどうするんだ」
視線を落とすと、銀色に光る体の兵。
その下に目を見張るほどの美形を格納した鎧。
「助かったよ、ビクサム」
けど結婚してんだから、まだエコデに花を一輪捧げる悪習は止めろっての。
エコデが困ってるじゃねーか。
しかしまぁ、今年はテロリスト的攻め方で来たのかぁ。特殊部隊も本気だな。
まぁ、双方訓練としては良いよな。……ちょっと、危ない気配も感じたけど、気のせいだったか。
「しかし、お前一応は軍人だったんだなぁ。感動したよ」
花の受理を丁重に断られていたビクサムにそう告げると、重そうに奴は立ち上がった。
物理的なのと精神的なののダブルで重いんだろうな。
「俺、もうすぐ父親になるんだ」
突然死亡フラグ立てやがったし?!
がしょがしょと音を響かせながら、ビクサムは後頭部を擦る。
「名前も決めてるんだ、聞いてくれよドクター」
「聞きたくねーよ?! 何その唐突な死亡フラグ! 俺もうレイラには悩まされたくないし!」
大体、今は自分のことで手一杯だ。勘弁してくれ。
色恋沙汰は俺にとっては、雲をつかんで着物を織る方法を探せと言われるより理解不能なんだ!
「大丈夫。俺、これ終わったら軍やめて……」
「もっと駄目だぁぁっ!」
「やかましいですよ、りぃくん。この人あと六十三年は生きるし、子供も四人は堅いのです」
そう悪魔が余命宣告ならぬ未来予想図をいきなり広げた。
◇◇◇
ぼうぼうごうごう燃えるプレハブ小屋。
威勢の良い声を張り上げて待機要員の消防隊が放水している。
それはもう、楽しそうに。あぁ、虹が見える。寒い。今日のイベントも終わりだな……。
何か色々あったようだけど、全部ビクサムの死亡フラグで忘れたわ。
悪魔ラフェル曰く、長命なようなので、大丈夫そうだけど。
「怪我人少なくて良かったですねー」
「そうだなぁ。消防隊が特殊部隊相手にマジに放水し始めた時は焦ったけど」
放水される水の圧力は結構凄い。肋骨くらい軽く折れてしまう。
まぁ、魔法で消火しないってのも、この街ならではで、だからこそ消防隊が元気なんだろうけど。
「エコデ、ラフェル。俺、本部に行って来るな」
「あ、はーい」
「はいなのです」
二人にひらりと手を振って歩き出す。
うーん、何だろ。体が重い。カッパ着てても、水分吸ったかね?
まぁ、いっ……
――一瞬視界が白く染まり、ぐるん、と世界が反転した。