第4話 非現実的看板娘
「先生、そろそろ行ってきますね」
「ぬぁっ?! もうそんな時間か? ちょ、ちょっと待った」
食べかけのイチゴジャムたっぷりトーストを慌てて押し込み、アイスココアで飲み下す。
ああ、勿体無い。だが背に腹は変えられないからな。
ふぅっと息を吐いて、俺が席から立つと苦笑しつつ、エコデが食器を片す。
その間にわたわたと黒のロングコートを羽織った。マフラーは……いいか。時間ないし、すぐ戻るし。
「あ、りぃくんエコちゃんの見送りですー?」
「おー、ちょっと行ってくるから留守は頼んだ」
ラフェルは静かに頷くと、にこりと微笑んだ。
世の男の三分の一はときめくだろう。俺は悪魔の本性を知ってるから、若干怖いと感じるけどな……。
「エコちゃん困らせたら駄目なのですよ? 変態りぃくん」
語尾にハートか星が付きそうだが、まぁ危険なサインだな。曖昧に笑ってやり過ごしていると、キッチンからエコデが戻ってきた。
ベージュのハーフコートに、赤ベースのチェックの巻きスカート。いつもながら、隙無しの可愛さだよなぁ。勿体無い。
「行くか、エコデ」
こくっと頷いたエコデは何か嬉しそうだった。
そんなにバイト先は楽しいのか? 若干俺は寂しいですよ?
ひゅうっと吹き付けた冬特有の乾いた風に、俺は身を縮めた。
隣を歩くエコデにちらっと視線を向けると、寒そうに目を細めて、マフラーに顔を埋めていた。
反則的に可愛い。
「風邪の患者さん、多そうですね」
ぼけっと見惚れていた俺に、エコデが話題を振る。俺は慌ててこくこくと頷くと、くすっとエコデは微笑む。
「忙しいでしょうから、帰りは大丈夫ですよ?」
「ばっか、それは駄目だ」
でも、と言いかけたエコデの頭にぽんっと手をおいて、俺は笑みを浮かべる。
「いーんだよ。俺とラフェルがそーしたいだけなんだからさ」
「……はい」
困ったような、でもどこか嬉しそうなエコデにほっとする。
ラフェルが来てから、エコデはバイトをするようになった。それは前向きな変化だ。
送り迎えは、最初してなかった。近いってのもあったし。色々あって一人では危なっかしくなって、今みたいに送迎するようになった。
歩いて約十分。『ベーカリー ABO』……ブルーの屋根、手書きのメニューボードの立て掛けられたイーゼル。
このこじんまりした、割と新しいパン屋がエコデのバイト先である。
そして悲しいかな、ここの店主ももれなく変人である。
「おはようございまーす」
扉についた鐘がカランコロンと鳴り響く店内。すでに焼き上がったパンの薫りが漂っていた。
空腹中枢を刺激する。俺も医者やめてパン屋にでもなろうかな。
でも商品全部食って売り物がない、とかいう落ちになりそうだ。
パン屋とかスイーツショップの店員を改めて尊敬するわ。
「おはよー、エコデ。今日も寒いねー」
赤いエプロンに赤いバンダナを頭に巻き付けて、焼き上がったパンを運んできた女店主。
からっとした笑顔で八重歯を覗かせる店主ヴィアは見た目は20代前半でも十分通る若々しい外見。肌艶も良いし、目元に皺もなし。シミだってない。
今年で452歳になるというバンパイア。それがヴィア。
「毎日健気だね、センセ?」
「まーな」
健気とは違う気もするが、心配だからこれはこれでいい。
「じゃあ、帰りはラフェルか俺がまた来るからな」
「はい」
ぺこっと頭を下げてエコデは奥へと消えた。
「じゃあ、エコデを頼んだ」
「今日もしっかり看板娘として働いて貰うよ。ご心配なくー」
どうもその響きは、不安をあおるな……。
◇◇◇
この世界は、基本的に中途半端だ。日常生活で言えば、トースターはあるけど、オーブンレンジはない。軍事的側面から言うと、地対空ミサイルはあるけど、双発ジェット戦闘機はない。医療業界では、薬はあるけど、病院で整形外科のオペはしない、みたいな。魔法と共存すると中途半端になんのかな。俺はその辺り考えたことがない。面倒だし。
でも、変わらないものもある。医者と製薬メーカーのこれとか。
「弊社の降圧薬は業界初の永続魔法加工によって……」
全然科学的じゃない薬って怖い。絶対採用しない。これ決定。
でもなぁ……このメーカーの勉強会の弁当旨いんだよなぁ。半分くらい平らげた弁当を見やり俺は苦悩する。
この間もやってもらって、結局採用しなかったし。弁当目当てがバレてるかも。次回弁当ランク下げられたら俺は……!
「以上になりますが、いかがでしょう先生!」
グレーのスーツに身を包み、営業用スマイルのMR。後ろに撫で付けた黒髪に視線を逃がして、俺は答えを渋る。
ヤバい……どうしよ。採用はしないけど、無下にしたら次回の弁当がないかもしれない。
だけど、採用したって採算合わないのは間違いない。地獄とも言える沈黙が、襲い掛かる。
「先生は患者の需要と合わないので、採用しづらいとお悩みです」
地獄の門をぶち破ったのは、生粋の悪魔だった。
「ですよね? 先生」
「そ、そうだな……」
ナイス助け船。ありがとうラフェル! 何か無表情で怖いけど、救いなのは間違いない。
「そう……ですか」
俺がほっとしている前で、がっくりと肩を落とすMR。何か申し訳ない。
「えっとー……魔法って個人差出るしさ、安定供給も不安があるし……やっぱ普通に科学的なのだったら、前向きに考えたよ、うん」
せめてもの詫びのつもりで、フォローを入れる。
するとMRは目を輝かせた。
「成る程! 弊社に持ち帰り、進言します! 貴重なご意見ありがとうございます」
前もこんな感じだったなぁ。
そういえば、この間も何か助言して、その薬の売り上げが倍に伸びたとかで喜んでたな。
俺は絶対使いたくない種類だったけど。ま、これで次回の弁当が約束されるなら安いもんだよな。
「ところで話は変わりますが先生」
「ん?」
「ここから十分くらいの所にあるパン屋ご存知ですか?」
撤収を開始しながら問いかけたMRに、俺は小首を傾げる。
あれか、ヴィアの店だな。流石に仕事があるから、行ったことないけど。
「男女問わず人気らしくて、なかなか買えないとか」
うん、まぁエコデは可愛いからな。最強の男の娘だから、きっと相変わらず皆勘違いしてるんだろう。
そりゃあ売り上げが伸びたって不思議はない。
……? 男女問わず?
行ってみたいですよねぇ、と笑うMRを他所に、俺とラフェルは目配せ。
嫌な予感だな、全くっ!
◇◇◇
本日午後休診。もちろん定休日じゃない。というよりはラフェルが勝手にそうした。
曰く、りぃくんはエコちゃんが心配じゃないのですか、血も涙もないムカデのような気色悪いりぃくんらしいですね、だそうで。
いや、心配は心配なんだが。何も、ムカデと同列にまで落とさなくたっていいじゃないか……。
俺はこう見えても虫は嫌いなんだ。
とにかく午後はヴィアの店の偵察に行く、という展開になったわけである。
「うーん、確かにただのパン屋にしては行列ですねー」
道路を挟んで反対側。
俺とラフェルはそこから店を窺っていた。ざっと見ても、問題ありと判断するやつはいない。
それどころか、見事な整列。等間隔で軍人並みの等間隔だ。
予感、外れたか? それならそれが一番だけど。
「あ、エコちゃん。可愛いー」
「馬鹿か。エコデはいつだって可愛い」
腕を組んで断言した俺に、ラフェルが冷たい視線を寄越す。
「ほんと、りぃくんが変態だからエコちゃんの回りに変態が集まるのです。類は友を呼ぶです」
ふぅ、と呆れの溜め息をついたラフェルに俺は首を捻る。
その法則に則ると、ラフェルも変態の一人だよな。まぁどーでもいいけど。
「あれ、ヴィアが出てきた」
その姿に、また嫌な予感が背筋を這い上がった。
ポニーテールを揺らして、店から出てきたヴィア。徐に手にしていたメガホンを口元へ持っていくと。
「残念ですがー、本日の分は店内入場分で完売いたしましたー! また次回の販売をお待ちくださーい」
ヴィアの声に店の外に並んでいた人々が、がっくりと肩を落とす。
列の秩序は一斉に失われ、とぼとぼと解散していく人々は皆、とても残念そうだった。
ここのパンでそんなに美味いのがあるのか。知らなかった。
「解せぬのです」
ぽつりとこぼす、ラフェル。視線を左へスライドさせると、未だ疑念の眼差しを崩さないラフェルがいた。
悪魔のくせに疑り深いとは面白いやつだよなー。
不意に、ヴィアがこちらを見やり――視線が見事にかち合った。
「あっれー? センセに悪魔ちゃんじゃーん」
にやりと笑みを浮かべ、ヴィアはメガホンで拡声させる。
ていうか別にそれ使う必要ないだろ! お陰で生暖かい視線が集中してるじゃねーかっ!
ひらひらと手を振るヴィアは悪意の欠片もない笑顔を向けてきているが、俺は騙されないからな?!
俺の周囲の女はいつもそーいう笑顔で俺を地獄に突き落とす。
それくらいは俺だって分かるようになった。いわゆる生存本能だ。
不意にラフェルが俺の腕を掴んで、歩き出す。唐突な事に、つんのめって転びかけたが、並外れた身体能力がこういう時は役に立つ。けどまぁ、残念ながら。
「随分と好評のようですね」
外面全開で、何故か青筋を額に薄っすら浮かべながら、ラフェルはヴィアへと詰め寄る。
通り縋る人々の視線が好奇の色を帯びているのは、気のせいだよな。気のせいであってくれ。
「お陰様でねー。エコデには随分助けてもらってるよぉ」
「当然です。むしろその存在があるから、この店はもっているようなものでしょう?」
「あははは、言うねぇ、悪魔ちゃん」
黒いオーラが駄々漏れだぞ、ヴィア。
ラフェルとヴィアの間に挟まれた俺は、一体どーすれば。
「ママー、けんかしてるひとがいるよぉー」
「駄目よ見たらっ! 修羅場は子供にはまだ早いわっ!」
修羅場なの?! 俺って何でこう、面倒な事に巻き込まれやすい体質なんだ?
なんかもう、涙が出そうだ。少し前なら、エコデが助けてくれたのに。あー、助けてくんないかな……って。
「なぁっ?!」
何故客と握手してるんだエコデッ?!
レジカウンターで、接客するエコデは、何故か会計の最後に握手と数秒の会話。
だけど、笑顔が堅い! エコデのぎこちない笑顔なんて、俺は見たくないんだが。
あと客。あとでその鼻の下3センチ短くなるように縫い付けてやるからな……!
じろりとヴィアを見やると、ヴィアは黒い笑みを返す。
「やだなぁ、看板娘としての仕事を……」
「誰が人気獲得のための握手会を開催しろと言ったッ! この変態店主が!」
吠える俺が制御し損ねた風圧を、ヴィアは涼しげに受け流して肩をすくめた。
すげームカつくなこいつ!
「商売は、人気がなければ成り立たないのはセンセもよく知ってるはずだよねっ」
「ぐっ……」
流石に言い返せない。
確かに俺もエコデとラフェルの存在に助けられて、何とか医者をやってるけど。
「りぃくん、言い返せないとは何事ですか」
ぼそっと鋭利な刃物を突き付けるような恐怖感を与えるラフェルには、もう目を向けられない。
得意げなヴィアは心底ムカつくが。
だけど、ヴィア。お前は、根本的な勘違いをしていることに気づいてない。
「確かに、人気は大事だ。それは認める、ヴィア」
「おぉ、流石センセ」
「だけど、握手会の神髄は総選挙で人気投票を獲得するためにあるんだ! 一人きりのアイドルには総選挙も人気投票も必要ない! つまり、お前の戦術は根本が間違ってる!」
しん、と鎮まる空気。
言った。言ってやった。これでは反論の余地などないだろう。まったく、これだから素人は……
「りぃくんは、馬鹿なのですか? いえ、間違えました。馬鹿でしたね。最底辺の馬鹿なのでした」
「センセ、ほんと分かってないよねー」
おい。何で二人して可哀想なものを見るような、憐れみの視線を寄越すんだ。
全然嬉しくないんだが。
「センセ、うちの店で競ってるわけじゃないから。でもって、この街にパン屋数えるほどしかないし。争う必要もないからね」
「確かに?!」
「まぁほら、これがあげるからさ。元気だしなよ」
ぴらっとエプロンのポケットから何かを取り出し、俺へ差し出した。
何とも言いようのない疲労感に襲われている俺は、のろのろとそれを受け取る。
「――エコデの可憐なるブロマイドだとっ?! それは反則的な販促手段だろうがっ!?」
「つまらないのです、りぃくん。ただでさえ呼吸で大気環境を汚染しているというのに、黙っていた方がまだマシなのです」
「くっ……だが、こんな安い手には乗らな……」
「えー、センセってばエコデにもっと過激なものを期待するなんて変態だねぇ」
「誰もしてませんけど?!」
「先生、何してるんですか?」
喉元に縄が絡みつくような恐ろしい声が背後から聞こえた。
ぎこちなく振り返ると、店内にいたはずのエコデが、立っていた。すごく冷たい視線で。
「午後の診察は、どうしたんですか?」
「えーっとぉ……」
「僕もまだ、仕事終わる時間じゃないですし」
怒ってる。看板娘が滅茶苦茶怒ってる。
だらだらと冷や汗が流れ落ちる俺は、それとなくラフェルに救いを求め……
「っていない?!」
「先生っ!」
そして俺は、土下座をせざるを得なかった。
くどくどと怒られる俺を、心底羨ましそうに見ながら帰っていく客たち。
くそ、その手を高圧蒸気滅菌してやりたいが、一瞬でも顔を上げたら、説教時間の延長は確定だ。
ラフェルも自分だけ逃げやがるし。俺って何でこう、運が悪い人生なんだろう。
◇◇◇
第5話 消滅のXデー
「ふーむ……参ったな」
その店の入り口は、玄関と言うよりは最早穴と言った方が正しい。
一応、扉が閉まる構造ではあるから、玄関には違いないのだが。高さ30㎝、幅50㎝。若干傾斜のついたその小さな入口の上には赤い字で『アリジゴク』という店名が書かれている。
俺の精神保健に必須な仕事をしてくれるメドゥーサ・ポアロの店だが、この所ずっと休みだった。来るものを全て拒むような真っ黒の扉に閉ざされたポアロの店。その前にしゃがみこんで、俺は腕を組んで考え込んでいた。
「さて、どーしたもんかな。〆切は明後日だけど。……遅れたら俺が怒られるのか? これって」
それはあまりにひどいよなぁ。
よし、せめてもう一歩踏み込んだ行動に出てみるか。
「ポアロ―、生きてたら返事しろー。具合悪いなら診てやるぞー」
入口を閉ざす黒い扉を叩いて呼びかけてみたが、やっぱり返答なし。
……ポアロ。まさか、孤独な死をこんな薄暗闇で迎えるなんてな。蛇頭がなければ美人でいい奴だった。
ポアロ、お前の事は忘れないよ。その数々の名品と共に、俺の心に刻みつけておくからな。
そっと手を合わせて冥福を祈る俺の首に、するりとそれが絡みつく。
きゅっと。
「ぐぬぉっ……?!」
「リリバス、勝手に人を殺すとは失礼」
絞まってる。首に絡みついた青白い蛇が俺の命を奪い去ろうと、鎌首もたげてるって!?
酸素交換を絶たれた俺の体は徐々に生命維持が困難に。
あ、何か感覚が薄れ……
「困った医者」
呆れた口調と共に、俺の首を絞めていた蛇が緩んだ。
倒れそうになったのを、両手をついて凌ぎ、全身に酸素供給。ざらついた蛇の表皮が頬を掠めて、鳥肌が立つ。
気持ち悪いし怖い。勘弁してくれ。滲みそうな涙を堪えて、恐る恐る振り返る。
紫色のいつものローブ……ではなく、何かどっかのビジュアル系バンドみたいな服装をしたポアロが、冷たい目で俺を見下ろしていた。
その視線は悪くないな。言ったら、今度こそ絞殺されそうだから言わないけど。
「い、生きてたのか、ポアロ……」
「悪い?」
「逆だ。お前がいなくなったら、俺は心底困るからな!」
立ち上がって断言すると、ポアロはぴくっと肩を跳ねさせて、口を濁した。
何か顔赤いし。やっぱり熱があるのか。頭の蛇も落ち着きなくざわついてるし。
「いつもの仕事?」
そっけない口調で問いかけたポアロに、俺は頷いた。
「そ。明後日が〆切だろ。遅れないように先行的にな!」
膨らむ楽しみを顔に出さないようにしながら、俺はポアロに極秘書類を差し出す。
茶封筒に丁寧に収納された俺の来月の心の支え。裁縫屋ポアロの腕前はずば抜けて高い。お陰で来月もエコデの可愛さは安泰だ! 素地の高さもあるけど。
「私、仕事変えたからもう出来ない」
しれっと真顔で言い切ったポアロ。
こいつ、基本的には無表情だからな。冗談が冗談に聞こえなくて困る。
「なんだ、店舗移動か。先に教えてくれよなー」
「アリジゴクは閉店」
若干むっとした様子でポアロは言い切った。
どうやら、本気のようだ。そうか……閉店とはな。
「……って、じゃあ来月からのエコデの衣装は?!」
「知らない。別に頼むしかない」
「そんなっ?! 俺ポアロ以外に腕のいい裁縫屋出会ったことがないんですが?!」
ていうか、ポアロ以外に頼んだ事ないんだけどな。
ポアロは少しだけ表情を曇らせる。申し訳なさそうに。
「もう、決めた。今更何を言っても無駄。……ごめん、リリバス」
「うぐっ……」
睨む、ではなく上目遣いだと?!
つくづく女とは恐ろしいもので、どういう対応をすればこっちが勝てないかを心得てやがる。
恐ろしい。エコデはそうなりませんように。まぁ、男だけど。
言いよどむ俺に、ポアロはポケットから一枚の紙を取り出した。
細長い、切り取り線の入ったまるで黒い短冊。
「これあげるから」
意味が分からん。ただまぁ、何となく受け取ってみる。
≪ブラッドレス・ジュエル デビューイベント≫と黒に赤字で書かれた、チケットだった。
なんでポアロがこんないかにもビジュアル系バンドのチケットを持ってるんだろうか。
そういえば、恰好がそんな感じだけど。
……もしかして、ファンクラブにでも入ったのか?! 意外な趣味だな。
「そうか。ポアロもビジュアル系バンドの趣味があったんだなー」
何にせよ、外に意識が向いて良かった。俺は安心だ。
俺が何となく感慨深い感情に浸っていると、ポアロは眉根を寄せてぼそっと言う。
「別に好きじゃない。でも仕事だから」
「あはは、なるほど」
ん? 仕事?
再度チケットと、ポアロの恰好を見比べる。
ビジュアル系バンドのチケットと、ビジュアル系バンドの格好してるポアロ。
「……もしかして」
「べ、別にデビュー嬉しくは……」
「親衛隊の隊長にまで上り詰めたのかっ!」
叫んだ俺の首に、しゅっと一瞬でポアロの頭の蛇が絡みついた。絞まってますよポアロさんっ?!
べしべしと蛇を叩いてギブアップを伝える俺を、ぎろりと睨み付けながら、ポアロが低い声で言う。
「違う。一応デビュー、私」
なな、なるほどなっ!
こくこくと何とか頷いた俺に、ポアロが呆れながら蛇の拘束を緩ませる。
ちなみにポアロの蛇は、ポアロの意思とは別に行動するから厄介だったりする。
「ぜー、はー……俺、短時間で二回死にかけたわ」
「とにかく、私も忙しい。だから、もう無理」
胸の前で腕をクロスさせ、バツ、と示すポアロ。
呼吸を整えながら、俺は頷いて見せた。
それにしても、閉店するとは。でもまぁ……ポアロも新しい人生を切り開いてるってことだもんな。エコデもバイトし始めて、俺も新しくラフェルっていう看護師迎え入れてるわけだし。
時間とともに、みんな変わってくもんだよな。
「リリバス、何で寂しそうな顔?」
「え、そんな顔してたか?」
頷いたポアロに、俺は頭を掻いた。
うーん、否定はしないけど。でも、そんな事言ったら子供みたいだよな、俺。
曖昧な笑みで誤魔化した俺に、ふっとポアロが表情を緩めた。
「しょうがない医者」
ぴっと俺の手から封筒を抜き去って、ポアロは店兼自宅の扉を開けた。
唖然と見送っていた俺を振り返りポアロは苦笑する。
「時間かかるから」
「ポアロ……」
「じゃ」
するっと隙間から器用に体を滑り込ませ、ポアロは俺の視界から消えた。
何だかんだと、凄くポアロは良い奴だ。
また今度、好物のヒトデを差し入れてやるかな!
数日後、ライブハウス前がに長蛇の列が出来て、ポアロらしきポスターが大量に通りに貼られている光景が広がっていたのはまた別の話だ。
ご当地アイドル戦国時代は、幕を開けたばかりらしい。
◇◇◇
第6話 血縁の対価
「ラフェルー、もう患者終わりかー?」
カルテにせっせと先ほど帰った患者についての情報を記載しながら、俺は問いかける。
きぃっと扉を押し開け、ラフェルが赤いロングヘアーを揺らして顔を覗かせた。
「終わりです。じゃあ私がエコちゃん迎えに行って……」
「もう終わるから俺が行くって。ラフェルは、後の片づけよろしく頼むわ」
最後に処方内容を転写して終了、と。
カルテを棚に戻すと、白衣のボタンに手をかけ……何故か睨んでいるラフェルに気づいた。
「な、ど、どうした?」
「いーえ。ほんと、りぃくんは邪魔しかしないですね」
機嫌が悪いラフェルはそのまま頭をひっこめ、
ばん!!
とまぁ、扉を閉める際に激しい音を立てた。何を怒ってんだろうか。
この寒い中、エコデを迎えに行くという過酷ミッションを代わった俺をむしろ褒めてくれるべきじゃあないか?
全く、ラフェルもよく分からん。
◇◇◇
木枯らし吹きすさぶ街頭。コートの襟を立てて、風を受ける表面積を極力減らすべく身を縮めながら俺はヴィアの店へ向かっていた。
エコデのバイトは基本的に診療所とリンクしている。俺の飯担当、というのがエコデのスタンスらしい。
凄い有難いけど、何か微妙にヴィアには申し訳ない。エコデ以外のバイトはいないからな、あの店。
ま、俺の飯を優先してくれるエコデの気遣いを無下にはしないけどな、俺は!
店内を覗くと、客は丁度いないようで、エコデとヴィアが談笑していた。見た感じは微笑ましいんだが、婆さんと少年の会話光景と考えるとあんまり萌えない。考えたら負けだけどな。エコデ可愛いし。
ドアを押し開けると、扉についた鐘が店内に来客を告げる。
「迎えに来たぞ、エコデ」
「あっ、先生。もう終わったんですか?」
ぱっと笑顔を向けたエコデに、俺は頷く。
ヴィアと同じく、赤いバンダナと赤いエプロンに身を包む看板娘。
娘かどうかは怪しいけど。この店のアイドルには間違いないな。
「ちょっと病院寄ってこうかと思うんだけど、寒いしここで待って……」
「行きます!」
……何で嬉しそうなんだろ。まぁ、いいか。
エコデはヴィアに頭を下げると、着替えのために奥へ消えた。
レジで頬杖を突きながら、ヴィアはにやにやと怪しい笑みを浮かべている。
また悪いことを企んでるんだろうな、こいつ。
「……なんだ?」
「べっつにぃー? 面白いなぁと」
「何が面白いのかさっぱり分からん」
「ふはっ、鈍感もここまで来るといっそ清々しくていいよね」
けらけら楽しそうだな、ヴィアは。悩みがなくて羨ましい限りだ。
俺なんて常に次の飯の安全を悩んでるっつーのに。赤い悪魔とか緑の妖怪とかの侵略に怯える俺と代わって欲しいもんだ。
「こんにちはー」
からん、という鐘の音と男の声に扉を見やる。
腹回りが膨れた樽型体型。黒ぶち眼鏡に若干ぼさついた髪。首が脂肪で埋まってるし……相変わらず、明らかに適正体重を逸脱してんな、シャルル。
「おや、リリバス? 珍しいところで会うね」
目を三日月形に細めてにこりと笑ったシャルルに、俺は軽く手を上げて応える。
シャルルは俺の病院時代の同期だ。
あんな体型だけど、医者としての腕前は確かで……消化器の専門家でその筋じゃ有名。凄く気の良い奴だ。
「エコデの迎え。この後病院に行こーとしてたとこだ」
「あー……まだ一緒にいたのかい? 相変わらず、リリバスは面倒見がいいね」
「どっちかって言えば、面倒見てもらってんだけどな」
家事全般は相変わらず頼りっぱなしだからな。
苦笑して返した俺に、とてとて歩み寄ったシャルルがぽん、と俺の肩に手を置く。
「何かあったら、いつでも相談に乗るよ。無理はしないようにね、リリバス」
「悪いな、シャルル」
お互い様だよ、と苦笑したシャルルには、ほんと頭が上がらない。
俺がいない時に、何かとエコデの世話を焼いてくれてたのも、シャルルだし。良い同期を持ったよな、俺。
「はい、ヴィアさん」
シャルルは、肩から提げていたクーラーボックスをどんとレジ前に置く。
ヴィアはぱっと体を起こすと、目を輝かせた。
「きゃー! ありがとうシャルルっ! だから大好きよ!」
「いやぁ、ははは」
抱き付いたヴィアに、頬を赤らめるシャルル。
こ、こいつら……そーいう関係だったのかッ!? ふと、クーラーボックスに注意を向けると……『バイオハザードマーク』だと?
「シャルル、これ……」
「ああ、血球成分輸血バッグだよ」
「私への愛の差し入れよ」
くすっと笑ったヴィアの黒い笑みを俺は見逃さなかった。
よくよく見れば、シャルルにまとわりつく魔力があるし。
「ヴィアさんみたいな可愛い人が、僕を選んでくれるなんてね」
「……シャルル」
それはな、うん。違うし、お前自体も魔法に汚染されてるんだ!
がしっとシャルルの肩の肉を掴み、俺はシャルルに叫ぶ。
「騙されてるって、お前っ!」
「やだなー、嫉妬は見苦しいよ? センセ?」
ウィンクなんてしても俺には無駄だからな?!
照れ照れと幸せそうな空気を滲ませるシャルルが哀れでならない。
くそ、俺はどうしたらいいんだ。
「シャルル、これ病院から掠めてきたんだろ。だけど、輸血製剤がどれだけ病院にとって重要か、お前が分からないわけないよな?」
最後の手段、医者としてのプライドに攻撃を加えるしかなかった。
シャルルは微かに表情を強張らせた。これは、効いてるか?!
「……そう、だね。確かにリリバスの言う通りだ」
「シャルル……!」
流石、俺の信頼でき……
「献血車をこのパン屋脇に常駐させるという発想が僕にはなかった!」
「何でそうなる?!」
「そうね。うちは献上に躊躇を見せない客が沢山いるもんね」
シャルルに抱き付いたまま、くすくす笑うヴィア。
言いたいことは分かるぞ。ここのアイドル・エコデとの握手券を獲得する条件に一つ加えるんだな。
何にも解決してねぇ……!
がしっとシャルルに手を掴まれる。わー、すごい目がキラキラしてるなー。
「ありがとう、リリバス。僕はすぐにこの件を調整に行ってくるよ!」
「あー、えー……」
いそいそと輸血バッグを回収したヴィアがシャルルにクーラーボックスを渡し、どたどたと走っていくシャルルを見送った。茫然自失で立ち尽くす俺を、くいっと引く感覚に我に返る。
「先生? どうかしたんですか?」
心配そうに見上げるエコデと目が合った。
「すまん、エコデっ! 俺また、どーしよーもない間違いでお前に苦労かけてしまうぅぅ……!」
俺の十八番、土下座でエコデにひれ伏した。
困惑する気配が漂うが、いっその事罵って踏みつけてくれたら嬉しい。
ヴィアがエコデに事情を簡潔明瞭に説明すると、何故か。
「献血してくれる人が増えたら、助かる人が増えますよね? 素敵じゃないですか、先生」
お褒めの言葉を賜りました。
だけど俺は誰も何も救えないどころか、泥沼的展開を招いてしまったんだが、……エコデに純粋に褒められると照れる。
これはこれで良い事にするか。
すまんシャルル。利用されてるお前を、俺は救えなかった。
せめて、利用されたまま、それに気付くことなく幸福な人生を終えてくれ。