第22話 one answer
積み上がる段ボール。貼られるワレモノ注意札。
一部屋でもこんだけ荷物って出るんだなぁ。
「先生、聞いてますか? ここに、油と調味料が幾つか入ってますからね」
「おー、大丈夫大丈夫。使わないから。多分」
「朝御飯くらいちゃんと作ってください!」
怒るエコデに苦笑しつつ、こっそり舌を出す。
しょうがないんだ。俺は朝弱いし、それに料理も出来ない。無理はしないに限る!
そう。今日でエコデはここを出ていく。
ダンダと生きる道を、俺から離れる生き方を選んだんだ。
「エコちゃん、これも出すねー」
声をかけたラフェルに、エコデはぱたぱたと走っていく。
その背を見送りながら、俺は笑みを浮かべた。
これでいいんだ。俺は、これをするために戻ってきたんだ。
「その割には情けない顔をしているな?」
傍らに立つドクターに、俺は苦笑を返す。
まぁ、なんだ。
「一人娘の嫁入りを見送る親父のきもちが分かったかな、うん」
「馬鹿馬鹿しい」
案の定、鼻で笑われた。
何がエコデにその決断を促したのかは分からない。実際、ダンダに従兄弟であること等々を聞いたのは、二週間くらい前らしい。それでも、すぐには決めなかったようで、話がついたのは三日前の話だ。
まぁ、経緯は今となってはどうでもいい。これで、エコデが幸せに暮らせるなら。
エコデを連れ出した俺が果たすべき責任はちゃんと完結する。
「先生」
「おー、ダンダ。ご苦労さん」
私服のダンダが一礼して歩み寄る。
荷物の搬出は業者に任せたようだ。
「地方警察に配置換えだって? よかったなー、就活の手間が省けて」
「はい、お陰様で」
嫌味のない笑みを返したダンダに俺は苦笑する。
基本、嘘はつかない、素直ないいやつ。嫌いになれないタイプだ。
「エコデは……」
「エコデさんは、今ヴィアさんとお話し中です」
ああ、ヴィアも見送りに来てくれたのか。
しかし、『エコデさん』かぁ……。そこが互いの妥協点だったんだろうか。
それとも、俺と話すからそう呼んでるだけなのか。そんなこと、気にしたって仕方ないのに気になる俺がいた。
もうすぐ、俺はこの世界から消えるのに。
「……先生、早く……全快してくださいね」
「どーしたんだよ、急に」
ダンダの言葉を笑って受け流し、俺は白衣のポケットへ手を突っ込む。
それでも、ダンダは真面目な顔を崩さない。
「そうすれば、エコデさんはまた、先生と暮らす道を選べるんですから」
その言い方はまるで、一時の問題で片付けようとしてるみたいだった。
いや、でも実際そうか。俺の差し迫った死は、ダンダとエコデには教えてないんだから。
せめて、ダンダには伝えておくべき……なのか?
「それを伝えてどうする。新しい保護者への申し送りのつもりか?」
誰にも見えないからといって、実に堂々と俺をけなすドクター。
そういう、つもりじゃないけど。
でも、そうか。ダンダに余計な負担をかける必要はないよな。俺はただ、伝えて楽になりたいだけなんだろう、きっと。
だから、俺は曖昧な笑みで頷いて返す。
「頑張るよ」
そう答えることで、ダンダがほっとした表情を浮かべる。
うん……これが、正解だよな。
◇◇◇
運送トラックが先に出発し、ダンダが車をとりに帰っていった。
ダンダの運転で、故郷へ帰るらしい。
王都を経由し、そこから東へ抜けた山脈の麓の小さな町だそうだ。
距離だけ見ても、随分遠い。丸半日はかかりそうな距離だった。
「酔いどめ飲んだか? エコデ」
「大丈夫です! 予備も持ちました」
最後までお茶をいれて貰いながら、俺は苦笑する。
ラフェルはダンダについていって、今はいない。あいつもあいつなりに、思うところがあるみたいで、寂しそうだった。悪魔が寂しがるとは、エコデの魅力は半端ないな。
「……先生、お世話になりなした」
神妙な面持ちで切り出したエコデに、俺は静かに首を振った。
「何言ってんだよ。世話してもらってたのは、俺だ」
そうですね、とエコデは笑みをこぼす。
俺たちは最後まで笑って、道を分かつんだ。それに、な。
「やっぱり、家族と一緒がいい。俺は、そう思う。ロヴィと和解できて俺、本当に嬉しかったから」
「……はい」
エコデには、難しい問題なのかもしれないけど、な。でも、エコデにはダンダが居てくれるんだ。
だから、大丈夫だって、俺は思う。
意図せずに広がる沈黙。
どうしよう。俺は口下手なんだが。
俺の計画では、馬鹿馬鹿しいやり取りでエコデに呆れられながら、それでも俺らしく見送るはずだったんだ。
ラフェルがいないのが痛い。ドクターは居るけど、エコデには見えないし聞こえない。
この沈黙は、きついぞ。
「……先生」
視線を向ける。
エコデは泣きそうな顔で俺を見ていた。
あぁ、何でだよ。そんな顔だけはさせたくなかったのに。
「先生を、困らせても……良いですか?」
もう困ってる。どうしたらいい?
ここに居たいって、そんなことは了承出来ないぞ俺。だって、駄目なんだ。それじゃエコデは……
「僕、先生が好きです」
…………
「え?」
唐突。
泣きそうな、でも笑顔で、エコデは言う。
「何て言えば、うまく伝わるか分からないけど。でも、僕は先生が好きです。先生が誰かを想うのは見たくないし、想われてるのを見てるのも辛いんです」
白。俺の思考は真っ白だ。
気持ちを知らなかったわけじゃない。でも、知っていたからこそ、俺は言葉が出てこない。
何で、今言うんだ。俺は……エコデに、どう言えばいいんだ。
「あはは……やっぱり、先生困ってる」
力なく笑ったエコデに、俺はハッとする。
俺の馬鹿!
「ち、違う! 驚いたって言うか、ほ、ほら……そんな事、俺は」
何言ってんだよ俺はっ!
まさに支離滅裂。だけど何て返せばいいか分からないのは本当だ。
「先生が正しいと思いますよ。だって、僕は……先生のお嫁さんには絶対になれない」
ずきずきする。
一番苦しいのはエコデなのに。俺が投げる言葉はきっと全部エコデを傷付ける。
「だから、先生?」
無理に笑って、エコデは俺に告げた。
「結婚して、子供が出来たら会わせてくださいね。御祝いにシトラスシフォン作っていきますから」
なぁ、エコデ。それは本心じゃないんだろ。本当は、違うんだろ。
相反する感情に今更俺は気付く。
俺は、エコデに……。
「あ、ダンダさん来たみたいだから、行きますね先生」
かたっと席をたって、エコデは自分のカップを片付ける。
言わなきゃ。俺はちゃんとまだエコデにお礼を言ってない。
なのに動けない。俺の最後の願いを完遂出来ない。
「さよなら……先生」
いつかも聞いた言葉。別れの、メッセージ。
今までの全てを過去にする一言。
俺は。
「……先生?」
やっぱり、エコデは小さい。ホントに男の子かってくらい、可愛いし幼いし小柄。
でも、凄く優しくて気の回る、いいやつ。そんないい子を、苦しめてた俺は最低だ。
だから、最後まで最低でいさせてくれ。
ぎゅっとエコデを抱き締めて、俺は心の底から自分を罵った。その意味も理由も、全部飲み込んで。
「ありがとう、エコデ」
好きでいてくれて。世話を焼いてくれて。新しい道を、選んでくれて。
エコデはくすっと笑って弱く俺の背中を掴んだ。
「先生は酷いひとです」
俺もそう思うよ。
でも、俺らしいって思ってくれたなら……俺はそれでいい。
◇◇◇
ダンダの車に乗り込むエコデの頭を思いっきり撫でて怒られて。
そうして、ゆっくりとしたスピードで車は走り出す。
ラフェルが目を潤ませてて、見送りにきたポアロやヴィアが大きく手を振る。
遠ざかる車。
これで、良かったんだ。良かったんだよ。
気力だけで立っていた俺は、視界から車が消えると同時に、ついに崩れ落ちた。
◇◇◇
第23話 泡沫ーウタカター
目を開けば白い天井と淡いグリーンのカーテン。
うん、今日は調子がいいな。
「たわけ。何を今更些細な事に一喜一憂しておる」
傍らに立つドクターはポニーテールをふさふさ左右に揺らしながら首を振った。
俺はそれに苦笑して小声で返す。
「そう焦るなってドクター」
「私は関係ない。困るのはぬしだ。書き換え能力を捨てている自覚はあるのか?」
俺は体を起こして、腕を伸ばす。
おぉ、ホントに今日は調子がいい。散歩にでも行くかな。
「聞いているのか?」
若干苛立ちのこもった声に俺は苦笑する。
「聞いてるよ、ドクター。何かもうどーでもいいかなーってさ」
俺の返答に、ドクターは一瞬表情をひきつらせ、そして頭を振った。
呆れてものも言えない、って感じだ。
でも、嘘は言ってないしな。
伸ばしていた腕を下ろし、ベッドから抜け出ると俺はカーテンを開けた。
どんより曇った、鈍色の空。実に平凡だな。
「さて、今日の病院食は何かなーっと」
毎日それが楽しみだ。
◇◇◇
エコデが出ていった直後、俺は倒れた。以降ずっと入院中だ。
検査でもそろそろ色々出てきたみたいで、シャルルが結果開示に躊躇を見せ始めた。
まぁ、仕方ないことだ。明日、ロヴィが見舞いに来るとラフェルが教えてくれた。しっかりしとかないとな。
「そう言えばドクター。何で、能力が徐々に返還されてるんだ? ドクターは違ったよな?」
問い掛けた俺に、ドクターは一瞥寄越して肩を竦める。
「さてな。神の気紛れだ。私が知るはずもあるまい」
それはそうかもしれないけど。
やっぱり、俺の生まれが特殊だからってのが一番しっくり来るか。
そう言えば、俺は能力が一時期落ちてたな。そのときはサチコにあっさり越えられた訳だし……俺の能力は、肉体状況に大きく影響されるのかもしれない。
「りぃくん、持ってきたですよ」
「おー、ありがとラフェル」
頼んでいたタオルや着替えの入った袋を持ってきたラフェルを俺は笑顔で迎えた。
「まだ居たのですか、死に損ないさん?」
「ぬしこそ、献身的な悪魔だな。感心だ」
ああ、今日も波長が合わないんだなこの二人。やれやれだ。
実はラフェルはずっとドクターが見えていたらしい。
まぁ、悪魔だから不思議はないが黙っていたのは疑問だった。
特に理由を聞く必要もないが、今更火花を散らしあう理由は気になるな。
こんなとき、エコデが居たらな。おろおろしながら仲裁に入るよう俺を引っ張るんだろう。
もう、ないけどさ。
「ぬしは本当に」
「ヘタレが過ぎるです」
「何でそういう時だけ波長ぴったりで俺を苛めるんですかね? お二人さんは」
実はマブダチなんじゃないか、こいつら。ため息をつくタイミングまで被ってるし。
「で? りぃくん?」
「ん?」
「まだ、終わってはいないのです。良いのですか? これで」
ラフェルの問いに俺は口をつぐんだ。
俺はまだ生きている。ドクターに連れて言ってもらうことなく、自分の意思でここにいる。
その理由は、簡単だ。それでも俺は、まだ惨めったらしく希望にすがっている。
何かの間違いで回復することを期待している。簡単に諦めて、ロヴィをまた悲しませたくないと思ってる。
そして、俺は……まだどこかで、エコデに会いたいって思ってるんだ。
「エコちゃんは、もういないのです。りぃくんが、自分でそれがいいからって、選択を強いた結果なのですよ」
思考が読めるからって、結構ずかずかと痛いところを突いてくるな。
そう。言葉は悪いがこれは自業自得なんだ。エコデに決断を迫ったのは、俺だ。
ぐるぐるぐるぐる、俺の思考は、はつかねずみか。
「ま、勝手にしろ。時間も命も、ぬしの物だ。私は何も言わぬよ」
冷たいんだか優しいんだか。
まぁ、放任主義は有り難い。
死ぬのは、怖い。圧倒的な孤独が襲いかかるから。
しかし、何だって俺はまたこんな死に方なんだろう。
病死は、やっぱり嫌だったな。いや、病死では……ないのか。この肉体自体の活動限界……老衰と一緒だ。
なのに嬉しくない。
俺は慎ましく老衰で死ねれば満足だと思ってたのに。
「俺は……何か、間違えてるのか?」
「間違ってはおらんよ」
ドクターの声に俺は顔をあげる。
凜とした表情で遠くを見つめるような視線の横顔のドクター。
何か、緊張する。
「間違いではない。ただ、ぬしが勘違いをしているだけだ」
勘違い……?
つい、と視線を向けてドクターは寂しげな笑みを浮かべた。
「ぬしはきっと自ら気付く。何故なら、ぬしは薄々感じているからこそ、まだ未練がましくここにいるのだから」
なんのことかさっぱりだ。
でも、ドクターは俺の人生の師匠だからな。その言葉を無下にはしない。
勘違い、か。
「あと、りぃくんはいい加減自分の気持ちに目をそらしてはいけないのですよ」
「そ、そんなことないぞ?!」
ジト目で俺を見ていたラフェルに慌てて反論する。
どうだかーと言いたげなラフェルの視線に、俺はそっとため息をついた。
分かって、るよ。今更だけど。
「あら、そうなのですか。本当に今更ですね」
「どんくさすぎて、見ているこっちが苛々したな」
「人の思考を、て言うかプライベートゾーンを踏み荒らすなっ!」
反論する俺に、二人してニヤニヤしている。やめてくれ。
顔から火が出るから。
「大丈夫ですよ。人間の構造からしてそれは無理です」
「もう放っといてラフェルさん?!」
ケラケラ笑う悪魔と死者に挟まれながら、俺は掛布の下へ逃げ込んだ。
――今更ながら。俺はエコデが好きだったんだ。
思い出すと恐ろしい数々の行動があるわけだが、過ぎたことだ。
もしも今同じことが出来るかと言えばそれは即答でノーと叫ぶ。
恥ずかしくて出来るか。それが無意識とか、俺はどんだけ馬鹿なのか。
ただ、まぁ……な。
悲しいかな、俺はエコデを幸せには出来ない。不毛過ぎるんだ。それは辛い。
「……そうか。俺があの転生アンケートで変わればいいのか」
万事解決……でもない。
我ながら気色悪い。ていうか、エコデって見た目が女子だからそれだと百合展開ってやつか?
「無理! 俺の精神が耐えきれねぇぇっ!」
思わず発狂した俺をドクターが冷めた目で見ていた。
俺の苦悩を分かってくれないのかドクター。
「分かってたまるか」
「じゃあどうすればいいんだよぉぉ! 俺の前世から通算の初恋がぁぁ!」
「あら、そうなのですか。道理でりぃくんってば鈍感で奥手なわけですね」
……あ、要らんこと言ってしまった。
ラフェルの視線に、馬鹿にした色が増えた。勘弁してくれ。
「良かったな? 記録更新が出来そうで」
ドクターまで、酷すぎやしませんかね。
俺の妙な苦悩を解決しようと、頭を悩ませていた時だった。
「あら、意外と元気そうじゃない」
オレンジの髪を靡かせ、黒いシスターコス。ロングブーツの踵をカツカツ鳴らしながら病室を闊歩してきたサチコ。
また面倒なのが来た……。
「そんなに喜ばないで頂戴、リリバス」
サチコのウインクで、背筋に蟻が大量行進したような感覚が走る。これは、恐怖だな。
そもそもサチコの登場なんぞ、俺はちっとも嬉しくはない。誰もお前の登場は期待してないと思うぞ、サチコよ。
「早かったですね。予定は明日では? それに、お一人ですか?」
「ロヴィは所用でね。来れなくなってしまったのよ」
「何だ? 何か……緊急事態か?」
「あら、この辺りじゃ情報が流れていないのかしら」
サチコは、一体なんの話をしてるんだ?
首を捻る俺にサチコは、さらっと言ってのけた。
「東部で大きな地震があってね、今救助活動のためにロヴィが軍の指揮を執って準備してるのよ」
「な……」
絶句する俺に、サチコは肩を竦め室内をぐるりと見回した。
「あら? そういえば珍しくエコデがいないのね?」
◇◇◇
第24話 catastrophe AND desire
「リリバス、無茶をしたら駄目だ! 君だって、いや君だからこそ自分の状態は分かっているだろう?!」
「分かってるよ。だから大丈夫なんだ。問題なしだ」
シャルルの声を聞き流しながら俺は鞄を掴んだ。
黒い革製の診療用の鞄を。
腕に力を込めて持ち上げ……するりと指から滑り落ちて、重い音を立てて鞄が床へ落ちた。
力が、入らなくなってるのか。でもそれなら魔法で……。
手を伸ばそうとして、俺の手首をサチコが捕らえた。
反射的に睨んだ俺を、サチコは冷静な視線で受け止める。
「落ち着きなさい、リリバス」
「離せ、サチコ」
「その状態で行って貴方に何が出来るのかよく考えなさい」
「離せよ!」
叫んだ俺をサチコはじっと見据え、掴んだ手首に力を込めた。
「手を粉砕したら諦める? 足を折ったら大人しくなるのかしら?」
「這えば行ける。馬鹿にするな」
「ふふ、じゃあ試してみる?」
「やってみろよ……!」
サチコの笑みが加虐的に歪んだ瞬間、シャルルが悲しげに口を開いた。
「それを望んでいると思うのかい? リリバス、別れを選んだのは君自身なんだろう?」
俺は反論出来なかった。
◇◇◇
サチコは城に戻ると言い残し、さっさと帰っていった。
シャルルとサチコのお陰で俺はようやく興奮状態から落ち着いた。
冷静になれば、いかに自分が馬鹿げたことをしようとしていたか痛感する。
こんな状態で救護活動に参加したって足手まといもいいところだ。ましてやサチコに手足粉砕されて、それでもエコデに会いにでも行ったら、どれだけ心配をかけるか。
そして、道を分かつ選択を無為にするところだった。
今の俺は、ベッドの上で祈るしか許されない。情けなくて悔しくて、憤りが募る。
「酷なことを言うようだが、ぬしは遠からず死ぬ。その意味は分かるだろう?」
「分かんねーよ、ドクター」
無気力に横になっている俺の頭に、ドクターが触れる。
温度は感じない。でも、感覚がある。空気が押し付けられてるような感じだ。
「今助けても、未来で同じことが起こらない理由にはならない。そして、ぬしはその時こそ、本当に何も出来ない」
今は祈ることが出来るってことが言いたいんだろうか。
でも、俺はガキだから今が一番重要なんだ。ドクターみたいに、割り切れないんだ。
「なぁ、リリバス。災害とは恐ろしいものだな。ほんの少し前まで普通に話していた相手が、次の瞬間物言わぬ塊になってしまう」
さらさらと、ドクターの手が俺の髪を撫でる。
正直くすぐったい。
だが俺は黙ったままドクターの言葉に耳を傾けた。
「私はな、リリバス。千里眼であらゆるものを見通せる。だから、諦めてしまうのだろう。未来は私にとって不確定ではない。確定した、型通りの時間だ」
それは何だか凄く、つまらないような気がする。
自分の感情さえ組み込まれた予定調和なんだとしたら……俺の苦悩は一体なんのためにあるのだろう。
「だがな、リリバス。ぬしは違う。いや、サチコもか」
「え?」
思わず俺は顔を向けた。
ドクターの手が頬を掠める。
静かに微笑むドクターが、俺を見ていた。
「転生者は、神と同等の能力を譲り受ける。だからこそ、私の能力が及ばない。私にはぬしやサチコが組み込まれた未来は読めん」
「そ、それはおかしくないか? だって、ドクターは全部見えてるんだろう? 俺やサチコが狂わせるのだとしたら、確定した未来がないことになるじゃないか」
現に、俺とサチコがいる時点でドクターの能力はないのと同じになってしまう。
それは理論的じゃない。
「世界のうねりは強く大きい。確かに大きく変わることはない。だがな、僅かな波は立てられる。それがぬしやサチコだ。
ぬしらが確固たる意思を持てば、小さな波もいずれ大きなうねりを生み出すだろう。――例えば、ぬしがエコデの未来を歪めたようにな」
俺がエコデの未来を歪めた?
唖然とする俺に、ドクターは言う。
「私の知るエコデの未来は、ぬしの死を見届け、あとは朽ちるだけだった。それはそうだろう。あやつは、ぬしが全てだったのだから」
「嘘だ……」
「嘘などついてどうする。それをぬしは変えた。ぬしが、自分の命と共に破滅してほしくないと強く願い、それを貫いたからな。神は残酷なほどに未来図を整えている。そこへ戻すために、自然に周到に罠を張り巡らす」
そうだ。エコデが俺を好きだって言ったとき確かに俺は一瞬揺らいだんだ。
自分の想いにも気付いたから。
だけど、俺はそれを断ち切った。エコデの未来にために。
でも、その修正のために、地震が起こったというのは……
「そう。あまりに効率が悪く他へ影響する。つまり、これは予定調和だ。そして、神の予定調和と言う呪縛から逃れた唯一の存在が、エコデだ」
別に神様だって人間が嫌いなわけじゃないだろう。
でも、大勢を管理するのは大変だから予定を描く。それは普通の考えだ。
「それが幸せかは私には分からない。でもな、リリバス。エコデは私にとって希望だよ。私に不確定と言う輝く未来を見せてくれる、弱くて脆い灯だ。小さな小さな、希望なんだ」
だから、とドクターは俺の額を指で弾いた。
ぬしには感謝している、と笑って。
◇◇◇
俺には命が残されていない。
でも、エコデの未来を俺は作れたのか?
だけど、今無事かは分からないじゃないか。
……いや、待てよ? だとしたらダンダはどう言うことなんだ?
エコデが出ていったのはダンダとだ。だけど、ドクターはダンダについては触れなかった。
「あぁぁ、もぉわっかんねぇぇ!」
頭をかきむしって、俺は叫ぶ。
神様のルールは俺には複雑すぎる。そもそもドクターと違って、元々のルートを知らない。
ルールもルートも不明なボードゲームやってる気分だ……。
でも、落ち着け俺。
俺はまだ生きてる。ってことは、エコデがまだ死ぬ段階じゃない可能性は大いにある。
でも、俺に出来るのは祈るだけ。いや、祈ることは出来るか。
「忘れてた。俺はチートな転生者じゃんか」
デコピンで山が吹っ飛び、一息で城が崩落し、『本気で呟けば願いが叶う』んじゃないか。
俺はもう、どうなったっていい。魔力が尽きて死ぬならそれでも構わない。
「ドクター、ありがとう」
壁際に立つドクターはなにも言わなかった。
俺は最後まで、エコデの未来を繋ぐために頑張るよ。
だからどうか、エコデの命だけは護ってくれ。
世界中の精霊に願いを放ち、俺は意識を闇に食われた。