第1話 ナースとお仕事

 

 わんわん泣き叫ぶ声。響く怒号。ざわつく野次馬。

 その原因たる人物は、路面に横たわったままぴくりとも動かない。

「ほら、退け退けー」

 そんな中にずかずかと侵入。ざわめきが若干の安堵に変わる瞬間が、俺は結構嬉しい。

「先生っ、うちの娘は、うちの娘は大丈夫ですよね?」

 鞄を開こうとした手を止められ、俺はやっと視線を寄越した。

 気持ちは分かるんだが。半狂乱の母親ほど面倒なものはない。

 俺の手を掴んだその手が、娘の命を危なくしてるっていう自覚がないからだ。

 やれやれ。

「落ち着いて。先生の邪魔をしてはいけません。下がって」

「わ……分かったわ……」

 母親をすっと引き下がらせたのは、多分容姿のせいもあるだろうな。

 拘束から解かれた俺の手にそっと医療用手袋を握らせる特異な容姿をした俺の助手。

 血のような真っ赤な髪を腰まで伸ばし、金色に妖しく輝く瞳。ナース服を見事に着こなすスタイル抜群の美人。

 そんな白衣の天使ラフェルは、こう見えて悪魔だったりする。

 

◇◇◇

 

「ただいまー、エコデ」

「あっ、おかえりなさい先生っ! すぐ救急隊来ました?」

 診療所に戻ると、今月の素敵衣装・臙脂色のワンピースで出迎えてくれたエコデ。今月のコンセプトは深窓のお嬢様。

 膝丈のスカートをひらっと翻して駆け寄ってきた。

 その所作は苦言を呈する隙を与えない。相も変わらず、最高峰の可愛さを誇ってるよなぁ。

「先生? 聞いてます?」

 もとより小さいのに、若干身を折って小首を傾げながら俺の瞳を覗きこむ。

「うん。今日も可愛いぞエコデ」

 青空を映したような綺麗な青の短い髪と、若草色をした草原みたいな緑の瞳。

 言うなれば美麗な空と草原の共存。今年で17だというのに相変わらずの低身長に童顔。

 それがエコデと言う史上最強の男の娘だ。

「聞いてないじゃないですかっ!」

 真っ赤になって怒るエコデに、俺は苦笑する。

「いや、ちゃんと聞いてるって。あの子の容態だろ?」

 頭部外傷。幸いと呼吸も心音も許容範囲内で簡単な止血処置で問題なく終了だ。

 すぐに救急隊も到着したしな。あとはちゃんとした病院で看てもらえば何の心配もない。

 ていうか。

「……そろそろ俺の腕前を信用してくれてもいいんじゃないか、エコデ」

 さしもの俺も、何か寂しいぞ。4年も一緒にいるのにっ!

「え?」

 エコデはきょとんとした顔で首を傾げる。

 何それっ?! 俺は一生初心者マークで十分って言いたいのか。

 こんなんでも一応、4年間真面目に医者やってきたつもりなのに?!

「……僕、先生の腕、一度たりとも疑ったこと、ないですよ?」

 俺の心の嘆きを他所に、エコデは首を傾げてさらっと返した。

 俺の予想から離れた、全幅の信頼のこもった返答。ドキッとしないわけがない。正直、率直過ぎて照れ……

「あの痛いですよ? ラフェルさん」

 ずっと無言だったラフェルが笑顔で俺の足を踏みつけていた。しかもヒールの踵で。

「あ、ごめんなさい、りぃくん。気づかなかったです」

 いやいや、思いっきり煙草の火を消す様に捩じりを入れましたよね? 骨折れそうでしたよ?

 思いっきり疑いの眼差しを向けると、ラフェルは。

「悪魔の私の言葉は信じられませんよね……」

 儚く微笑んだラフェル。

 目じりに光る、女の武器。そう。ラフェルはあくまで悪魔だ。

 駄洒落にしか聞こえない状態だが、俺はいつでも真面目だ。

 悪魔は簡単に嘘を吐く。ついでに女の涙は最大の武器だ。

 ぽん、とラフェルの右肩に手を置いて俺は告げた。

「次からは足元も見て行動してくれよ、ラフェル」

「許してくれるのです?」

「当たり前だろ。ラフェルは貴重なこの診療所の戦力だからな」

 ぱっと表情を輝かせるラフェルは、可憐。

 そう。ラフェルは重要な戦力なんだ。間違っても、涙と容姿に騙されてなんかないっ!

 

◇◇◇

 

 先代のドクターから診療所を引き継いで、そろそろ4年。色々あった……ようなそうでもないような。

 一番変わったのは、居候が一人増えたこと。あと、エコデが診療所に出なくなったこと。

 ラフェルが来てからは、診療所の仕事は全部ラフェルがしてくれている。

 かといって、客足が遠のくかと言えばそんな事はない。

 若干患者の質が変わった気もするが、常連は常連でやってくるし。総合的には、増えたんだよな、多分。

 で、一人増えたから生活が逼迫するかと言えばそんな事もない。

 何しろラフェルは悪魔だ。飯を食わなくても平気らしい。主に水分だけで生きている。

 おかげで食費はほとんど増えてない。これは凄い助かってる。

 エコデも料理の腕前が上がったしなぁ。なんかもう、俺の人生右肩上がりだ。

「先生、何か欲しいものってありますか?」

 夕食の席でエコデがそんな事を問いかけた。

 俺の左隣の席には、お茶を啜るラフェルがいる。

 ビーフシチューに熱中していた俺は、『完全防水』の魔法を維持しながら顔を上げた。

 にこにこと可愛い笑顔を向けて来るエコデ。その手の笑顔は、危険だ。

 それが俺の4年間で学んだことの集大成である。俺また何かしたかな?

「えーっと……」

「はい」

 無難な線を突こう。俺が持つべきもので、必要とすべきものだ。

 エコデが望んでいるっていうか、考えてる答えだ。

 シトラスシフォンか? いやいやそれはこの間食ったし。ていうか時期外れだ。

 もしや、あの袋とじ付雑誌の隠し場所がばれたか?

「先生?」

 だらだらと冷や汗を流す俺に、エコデが追い打ちをかける。

 やばいぞ。あと数秒で答えを出さないと。また飯抜きの悪魔が降臨する!

「えっと、……そう、美味い飯!」

 これは満点の答えだろ。ほっと胸を撫で下ろした俺に、エコデは呆れた様子で息を吐いた。

 あれ、違うのか?

「先生、ちゃんと考えてください……」

 考えた結果がそれだったんだけどな!

「りぃくんは、大人です。子供じゃないです。食べ物なんて、お子様です」

 左隣から片言で攻撃を加えて来るラフェル。お前も外面用の口調とのギャップが激しいけどな!

 今度国語教本でも買ってやろうかと思うほどだ。強烈な圧力をかけて来る男の娘と、ちくちくと心を抉ってくる美人。

 ……俺は人生を損してる気がする。ていうか、俺って虐げられてばっかりだよな……。

「はぁ……俺をいじめない嫁さんが欲しい……」

 ぼそっと呟くと、

「すればいいじゃないですか……」

 エコデが囁くような声で呟いた。

 て言うか、湿ってる声音。

「そうです。先生がさっさと結婚したら、僕だってもう、先生に御飯作る必要も……」

 何ぃっ?!

「それは困るっ! イフェリア店員以外でシトラスシフォンを作れるのはエコデだけだっ!」

「奥さんに作って貰えばいいですっ!」

 それは無理だ。微細な違いであのシフォンケーキは再現不能。だからエコデにしか出来ない。

「りぃくんたら、感謝の心が足りてないのです」

 ふうっと息を吐き出すラフェル。

 どこからその発言が導き出されたんだ、こいつ。

 エコデはエコデで、泣きそうな顔で俺を睨んでくるし。

 ……泣きたいのは俺の方だ。

 シトラスシフォンがない日々なんて、人生を売り払うほどの借金を背負わされるのと同じくらいの地獄だ。

 何で転生から5年経っても、俺はエコデの感情変化だけは読み取れないんだ。

 それさえ出来れば、平穏で怠惰な日々が送れる気がしてならないんだが。

 やっぱり人生は、難しい。

 

◇◇◇

第二話 holiday branch

 

 我が社の休日は、水曜日と日曜日。あとは金曜日の午後だ。

 土曜日を開けておくのは、最近では二日酔いのおっさんたちの為と囁かれているがそんなことはない。

 確かに、多いけど。そして、今日はそんな貴重な休日である、日曜日だ。

「お出掛けします? りぃくん」

 あくびしながらコーヒー飲んでる俺に対してそんな無粋な発言をするのは、ラフェルくらいだろう。

 こんな日は、ゆっくりとお茶したい。ケーキセットで。

 付き合いの長いエコデは、言えばケーキくらい焼いてくれない事もない。

 機嫌が良ければ三回に一回、機嫌が悪ければ十回に一回くらい請け負ってくれる。高確率に見積もったけど。

「遠慮するわ」

「そうですかー。じゃあエコちゃんと行ってきますね!」

 なるほど、そうなるとデートだな。

 仮にもエコデは男だし。……デート?

「ラフェルさん、先生はどう……」

 外出着も何故かワンピースなエコデが顔を出し、俺は咄嗟に。

「俺も行くっ!」

「え、りぃくん、行かないって……」

「行くったら行くっ!」

 何それー、と膨れたラフェルは、無視だ。エコデにデートデビューを先越されるのは癪だからなっ!

 あと、エコデは悪い虫にほいほいついてくし。保護者としてちゃんと見守ってやる義務が俺にはある!

 

◇◇◇

 

 相変わらず、俺の外出時のミッションは荷物持ちと意見具申。前者はともかく、最近では後者が……

「エコちゃん、今日のお夕飯どうするの?」

 商店街の人並みのなかを歩きながら、ラフェルが切り出した。

 エコデは頬に指を添えて、微かに首を傾ける。俺の中でそのポーズは『悪魔と天使の誘惑』と呼んでいる。誰も知らないだろうけど。

「グラタンにしようかなって考えてます」

 グラタン。いいよなぁ。あのとろっとしたホワイトソースが絡まるマカロニ。控えめに隠れてるくせに、実は主役の座を狙ってる海老。極めつけの、かりっと表面の焼けたチーズ。

 あ、やば。想像しただけで腹減ってきた。

「うーん、でもりぃくん最近動いてないし、太っちゃうですよー?」

「それは……一理あります」

 うん、と納得したエコデに、ラフェルが追い討ちの頷き。

「いや別に俺は多少太ってもいいけど……」

「駄目なのです、りぃくん。糖尿病患者にお腹の肥えた医者が指導するなんてどれだけ滑稽か!」

「一日でなるかっ!」

「でも先生、ケーキも食べますもんね」

 こんな感じに、頼みの綱のエコデまで言いくるめる悪魔ラフェル。

 恐ろしい。なんて恐ろしい悪魔なんだ。

 そもそも、何で俺は二人の後ろをまるで追っかけのように歩いてんだろう。

 いや、真ん中がいいとは言わないけど。

 ぱっと見は両手に花かも知れないが。あくまでエコデは男だし、ラフェルは悪魔だ。何か、両手に花と言うフレーズには合わない。

 ラフェルが来てからは、診療所は楽になったけど、いまいち私生活は良くない。

 ていうか、デザートの頻度が減った! 外食率も前にも増して低いし!

 ラフェルが食わないことでエコデが気を使っているのだ。お陰で俺は体脂肪率が減って、ストレスフルだ。嬉しくない。

「りぃくん、どーしたんですー?」

「グラタン……」

「健康管理も仕事のうちです。りぃくんの健康は私と、あとエコちゃんに任せるです」

 あとって何だ。飯作るのはエコデの役目だからな?

 ついでに、腕を組むのはやめてくれ。

 エコデからの美味しい冷たい視線は有り難いんだが、当たってる、当たってるから。

 サチコ並みの装備品は健全な成人男性には生き地獄。

 そして、エコデは可憐な微笑みを向けてきた。

「良かったですね、先生? 美人で巨乳の看護師さんが先生の健康管理もしてくれるそうですよー?」

 ああ、流石北部地方。気温が年間を通して低いだけはある。

 俺の周囲は、極寒ブリザード状態だ。晴れてるけど。

 エコデの冷たい視線を独り占めも周囲に悪いしな。ひとまずは弁解しとくか。

「エコデ、一応弁明させてもらうとだな……」

「聞きたくありません」

 ぷいっと背中を向けたエコデ。俺にとりつく島さえ与えてくれないようだ。

 しかしその動作は、まるで拗ねた彼女だぞ。

「あーあ。りぃくんてば、エコちゃん怒らせたぁ」

 腕に絡み付いたまま、ラフェルが追い討ちをかける。というか、お前のせいだけどな、ラフェル。

 ……いや、ラフェルのせいにばかり出来ないか。食生活をエコデに任せきりって、結局は自分で健康管理出来てないって事だもんな。反省。

「なー、エコ……」

「あっ、ダンダさんこんにちはー」

 俺の声を流したか聞いてないのか、エコデは正面からやって来たダンダに声をかけた。

 自転車に跨がり、腰には手錠と警棒。颯爽と風を切りながら、サラサラの黒髪を躍らせる警官、ダンダ。

 左手をハンドルから離し敬礼を……

「あ、あぁぁ?!」

 ……しようとして、案の定路肩の段差に躓き、ごみ収集場所へ自転車ごと突っ込んだ。

「ダンダさんっ?!」

 さっと青ざめたエコデが慌ててダンダへと駆け寄っていく。

 おぉ、何かラブコメの一幕みたいだな。

「何してるです。りぃくんてば、医者なら手当てをするです」

 ラフェルの言葉は正しいんだが。

 何となくラフェルの苛立ちの方向は、言葉と違う所へ向けられている気がした。

 まぁ、気のせいか。

 いち早く駆け寄ったは良いものの、エコデは手が出せずにいた。

 まぁ、頭から自転車ごとゴミ袋の山に突っ込まれたら、小柄なエコデじゃ無理がある。

「退いてろ、エコデ」

 こくっと頷いて、エコデはすっと俺の後ろへ下がる。

 で、いつも通り何故か俺の背中をそっと掴んだ。

 癖みたいなもんなんだろうが、これは罰ゲームだろう。何故女の子じゃないんだ、畜生。でも可愛いから許す!

「早く助けるです、りぃくん」

 底冷えするような声で命令したラフェルをそっと振り返ると、

――流石悪魔。黒いオーラが駄々漏れの美しい笑顔を俺に届けていた。

 はい、とっととやります。

 気を取り直して、俺はダンダに手を伸ばす。

 ベルトを掴んでそのまま引っこ抜くと、自転車ごとダンダが出てきた。

 流石ダンダ。意地でも自転車は離さない。ちなみに軽々やったけど、普通は無理だろうな。

 あぁ、また無駄に能力使っ……

「流石先生です!」

 満面のエコデの笑顔に溶けないのは、ロボットだけだろう。良かった、チート能力持ってて。

「ダンダさん、大丈夫ですか?」

 ぱっと離れていくエコデ。幸福は砂のように零れ落ちるものだ。

 俺の一時の平穏も、一瞬。今の俺から零れ落ちるのは、塩辛い水。

 俺は今日もエコデによって弄ばれている、憐れな転生者だ……。

 ごみ袋のクッションから抜け出したダンダは、まだ目を回して地面へ倒れている。

 ん? でも別に回転してなかったよな、ダンダ。

「ダンダさん、しっかりっ!」

 エコデに揺すられると言う美味しい展開独り占めのダンダは小さくうめいて、体を起こした。

「あぁ……助かりました、燃えるゴミの日で……」

 すっとぼけた感想を述べるダンダに、別に突っ込んだりはしない。

 むしろ、いつも通りのダンダで一安心だ。

 確かにビンカンの日じゃ、今頃大惨事だったろうけど。

 頭にキャベツ一枚被ってるダンダを笑っちゃいけないと、俺は必死に笑いを堪える。

「痛い所ないですか、ダンダさん」

 ぱたぱたと制服についたゴミとキャベツ帽子を払い除けながら、エコデはダンダへ心配そうに問いかける。

 うわ、いーなぁ、心配されて。俺がやったら、何してるんですか先生! って怒られるよなぁ。

 どうせなら、とんだ愚図ですね、と見下されたい。最高だ。

「りぃくん、何を想像してにやけてるんです?」

「いえ何も考えてませんので足を踏みつけるのは止めていただけませんかね、ラフェルさん」

「あら、ごめんなさいです。気付かなくて」

 にっこりと微笑むラフェル。額に青筋。わざとですね、分かります。

 それにしても。

 視線を戻せば、献身的に介護する史上最高峰の可愛さを誇るエコデと、爽やかな美形警官のダンダという光景。

 実に絵になる。ドラマのワンシーンみたいだ。カメラ持ってくれば良かった。

 特に怪我が無いことを確認すると、エコデはほっとした様子で息を吐いた。

 ダンダは自転車を起こして、苦笑する。

「すみません、ご心配をおかけしまして。今日は皆さんお休みですか」

「はい。ダンダさんはお仕事ですか? 大変ですね」

「いえいえ、警官は町の皆さんの安全を守るのが仕事ですから」

 さらっと笑顔で言いやがった。俺だったら恥ずかしくて言えないような、爽やかでどっか甘ったるい台詞をっ!

 恐るべし、ダンダ……!

「ではパトロールに戻りますので、これで」

 ビシッと敬礼するダンダは流石イケメン、絵になるな。

 ……何か足りない気がするが。

 再び自転車に跨がり、ペダルを踏み込んで、ダンダは颯爽と去っていく。

 ちらっとエコデを見やるとひらひらとダンダの背中へ、手を振っていた。

 なついてるからなぁ、エコデ。あれ……何か、胸焼けか? もやもやする。悪いもの食ったかな?

「あら? ダンちゃんてば忘れ物なのです」

 ラフェルの声に目を向ければ、その手には制帽。ゴミくっついてる。

 どうも物足りないと思ったらそれか。

「先生」

 その呼び掛けだけで俺は悟る。

 恐る恐るエコデを見やれば 、一撃必殺の笑顔を俺へ届けてくれた。

 その意味は1つ。能力フル活用して届けてこい、って事だ。

「しょーがねーなぁ」

「ホットケーキ用意して待ってますね」

 そこまで頼りにされちゃ、行くしかないよな。

 エコデの頼みを無下にしては男が廃る。

「メープルシロップ買い足しとけよ!」

 よし、能力フルスロットルだ!

 

◇◇◇

第三話 涙の結婚式

 

 朝は寒い。すっぽり羽毛布団を二枚被って、その下に毛布二枚でも寒い。

 これだから、北部の冬は嫌いだ。

「先生……いつまで寝てるんですか。ご飯出来てますよ?」

 呆れ返った様子のエコデの声が布団越しに聞こえた。

 俺はもぞもぞ動いて極力暖かい空気を逃がさないように、布団から顔だけ出す。

 俺のベッドの傍らで、膨れているエコデが見えた。朝から可愛さ爆発とはエネルギッシュだな。

「寒くない? エコデ」

「ご飯要らないってことですね?」

「起きますっ!」

 ばっと起き上がった俺に、エコデはにこりと微笑む。

「じゃあ着替えて下りてきてくださいね」

 くるっと背を向けて出ていくエコデを目で追っていくと……扉の外から眺めていたらしい生粋の悪魔と視線がぶつかった。

 ラフェルはふう、とため息をついて。

「ホント、りぃくんは単純です。お馬鹿さんとしか言いようがないです」

 お前にだけは言われたくないな?!

 言葉の詰まった俺へ、赤い特徴的なロングヘアーを翻し、ラフェルは楽しげに言った。

「エコちゃんは、りぃくんと一緒にいないほうが、やっぱり幸せになれるですね」

 確かに、エコデに頼りっぱなしの俺だけど。

 ……その含みのある言葉は何なんだ。

 

◇◇◇

 

 今朝のメイン料理は白魚の香草焼き。ハーブの良い香りが食欲を刺激する。

 朝からちゃんとした物を食わせて貰える俺って、何て幸福者なんだろう。

「あ、そうだ。先生」

「んぉ、どした?」

 不意に話し掛けられ、オリーブオイルが飛びそうになったけどしれっと自然に『撥水加工』の魔法で難を逃れた。

 エコデは一通の手紙を俺に差し出す。真っ白い横型封筒。宛名面には綺麗なエンボス加工でレース模様入り。

 これって……?!

「らら、ラブレター?!」

「違います」

 あ、そうなんだ。

 表情筋ひとつ動かすことなく即答されると、俺も男だから淋しい。夢くらい見させてくれ。

 渋々ながらに受け取るも、開ける気になれない。思ったより、俺の心のダメージは深いようだ。

「結婚式の招待状です」

 ああ、なるほど。だからこんなに綺麗な封筒……何っ?!

「結婚……だって?」

 思わず声を大きくした俺に、エコデは吃驚した様子で目を丸くした。

「え……はい。そうですよ? あれ、先生に伝えてませんでしたっけ?」

 おかしいな、と首を傾げるエコデ。

 そんな話は初耳だ。聞いてない聞いてない聞いてない!

「とにかく、来週の日曜日です。忘れずに……」

「どこのどいつだ……」

「え?」

 ぐっとスプーンを握り締め、俺はエコデに視線を寄越す。

 エコデはそんな俺に唖然とした表情を返していた。

 確かに、俺はただの家主だ。加えて言えば飯作って貰うと言う食卓的弱者だ。保護者でも何でもない。

 だけど。

「そんな大事なこと、一言相談してくれたって良いだろ!」

 どんっ!

 思わずテーブルに拳を叩き付けた。

 正面のエコデはびくっと身を縮める。

 別に、誰と結婚しようが俺が口を挟む立場じゃない。だけど、俺にも準備ってものが必要だ。

 飯とか洗濯とか掃除とかランチとかデザートとか、誰に頼もうかって考える余裕さえないじゃねーか。

 俺の世話が大変なのは、エコデが一番分かってるだろ……!

 ホントに俺は情けない転生者だ。可愛い居候の幸福より、自分の明日のほうが気になって。

「先生、は。どうして、そんなに怒るんですか?」

 凄く不安そうな顔をしたエコデがそっと問い掛ける。

 どうして、って……どうして、だろ。ここまでムキになってしまうのは。

 急速冷凍される俺の思考。言葉の浮かばない俺に、何だかエコデは凄く寂しそうに笑った。

「僕、そろそろ支度して出掛けますね。片付けはあとでするから、水に浸けておいてください」

 かたっと席を立って、エコデは自分の食器を片付けにキッチンへ消えた。

 俺、大人げないな。最低だ。

 

◇◇◇

 

 診療所の開店準備を淡々と進めているラフェルを横目に、俺の心ここに在らず。

 どうしたんだかな、俺。

「りぃくんは、どこまでもお馬鹿さんです。馬鹿という人種に失礼なくらい、底辺をさ迷うお馬鹿さんなのです」

 ぺしっと机の上にラフェルが封筒を置く。エコデに朝渡された、あの招待状。

「何だよ、ラフェルまで」

「開けて中身も確認しない馬鹿はりぃくん以外見たことがないのです」

 目を細め、ふっと鼻で笑ったラフェルに、俺は笑みが引きつる。

 すげー馬鹿にされた。本物の悪魔に。

 渋々、封筒に手を伸ばす。少し分厚い、純白の封筒を開け、中から招待状であろう、薄ピンクの厚紙を取り出す。

 ……………あ?

《 祝 ビクサム☆レイラ  》

《結婚式・結婚披露宴のご案内》

「ほーら、お馬鹿さんですね」

 俺の頬をツンツン突くラフェルに、愕然とする俺は抵抗さえ出来ない。

 こいつら、いつの間にそんな展開に。っていうか。

「うわぁぁぁ! 俺は何て間違いをぉぉっ!」

「とっととエコちゃんに謝りにいくが良いです。このクズ」

 ラフェルの暴言は脳をすり抜けた。

 

◇◇◇

 

 とりあえず、その後俺は絶対服従のポーズでエコデにひれ伏した。

 エコデは何かほっとした様子ですぐに俺を許してくれた。

 マジ天使。俺の失敗に、爪を剥がすような陰湿な痛みを与えてくる本場悪魔とは大違いだ。

 そして、約束の日曜日。

 珍しく俺はスーツなんて着ていた。久々過ぎてネクタイがちゃんと結べなかったというトラブルはあったけど。

 いつものように、エコデがやってくれたから万事解決だ。

 ラフェルは真っ赤なドレスに真っ赤なルージュ。でもって真っ赤なピンヒールのエナメル靴。

 血塗れか。浮気相手への捻れた愛情表現による返り血か、と問い掛けたくなったが我慢した。

 エコデはクリーム色のワンピースに、花柄のストールを巻いている。そーいやドレスは買ってないな。当然、燕尾服もない。残念だ。

「エコデ、聞いても良いか?」

「はい? どうしたんですか、先生」

 祝福されている、白い花嫁衣装に身を包み、一番輝く笑顔を振り撒くレイラ。

 これでレイラも、振られたと号泣しながら診療所に現れることもないだろう。

 稼ぎは減るかもしれないが、メンタル患者の旅立ちは祝福すべきだ。

 で。そのレイラの隣。逞しい上腕二等筋、肌は健康的に焼け、覗く白い歯がきらりと輝く。きりっとした青い瞳に、整った眉と、癖のないさらさらのブロンド。もう挙げればきりがないほどのイケメン。

「あれ、まさかビクサムの中身?」

「中身って……もう。そうですよ。ビクサムさんです」

 嘘だ。嘘だと言ってくれ!

 あんなイケメンがレイラに引っ掛かった事実も、エコデに引くほどの求愛してた過去も、俺は受け入れたくねぇぇ!

 俺はイケメンは行動もイケメンであって欲しい派なんだ……。すげー悲しい。さよならだ、心の友よ。

「良いですね、結婚式って」

「あぁ、ウェディングドレスもきっと似合うぞ。エコデなら」

「そうです、エコちゃんならきっと完璧なのです」

 ラフェルも賛同。エコデは苦笑して、首を振った。

「そうじゃなくて。……幸せなんだろうなぁって」

「結婚は男の墓場らしいぞ」

 そう考えると切ない。男ってただの金づるなんかな。

「先生も相手を見つけなきゃですね」

「エコデが先でも全然いいぞ。あ、でもちゃんと相談しろよ?」

 この間みたいのはもう勘弁だ。

 エコデはくすっと小さく笑って、俺を見上げた。微かに首を傾けると、短いけど綺麗な空色の髪が儚く揺れる。

「先生がするまで、僕はしないですよ」

「うーん、でもなぁ」

「じゃないと困るの、先生でしょう?」

 炊事洗濯任せっきりな痛いところを突かれる。

 ほんと、気を使わせてばっかりだなぁ、俺って。

「ありがと、エコデ」

 何となく恥ずかしくなって、俺はエコデの頭を撫でた。

 あぁ、やっぱ落ち着くな、この感じ。

「はい、そこまでなのですよ」

 唐突に俺とエコデの間を引き剥がしたラフェル。

 ぎろりと独特の金色の瞳で俺を睨み付けながら、口元は笑みの形。

 うぉ、怖い。

「他人の結婚式で何を甘ったるくて吐きそうな空気を撒き散らしてるですか」

「は?」

「本当に、無自覚の野生の狼は手に負えないのです」

 意味がわからん。

 つん、と顔をそらしてラフェルはエコデの手を掴んだ。

「さ、エコちゃん、行くですよー」

「え、どこへですか?」

 困惑するエコデにラフェルは今度は天使並の微笑みを浮かべる。

「結婚式、最後の戦いと言えばブーケトスなのです」

 ああ、確かにあるな。

 ブーケを取った人が次に結婚するっていう、あの迷信。

 でも悪魔に結婚は不要じゃないか?

 何てことを突っ込んでやる前に、ラフェルはエコデを連れて行ってしまってたけど。

 まぁ、良いか。

 ……と、見守る選択をしたことを俺は後に懺悔する。

 悪魔の身体能力をフル活用し、羽で空を飛びあっさりとブーケを手に入れるラフェル。何でエコデを連れてった。

 地上では、レイラと同年代の女性たちが悲しい涙の泉を形成していた。

 その光景に笑みを見せる悪魔。

 すみませんでした、うちの悪魔の看護師が皆さんの夢を食い尽くして。

 当分レイラの代わりのメンタル患者は尽きそうにない。

 

 

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